アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みどりさん wrote:
>つまり、相手に謝罪の要求を認めない理由は、「こちらがしてないことは
>相手にもする権利はない」ということですか?
ちがいます。中国共産党がそれを外交カードとして使う、ということも、外交戦略上当然だとも考えています。「現在の中国政府にそれを言われたくないし、現在の中国政府に対して謝罪したくもない」っつーことなのよ。
>それと、不用意に○○人はグループで扱うと、必ずといっていいほど「返
>事をしない子は耳に障害がある」と同じ間違いがおこる。
あたしが「中国人も朝鮮人も沖縄人も嫌い」と書いたのは、「中国」「朝鮮」「沖縄」といった看板背負って出てくる奴が嫌い、ということなのね。「中国人を馬鹿にするな!」とかいって怒る奴が嫌いなの。あたしゃ「あんた」を馬鹿にしているのであって、「中国人」を馬鹿にしてるわけじゃないんだよ、って言ってあげたくなります。「あんな奴と同じ『日本人』でくくられたくない」と思うような奴に限って、「日本人」意識が強いしね。つまり個人としてのアイデンティティが弱いから、「日本人」という民族的アイデンティティを求めるのだと思います。
そんなわけで、誰に対して、どういう理由で、どういう形で謝罪や賠償をするかというのをはっきりさせてほしい、とあたしは言ってるわけ。
>> 韓国に旅行にゆくと、観光客は必ずといっていいほど豊臣秀吉の時代か
>>らの日本による侵略の歴史というのを聞かされて「反省とお詫び」を求め
>>られます。
>韓国は日本人の海外渡航先第一位になってます。もしも「必ずといっていい
>ほど」そういう目に遭うのだったら、一位になんかなりえないでしょうね。
お互いイヤだと思ってんだけど、当局の指導で言わなきゃなんないし聞かされなきゃなんないんですよ。日本通のあっちの人は、「日本から来てくださったお客さんに対して失礼だから、あれはやめてほしいと思う」って言ってくれてるから、まあ我慢しよう、ということになってるみたいです。日本人ってそういうところは大人だし。
日本のことをよく知らない人……というか、学校教育やマスコミ報道でしか日本を知らない人ほど「日本はひどい国だ! 日本人は悪いやつらだ!」とか言ってたりします。だから、韓国の人は日本に来ると、自分が持っていたイメージとぜんぜん違うので、びっくりします。呉善花さんの本なんか読むと、そのあたりの事情はよくわかります。
>> だけどみっともないのは韓国だな。日帝時代の建築物は半世紀経ってもビ
>>クともしないのに、現代韓国製の大型建造物は橋にしろビルにしろ壊れる壊
>>れる。
>相手に特別迷惑をかけたわけじゃないのに「みっともない」だなんて理由で非
>難されるのは相当に不当だとおもうけどな。
日帝時代の建築物を建てたのは日本の大工ってわけじゃなくて、もちろん日本人と現地スタッフの共同で建てられたわけです。あるいは日本に留学して土木建築技術を学んできた人たちが建てたものも多いと思います。
だけど、そういうひとたちは新政権の指導者たちに「親日」のレッテルを張られて追放され、血族にもとづく支配体制ができ、その結果として政府と民間の癒着とかがおきて、大型公共事業の質が下がっちゃった。そんでもって橋やビルが壊れて迷惑してるのは、韓国国民です。で、加害者は反日のイメージを利用して国民をコントロールしてきた韓国政府。政府が反日を叫んでいる手前、「親日」とみなされた人材を登用することができないし、日本からの技術導入も難しいんですよ。「反日」を政治の道具にしたツケが国民に回っているというわけ。政治ごっこにかまけて国民に迷惑をかけることは、政府としてみっともないと思います。それ言ったら日本の政治は輪をかけてみっともないけどね。
>> あたしは中国や韓国に、早く日本から「独立」してもらいたいと思ってます。
>>それとも日本が甘やかしてお小遣いをあげるからいけないのかな?
>早いうちに一度ちゃんと謝っておけばよかったのに、ずるずるとまともな謝罪を
>先延ばしにしてきたおこづかいでごまかそうとしてきたツケなんだから、しょう
>がない。その部分は自業自得でしょ。
ごもっとも。で、そのおこづかいは「税金」という日本国民のお金なのよね。で、そういう外交戦略を選んだ政治家を選挙で選んだのは日本国民、と。
だけど、金大中も一度は「過去は清算された」って宣言したんだけどな。そのあとIMF危機が来ちゃったから、また「反日」を持ち出して国民をまとめなきゃ収まりがつかなくなっちゃった。で、「いまさら『反日』『克日』で国民のウケが取れると思っとんのかい!」と怒る韓国国民もいたりします。
>それを怒るなら相手は米英側でしょ。その矛先をアジアに向けて、やつあたりし
>てない?
いえいえ、勝った奴は好きな事が言える、というだけの話。東京裁判だって、「これは法律上おかしい!」と主張したインドのパール判事もいます。
>だんだん Maria ちゃんの意図が「いじめられっこによるもっと弱いもの
>いじめ」を正当化してさらに国家レベルでも行おうってものに思えてきた。
>そういうこと?
