アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
> たとえば、「いじめ」に関しても、親や教師に訴えたとしても、ほとんどの場
>合、解決はしないわけです。むしろその結果は、親や教師からは非難され、いじめ
>は激化するという、より悲惨なものだったりします。
> このように、「他人に頼ること」に対して絶望しちゃった人間は、「冷淡な態度
>を示す(14)」ように見えるでしょうし、
一見説得力のある説明ですが、このポイントは疑問があります。
この(14)に対する説明は、自閉症ではなく情緒障害に対応するはずです。
覗き趣味の下劣なワイドショーが視聴率をあげる(支持される)ことからもわかるように、非自閉者には、他人のことに異常に強い興味を示す(自閉者比)という特性があります。
対して自閉者の興味の持ち方はヒトにもモノにも中立的ですから、非自閉者から見れば自閉者は「冷淡な態度を示す」ように見えることになります。
このことに関してはドナ・ウィリアムズさんの「自閉症だったわたしへ」冒頭の兄妹一緒に写った写真における彼女の兄の態度に付けられた解説が参考になるでしょう。
くるとさんレスありがとうです。
くるとさん wrote:
> おんや???このスレッドになぜかわたしの名前がでてきているど〜
ネチケットに反するのだったらゴメンナサイ。
>(YANさんのコメント)
>
>>失礼だけど、Makichan も人間を分類しているという点では医者とあまり変
>>わらんような気がする。ゴメンね。健常者と障害者という分類は単なる幻想
>>だと思うよ。
>
> 正確に言えば、現在の医学の解釈体系では説明しきれていないということ
>だと思います。夜と昼が同じではないように障害者と健常者にも違いはあり
>ます。ただし
>
>(1)その分け方が恣意的だ
>(2)どちらにも分類できない人が多数存在する
>(3)一方的な分類だ
>
>という批判なら正しいと思います。特に(2)は軽度発達障害や人格障害の
>世界のことを考えるうえで重要だと思います。
全くそのとうりだと思います。
>
> また、医学的分類をくつがえすためには、医学以外の解釈体系で説明して
>いかなければならないのですが、まだ全ての人に承認されるような医学以外
>の解釈体系はありません。
そのとうりだと思います。
確かにわたし自身も医学的評価から離れてASに
>ついて語っていきたいとは思っているのですが。でも、AS概念自体がすで
>に医学的解釈体系の手のうちにあります。
ただ医学的解釈体系というのもないように思えます。医師の見解の相違というの
が大きすぎます。医学会自体混乱してるんじゃないですか。そうとしか思えない。
>(Makichanさんのコメント)
>
>> 私はくるとさんとは逆で、社会からの援助(つまりは年金)は得られたら
>>いいなと思っていますが、その実障害者呼ばわりされるのは嫌だなあ、なん
>>てムシのいいこと考えてますね。
>
> でも、社会から援助を引き出すって、自分が障害者であることを強くアピ
>ールする必要があるんですよね〜。以前いたボランティア先でも障害者手帳
>を取得したり、年金がとれるようになるために涙ぐましい努力をしている保
>護者の方がいました。
そんな感じしますね。今の医者見てると。ビジネスマンが営業努力するのと
同じ感じですかね。(例えが悪いかなあ。笑)
>
>(YANさんのコメント)
>
>>自分を障害者と位置付けてその点ばかり見るのは、罠にはまるのと同じこと
>>じゃない?
>
> これはむしろ所属とかアイデンティティーの問題ではないでしょうか?「
>罠にはまる」というのであれば、まさに前述したように医学から離れた独自
>の解釈体系を作ってコメントをしていくしかないでしょうね。
>
> でも、これはけっこう骨が折れます。わたしがコメントしていても思うの
>ですが、医学的解釈から逸脱したことをコメントするとけっこう反発を受け
>ますしね。ついでに言えば、医学以外の解釈体系というのは、それが他の人
>に通じるようになるまで、長い年月を必要とします。
>
> で、わたしとしては、医学的な説明を援用しながら説明していくという形
>をとらざるを得ない場合が多いです。哲学的・倫理学的解釈を援用して説明
>してもいいのですが、たぶん話が通じにくくなると思われます。
少し意見のべさせていただきます。
私は大雑把な人間ですから、こんなふうにしか言えないんですが、医学的で
あれ、哲学的・倫理的であれ、解釈体系つくること自体無理だし、しない方が
むしろいいのかなあって思ってるんです。いかなる定義づけをしてもいつか訂正
修正する時が来ると思うんです。修正の都度混乱まねいてたんじゃかなわないで
すよ。それなら初めからないほうが・・。さらに暴論カマシますが、精神医学は結局医師個人の名人芸に頼るしかないんじゃないかしらん思います。相性もあるし。
あ〜またまとまらない。
くるとさんの障害者教育のお話非常におもしろく拝見してるんです。なんだかんだ言っても私の周囲にいる「障害者」らしき人の中では、私自身が一番重症のように思えます。そんなのが他者をどうのこうのいっても・・・。その点くるとさんはいろんな人みてるわけで、その分相対化して見られますから。
もう遅くなったので寝ます。また相手してくださいね。ではまた。
こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
こちらの掲示板はいつもロム専門なのですが、みなさんがとても丁寧な事と、みなさんの知識が豊富ということ、頭が下がります。
とても私個人感謝しております。
ありがとうございます。
