アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
わんこんこー♪
なんだか面白そうな話題だったので来ちゃいました。
いますいます!そういう人。
やたらと社交的なのに、「え〜海外旅行〜?ひとりでぇぇぇ?」とたまげた顔をする人。
その人の特徴は、
とても元気なくせに臆病で、注射針も風船もキライ、
エンヤの声も聖歌も「吸い込まれそう」だからキライ。
私なんかは、ホイホイ好きなところへ一人で出かけてしまうものだから
男からも女からも「変わってる」「度胸ある」といわれますが
よっぽどキミタチのほうがおかしいよ、と言いたいです。
人のことを「変わってる」という一般人のほうがよっぽど変わった人は多い。
というのが最近の持論です。
なんか、ついていけねぇーよなあ。
スナフキンも風来坊でしたが、言ってることは誰よりもまともで哲学的です。
私達もそんな存在?ならいいなぁー。
名加野 wrote:
こんにちわ!pekoです。
> 「無言の会話(テレパシー?念話?)」をやってみてはいかがでしょうか?
> 実際に自分の意思を相手に繋ぐように意識し、目と目を合わせるんです。
やはりこの手しかないですかね〜?以前 『加藤 諦三』さんの本にも
名加野さんがおっしゃるような事が書いてありました。
彼は、始めの頃は私の事をよく見つめてましたね、私はそれがとても恥ずかし かったので苦手だったのですが、本当は私の方が彼を見つめて挙げるべきなの では?って最近思っていたんです。今度逢ったらやってみますね!
> どうせ、言葉で出たとこで、自分の言いたい事が、その意味の言葉としては出て こないんですから。(*注:僕の場合です。)
ウ〜ン、それが、彼の特徴なんだってこのHPにお邪魔するようになってから
解ってきました。
私は、皆さんには本当に感謝しています。
> ただこれをやると、大変疲れるかもしれません。目をずっと見てそらさないよう にしないといけないからです。やり方は色々あるでしょうが、難しいですね。
出来る限りの事はやります!
> 自分にも出来てない事を人に勧めるのもどうかと思いましたが……まあ、一つの 意見です。
そんな事ないですよ。アドバイスして頂けるだけで本当に嬉しく思います。
> ただ、言葉だけでは通じない時が多いので。
確かにそれはありますね。 でも、そう言う事も全て含めて理解出来ればいいな 〜と思っています。 貴重なアドバイス、有難うございました。
Maria wrote:
>
> 以前にも書いたと思うのですが、自閉症方面の男性+そうでない女性の理想のカップルは、『サンダーバード』のレディ・ペネロープと執事のパーカーか、榛野なな恵さんの『Papa told me』のお父さんとちせちゃんです。どっちの路線でゆくかは彼氏のタイプによります。
>
この関係について、もう少し詳しく教えてもらえますか?
以前、彼が私と親しくなりはじめた頃に次のように話したことがあります。
「ツンとして近寄りがたく、まさか俺とこんなふうに親しく話しが出来る
人とは思ってもみなかった・・・」と。
別に私はツンとすましていたわけでもないのですが。
今になって考えると、その彼のイメージ通りの私とは、大いに違っていた為、
彼が幻滅してしまったのかも、と思ったりもしています。
手の届かない女性(本当はそんなことはちっともないのですが)と思っていた頃は
彼も必死で、自分らしさを隠してアプローチしていたのかな?と。
そうだとしたら、手の内全部見せてしまった私は(あなたがいないと生きていけない、云々)彼にとってもう魅力のない人間ということになるのかなあ?と。
大切な人と正直に向き合いたいと思っている私ですから、それは変えられないけど
彼が望む関係に戻れるなら、自分自身を変える必要があるのかしら・・・?
