アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
名加野 さんwrote:
> やっぱ僕が悪いのかな? 拾い食いはやっぱアウト?>ALL
タレイヌ、拾い食いして、たしなめられたこと、数知れず。
タレイヌの母は、綺麗好きで、色んなものをきたない、きたないといわれて育ちました。色んなもの、片付けさせられました。それが当たり前だから・・・という理由で。
でも、タレイヌ自身は、あまり頓着なく、そだってしまった・・・。(つまり、人のいう事を聞かない人ではあるわけです)
落として、べちゃっとつぶれたら、いまでこそ、人目があれば、ぐぐっと、こらえます。でも、誰も見てなければ、上だけ、食べると思うし、飴玉とか、ころっとしたものは、「ふふ」って吹いて、口に入れちゃう。おせんべだって、ぱんぱんって払って、食べるよ、平気。(旦那は、「やめろ」っていう事も在るけど、言われれば、『もったいないなあ』と思いつつ、黙って我慢します。つまり、時々、人目があることを忘れて行動してるわけですな、おっとっと。)
内緒だけど、犬と、一緒のスプーンで、ヨーグルト食べちゃうこともあるし・・・
すみません!気持ち悪くなった人、ごめんなさ〜い。>ALL
(タレイヌ)
みどりさん wrote:
>自閉症の子供が、自分の作品を壊されたときに元に戻せと言って怒るという
>話を聞いて、自分のことだと思いました。
>相手が作りなおしたものでは我慢できないんだもん (それは自分が苦労して
>作ったものとは別物だから)。さっき相手が壊した、自分が最初に丁寧に
>作った、あれを返して欲しい。いまから作ったのでは違う。他人が作ったの
>なんてほしくない。ないものねだりとわかっていても相手のせいなのだから、
>なんとかしてほしい。
名加野さん wrote:
> くだらない話で申し訳ないですが、他人にアイスを落とされた時に、パニッ
>クで拾い食いする事も関係あるのでしょうか?
あると思います。自分が食べようと思って買ったアイスは、その時点で「自分の一部」なんです。ですから、「本来自分に所属しているはずの自分の一部」が地面に落ちちゃったとしても、それが「自分の一部」であることには変わりはないわけですね。そんなわけで、自分から「排泄」されないかぎりは、まだ自分の一部なわけですから、「穢(きたな)い」という感覚はないわけです。ですから、つい拾い食いをしてしまうというのは当然ありえます。
恋人というのは、「自分の一部」です。ですから「排泄物」は別にしても、唾液だとか、汗だとか、精液だとかというのは、「穢い」範疇には入りません。だからこそ、セックスという行為が成立するという部分はあります。
あるご高齢の小児科の先生は、赤ちゃんのウンチを熱心に観察するあまりついつい顔を近づけすぎてしまい、しばしば赤ちゃんのウンチを鼻の頭に付けていらっしゃったそうです。衛生面でも問題はなく(新生児のウンチは有害な微生物をほとんど含んでいません。仮に含んでいたとしたら、それは医師にとって深刻な事態です)、倫理面でもむしろ正当あるいは賞賛されるべき行為と認められる以上、これを「穢い」と言ってはいけないと思います。
ただ、あたしにとって「自然環境」はともかく「都市」というのは「自分の一部」ではないんですね。ですから、奥多摩の河原とか広葉樹林の中だったら落としたアイスの上のほうの汚れてないところを取って食べちゃったりはしますが(だいたい川の水とか湧き水とかだったらそのまんま飲んじゃうし)、都会ではちょっとなぁ、と思います。
(Maria)
あと、「健常者をぶん殴ってもいいんだよ!」「健常者が意地悪してきたら殺しなさい!」「健常者にムカついたら殴り殺しなさい!」「俺達自閉人は健常者より優れているんだ!」
まあ!!その子はまるで昔の私みたいなコだわ!!
あなたが専門家では無いのなら
その子には何もしようがないかもしれませんねえ・・。
シンタロウくんとまろんすさんに質問です。
なぜこうも健常者や先生という存在を憎むのですか?
ケイン wrote:
>
>あなたが幼い頃に、いじめにあっていたとします。
>そのいじめでの精神的な傷により、あなたが子育てを断念するとします。
>
>そうすると、いじめっ子によって子供の命を間接的に奪われたことになりませんか?
