アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
オレンジブルーちゃん wrote:
>なんで誰も自閉知ってる人のいないところに自閉者一人を普通の人と同じように
>入れちゃうわけ?なんで誰も何もしてくれないの?
>折角やる気あっても仕事だってすぐに折れちゃう。
>やるだけ無駄だって思っちゃうようにさせないでよ。
>ナにやってるの専門家とか名乗っている人は?
>←だんだんムカムカ虫になる
>「工学系に多い。グラフィックデザイナーに多い」
>とかいう情報なんてだからどうだっていうんだよ!
>在学在職しててもハンディーキャップと闘っているんだから
>手助け欲しい自閉障害の理解を現場に広めろっていうんだよおおお!
おひさしぶりでございます。へこへこ。>オレンジブルーちゃん
大森総合研究所はしばらく前から“Cripled company”(仮称)という会社組織を設立すべくもぞもぞ活動しているわけなんですが(もぞもぞ)、所長のJoshyaさんが賃貸住宅の管理人さんのようなこともしているので、計理士さんともつきあいがあったりするのですね。
そんなわけで、「企業との交渉」に関していえば、「労働組合を作る」という手があったりするのですよ。
障害者手帖というのは「それ自体」が役に立つというわけではなくて、「身体障害者の認定を受けること」に附随するものでしかなかったりします。身障者用のタクシー券を使おうとしたら運転手さんに頭ごなしに叱りつけられたり、シルバーシートに坐ってたらいきなりお説教をされたりとかいった不快な経験をした内部障害者(心臓病など)は多いんですよ。つまり、見た目が「障害者」じゃないから。かといって、「自閉症なら自閉症らしくしろ!」とか言われても困るし、車椅子に乗ってるとか白い杖を突いてるとかいうわけじゃないしね。
そんなわけで、自動車につける若葉マークみたいな感じの、「私、自閉症(べつにADHDとかも含めていいんだけどさ)者として生きてます。働いてます(あるいは、「働く気、あります。仕事捜してます。」)。」マークを作り、Tシャツだとかバッジだとかいった形で着用する、というのはひとつの手です。ガーディアン・エンジェルスなんていうのはそうだしね。
NPOと労働組合の関係がどうなるのかはいま現在ちょっとわかんないんだけど、労働組合という形にすると、使用者(会社)との交渉権が得られます。そのかわり、資格のある会計監査人による監査を受けて、それが正確であるという証明書つきで年に一度組合員に公表しなきゃいけないんですけどね。
で、マークをあしらった組合員バッジ等の「A-Typeグッズ」を作り、自閉症や注意力欠陥障害の存在と実体を広く社会に知らしめる、みたいなことも、できるんじゃないでしょーか、ということだったりします。もちろん、複数の労働組合にまたがって加盟することは問題ありませんし、会社は労働組合に入っていることをもって組合員を差別しちゃいけないと法律で決まってるし。
どんなもんでしょーか。それとも、こういう団体って、もう存在するのかな?
(Maria)
Mr.Moto wrote:
> 睡眠薬に依存する奴は、「眠り」「休息」を求めているというより、「現実と向き合うしんどさ」から逃げたいのではないかと思う。そんなわけで、抗不安薬を睡眠薬(あるいは睡眠導入剤)という名前で処方することには、ちょっと考慮の余地があると思うのだ。「眠れなきゃ起きてりゃいいんです。布団の中で横になって目をつぶっているだけでも身体は休まります。
布団の中でなにもせず5時間じっとしてる (実際には眠れなくてじたばたしている) のはつらいぞ〜。現実にことさら問題がなかったときでもこれはつらかった。
しんどいのは現実ではなく、起きていることそのもの。まあ頭痛がつらいとか胃痛がつらいとかそういう感じで、起きていること状態そのものがつらいのだ。(普通に起きているのはまったく平気でも、身体か脳、場合によっては両方が睡眠を要求してる状態でなぜか起きているというのはつらい。)
依存までいくかどうかはさておき。
睡眠障害は赤ちゃんにもあるらしい。まあ赤ちゃんもまだ薬の依存にはなってないと思うけど。
今月は割とよく眠れている みどり
武田好史 wrote:
> それはリタリンのような『中枢刺激剤』を飲もうか、いや飲まないで済まそうかということです。
基本的には主治医と相談すべき事項です。 …って言うまでもないか。
それはさておき、私が抗うつ剤を飲んでいたときは、副作用が気になりました。
私はアレルギー体質だとか、まあいくつかの事情があって常用薬を作りたくなかったので、飲むための (自分への) 言い訳を考えました。
だいたい鬱というものはなにかが悪循環に入って起こっているわけだから、悪循環を断ち切るためのカンフルとしてはすごく妥当だろうと。
それに、一日の中で、うつな時間とまともな時間がころころと変化していたのですが、まともなときの方の頭が「薬でもなんでもなにかしないとやばい」と言っていたので、まあ選択肢はないというのもありました。
結果はよくわかりません。ひどい状態は脱したけど、薬のせいかどうかはわからないし。
そういえば、ドラマの ER で、小さい頃からずっとリタリンを飲んでいるルーシーに、カーターが反射的に、無責任に「やめろ」と言って、ルーシーはやめるんだけど失敗続きでやっぱり続けた、というエピソードがありました。
>リタリンなどの中枢刺激剤を服用することは、悪でしょうか?
