アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: まとめてレス(なるほど) 7146へのコメント
No.7148  Mon, 3 Sep 2001 09:08:21 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
>ひま人さん wrote:
>>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>>あるからということだろうか?  たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>>の口実をつけて働かせないとか?
>
> たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。

なるほど。

> うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。

話がよく見えないのですが、一時的に休職しているあいだに、そのひとが開発した技術に関する権利を会社が所有することにしたということでしょうか。
それだけの能力があるわけでしたら、さらに新しい技術の開発を期待されてもとの会社で働くことはできないでしょうか。あるいは、給与の取得のシステムが、当事者にとってあまりにも不利なため、受け入れ不可能ということでしょうか。

> そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。

その、ときどき登場する「大森総合研究所」とは何でしょうか?

>>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>>も能力的に無理な人はどうなるのか?
>
> 資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。

たしかに、投資で利益を得ようとすれば、かなり頭を使わなくてはならず、これも労働の一種と考えることもできるでしょう。

そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
> 要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。

働く能力があるかどうかを区別するのは難しいし、かりに働く能力があってもニーズがなければ仕事はこないわけで、そのへんをどう考えるべきか。

> 日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。
>
> ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。

そもそもお金を稼ぐこと自体を罪悪視するようなところもあり、お金が儲かればそれに逆比例して心が貧しくなるなどと考える風潮もある。

>>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
>
> 労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。

あえて労働者の公約数の立場で言うなら、労働はおもしろくないことのほうが多いのではないでしょうか。
たとえばですよ、もしも数10億円ものお金が入ったら、ぼくだったらすぐに仕事は辞めますね。

> 韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。

それはおもしろい。

> パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。
>
> 『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。

同感。

> Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。

そのようなことを言うのは、妬みからでしょう。

> 確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。

価値のあるものはすべて金額に換算できるか、あるいは金額に換算できなくて価値のあるものはあるか、ということですが、これはようするに、市場が形成できるかどうか、多数の人間にとっての、価値の度合いの平均値と、売り手との妥協点(相場)があるかどうか、
極端な話、貝殻マニアが特定の貝に魅了されていてしかも入手困難だとする。この場合、もしも誰かがこの貝殻を採取してくれれば、法外な値段でも買い付けると本人は言う、そして誰かが苦労して入手し、両者の間で交渉の後ある値段で売買された。ところがこの特異な貝殻に興味を示すのはこの人だけで、だれも見向きもしない。とうぜん値段もつかない。こんな場合は、当人にとっては絶大な価値があるのに、金銭に換算できない。
ボランティア活動は、金額に換算できないがすばらしい行為だ。というのも、ひねくれて考えてみれば、それをしている人たちにとって何か意味のあることだからするのであって、実際にお金のやりとりはないものの、される側とする側とで、何かの交換があるのではなかろうか。さらに余計なことを言えば、その活動を労働として、どれくらいの金額に相当するのかを算出するのも不可能ではなかろう。
「人のいのちはお金に換算できない」のかというと、死亡したときの賠償額の査定などでは、本人の学歴、収入、職種の偏差値などに基づいて金額が決まるらしいが、このように必ずしも人間の価値を金額で表せないわけでもなさそうである。

> しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。

たしかにそうですが、たくさんの健常者を十把ひとからげにしてバカ扱いするのには賛成しませんが。


Re: スチームクリーナー 7132へのコメント
No.7147  Mon, 3 Sep 2001 01:31:43 +0900  みどり [この発言にコメントする]

>みどり wrote:
>>普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
るう wrote:
>雑巾がくっついてる(布がくっつけてある)ノズルもすでにあったような気がします。ははは、ざ〜んねん。

うむむ、やられた。(だからまず本体を買ってから考えろって)

>通販のテレビ見るのが好きな、るう

スカイパーフェクTVの機械はあるけど契約してないもんだから、テレビ通販 (無料チャンネルは大抵これ) ばかり見ている、 みどり
# それで満足しているもんだからなかなか契約しない。でももう少し頻繁に新製品に切り替わってほしい。(そんなに毎日見るなって)


Re: まとめてレス 7143へのコメント
No.7146  Sun, 2 Sep 2001 23:43:43 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

ひま人さん wrote:
>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>あるからということだろうか?  たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>の口実をつけて働かせないとか?

 たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。
 うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。

 そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。

>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>も能力的に無理な人はどうなるのか?

 資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
 要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。

 日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。

 ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。

>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。

 労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。

 韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。

 パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。

 『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。

 Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。

 確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。

 しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。

 (Mr.Moto)


くるとさん・一穂さん・ナカノさん・百日紅さんへ
No.7145  Sun, 2 Sep 2001 22:19:48 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

今日はオフ会でお会いできてよかったです。
他の参加者にも、よろしくお伝え下さい。
では、そろそろ寝ます。またあいましょう!
おやすみなさい。


Re: まとめてレス!!!!! 7138へのコメント
No.7144  Sun, 2 Sep 2001 22:12:19 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Baca wrote:
>>
># 武田好史さんへ
>べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。

いえいえこちらこそ、無理に笑えなどいってすいません。
 なんか「ちゅらさん」のエリーと同じ失敗をしてしまったようです。


Re: まとめてレス 7142へのコメント
No.7143  Sun, 2 Sep 2001 19:48:36 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
> 日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。

「勤労の権利を有し、義務を負う」とはどういうことか?
憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険があるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何かの口実をつけて働かせないとか?
「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人までも、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうにも能力的に無理な人はどうなるのか?
納税の義務のように、本来義務というのは、それをしないと罰せられる(たとえば脱税すれば、みんなが税金を支払っているのに、脱税した人は国家からのサービスを代価なしでただ食いすることになり、犯罪であろう)とか、あるひとが誰かに先行して何らかの負債を負っている場合、それに値する行為をしなければならないような状態のことを指すものなのではないだろうか。
そもそも「国民」は何(誰)に対して「義務を負う」のだろうか?

> そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。

非自発的失業者、つまり自分は働きたいのに就業できないというのも、厳密には正しくなかろう。そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。

> 多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
> これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。

失業者やひきこもりを非難する人たちは、嫉妬から発言しているというよりも、そうやって他者を批判することでかろうじて自分の位置を確認しようとしているのではないか。

(後略)


Re: まとめてレス 7138へのコメント
No.7142  Sun, 2 Sep 2001 11:49:06 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

 日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。
 そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。

 多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
 これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。

 「自分もいつ失業するかわからない」という不安を抑圧するためには、「ちゃんと仕事をする(ちゃんと仕事ができる)人間は、失業したりしない」といった精神の歯止めといったものが必要である。
 ところが実際には経営者がヘタを打ったり取引先がパクられたりして ほとんど理由なく人間は失業するのであり、下手をすると有能であるがゆえに仕事に追い立てられて障害を負い、失業したあげく再就職もままならなかったりもするのである。
 そんなわけで、そうした連中というのは、「あいつらはダメなのだ。だけどおれはちゃんとしているのだ。だからおれは大丈夫なのだ」とか訳のわかんないことを言いだすのである。「あいつら」というのが誰で、なにが「ダメ」で、どこが「ちゃんとして」いて、それがどうして「大丈夫」という結論に結びつくのかはまったく不明なのだが、とにかく理屈でも蜂の頭でも持ってきて「大丈夫」ということにしなければ治まらない。治まらないのだけれど治まるかといえばやっぱり治まらない。なにしろ、それが「気休め」「ごまかし」「自己欺瞞」であることを心の底ではうすうす気づいているからだ。

 こうした病んだ連中が、自分らが勤労者の意見を代表しているような気になって失業者だの「引きこもり」の人間だのを攻撃するものだから、それに対する反撃というのが、彼らが代表しているつもりの人間のところに降りかかってきたりするのである。