>
>《今の社会では このような考えは受け入れられていませんが、、》
極論をいえばそういう解釈もできます。
だからこそイジメというのはやってはいけないことなのだろうと、私は思います。
hirochan さんへ
まあ!!その子はまるで昔の私みたいなコだわ!!
あなたが専門家では無いのなら
その子には何もしようがないかもしれませんねえ・・。
みどりさん、こんにちは。
>自閉症の子供が、自分の作品を壊されたときに元に戻せと言って怒るという話を聞いて、自分のことだと思いました。
>相手が作りなおしたものでは我慢できないんだもん (それは自分が苦労して作ったものとは別物だから)。さっき相手が壊した、自分が最初に丁寧に作った、あれを返して欲しい。いまから作ったのでは違う。他人が作ったのなんてほしくない。ないものねだりとわかっていても相手のせいなのだから、なんとかしてほしい。相手にとっては「床にあった折り紙に気づかず踏んでしまった」だけでも、その代償ははかりしれないという感じ。腹が立っていることにも腹が立ち、腹を立てて不愉快な気分になったのをどうしてくれる、ああイライラしたからやり直した分も失敗したじゃないか、ああ八つ当たりで物を投げてしまってへこませた壁の分の責任もとってくれと、とどまるところなく怒りが続く。
くだらない話で申し訳ないですが、他人にアイスを落とされた時に、パニックで拾い食いする事も関係あるのでしょうか? 僕はしました。よりによって卒業パーティーのあとで。しかも、ランドマークタワーの入り口で。色々問題になりました。結局こちらが悪いことになってしまいました。
>ただ、ケインさんがおっしゃるようにこのテの怒り方は他人に受け入れられることはまずなく、しかもそういう考えになっているときは完全に悪循環にはまっているので、コントロール可能なときにはそう思わないようにしてます。(ただし一旦その方向へ走り出してしまうと、たちまち怒りでいっぱいになってしまって、まず自分では止められない。しかもそれが長時間続く。そこが私の問題。)
僕もそうです。半年経った今でも不意に「その時の感情」を思い出すので、いやですね。しかも、弁償してくれるわけでもなく、謝ってくれてるわけでもなく。
向こう曰く、「団体行動乱してアイスクリームを買うから悪い。拾い食いするお前が悪い。つーか、犯罪」だそうで。友達やめたいな。サークルの関係上会うんだけど……。
やっぱ僕が悪いのかな? 拾い食いはやっぱアウト?>ALL
ぷちさん wrote:
>共感力の話をこうもりさんがなさってますけど、よくある
>「非自閉圏の人間は共感力がある」っていうのは、誤解だと
>思います。もちろん共感する力の大きい人もいますが、そう
>じゃない人もたくさんいます。
病気をすると分かりますが、「自分は相手の気持が分かる」と信じこんでいる非自閉の人のほうがタチが悪いことがあります。
たとえばの話、「レトルトのお粥と野菜ジュースと総合ビタミン剤でいい」って言ってんのに、「そんなものじゃ栄養がつかない」とかいってわざわざ雑炊かなんか炊こうとして、よく考えたらご飯がないのでまずご飯から炊こうとして失敗し、ようやくできあがったものがとても食欲をそそるような代物ではなく、「まずい」とか言うと怒って帰ってしまい、台所は散らかし放題で残り物が山できてしまうとか……そういう人っていそうでしょ?