上手く表現する事が苦手ではありますが、もし皆さんが、よろしかったら、
こちらにも書き込みをちょくちょくさせていただきたいのですが、
ご了承を得たく、書き込みしました。
では。
Yanさん wrote:
>
>むむむっ。障害者と呼ばれる人がいることも、精神病院というものが現実にあることも知ってる。DSMも知ってる。だから現存する分類そのものは幻想じゃない。その点は認めます。
>ある人が障害者かどうか区別するのは簡単。障害があって、その障害が社会的に認められれば障害者。別の言い方をすれば、医学的に認められた障害に分類(診断)された人が障害者。
>新しい病名を作って、患者を増やして、業界全体の規模を大きくしようという魂胆ではないかと、邪推したことがあります。でもそれによって、今まで自分は健康で普通なんだと考えていた人が、自分にも少しおかしなところがあるかもしれないと考えるかもしれない。だったらよい面もあるのかなとも思った。自分のことをよりよく知るきっかけになるだろうから。そしたら安易に障害者に対して優越感を持てなくなる。
またお話できて嬉しいです。
途中で文章ぶち切ってすみません。「医学的に認められた障害に分類(診断)された人が障害者」というところがひっかかるんです。20年の通院経験上感じるんですが、診断基準というのは医師によってかなり違うんですよ。今の精神医学会にオーソリティはないに等しんじゃないかとさえ思います。今掛かりつけの医者はウタ・フリスの「アスペルガー=自閉症ー言語障害」という定義は無茶だと言い切っています。昔の話ですが、私の症名はなにか聞いたら(どういうことがあったかは
少し前に書きましたがナンバー今探せません)そんなこと聞いてどうするんだなんて言われ、そりゃ自分におこった異変はなんなのか知りたいでしょう、と答えたら
今の医学界は過渡期にあると一言でいわれました。まあ自分自身周りを見渡したら
そのとおりだなと思っています。(無茶苦茶な句読点の打ち方ですみません。)ただ学会が混乱してたら患者さんの方も混乱すると思うんですね。先のカキコでも言いたかったのはそのことなんです。
Yanさんの以下のお言葉は、全くそのとうりだと思います。きょうは時間ないので
このぐらいにします。ではまた。
シュッツ wrote:
>前にNo.5867で書いた私の考えを、もう一度別の例で書いてみます。
>
>Yan wrote:
>
>>Makichan wrote:
>>>ASは先天性の障害だとされています。そういう人もいるんでしょうが、私や私の知り合いを見る限り、後天的要因つまりは社会的背景もあるんじゃないかというのが私の意見なんです。(そういうのをASとは言わないんだと言われればそれまでですが。)
>>
>>先天性と後天性の区別は、困ってる人にとっては何の意味もないです。
>
>外から分かる、肉体的な病気で例えます。
>頭痛の時に、軽い症状ならば市販の鎮痛剤を飲んで直ることも多いでしょう。
>これは対症療法です。
>これを心の話に当てはめれば:
>>先天性と後天性の区別は、困ってる人にとっては何の意味もないです。
>ということに相当すると思います。
>
>しかし、症状が重いときなどに、その原因から根本的に直したいとします。
>単に頭痛といっても原因は一つではなく、代表的なものとしては偏頭痛と筋肉性頭痛があります。
>この二つは、使用する薬も違うし、(どっちがどっちだか忘れましたが)冷やすと軽くなるものと、暖めると軽くなるものという違いもあります。
>このように、原因の違いで対処を変えた方がいい場合もあります。
>これを心に当てはめれば、先天性と後天性を区別することに相当すると思います。
>
>ただし、先天性と後天性のそれぞれに合った対処法が確立しているかどうかはまた別問題で、現時点ではそこまで医療が進んでいないのではないでしょうか。
>だから、取りあえず両者をあまり区別することなく対応するのが現状で、それを区別するのはこれからの研究課題だと考えます。
レスありがとうございます。後日お返事したいです。今日は考えまとまりません。
シュッツさん wrote:
>困りました。
>私の文章が下手なのか、Mariaさんの文章を読み取れないのか、
>議論の対象が別のことになっているように思えます。
>意味がよくわからないです。
えー、シュッツさんにはあたしの個人的な事情によりご迷惑をおかけしたようで、まず最初にその件について謝罪をしておきたいと思います。ごめんなさい。ぺこぺこ。
まずもって問題なのが、『「心の理論」よりも「感情による推論」のほうが、人間の行動をより適確かつ容易に推測しうる』というあたしの主張について、あたしが説明をサボッていたということなのですね。でまあ、話は横道に逸れてしまうのだけど、まずあたしの主張を簡単に述べておきます。
ノアム・チョムスキー(本当はホムスキー。本人がそう言ってた)というひとが、「言語の生得説」ということを主張しています。
人間が普通に喋ってる言葉というのは、省略だの音韻による崩れだのといった「雑音」をたっぷりと含んでいるため、その中から理論によって「文法」を抽出することは非常に困難なわけですね。だからこそ、「文法学者」なんていうものが「文法」を研究していたりなんかもする訳です。「あんた、普通に日本語喋ってんだからさぁ、日本語の文法解ってんでしょ? だったら分りやすく説明してよ」と言われて説明できる人って、いないんですよ。
そんなわけで、人間は決して「データとして与えられた会話から、文法を抽出している」わけではなくて、「すでに文法の雛形を身につけていて、それを現実の会話をうまく説明するようにモディファイしている」のではないか、ということが考えられるわけ。つまり、人間は生まれながらに「汎文法(コモン・グラマー。CGと略します)」というものを身につけているのだと。
