アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
I wrote:
> 今ではBCDなんか使ってない(と思う)ので、一般的なのは1バイト
>8ビットのバイトマシンです。あたしの趣味としては、1バイト64ビッ
>トのバイトマシンが理想なのですけどね。メモリの大容量化とブロード
>バンド通信の普及を考慮すると、これが趨勢なんじゃないかなぁ。
みどりさんwrote:
>Mariaちゃんは「1ワード」と言いたいのでは? あ、でも最近の1ワードは
>32bit が主流か。ごめんなさい、いまひとつ趣旨がわからない。
単語長 [word length]=ワード長
計算機が扱う情報の基本単位はビット(bit)であるが、処理の最少単位は、数ビットをひとまとめにした、バイト(byte)や語(word)をとるのが普通である。ビットが原子に相当するものとすれば、バイトや語は分子(molecule)に対応する。1バイトは3〜4ビットのことが多く、文字コード1個分を格納できる。1語のビット数は、16、32などの系統、36、60などの系統など、計算機ごとにまちまちであったが、最近は32ビットが一般的になっている。1語には、計算機が処理する通常の長さ(精度)の数を格納できる。
バイトを基本とした機械(バイトマシン:記憶部はバイトごとにアドレス付けする)は、記号処理に便利である。語を基本とした機械(ワードマシン:記憶部は語ごとにアドレス付けする)は、数値処理に便利である。ただし、最近は両者の特徴を兼ね備えた構成にしたものが多い。
bit編集部・編『bit単語帳』、共立出版
そんなわけで、バイトマシンでもデータバスの幅やアキュムレータのサイズはほとんどの場合ワード単位、ということになります。
文字コードはただ一文字一文字に一つのコードを割りあててゆけば32ビットあれば十分なのですが、たとえばの話、ヘブライ文字とアルファベットの間には規則的な対応というのが成り立つし、カタカナとひらがな、濁音や半濁音、「あ/ぁ」「つ/っ」といった差、「華」と「花」と簡字体(「化」の下に「十」を書きます)や異体字(「竜」と「龍」など)の関係を処理のしやすい形で表現しようと思うと、すぐに64ビットくらい使っちゃいます。
アドレスに使うにしたって、32ビットじゃ4Gです。いまどきのハードディスクはGB単位ですから、実メモリでもこのくらいの領域は張れてしまいます。そう考えると狭いといえば狭い。64ビットくらい欲しいです。
64ビットだと、BCDで十六桁。小数点以下四桁まで計算すればまず事足りるとして、残り十二桁というと、一兆円までは計算できるから、銀行のオンライン・システムでも組まない限り日常の計算には不自由しません。日付と時間でいえば、####年##月##日##時##分##秒##で十六桁。実際の内部表現(ユリウス日かなんか使うんだろーな)はもうちょっと短くなるだろうから、まあ、そこそこ間に合うかと。
32ビットって、「ワードに短しコードに長し」という感じなんですよね。64ビットだと、ワードだとちょっと物足りないけどコードには十分、という感じがあります。ワードが物足りないなら倍精度なりBIGNUMなり使えばいいわけだから、まあ、それでもいいかな、と。べつに1バイト32ビット、1ワード128ビットのバイトマシンでもいいんですけどね。
うーむ、『アスペルガーの館の掲示板』でなんの話をしておるやら。
(Maria)
こうもり wrote:
>みどりさん wrote:
>>>>(1)他人の気持ちを理解する能力
>>>>(2)愛着形成
>>>>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
>>>>(4)他人に共感を示す技術
>
>>(3) はわからん。だって(1)なしの人間に(3)の判断はできないぞ。
>
> これは微妙です。自閉症の研究者ウタ・フリス氏は(1)を「共感」、
>(3)を「同情」と区別しているんですよね〜。しかも、(3)は共感じ
>ゃないと言いきってしまっているし…。
二者を区別するのは問題ないのです。
私がいいたかったのは、他人の気持ちがわからないのに、「同じ感覚や気持ちを共有できているかどうか」の判断はつかないんじゃないか、ということです。
もしかしたらハタから判断してもらうことは可能かもしれませんが、自己診断はムリ、ということです。
ayaさん wrote:
>
>>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
>
> よくわからないです。(1)のように状況をしぼればできるかも。
自分の立場,経験,嗜好を捨てては、絶対に無理ですね。わたしは。
> ただ、この投稿を見てとても驚いたんですが、私は昔自分に欠けているもの
>として(4)の取得を目指しましたが、ほんとは(1)があんまりないんですよね。
でも、(1)がなければ、技術を適切に活用することは困難になります。ま
た、他人が自分をどう見ているかを意識しなければ、(4)を取得しようとす
る意志を持つことは困難になります。
だから、(4)を取得しようとした結果、(1)も身についていったのでは
ないでしょうか?