アスペについて最近聞いたばかりで、彼をそれにあてはめてしまったのは安直だったかも知れません。
こちらの愛情確認をいつもいつもはぐらかされるうちに、彼の心変わりを疑うようになった頃、アスペのことを聞いたもので、そのような病気?であれば、こちらが理解して接し方を考えなくては・・・と思ったものですから。
失礼なことを書いていたら、申し訳ありませんでした。
この前の日曜日私はIT講習に行ってきました。
「え、君はパソコンで長い文章が書けるのに、どうしてそんな講習なんていったの?」という人がいるかもしれませんが、「ここで自分がどれだけ覚えたのか確かめたい・・・」「まだ知らないことがあるに違いない!」と思ったので行ってみました。
その日はバイトというのファイルサイズの単位について、講師の先生がお話なさいました。
1バイトというのは文字だと半角一個分に相当するファイルサイズで、日本語の文字は2バイトだそうです。400字ずめの原稿用紙きっちりに入る原稿を、ワードに入力すると800バイトの文字情報ができたということになるそうです。
普通単位というと10進法で、キロは1000倍という意味ですが、このバイトは2進法で1024倍すなわち2^10倍で1キロバイトとなるそうです。
フロッピーディスクは1,38メガバイトのファイルサイズを持っているとのことですが、この中には、
メガバイト=1024*1024バイト=1048576バイト
原稿用紙=800バイト
より
1048576*1.38/800≒1808
から
原稿用紙1808枚分の文字情報が入るそうです。
良くある話しです。私には、過去にその人から傷を受けたことをその人に言っても、逆切れされるのは。。
虐待をしたオバからも、何回謝れば良いの!!ってこれって謝っていないよ。
でもどう捉えて良いのかわからなくて以前掲示板に書きました。
もう1つの例もそうだ。悪いと、その時だけ謝れば良いのだろうか?
あとは本人はそのことをけろっと忘れていて、もう関係ないよ。でも良いのかな。
あとは本人に傷が残って前に進めなくてもしょうがないのだろうか?
それではあんまりだとおもうのだが。
名加野さん wrote:
> るおう さん、レスします。
有難うございます。
> 多分相手は、最初から、
> 1、からかっていた。
> 2、るおうさんに、あまり好感がもてなかったから着て欲しくなかった。
> 3、その果物が嫌いだった。
>
> 等が考えられますが・・・
>
> 僕は、1か2だと思いましたが、聞いてる限りでは。
> それでは。
果物は沢山の種類があったので、多分1か2ですね。
それにそれほど、親しい人ではないのです、
礼儀ありというのはその人に対する言葉ですか?
私は一応食べ物を差し上げるときには誰にでもあげるというのは、最近の風潮では失礼だと知っていますが、、と一応エクスキューズしました。
からかわれるという概念がまだ、、イマイチわからないです。子供の時のからかいなら大体わかるのですが、、べろべろバーみたいなものですよね。それ。。
こうもりさん wrote:
>(1)他人の気持ちを理解する能力
心理学の基本テーゼ、というのがあって、「人間は自分の考えていることがわからない」のだそうです。
あたしは心理学の力を借りて「他人の気持を理解する能力」を身につけたのですが、そうすると「自己欺瞞による利己主義の正当化」というのまでいっしょに見えてしまいます。だから、自惚れの強い人には「あなたには人の気持がわからないのよ」と責められ、自己嫌悪の強いひとには、「そこまで世の中が見えちゃうと、生きてんのがツラくないですか?」と訊かれます。
>(2)愛着形成
よくわかりません。責任感は強いし、相手が困っているときは助けてあげたいと思いますが、相手が幸せなときは、逆にちょっかいを出したくない気持はあります。そのひと本来のありかた、というのを尊重する、というのが基本姿勢です。
とはいえ、デボラ・タネンさんという言語学者さんによれば、人間には「相手の意志を尊重する」「相手に干渉する」という相反する欲求があって、その二つの感情の間でいつも揺れ動いているのだそうです。で、あたしは人一倍おせっかいなのですが、それを抑制している、という部分があります。