 つまり、こういう病んだ連中というのは軍事的に言ってみれば便衣隊、有り体に言ってスパイなのである。一般市民と紛らわしい格好をしてその中にまぎれこみ、「敵」と狙いをつけた相手に対して発砲する。反撃を受ける頃にはさっさと自分らは安全地帯に引っ込んでおり、攻撃を受けた一般市民はやみくもに反撃を行ない、けっきょく戦う理由のない人間同士がドンパチを始めることになってしまうのだ。

Maria wrote in 『いじわるについて。』(No.6681):
> あたしは、いわゆる「健常者」が自分をごまかして自分を正当化することを、
>自閉症方面の人間が理解してあげて、それを赦してあげる必要があるんだろう
>か、と思っちゃうんですね。だって、いわゆる「健常者」は、あたしたちに対
>してそんなに優しくないんだもの。あさかぜさんや青りんごさんやくるとさん
>みたいに(そして、あたしみたいに)、機能の上では「実質上の健常者」なん
>だけど、メンタリティとしては「障害者」の側に立っている人間としては、そ
>ういう『いわゆる「健常者」』というのが、二重に迷惑なんですよね。ぷんぷ
>ん。

 Mariaのこの発言は、病んだ連中が『いわゆる「健常者」』の立場を代表すると称して行なう攻撃の被害を受け、同時に「障害者」の側からの反論も受け止めざるを得ない立場の人間としての発言である。

 本人に直接質したわけでもないし本人が正直に答えてくれるかはまた別問題なのだが、武田さんやくるとさんは病んだ奴も病んでいない奴もひっくるめてそうした「攻撃」に対して「先守防衛」の態度を取っておられるようにお見受けする。Mariaも本来は同じ立場なのだが、

> いわゆる「健常者」は、いわゆる「健常者」に対して寛容です。「人間の
>弱さ」だとか「人間の哀しさ」だとかいった形で、お互いのわがままを正当
>化し、赦しあっています。そういう連中に、優しくしてやる理由があるのか
>なぁ、と思っちゃうんですよね。
> 自分をごまかして生きる人間は、決して幸せになれません。だったら人生
>のなるべく早い時期に、「自己欺瞞するんじゃねーよ」と思い知らせてやる
>のが親切というもの。あなたがたが正心に立ちかえれば、この世は神の国に
>なるのです。汝ら悔い改めよ、天の国は近づけり、げしげし、とかいって足
>蹴にしてやろうかしら、とか思ってしまいます。そういう奴は、口で言って
>も決して納得しません。だって、言葉というのは理性に働きかけるものでしょ
>う? そういう奴は、自分の理性をごまかしてるんだもの。やっぱり大脳旧
>皮質辺縁系とかに訴えてあげないと。

といった発言を見ると、病んだ連中を「彼らにふさわしく正当に遇して」やるべきだと考えている点でやや攻撃的である。こうなるとちょっとテロリズムの臭いがしてくる。

 私はといえば、「スパイにはジュネーブ条約は適用されないから、たっぷりと拷問した上で見せしめに処刑してやればよい」という立場だ。ただし、この『アスペルガーの館の掲示板』に出てくるような輩は加害者側のメンタリティを取込むことでようやく自我を支えていうような奴ばっかりなので、Mariaがちょいと呪文を唱えるとたちどころに呪縛が解けてしまう。おれとしては出番がなくて物足りないことおびただしい。どうせなら「失業者どもや引きこもりの連中がなぜ人間のクズなのか」といった論陣を堂々と張ってくれる、十分に手強いディベーター(上祐・青山クラスではまったくの力不足である。苫米地もあかん)でも出てきてくれんかなぁ、と思う。

 失業者や「引きこもり」を非難する連中は、せいぜい家庭を避けて職場に引きこもっているような連中なのである。「世の中はゼニ掴んだ奴がいちばん偉いんじゃあ!」と思っていることを素直に言えよバーカ、そのほうが楽だぜ?と言ってやったらよろしい。それ言うたらそういうバカ自身がゼニの奴隷で廃残者だということがよくわかる。