・どうやったら手伝えるのかが分からないときは、相手が具体的な指事をしてくれるまで放っておく。
・自分のやりかたとは違っても、相手の指事通りにする。
・できれば、普段から、なにかあったときのためにお互いが手伝えることをあらかじめ予行練習しておく。
仕事の場合は、「バディ・システム」といって、どっちかが一時的に戦力外になってもお互いがフォローできるような体制をふだんから作っておくことがあります(チームの場合は「減員操法」というのがあります)。だけど、多くの職場だと、こういうふうに仕事がオーバーラップしていると「無駄」に思えるらしく、わざわざバラバラにすることがあります。
マイクロソフト社のビル・ゲイツは、「六人必要な仕事は四人で、四人必要な仕事は二人でやらせることで、組織の効率を上げる」とかいったことを言っています。マイクロソフト社のソフトウェアにバグが多く、しかもなかなか修正されない理由が分かる気がします。ウォークスルーとかレビューとか知らないんだろな。日本では「品質は性能である」というデミング博士流の品質管理技法がある程度普及してたからまだしもよかったんだけど、ここ十五年くらいでボロボロになっちゃった気がします。過労自殺者が増えた理由がわかるような気がします。
(Maria)
こうもり wrote:
>
> 話を発達障害に限定しましょう。発達障害もまた価値判断なしに診断を行
>うことはできません。例として医学的LDを挙げておきましょう。当然の事
>ながら、この例は他の発達障害の例に置き換えても当てはまります。
>
>(例)
>
>・Aくんは10才で一桁のたし算・ひき算ができない(事実)
> ↓
>・通常、同年齢の子供は一桁のたし算・ひき算はできるはずである(価値判
> 断1)
> ↓
>・故にAくんはLDと診断される(価値判断2)
>
> こうして考えていくと、医学的な発達障害の診断はどこまで行っても自然
>主義的誤謬の範疇から抜け出すことはできません。ここで「全ては解釈だか
>ら」と言って相対主義に逃げ込むことは可能です。しかし、それは第三者の
>論理であって当事者の論理ではありません。当事者にとって、医学的な診断
>に基づく所属は本人の人生に大きな影響を与えるからです。現在、この問題
>に葛藤しています。
もう故人となってしまいましたが私が大学で哲学を教わった先生が、ルネッサンス以降の自然科学について次のようなことを述べていました。
「ボールが落ちるよね。物理学ではそれをみてY=0.5gT^2なる法則を見いだしているが、なぜ・どうしてボールが落ちるのかということには、根本的な答を見いだした訳ではない。このように自然科学は、現象を見て・記録して・法則性を見いだすことに終始していて、なぜ・どうしてその現象が発生したのかということは置き去りにされている。」
またドイツの思想家で数々の童話を著しているミヒャエル・エンデは次のように述べています。
「科学者は自分が発見した事物に対して、最後まで責任を負わなくてはならない。そうしなければ地球は人間が暮らしにくい文明の砂漠と化すだろう。」
上の流れは、次のように変革すべきであると私は思います。
A君は10才で一桁の足し算引き算ができない。(事実)
彼はなぜできないのか? (分析1)
障害と言える水準であるか? (診断)
どうすれば出きるようになるのか? (療育・ケア)
彼と同じようなハンディをもった子に
共通の特徴は何か? (分析2)
将来どのようなケアをしていくべきか? (分析3)
ぶちさん、こんにちは
> パートナーも「僕は鈍感だよ。君の心の中にある事を読め
>って言われても、それは無理だよ。だから僕に動いて欲しい
>時には、ハッキリ動いて欲しい内容を伝えて欲しい。これが
>すれ違いをなくす一番の方法だと思う」って言ってます。
> 「言われないと分からない」っていうのは、普通の事だと
>思います(そう思わない人も多いけど)。
良い事おっしゃいますね。僕も鈍感なので、言ってくれなけりゃわかりません(無言の会話とは別の話)。けれども、僕の場合言われても中々動けません。
鈍感以前に怠け者だなぁ……。すみません。あまり意味の無い内容でしたね……。
ケイン wrote:
>あなたが幼い頃に、いじめにあっていたとします。
>そのいじめでの精神的な傷により、あなたが子育てを断念するとします。
>
>そうすると、いじめっ子によって子供の命を間接的に奪われたことになりませんか?
