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Re: 「わかりやすさ」について 7688へのコメント
No.7697  Thu, 27 Sep 2001 23:41:55 +0900  Maria [この発言にコメントする]

大槻いつきさん wrote
>もうひとつたとえると、理系の人はよくわかると思うのですが、
>中学校の教科書・高校の教科書・大学の教科書では、「原子」ってものに
>全然違う説明をつけている。
>だから、高校で物理が得意だった人が大学はいって大混乱起こしたりする
>けど。
>中学高校では、正確さよりもわかりやすさを重視してるから、
>わかったつもりになってる人が大学で全然違うこと教えられて、わけわか
>んなくなる。
  『たとえが全然違うけど』(No.7691、27 Sep 2001)

 あたしたち理科系人間にとっては、「積み重ねのきかない理解は、ほんとうの理解ではない」という信念があります。
 あらゆる科学は、理解を積みかさねることで、進歩してきました。いままで「わかって」いたことが、「わからなくなる」ことはありません。
 もちろん、「従来の理論では説明しきれなかったことが、新しい理論では説明できるようになる」という形で理解が広がることはあります。あるいは、「自分のいままでの理解は、本当の理解といえただろうか?」といった形で、いきなり「わからなく」なることはあります。ですが、そのことによって、いままで「正しかった」ことが「間違った」ことになるうことは、ありません。せいぜい「不正確だった」「厳密ではなかった」「完全には正しくなかったが、間違っていたともいえない程度のものだった」程度のものでした。

 その意味で、小中学校で教えられることには、ウソが多かったように思います。「わかりやすい」説明を信じたために、後になってとんでもないことになる、という経験は、けっこう多かったりします。

 あたしが思うに、「間違ったこと」を教えること自体は悪くないのですよ。ただ、「間違ったこと」を「正しいこと」として教えることが悪いのだと思うんです。古代ギリシャ時代やヘレニズム文化、ローマ時代を経て中世に至り、近世を経て現代に至る。そうした、精神史・思想史・科学史の一部として、「昔の人はこんなふうに考えていたんだよ」と教えることは悪くないと思います。「天球」「黄道」「白道」「恒星」「惑星」なんていう言葉は、現代に生き残っている中世天文学の概念だし、星の名前には「アルゴル」「アルビレオ」「アルタイル」と「アル」がつく理由もアラビア天文学が天文学の主流だった時代の名残です。そうした歴史を踏まえ、次々と突きあたる矛盾がいかに解決されてきたか、ということを含めて教えることには、確かに意味があります。

 「とりあえず間に合うこと」と、「本当のこと」は別のことなのだというのは、はっきりさせておいたほうがいいと思うのですね。『君が代』や『日の丸』は、「とりあえず」のほうに分類されます。「『本当のこと』は、選挙権を持つようになる前に、自分で判断できるようになっておくように」と言い渡しておいたほうがいいんじゃないでしょうか。
 その意味で、教育には「押しつけ」ないし「とりあえずの便法」という、ダーティな部分が少なからず存在します。で、教師はそこから逃げてしまってはいけないと思います。

 さて。

 世の中には、「『理解』の積み重ねによっては決して到達できない、『本当にわかる』という境地がある」と主張する人がけっこうたくさんいます。いわゆる経験主義者なんていうのは、この類です。「人を殺したことのない人間には、この気持はわからない」とか言ったら、人を殺したことのない裁判官は殺人犯を裁けないことになってしまいます。ここまで極端ではないにせよ、子供に「あなたは親になったことがないからわからないのよ」と言う親は多かったりします。
 だけど、「あなたも大人になればわかるわよ」と言われたことは、大人になっても全然わかんなかったぞ。「それはあなたがまだ精神的に子供だからなのよ」と言われれば反論できないんだけどさ、だけど、あたしに言わせれば、こうした発言は、「とにかく、私がそう思うのだから、そうなのだ」といった、自己正当化でしかないように思うのですね。

 あたしは「経験の普遍性」というものを信じています。人生なんて、どんなに悲惨でどんなに苛酷であったにせよ、所詮は似たり寄ったりであって、本当に質的に違うことなんてない、と思います。思想信条に関していえば、「理解できない」というのは、単に「理解したくない」の言い換えにすぎません。あたしたちがテロリストや狂信者を怖れるのは、彼らが理解できないからではなくて、あたしたちもまた彼らと同じような境遇に身を置いていたら、同じようになっていたかもしれない、といった怖れがあるからです。
 だってさぁ、ライオンが人を喰ったって、「そういうもんだろうな」としか思わないですから。ライオンはライオンで、人間は人間。そもそも別のものだから、自分がライオンだったら人間くらい喰うだろうな、で納得しちゃいます(まあ、「人間としての尊厳」なんていうものはライオンには通じない、という意味での恐怖はありますけどね。これは快楽殺人者に対する恐怖に通じるものがあります。相手にとって自分は「ひとつの人生を背負った人間」ではなくて、単なる「人間という生物」あるいは「社会の一単位としての人間」でしかないという現実に対する恐怖です)。同じ普通の人間のすることだから、ナチズムもテロリズムも怖いんです。