だから、あんまり親しくない人には、「あの人は冷たい」と言われることが多く、親しくなると「余計なおせっかいはしないで」と怒られることが多いように思います。だから、仕事上のパートナーのように、役割分担がはっきりしていて、「『お切匙』が『お節介』にならないスタイル」を身につけると、うまくいくように思います。
あたしのような性格の人間は、ボーダーライン性格の人と関わるとひどい目に遭います。自立と依存の間で人間関係をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて、最後には人間関係をばっさりと切り捨てられる、ということになります。
アテンション・アディクト(注目依存)の人は、相手がいつでも自分のほうに意識を振り向けてくれないと我慢ができません。ですから、相手の干渉を求めます。ですが、それはあくまで自分の都合に合わせたもので、相手の気持ちは一切考慮されていません。「私のことを大事に思ってくれているのなら、こう考え、こう行動すべきだ」という自分のイメージから相手が逸脱することを許さないのです。そこから外れようとすると、「私のことはどうでもいいのですね? 私を愛していないのですね?」と相手を責めます。
そんなわけで、愛情とか恋とかいうのには、あんまり向いてないかもしれない、と思います。「同志」とか「戦友」みたいな関係が楽です。
>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
わかりません。医者や看護婦が苦しんでいる患者を前にして、治療そっちのけでわあわあ泣いていたりしたら困るし、消防官が要救助者と同じようにパニックを起こしていたら困ります。だけど、多くの人は、自分を助けてくれた人よりも、自分と一緒に泣いてくれた人のほうに感謝します。世知に長けているはずの会社の経営者でも、会社のために懸命に仕事をしてくれている従業員よりも、「それは大変ですねぇ」とかいってすり寄ってくる人間を信用し、高利の借金を背負わされたり融通手形をパクられたりします。
つまり、相手が望んでいる対人親和性以外に、「社会が要請する対人親和性」みたいなものが別にあって、その二つは必ずしも一致しないように思います。
>(4)他人に共感を示す技術
表情筋というのは、意志の力でコントロールすることが困難です。ですから、役者さんは「その役になりきる」ことで、表情による演技をします。こうした「役になりきる」ことを基本に置いた演技のスタイルを、スタニスラフスキー・システムと云うそうです(演劇には詳しくないので、間違っているかもしれませんが)。
詐欺師というのは、自分の嘘を信じています。そういう意味で、「他人に共感を示す技術」に長けていると言えるでしょう。「共感」もひょっとしたら「本物」と言えるかもしれません。ですが、その「共感」が、トータルな意味での人格から乖離しているわけです。
ぶっきらぼうというか、不器用というか、そういうタイプのひとがいます。そういう人は、「技術」が稚拙であるということで、かえってその誠実さがよく伝わってくる場合もあったりします。逆に器用すぎて詐欺師一歩手前、みたいな人がいて、そういった「器用さ」を「あざとい」と感じるために、相当に屈折した共感性の表現をする人がいます。「自分を悪く見せようとする」ひとといっていいでしょう。
素朴な感情を剥き出しにする人は、詐欺師か馬鹿のどっちかだと思ってまちがいないと思います。その人がそう信じているのは確かなのだけど、それを信じると痛い目を見るという意味で嘘よりも質(たち)が悪かったりします。
「田舎者」を自認しているひとは、おおむね「不器用」のほうに向かいますが、一人の人の中に、「不器用な田舎者」と「詐欺師一歩手前の三味線弾き」が同居していることもあります。
そんなわけで、「他人に共感を示す技術」もたしかに重要なのですが、「技術」「能力」と考えるだけでなく、「伝え方のスタイル」といったものも考慮したほうがいいと思います。
