アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
釈 wrote:
>
>この頃、痛ましくて見るに堪えません。私も心臓が苦しくなってしまいます。
>これでは、ASは残酷だと宣伝しているようなので、
>どうか、大森研究所の人たち(Joshyaさん、Motoさん、Mariaさん達)をよく休ませてあげてください。お願いします。
釈さんはやさしいですね。
でも、大森研究所の方達にレスや質問がいっぱいつくのは、
大森研究所の方達の望むところじゃないのかな。
「大変だ」というのも嬉しい悲鳴ってやつではないのかな。
大森研究所の人達は、レスや質問をしてくる人を「残酷だ」とは
思ってないのではないかと推測するのですが。
大森研究所の方がここに来られてから、この掲示板の書き込みが
すごく増えました。
大森研究所の方には感謝です。
この頃、痛ましくて見るに堪えません。私も心臓が苦しくなってしまいます。
これでは、ASは残酷だと宣伝しているようなので、
どうか、大森研究所の人たち(Joshyaさん、Motoさん、Mariaさん達)をよく休ませてあげてください。お願いします。
やってみました……何だろ……否定は出来ませんが。「あちら」って一体……(汗
◆あなたの本当の性別は女性です◆
男性度 46.8%
女性度 53.2%
[コメント]
あなたは女性ですが、実際は限りなく男性でしょう。まだ、あなたは気が付いてないかも知れませんが、あちらの傾向が高いです。これから女として生活するかどうかはあなたの気持ち次第です。頑張ってくださいね。
◆ あなたは生物学的には男性です◆
[コメント]
少々結果が違っていますね。でも男性的な部分が結構あるとの診断。殆ど当たっているようなものでしょう。
……一応男です。(爆
>なおみの夢さん wrote:
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
なおみの夢さん、
それらは非難の書き込みではないのでは?
非難の書き込みだと捉えてしまうのは、早計ではないでしょうか。
やむにやまれぬ場合もあるのでは?
マジョリティがマイノリティを「ばかにしたり
理解できないとか、なに考えているんだというような非難」している
世の中です。
そういうような非難を、現実世界で経験している人間が多いのですから、
書くことによって発散するという場合もあるでしょう。
それは良いことだと思うのですが。
なおみの夢さんが、そういう書き込みを「非難」と思われるのであれば、
相互理解はまだまだ難しいのでしょうね。
なおみの夢さん wrote:
>>
>
>いま私は、あえて健常者としてみなさんに(ここでいういわゆる普通の人と言う意味での健常者なんですが)
>普通の人はこう思う。こう反応する。ということをしらしめたいのですね。
>ASの反応を理解することが大変だったわたしに、みなさんが私の発言になんでー
>とかふざけんなと、思うのもわかりますよ。
>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>そうじゃなく、御互いを理解しあうためにこの書き込みはあったような気がします。最初のころは・・・。
>博識のキロイさんにわらいながら楽しんだり、Tienさんのやさしさにこころすくわれたり。あさかぜさんのそこぬけの明るさに心洗われたり。
私自身ここのカキコでは「健常者」の人たちを侮蔑してきた人の一人です。私の
発言が、なおみの夢さんや、ログされてる多くの「健常者」の方を怯えさせ、傷つけてきたのでしたら大変申し訳なく思います。すみません。ただただ私は、もうすこし多くの人たちが、自閉タイプのことを理解してくれてもいいのになあという苛立ちがそういう発言に結びついたのです。私にとってこの世は神秘に満ち満ちています。解からないことだらけで、迷ってばかりしてます。カル〜クやり過ごせる人が羨ましくも憎たらしくもあるのは事実ですが。
私が20歳の頃経験したことは、私のとってはそれこそ(おおげさでもなんでもなく)天と地とがひっくり返るようなことでした。ですから私の発言を理解してもらうには、その人にも同じように天と地がひっくり返って頂かないと無理なのかな
と思ったりもします。他者にそれを期待する権利は私にはないですね。解かってるんですけど・・。ただ医者の中にも、私から逃げようとする人たちがいるのは残念だし悔しいんですけどね。