 だから、「自閉症」というのは環境であって、「健常者」も「自閉症方面の人間」も、同じく「正常な人間」だと思うのですよ。「関係性というものが、直感的に把握できない」という境遇に、生まれながらに放り出された「正常な人間」が、自閉症方面の人間なんです。
 ですから、「関係性というものが、直感的に把握できない」という状況がどういうものかが理解できれば、「自閉症方面の人間」というのは「正常な感覚」の中で理解可能なのだと思います。だけど、「健常者」には、それを理解することへの怖れがあるのではないか、とあたしは思うのですね。それは、「自閉症」という、(非常に失礼な話ですが)「忌むべき世界」への通路を開くことに他ならないわけですから。

 だけどさぁ、「こっち側の世界」というのは、あたしにとっては居心地のいい世界なんですよね。少なくとも理性的に考えると、そう思う。理科系研究者の世界なんていうのは、まるで、人工的な「こっち側の世界」のように見えます。「あっち側の世界」って、正直言って疲れるんですよ。それは「健常者」の人も同じだと思うのね。

 実際問題として、日本という国は、根っこのところで「こっち側の世界」にとても近かったりします。だから、欧米人の中には「日本人」というところにアイデンティティを見出してしまうひとがときどきいるのね。こういうひとたちを、「こういうひとは、本来『日本人』だったのだ」と考えることには無理があります。ですから、あたしは自閉症というものが、人間としてのありかたの本来的な一つの形態である、と考えています。

 あたしたちには、たぶん人類という種の中でのひとつの役割が割り当てられているのですよ。「そんな、損な役回りはヤだ」という人もいるでしょうけどね。で、自分の子供にそうした役回りをさせたくない親だっていると思います。だけど、あたしはまずあたしの存在を認めるところから出発しました。その役を降りるにせよ、それはむりやり引きずりおろされるのではなく、みずからの判断で、あえてその役を降りて他の役についたほうがいいように思います。あるいは仕事ではいいけどプライベートじゃヤだとかね。

 ですが、こうしたあたしたちの生き方を認めたくない人というのが、少なからず存在します。そういう人たちに、「わからない」を言い訳にしてほしくない、とあたしは思っています。

 (Maria)


Re: ガーン!なんたることだ!今までの苦労が・・・(笑 7687へのコメント
No.7696  Thu, 27 Sep 2001 23:34:03 +0900  ウィローモス [この発言にコメントする]

名加野さん wrote:
>僕もMSゴシックにしたら直りました。
>そして、今までずれていなかった自分の書いた絵がずれました……

 IEは標準の設定が「MS Pゴシック」(プロポーショナルフォント)なので、どう
してもこういうことが起きてしまいますね。
 見る人の環境に依存しすぎるから、私はあまり絵文字が好きではありません。もちろん
使うなと言うつもりはありませんけど。


Re: ワ〜ぃ☆え〜〜ん・・・・わ〜〜〜い! 7686へのコメント
No.7695  Thu, 27 Sep 2001 23:21:59 +0900  ウィローモス [この発言にコメントする]

タレイヌさん wrote:
>うまくいきましたぁ―――――っ!!嬉しいですぅ。

 よかったですね。

 ちなみにエディタについては、絵文字をぱっと見たいだけなら、Windows標準の
「メモ帳」で十分ですよ。表示フォント切り替えもできますし。
 本格的にテキスト文書を編集するにはちょっと力不足ですけど。


質問(あなたが、「自分にはこれが足りない・・・」と思うものは何ですか?)
No.7693  Thu, 27 Sep 2001 21:24:13 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みなさんこんばんは。
 先日の午後NHKのラジオ放送で、街頭の人にある質問をしてそれに対するオピニオンをえるという番組をやっていました。それが「同じことをアスペの人たちに聞いたらどんな答が返ってくるのかな・・・」と思えるものだったので、みなさんにも同じことを尋ねてみようとおもいます。

あなたが、「自分には、これが足りない・・・」と思うものは何ですか?


たとえが全然違うけど 7685へのコメント
No.7691  Thu, 27 Sep 2001 19:16:40 +0900  大槻いつき [この発言にコメントする]

私なりに、Mr.Motoの発言を解釈したものです。
こういう行動ってかなり失礼なのかしら。


私にはたいそう仲のよい女性の友人がいるが、私は彼女に恋愛相談をしたことはない。
むしろ、他のことはろくすっぽ話さないけど、恋愛の話だけではおもいっきり盛り上がれる友人がいる。
仲のいいほうの友人は、21歳なのだけれども、男とつきあったことはあるのだけれども、
どうも恋愛をしたことがないみたいなのですな。
すくなくとも、私にとっての「恋愛」とは違う意味で恋愛を捉えている=恋愛感が違う。
おそらくこの人は、私が何をどう説明しても理解してくれない、むしろ説明すればするほど間違った方向の
イメージをふくらませて「わかったつもりになる」だろう。
だから、私は彼女の前では、「私は恋愛なんかしません」って顔をしている。
面と向かって、「私は恋愛してるけど、あんたにはそのことが理解できないだろう」なんて言えないから。
恋愛してない、というのは嘘だけれども、
彼女のイメージにある「恋愛感情」ってのは私は誰にも持ってないから、
この嘘をついていたほうが、彼女には私の状態がよくわかるだろう。

「嘘でしか言えない本当の事がある」 谷川俊太郎の詩より。
(一穂さん、鈴木輝昭の「ひみつ」ごぞんじですか?)