「あなたはあたしに自分を正直に出してくれない」とかいって「共感を示す」ことを強要しておいて、あとでこっぴどく裏切る(そのくせ本人は「あなたには失望させられたわ」とか言ってたりする)人もいたりするし。
東京人というのは、「共感を示す」ことに対して慎重というか遠慮ぶかいというか、一見「不器用」だったりします。だけど地方の人にとっての東京人のイメージは、どちらかといえば詐欺師のイメージ。腹の底では何を考えているか分からず、腹を割って話すことがなく、そのくせ調子良く上辺だけ他人に合わせる技術には長けている。ですが、東京人にとっては、これは都会擦(ず)れした田舎者のイメージです。このあたりのイメージのずれを、生粋の東京人だった夏目漱石はうまく描いています。
あたしは東京も好きだし東京人も好き。田舎も好きだし田舎のひとも好き。だけど、都会の田舎者は大っ嫌い。
久々の黒Mariaさんでございました。まる。
(Maria)
るおう さん、レスします。
多分相手は、最初から、
1、からかっていた。
2、るおうさんに、あまり好感がもてなかったから着て欲しくなかった。
3、その果物が嫌いだった。
等が考えられますが・・・
僕は、1か2だと思いましたが、聞いてる限りでは。
それでは。
こうもりさんwrote:
> ここで、診断・未診断を問わず、自身の共感性に困難を感じている人に質問
>です。上に挙げた(1)(2)(3)(4)の項目のうち、あなたが感じる共
>感性の困難は何でしょうか?当然のことながら、それ以外のお答えも大歓迎で
>す。
>(1)他人の気持ちを理解する能力
>(2)愛着形成
>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
>(4)他人に共感を示す技術
(1)〜(4)まで、全部苦手です。特に(3)が、一番困っています。なぜなら、他人に、感覚,気持ちの共有、を求められた時に何も答えられなくなるからです。必死で、共感を持とうとすると、頭の中が重たい感じがして、苦痛です。何も答えられなくて、恥をかくだけなのならいいのですが、頭の中が重たく苦しい感覚になるのが嫌なので、なるべく他人と一緒にいないようにしています。
「ごみあつかいするからごみなんだよ。(私は)もともとごみじゃない!」
今朝の私のせりふ。保護してるつもりで、親が人権侵害やってくれます。
私の朝日新聞の投稿の稿料、大金の3千円小為替が期限切れでほご。開封済みで手に入りました。
親の常識ではグローバル化による快楽追求のみ、正気。法律だの、余計なこと考えるのは気がおかしいんだそうです。
歪んだ思考に汚染されたくなくて人は障害に閉じこもると本にあったのが、いたく身につまされます。
グローバル化って要するに金持ちが効率よく貧乏人や自然をを搾取する体系でしょ。システム依存症。自然から離れて、離れた分余計な贅沢にふける。
"人のいのちより、”貸した金返せ”のほうが正しい。"
かんしゃくは自爆テロです。金持ちが優しいわけない、そんなものになりたくもない。遠い星へ帰りたい。
でも、心理的に養育してくれている猫達とは、別れたくない。
私は約50歳の、未成熟人です。
最近、ノンフィクション作家の最相葉月(さいしょう はづき)さんの
インタビュー記事を読んで、最相さんってAタイプかな?と感じ興味を
持ってしまいました。どなたか最相葉月さん著書で「これはお薦め」と
いう本をご存知の方、もしよかったら教えて下さい。
Maria wrote:
> 『このように、3次方程式の解法は16世紀に入ってようやく発見されたが、それ以前の12世紀には、ペルシアの数学者アルカイヤミによって、図による解法がすでに発見されている。史料によれば、アルカイヤミは詩人としても、天文学者としても有名で、なかなかの才人であったようである。』
>
> かつての中東は世界の中心だったんだけどな。イスラム文化、イスラム文明に対する敬意というのが、アメリカ人には、そしてアメリカ文明にどっぷり漬かっちゃった現代の日本人には、ちょっと欠けてんじゃないかと思う。
>