で、「心の理論」というのは、言語学でいう「獲得説」に相当し、あたしの支持する(アージ理論などを含めた)「感情による推論」は「生得説」に相当するわけです。つまり、人間が生まれながらに「感情の文法」を持っているのだと。
ところが人間の場合、この「感情の文法」というものが、「文化」というものにくるまれて、見えにくくなっているのだと。で、その「文化」に相当するものが、「自我の形成」であり、それを形作る力というのが、いわばフェスティンガー防衛機構なのだと。こういうことなわけですね。
で、非・自閉症方面の人間と自閉症方面の人間の差は、フェスティンガー防衛機構にかかわる部分の理解の度合の差なんではないか、という気はするのですよ。
でまあ、「感情による推論」に関してはまたしても説明をサボッてしまうのだけど、少なくとも非・自閉症方面の人間が「心の理論」のような形では人間の行動予測をしていないのではないだろうか、というのは確からしいとあたしは判断したのね。
で、それに対して
シュッツさん wrote(in No.6615):
>例えばMariaさんが支持しているアージ理論も、私には「思いつき」に見えて
>しまいます。
という発言があったので、あたしは「シュッツさんはあたしが<思いつき>で発言をするような人間だと判断している」と解釈し、研究者としてのプライドをいたく傷つけられたわけです。「どうせ思いつきで喋ってるんだろ?」とか思われてしまったら、評価を受けることができなくなってしまいますから。
まあ、べつに『アスペルガーの館の掲示板』は学術専門誌でもなければ学会誌でもないんだから、思いつきで喋ってると思われようがなんだろうが関係ないんだろうけどさぁ、やっぱり「藁にもすがる思いでこの『アスペルガーの館』を訪れる人がいらっしゃるのだから、ちゃんとしたことを書かねばならない」と思ってカキコをしておるわけです。で、そういう私としては、ちょっとめげてしまったのですね。
だけど、これは単にあたしが研究者の立場で発言しているというあたし自身の問題であって、たとえばアスペっ子のお母さまがたが、「これって、こういうことなんじゃないの?」みたいな形でご自分の見解を発表なさるというのはむしろ奨励されるべきことだし、あたしはそれをフォローする側に回るわけです。
自閉症方面に関わる人間は、現在のところ、誰もがかなり専門的な分野に踏みこまざるを得ない状況にあります。『ガイドブック アスペルガー症候群』にしたって、決して分りやすい本ではありません! だから、すべての人に研究者レベルの検討を要求する訳にはゆかないわけです。そこで、
> ただし、これはあくまであたしの態度であって、他人に期待はしても要求は
>できない性質のものだとも思ってます。
ということになるわけです。
……とまあ、ここまでは周知の話なんだけど、同時にここまでの話は白Mariaさん状態で喋ってたりするわけです。
で、黒Mariaさん状態で言わせていただいちゃうんだけど(←「いや、許さない。言うな」とか言われても黒Mariaさんだからやっぱり言う)、衒学的なというか、ペダンチックなというか、そういう自分の教養学識を見せびらかすような物言いというのは、本人がそのいやらしさと滑稽さを十分承知のうえで、しかもそれが解る人の前でやっちゃうんならまだ洒落で済むんだけど(←「いや、済まさない」とか言われても無理矢理済ませてしまうぞ)、素人さん相手にマジでやられると、でけー面してんじゃねーよこの半可通の似非インテリが、げしげし、とかいって足蹴にしてやりたくなるのですね。
でもまあそれに対して正面切って喧嘩売っても「まぁ、なんと大人気(「だいにんき」ではなく「おとなげ」)ない」とか言われちゃうし、「見苦しい」とかも言われそうだから、知らんぷりして「あんた本当に自分の言ってることちゃんと把握してるぅ?」という秘めたメッセージを托して「あんたの言ってることボロボロじゃん」という反論をぶつけてしまいたくなるのですよ、あたしは。
そんでもって、その時にシュッツさんが「思いつき」なる言葉をあたしにぶつけてきた(ように見えた)もんだから、ちょっとカチンと来てしまったわけです。
で、反論された相手があたしの「悪意」をしっかりと受けとめて、なおかつその「悪意」を表に出さずに反撃してくると、世にも陰険な漫才が始まってしまって非常にオモロカシイ状態になるわけです(←毎度毎度引き合いに出して申し訳ないけどXanadiiさんとかこういうの好きそう)。
で、その『そこはかとない「悪意」』が、
>べつにひま人さんやシュッツさんがそうだと決めつけるつもりはありませんが、
>ねっ。
といった物言いに表れているのですね。
とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
だもんだから、
>それでここへのつながりがよく分からないし、この文章だけ取り出しても、
>字面の意味は分かりますが、話の内容にどう絡んでくるかが読み取れない
>です。
みたいな話にもなってしまうのですね。
たとえば、外交交渉なんかにおいては、あくまで「友好的関係」を結びつつも「不快感」を相手方に伝えなければならない、みたいな事態がしばしば出来(しゅったい)します。そんなわけで、「遺憾に思う」とか「懸念する」とかいった、なんだかよくわからない言葉が頻繁に使われたりするのだな。ところが、相手が中国人だとかロシア人だとかアメリカ人だとかだと、こっちが「オメーラえーかげんにせんといーかげんこっちもブチ切れるかんね」というメッセージを出しまくってるのにそれに気がつかなくて(気がつかないフリをしてるだけかも知れないけど)、強気でゴリゴリ押してきたあげく最後の藁の一本(“last straw”で辞書を引いてね)を積んでしまって、ABCD包囲網とかハル・ノートとか国際連盟脱退とかパールハーバーとかいう話になってしまうわけであります。考えたら「最近の若者はキれやすい」とか言ってる大人って、そういう「隠れたメッセージ」に鈍感なだけじゃないんだろーか、とか思いますね。