pocksさん wrote:
>(4)他人に共感を示す技術
>これは下手です。そもそもそのような必要があることすら診断前は知りません
>でした。
わたしは教育学的LDと判断される前から、この1点について異常なエネル
ギーを費やしていました。(3)対人親和性の困難がどうしようもなかったた
め、こうでもしなければ非自閉人の世界では生きていけなかったのです。
みどりさん wrote:
>>>(1)他人の気持ちを理解する能力
>>>(2)愛着形成
>>>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
>>>(4)他人に共感を示す技術
>(3) はわからん。だって(1)なしの人間に(3)の判断はできないぞ。
これは微妙です。自閉症の研究者ウタ・フリス氏は(1)を「共感」、
(3)を「同情」と区別しているんですよね〜。しかも、(3)は共感じ
ゃないと言いきってしまっているし…。
この辺りが共感性という言葉の混乱につながっているのかな、という気
がします。
検査の準備や仕事の雑務に追われ、十分なレスができないことをお許しくだ
さい。
Mariaさん wrote:
>>(4)他人に共感を示す技術
> 詐欺師というのは、自分の嘘を信じています。そういう意味で、「他人に共
>感を示す技術」に長けていると言えるでしょう。「共感」もひょっとしたら「
>本物」と言えるかもしれません。ですが、その「共感」が、トータルな意味で
>の人格から乖離しているわけです。
言うなれば、この乖離がわたしが今、苦戦している部分なんでしょう。わた
し自身、あと少し金銭欲が強ければ、詐欺師になっていたかもしれませんね。
ちなみに「技術」と言う言い方は、まさにわたしの共感との関わりかたを的
確に表現しています。14才の頃、級友から「お前が笑ったのを見たことがな
い」と言われて、しばらくの間、自分が面白くなくても周囲が笑っていたら笑
顔を見せるようにしていました。
その後も他人と気持ちや感覚を共有できることは希で、おせじや社交辞令な
んかも的確に使用したりすることができるようになりました。
相手に本当に共感していなくても、共感しているかのように偽装すること。
これが生きる上で身につけてしまった処世術でした。この処世術はできるだけ
捨てる方向で生きているんですけどね。
あさかぜさん wrote:
> グレーゾーンと自ら規定(?)するわたしは、(1)(4)はOKです。あ
>まり能力が高いとはいえませんが、日常的に問題はありません。
> (2)は、わたし自身の根本がどこにあるのか分かっていないので、これか
>らの検証が必要だと感じています。(3)に関しても同様かもしれないのです
>が、どこまでが共有でどこまでが幻想なのか(幻想というよりは、自己満足あ
>るいは自分勝手な思い込みと言ったほうが正しいかも)線を引くこと自体がむ
>ずかしいという問題に直面しています。
幻想の問題はわたしには逆の意味で深刻です。8割以上の事柄について、わ
たしと他人は同床異夢である場合が多いのです。ああ、悲しいかな…
Maria wrote:
> 今ではBCDなんか使ってない(と思う)ので、一般的なのは1バイト8ビットのバイトマシンです。あたしの趣味としては、1バイト64ビットのバイトマシンが理想なのですけどね。メモリの大容量化とブロードバンド通信の普及を考慮すると、これが趨勢なんじゃないかなぁ。
Mariaちゃんは「1ワード」と言いたいのでは? あ、でも最近の1ワードは32bit が主流か。ごめんなさい、いまひとつ趣旨がわからない。
> だけど、VRAMはどうするんだろ。各色十六ビット階調で色信号と輝度信号分離、とかするのかな。うーむ。