中世のころヨーロッパでは、アラブの国々よりも医療が遅れていた。例えばアラブの国々では、膿をもった腫れ物が脚にできてしまった場合、患部を温めた上で切開して膿をぬけば脚は元どうりよくなることが知られていた。一方ヨーロッパでは、「このままにしておくと毒が体じゅうに回ってしまう・・・」ということで、患者さんは脚を切断されてしまったという。
キリスト教的な硬直した中世の思想観を打ち破って、ルネッサンスが花開いたのも、ギリシャ・ローマ時代の学問がアラビアで受け継がれて・結晶化されていたおかげだったということだ。
天文や化学の用語でも、アラビア語からきているものがかなりの数ある。日本でおなじみの「織姫・彦星の西洋名「ベガ」「アルタイル」は、それぞれ「落ちる鷲」「上る鷲」という意味のアラビア語に由来しているし、アルカリ性の「アルカリ」も元をたどればアラビア語の「草木灰」という意味の言葉に行き当たるそうだ。
視力検査も初めてやったのはアラブ人で、北斗七星の絵の真ん中のイザルとアルコアという星からなる二重星が識別できれば、軍人として十分な視力があると認められたということである。
I wrote:
> 特に自閉症関係の男性は偏狭なプライドよりも実効性に根拠をもつプライドを
>重視する(つまり結果が重要でなのあって、結果を得る過程におけるプライドは
>平気で捨てることができる)
タレイヌさん wrote:
>コレは、自閉症関係の<男性>のみの、お話ですか?なんか、タレイヌ、<女性>
>も、ありかと、思ってみたり・・・・?
わかりません。そもそも自閉症方面の女性、というのが統計上とてもサンプルが少ないので、どうこう言えるほどの情報がないのです。
男性に限っていえば、つまらないプライドで仕事を台なしにしてしまう男性はとても多いです。で、うちのJoshyaさんはとてもプライドが高い人なので、「くれぐれも自重するように」みたいにクギを刺されることが多かったのでございます。ですが、そもそもJoshyaさんを含めた自閉症方面の男性というのは、自尊心のベクトルが別のほうを向いているように思います。
「韓信の股くぐり」なんていう言葉がありますが、技術者や研究者にとっては、「目的を果たせない」「結果が出せない」ことのほうが、あるいは技術者・研究者としての節を曲げるほうが、世間的な面子を失うことよりもよほど恥辱である、というところがあります。むしろ、そういった世間的なステータスのようなものに背を向ける、あるいは邪魔なものと考える傾向があります。
研究者とか技術者とかいうと、「身なりに構わない」という印象があります(これを俗に「ナード」といいます)。これは、研究者や技術者にファッションのセンスが欠けているとか、そうしたものに興味がないとか、そういうことではないように思います。パタゴニアとかベネトンとかいったカジュアル・ブランドにはけっこうこだわる人も多いし、腕時計や万年筆といった小物に対する凝りようは相当なものです(どっちも普段は使わない人が多いのですが、契約のときなんかにはちゃんとキメて出てきます)。ずいぶん昔の話ですが、ヴァリエというブランドのコマーシャルにエットーレ・ソットサス(オリベッティの「赤いバケツ」と呼ばれたタイプライターをデザインしたデザイナーです)率いるデザイングループ「メンフィス」のメンバーが出演していたのを、上級クラスのシステムエンジニアさんのほぼ全員がチェックしていたという話も聞いたことがあります。つまり、「一歩引いた」ファッションにこだわってるひとは、けっこう多いのですね。
女性でこういう形のこだわりを見せているひとというのは、とても少ないように思います。もっとも、培養と分析が好き、みたいな生物化学系の女性研究者なんかだと、こういうタイプはいそうに思います。化粧っ気のない美人で、さっぱりした男性的な性格で、やたら物持ちがよくて、着てるものはどっかしら繕ってあって、アンティークというより古道具が好きで、紅茶とかコーヒーとかをなんだか儀式のように淹れて背中を丸めてぬくぬくとおいしそうに飲んで、ジャムを煮たりするのが好き、というタイプ。
……ひょっとしたら、トーベ・ヤンソンさんとムーミンママに似ているのかな?
