アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ゆーり さんwrote:
>「真実」なんてない、というのが真実かもしれないです。
>でも信じるもの無くして、どうやって生きていけばいいのか?
>無神論者に陥ったものが、はたして幸福でいられるかどうか、です。
>「真実」を知ることは、「幸福」からどんどん遠ざかることなのじゃないか
>と思うのですが。いかがでしょ?
「イッキ、イッキ!」みたいに酔いの勢いをごり押しするのを止めてけば、幸福の真実、真実の幸福が見えてくると思う。一切は空なんだけど、だから「一期は夢よ ただ狂え(閑吟集)」ではなくて、「いとおしい調和の感覚を創れ!」なのだ。
醒めていくほうに、賛成。
はじめまして。
いきなり質問なのですが、ASかどうかの診断をしてくれるお医者さんってどこに
ありますか?(私は関東に住んでいます。)
ネットで偶然この関係のサイトに出会い、なんだか他人事でない気がずっとして
います。
診断基準なども読んでみたのですが、やはり自分では判断が偏ってしまうような
気がします。ここが見て回った中では一番活発そうな掲示板だったので、とりあ
えず質問してみました。ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。
Joshyaさん wrote:
>
> 事業部長の鶴の一声で、起死回生のための「癒し系人間型ロボット」の開発が開始される。
> それは、ロボット開発における「人間とは何か」という問いと密接にかかわっていることが分かってくる。
タレイヌです。完全に、横道はいっています。
手塚治虫(おっと、ちゃんと入ってるのね、おさむし・・すごいわ!)も、そうでしたし、「オズ」のなかでも、人工知能(ロボットです)が絡んでましたが、「人間について」を考えるのに、とてもよい、研究対象なんですね、きっと。
「知識」を、どんどん追いかけていくと、その先、どこかで「感情」に、からんでいくのかしら?それとも、どこまでいっても、あくまでも、「知識」と「応用」だけで終わるのかしら? もし、「感情の領域」に踏み出すのだとしたら、『どこの、何が』きっかけになって、分かれるのかしら?
(タレイヌのつぶやき・・・)
やんちゃんさん、こんにちは。
>ちなみに、未治療ですが、今のところ支障無く来ています。口が開かないとか痛いとかも、今はありません。
>この場合、ほっといても大丈夫なんでしょうか。
僕も小学校だか、中学校から、食べる時あごを大きく開けると耳近くで「ガキ!」となります。それ自体は痛くも無いんですが、ガクガクなるので医者に言ったら、顎関節症かもしれないなあと言われました。
ただし、あまりガクガクさせると痛くなるからダメだ(故意に鳴らさない方がいい)と言われました。それ以来あまり気にしていません。たまに鳴ります(大きく口を開けすぎると)けれども、重い症状にはなっておりません。
ゆーり さんwrote:
>子どもが主人公!女の子がいいな。
>
>いじめられたり、馬鹿にされたり、といったエピソードよりも
>きらきら光る、きれいな世界を表現して欲しい。
はじめまして。タレイヌです。
ちょっとずれてしまうかも・・・・と、あらかじめ、ことわって。
タレイヌ、ある意味で、宮崎駿さんて、こっちの系統に(?)いるんじゃないかと思っています。主人公は、物語を引っ張る重要人物なので、キャラ決めるのには、いろいろ考えるんでしょうけれど、どの子をとっても、一貫しているのは、孤立無援の状況が、バックに見え隠れしているという点。
こういう事って、ありえないんだけれど、仮に、今のこの辺の世界に、彼女らを連れてきたら、絶対いじめられる。そして、そんなに上手い事、王子様的(?)存在が現れるはずは無いんだから、かなり大変な状況が展開すると思う。
だけどね、物語としての作品すべてに流れているものは、「自分を信じて、自分の最善を尽くして、必要な援助は、手の内を明かしてでも、乞う」という、理想的(!)な、潔(いさぎよ)さなのかも・・・と思うタレイヌ。
きらきら光る・・・からは、ずれてて、ごめんなさい。
最近出来た「ジブリの森」に、ほんのちょっと、仕事がらみで入りました。彼の20歳の時の“油絵”が1枚だけ、ありました。ルオーと、シャガールが混じったような、暗い色調の中に、でも、ほのぼのとした温かみのあるほの赤い裸婦が、横向きに小さく描かれていました。周りには、動物がかかれていたように思う。
彼自身もまた、将来の自分が、どこへ向かうのか不安な時期を、過ごしていたのだという事が、なんとなく、伝わってきました。絵が描けるって、いいですね。文章が書けるのも羨ましいけど・・・
そうそう、地下1階には、アニメーションの成り立ちというか、歴史というか、種明かし?見たいなコーナーがあって、このこだわりは、ただ者ではないなぁ・・と感じさせてくれました。(全体的には、あまり、大人向けではないですよ。ちょっと目新しいけど確かに・・・)
(三鷹市の回し者では無い、タレイヌ)
ゆーリーさんへ
レス、ありがとう。私もシュタイナー教育に興味があります。主に子安康子さん(?)の自分の子どもの体験記を読んだことがきっかけなのですが。そんな教育を受けたかった。シュタイナー教育が日本の教育にとれいれられたらもっと個人の個性を尊重できる社会になるような気がします。