あたしはビミョーに用語を使い分けています。「中国」といったら「中国共産党が支配する現中国政府」のことで、「中国人」というのは国家としての「中国」のメンタリティを背負っている人。「大陸に住んでいる人」についてはまた別の感情を持っています。中国および中国人は大陸に住んでいる人をいじめていながら、「我々は日本にいじめられた」と騒いでいるとあたしは思っているわけ。その“我々”っていうのは、あんたがいじめている「大陸に住んでいる人」であって、いわゆる「長征」のときに各地で略奪を繰返していた中国共産党軍じゃないでしょ?とあたしは言いたい。
>> そんなわけで、実際にその場にいた人々の証言によれば、戦場といえども
>>「常識的な範囲内」の行動しか、日本軍はしていないと信じるに足ると思う
>>のですね。
>現地にいた人の総数と、直接証言を聞ける人数を考えたら、「サンプルから母
>集団を正しく推定している率」を簡単に計算できますよね。 サンプルには
> Maria ちゃんが生まれるまで生き残ってる人と言う偏りもあるけど。
>
>ま、でも「人は信じたいことだけを信じる」だからね。
あたしも「人は信じたいことだけを信じる」と思っているので、「信じたくない人の残した記録」というものを重点的に採用することにしています。当時の記録は日中双方の残した記録がけっこう膨大にあって、それによると「軍による蛮行」として記録に残っているものは、日本軍によるものは非常に数が少ない……というと語弊がありますね。発見が難しいんです。日本人が戦後になって「日本人は大陸でこんなに悪いことをした」といった形で書いているものはあるんだけど、現地で現地の人によって記録されたのは、困ったことに……何と表現したらいいんですかね? 「当時大陸に住んでいた人」の軍隊……というか、武装集団によるものだったりします。
つまり、そういう「武装集団」、いわゆる「匪賊」による略奪なんかが横行してて、大陸に住んでいる人たちはけっこう迷惑していて、そこで人々は自警団を結成して対抗したわけです。こうした「自警団」が「馬賊」として知られており、それを日本軍が訓練し統制したといったこともありました。そんなわけで日本軍に対する歓迎ムードもあったとか。
日本軍が大陸に侵略的意図をもって進出したことは間違いありません。で、あっちこっちで武力衝突が起きたことも確かです。で、相手が正規の軍人ではなかったことも多々あったろうし(だいたい国家も政府も軍隊もなかったんだから。軍隊と言うべきものは、列強各国の現地人部隊か、そこから離脱した集団しかいません。蒋介石だって日本陸軍士官学校出身だし)、その中に女子供まで混じっていたのも確かです。ですが、その当時「中国」という国はまだ存在してなくて、清朝の圧政から解放された人民が自分たちの国家を建設しようとしていたところに、日本が乗り込んだのだという解釈が、当時の日本にはあったわけです。で、日本に留学していた知識人(魯迅なんかが代表です)が政府を作ろうと立ち上がり、その際に日本の経済力や軍事力を利用しようとして国家建設に引っ張りこもうとしたというのもまた事実(孫文は東京で中国国民党の旗揚げをしました)。
いわゆる南京大虐殺については、日本軍はたぶん一万人くらいは殺してます。で、その何割かは巻き添えをくった非・戦闘員だと思います。こういう人には謝罪や賠償をしないといけません。
現・中国政府の説明では、二十万人の市民が虐殺されたということになっています。だけど、非・戦闘員を対象に二十万人とかいう殲滅作戦を行なう軍事的意味はないんじゃないかなぁ(アメリカはやったけど)。で、戦闘が終わって日本軍が南京を占領したとたんに現地の人が流れこんできちゃったのは中国側も認めてる事実だし。本当に「大虐殺」があったのならこの人たちは何を考えていたんでしょうか。
だから、「大陸に住んでいる人」に謝罪したり賠償したり支援をしたりするのはあたしは大賛成なのよ。だけど、農村を荒廃させ、少数民族を圧迫している中国政府に対して「謝罪」する気にはならないのね。
日本軍の行なった行為の直接の被害者というのは、すでに捜すべくもありません。ですから、国家的賠償は農法指導や砂漠緑化、あるいは病院や学校の建設、留学生の受入れといった形で「大地」に対して行ない、日本人が踏み荒らした大地に住んでいる人に対して謝罪を行ないたい、とあたしは考えます。
……ああ、また長くなっちゃった。短くしたいんです、ホントは。あたしって無能。
(Maria)
みどり wrote:
>簡単に計算できますよね。
えーこれだけじゃ全然簡単じゃないですね。失礼。分布を〜と仮定すればとかそういう話をすっとばしてしまいました。
蝙蝠さん wrote:
---
黒Maria wrote:
> じゃかじゃーん、黒Mariaだっ!
>
> あたしは加害者が「自分も被害者だったんだ」と主張することを認めません
>。被害者にとって加害者は加害者でしかありません。「自分が生き残るために
>はしかたがなかったんだ」と主張するなら、「だったら死ねよ」と言っちゃい
>ます。
そう、それが唯一の正しい結論であると思う…。
---
えー、誤解のないように申し添えておきます。あたしは「自分が被害者になりたくないから、加害者の側に立つ」という行為について、直接言及しているわけではありません。「自分も被害者だったんだ」というのが弁解になると思う心根があさましい、とあたしは感じるのね。自分の教え子を強姦した教師が「私も生身の男だ」とか言ったら、赦す気になるどころか逆に腹が立つでしょう? だから、「自分も被害者だったんだ」と主張する相手は、より重く罰してやる、と考えています。
ただし、被害者が加害者に対して、「彼も被害者だったのだから」と主張して減刑を望んだとすれば、それは認められると思います。
あたしは広島の原爆投下や東京大空襲の直接の被害者ではないのでこういうことが言える立場ではないのですが、同じ日本人というくくりで発言するならば、広島の原爆投下や東京大空襲に関しては、ほんの少しだけ理解できる部分があります。
このことを認めるアメリカ人はごく少数でしょうが、アメリカは日本が心底怖かったんです。
「自殺的攻撃(スーサイド・アタック)」という戦術と、それを支える精神に対する恐怖が最初にありました。今回のNY同時多発テロの際に「パールハーバー」という言葉がまっ先に出てきたことからも、日本人の自殺的攻撃の恐怖がアメリカ人の意識の奥底に貼りついていることがわかります。
さらには、多くの物理学者を輩出した高度な科学力や、零戦や酸素魚雷といった強力な兵器を開発した技術力があります。つまり、「何が出てくるかわからない」という、得体の知れない恐怖があります。アフガニスタンの山岳ゲリラが相手だったら、こうした恐怖はありません。サリンや天然痘ウィルスくらいは出てきそうですが、それだって予測のうちです。自力でジェット戦闘機やミサイルを開発・生産する力は、彼らにはありません。
で、日本に対する恐怖を決定的にしたのが、硫黄島の激戦と、沖縄戦だったと思います。硫黄島や沖縄の日本兵は、本当に鬼のように強かったんです。だから、アメリカとしては、本土上陸戦は絶対に避けたかった。そんなわけで、日本は「本土決戦」という強力な外交カードを手にしていたわけです。
広島・長崎の原爆投下は、恐怖に追いつめられたアメリカが行なったブラフ(はったり)だとあたしは思っています。アメリカの歴史における大きな汚点であり、最大級の愚行です。だから、それが日本に対する恐怖ゆえの行動だったなんていうことは、死んでも認められません。「強いアメリカ」幻想は、憶病者の強がりでしかないんです。で、半世紀以上経った現在においても、アメリカは狂ったままです。その間、朝鮮戦争やベトナム戦争や湾岸戦争といったことをアメリカは行なってきました。その意味で、アメリカも原爆投下の被害者であると思います。
実際のところ、日本の降伏というのは騙し討ちに近いものでした。降伏の条件には、本来、日本軍の武装解除は含まれていませんでした。アメリカ軍は日本軍の強烈な抵抗を予想していたので、どさくさにまぎれて日本軍から武器を取りあげてしまおうと目論んでいたのですが、日本軍は案に相違してあっさりと武装解除を受入れてしまいました。「皇軍」は、それだけ統制のとれた軍隊だったんです。
そんなわけで、日本の経済力とハイテクに支えられた自衛隊というのは、中国にとって「脅威」であることはまちがいありません。ただ、アメリカ軍にくらべて「まともな軍隊」であり、さらにシビリアン・コントロールが行き届いているので安心していられる部分があるわけですが。
だから、自衛隊が「戦後」の呪縛を離れて自由に行動できるようになっちゃったら、これはけっこう大変なことになります。核ミサイル搭載可能な原子力潜水艦や原子力空母なんかを日本が持ったりしたら、中国はその軍事力を外交カードとして使えなくなります。数年を経ずして中国は旧ソビエト連邦のように解体するでしょう。中国はそれを警戒しています。
被害者ヅラした連中、弱者ヅラした連中というのを、あたしはあんまり信用しません。力を持っている人間を必要以上に怖がる人間は、自分が力を持ったときにそれをやみくもに行使するサディズムを内に秘めているように思います。
金と力は使い方を知らない人間が持つと危険です(だからといって有害なものではありませんが)。それは、金と力のやりとりが、ひとり歩きしちゃうからだと思います。
殴られる側が攻撃側、という戦いかただってあります。力のやりとりだけを見て、こっちが被害者でこっちが加害者とかいった単純な色分けをするのは、あんまり賢いやりかたではないように思います。
(Maria)
Maria wrote:
> えー、中国人や朝鮮人の一部が行なったことに対して、中国人や朝鮮人全体に対する報復行為を日本人全体が認めた、あるいは日本という国家が日本人の総意としてして認めたとしたら、それはもちろん矛盾していると思います。だけど、あたしは太平洋戦争の敗戦に伴う中国・朝鮮からの引揚者に対して行なわれた蛮行や、戦後の混乱期(というか、占領下の日本)に行なわれた行為について言っていて、それに対して日本が国家レベルで中国・朝鮮に対して報復を行なった話をついぞ聞かないのですね。
つまり、相手に謝罪の要求を認めない理由は、「こちらがしてないことは相手にもする権利はない」ということですか?