もうひとつたとえると、理系の人はよくわかると思うのですが、
中学校の教科書・高校の教科書・大学の教科書では、「原子」ってものに全然違う説明をつけている。
だから、高校で物理が得意だった人が大学はいって大混乱起こしたりするけど。
中学高校では、正確さよりもわかりやすさを重視してるから、
わかったつもりになってる人が大学で全然違うこと教えられて、わけわかんなくなる。



で、私は、Mr.Motoのスタンスは、
「省略するより、事実をひたすら正確に伝える。その説明でよくわからなかったとしても、
「わかったつもりになる」という間違いはふせげる」
というものなのだと解釈しています。
ある意味プログラマーっぽい発想かなぁ、と。
コンピュータは、どんなにややこしいプログラムでも、正確でさえあればコンパイルしてくれます。
でも、「わかったつもりになる」なんてことは絶対やりません。
いい意味でも、悪い意味でも。
Mr.Motoの発言が、ある意味で非常にわかりやすいというのは、コンピュータにとってのわかりやすさだとおもいます。

正直言って、私の場合Mr.Motoの発言は、「あーこれは正確な文章だな」と思いつつ、
知能程度がおいつかないため非常にわかりにくいです。

ちなみに、私個人は、こういうスタンスの決定は、
「なんのために伝えるか」によって変えるべきだと思っています。
教科書のたとえをつかえば、
中学では超!簡単な概要がわかりさえすればいい。
高校ではもうちょっと上のレベルが要求される。
大学以上では、実際に自分が研究などする際にまともに使える、厳密な知識が必要になる。
だから、中学高校ではごくごくわかりやすいけれど不正確な表現、
大学以上ではやたらややこしいけど正確な文章を使う。

ですから、自分の発言が「ある意味でわかりやすく、ある意味でわかりにくい」ってことを
本人が考慮した上で発言している限り、「あんたの発言はわかりにくい!」という批判は無意味ですよね。

ちなみに、失礼ながら私が以前Mr.Motoにくわえた批判は、
「Mr.Motoは、この掲示板のメンバー全員(ROMふくむ)が、Mr.Motoの発言を理解する能力があるという前提で
発言してるんじゃないか?」
と考えてのものでした。


さらについでですが。
上記の表現方法でも分かるでしょうが、私は、「正確に伝えるのが難しいこと」をとりあえず伝えたい場合、
たとえばなしを多用します。
そうすれば、相手は「雰囲気だけはわかる」かつ、
「自分が雰囲気しかわかってないことがわかる」可能性が高いと思うからです。


Re: 「わかりやすさ」について 7688へのコメント
No.7690  Thu, 27 Sep 2001 18:53:14 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

> これが取りようによっては非常に失礼な発言である、というところから話を始めようと思います。
    
はい。

> 「ほとんどの人は、『自分が知っていると思っている単語』を辞書で引かない」

どきっ。(ぐさっ!)・・・・・・・・あたりです・・・・。

> で、その「要注意語句」の代表が、「役不足」だったりするわけです。

えっ?タレイヌって、こういうところは、一般的で、大多数の人とおんなじだったんだぁ・・・

>役不足 →
> ×:力不足。役に対して力量が不足していること。
> ○:その人の力量に対して、不釣り合いに軽い役。

「力不足」というべきだったんですね。すみません、一穂さん。(そんなつもりじゃなかったんです…年中こんなこと言ってる気がしていますぅ。)いまの一穂さんにとっては、『解決中』のことだったのに、タレイヌは、『解決済み』での、お話しちゃってる気がしていたから。あらためて・・・
「力不足で、ごめんなさい。」

> ひとつひとつの「ことば」を見据えてゆく。そこから始めたいと思います。

はい。
知ってるつもりになって、使っていたので、相手を怒らせたこと、きっといっぱいあったと思います。この年になって、それを指摘してくださる人は、タレイヌの周りでは、もう居ません。Mariaさん!今後とも、ピシ、パシ、お願いいたします。
(・・・知ってるつもりで居るので、辞書に手が延びないんです、結局・・・)
  
      (タレイヌ)


Re: 家族とトラブル無く暮らすには? 7671へのコメント
No.7689  Thu, 27 Sep 2001 17:18:51 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

こうもり wrote:

