アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 我考う 故に我無し。 6984へのコメント
No.7008  Wed, 29 Aug 2001 10:12:05 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> 考えるのは言葉で考えるわけです。言葉は所詮他者がつっくたものです。私の
>言葉も考えてみれば、国語辞典にのってる単語の組み合わせでしかないわけです
>よ。なにひとつ新しいことを言ってるわけじゃないです。考えれば考えるほど他
>者を内に取り込む結果になるわけです。このあたりはラカンがいってることです。
>文句あるならそっちに言ってちょ。

 「言葉で考える」ことがイコール「考える」ことだとすると、「考える」ことはイコール記号の操作ということになっていまいます。まあ、確かに数式だとか化学式だとか楽譜のような表記体系・記号系というのは思考の道具として欠かせないものだから、ラカンあたりは(あとはウンベルト・エーコとか)そういうことを言いそうな気はします。
 ですが、それが全面的に正しいとすると、あたしたちは記号で表せないものを思考することはできないはずなのですが、あたしたちは言語によって表現しえないものを思考の対象としているがゆえに言語表現に苦労しているように思うのですね。

 言語の獲得というのは言ってみれば出来の悪い伝言ゲームのようなもので、所詮は「自分」というものを基盤にせざるを得ません。「右」「左」とかいった概念は文章だけでは説明しえないし、「カツ丼」「雑煮」なんていう概念はその人個人の体験を基礎にせざるをえません。丼飯の上にキャベツと一口カツが載り青海苔がかかっているのがカツ丼なのか、関西でいう煮カツが載っているのがカツ丼なのかはほとんど個人的体験によります。あたしは関東風の玉子でとじるタイプ。つゆ辛め。玉子は半煮え。ついでながら雑煮は四角い切餅を焼いて入れた醤油澄まし仕立て。小松菜・鶏肉・蒲鉾または鳴門巻入り。柚子プラス三つ葉添え。三つ葉の代わりに焼き芹も可。

>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思
>えば無いものなんです。

 唯識論まで持ちだした割にはわりと安易な結論のように思います。『概念としての「自己」に対する実体としての「自己」なるものは存在しない』という主張に矛盾はなさそうだから一応認めざるをえませんが、だとすれば般若経典でいうような、「世の中のすべての現象は、素粒子間の相互作用にすぎない」とかいったニヒリズム的な世界観に行きついてしまいそうに思います。

 で、こうしたニヒルな世界観においては、殺人と器物損壊を区別する必要はなく、あえて言うならその社会あるいは社会制度とのかかわり合いのみが問題となってしまうのですね。人間もしょせん元素の集合体でしかないのだから、「殺す」という行為も単に物理的な意味しか持ちえなくて、殺される側の「痛い」「苦しい」「死にたくない」といった感覚なり感情なりには実体がない、ということになります。

 あたしはこういう発想をする人とあまりかかわりたくないと思っています。そういう人はわりと簡単に自殺に走ってしまうから。『「自己」なんてものはない』と信じる人間が自殺したところで、残された人間が泣いたり笑ったりする必要はない、と割り切れるほどあたしは人間が嫌いではありません。あたしにとって「あたし」という自己が存在するのは自明なのですが、「ない」という人にとっては「ない」のが自明なのでしょう。それは認めるしかありません。

 「自己」の存在を信じるあたしとしてはMakichanさんに死なれたくはありませんが、その反面、本人の意志は尊重するしかないだろうなとも思います。
 そんな訳で、万が一にも自殺されるなら、たとえばロボットが壊れるように、なるべくあてつけがましくなく、しかも世間の迷惑にならないように死んでほしいと思います。そのかわりあたしもそういったニヒリストには「自己」なんていうものは存在しないのだ、思うようにするから。

 (Maria)


Re: もう一回はげますよ〜ん 7000へのコメント
No.7007  Wed, 29 Aug 2001 06:53:37 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

一穂(いちほ)さん wrote:
>↑今さっき突然意味がわかった・・・!!
>
>もう1回禿げます、って
>なんだろうかとずっと疑問でした。

 うほほほほ。ごめんなさいませ。「励ます」だったのでございますよ。
 一穂さんの明るさが、わたしは好きです。(迷惑だったら、すみません)

 わたしは時々アタマのネジが緩む(という表現は許されるのだろうか?)
ので、あほ〜なコメントを書きます。が、〔書いちゃったモノは仕方ない。
これもひとつのわたしの姿さ〕と思うことにしています。