>
>《今の社会では このような考えは受け入れられていませんが、、》
そういう考え方はありだと思います。その場合同時に、「いじめがなくて子育てを断念しなかったとすると、いじめなかった子によって子どもの命が救われた。間接的生命救助。」と言う考え方も成り立つでしょう。
自分の場合で言えば、もう少し短い時間レンジですが、「〜という不当なことをされたゆえに〜となってしまって結局〜となってしまったじゃないか、どーしてくれる!」という怒りは始終沸いてます。
自閉症の子供が、自分の作品を壊されたときに元に戻せと言って怒るという話を聞いて、自分のことだと思いました。
相手が作りなおしたものでは我慢できないんだもん (それは自分が苦労して作ったものとは別物だから)。さっき相手が壊した、自分が最初に丁寧に作った、あれを返して欲しい。いまから作ったのでは違う。他人が作ったのなんてほしくない。ないものねだりとわかっていても相手のせいなのだから、なんとかしてほしい。相手にとっては「床にあった折り紙に気づかず踏んでしまった」だけでも、その代償ははかりしれないという感じ。腹が立っていることにも腹が立ち、腹を立てて不愉快な気分になったのをどうしてくれる、ああイライラしたからやり直した分も失敗したじゃないか、ああ八つ当たりで物を投げてしまってへこませた壁の分の責任もとってくれと、とどまるところなく怒りが続く。
そういえばあの壁をへこませたときは当時の彼が横にいて、びびっていた… 私があいつにふられた責任の一部はあの電車の車掌に…
ただ、ケインさんがおっしゃるようにこのテの怒り方は他人に受け入れられることはまずなく、しかもそういう考えになっているときは完全に悪循環にはまっているので、コントロール可能なときにはそう思わないようにしてます。(ただし一旦その方向へ走り出してしまうと、たちまち怒りでいっぱいになってしまって、まず自分では止められない。しかもそれが長時間続く。そこが私の問題。)
とりあえず5年前のあの車掌のことは今日はなんとかがんばって許してあげることにしよう。ああでもこの葛藤もあいつのせい。きぃっ。
pennpenn58 wrote:
> ところでずっと気になっていたのですが前に武田さんがリタリンを処方してもらったら?といっていたことがありますが言えば処方してくれる薬なのですか?
それはお医者さんに任せるしかありません。現在日本では、まだ「言えば処方してくれる」とか「ADDの症状の改善薬=リタリン」といったことは、極めて慎重でしょう。
これはリタリンというものが、アンフェタミンという神経興奮剤の誘導体であり、依存性が高いという特徴を持っているからです。リタリンはアメリカで子どものADHDの改善薬として広く用いられているのですが、その点を心配してクリントン元大統領の夫人のヒラリーさんを中心として、「子どもに乱用すべきではない!」というキャンペーンが行われたといいます。また「飲んだら自殺したくなった!」と言った人もいます。
ですがかなりの有効な治療成績をあげた薬でもあります。「集中力がついた!」「まるで傷ついた私の脳味噌をおおってくれる絆創膏のようだわ・・」「子どもがちゃんということを聞いてくれるようになった。」という意見もあります。また岐阜県にすんでいるお医者さんは、ピクノジェールというヨーロッパ産の松の木からとれる成分を併用することによって、有効的なリタリンの量を患者さんの体内でコントロールすることに成功したとのことです。
このようにリタリンは「諸刃の刃」と言わざろうえない薬です。私がそういったのは、あくまで「本当に困った場合の最終手段として」ということだと思って下さい。
蝙蝠 wrote:
>わたしが不思議に思うのは、「なぜ
>、人を殺してはならないのか?」という議論が流行した時、ほとんどの論者
>は「人を殺すのは悪である」という価値判断1の結論を導き出せば、問題に
>終止符が打たれたと考えていたことである。善悪の判断と実行するか否かの
>判断は別問題のはずなのに…。
ああそうか。
こういう論理飛躍を見たときの私の反応は「それじゃ説明になってないだろ!」とか「なにいってんだこいつ」くらいのもので、論者が阿呆なのだと思って終わりだったのですが (もちろん自分が阿呆なこともよくあるけどそれは別問題なのでさておく)、そういう「よくある混同」があって、それがベースになっている場合があるのですね。
いままで、そういう視点で「ずさんな論理がなぜこんなにもまかり通る理由」を考えたことがありませんでした。話し手も聞き手も同じように混同してたらそれでお互い納得できちゃうわけか。
(今まで考えていた方向というのは、「実は正しい理由付けなんて誰も必要としてなくて、自分の信じたい事項についてそれらしい関連事項を提示してくれれば、それだけで裏づけが取れた気分になるのだろう」というものです)
今度そういう機会(?)があったら、「自然主義的誤謬」の分を抽出してみます。その誤謬の起こりかたにも興味があるけど、抽出したあと残っている飛躍分がなにかというのも、おもしろ(?)そう。
# "(?)" をつけたのは、単語の選択が間違ってる気がしてる部分。
えびす生 さんwrote:
>パニックの時の原因もなんとなく分かるようになった気がします。
その事に気づける先生はなかなかいらっしゃらないのです。
恵まれたお子さんです。えびす生さんも、力量あり!!