 まともにとりあってイライラし、健康を害することもないと思うのだが。

 (Mr.Moto)


Re: カナリア 7140へのコメント
No.7141  Sun, 2 Sep 2001 10:52:13 +0900  のの [この発言にコメントする]

Mr.Motoさん wrote:
> 私はカナリアだ。沈黙はすなわち死である。けれども、ただ鳴くだけでは仕方があるまい。

(カナリアの意味がMotoさんとは違っちゃうけど)
「カナリア」と「ひきこもり」で、下の詩を思い出しました。

さねよしいさこさんの詩(うろ覚え)です。
(著作権的にやばいのかな…掲示板に書いちゃうのは。そうだったら教えてください。削除するので。)

私が以前、かなりディープにひきこもっていた時、勇気づけられて繰り返し呟いていた詩です。(今現在も、ひきこもり中ですが。)(いや、「戦略的撤退」? ←Mariaさん、これいい言葉〜。)

私的な解釈。最後の「だいじょうぶ」っていうのは、無責任な「だいじょうぶ」ではなく、もっと決意とか信念を込めた言葉だと私は思います。「私はこのまま行くんだ、自分を信じる」みたいな。

でも私の場合、ちょと弱々しい信念かもしれないですが(笑)
自分に言い聞かせてる感じ。「きっと、大丈夫だから、大丈夫なはず」って。


なんとなく、武田さんへ。
あと、今までに歌えなくなったことがある全部の方へ。


カナリア 7129へのコメント
No.7140  Sun, 2 Sep 2001 10:43:19 +0900  のの [この発言にコメントする]


 わたし いま うたを忘れた カナリアだよ

 でも カナリアだってことは 忘れないでいよう

 そうすれば だいじょうぶ


Re: 明日新宿のオフ会に参加する人へ 7119へのコメント
No.7139  Sun, 2 Sep 2001 09:06:44 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

くると(包括性LD) wrote:
>武田好史さんwrote:
>>私の特徴
>>身長178cm。
>>縮れ毛の髪。
>>青いチェックの半袖ワイシャツ・ジーンズ・眼鏡という服装。
>>早く来られれば、ドナ・ウイリアムズさんの「こころへの贈り物」を読んでいる。
>>
>>以上見つけておくれ!
>
> 了解!!ちなみに対抗してわたしの特徴を…
>
> なぜか「般若心経」が書いているTシャツを着ていて、ボロボロのメガネ
>をかけている。


おはようございます。
昨日今日と、少し涼しくて気持ちよい天気ですね♪
新宿オフ、わたしも参加します、参加者のみなさん
よろしくおねがいしま〜す。
服装は、まだ決まってない・・・


まとめてレス!!!!! 7129へのコメント
No.7138  Sun, 2 Sep 2001 07:51:17 +0900  Baca [この発言にコメントする]

Baca wrote:
>>謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない
Mr.Moto wrote:
>という態度は立派だと思う。もちろん、オレンジブルーちゃんを『アスペルガーの館の掲示板』からいびり出>した、という汚名を着たくない、といった小狡い計算が……それほどなければの話だが。

そこまで考えておりません。

Mr.Moto wrote:
>武田さんがハズしまくっているというのはとりあえず事実として(事実なのか(^_^;))、「それは言わない約束でしょう?」みたいな暗黙の了解があるのもまた事実なのだ。そこにツッコミを入れる君も十分に顰蹙を買う程度にはハズしているということが認識できない点で、すでに武田さんを笑えない程度に十分にハズしているとは言えまいか。まして「SSRI の効き過ぎか?」は、Bacaちゃんの品性を疑われる以上の結果を生まないように思う。おれの知っているBacaちゃんはそういう人物ではなかったように思うが如何。

顰蹙を買うのは承知でした。「SSRI の効き過ぎか?」については品性を疑われても仕方がありません。仰る通りです。

しかし武田さんは、オレンジブルーさん wrote:
>引きこもりの人って、それこそなんだか我が侭に見えてしまう?。。。。
というような言葉に人一倍傷ついてきたはずです。

2001年2月13日
>あなたは甘えていると思います。
>あなたを支えている人たちがかわいそうです。
>あなたは、なぜインターネットができているのですか?
>あなたは、なぜ暖かい場所で眠れるのですか?