> たあさんは経済的に下宿を続けることはできないんです

あれ???「〜ですか?」で終わらせたはずなのに、最後が消えてい
る…。どうも失礼しました〜。


Re: 「わかりやすさ」について 7572へのコメント
No.7688  Thu, 27 Sep 2001 16:27:40 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 えー、今回はKILROY氏に代わってあたしが担当します。

タレイヌさん wrote
>すみませんねぇ、タレイヌでは、役不足だったかも。
(『Re: しっとしっとぴっちゃん♪』(No.7657、26 Sep 2001))

 えー、タレイヌさんのこの発言、一見どうってことのない発言でもあり、あたしはタレイヌさんの人間性についてある程度の理解があると自負しているのでなんら問題のない発言でもあるのですが、これが取りようによっては非常に失礼な発言である、というところから話を始めようと思います。

 で、その前に、うちのJoshyaさんとKILROY氏の個人的な経験についてちょっとお話ししておくことにします。

 JoshyaさんとKILROY氏のふたりは、かれこれ十年ほども前に、「rStone-JE」というパーソナルコンピュータ向けの和英辞典プログラムを開発しました。で、このrStone-JEは、和英辞書引きツールとしては空前にして絶後と云われる「ダイレクト・プロダクション検索」機能を実現したプログラムだったのですね。

 「ダイレクト・プロダクション検索(直積検索)」(以下、「DP検索」)というのは何かというと、「ある文章に出てくる単語のすべてについて辞書を引く」という検索方式のことです。和文英訳ソフトではこのDP検索が必須ですが、和文英訳ソフトでは一行の日本語の文を英訳するのに三十秒なり一分なりかかってもそれほど問題がないのに対し、辞書引きとなると数十KBから数百KBの漢字かな混じりの文章をせいぜい数分で処理しなければなりません。そんなわけで、このDP検索に手を出すのは馬鹿のすること、というのが業界での常識でした。
 で、毎秒数十KBという「馬鹿っ速い」検索速度を実現したのが当時エー・アイ・テクノロジーという会社に勤務していた藤本裕之・KILROYの二人組であり、その文法的基礎である「総研文法」を独自に構築したのがJoshyaさんだったのですね。

 そんでもってこのrStone-JEというツールは、実に驚くべき事実(とかいってちょっと考えればわかるんだけど)をわれわれに知らしめました。つまり、

 「ほとんどの人は、『自分が知っていると思っている単語』を辞書で引かない」

ということです。
 そんなわけで、Joshyaさんは将来rStone-JEに「要注意語句のみ表示」オプションを付けるべきではなかろうか、と思いついたのですね。つまり、「かなり多くの人が、本当の意味とは別の意味で使っている言葉」をチェックするツールとしてrStone-JEを使おう、と考えたわけです。

 で、その「要注意語句」の代表が、「役不足」だったりするわけです。

役不足 →
 ×:力不足。役に対して力量が不足していること。
 ○:その人の力量に対して、不釣り合いに軽い役。

 他にも、こんな「要注意語句」があります。

おっとり刀 →
 ×:のんびりとした態度で、遅れてやって来ること。
 ○:取るものも取りあえず。腰に差すべき刀を、(大急ぎしたために、腰に差す間もなく)手でつかんでやって来るさま。(「押っ取り刀」と書く)

ヒステリー →
 ×:キーキーと金切り声を挙げる。ヒス。
 ○:意志と感覚・運動が乖離している状態。乖離症状。

 で、あたしたちにとって重要な語句として、こういうものがあります。

自閉症 →
 ×:ひっこみ思案。引きこもり。緘黙症。
 ○:関係性の把握が直感的に行えないことに起因する問題行動の総体的名称。

 「わかりやすさ」の基盤になるものとして「用語」というものがあります。で、「用語を理解していない」というのは割合に明確になりやすいのですね。ところが、「同じ用語を違った意味で使っている」場合には、話は相当にややこしくなります。
 
 さらに問題なのが、この「用語」の問題が、何らかの権威や立場と結びついた場合なのですね。
 たとえば「神」なんていう言葉は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教における場合と、日本の日常語では、別の意味になります。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の原理主義者にとっては日本の伝統的な宗教などというのは邪教以外の何物でもなく、「神」という言葉を使うだけでも冒涜であり大罪であると見なされます。『英語でいうゴッドやヘブライ語のヤハウェと日本語の「カミ」は違うものだ』と主張したとしても、少なくとも明治以来ゴッドやヤハウェの訳語として「神(かみ)」という言葉を使い続けてきた経緯がある以上、そうした反論を「単なる言い逃れ」であると拒絶される可能性はかなり高いように思います。
 あるいは「終止形」という言葉は、国語教育の世界と言語学の世界ではほとんど別の意味です。あたしなんかは「これは鉛筆です」の「です」やいわゆる未然形(「急ごう」など)や命令形(「立て」)なんかを(文を終止させるという意味で)「終止形」と呼びたいくらいに思っているのですが、中学校の教科書で「(体言+「です」の省略に基づく)連体形の終止用法」を「終止形」という言葉を使っている以上、それ以外の用法で「終止形」という言葉を使うと、「常識を身につけていない」ということで、議論すること自体を拒否されてしまう場合があります(実際に、学会などでそうしたことが行なわれるのを目にしたことがあります)。