そんなわけで、
>昔から国語の成績が悪かったです。
といったところに逃げこんでしまってはいけないのですよ(←シュッツさんにしてみれば、べつに「逃げこんで」いるつもりはないのでしょうけど)。
「敵か味方か」みたいな二分法というのは、かなり幼稚な発想なのね。子供が人間を善人と悪人のどちらかに分類したがるのと同じことです。あたしは「敵」にあたる交渉の相手方にしばしば味方を見つけ、逆に「味方」に背中から撃たれるような経験をしています。
シュッツさんがASかどうかはさておいて、自閉症方面の人間は、利害関係において個人的な好き嫌いを横に置いて、人間関係を操作的に考えることに長けているように思います。そうした「老獪さ」「陰険さ」を身につけておくのも、悪くありませんよ。
(Maria)
ミッドランドです。
このたび、わしの地元・岡山でのAS本人のメーリングリストを立ち上げました。ML名は
「ASソサエティ岡山」
です。興味がある方、参加したいとお思いの方は、わしに直接メールを送ってください。(↓)
nariwata@mti.biglobe.ne.jp
ちなみに現在の参加人数は、わしを含めて3人です。
> 気に病むこたない。「男は存在そのものが暴力」なんだって、女は知ってるからね。ただ、「尊敬されることと怖がられることはまったくの別物」ってことだけは、いくらLDでも、覚えておきなすったほうがいいかも。クマやゴリラみたいに、アタマ悪くて何してくるか分からないっていう恐怖と、一緒にされている人物の見苦しさっていうのは、けっこうな見ものだから、私個人としてはそういう人間もいてほしいんだけどね。自分より弱い人間を見逃さないやつらっているよな。そういう馬鹿にだけはなってほしくないんだよね。以上、若きミュージシャン、シンタロウ君へ。
そうそう俺だって、昔いたいけない子猫を二匹殺したな。
未だに悔やんでいる。
悪事は悔やみに寄ってしか、やめられないものなんだよ!
>
> 都市部に住んでいるとむずかしいですが、たとえば防音設備の整ったスタジオを借りきって楽器を思い切り弾きながら歌うとかもできるのでは?
> 田舎だと山や川、あるいは海辺で人の来ないところを探して、叫びながら石を投げるとかできるんですけどね。←人に見られて何か言われても気にしません。「ストレスの発散してるんですから、ほっといてください!」と言い返します。
>
> 雨降りの夜中に道を歩き続けて、車が来ないことを確かめてから十字路に大の字に寝転がったこともあったっけなぁ……。目や耳にびしゃびしゃと泥はねが入ってきて、こんちくしょうと思ったっけ(ははは)
>
俺は学生の頃、好きだった女の子に冷たくされて、むしゃくやして寒空の中を海沿いの道を走っていったことがあったな・・・
帰りに見た星空がきれいだったな。
その道には、今台風からの暴浪が打ち付けているだろうな。
みんな、あまりおもしろい事書きすぎないでくれ〜。
書いてあれば、読んでしまうし、レスしてしまうし、クラッシュ寸前だ。
自分の書きたかったこと、忘れてしまうでないの。
一穂さんへ。“ざなでぃ”と読みます。ふつう読めないだろうし、キーボードの扱いの不得手な人々には、入力する場合酷だろうし、そろそろHN変えようかと思ってはや36年。ウソつけ(でもいつかは現実になりそうな気も...)。
大槻いつきさんへ。お久し振りです。って忘れられてるか。もし、御用とお急ぎでないときで結構ですので、“外郎売り”全文掲載していただければ...って、わりかしトンデモな要求かも?
ちなみにXanadiiは、印刷会社のオペレーター時代、入力速度は、調子のよいときで3,600w/hでありました(ローマ字入力時)。4000字の壁は私にとっては高いっす。まあ入力が速くても、“正確さ”の方がはるかに大事ではあるな。
シンタロウ wrote:
>
> 僕は最近、自分が行為障害ではないかと思うようになりました。
>僕は中学生のころナイフを振り回したり、万引きや窃盗をしたり、親の財布から金を盗んだり、物を破壊したり、大きな声で叫んだり、親に反抗的になったり、悪口を言われたら鋭い目つきで相手をにらみつけたり、殴られたら相手に殴りかえしたり、いろんなことをしてきました。
> LDの二次障害として行為障害があると聞いたことがあります。僕は行為障害ではないかと思ってます。
もともとオスっていう生き物は、無意識の領域で「暴力」に全幅の信頼を置きすぎている傾向があると思うんだよね。「乗り越えられない」と感じる事柄に対して、暴力ですべてを突き抜けよう、突き抜けることができるんじゃないかっていう、最後の希望みたいのが。ポジティヴなようでいて破局的ではある。
ま、「万引き」の快感ってやつは、私も味わったことがあります。あ、いままでの人生でたったの4回のうちの1回だけだぞ!(「たったの」って、そういうのを五十歩百歩という)なんだか「そうか!これでよかったんだ!常識をレイプしてやったぜい。ひゃっほう」って、あの一種すがすがしいまでの開放感ね。まあ愚かですわな。
気に病むこたない。「男は存在そのものが暴力」なんだって、女は知ってるからね。ただ、「尊敬されることと怖がられることはまったくの別物」ってことだけは、いくらLDでも、覚えておきなすったほうがいいかも。クマやゴリラみたいに、アタマ悪くて何してくるか分からないっていう恐怖と、一緒にされている人物の見苦しさっていうのは、けっこうな見ものだから、私個人としてはそういう人間もいてほしいんだけどね。自分より弱い人間を見逃さないやつらっているよな。そういう馬鹿にだけはなってほしくないんだよね。以上、若きミュージシャン、シンタロウ君へ。