というある人の発言に対し、武田さんは「その通りです」というような趣旨の発言をしました。ぼく(tori)はそれが許せずに、「それは違うだろう」という趣旨の書き込みをしたのが、この掲示板との出会いです。武田さんは他にも「世の中の役に立ちたい」というようなことを何度か書き込んでいます。武田さんがどう考えようと、どのような発言をしようと一向に構いません。けれども、実際は人が働くのは自分の利益のためです。ですから、働いていないという理由で「人」を批判できるのは、「扶養者」を除いては他に誰もいないはずです。
自発的、非自発的に関係なく、失業者に対しては、個人の生活の質にまで立ち入って口出しできると考えている人には、「社会の役に立っていないのだから当然、贅沢するなどもっての他」と誤った思い込みがあると思われます。そしてその元にあるのは、おそらく嫉妬の感情ではないかと思われます。そのような理由から、働きたいが働けない非自発的失業者に対する上記のような発言は、決して許されることではないと考えます(自発的失業者に対しても同様ですが)。

No.7125 は、武田さんに対する精一杯の皮肉のつもりでした。
なぜならNo.7114 のような一連の怒りの発言は、武田さんのような人たちが必要とする「盾」であると思うからです。
No.7117 の武田さんの「ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない」という言葉で肩透かしを食らったので、そのことを訴えたいと思い、あのような発言内容となりました。それと、武田さんに対して若干の怒りを覚えたことも、ここに付け加えておきます。
# 武田さん、そして他にも不愉快に感じられた方がいらっしゃれば、この場でお詫びします。
# 申し訳ありませんでした。

>「わからんかったら、あとは自分で考えろ!」という発言は、おれの視点から見れば甘えでしかない。「心の理論」をめぐるシュッツさんとMariaの論争を見てほしい。「わからんのなら、わかるように説明する」のが掲示板におけるありかただと信じているからこそ、ああいったねちっこい論争に発展したのである。


# オレンジブルーさんへ
このレスを読めば、No.7127 の発言の趣旨を理解していただけると思います。
わからなければ、その旨書き込んでください。お待ちしています。

# Tien さんへ
あなたの言葉は、本当に人を追いこみかねない。自分で窮状を選ぶ人間などいません。乱暴な言葉遣いは謝ります。ごめんなさい。

# Mr.Moto さんへ
何かわからない点があれば指摘してください。

# くるとさんへ
「引きこもり」とは、人生の一時期における身の処し方であるとぼくは考えます。したがって、社会問題ではあるけれど、それを理由に個人の選択に関して、他者が口をはさむことはできないと考えています。晩婚化を理由に、30歳以上の女性に一様に結婚・出産を強制することなどできないように。

# 武田好史さんへ
べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。


Re: こんな日本だけど・・・ 7114へのコメント
No.7137  Sun, 2 Sep 2001 07:22:13 +0900  くると(包括性LD) [この発言にコメントする]

Bacaさん wrote:

>お前みたいに下見て優越感に浸ってる奴見ると
>日本は腐ってるなあ、と思うな

 オレンジブルーさんは別に見下していた訳ではなく、単に事実誤認が
あっただけだと思いますよ。

 要するにBacaさんが

(1)どの点において事実誤認があるのか?
(2)どの点において怒りを感じるのか?