>
>私はそのお礼の気持ちもあって、健常者のここがしりたいコーナーの一人として
>ここにこようと思っていたのです。
>みなさんのお母さんは普通の人ですか
>シンタロウくんのお母さんだって、普通に生活を営んでいる方でしょ。
>私はシンタロウくんのお母
様をとやかく言う発言が悲しかっただけ。
>子供を心配するのは当然です。そのことを解って欲しいと思っただけ。
>私は健常者だとか、ASだからとかもともと思っていない。
>みんな個性なんだから。
>
> 以上
我々への理解深めようとしてらっしゃるなおみの夢さんには感謝してます。いつまでカキコ続けて頂きたいです。そしてそれはおかしいんじゃないかと思われることにはどんどん突っ込み入れて下さい。自分をより客観視し、自分の発言により普遍性持たせる為にもそれの方が嬉しいのです。勝手なことばかり言ってすみませんでした。
書かなきゃいいのにレスしてしまう。ねむいよー。誰かあたしを止めてくれー。しくしく。(←バカ)
I wrote:
> だけど、「持ってる」がちゃんと変換されるというのは、「愛する」が変換で
>きるように、「る」という名詞が辞書登録されているからなんですね。つまり
>「愛す」「食す」「欲す」が本来の形なのだけど、「愛する」「食する」「欲す
>る」が変換できるように、「愛す(連体形)+る(名詞)」「食す(連体形)+
>る(名詞)」「欲す(連体形)+る(名詞)」と解析されるように名詞「る」を
>登録しておく。こういうのを「シンタックス・シュガー」、別名「鼻薬」と呼び
>ます。知らなかったでしょ。
Makichanさん wrote:
>それで思ったのですが、「愛する」の「る」を名詞というのはちょっと無茶じゃ
>ないかなあ。「私が愛する人」の「愛する」はそれだけで連体形で、「私は言葉
>を愛する。」の「愛する」は「言葉を愛する(人です。)」と言う意味の「人で
>す」が省略された形じゃないかしらん。
ちょっとどころか、あからさまに無茶です。Makichanさんは正しいのでございます。ですから、正確には『「る」という名詞が辞書登録されている』ではなく、『「る」が名詞として辞書登録されている』です。シンタッックス・シュガーというのは、「本当はおかしいのだけれど、そうやっとくと見た目はちゃんとしているように見える」というだけのものです。
Makichanさんは終止形というものを立てないという点で、あたしと同じ立場です(詳しくは『日本語文法の「なぜ」に答える』という資料にまとめてあります)。だけど、文語には形容詞の終止形と動詞(ナリ・タリ含む)の終止形の終止形があったので、現代語にもあるのだ、というのがいわゆる学校文法の立場です。そんなわけで、中学生がそれを答案に書くと「間違い」にされてしまいます。あたしはバカヤローと大声で言うぞ。ばかやろー! あたしの青春を返せー!(←ちょっと間違えている)
> 現代語は品詞分解するのが難しいですね。古文の方がよほど文法的にまとまっ
>ているように思えます。
そうなんですよ。論文とか書くときは、文語で書いたほうがよっぽどすっきりします。「〜するべきです。」なんていうのは、すごくイヤ。「〜すべし。」でいいじゃないの、と思います。「美しいです」「赤いです」「見事です」もイヤ。「美しゅうございます」「赤し」「見事なり」と書きとうございます。
そんなわけで、今宵はここまでにしとうございます。おやすみなさい。
(Maria)
私はくるとさんと逆に、たいてい男性に間違えられます。
さすがに「みどり」と書けば女性だとバレ(?)ますが、名字を名乗っているところでは、脇にローマ字でフルネームを添えてあっても、男性と思いこむ人が多いようです。
http://www.da.il24.net/~noby/karisuma/sindan.htm
診断モノが大好きで、見つけるたびについやってみるのですが、上のサイトで性別判断したら、しっかり「男性」にされました。
くるとさんと Maria ちゃんの診断結果を聞いてみたい みどり
# なんとなく Maria ちゃんは私と似た結果が出そうな気がするのだ
午前中にやっていた仕事を転職することになり大忙しのくるとです。
武田好史さん wrote:
>そうだな・・・案外・・・君の尊敬している人は、男性よりも女性の方が多い
>って言うことはないだろうか?