> 韓国に旅行にゆくと、観光客は必ずといっていいほど豊臣秀吉の時代からの日本による侵略の歴史というのを聞かされて「反省とお詫び」を求められます。
韓国は日本人の海外渡航先第一位になってます。もしも「必ずといっていいほど」そういう目に遭うのだったら、一位になんかなりえないでしょうね。
> だけどみっともないのは韓国だな。日帝時代の建築物は半世紀経ってもビクともしないのに、現代韓国製の大型建造物は橋にしろビルにしろ壊れる壊れる。
相手に特別迷惑をかけたわけじゃないのに「みっともない」だなんて理由で非難されるのは相当に不当だとおもうけどな。
> あたしは中国や韓国に、早く日本から「独立」してもらいたいと思ってます。それとも日本が甘やかしてお小遣いをあげるからいけないのかな?
早いうちに一度ちゃんと謝っておけばよかったのに、ずるずるとまともな謝罪を先延ばしにしてきたおこづかいでごまかそうとしてきたツケなんだから、しょうがない。その部分は自業自得でしょ。感情はどんどんこじれるし、副作用もどんどん大きくなる。
今回の訪韓だってやっと謝ったかと思いきや、「ごめんなさい。でもお互い様だったよね」という余計な一言つきの謝罪だったし。たとえその内容が正当だとしても、そんないい方では普通謝罪にはならない。言いたいのなら、謝罪して、それとは別に相手が落ち着いてから、「で、あんたこういう悪いことしたよね」と言うべき。セットで言ったら台なしなのは当然。
> そんなわけで、あたしは現在「賠償」と呼ばれているものにちょっと疑問を持っています。
> あたしは「大森総合研究所」の職員ですから、当然のように東京都大田区大森の住民のメンタリティを背負っています。つまり、品川から川崎にかけての、町工場ひしめく京浜工業地帯の人間です。B29が飛んできて、女子供であろうと軍事工場の労働者である以上は戦闘員である、という理屈で焼き殺されたひとたちを身近に知っているひとたちの中で生活している人間です。広島だって軍港だった呉のすぐそばだったから仕方ない、で済んじゃう話じゃありません。チャーチルは、「ドイツの工場を破壊しても五年で再建される。けれどドイツ人技術者を殺せばドイツが立ちなおるのに二十五年かかる」とか言っていたそうです。こうなると国際法もへったくれもありません。
それを怒るなら相手は米英側でしょ。その矛先をアジアに向けて、やつあたりしてない?
だんだん Maria ちゃんの意図が「いじめられっこによるもっと弱いものいじめ」を正当化してさらに国家レベルでも行おうってものに思えてきた。そういうこと?
> そんなわけで、実際にその場にいた人々の証言によれば、戦場といえども「常識的な範囲内」の行動しか、日本軍はしていないと信じるに足ると思うのですね。
現地にいた人の総数と、直接証言を聞ける人数を考えたら、「サンプルから母集団を正しく推定している率」を簡単に計算できますよね。 サンプルには Maria ちゃんが生まれるまで生き残ってる人と言う偏りもあるけど。
ま、でも「人は信じたいことだけを信じる」だからね。
あたし、そうかも
みどりさん wrote:
---
Maria wrote:
> あたしは加害者が「自分も被害者だったんだ」と主張することを認めません。被害者にとって加害者は加害者でしかありません。
↑これと↓これって、矛盾してない?