>教師としてはそのように関わるように努力しているのですが、
>周りの子へはどう指導したらいいのでしょうか。
彼(あるいは彼女?)が、パニックした時には、その場からちょっと切り離して、何故、困っているのかを問いかけ、本人なりの理由を聞き取った上で、こちら側の状況を説明してあげられると、いいと思います。先生のその対応が、見ている子ども達を刺激して、徐々に、先生と同じ様な対応を、その子に対して心がけるようになると思います。
>親御さんにどうつたえればいいのでしょうか。
カウンセラーのような人を、間に立てて、説明してもらうといいと思います。
>親御さんもなんか変な子だなと思っているみたいです。
>本人も自分がなんかへんだと思っているみたいです。
>
>ぜひいろいろ教えていただきたいのですが。よろしくお願いいたします。
先生方の勉強会のようなものがあります。また、学会もあります。(教師、医者、カウンセラー、親なども関わっている組織です)もしお知りになりたいのでしたら、ご連絡くださいませ。(東京近郊ですが・・・・)
一人の子に、上手くかかわっていただく事で、周りの子は、多くのことを学びます。子供は、先生によって、大きく育てられます。ぜひ、頑張っていただきたいです。
(タレイヌ)
ケイン wrote:
>
>あなたが幼い頃に、いじめにあっていたとします。
>そのいじめでの精神的な傷により、あなたが子育てを断念するとします。
>
>そうすると、いじめっ子によって子供の命を間接的に奪われたことになりませんか?
>
>《今の社会では このような考えは受け入れられていませんが、、》
そういう考え方もあるのですね。未来に居るはずの子供が居ないんですものね。精神的傷で、子供を生み出して行くことが出来ない。とてもわかります。
ぶち wrote:
>みどりさんは「こうして」って
>具体的に要求を言える方ですか?それだったら、全然問題ないん
>じゃないのかな?
言えないのよ〜。問題が小さいときはなんでも言えるんだけど。本気でへこんでるときにはまず説明する気力からしてないし。
言えるような相手がいないという問題なのか、言えない性格だという問題なのかどっちかよくわからないけど。
もう一つは、なにが必要なのか自分でわかってない場合も多いんですよね。他人が困ってるときにどうしてあげたらいいのかわからないのよりはましでも、でも自分が困ってるときもどうしたらいいのか、やっぱりよくわからない。
> 前にみどりさんが「人は自分が信じたいものを信じる」(だっ
>け?)って書いてらっしゃったけど、私は「人は自分のために行
>動する」って思ってます。
そう思ってる人はすごく健全だと思います。
あなたが幼い頃に、いじめにあっていたとします。
そのいじめでの精神的な傷により、あなたが子育てを断念するとします。
そうすると、いじめっ子によって子供の命を間接的に奪われたことになりませんか?
《今の社会では このような考えは受け入れられていませんが、、》
補足と訂正…。
蝙蝠 wrote:
> なお、価値判断1と価値判断2を区別したのには理由がある…。両者は一
>見すると矛盾するような結果を導き出すことがあるからだ…。
つまり、「人を殺すのは悪である」という価値判断からは「故に人を殺す
べきではない」という価値判断も「故に人を殺すべきである」という価値判
断も導き出すことができるのである…。わたしが不思議に思うのは、「なぜ
、人を殺してはならないのか?」という議論が流行した時、ほとんどの論者
は「人を殺すのは悪である」という価値判断1の結論を導き出せば、問題に
終止符が打たれたと考えていたことである。善悪の判断と実行するか否かの
判断は別問題のはずなのに…。
> 話をまとめておこう…。事実から価値判断を導き出せないのと同様、価値
>判断から価値判断を導き出すこともまた不可能である…。ある程度、周囲の
>人間と共通感覚を持つことができる者であれば、感覚的に善悪を判断すると
>いう道も残されているだろう…。しかし、周囲との感覚の不一致に悩まされ
>ている者にとってこれは至難の業である…。犯罪の危険性が遠のいた今でも
>、善悪の問題はわたしに重くのしかかっている…。
どうもこんにちは、ぶちです。
みどりさん、お返事ありがとうございました。
みどり wrote:
>私はすごくわがままで、本当に放っておいてほしいときと、構ってほしいときと両方あります。しかも、問題が大きいときには許容できるhelpの方法がすごくせまかったりして、そうか、だから私はあまりhelpが受けられないのか。
わがままとか、「偏屈」(いい響きですね)とかって、自分の
事を掴もうとしている人って、いいですよね。私としては、向か
い合いやすいタイプです。変にぐちゃぐちゃしてない分だけ、聞
きやすいですもん。「何かある?」って。放っておいてって言わ
れれば、放っておけば良いんだし。聞かれるのすら嫌って言われ
ちゃうと、困るんだけど・・・。みどりさんは「こうして」って
具体的に要求を言える方ですか?それだったら、全然問題ないん
じゃないのかな?