を冷静に語ればいいことなのです。意見の異なる相手と同じ土俵に立た
ず、かたぱっしからののしっていく態度にはあまり賛成できません。


Re: こんな日本だけど・・・ 7127へのコメント
No.7136  Sun, 2 Sep 2001 07:06:30 +0900  くると(包括性LD) [この発言にコメントする]

Bacaさん wrote:

>わからんかったら、あとは自分で考えろ!

 より正確な議論が展開されるため、Bacaさんが理解するところの「引き
こもり観」を提示してください。そして、その「引きこもり観」がオレンジブ
ルーさんやTienさんや武田さんの「引きこもり観」とどの点において異な
っているのか提示すべきだと思います。

 今の段階では他の方の「引きこもり観」は理解できましたが、Bacaさん
自体の「引きこもり感」が提示されていません。


Re: こんな日本だけど・・・ 7125へのコメント
No.7135  Sun, 2 Sep 2001 06:59:08 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Baca wrote:
>武田好史 wrote:
>>ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない。
>
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?

そう怒らないで下さいよ・・・
そうしないと、あなたの周りの人もあなた自身もますます傷つくだけですよ。


Re: こんな日本だけど・・・ 7125へのコメント
No.7134  Sun, 2 Sep 2001 06:57:49 +0900  くると(包括性LD) [この発言にコメントする]

Bacaさんwrote:
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?

 勢いではなく論理で戦いましょう。一方的に相手を断罪しすぎています。


Re: 我考う 故に我無し。 7008へのコメント
No.7133  Sun, 2 Sep 2001 04:24:34 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

 RES頂いてたの今ごろ気が付きました。

Mariaさん wrote:
>>
> 「言葉で考える」ことがイコール「考える」ことだとすると、「考える」ことはイコール記号の操作ということになっていまいます。まあ、確かに数式だとか化学式だとか楽譜のような表記体系・記号系というのは思考の道具として欠かせないものだから、ラカンあたりは(あとはウンベルト・エーコとか)そういうことを言いそうな気はします。
> ですが、それが全面的に正しいとすると、あたしたちは記号で表せないものを思考することはできないはずなのですが、あたしたちは言語によって表現しえないものを思考の対象としているがゆえに言語表現に苦労しているように思うのですね。

 けど表現してしまえば言葉の羅列になってしまうじゃないですか。(笑)
>>
>>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思
>>えば無いものなんです。
>
> 唯識論まで持ちだした割にはわりと安易な結論のように思います。『概念としての「自己」に対する実体としての「自己」なるものは存在しない』という主張に矛盾はなさそうだから一応認めざるをえませんが、だとすれば般若経典でいうような、「世の中のすべての現象は、素粒子間の相互作用にすぎない」とかいったニヒリズム的な世界観に行きついてしまいそうに思います。

 私は「自己」なるものが無いんだと言いたいんじゃないんです。言葉足らずでちょっと誤解されましたか。正確に言うと「在る」というのも「無い」というのも間違いじゃないかと思うんです。うまく言えないんですけどね。そのあたりは後日機会あればカキコします。
>
> で、こうしたニヒルな世界観においては、殺人と器物損壊を区別する必要はなく、あえて言うならその社会あるいは社会制度とのかかわり合いのみが問題となってしまうのですね。人間もしょせん元素の集合体でしかないのだから、「殺す」という行為も単に物理的な意味しか持ちえなくて、殺される側の「痛い」「苦しい」「死にたくない」といった感覚なり感情なりには実体がない、ということになります。

 私はそういう意味ではニヒリストではないですね。
>
> あたしはこういう発想をする人とあまりかかわりたくないと思っています。そういう人はわりと簡単に自殺に走ってしまうから。