私は絶対的な善悪は存在しないと思っているので、この質問にはこたえようがありません。
逆に、武田さんは服用のどういうところを「悪かもしれない」と思っているのですか?
依存性があること? 好んで乱用している他人が存在すること?
Maria wrote:
> とはいえ、そういう場合、担当医にそれとなく水を向けるとたいていあっさりゲロっちゃいます。やっぱり、秘密を抱えているというのは人間プレッシャーになります。若い人ならなおさらね。それを表に出さないことができるお医者さんは、相当に練れたひとです。それでも「君にだったら言っておいたほうがいいと思うから言うんだけど」みたいな形で話してくれたあとっていうのは、やっぱり肩の荷が下りてほっとしてるの分かるもんな。
水を向けることができる程度に気づけばいいんだけど。本気で隠されたら、わからんぞ。
「助かる場合は告知する」なんてのがあるけど、助からない場合こそ告知してほしい。
告知後の混乱期を乗り越えてから最後の仕事に取り掛かるということを考えると、一日でも早く知らせてくれないと困るのだ。
>>でもなんで病人がそんなことせにゃあかんのだ。
> お医者さんは本人に負担をかけたくないから、本人ではなく周囲の人に言うんですけどね。ところが、周囲の人が「立場としてはその人を保護する立場なんだけど、心理的には頼っている」、つまり何かにつけて頼りになる娘(息子)や部下だったときに、「どうすりゃいいんだ」って逆に本人を煩わせちゃうんです。
現役のがん関係のお医者さんにプライベートでそういうことを聞いたことがあります。
告知しても、普通の病院ではその後のカウンセリングとかそういうことをする余裕がないから、告知しない方が楽なんだそうです。
(全員に告知したらとても手が回らない、のだそうだ)
> 十四歳以上で身元引受人がいるか経済的に自立している場合、勘当の手続きが取れます。民生委員か法律事務所にでも相談してください。
へー、勘当って子から親にもできるのか。
>>即座に「ほっとけばいいじゃん」と思った私は、親子関係に問題があるのかも
>>しれない。
>
> 「ほっとけばいいじゃん」というのは、むしろ「親子関係に問題がない」場合に多い反応だと思います。「ほっといてくれ」と言ってもほっといてくれない、突き放そうとすればしがみついてくる、いわゆる「蛸釣った」状態の相手をどうするか、というのがこの問題でのテーマですから。
そういう状態でも放っておく、という意味での放っておく、なんですね。言って頼むのではなく、本当に放っておくか、強制的に離す。
裁判所の命令を受けて病院出入り禁止にしちゃえとか。(まあ実際にはこれはすごく難しいだろうけど。しかも本人が入院中の場合は。) まあそういう感じの「放っておけばいいじゃん」です。
ところで、しがみつく相手というのが母親でなく他人だったら M さんの対処は違うのでしょうか?
たとえば元職場の同僚 (別に特別嫌いではなかったくらいの相手) とか、病室の隣の部屋の人とか。
> 『【がんばろや WE LOVE KOBE】
こういう災害のあと報道される「心暖まる話」というのは、当事者の心が暖まる話でなく、「それを見ている第三者」の心が暖まる話ばかりでした。
で、当事者のところにインタビューに言って、「ありがたいねえ」と言わせる。あーやだやだ。
そしてやっぱり私もひねくれたやつと思われるのでしょう。
I wrote:
>これも中枢神経剤なのでしょうか?
中枢「刺激」剤の間違いでした...。すみません。
武田好史くん wrote:
> リタリンなどの中枢刺激剤を服用することは、悪でしょうか?
> またみなさんの中にこれらの薬を服用することによって、何らかのトラブルの解決に至った人はいるのでしょうか?