ある程度親しい人だと、ペラペラ何でも言えちゃうんで、「私、
時々すごーく人嫌いになっちゃうの。意外な反応する時もあるか
とは思うけど、ごめんね。そういう時はしばらく放っておいて」
って、先制攻撃で言っておきます。そうすると、みんな放ってお
いてくれます。
私もわがままですよ。突き詰めて言えば、私だって「人の事は
どうでもいい」人間なんだし。
前にみどりさんが「人は自分が信じたいものを信じる」(だっ
け?)って書いてらっしゃったけど、私は「人は自分のために行
動する」って思ってます。
私は、近くに「困っている」とか、「怒っている」っていう感
情を持った人がいるのが、苦手なんです。パートナーには「感じ
るな」って言われるんですが、どーにもこーにも気になるんです。
しかも困っている人がなぜか近づいてくる・・・私に強い興味を
示す人って、何かあることが多いです(特に小さい子)。
手伝ってあげたり、人と人との間を取り持つような事をするの
は、私がそうしたいからしたわけです(私も人に助けてもらって
生きているわけだし。お互い様)。
パートナーや子供のために何かするのも、彼らが喜ぶのを見る
と、私が満足できるからしているわけで・・・こう考えると、私
は私のために生きているんだなぁ・・・と思ったりするわけです。
あ、また違う方向へ話しがそれました。ごめんなさい(ぶち)
こんにちは、ぶちです。
pennpenn58さん、初めまして。お返事どうもありがとう
ございました。
pennpenn58さん wrote:
>おしつけがましくないHELPならokかなあ。私は人に助けられたことはあるような気がしますが考えてみると人を助けてあげようとはあまりおもったことがないようなきがします。はっきりと何かしてといわれたらやってあげるけど人の状態を推測してHELPするのはぜんぜんだめです。どうしたらいいのかわからない。
ちょっと話がずれちゃいそうですが、うちのパートナー
(非自閉圏の人。あの性格診断だとタイプ2。そのまんま)
も、やって欲しい時には、言葉で伝えないとだめです。どん
なに困っていても、ほとんど気が付きません(私の事がどう
でもいいというわけではないらしい)。
だから何か要求がある場合には、必ず言葉で伝えるように
しています。なんとなく・・・っていうのは、少ないです。
これがお互いをよく理解するための方法だと思っていますし。
パートナーも「僕は鈍感だよ。君の心の中にある事を読め
って言われても、それは無理だよ。だから僕に動いて欲しい
時には、ハッキリ動いて欲しい内容を伝えて欲しい。これが
すれ違いをなくす一番の方法だと思う」って言ってます。
「言われないと分からない」っていうのは、普通の事だと
思います(そう思わない人も多いけど)。
共感力の話をこうもりさんがなさってますけど、よくある
「非自閉圏の人間は共感力がある」っていうのは、誤解だと
思います。もちろん共感する力の大きい人もいますが、そう
じゃない人もたくさんいます。
人間同士、察してわかる部分ってすくないんじゃないのか
な? 分かり合えてるって勝手に誤解して、そのうちすれ違っ
て、そのすれ違いが元でケンカになるとか、そういう事、と
ても多いんですよ。
「何かあるなら、言葉で伝えて!」っていのは、ごく当た
り前の事だし、頼まれてもいない事はしなくてもいいんじゃ
ないかな?・・・(私って変わってるかしら?・・・)
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