unified 構成でない場合、普通 vram はテキストデータを扱わないので、そこは全然違うバイト構成でも問題ないと思います。
unified の場合や、逆にCPUが直接VRAMデータを扱うような場合でも、最近は CPU とメモリの間にはいろいろ入る (キャッシュとか、もっと動的にデータを再構成するやつとか) のが普通なので、そこもあまり気にしなくていいのではないでしょうか。
Maria wrote:
> 自閉症やADHDに関していえば、統計上有意な偏りがあり、なおかつ発症のメカニズムにかかわっていそうだ、というので意味があるのですが、「どうして科学者や政治家に女性が少ないのか」みたいな議論が出てくることに関しては、ナンセンスだなぁ、と思います。
う〜ん、自閉症者の性格 (行動) について話しているときに性別が出てくるのは、後者に入る部分ですよね。
発症のしくみについて話しているなら、まあわかるし、もしも男性の自閉症と女性の自閉症では仕組みが違うなんて可能性があるなら、まあわからなくもないです。でもいまのところはそうではない。
それに、統計上の有意な偏りなんて、いくらでも出ます。たとえば収入と自閉症の有無で統計取ってみたらどうでしょうか (両極に分かれるかも?)。「自閉症の男性の場合は」の「男性」に意味がある場合はあまりありませんが、それより「経済的に自立できる収入のある自閉症者の場合は」の方が、多くの場合はよっぽど意味のある区分になりそうです。
> なぜ生物化学系なのか、というのをつらつら考えてみるに、「居心地のいい場所(cozy corner)」を作りやすいからではないかな、と思います。あとは一人で運営できるような小さな図書館の司書さんとか、小さな博物館のキュレーター(curator。館長とか主事とかでしょうか。「学芸員」というと、ちょっと違うかも)とかのような気がします。女性は書斎を作るのが難しいので、意外に家の中に「自分の場所」というべき場所がありません。
しまった、除外項目がもうひとつ、私は生物化学系ではなかった… 化学は大好きだったけど、手を濡らすのが苦手なので、洗い物を伴う実験のある化学系には進めませんでした。電算系なら、せいぜいハンダゴテでやけどするくらいですむ。それに生来の不器用さを考えると、高校や大学の必修の化学実験が失敗続きだったのも今では納得ですが。(そして失敗してやりなおすと、洗い物がどんどん増えていく……)
書斎は一部屋では足らず、長時間自分の場所が必要だったので、一人暮らしをしました。
> こういうことを断定的に言ってしまうと「論理が飛躍している」と言われてしまうのですが、あたしはこうした傾向を「ロマン主義の弊害」だと思っています。
それはなんとなくわかります。ディズニーが取り上げる古典おとぎ話なんかもその手のものが多いような。(と、私は人に言われるまで気づきませんでした。そもそも、お姫様がみんな女性だってのも言われるまで考えたこともなかったんで)
> 話はぜんぜん違うのだけど、女子のバスケット部はいくらでもあるというのに、女性用のバスケットシューズというのはなかなか売っていないのですね。そんなわけで子供用を使うことになります。逆にいうと、子供用を捜すと、バスケット・シューズにしろジーンズにしろシャツにしろ、「女性サイズの男性用」が手に入るということでもあります。こういうのってファッションとして流行らないのかなぁ、と思うんですけどね。
子供用の服はそれはそれで「子供はこう」というロマンが入っているので、そのまま一般の大人が着れるものはなかなかありません。(子供服のようなデザインが好きな大人はラッキーかも)