(Maria)
大槻いつき さんwrote:
>どういう状況で、メールのお相手と絶交になったのかはわからないんですが。
今状況を書きましたが、あまりにもくだらないのでそれはあとで削除をしたいとおもいます。別スレッドにしますね。
>論理が一貫していないというのは、
>
>相手の側で意見に変化があった、あるいは
>相手の中に自分でも整理しきれていない部分があった
>
>ということなのではないでしょうか。
そうでした。
>健常者は、自分の意見を変えるとき、よほど腹を割って話せる相手であっても
>「以前はこれこれこういう理由でああいう考えを持っていたが、
>現在はこういう理由やこういう価値観の変化により、こういうふうに考えが変わった」
>という話はあまりしないようです。
成るほど。
>私はそれで、とても混乱することがよくあるのですが。
>以前と矛盾する言動をとっていたら、「なんかよくわからんけど、今はこいつはそういう考えなんだな」
>と思うのが一般的らしい。
これは混乱します。
>また、相手の側で自分の考えの矛盾に気づいていないって場合は、指摘されると必要以上に腹が立つようです。
それがひどいとおもいます。
>そうして、歪んだ考えのままで自分を固定してしまう。
>器用な人は、直接指摘することは避けて、相手の気に触らない部分からやんわりと思考を軌道修正させている。
>健常者でも、そういう事が出来る人はまれですが。
>私には無理〜。
難しいテクニックです。
>ASって、あたかも学術的なことについて意見を戦わせるように、
>矛盾したところがあればそこをきっちりつく、指摘されて気がつけばすぐ自分の考えに再検討を行う、
>って形の会話がやりやすいですよね。
そうです!
>相手の考えに批判を加えたところで、それが相手の人格への批判にはならない。
>健常者はどうやら違うらしい……
>批判=人格の否定 と感じることがあるらしい。
そうですよね。
>私がそれに気づいたのが高校くらいかな。
賢明ですね。私なんて、最近です。といってもこの間も失敗でした。
>それ以来、人格を認められる相手にしか本音は口にしなくなった。
>相手の考えを認めてるから批判しないのではなく、
>「こいつは批判しても理解できないだろうな、逆ギレするだけだろうな」
>と、相手に対するあきらめがついた状態。
人格を見極めることが出来たら本当に良いのですが。
>>私はその人が、多分同じような種類の人だろうと思っていたので、きちんと
>>書いたら、もうメールは書きませんと、絶交をされた。
>>わからないから聞く。。それにマトモに答えないでカワサレタ時点で気がつけばよかったのでしょうけれど。。きちんと受け答えをしようとすると、ものすごく
>>角が、たち、、いつも絶交になります。
>
>るおうさんは、相手が「批判を理解できる人」だと思ったから、矛盾を指摘したということでしょうか。
そうです。
そして大抵の場合、相手の年零や感受性の様子にもよりますが、大抵は一応きちんと会話をすることを心掛けます。
私が会話をしなくなったとき、あきらめたときは、相手のことも諦めたときです。
今までずっと、人間というのは話せばわかるんだ。という幻想に取りつかれて生きてきたので、その人を嫌いになりたくない時にはお話しをするのです。
だから一般人が、私がこうですか?ああですか?と聞いたら直ぐに切れて、私との関係も簡単に切るのが、なんだか悲しいですね。私は相手を嫌いたくないから,聞くのに。そんな風に簡単にとまあそのメールの件でも思いましたが、人に相談してその人冷たいねとか、色々と判断をされる材料を頂かないと、その件について判断するのにものすごく時間がかかります。何ヶ月もです。私が悪いのか?と自問自答するのは、ACでもあるせいでしょう。
>その人とどういうご縁でメールをはじめられたかにもよるのでしょうが、
街で出会った人で、別に好き嫌い感情を私がもたない同業の人です。
>その人と今後もメールをつづけていれば、生産的な、本心から楽しいやりとりを出来ていたと思っていますか?