最近おれには悩んでいることがある。それはビールや日本酒のような『アルコールを作用成分とする致酔飲料』(以下、単に「酒」)を飲もうか、いや飲まないで済まそうかということだ。
いくつかの文献にあたってみたところ、酒というものは人間関係の形成やストレスの解消に著しい効果を発揮していて、人づきあいの幅を広げたり自分の気持を素直に開示できるようになったりというふうに、かなりの効用があるようなのだ。
しかしながら酒というものは、古来「気狂い水」と呼ばれ、きわめて強い精神的・身体的依存性がある。現に酒で身を滅ぼした人間は数知れない。
……すまぬ。この手の悪趣味な冗談が私は好きだ(-_-;)。
薬物を服用するのに善も悪もない。
薬物を濫用することが悪なのだ。
麻薬の代表であるモルヒネは、末期癌患者にとってかけがえのない強力な鎮痛剤である。
毒の王者ジギタリス毒は、また心臓病薬の王でもある。
魔女の幻覚剤ヒヨスチアミンは、全身性の苦痛を取り去り、吐気を抑える。乗物酔いにはまたとない薬である。
副腎皮質ホルモン(ステロイド)は非常に扱いの難しい薬だが、それでも適切なコントロールが行なわれればじつに強力な治療効果を発揮する。
薬なんていうものは、多かれ少なかれそんなもんなのだ。副作用のない薬はない。危険性と利得のバランスにおいて、すべての薬は使われているのである。
リタリンを含む中枢神経刺激剤には目立った身体的依存性は確認されていない。その点では酒よりはるかにマシである。
たたし、精神的依存性にはかなりややこしい部分がある。この件については現在上のほう(大森総研)で調査中。「タバコがやめられない」ということで苦しんでいる人間が多く、ニコチンガムなんていうものが売られている事実はあるものの、じつはタバコには身体的依存性というのはごくわずかしかなく、九十七パーセントくらいは精神的依存であるらしい。考えたらおれだって眠れなくて酒を飲むことはあるが、夜中に酒が切れてもがき苦しんだ記憶はない。おれは長年自分がビール依存だと思っていたが、訳あって水分を控えようと思ったらなぜかビールを飲む気がしなくなった。その替わり酒が飲みたいかというとそうでもなかったりする。どうやらおれの思考回路の中で口渇→ビールという回路ができあがっていたらしい。
最近はさかんに水分を摂れ水を飲めといった話が多いが、反面胃液が薄まって消化に悪いという人もいれば、「PETボトル症候群」といった水分の取りすぎによるトラブルも多い。そんなわけで、一日千五百ミリリットルというのが標準(もちろん身体を動かして汗をかいたりとかいった場合の水分補給は勘定に入れない)であるらしい。で、なんだかんださっ引いて残り三百五十ミリリットルを何で摂るかといえば、やっぱりキリリと冷えたビール……程度のことだったらしいのである。
そんなわけで今はちょこちょこ氷かなんかしゃぶっているのだが、コレがまたけっこうな依存性があってハマるのだ。一時期は職場で氷をボリボリ齧りながらプログラムを書いていたために同僚から「うるせぇ」と苦情が出たこともある。そういえばガムにハマッていたプログラマーもいた。結局そんなもんかもしれないとも思う。
そんなわけで、精神的依存性というモノの得体が知れないという点でかなり怖い部分があるのは確かなことである。その点、精神安定剤や睡眠薬と同列に考えるのが適当なのではなかろうか。
おれは長年リーゼという抗不安薬を愛用しているが、「飲まなきゃいられない」という訳ではなく、「持っていると安心」程度のものである。タバコを止めた人間も、目の前にタバコと灰皿を置いたままある日突然禁煙してそれっきり十年以上吸ってない、とかいったケースが珍しくない。今現在うちの冷蔵庫には二百五十ミリリットルと五百ミリリットルの缶ビールが冷えているのだが、まあ、それだけのことである。確かに切実にビールが飲みたい気持はあるのだ。ところが「おれは本当にビールが飲みたいのか? それとも単に水が飲みたいのか?」と考えると、よくわからなくなってくるのである。氷のかけらをちびちびしゃぶっていれば、しばらくはどうでもよくなっちゃうのが分かっているからだ。こういう迷いはタバコにはない。
睡眠薬に依存する奴は、「眠り」「休息」を求めているというより、「現実と向き合うしんどさ」から逃げたいのではないかと思う。そんなわけで、抗不安薬を睡眠薬(あるいは睡眠導入剤)という名前で処方することには、ちょっと考慮の余地があると思うのだ。「眠れなきゃ起きてりゃいいんです。布団の中で横になって目をつぶっているだけでも身体は休まります。ただ、『眠りたいのに眠れない』というのが苦痛なら、この薬が効きます」と、はっきり説明したほうが親切なんじゃなかろうか、と思うのである。もちろん「話がややこしくてわからん」という人もいるだろうが、それはそれで個別に扱えばいい。
セックスが好きな女は、セックスが好きなのではなく、相手を愛している自分、相手に愛されている自分を確認するのが好きなのかもしれない。それで気持よかったら十分だろうし、仮に男のほうがダメでもいちゃいちゃしたりマッサージしてもらったりで十分満足だったりするかもしれない。
仕事だってそうだ。仕事が好きなのか、それとも仕事を通じて自己実現するのが好きなのか、よくわからないまま仕事をしている人間のほうがたぶん多かろう。仕事によってかろうじて自我を支えている奴が仕事中毒になるという傾向は確かにある。
そんなわけで、リタリンが善だとか悪だとかいうことを論じることには意味がないとおれは思う。「服用する人間がリタリンとどうかかわってゆくか」という、その「かかわりかた」について論じるのなら、大いに意味があるとは思うが。これはリタリンに限らず、酒やタバコ、あるいは薬や医療、専業主婦を選ぶかどうかといったことも同じだと思う。
(Mr.Moto)
武田さんのカキコで思い出しました。ときどき、皆さんのカキコの中に、「SSRI」という名前を見ることがありますが、これも中枢神経剤なのでしょうか?そして、どんな効用があるのでしょうか?よろしければ、どなたか教えて下さい。(私は、この掲示板で初めて知りました。)
武田好史さん wrote:
>最近僕は悩んでいることがあります。
>
> いくつかの文献にあたってみたところ、中枢刺激剤という薬は、かなりの治療効果があるようです。
> しかしながらこれらの薬は、覚せい剤の仲間のアンフェタミンの誘導体であり、ある程度の依存性があります。
実はこれ、私も現在通っている(といっても、まだ2回だけですが)所で初めて知って、びっくりしました。
>リタリンなどの中枢刺激剤を服用することは、悪でしょうか?