Xanadii wrote:
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ひょえー。崩れてる。自分でウケてしまった。枠は気にしないでね。
大丈夫とか言っておれまへんな。
Maria wrote:
> この中の「通常の」「不適切な」「明らかな」「鈍感」「おかしな」「冷淡」といった言葉は、「健常者による評価」です。ですから、これらの「特徴」については、「健常者が自閉症の人を見た時に、『特徴』として捉えるもの」という形で、「自閉症者」の立場で「健常者」の感性を分析する必要があるわけです。
研究者は、「健常」という文字に全幅の信頼を置きすぎてしまっているんだな。彼らの論文を読んでいる内に、何だかまるでこんな風に書いてあるように思えてくるのよねー。“我々は自閉症児Aの片腕を切り落としてみました。彼はひどく痛がっているようでした。しかし、彼の態度を観察しただけでは、ほんとうに苦痛を感じているのかという確信は持てません。なにせ彼らは、我々とは完全に異質な存在なのですから”アスペルガー博士にしたって、彼のような人物でも自閉症児に対しては、しばしばつい憎らしく思えてくることもあったんだろうなー、などと、彼の文脈から邪推をはじめてしまう自分がいる。まさに“偉大なる凡人”が、“天才的白痴”を発見したということか?Bitch Zanadee全開。
>(中略) 自閉症本来のメカニズムに由来するものと考えます。
わかれよぉ。キガクルってやってるんじゃねえんだよ。ってな感じですわな。
> で、最後に気になるのが、これ。
>
>>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動に
>>アンバランスがある)
>
> けん玉、ジャグリング(お手玉)、ブーメラン、フライングディスク、ダーツといった遊びはたぶん粗大運動に入るのだろうけど、こういうのには適性がありそうに思うんですよね。サッカーのリフティングとか、テニスの壁打ちとか。
自分のとこでも書いたが、投擲系はよくないってこともあります。特にボールの扱いについては。ボールをつかんで、頭の上に振りかぶった瞬間、肩のあたりで“グキッ???”という違和感があって、ポロリと取り落としてしまうの。
> つまり「対人的要素を含む不確定要素が大きく、リアルタイムの判断を要求される競技」、つまり「モノが相手で、考えなくてもできる運動」に対しては強いのではないかと。さらに言うなら、「考えながらする運動」に関しては極端に弱い、ということでもあります。ボーリングだったら一投めはいいんだけど二投めがダメとかね。
「長期にわたる、間断ない集中力」「反射神経」「複雑なルールへの柔軟な対応」への要求が含まれるものは、マスターさせようと思ったら、根気よく、健常者が「これが初歩の初歩、基本の基本」と考えている、さらに前の段階から始めるしかないと思う。私個人の経験を普遍化させるのは危険だが。ボーリングだったら、待ち時間での雑談(観戦)のやりかたとか。「ゲーム終了!」のあと、なぜ人々がすぐ帰ろうとせずいつまでも溜まってべちゃくちゃ喋ったりしているのか、一体全体そんなことの何がおもしろいのか、そういったことに自分はどう対処したらよさそうかってことも何から何まで全部な。
> 「頭が身体を邪魔してしまう」ところが自閉症方面の人間にはあるように思います。いかがなものでしょうか。
「Xanadiiって、鉄板にパンを並べるとき、かならず一度“ウッ”と詰まるよね」と笑われたことがある。認めるのはムカつくけど、まったくその通り。長方形の鉄板に、パン生地を16個、バランス良く熱が通るように並べるにはどうしたら一番よいでしょうか?いちいち考えてからでないと、私の体は動いてくれない。
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こんなのいちいち図示しなくったって、いっぱつでできないの私だけだって(笑)!!
頭がパニクるから体がパニクる。それを体現してきた私としては、とりあえず鈍臭いといわれても、用心深く確認しつつ動くことぐらいかな。死に物狂いでやってやっと人並み以下。ちくしょうなんだけど、まあ悲観しすぎることはありません。自分の“才”を超えたことでなければ、大丈夫いつかは出来るようになりますよ皆さん。
になるのだろうか?
しばらくロムばかりになってました、大槻です。
たぁまに書き込みもしてたけど。
現在私はとある大学工学部の三回生なのですが、
このあいだ人間科学部なるところへの転部試験をうけました。
それで書き込む時間がなかったのですが。
結果は九月にわかります。学年は一年遅れて、再出発をきることに。
高校までは、自分のペースで勉強できたから成績悪くはなかったのよね。
定期テストは悪いけど模試はいいってかんじで、「授業聞いてないな」と
よく言われたものですが。
「授業中に独学で勉強する」ってスタイルだった。
理系のことをやる頭はそこそこいいと思ったから工学部に入ったけど、
大学の勉強って興味がないと「独学」できないんだなぁ。
で、まるで勉強もせず、さんざんな成績で転部を考えたのですが。
#目の前の人間への興味は薄いけれど、人間とはどういうものかって
#興味はひとなみはずれて強い私。
工学部でやれなかった人間が、逃げ出して学部変えただけでうまくいくもんか!
という声と、
興味があることなんだから、授業聞くのが苦手でもうまく独学できるさ!