> もちろん、そういうことをしたのは中国人や朝鮮人のごく一部だ、というのはわかります。だったら中国・朝鮮がしつこく日本に謝罪を要求するというのはフェアではありません。
---
えー、中国人や朝鮮人の一部が行なったことに対して、中国人や朝鮮人全体に対する報復行為を日本人全体が認めた、あるいは日本という国家が日本人の総意としてして認めたとしたら、それはもちろん矛盾していると思います。だけど、あたしは太平洋戦争の敗戦に伴う中国・朝鮮からの引揚者に対して行なわれた蛮行や、戦後の混乱期(というか、占領下の日本)に行なわれた行為について言っていて、それに対して日本が国家レベルで中国・朝鮮に対して報復を行なった話をついぞ聞かないのですね。
日本の朝鮮併合に関しては、その理由において確かに正当化できないものがあります。朝鮮半島が日本への侵攻の橋頭堡になりうるからといって、朝鮮の独立を踏みにじっていいわけがありません。そんなわけで、朝鮮は自分自身の力で独立を勝ちとり、スイスのように永世中立の立場を守ってくれればそれに越したことはありませんでした。
日本に朝鮮半島に対する侵略的意図があったのはたぶん確かなことです。だけど、「朝鮮独立」を夢見て朝鮮人民と共に戦った日本人が数多くいたのも事実だし、その結果として華夷秩序や両班(リャンパン)支配体制から脱したのも事実だし、朝鮮のインフラ整備が「日帝支配下の朝鮮」の下で行なわれたことも事実です。教育制度の充実だって、ハングルの普及だってこの時代です。
国家としての日本と国家としての朝鮮の間には、確かに支配/被支配の関係がありました。だけど、国民のレベルでは「同胞」だったんですよ。それは満州国も同じだし、台湾だって同じです。台湾では中国国民党がコケちゃったから本当のことが言えるようになり、いきなり親日になってしまいました。だけど日本政府としては中国共産党や韓国の政権(言っとくけどあそこはバリバリの軍事政権だぞ。KCIAによる金大中氏拉致事件なんていうのがあったのを忘れてはいけません。その金大中が大統領になったから体質が変わったとかいった話ではなくて、単に権力闘争によってトップが交替したというだけの話です)に遠慮があるからあんまり仲よくもできない。国民党側の人間だって、台湾には大勢いるわけだし。
韓国に旅行にゆくと、観光客は必ずといっていいほど豊臣秀吉の時代からの日本による侵略の歴史というのを聞かされて「反省とお詫び」を求められます。だけど朝鮮の歴史的建造物をぶっ壊したのは日本人じゃなくて朝鮮人自身です。朝鮮半島の内乱、あるいは中国からの侵略に日本が侵略的意図をもってつけこんだ、といった歴史認識は正しいと思うんですけどね、だけど、観光客相手に説教垂れるというのはどんなもんじゃらほい。それ言うたら朝鮮戦争はどうなるのや。沖縄だって事情は同じで、沖縄に観光に行くと同じようにお説教をされます。だけどさぁ、沖縄戦のときはあんたら日本人として戦ったんでないの?と言いたくなります。
ついでながら、ヒトラー政権を諸手を挙げて歓迎したオーストリアが戦後になって「あれはドイツが悪いのだ」とか言ってたりするのも、みっともない。
>もしもこの謝罪要求を日本が「あんたも加害者なんだから」といって拒絶する
>のなら、その場合は「自分も被害者なんだからと主張する加害者」とは、まさ
>に日本のことになりますよね。
>
>そもそもセットで相殺しようってとこに無理がある。両方が加害者なら、お互
>いに謝罪や賠償を要求する権利があるってだけのことじゃないかしら。
被害に遭った個人に対する賠償は、当然行なわれなければならないと思っています。ですから、あたしは東京の大空襲や、広島の原爆投下や、『頭上の敵機』に描かれたドイツの工業都市ドレスデンに対して行なわれた爆撃で亡くなった非・戦闘員に対する賠償は行なわれねばならないと思います。そういえば日本人が満州に残してきた資産は中国共産党のものになり、台湾に残してきた資産は中国国民党のものになりました。朝鮮半島に残された日本のインフラもあります。侵略者のものだから黙って懐に入れちゃってもいいという考え方は、あんまり上品じゃないぞ。まあ、活用はされてるからいいんですけどね。
だけどみっともないのは韓国だな。日帝時代の建築物は半世紀経ってもビクともしないのに、現代韓国製の大型建造物は橋にしろビルにしろ壊れる壊れる。「わしら朝鮮人民はいつになったら『克日』できるんじゃ」と怒る朝鮮の国粋主義者がいるのも無理はありません。
あたしは中国や韓国に、早く日本から「独立」してもらいたいと思ってます。それとも日本が甘やかしてお小遣いをあげるからいけないのかな? そんなわけで、あたしは現在「賠償」と呼ばれているものにちょっと疑問を持っています。
あたしは「大森総合研究所」の職員ですから、当然のように東京都大田区大森の住民のメンタリティを背負っています。つまり、品川から川崎にかけての、町工場ひしめく京浜工業地帯の人間です。B29が飛んできて、女子供であろうと軍事工場の労働者である以上は戦闘員である、という理屈で焼き殺されたひとたちを身近に知っているひとたちの中で生活している人間です。広島だって軍港だった呉のすぐそばだったから仕方ない、で済んじゃう話じゃありません。チャーチルは、「ドイツの工場を破壊しても五年で再建される。けれどドイツ人技術者を殺せばドイツが立ちなおるのに二十五年かかる」とか言っていたそうです。こうなると国際法もへったくれもありません。
だから、あたしは「当事者」の目線でものを見ます。国家レベル、あるいは政府レベルの発言を信じません。中国共産党や中国国民党が、当事者ヅラして出てこられる筋合は、ないと思っています。
あたしたちは、江戸時代・明治時代・大正時代の文化をよく知っています。あたしたちは「民衆」の力というものを信頼しています。「戦争中の一時期、大陸に侵攻した日本軍が、中国人民に対して暴虐の限りを尽した」なぁーんてことは、あんまり信じる気にならないんですよ。
そんなわけで、実際にその場にいた人々の証言によれば、戦場といえども「常識的な範囲内」の行動しか、日本軍はしていないと信じるに足ると思うのですね。
だぁ〜けぇ〜どぉ〜、中国にはそうした「常識」はなかったのね。それは台湾に流れこんできた中国国民党の残党連中が台湾でどれだけひどいことをしたかではっきり分かっちゃいました。「狗(いぬ)が去って、豚が来た」。台湾人はそう言いました。台湾にやってきたは「中国人」は、「同胞」ではありませんでした。で、台湾人はそうした「中国人」に散々な目にあったものだから、「親日」だったりするわけです。
中国共産党や朝鮮民主主義人民共和国政府や韓国政府という重しが取れたとき、中国・朝鮮の民衆からどんな本音が出てくるかは興味のあるところですが、戦後半世紀以上経った現在では「日帝=悪」という構図が定着してしまいました。「昔の上海は、本当に美しい町だった。だけど現在はボロボロだ」と嘆く人も減っちゃいました。
日帝支配から脱して半世紀以上、中国・朝鮮はさぞかし豊かで自由な国になっているだろうかと思うんだけど、チベットだとか北朝鮮だとかを見てると「なんだかなぁ」と思います。
そういえば、イスラエルという国も相当にうさんくさい国です。パレスチナに住んでいるいわゆる「アラブ人」は、二千年来パレスチナに住んで、イスラム化・アラブ化した「ユダヤ人」です。そこに武器をもってやってきて、「ここは我々の土地だから出てゆけ」と言っているのがいまのイスラエルのユダヤ人です。
『従って、彼らが今頃になってパレスチナに乗り込んできて、ここは本来自分たちの土地だから、などと言っても、それは歴史的嘘というものである。そういう歴史的な嘘が許されるというのなら、南アフリカのオランダ系やイギリス系の白人がそれぞれオランダやイギリスに強大な軍事力をもって帰って行って、ここは我々の先祖の土地だからと主張し、今そこに住んでいるイギリス人やオランダ人を殺したり追い出したりしてもいい、ということになろう。「イスラエル」という虚構はその程度にひどい歴史的虚構なのだ。』
田川健三『書物としての新約聖書』
(Maria)
タレイヌさん、こんにちは。
>文章が、そうであるからといって、本人の頭の中が、そうであるとは限らないんですけど・・・??(言ってる意味が、つながらないかしら?)