メールのやりとりはあまりなくて、実際にあったのも少しですが、同じ町にすんでいる同業なので、セッションなど楽しいことが出来たと思います。その人がそういう人だと知らなければ。
必ず人の嫌な部分を見てしまいます。
>るおうさんの対応がまずかったからではなく、所詮縁がなかった……と解釈されてはいかがでしょう。
そうですね。最近はそう思うようにしているのですが、
>「いつも絶交になる」のは、るおうさんのせいじゃない。
そう思いたいです、、、
本当は人あしらいが、上手く適当に出来たならば、違っていたのにといつもクヤシイです。他にも、全部、、そういう繋がりで、仕事に結びつく人達だったりするので。。こちらが、お互いに尊敬したい関係でいたいと思い、色々ときちんと話すと村八分になったりとかもしました。それまでは、ペットみたいな感じであしらわれていて、なんだかひえらるきーの一番下に位置している気がしていました、本業を披露する前の段階のつき合いで既に、そんな風に位置されてしまいました。
良く馬鹿にされるんですよね。そしてヒエラルキーの下に位置されます。
人間が出来ている人(信用できる人?どんな人か細かく書かないと単語がわかりません)となら、そうはなりません。
こうもりさん、こんにちは。
こうもりさん wrote:
> 共感とは
>(1)他人の気持ちを理解する能力
>(2)愛着形成
>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
> わたし自身はこれに
>(4)他人に共感を示す技術
>を加えて、共感と理解しています。
> そして、(2)(3)と(4)の関係はちょっと微妙です。
(中略)
> こうして考えていくと、発達障害の世界において「共感の欠如」というのが
>何を意味しているのかが分からなくなってきます。「共感をすること自体」に
>困難があるのか、「共感を示す技術」に困難があるのか、それとも両者が混同
>されているのか?
いつもながら、こうもりさんの文章は論点がすっきりとまとまっていて、思わず考えさせられます。
まだきちんと考えていないのに、レスしてしまうことをお許しください。
> ここで、診断・未診断を問わず、自身の共感性に困難を感じている人に質問
>です。上に挙げた(1)(2)(3)(4)の項目のうち、あなたが感じる共
>感性の困難は何でしょうか?当然のことながら、それ以外のお答えも大歓迎で
>す。
> わたしはここまで述べたように(2)(3)に困難を抱えています。
グレーゾーンと自ら規定(?)するわたしは、(1)(4)はOKです。あまり能力が高いとはいえませんが、日常的に問題はありません。
(2)は、わたし自身の根本がどこにあるのか分かっていないので、これからの検証が必要だと感じています。(3)に関しても同様かもしれないのですが、どこまでが共有でどこまでが幻想なのか(幻想というよりは、自己満足あるいは自分勝手な思い込みと言ったほうが正しいかも)線を引くこと自体がむずかしいという問題に直面しています。
中途半端ですみません。これから心療内科へ行きます。
SSRIの種類が合わなくて、体調不良になりました(苦笑) では、また。
Mariaさん wrote:
> 特に自閉症関係の男性は偏狭なプライドよりも実効性に根拠をもつプライドを重視する(つまり結果が重要でなのあって、結果を得る過程におけるプライドは平気で捨てることができる)
すみません、完全に、横レス。
コレは、自閉症関係の<男性>のみの、お話ですか?なんか、タレイヌ、<女性>も、ありかと、思ってみたり・・・・?
それから・・・・
pekoさ〜ん!タレイヌは、母で〜〜す。(アドレスは、ダンナの名前でぃっす、あしからずぅ。)
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