 つまり、ある言葉がある形で定義されることで、それが「権威」として機能し、単なる「言葉の定義」に終わらずに、「事実」として一人歩きをはじめてしまうことがあるわけです。たとえば「中国四千年の歴史」とか「平和憲法」とか「民主主義」とかね。「漢字」という同じ文字を使い続けてきたというだけで、「中国」は単一の国家でも単一の文化圏でもないし、理念だけでは戦争は回避できないし、「少数意見の尊重」が民主主義の要(かなめ)であって、「なんでもかんでも多数決」なんていうのは民主主義でもなんでもありません。だけど、そうした言葉に異義を唱えることができなくなってしまうんですね。

 あたしはまず、「ことば」(概念を表わし、信念を托すものとしてのコトバ)としての「用語」を大事にしたいと思います。それは、「ものごとの本質を問いなおす」努力を怠らないことだと思います。あたしは、薄っぺらな「お題目」に踊らされているような馬鹿にはなりたくありません(そうです。あたしは公明党と創価学会と池田大作が嫌いです。日蓮上人についてはまた別の評価があるのですが)。

 ひとつひとつの「ことば」を見据えてゆく。そこから始めたいと思います。

 (Maria)


ガーン!なんたることだ!今までの苦労が・・・(笑 7686へのコメント
No.7687  Thu, 27 Sep 2001 14:50:32 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 ウィローモス さん ありがとうございます。

僕もMSゴシックにしたら直りました。
そして、今までずれていなかった自分の書いた絵がずれました……

 ちょっと悲しき事かな……。

    ○ ○
    │○│<スーパーマン……蟹股だし似てない(悲 
    −T−
    _│_
    │ │
    ○ ○


Re: ワ〜ぃ☆え〜〜ん・・・・わ〜〜〜い! 7683へのコメント
No.7686  Thu, 27 Sep 2001 10:38:28 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

ウィローモス さん、Motoさん、

うまくいきましたぁ―――――っ!!嬉しいですぅ。

今朝、初めにMotoさんのを、よんで、初めて、プリントアウトに、挑戦!!
今日、本屋さんに、いってぇ…とか考えながら。

一穂さんに、お返事書いて(Motoさん見ちゃダメ)投稿したら、ウィローモスさんのがあって、これも、プリントアウトして(そうしないと、覚えていらんない頭なの)まず、今、ここに、座ったままで、できることからやってみるべ…と思ってやりました。

本当に、本当に、皆さん、手取り、足取り、すみません。(おーぃおぃ・・・感涙!)

でもぉ、武田さんの、図が・・・。でも、これも、お教えいただいた、設定を変えると、大丈夫なんでしょうね、きっと。(後で、頑張ってみます。これから、出かけますので・・・)

  有難うございました、皆皆々様。
  (タレイヌ)


生き方について 7681へのコメント
No.7685  Thu, 27 Sep 2001 10:22:18 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

一穂ちゃん wrote:
>でも、出し惜しみ(といっていいかわかんないけど)したくなる気持ち
>もわかる。いっぺんには見せないよ、ってゆうところ。
>豊富な知識はMotoさんたちにとって宝物みたいなものだと思うし、
>それに、知識だけじゃない、ここで書いてることは。自分のオリジナ
>ルな考えを、豊富な知識をもとに書いてるんだと思う。
>だからこそ、全部を見せるのには抵抗があるんじゃないのかな、って
>ゆう気がする。(ちがってたらごめんね)

 毎度毎度わかりにくい発言をしておって申し訳ないと(は)思っている。とはいえ一穂ちゃんが考えているのとは、ちと違うように思うのだ。

 厳密にいうとおれはスポークスマン(代弁者)であって研究者ではないのだが、メンタリティ(心性)としては他のメンバーと同じく研究者である。で、研究者にとっては「成果」が大事なのであるが、おれとしては「研究者にとってはあたりまえのことなのだが、一般の人にはなかなか理解してもらえないこと」にこだわっているのだ。

 研究者というのは問題解決のプロである。例えて言うなら推理小説における探偵だ。したがって、「真相」をつきとめ、「犯人」を上げることが最大の目標になる。
 ところが、推理小説の読者にとっていちばん大事なのは、「謎」そのものの魅力であり、謎解きのプロセスである。
 研究者はその「謎」そのものの魅力や謎解きのプロセスに淫してはならない。あくまで「真相解明」に全力を投じるべきである。そして、そういった研究者の「真相解明に対する徹底したプロ意識」があってこそ、その鑑賞者は「謎」そのものの魅力、謎解きのプロセスを楽しめるのである。
 研究者は「探偵」と「読者」の両方の立場で研究にかかわっているのだが、研究の過程においては「読者」としての楽しみを自ら禁じている部分がある。で、おれは「研究」には首を突っ込まない人間の立場から、研究者を代弁しているのである。