私自身は投薬を悪いことだとは思いません。しかし、どうしても必要な時...つまり、最小限の量だけにするようにした方がいいと思います。(薬の特性を考えるとなおさら...。)
>またみなさんの中にこれらの薬を服用することによって、何らかのトラブルの解決に至った人はいるのでしょうか?
私はリタリンを服用したことがないので、これには答えられません。ごめんなさい。
岡山発、鷲羽丸からお知らせです。
12月23日(日) 17:00ごろから、岡山駅周辺の飲食店で、忘年会を兼ねたオフ会をやろうかと思います。(今のところ会場は未定)
参加したいという方は、12月1日までに、わしにその旨のメールを送ってください。
鷲羽丸
武田好史 wrote:
最近僕は悩んでいることがあります。
それはリタリンのような『中枢刺激剤』を飲もうか、いや飲まないで済まそうかということです。
いくつかの文献にあたってみたところ、中枢刺激剤という薬は、難治性のうつ病・ナルコレプシー・注意力障害などの疾患に対して著しい効果を発揮していて、学校での勉強や会社での仕事にきちんと取り組めるようになったり、これまでミミズが這ったような・金釘が曲がったような文字しか書けなかった人がきれいな文字を書けるようになったり、人の話を最後まで聞くことが困難だった人がちゃんと話の細部まで聞けるようになったりというふうに、かなりの治療効果があるようです。
しかしながらこれらの薬は、覚せい剤の仲間のアンフェタミンの誘導体であり、ある程度の依存性があります。現に『リタリン』という語をホームページの検索にかけてみると、明らかに乱用を奨励しているような感じのULRが存在していました。またアメリカでは、クリントン前大統領の夫人のヒラリーさんも所属していたグループが、「未来ある子供に中枢刺激剤は使わないで!」という、子供への投与に反対するキャンペーンを行ったということです。また服用によって、逆に強い自殺願望が生じてしまったケースもあるようです。
さて僕はということですが、既にお医者さんから、AS+ADDの不注意優位型という診断をもらっていて、現在はSSRIの一種である「マレイン酸フルボキサミン」を処方してもらっています。それによってだいぶ、いわゆるうつ状態から抜けつつあるのですが、まだ注意力の維持の問題が残っていて、疲れやすくとてもじゃないけど、9時から5時まで毎日事業所に勤めるのは困難といった感じです。
そこでみなさんに質問します。
リタリンなどの中枢刺激剤を服用することは、悪でしょうか?
>
またみなさんの中にこれらの薬を服用することによって、何らかのトラブルの解決に至った人はいるのでしょうか?
>
オレンジブルー wrote:
>そういう判断こそ、専門家さん達が働きかけて改正していくことなんじゃあないの
>ですか??
>。。実際の現場(学校や職場)での実践的なアプローチや環境の理解が必要なんですが。。なんで誰も間に入ってくれないんだろう。。無茶すぎるよ(泣)
>ナにやってるのかな日本中に一応存在している専門家や研究者って。?????
>なんで誰も自閉知ってる人のいないところに自閉者一人を普通の人と同じように
>入れちゃうわけ?なんで誰も何もしてくれないの?
>折角やる気あっても仕事だってすぐに折れちゃう。
>やるだけ無駄だって思っちゃうようにさせないでよ。
>ナにやってるの専門家とか名乗っている人は?
>←だんだんムカムカ虫になる
>「工学系に多い。グラフィックデザイナーに多い」
>とかいう情報なんてだからどうだっていうんだよ!
>在学在職しててもハンディーキャップに闘っているんだから
>手助け欲しい自閉障害の理解を現場に広めろっていうんだよおおお!