Re: マユツバ 6963へのコメント
No.7006  Wed, 29 Aug 2001 04:00:29 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> あたしはどちらかというと詰問される側だったのですが、「冗談を本気にして怒
>る人がいるから、真顔でハズすのはやめなさい」と言われました。

Mariaさん、あなたは私よりましです。私には「真顔でハズす」他に、「笑顔で(=冗談めかして)事実を喋る」という得意技があるんだから。

#事実は小説より奇なり、ってことは結構あるからネタには困らない。


Re: マユツバ 6965へのコメント
No.7005  Wed, 29 Aug 2001 03:58:19 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>しらなかった。
>乳化剤って、界面活性剤の一種なの?
>100倍に薄めた液は猫がなめても安全って書いてあるから
>ノミよけスプレーとして使ってました。
>やばいかな。

うーん、同じ成分を「界面活性剤」と言い換えただけでそんなに恐そうに聞こえるようになりますか?

これでは合成洗剤なんか(成分表示を読むだけで)恐くて使えなくなるだろうなぁ。
#オレンジなんとかが何として売られているか気になってきたぞ。


Re: マユツバ 6958へのコメント
No.7004  Wed, 29 Aug 2001 03:56:40 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>リモネンはよく知ってます。発泡スチロールにかけると、発泡スチロールがじゅわ
>じゅわっっとみるみるうちに溶けてくの。

有機溶剤が主成分だったのね、というわけで私的には納得。


Re: 一穂さんへ 6993へのコメント
No.7003  Wed, 29 Aug 2001 03:53:00 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> 思春期においては、単に自分と外界とのかかわりだけでなく「自
>分」というものを見つめるようになります。これが「メタレベルの
>認識」です。つまりは、「ひとつ外に抜けだすこと」だと思ってく
>ださい。

> あるいは、「第三者の自分」と言ってもいいでしょう。「議論を
>する時には、三つ頭で考えろ」という言葉があります。主張する自
>分、相手、それにその議論を見ている第三者。この場合、自分<相>手<第三者とレベルが上がっていることになります。

あ、それならよく知ってます。
Mariaさんにとっての、お師匠さん?ってひとのこと?だね。
一穂ってゆう名前ももともとは
第三者の自分によってプロデュースされ
本人によって演じられていたひとつの役?の名前ですから。
(傍若無人なキャラとはまた別のわたしなんですが。)


> 一穂さんもご存じのように、あたしはあたしとしてここにいるけ
>れど、実際にはあたしには実体がありません。だからあたしは傷つ
>かないのね。だから、一穂さんも自分としてここに立つ必要はあり
>ません。

うん、ありがとう。


Re: もう一回はげますよ〜ん 6959へのコメント
No.7000  Wed, 29 Aug 2001 02:23:18 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

↑今さっき突然意味がわかった・・・!!

もう1回禿げます、って
なんだろうかとずっと疑問でした。


(こうゆうのを横レスというのね、すいません。)


Re: 我考う 故に我無し。 6984へのコメント
No.6999  Wed, 29 Aug 2001 01:08:42 +0900  Yan [この発言にコメントする]

(「アイ」はやめて「ぼく」。nazenara osu dakara)

Makichan wrote:
>「自己」とか「他者」とは言葉です。我々はその言葉に行動が規定されているんじゃないかと思うんです。

そういうこともありますね。

>言葉が獲得されていないカナー型は自他未分状態にあるわけです。他者の眼を意識しないし、他人の体も自分の体の一部のように扱うことがあるそうです。

カナー型ではないですが、うちに一人そういうのがいます。自他未分状態にあって他者の眼を意識しないし、他人の体も自分の体の一部のように扱います。50代後半ですが友達は一人もいません。エコラリアがあって、まったく人が言ったとおりのことを繰り返します。「その意味は?」と尋ねると、ようやく何を言われたか考えるという具合で、外での人との会話は大抵、人の言ったことの最後に「ですね」か「だよね」をつけて済ませているようです。技術書と将棋・囲碁の本は読みますが、小説はほとんど読みません。映画もストーリーはわからないようです。新聞は読みますが、人との会話に合わせるためで、ほとんど丸暗記です。仕事から帰ってくるとたまに無自覚に血を流していることがあります。突発的な出来事に弱くすぐパニックになります。掃除機の音や花火の音が苦手です。空間認識能力がほとんどなく、モノの場所が30センチもずれると「ない、ない」と慌てることがあります。引き出しが苦手で、モノが目の前から見えなくなると探せません。他人の持ち物と自分の持ち物をあまり区別しません。ジョークがわかりません。思い込みが激しく頑固な反面、人の話をすぐ鵜呑みにします。