ヴィトゲンシュタイン,ニーチェ,ミシェル・フーコー,デービッド・ヒュ
ーム,ジャック・ラカン…
どちらかという言語狂の男の哲学者,思想家が多いです。
>またはかつては女性でないとなれない職業・・・例えば・・看護婦さんとか保
>母さんにあこがれたりとかはなかっただろうか?
はじめて印象に残った女性は保母さんでしたね。障害児の扱いにも定評があ
る方でしたし。
>あるいは、姉貴か妹がいるとか・・・
これはいないです。
>小さいときの絵が電車など機械的な物よりも花園とか自然的な物であるとか・
>・
どちらにも1度は興味を持ちました。でも、けっきょくは言語的なものや抽
象的なものに関心が移ってしまいました。
やっぱり謎です。(???)
JJさん wrote:
>文章理解能力や文章を書く能力が弱いタイプなのですが
>テクニカル・ライティングというものに少し興味を引かれました。
>直接的に伺ってもよろしいのでしたら
>出来ましたらもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。
>ストレートな説明だと助かります。
JJさんがどういった素養をお持ちで、どんなところに住んでいらっしゃるかも存じ上げないので、具体的な助言を差し上げるのはちょっと難しいかもしれません。
図書館へ行って、『理科系の作文技術』という本を捜してみてください。著者名は「きのした・これお」です。本屋でしたら、たしか中公新書に入っていると思いました。なければ店員さんに問い合わせてみてください。そう高い本ではないので(JJさんの経済状態を存じ上げないのですが、千円未満です)、買って損のない本だと思います。著者名で検索すると、同じような内容の別の本が見つかると思います。
『理科系の作文技術』を読みおえたら、その内容を頭において、一般向けの科学関係の解説書で、名著といわれるものを読んでみてください。ジャンルはお好きなものをどうぞ。
まずはそこから。あたしもそこから出発しました。
(Maria)
Maria さんwrote:
> 「行く」「置く」「居る」という三つの動詞には「どれも補助動詞として使われたときに語幹の膠着・省略が起きる」という共通点があります(「持ってく」「取っとく」「持ってる」)など。だけど、こういうのまで網羅した現代語の文法書は、あたしの知るかぎり、一冊しかありません。まあ、うちのJoshyaさんが書いたんだけど。
> だけど、「持ってる」がちゃんと変換されるというのは、「愛する」が変換できるように、「る」という名詞が辞書登録されているからなんですね。つまり「愛す」「食す」「欲す」が本来の形なのだけど、「愛する」「食する」「欲する」が変換できるように、「愛す(連体形)+る(名詞)」「食す(連体形)+る(名詞)」「欲す(連体形)+る(名詞)」と解析されるように名詞「る」を登録しておく。こういうのを「シンタックス・シュガー」、別名「鼻薬」と呼びます。知らなかったでしょ。
私も学生時代は、国語の品詞分解が好きでした。古文なんかそれで得点稼いでいたものです。それで思ったのですが、「愛する」の「る」を名詞というのはちょっと無茶じゃないかなあ。「私が愛する人」の「愛する」はそれだけで連体形で、
「私は言葉を愛する。」の「愛する」は「言葉を愛する(人です。)」と言う意味
の「人です」が省略された形じゃないかしらん。
現代語は品詞分解するのが難しいですね。古文の方がよほど文法的にまとまっているように思えます。今は古典なんて読んでるヒマないですから、学生時代の記憶だけで言ってるんですけど。
なおみの夢さんへ
>私は良かれと思ってアドバイスされた事でも、
>その時の体調によって「攻撃された」と感じる場合もあります。
>それは、現実にお子さんと日々お暮らしの中で、
>なおみの夢さんもおわかりのことと思います。
この部分は、憶測で書いてしまいました。
お子さんと私が似ているわけでもないのに、
失礼いたしました。ごめんなさい。
>そうですね。でもあの場面では、シンタロウくんの母はなんて母だ・・・。みたいにかかれるとシンタロウくんがかわいそうと思ったのですよ。
>だれでも自分の親のことを言われるのはいやでしょう?