>しかも誰にもこの大変さは恐ろしいほど見えてないという。。。
>どんなに成績が良くっても、周りと同じだけのもの要求する時点でメチャクチャです。。結局私は折れました。
私は、「現行の障害者手帳の発給の基準は、必ずしも障害による全ての生活困窮者の救済に役立ってはいない!!」と思います。
例えば、我々軽度発達障害者にまつわるところでは、『精神障害者』に分類するか・それとも『知的障害者』に分類するかというところで、専門家や行政側の意見がまちまちになっています。また交通事故などによるいわゆる『高次脳機能障害』の人は、現行の制度では十分な支援を受けられないのが現状です。また精神障害の多くは、現代の医学では脳内で働いている『神経伝達物質』の収支の異常によるものであることが判明しています。
「脳が原因で、学習することに困難性があったり・コミュニケーションの能力が劣ったり・精神や情緒というものが不安定たったり・通常の人に比べて労働活動を維持していくのが困難で、生活に支障をきたすものには、<脳機能障害者手帳>を発給し、障害に見合った福祉的・治療教育的な援助を受けられるようにする」ということを、全国の都道府県・市町村の福祉当局者に訴えたい気持ちで、私の心の中はいっぱいです。
武田好史 wrote:
> カウンセラーの方の話によると、私の場合、もしものときのために手帳を取得し>ておき、障害者年金がもらえるようにしておいたほうがよかろうということでし
>た。
あ、私も「考えてみてもいいんじゃないかな?」という風に柔らかいニュアンス
で医師に言われました。
「先生!働くの無理だっていってるのに、国民年金納めろって通知ばっかり来て、
こんなの無茶苦茶すぎるわ。」と言ってみたんです。
日々の生活もやっとこなのに。
1年半見ても状況が変らなかった場合に発行されるようで。。
> また精神保健センターでも相談にのってもらいましたが、そこのソーシャルワーカーの人の話では、「アスペルガー症候群は精神保健手帳の対象になるが、知的障害者の療育手帳の対象となると難しいでしょう。」ということでした。
あ、聞いた話しですが、
自閉症の場合、知能指数で測らずに、自閉症は自閉症ということで、
近じかIQ70ラインがもうすぐ解除されるようですよ。
あと何年か後になれば・・・・!はあ〜。。
>また大阪府では、地元のLD児・者親の会が、福祉当局に「手帳の取得に対して、
>求める人には、弾力的に対応してください!」という意見書を提出したようで
>す。
そうよー。正直いわせてもらうと、一番身近に存在している親が働きかけてくれないと、こっちもどうしようもないのよー。
何事においても本人に「20歳過ぎた人」と同じ扱いを私に求める時点で、
無理過ぎるのだし。。。(泣)
セッパつまらないと事の重要性が見えないのでしょうか?
うーん。でも、うちの親は「時間はまだあるから焦らなくっていい」と言ってくれるけど、「自閉症」と知った時点で、もちょっとなんか焦って働きかけて欲しいなあ。。
>ここまで踏まえて頂いたところで、みなさんに質問です。
>軽度発達障害者に手帳は必要でしょうか?
>また必要とすれば、既存の手帳で良いのでしょうか?
そういう判断こそ、専門家さん達が働きかけて改正していくことなんじゃあないの
ですか??
。。実際の現場(学校や職場)での実践的なアプローチや環境の理解が必要なんですが。。なんで誰も間に入ってくれないんだろう。。無茶すぎるよ(泣)
ナにやってるのかな日本中に一応存在している専門家や研究者って。?????
なんで誰も自閉知ってる人のいないところに自閉者一人を普通の人と同じように
入れちゃうわけ?なんで誰も何もしてくれないの?
折角やる気あっても仕事だってすぐに折れちゃう。
やるだけ無駄だって思っちゃうようにさせないでよ。
ナにやってるの専門家とか名乗っている人は?
←だんだんムカムカ虫になる
「工学系に多い。グラフィックデザイナーに多い」
とかいう情報なんてだからどうだっていうんだよ!
在学在職しててもハンディーキャップに闘っているんだから
手助け欲しい自閉障害の理解を現場に広めろっていうんだよおおお!
しかも誰にもこの大変さは恐ろしいほど見えてないという。。。
どんなに成績が良くっても、周りと同じだけのもの要求する時点でメチャクチャです。。結局私は折れました。
名加野 wrote:
>しばらくこちらにこられません。会社の仕事が忙しすぎて、へとへとです。
>家に帰っても、寝るだけの毎日を送っています……肉体労働きつい。
>
>今日はたまたま、ネットできましたけど……(苦笑。
お仕事お疲れさま!
ビタミンB群を十分摂取して(ビール酵母・黒砂糖がいいと思う)、早めに休もう!