 私は今のところ予定していません。

『「自己」なんてものはない』と信じる人間が自殺したところで、残された人間が泣いたり笑ったりする必要はない、と割り切れるほどあたしは人間が嫌いではありません。あたしにとって「あたし」という自己が存在するのは自明なのですが、「ない」という人にとっては「ない」のが自明なのでしょう。それは認めるしかありません。
>
> 「自己」の存在を信じるあたしとしてはMakichanさんに死なれたくはありませんが、その反面、本人の意志は尊重するしかないだろうなとも思います。
> そんな訳で、万が一にも自殺されるなら、たとえばロボットが壊れるように、なるべくあてつけがましくなく、しかも世間の迷惑にならないように死んでほしいと思います。そのかわりあたしもそういったニヒリストには「自己」なんていうものは存在しないのだ、思うようにするから。

 もしその時がきたらそうしようと(つまり迷惑かけないよう)つとめます。

 私はMariaさんとは随分ちがうなあとは実感してますね。一番違うと思うところは、私はMariaさんのように言葉にあまり信頼感もてないんですね。(と言いながら言葉に頼らざるを得ないんですが。)私がかろうじて心の拠所としているのは、自分の感覚であり直感みたいなものです。言葉は全て事後講釈だと思っています。感じるから在るので、感じなければ無いに等しい(私にとっては)。私は今の自分の生に漠とした曖昧なものしか感じられないんです。より確かなものを掴みたくって感じたくってもがいているんです。そのためにも不純な紛らわしいものを取っ払いたいんです。意識とか自我意識もそのひとつなんです。あぁなにをいっても言葉でしかないですね。

 私はMariaさんからすれば随分と単純な人間にみえるでしょうね。(笑)


Re: スチームクリーナー 7131へのコメント
No.7132  Sun, 2 Sep 2001 03:12:41 +0900  るう [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。

雑巾がくっついてる(布がくっつけてある)ノズルもすでにあったような気がします。ははは、ざ〜んねん。

通販のテレビ見るのが好きな、るう


スチームクリーナー 7108へのコメント
No.7131  Sun, 2 Sep 2001 02:38:18 +0900  みどり [この発言にコメントする]

るう wrote:
>お友達がみせてくれたけど、例えば床の上なんかで使うと、汚れと水がまざったものが床の上にたまるの。あとは、結局自分で雑巾でふくみたい。「なら最初っから、雑巾掛けしろよ!」と言いたくなったけど、グっとこらえて「わ〜、すご〜い!」と驚いてみせたウソつきな私。

やっぱりそうなのね。でも浸けたりこすったりする作業がパスできるのはちょっと魅力的かも。
普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
(まだ本体も買ってないくせにそんなことばかり考えている)


原因と結果 7121へのコメント
No.7130  Sun, 2 Sep 2001 02:33:52 +0900  みどり [この発言にコメントする]

これは横レスなのだろうか。横から口を出してるけど、話題は横じゃない。

Tien wrote:
>ただ、決して自分の状態を人のせいにしてはいけないとは思います。
>自分で選んだら、自分で責任をとらないといけないのが人生だと思っています。

結果はどうやったって自分に降ってきますよね。(注: ひきこもりという選択の結果はむしろ「良いもの」である場合も多いとみどりは思ってますので、そこんとこ誤解のなきよう。)

なんでそこで「人のせいにしてはいけない」とか「責任」とか「許す許さない」が出てくるのだろう? (そもそも他人に責任とってもらうことなんて可能なんだろうか??)


で、この話題で思い出しました。私が以前原因不明の長患いをしたとき、みんな (というほど多くはないけど親しい人たちね) が、よってたかって原因を追及してくれました。
本人が「まあいいじゃないの」と言っても、「いやどこかに原因があるはずだ」で、「あれがいけないんじゃないか、これがいけないんじゃないか、これ試してみたら、これ食べるのやめてみたら、テレビでこういってたよ」などなどやってくれました。(当時ウツだったので、これはつらかった)

まあ私自身、最初はかなりあれこれと原因を追求していたのですが、今の考えは「病気になるのに原因はいらない」です。じゃあなにかというと、確率の世界を思い描いてもらえばいいかと思います。
まあ、発病のきっかけというのはあるかもしれない。でもそれは原因というわけじゃない。
その病気になる確率を上げる誘因行動もあったかもしれない。でもやっぱりそれは原因というわけじゃない。