dwarfism の人なんかも、子供服ですむということはないようです。
> 自我が不安定な人は、他人に影響を及ぼすことで自己を確認し、自我を強化しようとします。ですから、「あるべき姿」を他者に当てはめ、そこからのずれを「矯正」してあげるという「善意」にもとづいて、他者を自分の管理下に置こうとします。飲酒や喫煙などの生活態度、肥満、過食、性格といったものすべてが、その理由になります。「かまいたい」「あれこれ指図したい」という欲求に取りつかれているように見える人というのは、いたるところにいます。人をからかってばかりいる人は、自分のすることに相手がパニックを起こしおたおたするのを見て、自分の影響力を確認し、自我を強化しているわけです。
>
> 「ときどき突飛なタイミングで性別のことを持ち出されてはとまどってしまいます」というのは、「あるべき姿」との関連において性別が問題にされる場合なのではないでしょうか。相手はそれを「親しみの表明」「親切」だと思っている可能性が、けっこう高そうに思います。「あんたに関係ないでしょ。それであんたが迷惑する?」と言いたいのだけれど、言えない雰囲気が作られてしまっている。
持ち出す方にとっての「あるべき姿」ですよね。
みどりにとっては「はぁ? いまいったい何の話題してたんだっけ?」なくらい突飛なことが多いので、困ってしまうんだなあ。白けてしまうというか。
名加野さん wrote:
> 1、からかっていた。
> 2、るおうさんに、あまり好感がもてなかったから着て欲しくなかった。
> 3、その果物が嫌いだった。
>
4、人から物をもらうのが苦手(負担に感じる)
私に場合は(4)ですね。人から物を貰ったりするのを負担に思う質です。
果物がどうこうという訳ではなく、物を貰うこと自体なんとなく負担だったり
します。私は三姉妹の末っ子ですが実家の母からよく、「アンタは欲がないね
ぇ〜! 上二人はなんでも貰おうとするのに」と言われてしまいます。
要らない! と断るのも結構勇気がいるんですよ。
大切に思っている相手だったら特にね。
それにすごい性格だったりします。りんごが沢山あると、梨が食べたくなるし
梨が沢山あると巨峰が食べたくなるんです。その方もそうだったりして(汗。。
違うかー?/爆
いろんな人が居るから難しいですよね。
Mariaさん、こんにちは。
> うーむ、名加野さん哀れ。ハズしているぞ(^_^;)。(←負けじとヘコんでいる)
……? どこが外したんでしょうね……謎です。もしかして、武田さんが最初に発したからですか? でもそれでもよくわかりませんが……会話に参加してると言う意味で「がらみ」でしたが、そう呼ばないのかもしれないですね。了解しました。よこれすでした。
> 「使っちゃダメ」なのは、「(-_-X)」マークではなくて、「半角カナ文字」のほう。
ええと、カタカナの事を言ったつもりですが、紛らわしかったようです……。
> で、これ以外に「二進化十進数(BCD。バイナリ・コーデッド・デシマル)」というのがあって、電卓用4ビットコンピュータ(正確にはCPU)や自動販売機用のチップはこのBCDが主流でした。
存在自体は知ってましたが、、なるほど、自動販売機に使われてるとは知りませんでした。
> 今ではBCDなんか使ってない(と思う)ので、一般的なのは1バイト8ビットのバイトマシンです。あたしの趣味としては、1バイト64ビットのバイトマシンが理想なのですけどね。メモリの大容量化とブロードバンド通信の普及を考慮すると、これが趨勢なんじゃないかなぁ。
64ビットで来ますか……それはすごい。世界が変わりますね。でもそうすると、32ビットマシンと言うのは、今現在1バイト32ビットってことですか?