しばらくこちらにこられません。会社の仕事が忙しすぎて、へとへとです。
家に帰っても、寝るだけの毎日を送っています……肉体労働きつい。
今日はたまたま、ネットできましたけど……(苦笑。
みどりさん wrote:
>がん告知はもっとフクザツよねえ。なんせ最初から本人の知らないところで
>話が進んじゃうんだから。
>あれは医師の守秘義務違反だと思うんだけど。(本人の許可なく家族に病状を
>話すなんて非常識だ)
心臓病でも同じことでした。家族には「突然死のおそれがあるので覚悟をしておいてください」とか言ってたりします。それを言っておかないと、何かあったときに家族に「どういうことだ」って責められる、というのがあるから保険の意味もあって、めったにそんなことはなくても一応言っておく、みたいなのもあるし。
とはいえ、そういう場合、担当医にそれとなく水を向けるとたいていあっさりゲロっちゃいます。やっぱり、秘密を抱えているというのは人間プレッシャーになります。若い人ならなおさらね。それを表に出さないことができるお医者さんは、相当に練れたひとです。それでも「君にだったら言っておいたほうがいいと思うから言うんだけど」みたいな形で話してくれたあとっていうのは、やっぱり肩の荷が下りてほっとしてるの分かるもんな。
>でもなんで病人がそんなことせにゃあかんのだ。
お医者さんは本人に負担をかけたくないから、本人ではなく周囲の人に言うんですけどね。ところが、周囲の人が「立場としてはその人を保護する立場なんだけど、心理的には頼っている」、つまり何かにつけて頼りになる娘(息子)や部下だったときに、「どうすりゃいいんだ」って逆に本人を煩わせちゃうんです。
>私だったら離縁する (親と離縁するにはどうしたらいいんだろう?) とかそういう
>手段に出かねないな。
十四歳以上で身元引受人がいるか経済的に自立している場合、勘当の手続きが取れます。民生委員か法律事務所にでも相談してください。
>即座に「ほっとけばいいじゃん」と思った私は、親子関係に問題があるのかも
>しれない。
「ほっとけばいいじゃん」というのは、むしろ「親子関係に問題がない」場合に多い反応だと思います。「ほっといてくれ」と言ってもほっといてくれない、突き放そうとすればしがみついてくる、いわゆる「蛸釣った」状態の相手をどうするか、というのがこの問題でのテーマですから。
「蛸釣っちゃった」場合によくやる手は、「飴玉をしゃぶらせる」という手です。別名を「デコイ」とも言うんですが。
たとえば、こういうケースだと、患者と医者が口裏を合わせて、お医者さんに「患者さんが病院の食事は量が足りないとおっしゃってるんですが、病院では栄養その他を考えて必要にして十分なものを出しているわけですから、お母さまのほうからそうおっしゃってくださいませんか?」みたいなことをお母さんに言ってもらう、という手があります。
ただ、これでお母さんがその通りにしてくれるんならいいんです。医者に隠れてこっそり差入れを持ってくる、とかいうのでも、貰うだけ貰っといて捨てちゃうとか、看護婦さんの喜びそうなものをリクエストしといて看護婦さんに食べてもらうとかすればいい(患者の治療に協力するんだから、医療に従事するものとして正しい行為ですよね?(^_^))んですが、これが『痩せているのを見かねて食べさせようとする』ところまで行っちゃうから問題なんだったりします。
>放っておけばいいとはいっても、近い人間にあれこれ言われるのはストレスに
>なるんですよねー。
>
>鬱の薬を飲んでいたとき、なにがいちばん嫌だったかといえば、親しい相手か
>らの「薬はよくない」という前提の発言でした。
>
>(食後3種類くらいの薬を取り出すと) 「そんなに飲むの?? よくないよ」 よく
>なくても飲まなきゃもっとまずいんだから、余計飲みたくなくなるようなこと
>言わないでよねー。
>「薬減ったんだ」「よかったねえ」 私の方は、薬を減らしてしまって今後が心
>配だというつもりの発言だったんだけど。
>
>赤の他人ならともかく、親しい人にあれこれ言われると、こたえます.。
高橋祥友『中高年の自殺を防ぐ本』(法研)には、「家族が注意すべきこと」として、
1)励まさない
2)未遂行為を軽視しない
3)服薬や治療に否定的態度を取らない
4)患者さんには支持的態度で
の四点が挙げられています。
ところが、心の病、とくに鬱に対しては、家族というのがおおむね否定的態度を取るんですよね。「頑張れ」「頑張んなきゃ駄目じゃないか」「しっかりしろ」「しゃんとしろ」「君は頼りにされてるんだから」「家族のことを考えたことがあるのか」「そんなことでどうする」「世間がどういう目で見てるかわかっているのか」「気力で治せ」「泣き言を言うな」「しつこい」「くどくど同じことを言うな」「もう済んだことじゃないか」「苦しいのはあんただけじゃない」「周囲の人間がどれだけ迷惑しているか分かっているのか」と、延々とやられちゃいます。(←読んでて自殺したいような気分になっちゃったひと、ごめんなさいm(_ _)m)
『【がんばろや WE LOVE KOBE】
精神医学を少しでもかじった人なら常識だが、一般の人にはさっぱり普及していない知識として「鬱状態の人に、ぜったい『がんばれ』と言ってはいけない」ということがある。
精神科医やカウンセラーはじつに注意深くこれらの言葉を避ける。その理由は『鬱』の人が自殺をするきっかけは、多くの場合、周囲の人による「がんばれ」という励ましや「しゃきっとしろ」のような叱咤激励であることがわかっているため。