>でもその感覚のほうが案外正しんじゃないか,自我意識でがんじがらめになっている現代人は彼らの感覚から学ぶべきこと多いんじゃないかと思いますね。

学ぶべきことはたくさんあるように思います。と同時に、反面教師としても。家畜のように育てられたぼくにとっては現実問題です。上に書いた某氏もサバイバーですが、ぼくもサバイバーです、虐待のね。今年もこれまでに結構死んだね。あの子たちの親を犯罪者としてしか見ないなら、これからもたくさん死ぬと思うよ。障害はきれいな問題じゃない。人間は、人間同士が語り合うような綺麗なだけの存在じゃないということだけは言っておきたいと思います。健常者、障害者に関係なく。

>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思えば無いものなんです。

誰かさんにとってのユートピアは、別の誰かさんにとっての地獄です。


眠くなったのでもう寝ます。おやすみなさい。


愚問 6982へのコメント
No.6996  Wed, 29 Aug 2001 00:21:53 +0900  Jane Doe [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> たとえば、「宇宙人」は「地球人」を含み、あたしたちにとってもっとも
>身近に存在する「実在する生命体としての宇宙人」は「地球人」であるにも
>かかわらず、「地球人」は「狭義の『宇宙人』」には含まれず、「代表的な
>宇宙人」、「あるいは明白な対象としての宇宙人」というと、「火星人」と
>か「ウルトラマン」とか「E.T.」とかになるわけです。

 広義の「交尾」は、広義の「セックス」を含むのでしょうか?


Re: 横レスって、、 6986へのコメント
No.6994  Tue, 28 Aug 2001 23:59:42 +0900  Maria [この発言にコメントする]

かおりさん wrote:
>横レスの概念は分かっているのだけど、これの正式名称がわからない

 漢和辞典で「横」を引いてください。
 「横行」「横柄」「横道」「横溢」「横領」など、「横」には「道筋から外れる」という意味があります。

>そう言えばレスってレスポンスの訳でいいのだろうか? それともレストとか、
>レスリーとか?

 いいはずです。辞書を引いてください。“response”には「反応」とか「応答」とかいった意味があります。

>日本語って変。って変にしているのはわたし?

 日本語は千数百年かけて醸成された世界で最も完成度が高くシステマティックな言語のひとつです。日本語にはギリシャ語とラテン語と中国語を合わせたくらいのパワーが日本語にはあります。「コンピュータの文字コードの世界が八ビット系から三十二ビット系に移行し、構造化されたデータ構造を自然に扱える処理系が普及したら、日本語が情報の世界を席巻する」とJoshyaさんは断言しています。

 なお、Joshyaさんは日本語処理のエキスパートで、動詞活用や文構造理論に関するちょっとした権威だし、KILROYさんは日本語処理の世界ではちょっとした有名人です。
 日本語文法に興味がおありでしたらメールを下さい。折り返し、HTMLで記述した日本語文法関係の資料(『日本語文法の「なぜ」に答える』)をお送りします。対話形式で書かれていて、あたしが登場するんだぞ。

 (Maria)


一穂さんへ 6988へのコメント
No.6993  Tue, 28 Aug 2001 23:58:33 +0900  Maria [この発言にコメントする]

一穂さんwrote:
>メタレベル・・・ってなんですか?

 思春期においては、単に自分と外界とのかかわりだけでなく、「自分」というものを見つめるようになります。これが「メタレベルの認識」です。つまりは、「ひとつ外に抜けだすこと」だと思ってください。

 役者さんは、自分が演じる役に「なりきる」ことで演技をしているわけですが、それを冷静に観察している「役者としての自分」がどこかにあるわけです。それがメタレベルの自分。
 「ああ、どうしよう!」とうろたえる演技をしているときに、「役になりきって本当にうろたえている自分」と、「役者として、『うろたえている自分』を見つめている自分」があるということなんですね。たとえば慌ててセリフを噛んでしまったり、小道具をひっくり返してしまったときに、「しまった」と思う役としての自分と、「よしよし、これはいいぞ」と思う役者としての自分がいたりするわけです。

 あるいは、「第三者の自分」と言ってもいいでしょう。「議論をする時には、三つ頭で考えろ」という言葉があります。主張する自分、相手、それにその議論を見ている第三者。この場合、自分<相手<第三者とレベルが上がっていることになります。

>傍若無人。
>それがいつも、ひとを遠ざけておくわたしのやりかた。

>それを見破られてしまったら
>はがされてしまったら
>中にあるのはこなごななわたし。

 猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、
 猫が三味背負って杖突いて、
 絞りの浴衣で来るものか……