……いえ、ですから、文章においての書き言葉を差し引いても、話すように書くことが多いです。頭の中から直接会話している感じです。だから普通の人に通じないのかな?(汗
>この言葉は、現実に会っている「大人」が、名加野さんに、言ったんでしょう?だったら、やはり、なんかあると思うけどな・・・。
それはこれからわかる事ですね。「大失敗」が多い気がする。勧誘とかにだまされたりしてるから……興味が無いのに中途半端だから……ふう。
>この結果はさておき・・・・・・。
>実は、タレイヌのダンナは、しし座、AB。(関係無いけど長男は1979年8月生まれ。)ひぇ〜〜〜!!とか、思った!
僕も8月です。ということは、あなたの息子さんと同期ですか。「天性を感じる」ということは、身近にいらっしゃる(家族とか)方が、僕と同じ動きをしてるっとこですかね(苦笑。
皆さん、こんにちは。名加野です。なんだか、元のスレッドに書くのもどうかと思いましたので、別の所で書きました。
僕は幸いにも、皆さんのような先生も交えた集団でのイジメには合いませんでした。ですからせいぜい相手は最大でも5人ぐらいでしょう。ただ、個人間では結構ありました。痛みに敏感なので、ドッジボールでは泣いていたり、注射で逃回ったりなのが、みんなの「あいつはつつけば泣く」というのを刺激した模様です。しかも、給食食べれば戻すと言う事もあったので、弱みはいっぱいさらけ出してありました。本能に従った結果です。
どうやっても、勝てない僕は、憎んでる人の物にあたる事を覚えてしまいました。物を隠す。あるいは、盗む(……最悪ですね)。ということで、ばれてまた殴られました。ただ、前にも書いたように騒ぎ立てます。大泣きします(切れて突撃する事も……)。攻撃する人から逃げます。自分を守るために。そのおかげで、先生方や親にも守ってもらえた部分があります。
後は、僕の場合むかつく時は凄まじくむかつくんで、そのときは、地球破壊を目論見ます。……が、峠を越すと、笑い始めるんです(発作)。元来、憎む事をしたくないので、体が異常を訴えて調整しようとしてくるのかもしれません。
オーバーに表現するのはよくないことかもしれません。でも、他の人をいじめるよりは、まだましというか、新たに敵を作るのは怖くて出来ない。物にあたる事は、今ではずいぶん減りました。カラオケ行って(割れるような声で)発散する事を覚えたからかもしれない。
甘っちょろいかな? ……それにしても舌足らずだ。
働けず いやなまけかと 過ぎる秋
山に入る 夕日見送る 車窓から
沈む夜 夜空を見れば 満ちた月
柔らかな 日差しが伸ばす ハーブの芽
唯一つ 付き合いのページ 覗く夜
私は過去にいじめれっこでした。中学の時のいじめはつらかった。先生にもいじめられました。まるで悪夢の中にいるようでした。そしてそのいじめを自分の中で認めることができなかった私は多重人格になってしまったのです。
でも私ははじめは多重人格に気がつかなかった。ただなぜしようとしていないことをしてしまうのかがよくわからなかった。20才ごろまで私は自分は知恵遅れなのだと信じて生きてきました。
人間不信に凝り固まって自分自身もにくかった。多重人格は20代半ばで本格的になり人にも隠し通せないぐらいの状態になりました。私は他の人格と喧嘩しながら私の体を返してくれるように訴えました。そのためには私が今まで認めることができなかった自分の行為を自分がしたことだと認めなくてはいけなかった。
他の人格がした行為、たとえば中学の時スカートの裾をあげて男の子を誘ったりしたこと。授業中に先生にウィンクして誘いをかけたこと。その他ETC。もっと色々あります。ここではちょっと書きたくない。
私はそんな馬鹿ではないと自分の頭を死にそうになるくらいぶつけたり自分の首を思いきりひもでしめつけたり、でもどうしても死ぬことができなかった。でも全てを自分がしたことだと認めたから多重人格は一応時々記憶の欠落を残す程度にまで軽快しました。
今のほんとうの私は5,6才の子どもです。ほんとうの私はそこから成長することができなかった。
私は人にひどいことを言ったりしたり、人を傷つけて生きてきたとおもいます。私は長い間自分を許すことができなかった。自己嫌悪とともに生きてきた。でもある日気がついたのです。自分で自分を許していることに。
私は神を信じています。神は私を許して下さると思っています。宗教には入っていませんが。
自分がしてきたことを許すのは自分ではなく神ではないでしょうか。人間はそんなに偉くない。そのようにしかできなかったのならしかたがない。自分でそのことを自覚してさえいれば自分を責め続けるのは有害だと思います。でもみなさん、コウモリさんも自覚しつつ自分を許していると思います。神が許して下さっているのです。心の中で告白さえすれば。
ぺりこさん wrote:
>私は、ユーリさんや蝙蝠さんは、自分を守るために必死だったのだと思います
>。確かに加害者になったかもしれないけれど、それは自分を守るための苦肉の
>策だったのでは・・・
しかし、この苦肉の策には必ず、犠牲者を必要とする…。こうもりから被害
を受けた者たちが、「こうもりの奴が身を守るために、君たちがいじめに遭う
のはやむを得なかった」と聞いて納得できるだろうか…?あるいは「こうもり
の奴が善良な人間になるために、過去のいじめは必要であった」と言えるだろ
うか…?こうもりから被害を受けた者たちは、こうもりが生き延び成長してい
くための材料になるために生まれてきた訳ではない…。
>今の蝙蝠さんがタイムスリップしてもう一度いじめの場所に戻って、子供の
>蝙蝠さんに何てアドバイスするのか・・・
>加害者だった罪を償うんだったら、最良の方法だと思うんだけど・・・
償い…。こうもりに可能なのはそれぐらいだろう…。あるいは今いじめの
被害に遭っている子供に対して尽力することぐらいか…?
そして、こうもりの分身であるわたし蝙蝠に可能なのは、過去の加害の記憶
を鮮烈に焼きつけておくことである…。何度も何度も悪夢にうなされ続けるぐ
らいに…。
なお、こうもりは被害の歴史を語ることはできても、加害の歴史を語ること
ができなかった…。だから、この蝙蝠が奴に替わって語らざるを得なかったのだ…。この点について心配をかけたことをお詫びしたい…。また、心配をして
くれたことに感謝したい…。
黒Maria wrote:
> じゃかじゃーん、黒Mariaだっ!