当然のことながら神戸はかつてないほど「鬱」の人があふれていた。言ってみれば、「がんばろう」は禁句だった。にもかかわらず街じゅうにダイエーによる『がんばろや WE LOVE KOBE』のポスターが貼られまくり、気晴らしにテレビをつけるとキャスターは「がんばって」と言い、イチローで注目されたプロ野球の神戸オリックスは全選手が片愚痴に『がんばろうKOBE』というワッペンを付けていた。これでは精神医学的見地からは街をあげて『死ね死ねキャンペーン』を展開しているようなものであった。
避難所に大量に貼り出されていた、〔全国の小中学校から送られてきた寄せ書き〕など、一つ一つを読むと前半は「みかんを食べると風邪をひきませんよ」とか「今までの自分の生き方を反省しています」とかバラエティに富んだ心温まるものばかりなのに、最後の締めは九九パーセント「ではがんばってください」と例外なく『死ね死ねキャンペーン』に参加しているものだった。
年末には「新語・流行語大賞」の一つに『がんばろうKOBE』が選ばれる始末。選考委員会は『ああ言えばジョウユウ』などオウム関連の言葉はいずれも対象から外し、
「反社会集団の残した言語はいかなる賞にも値しない」
と意気軒高だったが、『がんばろうKOBE』の残酷にはいっこう気づいていないようだった。』
藤尾潔『大震災名言録 次の災害を乗り越えるための智恵』(光文社・知恵の森文庫)
こういうことを書いていると、「あんたはそういう暗いひねくれた考え方しかできないのか?」とか言われるんじゃないかと思ってまた鬱がひどくなる。ううううう……
そんなわけで、「通り一遍の、薄っぺらな優しさ」や「自己陶酔的な、本質的な理解から遠く隔たった優しさ」「熱狂的かつ盲目的な優しさ」がキライなくろぐろMariaでした。まる。
追伸:猫はいいです。身勝手でこれっぽっちも思いやりの気持なんかないんだけど、すりすりすり、と寄ってきて、ごろごろごろ、とか甘えられると、「そうかそうか、ありがとうね、うんうん」とかいって抱きしめてあげたくなります。癒されます。ここに「優しさ」を感じとるのは錯覚とか妄想とかの部類だけど、それでも「優しさ」というのを感じてしまいます。
「優しさは気持じゃない、結果だ」。うちのMotoちゃんはそう言ってました。それも一つの立場だと思います。
(Maria)
こうもり wrote
>
> わたしのコメントの主旨を少し説明しておきますね。わたしが「社会とは何
>か」というスレッドで扱っていたのは主に社会という言葉の二義性の問題でし
>た。つまり、社会という言葉は
>
>(1)存在する対人交流の全てを含んでいる場合
>(2)いわゆる社会人と呼ばれる集団に限定して使用される場合
>
>という2つの意味が混同されているために、一言で社会と言ってもどのような
>範囲を扱っているのがあいまいであるというのがそもそもの問題提起だったの
>です。で、わたし自身は社会というのは(1)の意味で捉えていて、(2)の
>意味に限定して捉えることについては批判的ですから、当然のことながら生産
>群と非生産群という言葉も批判的に使用しているのです。
>
> 夜と昼をよりよく理解するために両者を便宜的に区別したからと言って、
>その人が夜と昼を対立的なものと考えているかどうかまでは判断できないと
>思います。
タレイヌさん、コウモリさん、私に誤読があったようでどうも申し訳ありませんでした。話をややこしく混乱させてしまいました。たしかに分類と対立構造は違うものですね。分類は、ものを見る視点がはっきりするので思考に必要なものですが対立とはたしかに別物でした。
正直言ってタレイヌさんとコウモリさんのお話は私にはちょっと難しくて全体を読みとらず言葉尻だけとらえて自分の主観的な意見だけ述べてしまいました。
「社会」という言葉がタレイヌさんのおっしゃるように(1)の存在する対人交流全てを含む意味で使われていたならこの世の中はきっともっとタブーの少ない住みやすいものになると思います。
でもつい自分の利害関係を考えて社会を広い意味でとらえているように錯覚しつつ、ごく狭い自分の所属する小社会を社会と考えがちな私。私が社会という言葉を使うときはそうですね。自分の子供の説教には使いませんが私は社会には受け入れてもらえない人間だと落ち込んでいるときに私の思考の中でよく使います。私は非常に主観的な人間のようです。今改めて感じています。すみませんでした。これに懲りずまたなにかありましたらご指摘下さい。
話は違うのですが私は今日、はじめてリタリンという薬を処方されました。いつも眠くて眠くてとてもつらくて車の運転もかなり危なくて車に乗る前にということで処方されたのですがなんか飲んですごく楽なのです。落ち着く感じなのです。薬って色々あるんだなと思った今日の私でした。
ぷちさん wrote:
>とにかくMさんのお母様は安心したいんですよ……だから気持ちを和らげて
>こらえるように、Mさんのお母様が受け入れやすい人を総動員して、話を
>聞いてもらったり、説明してもらったりするのが良いと思うんですが……
掲示板でいろいろなご意見をいただいて、あたしはこの問題を『〈子〉のつく女の子は頭がいい』でいう<シンデレラ>型の親と<ヤマトナデシコ>型の子供の関係における典型的な問題ではないかと思うようになってきました。
つまり、「親を安心させること」で疲れきっちゃう子供というのが、いるんです。それも、「親を安心させる」努力をしていることを親に悟らせず、適度に「心配させる」ことまで含めてやっちゃう「いい子」が多いんです。で、その結果、潰れてしまう。