こうもりの医学的な所属が決定した以上、この蝙蝠の医学的所属も決定さ
れたことになる…。よって、わたしも宣誓しよう…。
自閉人として特別扱いされることを望まぬことを誓う…。わたしの所属は
わたしが特権階級になるために与えられたものではない…。
みどりさん wrote:
>裁判など法的なものには疑問ありありなのですが、でもやっぱり反省はしない
>よりした方がよさそうだし。
>なにが言いたいかと言うと、反省を口にすることを恐れるようになるとやだな
>、ということです。
反省を口にする時はいつもニーチェの下記の警句を思い浮かべています。
「人が道徳に服従するのは道徳的であるからではない。道徳への服従は君主へ
の服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、利己心からでも、断念
からでも狂信からでもありうる。それ自体では、それは何ら道徳的なことでは
ない」
反省の表明にもこれに似たようなところがあります。
Maria wrote:
> 田中真紀子大臣は、自分に対する外務省官僚の対応を、「私が女だからと思って、いじめている」という構図に押しこむことでコントロールしようとしているように見えます。
私にはそう見えたことはありません。
…って、これじゃ会話が終わってしまうな。
えー、確かに何度か、特に最初の頃、「女だと思って云々」発言はあったと思うんですが、その後は聞いてませんし、実際女だから云々という陰口も言われてきているので、それに対して妥当な程度の苦情申し立てだと思います。(そんなんしつこく繰り返してたら、私自身ががまず反感を覚えるはずなんで。)
#だいたい被害者面が似合う人じゃないし、女性であることを自ら武器にしたのを見たこともない。女性だからと非難したり女性だからと支持したり女性だからと奉りあげたり、してるのは周囲が勝手にしているだけに見える。
まあ、あの人が無能かどうかは、後になってからいくらでも議論できるし、じゃあ歴代の外相はどれだけ立派だったんか、て話もあるし。
もっと上手なやり方もあるのかもしれませんけど、少なくともあの人が外相でいる間はできるだけ足をひっぱらないようにして、存分に仕事をしてもらいたいものです。
って、ものすごく話がずれたぞ。
武田好史さん wrote:
> 次の自閉症題材のTVドラマのストーリーは、どんな感じのものがいいと
>思いますか?
舞台は業績不振によって事業部の統廃合が進む総合電気メーカーの製造・検査装置の開発部門。事業部長の主人公は海外にあった製造拠点の閉鎖に伴って日本に戻ってきた主任開発者。彼は日本の企業体質が性に合わず、自ら望んで合弁企業であるドイツの航空機メーカーに出向していたのだが、呼びかえされたのである。
事業部長の鶴の一声で、起死回生のための「癒し系人間型ロボット」の開発が開始される。ところが集められたスタッフはどいつもこいつも頭でっかちで、発想は古臭く、できない理由ばかりを並べるだけ。主人公は日本人というものにとことん絶望する。
そんな中で、顧客に誠実すぎるために会社から冷や飯を食わされている営業マン(飛び込みセールスの天才)、クライアントであった少年が自殺したため対人恐怖になって引き込もってしまった女性心理学者、アナログ制禦へのこだわりのために閑職に追いやられるも従来のシステムを過去の遺物にしてしまうようなハイブリッド制禦システムを自力で完成させてしまったメカトロの天才、同僚に馬鹿にされながらもそのコーディングパワーは鬼神もひしぐ自閉症のプログラマーといった面々と出会い、大英断でスタッフを一新することを決め、彼らを引きこもうとする。その過程で、彼らが抱えている「闇」の部分が明らかになってゆく。
旧体制との軋轢がある中、新しいチームが発足。ただし、厳しい条件がつけられる。そんな中で、プロジェクトは紆余曲折を経ながらも、徐々に目標に近づいてゆく。その中で、それぞれのメンバーは自分の中の「闇」を乗りこえ、自分の居場所、自分の生き方を見い出してゆく。それは、ロボット開発における「人間とは何か」という問いと密接にかかわっていることが分かってくる。
ついにロボットは完成。製品はヒット。しかし、事業部は廃止、プロジェクトは他の事業部に引き継がれることになった。
しかし、スタッフの表情は明るい。そして、それぞれの道を進んでゆくのである。
(Joshya)
>パックンさん
その「かれ」は、イワン・カラマーゾフみたいな人ですね!
信じたいと思いながら、人よりものが見えすぎてしまうために絶望している
ドストエフスキーです。
ほとんどの人は、真実が見えないんじゃないかなあ。
「みぬく力」とかが問われそうですよね。
でも「真実」も、人によって宗教によって信条によってちがってくるとしたら・・・
「真実」なんてあるのか?と思ってしまいます。
「真実」なんてない、というのが真実かもしれないです。
でも信じるもの無くして、どうやって生きていけばいいのか?
無神論者に陥ったものが、はたして幸福でいられるかどうか、です。
「真実」を知ることは、「幸福」からどんどん遠ざかることなのじゃないか
と思うのですが。いかがでしょ?
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