という声のふたつが私の頭の中で鳴り響いています。
あぁ、うまくいくのかなぁ。
もともと私は、「人の話に意識をむけつづけるのが苦手」、
「人間関係がうまくいかない」って特徴を併せ持ってるために、
授業を聞くことも、わからない部分を友人に質問することもできないのよね。
うまくいくのかなぁ。
たぶん、これからの人生においてもこういう悩みって、
ひとよりはるかに数多く、深刻にでてくるんだろうな。
身体だけの障碍なら、「なにができる、なにができない」って
はっきりわかるぶん、行動の結果も予測しやすいのだろうけど。
できなかった理由が自分の努力不足のせいなのか、
障碍のせいなのかはっきりしないって、しんどいですね。
あぁなんか発展性のない話ですみません。
武田好史 wrote:
>1.通常の教育方法にはのらない
小学校2年の頃のアダ名は「かん字はかせ」でした。授業より読書によるところが大きかったのかな。
「ふつう女子なら受けない」と思われるであろう体罰は、よく受けていた。いくら受けても直らないものは直らなかったが。
>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
今でもやります...っというより、ごく最近、母に指摘されて、やっと気づいたようなものだ。
“無視笑い”
この言葉の不快さといったら!実の母じゃなかったらぶん殴っていたところだ。「奇異にみられるわよ」とね。言う方も、随分言いにくいんだろうが。
精神医学では“ひとり笑い”と呼ばれているのかな?それとも私の聞き間違いか?自分の場合、自分だけの理由はあるんだけどな。事情のわからない他人には、たしかに奇異に見えるんだろう。
それからというもの、外出時などで、あ、顔に笑いが浮かんでしまいそう...って時は、口を押さえる癖がついてしまった。
>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
“了解”“確認”の意味でオウム返しをするときはありますけれどね。
>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
3ヶ月で辞めたコーヒーショップで、「耳が聞こえないの?」と不審気に訊かれたことはあります。その時は、声は聞こえていたのだが、自分が話し掛けられたっていうことに気付いていなかったってことで。距離もあったし。
これまでのことを振り返ってみて、「耳ツンボ!」とか、「ねえ、聞いてる?」とか、「答えてよ」とか、苛立ったような態度をとられた事が少なからずあるってことは、結果的に私は「耳が聞こえないような振る舞い」をしてるって見られてたってこと?
>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
どうだろ。今のところ思いつかない。
>6.痛みに対して鈍感
幼少期、中耳炎をこじらせたことがあるのですが。母が気付き、医者に診せたときには相当進行してしまっており、「何でこんなになるまで放っといたんですか!」となじられ、そのとき母は「ボロボロボロっと」涙がこぼれた、と申しておりました。
私自身には、たしかに痛みは感じるんだけど、“我慢してしまう”癖はあります。他人からは、何も感じていない、なんの外面的変化も認められないように見えていることでしょう。
しかし“我慢強さ”の尺度っていうのもけっこう得体の知れないものだよな。ある人にはもうとても辛抱ならない、もう飛び跳ねてしまうぐらいのレベルの痛みでも、ある人にはまるで何でもないかのように見えてしまう。格闘技でいう“打たれ強さ”ともまた異質なものなんじゃないかって気がするのよね。鍛えてどうこう、というものではないように思う。私もよく「あなたは強い人だ」などと言われるのだが...そりゃちょっと違う気もする。
>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
大昔に書き込んだけど、私はいわゆる「天使の赤ちゃん」でした。6と重複してしまうが、予防注射にも、痛がって泣いたりとかの反応がなかったり、いつも機嫌がよく、「ほんっとに育てやすかった」と母は強調していた。兄はそれの好対照だったようですけどね。いつもご機嫌というのは共通していたとしても、着替えやお風呂、食事の時間はもう戦争だったらしいし。
>8.物をくるくる回す
この事項はいちばん興味ありますね。でも“渦巻き”自体には、突出した興味というものはないです。美しいとは思うけれど。建築、イラスト、服飾などの美しい模様や繊細なパターンは大好きですねー。色彩豊かなもの、無彩色もオッケー。もち、幾何学的なものばかりじゃなく変則的なものも大歓迎。高価なものもチープなものも、要は自分自身の審美眼にかなうかってこと。
おっと話がずれました。物を回すってことは、小学校ぐらいの頃が、もっとも顕著だったかな。私の場合、なんか“細長いもの”を適用していた気がする。エンピツ、笛などがその対象だったかな。休み時間なんかに、もう取り憑かれたようにクルクルと。
自分自身が回るのも、校庭やなんかで、やってました。景色が横の“線”の集まりみたいになってゆくのが妙に興味を引いて。『ちびくろサンボ』の虎も、こんな感じになったのだろうか。あれはメルトしてくんだっけか。
>9.あやしても反応がない
これは分からないなー。ただ、話によれば、親が寝転んで、自分の両足を垂直に上げたその足の裏に、赤ん坊の私を乗せて、いわゆる「タカイタカイ」をやった時は、すごく喜んでいたらしいが。渋川に旅行したとき見ていたニュース特集では、赤ちゃんを布団の上に投げ落としたり等のことは、たとえ遊びでも、脳の発達に悪影響があるということで、やってはいけないということを報道していた。
>10.おかしな遊びに没頭する
学校時代は“内職”の帝王だったからなー。とくに机のイタズラ書きがひどかった。発覚したときは(ほら学コの机ってさ、たいていは色が濃くてしかもワックス掛かっているもんだから、そこへもってエンピツ書きだったりすると、ま上から見ただけじゃ分からないのよね)机一面ラクガキだらけで真黒で、男子の一人が、私の新しい消しゴム使って全部消しやがった。勝手にひとの消しゴム使って...などと、随分うらめしく思ったものだっけ。