なら、納得です。(コンピュータ関係の仕事してるくせにあまりわかってない……あああ(苦笑。)
名加野さん wrote:
> 久しぶりに、(Mariaさんがらみの)付いていける話でした。(苦笑。
うーむ、名加野さん哀れ。ハズしているぞ(^_^;)。(←負けじとヘコんでいる)
> 結構前から「使っちゃダメ」だったと思います。「ふざけてる様にしか見え
>ないから」と言う理由で(一部の人)。
「使っちゃダメ」なのは、「(-_-X)」マークではなくて、「半角カナ文字」のほう。1バイト7ビットコード系の処理系を使っているシステムが少なからずあって、MSBに特別な役割を与えてあるものがあるのですね。
ちなみにMSBは「モースト・シグニフィカント・ビット」、LSBは「リースト・シグニフィカント・ビット」の略。
ついでに訂正。
I wrote:
> ずーっと昔、コンピュータの「一文字」は1バイトが三ビットとか四ビット
>でした。八進数とか十進数とか扱ってなかったものですから。
正しくは、
> ずーっと昔、コンピュータの「一文字」は1バイトが三ビットとか四ビット
>でした。八進数とか十六進数とかしか扱ってなかったものですから。
で、これ以外に「二進化十進数(BCD。バイナリ・コーデッド・デシマル)」というのがあって、電卓用4ビットコンピュータ(正確にはCPU)や自動販売機用のチップはこのBCDが主流でした。島正利さん設計の名機Z80は、「8ビットコンピュータの代表」とされますが、「バイト長さ4ビット、1ワード8ビットのワードマシンで、アキュムレータとバス幅が16ビット」とかいった感じのような気がします。手元にハードウェア・マニュアルがないからよくわかんないけど、まだBCD命令は残っていたはずだから。モトローラのM68020なんて、偶数バイトにしかアドレシングできなかったから、やっぱりワードマシンでした。
今ではBCDなんか使ってない(と思う)ので、一般的なのは1バイト8ビットのバイトマシンです。あたしの趣味としては、1バイト64ビットのバイトマシンが理想なのですけどね。メモリの大容量化とブロードバンド通信の普及を考慮すると、これが趨勢なんじゃないかなぁ。
だけど、VRAMはどうするんだろ。各色十六ビット階調で色信号と輝度信号分離、とかするのかな。うーむ。
(Maria)
ayaです。
こうもりさん wrote:
>(1)他人の気持ちを理解する能力
これはだめです。ただ、自分が経験した状況での気持ち、なら少しはわかりますがずれてる場合もありそうです。
>(2)愛着形成
親とは形成しそびれた気がします。
ここ2,3年のうち、後天的に手に入れたかも。
>(3)対人親和性(他人と同じ感覚,気持ちを共有する)
よくわからないです。(1)のように状況をしぼればできるかも。
>(4)他人に共感を示す技術
「普通になりたい」と無用な努力を続けた結果、合いの手の入れ方、声の調子、セリフなどはかなりマスターしました。ひょっとしたら上手な方かも。店員さん、道を聞いてくる人など、その場限りの接触でよければ不自由はしません。
ただ、この投稿を見てとても驚いたんですが、私は昔自分に欠けているものとして(4)の取得を目指しましたが、ほんとは(1)があんまりないんですよね。
今まで気がつきませんでした…。
みどりさん wrote:
>よくわからないのが、そこでなぜわざわざ女性と男性を分けて考えるのか、
>なんですね。
>「自閉症でAB型の人は少ないので」という分類で考えることはあまりない
>と思われますが、男性と女性になるとなぜか分けて考えるのが当然、みた
>いになるのが不思議です。
自閉症やADHDに関していえば、統計上有意な偏りがあり、なおかつ発症のメカニズムにかかわっていそうだ、というので意味があるのですが、「どうして科学者や政治家に女性が少ないのか」みたいな議論が出てくることに関しては、ナンセンスだなぁ、と思います。「どうして男性はスカートを穿かないのか」「どうして男性は口紅をつけないのか」みたいな話だと思うのですが。