 結論だけを与えてしまうのは、推理小説の犯人をいきなり教えてしまうことに等しい、とおれは思うのだ。読者にあっては、まずその「謎」を十分に観賞していただきたいのである。

 でまあ、これ以外にも「わかりにくさ」の原因となる点はあったりするのだ。

>Motoさんが大事にしているのは、伝わる(伝える)ということより
>も、別のことなんだろうな。
>正確にあらわすこととか、う〜と、え〜と。
>ナンダロウ。
>はっきりとはわからないけど、自分のルールに忠実なのかな。
>自分のキマリゴトがあるってかんじかなぁ。
>自閉症特有のこだわりがきっと、Motoさんたちの場合、ことばに強
>くでているのかなぁ・・・。

 電算業界には「他人のプログラムはまずケナせ」という心得がある。否定的な態度で相手の考え方に没入するというのは、その問題に深くかかわる場合においてかなり有効な手段である。福沢諭吉の『福翁自伝』に、福沢が適塾にいたころ塾生が議論をしていると、「ナニ、そんな馬鹿なことがあるものか」と割って入り、それからなにを議論しているのか聞く、というのを常としていたといったことが書いてあったように思う。
 そんなわけで私にとっては論敵こそが友なのだ。イエス・キリストが論敵であるパリサイ派を隣人とも友とも思っていた、とわれわれが信じるのもこうした思想が根っこにあるからなのだ。「論(あげつら)わず」「言挙(ことあ)げせず」といった「日本的美風」というものを、おれはとりあえず否定する立場に立つ。他のメンバーはそうではないのだがね。

 ところが、こういう立場を取ると、しばしば喧嘩腰で向かってくる奴がおり、結果として議論がディベートに流れる。これがいかん。ただ勝ち負けにこだわってはならんのである。揚げ足取りに終始せず、枝葉末節にひっかからず、本質に鋭く斬りこんできてもらわねば、豊かなディスカッションには発展しない。すなわち発見が生まれないのである。

 そんな訳でディベートに流すまい流すまいとして「こういうつまらん部分に余計なツッコミを入れて議論を冷やすな」みたいなアピールをするのだが、がっぷり四つの横綱相撲では勝ち目がないとみてこちゃこちゃとまぎれの多い手を打ってくる奴が多いから困り物なのである。

 わからんものをズバリ「わからん!」とぶつけてくるひとばかりなら、こっちもどれだけ楽だろうと思う。「お前が気に入らん」という憎悪を隠して、あるいは自分自身が気づいておらず、「わからない」と言いながら絡んでくる奴がいなければ、おれだってもうちょい素直かつ温厚な人間に(たぶん)なれるのだ。

>えっとね、
>「くまのプーさんののんびりタオ」

 たぶん、かつて『タオのプーさん』という書名で出版されていた本ではあるまいか。『踊る物理学者たち』なんていう本と、たしか同時期に出版された本のように記憶している。Mariaが原書のタイトルを見て「ぎゃはははは」と笑っていたのを覚えている。

 タオイズム(道教)についてはいろいろと思うところがあるのだが、超俗や隠遁という方面に向かってはいかんと思っているので、「俗世と向き合いながら道を実践する」ことの難しさと格闘する毎日である。

 そんなわけで最近の(タオイズム関連の)愛読書は山本貴嗣(やまもと・あつじ)『セイバーキャッツ』(全五巻、角川書店ニュータイプ100%コミックス)だったりする。
 「『戈(ほこ)を止(や)む』と書いて『武』」なのだそうだ。私は武士であり武人でありたいと思う。

 (Mr.Moto)


Re: しっとしっとぴっちゃん♪ 7663へのコメント
No.7684  Thu, 27 Sep 2001 10:05:05 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

一穂(いちほ)さん wrote:


>でも、どうしても、この感情はどこからきているものなのかって、分析してしまうの(^-^;

それは,やはり『独占欲』が,発生源でしょう。対象者(この場合、彼)が,見てる世界の,一部始終を、見知っていたい!できれば,どう感じているのか・・までも、共有したい!と願うからでは、ないでしょうか。

>でも、理屈じゃない!ってゆう考え方もあるのね・・・。

理屈じゃないのは、『葛藤がおきること』を、さしています。わかりにくくてごめんなさい。


>どうゆうふうに役に立つんですか?

ちょっとだけ、書いてみようかしら・・・
子供をはさんで、父・母、ジジ・ババの、三角関係が、発生。
兄弟を「公平」に育てるという事の裏には、それぞれに起きる「嫉妬」に、どう配慮するのかが、含まれている。
子供が、集団生活に入ると、よその子との比較が始まる。(要らんことで、嫉妬したり嫉妬されたりもある)
子供が結婚するあたりが、一番複雑なのかもしれません。(ここまでは、タレイヌいまだ未経験です)
・・・と、言うような場面で、役立つかも?と、おもったのです。

子が親から自立していくのは、わりと自然な事だと思いますが、産んだ時から何年間かを、その子の、いわば、一部始終を見ることを許される=強要される(?)親の立場から、対等な人間関係にまで“育てる”立場に、移行していくためには、どうしても親側は「葛藤」無しではすみません。このとき、「嫉妬」を、コントロールするのに似た『力』がとても役に立つといいたかったのでした。

 ぅ〜〜ん、やっぱ、ずれてっかなぁ?…役不足だわ。



>でも、削除することってできるのかな?