そのイタズラ書きの代表的なひとつで、「扉」があった。その扉を開ければ、自由に自分のゆきたい世界へ消えてしまえる...そんな空想と願いを込めて。
>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
アレっすよ。“かくれんぼしよう!ってことになって、鬼にされて、ほかのみんなはどっかへ別な遊びに行っちゃって、じぶんだけいつまでも捜しつづける”ってやつ。やられたクチっすー。ままごとで役割決めたりっていうのは、けっこう普通にやっていた気がする。ただ気がつくと、自分一人で、相手の女の子はいなくなっちゃったりしてるんですけどね。
>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
大学を除籍寸前で卒業したりなど、煩雑なシステムに不適応を示すっていう傾向は、大いにあります。ただ“変えたい”“変わりたい”っていう衝動は、常にあって、大学からこっち、実家は離れてます。“こだわり”の一例を示すなら...わたし、本を、逆さに立てるのがぜったい駄目なのね。「本の頭に血が上ってしまう!」という、訳のわからない恐怖があって。いわゆる“平積み”は許せるんだけど。逆さの本は絶対直しちゃいます。これは一生変えることはできないでしょうな。
>13.視線が合わない
まったく合わないか、凝視するか、考えてみたらどっちかでした。社会に出てからは、「人の目はちゃんと見る!」に従う努力はしたけど。人の目に対する本能的恐怖感というものを再確認することになった。
>14.冷淡な態度を示す
これは以前、「感謝ということ」についてここで考察してみたこともあるんだけど。あと「心を開かない」とか「自分を抑えすぎているんじゃない?」といったことは、折にふれ言われたことがある。「感情がない」とか「人間らしくない」といったことも。これは人格攻撃の範疇に入るよな。
>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
複雑なルールやフォームさえなければ、ボールけりは好きだな。体育では持久走以外は全滅だった。ダンスでは、ひとりだけワンテンポずれてるクチ。心理学者の誰だっけか、いみじくも“よくいっても「コミカル」”と表現していたが、私も当てはまっていたんじゃないかな。特に遠投とか水泳は、補習組の常連で。ボール投げとかヤリ投げなんかだと、ほかの子が例えば平均20米はいったとすると、私だけ10米前後だったりする。
>16.物に不適切な愛着を示す
これは書いててきりがないので割愛します。
>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
「待ち時間」なんかで、落ち着きがなくなったりっていうことはあります。ふだんは「生きてるのか死んでるのか分からない」状態。まあ今となっては冗談だろな...とも自信持って言いきれないのが悲しい(^_T)。
まったくの荒削りではありますが、こんな感じかな。
くると wrote:
>シンタロウくん wrote:
>
>> 僕もるおうさんと同じように僕よりずっと頭悪い奴らから、「お前知的障害
>>なんだろ?」と勝手に診断されて「障害は養護学級へ行け!」とののしられて
>>、ものすごくいじめられました。そして、人間以下の扱いをされました。
>
> わたしも似たような経験がありますが、「知的障害者と一緒にされるのはい
>いが、あんたらと一緒にされるのは嫌じゃ」と答えておきました。
>
> こんな時は知的障害を見下す価値観に巻きこまれないようにすることが大切
>です。
はじめまして。↑この発言にとても感動しました。すばらしい!
くるとさん、ありがとう!
むむむむむ。レスが混雑してしまい、申し訳ないのですが。
シュッツ wrote:
>しかし、症状が重いときなどに、その原因から根本的に直したいとします。
>単に頭痛といっても原因は一つではなく、代表的なものとしては偏頭痛と筋肉性頭痛があります。
>この二つは、使用する薬も違うし、(どっちがどっちだか忘れましたが)冷やすと軽くなるものと、暖めると軽くなるものという違いもあります。
>このように、原因の違いで対処を変えた方がいい場合もあります。
>これを心に当てはめれば、先天性と後天性を区別することに相当すると思います。
>
花粉症の季節になると、罹患している人々は、みな一様に苦しそうだ。赤鼻、ナミダ目で、「この苦しさって、なった人でないと分からないのよねえ」などと、話し合っている。花粉症でない人も、「そうよねえ」と、彼らに対しては思い入れよろしく請け合っている。
少し前、TVで、重度のシックハウス症候群に罹り、外出することさえできない体になってしまった女性が、「シックハウスになったなんて、外側からは全く分からないのに...こんな苦しみはない」といった内容のことを訴えていた。表情からは苦悩が滲み出ていた。
私の母は、大学時代、栄養失調やストレス等からくる偏頭痛に悩まされ、ドクターストップ寸前の状態だったそうです。私も物心ついた頃から、頭重感に悩まされていた(当時自分で考えた表現「頭の中に粘土が詰まっいるかんじ」。人には話さなかった)。頭が重いって思うって、自分でも変です。人と比べたわけじゃないのにね。印刷会社辞めた失業当時は、一日中、生あくびが出ていたっけなあ。
>ただし、先天性と後天性のそれぞれに合った対処法が確立しているかどうかはまた別問題で、現時点ではそこまで医療が進んでいないのではないでしょうか。
>だから、取りあえず両者をあまり区別することなく対応するのが現状で、それを区別するのはこれからの研究課題だと考えます。
私は花粉症でもシックハウス症候群でもないので、彼らの心身の辛さについては、まったく想像も及ばないのだけれど、でも世の中には、自閉症に、この2つの症状が併発してしまっている人だって、存在するんだろうなあ。
唐突ですが、書評でございます。