日本の男性は袴を穿くし、アフリカの男性は化粧をします。つまりは文化がそうなっている、というだけの話で、その文化を変えるのに抵抗のある人々がいる、というだけの話。纏足(てんそく)みたいなものだと思うけどな。
I wrote:
> 女性でこういう形のこだわりを見せているひとというのは、とても少ないよう
>に思います。もっとも、培養と分析が好き、みたいな生物化学系の女性研究者な
>んかだと、こういうタイプはいそうに思います。(後略)
みどりさん wrote:
>美人とジャムの部分を除けばこれはまさに私です。身なりや小物にもすごくこだ
>わり (まさに「余計な執着」という感じの) があるのだけど、基準が独自なもの
>すぎるのか、誰にもわかってもらえません。
なぜ生物化学系なのか、というのをつらつら考えてみるに、「居心地のいい場所(cozy corner)」を作りやすいからではないかな、と思います。あとは一人で運営できるような小さな図書館の司書さんとか、小さな博物館のキュレーター(curator。館長とか主事とかでしょうか。「学芸員」というと、ちょっと違うかも)とかのような気がします。女性は書斎を作るのが難しいので、意外に家の中に「自分の場所」というべき場所がありません。
トーベ・ヤンソンさんは彫刻家の娘なので、アトリエを持つことに違和感がなかったのではないでしょうか。ムーミンママの台所は、なんとなく「アトリエ」「工房」という感じがします。『パパと海』では、ムーミンママは鋸引(こびき)台で薪作りに精を出していました。工作とかも、本当は好きなのかも。
>私の趣味は大抵「普通は男性が好む」もの。服も物も色も専攻も仕事もそう
>です。
>プレゼントなんかで、「男の子にはこれ、女の子にはこれ」とやられると、
>私の欲しいものは大抵男の子用なので、「女の子用」の趣味に合わないもの
>をもらってはひどくがっかりしてました。
こういうことを断定的に言ってしまうと「論理が飛躍している」と言われてしまうのですが、あたしはこうした傾向を「ロマン主義の弊害」だと思っています。女性というのを、動物的感情に追いたてられて自滅しちゃう危険性を内在しているものとして常に描いてきたのが、シャルル・ペローを代表とするロマン主義の芸術家たちなわけです。で、そうした作品の代表が、「赤ずきん」だったりもするわけですが。
で、こうしたロマン主義的な女性像を利用してきた人間が、男性にも女性にも少なからず存在した、というのが事態をややこしくしてきたわけです。「女というのは、そういうものなんだ」と主張して女性を縛る男や、「女っていうのは、そういうものなのよ」と主張してわがままを通してきた女というのが、のさばってきたわけです。
「女は放っておくと何をするかわからないから、管理してやらなきゃならないんだ」みたいな暗黙のプレッシャーがあるのですね。基本的に「女の子用」というのは、「拘束するもの」としての性質が強いと分析する人もいます。で、「××は放っておくと何をするかわからないから、管理してやらなきゃならないんだ」の中にあてはめられる「連中」の中には、「女」以外にも「ガキども」や「大衆」や「技術馬鹿ども」や「頭のおかしい連中」が含められてしまうわけです。
そんなわけで、支配慾を正当化するには、ロマン主義的人間観というのは、とても都合のいいものだったりします。静謐で規律正しく抑制的な生活を好む人間は、「無理をしている」「痩せ我慢をしている」「人生の廃残者が、自分をごまかして生きている」と見なされてしまいます。「人間は欲望の塊だ」と信じている人たちは、欲望はエスカレートするものだと主張します。人生を「戦い」と見なし、人間を「勝者」と「敗者」に色分けしようとします。いやだなぁ。