 あたしの防壁は、「真摯」と「上機嫌」です。誰しもそういった防壁というものを持っているのですね。こういうのを、「三味線を弾く」といいます。どこまでが本気でどこまでが冗談かがよくわからない。
 で、防壁が防壁に見えなくなって、それ自体がパーソナリティとして存在しているように見えるようになった(なってないか?)のがあたし。

 一穂さんもご存じのように、あたしはあたしとしてここにいるけれど、実際にはあたしには実体がありません。だからあたしは傷つかないのね。だから、一穂さんも自分としてここに立つ必要はありません。
 だけど、あたしは『ふたりで聖書を』のマリアとして、あるいは『アスペルガーの館の掲示板』のMariaとして、ひいては現在書いている自閉症方面の本の編者/筆頭著者の蘇好美として、ここにいます。あたしには実体がなくても、あたしにとって大事なひとにとっての「あたし」は存在するし、あたしはその「あたし」として生きるために戦ってます。

 「誠実であること」には、いろんな意味があります。「自分」と「相手」で、裸で向き合うことはないんじゃないかな。そこに「役割」というものを挟んで、間接的に向き合うことでも、「誠実であること」はできると思います。「組織の一員として生きる」とか、「医者として生きる」とか「弁護士として生きる」とか「母親として生きる」とか「妻として生きる」とかいうのはそういうことだし。

 焦ることはありません。自分がどう生きるか、ゆっくり考えてみてはどうでしょうか。自分のポジションが決まると、わりと自然に言葉って出てくるもんですよ。

 (Maria)


Re: みどりさん、オレンジブルーさん、一穂(いちほ)さんへ 6988へのコメント
No.6991  Tue, 28 Aug 2001 23:40:23 +0900  niina [この発言にコメントする]

一穂(いちほ) wrote:
>Maria wrote:
>
>> 「雰囲気が読めない」「空気が読めない」が、自閉症方面の人間>の特性であるのは仕方ないとして、その結果として相手に与える一>種の「無神経さ」「傲慢さ」「だらしなさ」という印象を放置して>はいけないと思います。
>
>それはわたし自身気にしていることなので、直せるなら直したい。
>でも具体的にどこがどう悪いとはなかなか言ってもらえません。
>こういった細かい指摘をもらえるのはありがたいことです。


一般人は、「言い切らない」という手法を取るらしいです。

「○○です」と言い切ると、そうは思わない人には不愉快・傲慢に
思われてしまう恐れのある時には「○○だと思います」や
「○○だと私は思っていますが、そう思わない人もいらっしゃるのでしょうね」等と言う言葉を使う。らしいです。

   ↑この場合、「らしいです」という言葉で言い切りをさけています。
    これは、「私が言ってるのではなくて、伝聞で書いています」とい  
    う逃げを入れるというテクニック(?)もあります。

そんなテクニックはいかがでしょうか。

文章だけではなく、実際でも「言い切る」ということを、あまり一般人は
しないらしく、私はいつも「言い方がきつい」だの「命令口調だ」等、
人に言われていたので、色々と考えてそういうテクニックを使うように
しました。
人とのトラブル・特に勘違いで不愉快になられるとかいうのは面倒なので、
そういうことに気をつけています。


Re: もう一回はげますよ〜ん 6959へのコメント
No.6990  Tue, 28 Aug 2001 23:35:06 +0900  なおみの夢 [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>みちるさん wrote:
>>まだ、あまり元気がでなくて、安定剤飲んでいます。
>
> 同じで〜す。SSRIの服用量が増えました。安定剤ではないけど、セロトニン再吸収抑止剤です。ついでに入眠剤も増えたよ〜ん。
>
>>このごろ車のスピードがこわくなってパニックになりそうになっています。
>>自分で運転するのはいいのですが、スピードだされても怖いなんてことなかったし
>>むしろよろこんでいたのに、なにかが変わってしまった。
>
> 去年の秋くらいは、わたしも車の運転ができませんでした。調子が悪いと、時々ものすごく怖くなります。感覚が狂うみたいな感じです。無理をしないで、車以外の交通手段を考えましょう。時間はかかるけど、安心して外出するには仕方がないです。都会と違って、田舎は車がないとつらいけどね……。
>
>>とにかく、いままでの私に戻るまで、静養しようと思っています。
>
> ゆっくりやってください。生活は……きっとなんとかなる!と信じましょう。うちは米のまんまと庭でとれた野菜と、たまに釣れる魚があれば、なんとか生きていける気がします。ネット使用料だけは死守するぞ〜(^^;;;
>
>>また、元気になったらゆっくりカキコします。
>
> 待ってますよ〜♪くれぐれも無理は禁物ですからね。