「だれでも自分の親のことを言われるのはいやでしょう?」というのは
非自閉の捉え方です。
自閉傾向がある場合は、自分以外は全て他人という捉え方になる人も
います。
家族や親でも「自分以外」ということで他人という捉え方ですね。
私の場合はそうです。
ですので「だれでも自分の親のことを言われるのはいやでしょう?」という
「だれでも」は私には当てはまりません。
なるべく「だれでもきっとこうだろう」という考え方・発言は
止めていただきたい。
それに、いちいち引っかかってしまうので。
だからと言って、やぶから棒に親の悪口を言われれば私だって不愉快に感じる。
他人のケンカが不愉快と同等な感じ方ですが・・・。
しかし本当に親が悪い箇所は、指摘されても不愉快にはならない。
本当のことなのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1年ほど前でしょうか、ここに親御さんがあなたと同じように
母親としての意見を書かれたことがありました。
その時に「なぜ、この掲示板で、母親からの小言を聞かなくては
いけないんだ。いつも家で母親から聞いているのと同じような
ことを書かないでくれ」という反応が強く起こりました。
それ以後です。親御さんの書き込みが少なくなったのは。
それまでは、親御さんの書き込みも割とあったのですが。
今はROMするけれども、書き込まないという感じで
多くの親御さんはいらっしゃるようですが、
なおみの夢さんは、勇気ある方だと思い、敬服しています。
私は良かれと思ってアドバイスされた事でも、
その時の体調によって「攻撃された」と感じる場合もあります。
それは、現実にお子さんと日々お暮らしの中で、
なおみの夢さんもおわかりのことと思います。
失礼がありましたらお許しください。
Maria wrote:
>
> あたしの場合、そういう訓練を受けた……というか、テクニカル・ライティングというものを追求する上で、自らに課した、という特殊な事情があります。だからこそ気づき、だからこそ気になる、という部分があります。
>
> それに対して、多くの「健常者」は、「気づいていながら、それを明確な方法論のようなものにまで高めることができず、『文才』といったようなものに帰属させ、訓練によって身につけようとしない」ような気がします。(←自分で言っててちょっと言い過ぎな気がすると思っている)
>
> で、テクニカル・ライティングというものを学ぶうえで、普通の人がもっとも苦労するのが、たぶんこの部分なんですよ。それが意識せずにできる人と、できない人がいる。で、それを「才能」という言葉で説明し、「書ける人」と「書けない人」に分けてしまい、自分を「書けない人」に分類してしまう。
> だけど、そうではないように思うんです。そこには明確な方法論というものが存在しうると思います。もちろん「書ける人」にはそういった方法論なんていうのは必要ないんですけどね。
> ただ、方法論によって「書ける」側に移行する、というアプローチは、あたしたちAS人にはごく自然なアプローチではあるのですが、「普通の人」にとってはかなり不自然というか、習得に努力が必要なものであるような気がしないでもありません。もっとも、それは「文章を書く」という、高度に抽象的で複雑な活動が対象だから、という理由もありそうに思います。
>
>
> (Maria)
はじめまして、Mariaさん。
LDで少々ディスレキシア+アスペぎみのJJといいます。
文章理解能力や文章を書く能力が弱いタイプなのですが
テクニカル・ライティングというものに少し興味を引かれました。
直接的に伺ってもよろしいのでしたら
出来ましたらもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。
ストレートな説明だと助かります。
絵で考える方なので長文ですと文章を絵に変換するのに時間がかかり
文章自体が固まりに見えてしまいますので長文の場合は行間をあけて
いただければ助かります。
文章でも言葉でも思っていること、考えていることが
うまく伝わらないようなので・・・
勉強不足で申し訳ありませんがご面倒でしたら無視してください。
私は新参者なので
>私はずっとここで数少ない健常者として書き込みしてきました。
このへんの経緯は実の所よくはわからないのですが、他人に向けられた文字情報だったので、なんとか
>普通の人はこう思う。こう反応する。ということをしらしめたいのですね。
これは読み違えないで済みました。
しかしながら、音声で会話中に自分に向けられた言葉でしたら、「自分の母親が同じような反応をするのをくり返し見てきているので、非自閉人にありがちな反応であることは百も承知だ。しかし、それがどうした。それは俺には理解できないために、ただの嫌な言葉としてしか聞こえないものだぞ。」くらい言い返したかもしれません。(実際には即座に言語化するのは無理なので、さっと言い返すことはできませんが。)