話はぜんぜん違うのだけど、女子のバスケット部はいくらでもあるというのに、女性用のバスケットシューズというのはなかなか売っていないのですね。そんなわけで子供用を使うことになります。逆にいうと、子供用を捜すと、バスケット・シューズにしろジーンズにしろシャツにしろ、「女性サイズの男性用」が手に入るということでもあります。こういうのってファッションとして流行らないのかなぁ、と思うんですけどね。
>考えてみると、うちの両親も「女性は」「男性は」という物の言い方をほとんど
>しません。たぶんそういう概念がないんだと思います。
>おかげで私も、普段はいちいち相手や自分の性別を意識せずに暮らしています。
>しかし、ときどき突飛なタイミングで性別のことを持ち出されてはとまどって
>しまいます。
自我が不安定な人は、他人に影響を及ぼすことで自己を確認し、自我を強化しようとします。ですから、「あるべき姿」を他者に当てはめ、そこからのずれを「矯正」してあげるという「善意」にもとづいて、他者を自分の管理下に置こうとします。飲酒や喫煙などの生活態度、肥満、過食、性格といったものすべてが、その理由になります。「かまいたい」「あれこれ指図したい」という欲求に取りつかれているように見える人というのは、いたるところにいます。人をからかってばかりいる人は、自分のすることに相手がパニックを起こしおたおたするのを見て、自分の影響力を確認し、自我を強化しているわけです。
「ときどき突飛なタイミングで性別のことを持ち出されてはとまどってしまいます」というのは、「あるべき姿」との関連において性別が問題にされる場合なのではないでしょうか。相手はそれを「親しみの表明」「親切」だと思っている可能性が、けっこう高そうに思います。「あんたに関係ないでしょ。それであんたが迷惑する?」と言いたいのだけれど、言えない雰囲気が作られてしまっている。
みんな、どうして他人にかまいたがるんだろう。
そんなことをする暇があったら、自分を磨けばいいのに。
そうすれば、「自分にできることや、自分にとって面白いことや楽しいこと」を相手に伝えることで、相手を変えることだってできるのにね。
(Maria)
はじめてレスします。こんにちは。自称グレーゾーンのあさかぜです。
せっかち母さん wrote:
>こちらで、薬を服用している人は どんな薬をのんでいますか?
>これは良いよ というものがあったら教えてください。
>(もちろん薬は補助的なものでしょうが・・)
ちょうど心療内科へ行ってきたばかりなので、思わず反応してしまいました。わたしはASと診断を受けているわけではないので、お役にたてるかどうか分からないのですが……。(娘はASです。まだ8才なので薬は飲んでいません)
SSRIを服用し始めて半年以上になりました。最初はパキシル10mg/日で、途中から20mgに変わりました。で、8月にルボックスに変更したところ(服用量は一日20mgのまま)喉が焼け付くように渇いてしまい、胃腸の調子もおかしくなって、おまけに無気力感まで出てきてしまったんですね。
先生がおっしゃるにはパキシルとルボックスはほんの少しだけ違うもので、効果はほとんど変わりがないはずとのことでしたが、わたしは自分の体験から人によって違うのではないかと感じています。
だから、どれが良いよという薬は一概に言えないのではないかと思うのです。ためしてみて効果があれば、それがその人にあった薬ということです。(人体実験みたいですが、これは仕方がないことでしょう)
問題となる症状が何で、どのような時どれくらい続くのか、詳細をメモして医師に伝えることで、より効果的な(と思われる)薬を処方してもらえる可能性はあります。わたしは忘れっぽいので手帳にメモして行き、それを見ながら医師に話します。抗不安薬や安定剤などの併用も、とにかく薬の種類が多いので、医師と充分相談なさって考えたほうが良いのではないかと存じますが、いかがなものでしょうか?