三好万希(みよし・まき)、『四人はなぜ死んだのか インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」』、文藝春秋。著者は当時十五歳の中学生。なかなかの力作と申せましょう。
でまあ、今回の話題はこの本の付録として収録されている、『シめショめ問題にハマる』だったりするわけです。この「シめショめ問題」というのは何かというと、「はじめまして」は「始めまして」か「初めまして」なのか、ということなのですね。
「初めて」という言葉があるのだから、「初(はじ)める」という動詞があるはずだト。だけど、「初める」は「初(そ)める」であって、「はじめる」に「初」という表記はないのだと。
で、三好さんの結論というのは、「初(はじ)める」という動詞を認めよ、ということだったりするのですね。
これはかなり面白い指摘だと思います。まあ、結論は間違ってんだけどさ。「はじめまして」は「始めまして」であって、「初めまして」ではありません。まあ、そういう意味を込めて使ってる人が大勢いるというか、大多数であるということを踏まえて言っておるのですが。
じつは、この手の定型句というのは、「連用形+動詞」の省略形であることが多かったりします。「宜しく(お願いします)」「ありがとう(ございます)」「やめて(ください)!」「どうして(なのですか)?」「さようなら(お別れ申す)」等々。だから、「はじめまして」も、その後に動詞が省略されているから連用形なのですね。
そんなわけで、「はじめまして」の正式な形は「はじめまして宜しくお願いします」だったりするわけです。で、普通は、「お初にお目にかかります」が前段としてあったりします。
つまり、「はじめまして」のご挨拶というのは、共同体における通過儀礼(イニシエーション)の場、あるいはその後のお披露目の席で行なわれるものなのですね。すなわち、共同体に迎え入れられることによって、交際が始まるわけです。で、その交際において、「宜しくお引き立ての程をお願いします」というのが、「はじめまして」だったりするわけです。
じゃあ、「初めて」というのは何なんだぁ、ということになるわけですが、これは動詞を修飾する連用修飾句であって、べつに「初める」という動詞があるわけではないんですね。「めっきり」という言葉があるからといって、「めっきる」という動詞があるわけではないのと同じことです。
でまあ、教訓めいたものを三つ。
1)中学生でも、未解決の問題を発見し、それに取組むことができる。
2)いわゆる専門家というのは、意外に無力である。
3)アマチュアの実力をなめてはいけない。
(Maria)
Maria wrote:
>
> 人がなぜ意地悪をするかというと、自我を守るためです。つまり、意地悪はフェスティンガー防衛機構のなせる業なのね。だけど、意地悪をすることによって、かえって自我が傷ついちゃったら、元も子もないわけです。
>
ほんの数年前までは「意地悪(仕返しなんだけど)してしまいたくなる自分」に罪悪感を感じて傷つく人間だった。意地悪され続けた公園デビューから公園卒業の期間に「仕返し」の技をしっかり覚えたおかげで、現在はきっちり仕返しできる人間になってしまいました。おばさんになってしまったのね。
>
> あたしは、いわゆる「健常者」が自分をごまかして自分を正当化することを、自閉症方面の人間が理解してあげて、それを赦してあげる必要があるんだろうか、と思っちゃうんですね。
赦してあげる必要はないと思うんだけど……。
でも、しっかり「仕返し」してみると、そうゆう「健常者」自身の自我のモロさみたいなものを感じてしまうんですよ。
自我が弱い「健常者」ほど簡単に自己を正当化してしまうというのかな……。
そんな訳で、「仕返しは半返し」程度に抑えています。
> 自分をごまかして生きる人間は、決して幸せになれません。だったら人生のなるべく早い時期に、「自己欺瞞するんじゃねーよ」と思い知らせてやるのが親切というもの。あなたがたが正心に立ちかえれば、この世は神の国になるのです。汝ら悔い改めよ、天の国は近づけり、げしげし、とかいって足蹴にしてやろうかしら、とか思ってしまいます。そういう奴は、口で言っても決して納得しません。だって、言葉というのは理性に働きかけるものでしょう? そういう奴は、自分の理性をごまかしてるんだもの。やっぱり大脳旧皮質辺縁系とかに訴えてあげないと。
多少、痛い目に遭わないと内省なんてしないでしょう。←「殴れ」と言っているわけでは無いですよ。
>
> 「自分をごまかして、人に対するいじめを正当化している奴は、いじめ返して自己欺瞞を思い知らせてやればいい」。そう思います。
>
> このところ黒Mariaさん全開でちょっと自己反省。
>
意地悪するから仕返しされるのよ。だから反省しない青りんご。
あさかぜさん。こんにちはです。
> この掲示板でもレスを書くのはいいのだけれど、その先のレスをいただいてさらに返していくということがスムーズにできなくて(名加野さん、Tienさん、その他の方々ごめんなさい)落ち込んでばかりです。
そんなにあさかぜさんの所に書いている記憶が無いのですが……私なんかを筆頭にする必要あったかな? と思ってしまいました。本筋とはまったく関係ないです。ごめんなさい。そしてありがとうございます。こういう事を書かれる時が、生きてて良かったなあと感じる瞬間です。
> そうしている間にも話題はどんどん移っていき、わたしの頭はぐちゃぐちゃで整理がつかなくなり、とうとう忘れてしまう……ということの繰り返しです。
> (あ〜恥ずかしい!!)
そうですね、ここって話題性ありまくりですものね。うちの掲示板とは大違い(笑
> めざしているのは「自然体」なのですけど……。
大丈夫です。多分ここに来ている人は「納得のいく自然体」を探していると思います。僕の場合は、どこへ行っても(キャラクター的に)自然体が崩せないので、困りますが。といっても、結局は「ボケている」だけですが。(笑
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