そういう考えに至ったのは、周囲の原因追及 (言ってる方はすごく気軽なのに) がすごく嫌だったからなのです。
なんで嫌なんだろう、って考えたら、「病気には原因がある」の根底には、「病気になったのは私が原因となる行動をしたからだ」という発想があるわけで、それが嫌だったわけです。
まあ言ってる方はそんな意識はさっぱりないんだろうし、「因果応報」の考え方は逆境にある人には耐えがたいものだなんて、考えたこともないだろうと思うんだけど。

私自身もこの件があるまでは、なんとなく「病気には原因がある」ような気がしていたのですが、このときすごく嫌だったので、よくよく考え直したら、「原因がなくても病気にはなる」ことがわかったので、それですごくほっとしました。
少なくとも、現時点で原因追及が可能な病気の方が圧倒的に少数派だとわかったからです。
たとえばインフルエンザだって、インフルエンザウィルスが起こす病気だとまではわかっていても、それにかかってしまうのは、ウィルスとの接触 (日常生活との兼ね合いになる)、感染時とその後の免疫力 (これも程度問題)、気温や湿度(完全なコントロールは不可能) と、複合的な要因によって初めて「病気」になるわけです。


で、この考えをもう少し拡張して、私はいまは、「自分の現状にも特に原因はない」と思っています。
その時々でベストな選択をしてきても、結果はうまくいかないなんて、よくあることでしょう。逆もしかり。

だから、たとえいまひどく不幸な状態にあっても、それはその人がなにか間違ったことをしたという意味ではないのです。

「自分の選択」は、なにかの確率を変えることはできるけど、実際の結果は逆になってしまう場合もあるのよ、現象だけみて「本人の選択が悪い」なんて思うのはやめてよね、ということね。


「主張する」ということ
No.7129  Sun, 2 Sep 2001 02:00:57 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

Bacaさんwrote:
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?

>お前はただ単に、「自分と一緒やない」ってことにムカついとるだけや
>わからんかったら、あとは自分で考えろ!

 Bacaちゃんは幸せだのう。「自分のことを解ってくれない人がいる」ということにこれだけ怒りを表明できるのだから。おれなんか「自分のことを解ってくれる人がいる」ということを信じることにすら疲れておる(だからこそおれはJoshya氏やKILROYやMariaとは別人格なのだ)。とはいえ、

>謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない

という態度は立派だと思う。もちろん、オレンジブルーちゃんを『アスペルガーの館の掲示板』からいびり出した、という汚名を着たくない、といった小狡い計算が……それほどなければの話だが。

 武田さんがハズしまくっているというのはとりあえず事実として(事実なのか(^_^;))、「それは言わない約束でしょう?」みたいな暗黙の了解があるのもまた事実なのだ。そこにツッコミを入れる君も十分に顰蹙を買う程度にはハズしているということが認識できない点で、すでに武田さんを笑えない程度に十分にハズしているとは言えまいか。まして「SSRI の効き過ぎか?」は、Bacaちゃんの品性を疑われる以上の結果を生まないように思う。おれの知っているBacaちゃんはそういう人物ではなかったように思うが如何。

 世の中、解ってもらえないことのほうがたぶん多いのである。だったら、いちいち解らなかったら世の中は動かないかというとそうでもない。解らんことは解らんままに放っておき、とりあえず事務レベルで解決しようというのが大人なのだ。
 「わからんかったら、あとは自分で考えろ!」という発言は、おれの視点から見れば甘えでしかない。「心の理論」をめぐるシュッツさんとMariaの論争を見てほしい。「わからんのなら、わかるように説明する」のが掲示板におけるありかただと信じているからこそ、ああいったねちっこい論争に発展したのである。

 私はカナリアだ。沈黙はすなわち死である。けれども、ただ鳴くだけでは仕方があるまい。

 (Mr.Moto)

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