少なくとも、タレイヌには、そう見えることが、あります。

>削除というか、無意識下に抑圧しちゃうってことかな?

まぁ、そういう事だと思います。

>それってよくないのよね。

それしかできない場合というのも、結構あると思います。もしできなければ、『葛藤』するしかありませんから。

>わたし自身がもっと広がれば、きっともっとラクになるんですよね。

楽になれるかどうか、保障はできませんが、多角的な視点がもてれば自分の今居る地点を、割り出せるので、不必要に揺らがないですむようになれるかもしれませんね。

>・・・・広がりたいなぁ〜〜〜!

広がれます、広がれます。大丈夫!!
名加野さんへのレスで、結構、自己分析してたみたいだし。


それから・・・(これは、Motoさんには、内緒なんだけどさぁ)
あのさ、発言の、削除の仕方、そっと、教えてくれる?そう、これの前にあるでしょ。<ここから言い訳>昨日、○時間もかけて、レス書いていたら、子供等が、次々登場して、PC日貸せ貸せって言うの。今までも、カキコ途中で何度も譲って、アー――――っという間に、消された…アーァ。昨日は、気にした子が、コピーしといたよって。だから続き書いて、投稿したら、それも確認させてくれないまま、また、PC取られた。今朝見てびっくり。ごめんなさいね。…ので、よろしく…くれぐれも、内密に。(シー―っ!)

  (タレイヌ)


Re: ワ〜ぃ☆え〜〜ん・・・・ 7669へのコメント
No.7683  Thu, 27 Sep 2001 09:47:58 +0900  ウィローモス [この発言にコメントする]

タレイヌさん wrote:

>Motoさんの図は、大きなくずれはありませんが(後略)

 タレイヌさんは、ブラウザにInternet Explorerを使っていますか?
 だとしたら、メニューの「ツール(T)→インターネットオプション(O)...」で、インター
ネットオプション画面を開いてみてください。
 それから、全般タブのフォント(N)...ボタンでフォント画面を開いてみてください。

 ここで、Webページフォント(W)の設定が「MS Pゴシック」になっていたら、「MS
ゴシック」に変えてみてください。
 たぶん、これでうまく表示できるだろうと思います

 ただし、今度は逆に「MS Pゴシック」を前提とした絵文字が崩れてしまいます。
 絵文字が崩れてしまうときは、ここの設定を適宜変えてみましょう。


鎧のこと
No.7682  Thu, 27 Sep 2001 04:53:52 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

わたしが下のカキコで書いた鎧のことなんだけどね、
重いから脱げる場所がほしいって書いた。
でも、必ずしも、脱ぐことばっかりがいいこととは限らないと思うの。
鎧がそのひとにとって必要なときもあるかもしれないから。


・・・
人間社会って弱肉強食で野蛮で卑劣なところがある。
もちろん心やさしいひともいるけど、
やさしいひとばかりではないことはたしかだと思う。
わたしたちがいっしょうけんめい作って身に付けたオンボロな鎧をあざけったりするひともいる。
鎧を身につければ身につけるほど・・・
あざけるひと、つつくひと、そして羨ましがるひと、鎧をほめるひと。
・・・

だからどんどん武装して
よりすきのないように、って
それはちがうと思う。
でも、無防備がいいか、というとそうじゃない。

鎧じゃなくて
器(うつわ)を強くしたいな。
器を大きくしたい。

自分ってゆう素材でできた器。

・・・・

みんなちがう色。
みんなちがう形。
おもしろいね。

・・・・

アスペルガーな器たち
実用的ではないかもしれないけれど、魅力的。


わたしはここの掲示板がとてもすきです。

みんなのカキコを読むのを、楽しみにしてます。


Re: 私のカキコへレスくれた方へ 7656へのコメント
No.7681  Thu, 27 Sep 2001 04:10:04 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]
Mr.Moto wrote:
> ここ数日マシンを離れて生活していた。こんなこともある。
>
> で、本題。
>

Makichan wrote:
>> で、どこがどう難しいかと指摘できれば良いのですが、うーん
>それすら
>>難しいんですよ。一穂さんがカキコNo.7593でおっしゃるよう
>に、元か
>>ら喰い違ってる、言葉を発してるところが違うのかもしれませ
>ん。 
>
> そうなのだ。そこんとこが問題なのだ。その意味でMakichanの
>発言は貴重である。

わかりにくい、とか理解しにくい、というよりも、
文章が読みづらいと言ったほうが、いいかもしらん。

たしかに書いてある内容が難しいな、
わかんないなって思うときもあるけど、
ここで言ってるのはどちらかというと、内容が理解しにくいというよ
りも、文章が見づらい、読みづらいってことなのでは。