さて、どうしてそう感じざるをえないのかちょっと説明させて下さい。
生まれつき他人と共感しあうようにできている非自閉人同士なら以心伝心、教えなくても「常識」を身に付け、その人の所属する社会の要求事項を直感的に感じて行動することができますが、自閉系の人間の頭には非自閉人と共感できる回路が付いていません。
この違いは、「非自閉人には十分通じる説明が、自閉人にはさっぱり通じない」という差になって表れます。(ここで生じているのは、そういう類のディスコミニュケーションです。)
言い換えます。
自閉人が人間社会に適応するには、「火星の人類学者」(という本があります。)のように、つまり、異星人が地球人を研究するように、ヒトの世界のことを学んでいくしか方法がないのです。
自力で「人類学者」をやれる超高機能の自閉人か、既にどこかで「人類学」の知識を仕入れた自閉人でもない限り、文化的背景まで論理的に解説してもらわないと、相手(ここではシンタロウ君の母親)の言葉が善意から出ていることを理解することはできません。(なお、仮に理解できたとしても、共感できるかどうかはまた別です。)
ですから、可能であるならば、どういう思考の流れから、「役に立たない」という発言が生まれるのかとか、どのような結果が得られれば「愛情」が満たされたと思えるのか、とかいったあたりまで論理的に言語化し、立ち入って説明していただければ、
>御互いを理解しあう
ためのよりよい助けになるのではないかと思います。
シュッツさん wrote:
>いかがでしょうか。
えー、今回は大森総研スタッフが少々訳あって夏バテ気味なので、一回休み。議論の続きは次回以降の書込みで改めて行なうことにします。今回の提供はあたくしこと黒Mariaさんでございます。
本来ならば、シュッツさんの立場を含めて論点を整理し、それを分りやすい文章にまとめたものを、しかるべき適切なタイトルをつけ(『Re:お母さんの一言』というのはすでにして議論の内容を反映してないようです(←おやぢだ!おやぢぎゃぐだ!))シュッツさんに提示したのち、シュッツさん確認のうえで議論を進める、ということをしなければならないのですが、えー、個人的事情でダレております。シュッツさんごめんね。べつにシュッツさんが悪いわけじゃありません。
>Mr.Motoさん(Mr.と『さん』が重なってますか?)
べつに「さん」付けする必要はないと思います。「Mr.Moto」と呼び捨てでいいんじゃないでしょうか。敬語を使うことで侮蔑の意をそれとなく表わす、とかいった文章技法もございますので、そのあたりの表現の使い分けはシュッツさんの判断次第だとおもいます。
>例えば一つ目の例文について
>>「侮辱」したのはルーズベルトですか、伝えた人ですか。
>と尋ねたことにはもう一つ理由があって、私から見れば、伝えた人がルーズベ
>ルトを皮肉をもって「侮辱」していると受け取れるのです。
>だからわざわざこのように尋ねたのであり、同じ「伝えた人」に関して「侮辱」
>することと「怒り」を表すことの区別をつけるのは「難しい」と書いた訳です。
これは、「ルーズベルト大統領閣下が、『日本人は馬鹿だ』とおっしゃっていました」という文章に対するコメントなのですが、これに対しては、Motoちゃんが
>前者ははっきり日本人に対する侮辱である。でなければ皮肉であるが、それが
>皮肉だとしても後に続く文章を読まねば皮肉だということは分からない。した
>がって、これだけの文章なら、これは単なる侮辱以外の何物でもない。
というふうに、『伝えた人がルーズベルトを皮肉をもって「侮辱」している』可能性に言及しているのですね。で、ことの起こりは、『お母さんの一言』、No.7207、5 Sep 2001、by シンタロウ)の
>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、
>話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない、」と言って
>ました。
というのが、言いっぱなしに終わってしまっていて、この発言だけを見た第三者にとっては、単なる『アスペルガーの館の掲示板』に対する侮辱にしか見えないのではないだろーか、というところなのですね。
でまあ、たしかにこの『お母さんの一言』が、シンタロウさんがシンタロウさんのお母さんを皮肉をもって侮辱しているように読めなくもないのですが、Motoちゃんがそう読み取らず、「侮辱」と受取って、そのことに対して『Re: お母さんの一言』(No.7212、5 Sep 2001)において「あーそーかよそりゃよかったなそれがどうしたバカヤロウ、みたいな気分だが」と不快の念を表明することは言ってみればMotoちゃんの「自由」です。さらに、これに続く文章のほとんどはシンタロウさんに対する攻撃に費やされているわけではまったくなくて、シンタロウさんのお母さんの立場を代弁し、あるいは分析したものなわけですね。