>
> あたしは加害者が「自分も被害者だったんだ」と主張することを認めません
>。被害者にとって加害者は加害者でしかありません。「自分が生き残るために
>はしかたがなかったんだ」と主張するなら、「だったら死ねよ」と言っちゃい
>ます。
そう、それが唯一の正しい結論であると思う…。
蝙蝠さん wrote:
>ゆ〜りさん wrote:
>
>>それ以後も、いじめられっこになった子がクラスに出来ると、
>>私はいつも戦わねばなりませんでした。
>>どちらが、より多く犠牲になるか。
>>どちらが、クラスの生贄になるか。
>>生存競争だったのだと思います。
>>同盟は決して成り立たず、お互いを蹴落とすのに必死でした。
>
> 卑怯者であるこうもりはまさにそうだった…。小学校高学年で悲惨ないじめに遭っていたこうもりは、同時にいじめの加害者でもあった…。こうもりはいじめそのものとは向き合わず、自分より低劣な者を探し出すことによって、安心感を得ようとしたのだ…!!こともあろうに…!!あの卑怯者は自分から積極的にいじめを行うことはなかった…。しかし、、他のいじめを見ている生徒を見ても止めることは
>なかったし、時にはいじめにも加担した…。しかも、その言い訳をわたし蝙蝠にさせようと言うのだから、聞いてあきれる…。
>
> 第2次世界大戦終結からしばらく後、ヨーロッパの戦勝国の一部では被害の歴史だけでなく、加害の歴史と向き合う動きが見られた…。わたし蝙蝠はこうもりに対して、自身の加害の歴史を直視するよう強く警告する!!
>
いじめはいつ何時でも、被害者は悪くなく、加害者が悪い、と思います。
でもいじめが行われる状況では、まず自分を守ることが先決になるのではないでしょうか?(でないと、人を助けることは出来ないと思います。)
私は、ユーリさんや蝙蝠さんは、自分を守るために必死だったのだと思います。
確かに加害者になったかもしれないけれど、それは自分を守るための苦肉の策だったのでは・・・
子供の頃はどんな人でも、自分を守るだけで精一杯です。
Aタイプの子供達は、特に場を読むことが下手だったりするので、自分を守ることも下手だと思います。
そして、Aタイプじゃなくても、長男(第一子)もへたです。(言い切り・・・)
だから、そこを親が心配したりするのです。
今現在の蝙蝠さんの人格で、まだ発達途中の子供の頃の蝙蝠さんがやっていたことを判断し、責めるのはやめましょうよ。
そんなことしたら、まるで自分の思い通りに行かない子供を責める親と一緒じゃないですか?
手段を知らない子供が、自分を守るために精一杯やっていた行為を、否定しちゃうんじゃなくて、じゃああの時、どうしていたら良かったのかを考えた方がいいのじゃないでしょうか?
今の蝙蝠さんがタイムスリップしてもう一度いじめの場所に戻って、子供の蝙蝠さんに何てアドバイスするのか・・・
加害者だった罪を償うんだったら、最良の方法だと思うんだけど・・・
私が、子供の頃の自分にアドバイスするとしたら、”いじめがある状況で、まずあなたがしなければならないのは、人を傷つけない方法で、自分を守ること。・・・具体的に言うと、その場から離れなさい。それから、自分が一番好きな(信頼できる)先生なり、大人に助けを求めること。・・・自分が見たり聞いたりしたことを自分の言葉で説明し、その時自分はどう思ったかを言いなさい。もし、それを言った大人が自分が思ったように分かってくれなかったら、違う大人に同じ話しをしなさい。分かってくれる大人が見つかるまで、何度も話しなさい。あなたがいじめられている人を助けるために一番最初にすることは、助けてくれる大人を探すことだよ。”と言います。
子供の頃の私に出来るのは、この程度だと思います。
昔の事を教訓にしても良いけど、昔の事で自分を責めちゃだめだよ。
って、良く私もやってるんですけどね。
(ぺりこ)
ぐるんさ wrote:
>>るおう wrote:
>>>沢山の屈辱的なことを言われて、ずっと我慢してきました。そしてあまりの暴挙に、切れてしまった私です。誰かが私のことをわかってくれると思っていたけれど、わかってもらえなかった。年よりが何を言っても、がまんしないといけない。それだけ生きてきたのだから。と、、長い年月を生きれば何を言おうが、しようが良いらしい。私は、それを言ったら、また色々といわれた。上司に。論理が一貫していなかったので、訳がわからなかったから色々聞いたら、、いい加減怒るぞと言われた。わからない。
>>>私の大事にしているものに傷をつけても謝らなかったから、怒ったのだが。。最後は。。それも謝罪されなかった。わからない。。
>>>そしてなやんでいたら、人間味や人間性を感じないといわれた。。人間ってなんだろうか?私にはわからない。そして曖昧な部分に大事なことが含まれていると言われたのだが、曖昧な部分が、私にはわからないのだ。皆さんの中にも人間味がないといわれたことがある人いますか?人間味が、ないせいで、きっと私は、人と知合いになっても、、他ノ人のような、知らないけれど繋がっているということが出来ないのかもしれない。ちょっと良くわからない。
>>>
>>>悪いことをされて、嫌なことを言われて、意地悪をされて切れてしまった、
>>>怒った私が悪いことになるらしい。
こんばんは。はじめて書き込みします。私の文が全然出ず、るおうさんの文だけになってしまったところがいっぱいでごめんなさい。(実は、書き込み自体が初めてなので、ミスの連続でした。)文章読む限り、あなたの方が正しいと思いますよ。大体、上記のことされれば、切れたくなるのも当然じゃない?そもそも周囲の人たちも、なぜるおうさんが切れたのかって考えた人いるのかな?と思いました。(とかく表面的なことだけで、その人の全てを捉えたような気になる人もいますからね。まったく!)
私も、皆の前でバカよばわりされてくやしい思いをしたことがあります。(るおうさんとシチュエーションは違いますが。)私自身も、もう我慢の限界かと思うくらい。しんどいです。もーやだ。(しょっぱなからまとまらない上に、泣き言でごめんなさい。)
Maria wrote:
> あたしは加害者が「自分も被害者だったんだ」と主張することを認めません。被害者にとって加害者は加害者でしかありません。
↑これと↓これって、矛盾してない?
> もちろん、そういうことをしたのは中国人や朝鮮人のごく一部だ、というのはわかります。だったら中国・朝鮮がしつこく日本に謝罪を要求するというのはフェアではありません。
もしもこの謝罪要求を日本が「あんたも加害者なんだから」といって拒絶するのなら、その場合は「自分も被害者なんだからと主張する加害者」とは、まさに日本のことになりますよね。
そもそもセットで相殺しようってとこに無理がある。両方が加害者なら、お互いに謝罪や賠償を要求する権利があるってだけのことじゃないかしら。
それと、不用意に○○人はグループで扱うと、必ずといっていいほど「返事をしない子は耳に障害がある」と同じ間違いがおこる。
たとえそこを相手が間違えているからって、じゃあこっちも間違えていいのかという問題もあるし。
てなわけで、ものすごく論旨が雑。最初に読んで Maria ちゃんらしくないなと思ったけど、黒 Maria ちゃんはまた別人なのか。
いま読んでいる本はちょうど、「他人の話を正面から批判するのはやめよう」というところ。
いくら本を読んでも全然自分の性格は変わらないらしい みどり
蝙蝠 wrote:
> 話を元に戻そう…。シンタロウくんが普通学級に編入した時、普通学級の
>生徒は彼に対してむごい仕打ちをした…。シンタロウくんはそれを健常者の
>仕打ちと捉え、健常者を憎悪していた…。しかし、シンタロウくんを踏みに
>じった奴らは本当に健常者だったと言えるのだろうか…?そのなかにこうも
>りのような発達障害の側の裏切り者が混じっていた可能性はいなかっただろ
>うか…?わたしは自問する…。
>
> 第2次世界大戦終結からしばらく後、ヨーロッパの戦勝国の一部では被害
>の歴史だけでなく、加害の歴史と向き合う動きが見られた…。わたし蝙蝠は
>こうもりに対して、自身の加害の歴史を直視するよう強く警告する!!