ペンギンさん、ぺりこさんこんにちは。
>私も正直に向き合いたいと思っていました。
この内容を読んで、前に「特命リサーチ」という番組で、取り上げられていた内容を思い出しました。2,3年前に放送されたと思います。
それは、欲求不満で衝動買いをする人の話でした。
結婚前に約束していたはずの、円満な家庭がいざ結婚した後に築けない。こんなはずではなかったと、その人は夫と色々話し合ったが、解決の糸口をつかめなく、衝動買いに走ってしまうという内容でした。
何故なのか、何故なのか、何で相手は変わらないのか、と。
番組ではこう結論付けていました。「他人でなく自分が変われば、他人も変わる」と。その家庭では、その方向に持って行ったため、円満になったと。
番組に言わせると全て「事実」だそうです。まあ、鵜呑みにするわけではないですが、やはり、働きかけ次第で変わるものだなあと感じました。その働きかけ方が、わかれば良いんでしょうけどね……(苦笑。
今でも、いろいろな方法をその番組は紹介してるので、参考になるとは思います。
タレイヌ wrote:
押し付けられるのは、御免です。
言い切ってすみません。
こうもりさ〜〜ん、こうもりさんに、言ったんじゃないのよ。
タレイヌが、自分でそう思ってる・・・というだけです。
あーぁ、コレで、年中、人に、にらまれてるって・・・・わたし・・・
(タレイヌ)
すいません、参考の部分を載せていませんでした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/fruits_basket/
詳しく見たい方はここで。
皆さんこんにちは、名加野です。
ASの話でもなく、アニメの話で興味ない方には申し訳ないのですが……
今日(というか、木曜日)の夜6時からテレビ東京で「フルーツバスケット」というのが放送されています。
テレビ東京の放送地域が、北海道、群馬県、栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、岡山県、香川県、福岡県
の13県しかないらしいのが残念ですが……
この番組は、近年まれにみる(?)「あったかさ」を感じます。まあ、「癒し系」と言ってしまうと、「どこでもある」と言う印象がありますが……
元々は雑誌「はなとゆめ」に掲載されてる物です。
僕はこれが、毎回涙無しには見る事が出来ません。
嬉し涙です。面白涙です。
もう結構話が進んでいるので、途中からだと嫌だと思う人もいらっしゃるかもしれません。
が、最近の掲示板の傾向を見てるとどうしても、宣伝したくなりました。
僕もあんな風に成れたらなあ、と思います。
Mariaさん wrote:
> 久々の黒Mariaさんでございました。まる。
ぱちぱちぱちぱち!! アア、共感!!←みなさん、ごめんなさいね。
で、本当は、こうもりさんへの、続きなんです。
ええと、タレイヌ、ほんとは、自信が無くて、7912の、タレイヌの書き込み、ずれていませんでしたか、内容が?――――といいつつ続行。
「孤独」に付いての、別のお話です。
本人の「孤独感覚」については、前回述べたとおりと思っていますが、実際、人の和(人の輪=社会)から、切りはなれて、生きている状態をみると、とても不安に思う人たちがいます。代表例は、親。(タレイヌも、自分が親の立場になって、初めて分かったんですけど・・・・・)
人間が、生きていくには、食べるにも、着るにも、果ては、自分で楽しむにも、最低限のお金が要ります。単純に言って、親である自分が、いなくなっても、子は、生き延びていって欲しいと願うわけで、そうなると、少なくとも、どんな形であれ、社会のどこか隅っこでもいいから、繋がっていて、欲しいわけです。育てている段階では、結局「我が子がどのくらいの数の人間と関われるのか」は、今後の指標にはなるんですよね。見えやすいところだから。〔これ以上書くと、親のエゴになるので、やめます〕
まあ、他にも、色々な観点はあると思いますが(と、逃げ腰のタレイヌ)ひとりで遊んでいる=孤独で可愛そう…ってほんとは、余計なお世話なんだけど、だからって、「共感性の欠如」とか言われるのは、本当は、心外。欠如じゃなくて、「共感できること」には、個々人のばらつきが大きいんだとタレイヌは思っています。「共感」は、自分の中にあるものを、時間をかけて、育てるものじゃないのかしら?押し付けられるのは、御免です。
では、また。
(タレイヌ)
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