で、ひま人さんが『Re: お母さんの一言』(No.7228、6 Sep 2001)において、『なぜ「バカヤロウ」なのでしょう?』と説明を求めたので、『Re: お母さんの一言』(No.7235、7 Sep 2001)において、シンタロウさんの発言が侮辱と受取られかねない理由を説明し、『「相手が不快になるような行動」を、「その責任を引き受けることなく遂行する」ことに対しておれは疑問を感じる。』と発言し、その文脈において「私はヌルい書込みが嫌いだ。」と発言したわけです。
……あーなんかあたしも疲れてきちゃったな。ビール飲みたいよう。しくしく。「これはビール、これはビール、これはビール」と呪文を唱えて麦茶を飲む私。
>そして次に、いくつもの可能性がある時にどのように対すればいいかという問題
>になります。
>私は「最も安全側」の態度をとればいいだろうと考えています。
まあ、まともな大人というのはなるべく人を傷つけたくないと思っているのよね。あたしですらそう思ってはいるわけなの。で、無神経に人を傷つけちゃう人もいっぱいいるし、そうではなくて人を傷つけることを承知の上で言うべきことを言うひともいます。あたしやMotoちゃんは後者の立場をとっているということ。「傷つけられたくない」という人は、あたしたちと議論はしないほうがいいです。
シンタロウさん wrote:
> 僕はベースをやってましたけど、バンドの練習の時ドラムとリズムが合わな
>くていつもヘマばかりしてました。そんなある日、僕や僕のバンドを嘲笑した
>他のバンドの人(彼もベース)がいろいろアドバイスしてくれました。そのおか
>げで、ライブはなんとか(ちょっとミスしちゃったけど)成功しました。あの時、
>アドバイスが無ければ爆笑の渦になってたかもしれなかったです。
>私には、ここから「しぶとい」というのが読み取れません。
高校の文化祭ということで、いくつかのバンドがお互いの練習が見えるところで一緒に練習をしていたのでしょう。そんな中で、他のバンドの人たちに嘲笑されても、相変わらずその人たちの前で(しかも、相変わらずしょっちゅうヘマをしながら)練習を続ける、というのは、相当な苦痛のはずなのね。だけどシンタロウさんは練習を放り出さなかった、というだけで、あたしは尊敬します。それはあたしだけではないと思うのね。だから、それを見かねた他のバンドのベースマンが助言をしてくれた。だけど、その人は自分や自分のバンドを嘲笑したバンドの人した。普通は素直に助言なんか受入れられないように思います。だけどシンタロウさんはその助言を受入れて、ライブをなんとか成功させました。これって、しぶといと思うけどなぁ。
だけど、シュッツさんが「読み取れない」というのなら、シュッツさんには読み取れなかったんでしょう。
Mr.Moto wrote in 『Re: お母さんの一言』(No.7254、7 Sep 2001):
> 音楽も文章も自己表現の一部であり、おれはその「表現」について問題にして
>いるのである。「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けと
>いいたい。うちのJoshyaに至っては心臓病持ちだから下手に走るとばったり倒れ
>て死ぬ。「どう結果を出すか」について論じるのは悪いことではあるまい。
>これはどういうことでしょうか。
>心臓を鍛えて、心臓病でも走って倒れない技術を磨くべきだということですか。
>鍛えたり磨いたりするのはいいですが、その目標が他人の基準に合わせた数値目
>標であるならば、不可能な目標を立てているとも言えるでしょう。
>私が「全力で」という言葉を使ったのは、他人(あるいは「世間一般」)の基準
>による絶対的な目標値ではなく、個人単位での相対的な目標によって鍛えるべき
>だ、という意味です。
>結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方
>が足りない」とみなすのはおかしいと言いたいのです。
文章というものは、精一杯書いたからって通じるものではないのですね。だいいち努力の過程なんか他人からは見えないんだから。Joshyaさんはいつもちんたらちんたら歩いている人ですが、それでも精一杯歩いているのですよ。だけど、「私は精一杯歩いているのですよ」といちいちアピールする訳にもいかないし、他の人の目から見てちんたらちんたら歩いているようにしか見えないのはどうしようもないことなわけです。