ありがとう
すっごくねむい。吉本ばななさんの小説のようになぜかわかんないけど
とにかく、眠い。
心も寝たいと言っているみたい。
また、カキコできるときにしますね。
ありがとう あさかぜさん。おやすみ・・・・。


石鹸と界面活性剤 6985へのコメント
No.6989  Tue, 28 Aug 2001 22:48:29 +0900  Maria [この発言にコメントする]

i wrote:
>そもそも「界面活性剤」という言葉は、「石鹸以外の洗剤」、すなわち「中性
>洗剤その他の合成洗剤」がいろいろと登場し、あるいは「洗剤」以外の用途に
>使われる界面活性剤(くもり止めなど)が登場したことによって、その機能を
>果たす物質を包括的に表わす言葉として「界面活性剤」という言葉が生まれた、
>という経緯がありそうです。

みどりさん wrote:
>この経緯って結構信じがたいのだけど、事実とおもわれるもの? それとも
> Maria ちゃんの推測?

 よくわかんないけど、“過去の経験上から”事実と思われます。少なくともZunkoさんはそう判断すると思うぞ。

 「石鹸」の「鹸」の字と、「鹹水(かんすい)」の「鹹」の字はどちらも「しおからい」の意味です。で、「歯」という字は地面から結晶化した成分がいがいがとそそり立っている様子を表わしていたのですね。ちなみに「鹹水」というのは、中華麺を打つときに使うあの「かんすい」です。
 そんなわけで、「鹸」「鹹」は共に「天然塩」あるいは「天然アルカリ(あるいは天然アルカリ鉱物およびその成分)」の意味で用いられています。だから「鹹水(かんすい)」の原料となる天然アルカリ鉱物は、「石鹸」なんですよ。で、現在でも中国の一部では洗濯用に使われています。

 で、アルカリ+脂肪酸という反応で、現在あたしたちが洗剤として使用している「せっけん(シャボン)」の成分が合成されるのですね。で、「アルカリ+脂肪酸」という化学反応を、「鹸化」というのですよ。こうして作られたものを、かつて洗濯用に用いられていた天然アルカリ鉱物にならって「石鹸」と呼ぶようになった、という経緯はありそうに思うのですね。で、石鹸そのものはかの織田信長も手にしたことがあるという記録が残っています。問題は「石鹸」という用語がいつごろから使われるようになったかなんですが、少なくとも明治時代以前には用語として定着していたようです。

 これに対して、「界面活性」あるいは「界面活性剤」という概念があたしたちの生活に定着したのは、戦後、それも昭和三十年代半ば以降の、いわゆる高度成長期以降です(なにしろ、電気洗濯機が普及したのがこの時期以降です)。それ以前は、洗濯用石鹸が主流でした。ちなみに横溝正史原作・市川昆監督・豊川悦司主演の映画『八つ墓村』の冒頭に、戦後間もなくの石鹸工場の様子が描かれています。

 つまり、一九六〇年代以前には、石鹸をはじめとする(物質としての)界面活性剤そのものは存在していたのだけれど、「界面活性剤」という言葉が存在しなかった、あるいは一般に普及していなかった、という状況があったわけです。

 で、昭和四十年代以降、台所用洗剤が原因と思われる手荒れだとか、洗濯用石鹸に含まれる燐酸塩が原因と見られる水質汚染(具体的な被害としては赤潮の発生など)だとかいった被害が生まれたことで、洗濯用洗剤・台所用洗剤の成分表示がなされるようになった、ということみたいです。

 なお、現在大森総研は大忙しなので、資料の類はまったく参照せずに、大森総研の所長であるJoshyaさんのうろ憶え(ただし、「Joshyaさん本人にとって」です。Joshyaさんにとって「正確な記憶」というのは、「だれそれが書いたどういう論文に書いてあった」程度以上の精度を持った記憶です)の記憶だけに頼ってこの文章を書いています(それでもこれだけ書けてしまうのだから困ったものです。ZunkoさんはそういうJoshyaさんを子供の頃から知っているので、「わかんないことはアスペに訊け」みたいに思っているかもしれません。確かにものすごく便利です)。したがって事実関係に誤認があるかも知れません。あらかじめご了承ください。

 そんなわけであたしは仕事に戻ります。いそいそ。 (Maria)

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