内容がわかりにくいときは、質問すればちゃんと教えてくれる、そこ
がMotoさんたちのいいところだとわたしは思ってる。
段階を経て理解していくプロセスみたいなもの、そういったやりとり
を楽しめるのもこの掲示板のいいところ、だと思う。
でも、出し惜しみ(といっていいかわかんないけど)したくなる気持ち
もわかる。いっぺんには見せないよ、ってゆうところ。
豊富な知識はMotoさんたちにとって宝物みたいなものだと思うし、
それに、知識だけじゃない、ここで書いてることは。自分のオリジナ
ルな考えを、豊富な知識をもとに書いてるんだと思う。
だからこそ、全部を見せるのには抵抗があるんじゃないのかな、って
ゆう気がする。(ちがってたらごめんね)
わたしの場合、絵を描くときそうだったから。
わかるひとにだけわかればいい、てゆうふうに考えて、わざとくずし
てわかりにくいようにしたりした。


はなしはかわるけど
>Makichan wrote:
>> 1:Mariaさんにひどいこと言い過ぎてしまったという痛恨の
>念。
>Mr.Moto  wrote:
> 我々は正直な気持を吐露されて怒るほど安い人間ではない。むし
>ろ「ああ、我々はそんなふうに見られていたのか」みたいにちょっ
>と哀しくなってしまうタイプである。「ひどいこと言い過ぎ」たと
>かいった配慮は無用に願いたい。

たとえばこれ、わたしだったら、
「ひどいこと言い過ぎた、なんて、そんなことないよ。たしかに、
ちょっと哀しくなったりもしたけど…。でも、それがMaikichanの
正直な気持ちだったんだから、気にすることないんだよ。」
って、書くのかなぁ。
いや、むしろ、
「正直言うとショックだった・・・。でも、言ってくれてありがと
う。今のわたしにはうけとめきれない部分もあるけど、Makichanの
正直な気持ちだってゆうことはわかりました。」
ってなかんじかしらん?
でも、実際自分が当事者だったら、感情と理性がせめぎ合ってしまう
から、なんて言っていいかわかんないかも。

ただ言えることは
わたしの場合は、"わかりやすさ"よりも、
"伝わるかどうか"の方が大事だと思ってるのかもしれないなぁ〜って
こと。
(あくまでもわたしの場合です。それが正しいと言いたいのではない
です。)
わたしなりに、相手の気持ちを考えて書くこと。かな。
(あくまでも、わたしなりに。です。考えて書いても、ちがってる場
合もあるけど、届いたときってちゃんと手応えあるから、うれしい)


・・・
Motoさんが大事にしているのは、伝わる(伝える)ということより
も、別のことなんだろうな。
正確にあらわすこととか、う〜と、え〜と。
ナンダロウ。
はっきりとはわからないけど、自分のルールに忠実なのかな。
自分のキマリゴトがあるってかんじかなぁ。
自閉症特有のこだわりがきっと、Motoさんたちの場合、ことばに強
くでているのかなぁ・・・。
それが気になるひとは気になるのかも。
(わたしもこどものころはそうゆうのがいろいろあった。ひとりよが
りって言われた。)

Motoさんは、わたしから見ると、とってもシャイなひとなのか
な〜、って印象。
本当はいいひとなのに、損しちゃうタイプなのかしらん。
わざわざ理解されにくいようにしているというのか・・・。
憎まれキャラ?みたいなことを言ってたけど、
絶対わるいひとには見えないし・・・。

わたしも、昔根が純粋だったから、
(おいおい今は不純なのか)、
揚げ足とられたりバカにされたりからかわれたり
そんなことしょっちゅうだった。
あとからそれに気付いて、悔しい思いをして。
弱い自分を守るための鎧が必要だと思ってしまう。

でも重たい鎧から、自由になれる場所がほしい。
弱い自分を見せてもだいじょうぶな場所。

わたしのままで
いられる場所。

・・・

・・・

えっとね、
「くまのプーさんののんびりタオ」

ってゆう本ね、
Motoさんたちにおすすめかもしれない。
いい本だから、みんなにおすすめなんだけど。
前、入院してたときに、学生時代の先輩からもらったの。
すごく気持ちがラクになる内容だった。

う〜んと、どうゆうことが書いてあるかっていうと
はちみつの壷のこととか、カトルストン・パイのことなんだけど
(??)
まぁ、ありのまま、わかりやすいのがいちばん!
みたいなかんじ?かな。
いや、ちょっとちがうかな・・・。
タオイズムの話なんだけど。
くまのプーさんと、そのまわりのキャラクターたちに
人間のタイプをあてはめて説明していたりしてわかりやすくて
そして挿絵(原作の方)がとってもかわいい♪

タオイズムについてわたしがちゃんと理解しているわけじゃないか
ら、上手に説明できなくてごめんなさい。
でも、ぜひ読んでほしいな。

わたしもまた読もうっと・・・・
しかしどこにあるのやら(^-^;
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