掲示板というものの性質上、シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立場の人の視点からのコメントも存在するのは仕方のないことです。コメントされたくなかったら書込まなきゃいいのね。だけどシンタロウさんは書込みました。で、シンタロウさんには自分の発言に対するコメントに対して反論する機会が与えられています。その意味で、メンバーはみんな平等。
それに、あたしやMotoちゃんが「精一杯」文章を書いていないと思ったら大間違い。あたしたちだって、シンタロウさんとまったく変わらない立場で発言しています。
そんなわけで、あたしもMotoちゃんも、シンタロウさんと同じ立場で発言していることには変わりはないのね。
でもって、シュッツさんは、
>ところでMr.Motoさんがどのような立場に立って発言しているのかが、今一つ
>読み取れません。
と書いていらっしゃるのだけれど、そこが今一つ読み取れないまま発言をしているから話が余計にややこしくなっているようにあたしには見えるのよ。
Motoちゃんは「シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立場の人の視点」から、シンタロウさんの書込みにコメントしています。だからといって、Motoちゃんがシンタロウさんの文章を好意的に受取る立場を否定していると単純に決めつけることはできないのですね。それは、「ありうべき立場」であり、そう見なされても仕方がないというのも事実です。で、シュッツさんの書込みを読むと、Motoちゃんに対する攻撃とMotoちゃんの発言に対する反論がごっちゃになっているように見えるのよ。で、Motoちゃんの「考え」を勝手に代弁して、それを一方的に非難しているように見えてしまうわけ。
>これはどういうことでしょうか。
>心臓を鍛えて、心臓病でも走って倒れない技術を磨くべきだということですか。
みたいなことを、Motoちゃんは言っていません。ですが、シュッツさんはそれに続けて
>鍛えたり磨いたりするのはいいですが、その目標が他人の基準に合わせた数値目
>標であるならば、不可能な目標を立てているとも言えるでしょう。
>私が「全力で」という言葉を使ったのは、他人(あるいは「世間一般」)の基準
>による絶対的な目標値ではなく、個人単位での相対的な目標によって鍛えるべき
>だ、という意味です。
>結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方
>が足りない」とみなすのはおかしいと言いたいのです。
と書いています。これを読むと、Motoちゃんが『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。だけど、Motoちゃんは、『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであるならば、結果から「鍛え方が足りない」とみなされることが往々にしてあり、それは場合によっては正当でもある』ということを言っているだけなの。
そんなわけでシュッツさん。意見を一度整理してはいただけませんか。
なお、Motoちゃんはもともと「心情的にはきわめて認めがたいものの、確かにありうべき立場」として論陣を張る「悪魔の代弁者」として鳴らしたひとです。あのひとの本音を分かったつもりになるのは、危険です。
(Maria)
くると wrote:
> なぜだか分かりませんが、ネット上でやりとりしている相手に女性だと
>思われていることが多いようです。しかも、まちがえるのはほとんどの場
>合、女性です。
>
> これって、なぜなんでしょう???不思議です。理由がわかる人は教え
>てください。では
そうだな・・・案外・・・君の尊敬している人は、男性よりも女性の方が多いって言うことはないだろうか?
またはかつては女性でないとなれない職業・・・例えば・・看護婦さんとか保母さんにあこがれたりとかはなかっただろうか?
あるいは、姉貴か妹がいるとか・・・小さいときの絵が電車など機械的な物よりも花園とか自然的な物であるとか・・・
> リタリンは中枢神経刺激薬ですが、少量服用することでADHDの症状を抑えることができます。また、麻酔作用があるはずのアルコールは、少量服用することで、心理的抑圧を解除してむしろ活動を活発化させます。
> 服用量と作用の間の関係は、決して直線的ではありません。
>
> つきなみな結論ですが、「薬は用法・用量を守って正しくお使いください」。
> ♪ぴんぽ〜ん。
>
> (Maria)
SSRIも比較的に安全な薬といわれていますが、効かないと思って用量を超えて飲んでしまうと、気持ちが悪くなったり・発熱したり、錯乱や妄想・幻覚が生じたり、協調運動障害・けいれんが起きるようです。
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