じゃかじゃーん、黒Mariaだっ!
あたしは加害者が「自分も被害者だったんだ」と主張することを認めません。被害者にとって加害者は加害者でしかありません。「自分が生き残るためにはしかたがなかったんだ」と主張するなら、「だったら死ねよ」と言っちゃいます。
日本が連合国(ちなみに、「連合国」と「国連」は同じ言葉です)に負けたとき、「戦勝国」でも「敗戦国」でもない「第三国」と呼ばれた国がありました。現在でいう中国・朝鮮・台湾です。で、いわゆる引き上げ者に対して、中国・朝鮮人がどれだけひどいことをしたか、あるいは日本国内で在日中国人・朝鮮人の一部がどれだけの非道の仕打ちを働いたかを、あたしは当事者から聞いて知っています。それを考えると、中国人差別・朝鮮人差別というのはむしろ当然のことだと思っています。
もちろん、そういうことをしたのは中国人や朝鮮人のごく一部だ、というのはわかります。だったら中国・朝鮮がしつこく日本に謝罪を要求するというのはフェアではありません。
オウム真理教のメンバーにしたところで、「教祖には逆らえなかった」「マインドコントロールされていた」主張しつつ、おいしい思いをしていた連中というのは、いるわけです。「命令されたから、しかたなくやったのだ」「私は明確な指示は出していない。彼らが暴走したのだ」といった「責任回避の構造」ができあがっちゃうと、わりと好き放題できてしまうんですよ。
自分より弱い人間をいじめることで精神のバランスを取ろうとすることは、「逃げ」でしかありません。あくまで戦わなければならないんです。で、教師はそれをサポートする義務があります。いじめを行なった生徒を罰するだけでなく、いじめに屈することなく戦った生徒を支援しなければなりません。それが教育というものです。
けれど、「建前」「綺麗ごと」が嫌いな人間というのが、世の中にはいます。「自分は正しい」と主張する人間が、その主張の正しさとは別に、とにかく生理的に嫌いな人間というのがいます。
はっきり言っちゃいましょう。いじめがあったときに、いじめる側に加担する教師というのがいます。数学や英語といった受験科目とは違って、受験に関係のない科目の担当者であるががめに、学校内における立場の弱い教師というのがいるんです。そういう教師が組合(はっきり言っちゃいましょう。日教組です)の力をバックに、優等生いじめに加担するんです。
大田区立大森第八中学校の教師だった、体育の小林、美術の千原、音楽の河野。この三人をあたしは一生赦しません。いじめを働いた生徒は馬鹿だから赦す気にもなります。ですが、教師の立場でありながら、いじめに加担したこの三人の教師は、萬死に値すると思っています。泣きながら命乞いをするのを、いたぶりながらたっぷりと時間をかけて殺してやりたいとはっきり思っています。で、この三人を放置していた野村校長も、ついでに同じように殺してやりたいと思っています。
話は変わるけど竹内校長、荒木教頭、体育のうーさんこと加藤先生、英語の治田さんに美術の八田さん、ごっちゃんこと生物の後藤先生に化学の井手のおばちゃん先生、数学の石田先生に歴史の西山先生、感謝してます。国語の島村先生や白子先生もいらっしゃいました。あとはえーと神主さんだった……ってきりがないから止めることにします。荒木さんは本当はあんまり好きじゃなかったんだけどさ、金魚マニアっていう共通点ができたらなんとなく共感できるようになりました。
だけど、それからいろんな人の話を聞き、自分の受けた扱いについてずっと考え、大人になっていろいろと分析した結果、小林・千原・河野の三人組に関しては、絶対に赦すことができない、と結論しました。
あたしは、「よい生徒であること」でいじめに対抗しつづけました。「君にも悪いところがあるんじゃないか?」といった形で終わらせられたくなかったからです。徹底的に正しくあることで、「間違っているのはどっちですか?」と学校(つまり、社会体制)に迫ることで、彼らを罰することを欲したわけです。法治国家というのは、本来そういうものですから。
ですが、「体制側の人間」であるはずの教師が、「いじめ」に加担したわけです。それも、あたしが間違っているからではなく、「正しいから」です。社会秩序意識というものを涵養するための場である学校において、それは赦されざる行為です。「社会に出たら、そんなことはいくらもあるんだ」というのは確かに正しいんですけれど、少なくとも義務教育の場は、そういう理屈が通る場所であってはいけません。
いじめに加担する教師は、単にいじめられた子供に対する犯罪者ではないんです。彼らは「教育に対する信頼」を損ねたという意味で、社会に対する犯罪者なんです。その被害者というのは、日本国民全員なんです。ですから、医者や弁護士や教師がその立場を利用して行なった罪は、ふつうの犯罪者が行なった罪よりも、何万倍、何十万倍も重いんです。そして、それはそうした重責を担ってそうした仕事に打込んでいるひとたちを、冒涜する行為です。
だから、そういう連中は干炙りでも釜茹ででも鋸引きでもやって公開処刑してやるのが当然、とあたしは思っているのね。
でまあ、あたしは「筋を通す」ことで世の中を渡ってきたわけなんだけど、そういう「筋を通す」生き方自体が嫌いな人間の悪意によって散々な目に遭ってきました。こういう相手には論理的説得も、功利的説得も、感情的な説得も効きません。こういう連中は、それが「悪いこと」「間違っていること」を重々承知していて、結果的に自分の得にならないこともはっきり知っていて、被害者が激しい苦痛を感じることを目的に、そういう行為を行なうのですから。
で、そういう奴の行動に乗じて、自分も好き放題しちゃう奴が大勢いるわけです。そういう連中が「私も被害者だったんだ」とかいった言い逃れをするのを、あたしは赦さないのね。だから、あたしは「被害者」「弱者」を信用しません。
みなさんは、たぶん中学校の国語の授業でアルフォンス・ドーデの『最後の授業』を教わっていると思います。あの作品では、ドイツ(プロシア)がフランスのアルザス地方を侵略したように描かれています。ですが、アルザス地方は本来ゲルマンの土地でした。そこを占領し、ゲルマン文化の徹底的な破壊を行なったのがフランスです。
被害者ヅラした奴に気をつけろ。弱者ヅラした奴に用心しろ。
あたしはそう思っています。だからあたしは中国人も朝鮮人も沖縄人も嫌いです。
(Maria)
蝙蝠 wrote:
>
> 卑怯者であるこうもりはまさにそうだった…。小学校高学年で悲惨ないじめに遭っていたこうもりは、同時にいじめの加害者でもあった…。こうもりはいじめそのものとは向き合わず、自分より低劣な者を探し出すことによって、安心感を得ようとしたのだ…!!こともあろうに…!!あの卑怯者は自分から積極的にいじめを行うことはなかった…。しかし、、他のいじめを見ている生徒を見ても止めることは
>なかったし、時にはいじめにも加担した…。しかも、その言い訳をわたし蝙蝠にさせようと言うのだから、聞いてあきれる…。
>
君だけじゃない!俺だってそうさ。
訂正コメント…
蝙蝠 wrote:
> わが名は蝙蝠…。こうもりが語り得ぬことを語るために生み出されてきた者
>…。ゆ〜りさんのコメントを見ているうちに、こうもりの論点には大きな問題
>点があることが発見された…。しかし、卑怯者であるこうもりは自己批判をす
>ることができず、問題をわたしに委ねた…。よって、こうもりに替わって、わ
>たし蝙蝠が批判を行う…。
>
>ゆ〜りさん wrote:
>
>>それ以後も、いじめられっこになった子がクラスに出来ると、
>>私はいつも戦わねばなりませんでした。
>>どちらが、より多く犠牲になるか。
>>どちらが、クラスの生贄になるか。
>>生存競争だったのだと思います。
>>同盟は決して成り立たず、お互いを蹴落とすのに必死でした。
>
> ゆ〜りさんの悲劇は多くの発達的境界人が経験しているそうだ…。一般向け
>のADHDの解説書『のび太・ジャイアン症候群』(主婦の友社)の作者司馬
>理瑛子氏は、ADHDの子供同士が学級においていじめっ子といじめられっ子
>の役割を演ずる構図を指摘している…。また、こうもりの知り合いの知的障害
>児の母親は、普通学級のLD児が子供にちょっかいを出すことに苦悩していた
>…。むろん、普通学級でいじめたりいじめられたりするのは、軽度発達障害児
>だけではない…。しかし、いじめを受けた軽度発達障害児が別の状況で加害者
>に転じてしまう危険性は限りなく高い…。
>
> 卑怯者であるこうもりはまさにそうだった…。小学校高学年で悲惨ないじめ
>に遭っていたこうもりは、同時にいじめの加害者でもあった…。こうもりはい
>じめそのものとは向き合わず、自分より低劣な者を探し出すことによって、安
>心感を得ようとしたのだ…!!こともあろうに…!!あの卑怯者は自分から積
>極的にいじめを行うことはなかった…。しかし、、他のいじめを見ている生徒
>を見ても止めることはなかったし、時にはいじめにも加担した…。しかも、そ
>の言い訳をわたし蝙蝠にさせようと言うのだから、聞いてあきれる…。
>
> 話を元に戻そう…。シンタロウくんが普通学級に編入した時、普通学級の生
>徒は彼に対してむごい仕打ちをした…。シンタロウくんはそれを健常者の仕打
>ちと捉え、健常者を憎悪していた…。しかし、シンタロウくんを踏みにじった
>奴らは本当に健常者だったと言えるのだろうか…?そのなかにこうもりのよう
>な発達障害の側の裏切り者が混じっていた可能性はいなかっただろうか…?わ
>たしは自問する…。
>
> 第2次世界大戦終結からしばらく後、ヨーロッパの戦勝国の一部では被害の
>歴史だけでなく、加害の歴史と向き合う動きが見られた…。わたし蝙蝠はこう
>もりに対して、自身の加害の歴史を直視するよう強く警告する!!
>
>(こうもりからのメッセージ)
>
> ちょっと補足です。
>
> 自分の加害者としての面としっかり向き合われているゆ〜りさんは今回の批
>判の対象に含まれていません。あしからず。
わが名は蝙蝠…。こうもりが語り得ぬことを語るために生み出されてきた者…。
ゆ〜りさんのコメントを見ているうちに、こうもりの論点には大きな問題点があることが発見された…。しかし、卑怯者であるこうもりは自己批判をすることができず、問題をわたしに委ねた…。よって、こうもりに替わって、わたし蝙蝠が批判
を行う…。
ゆ〜りさん wrote:
>それ以後も、いじめられっこになった子がクラスに出来ると、
>私はいつも戦わねばなりませんでした。
>どちらが、より多く犠牲になるか。
>どちらが、クラスの生贄になるか。
>生存競争だったのだと思います。
>同盟は決して成り立たず、お互いを蹴落とすのに必死でした。
ゆ〜りさんの悲劇は多くの発達的境界人が経験しているそうだ…。一般向けのADHDの解説書『のび太・ジャイアン症候群』(主婦の友社)の作者司馬理瑛子氏
は、ADHDの子供同士が学級においていじめっ子といじめられっ子の役割を演ずる構図を指摘している…。また、こうもりの知り合いの知的障害児の母親は、普通
学級のLD児が子供にちょっかいを出すことに苦悩していた…。むろん、普通学級
でいじめられるのは、軽度発達障害児だけではない…。しかし、いじめを受けた者
が別の状況で加害者に転じてしまう危険性は限りなく高い…。
卑怯者であるこうもりはまさにそうだった…。小学校高学年で悲惨ないじめに遭っていたこうもりは、同時にいじめの加害者でもあった…。こうもりはいじめそのものとは向き合わず、自分より低劣な者を探し出すことによって、安心感を得ようとしたのだ…!!こともあろうに…!!あの卑怯者は自分から積極的にいじめを行うことはなかった…。しかし、、他のいじめを見ている生徒を見ても止めることは
なかったし、時にはいじめにも加担した…。しかも、その言い訳をわたし蝙蝠にさせようと言うのだから、聞いてあきれる…。
話を元に戻そう…。シンタロウくんが普通学級に編入した時、普通学級の生徒は
彼に対してむごい仕打ちをした…。シンタロウくんはそれを健常者の仕打ちと捉え
、健常者を憎悪していた…。しかし、シンタロウくんを踏みにじった奴らは本当に
健常者だったと言えるのだろうか…?そのなかにこうもりのような発達障害の側の裏切り者が混じっていた可能性はいなかっただろうか…?わたしは自問する…。
第2次世界大戦終結からしばらく後、ヨーロッパの戦勝国の一部では被害の歴史だけでなく、加害の歴史と向き合う動きが見られた…。わたし蝙蝠はこうもりに対して、自身の加害の歴史を直視するよう強く警告する!!
(こうもりからのメッセージ)
ちょっと補足です。
自分の加害者としての面としっかり向き合われているゆ〜りさんは今回の批判の対象に含まれていません。あしからず。
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