「思春期神経性食志不振症」の原因のひとつに、「主体性の回復」というのがあります。自分が自分であることに、自信がもてない。だから、主体性の最後の砦である自分の身体を自分でコントロールすることで、自分を確認するわけです。これは<ヤマトナデシコ>型の典型的な反応です。これが<シンデレラ>型だったらファッションやジュニア小説や恋愛といった方面に走ると思います。
親が「理想の子供」を求め、子供が「理想の子供」に近づこうとする努力を続けること自体が悪いことではありません。ただ、その親の期待が、現実離れした<シンデレラ>型の願望だったりすると始末に悪いんです。
同じ現実離れでも、父親が朝の五時に息子を叩き起こして体操だの乾布摩擦だの木刀の素振りだの掃除だのにつきあわせ、正座して向かい合って四書五経の素読をさせる、とかいうんなら、そうそう悪いこっちゃないと思うんですよ。そこには具体性があって利得がありますから。ただ、ほんわかした、具体性を伴わない、「いい子」であることを望んじゃうと、ややこしいことになる。
聞いた話だから本当にあったことかどうかはわかりませんが、こんな話があります。
将来は昆虫学者になりたい、という子供がいました。成績もよかったそうです。
ところが、中学二年だか三年だかになったときに、親がその子の昆虫図鑑だとか標本だとか観察ノートだとか一切合切を子供がいない間に捨ててしまって、愕然としている子供に向かって、「あなたはもう大人なんだから、勉強に専念しなさい」と言い渡したそうです。
で、その子は親に言われた通りに猛勉強したんですが、高校の半ばごろからだんだんノイローゼ気味になり、勉強も手につかず、成績も落ちて、学校にも行けずにぼーっとしているだけになってしまいました。
困り果てた親が医師に相談すると、「何か好きなことをさせなさい」と言われました。そこで子供に「なんでも好きなことをしていいのよ」と言うと、「何をすればいいの?」と逆に訊きかえされてしまったそうです。
その後、絵だとかピアノだとかバイオリンだとか(要するに、それが好きになることで親が喜びそうなもの)をやってはみたものの、「本格的にやるには才能の上でも年齢的にも無理」みたいなことが分かると興味をなくしてしまう、の繰返しになってしまったといいます。
うちにもそういうタイプのひとがいます。JoshyaさんとKILROYさんとMotoちゃんです。
この三人、同一人物であって同一人物ではない、というフシギな関係です。とにかくプログラムを書いたらまったく別人。Joshyaさんはバランスの取れた設計が売りで、「頭のええ奴っちゅうのは、けっきょく同じことを考えるんやなぁ」と言われたひと。こういうひとがプロジェクトリーダーになると、部下はとても楽。
KILROYさんはカチカチの技術者。プロが見ると、「うーん」と唸ってしまうような、かっちりとしたプログラムを書きます。だけど、頑固一徹の職人気質という風情が、プログラムからにじみ出てきちゃうんですね。
Motoちゃんは「やんちゃ」なBASICハッカーです。遊んでます。悪ガキです。
「聡明で、温厚で、それでいて指導力や決断力も備えた、バランスの取れた人」というのは、たぶんひとつの理想です。ですが、その反面仕事のできる「技術屋」というのも、男にとってひとつの理想です。前者が創価学会員にとっての池田大作や北朝鮮の国民にとっての故・金日成総書記やかつての中国国民にとっての毛沢東主席みたいな存在であるのに対し、後者はイチローみたいなものです。その両方を要求されたら、分裂するしかありません。
ですが、そもそも「プログラマー」という職業を選んだ時点で、親が望んだステータスと、自分の趣味を両立させることを考えていた、というのがあるんですね。で、仕事一辺倒のソフトウェア開発に嫌気がさしちゃった。だからといって、それを放り出すわけでもなく、プロとしての仕事はちゃんと貫いているわけです。
そこんとこの無理がたたって出てきちゃったのがMotoちゃんだったりするのだな、たぶん。
なにもそこまで「いい子」でいなくても、とあたしなんかは思っちゃうんですが、なまじ「いい子」なものだから、会社の上司に「120%いい子」「200%いい子」を求められたあげく過労死しかけていまや廢人同様、いまも水毒(すいどく)のケが出てうんうん唸ってます(気温が下がってきて汗をかかなくなるとダメみたい)。あたしがくろぐろしているのもそれが理由だったりします。
「安心させてもらいたがる人」というのは、同時に「キレたら何をしでかすかわからない人」だったりします。いわゆるワンマン経営者なんかにこのタイプは多いんですね。毀誉褒貶が激しくて、気に入られるとどんどん引っ張り上げてもらえるんだけど、逆鱗に触れたらいきなり斬られる、というタイプ。
武田好史さん wrote:
> 今月の17日、私が住んでいる入間市の隣町の狭山市で、悲しい事件がありました。
> 知的障害のある女の子のお母さんが、その子が「普通学級に入るのは、困難で
>しょう」と就学前検診で言われたことを苦にして、子供を道連れに車に火を放って
>無理心中をはかり、その子とその妹の姉妹が焼死し、お母さんも全身に大やけどを
>負い、車の前で途方にくれていたところを発見されたというものです。
このお母さんも、たぶん、とても「いいお母さん」(あるいは、「理想的な『いいお母さん』」として扱ってほしいお母さん)だったのでしょう。ですが、ユング心理学におけるグレートマザーに二面性があるように、「いいお母さん」こそが、「子供の頚に巻きつく蛇」でもあるんです。
問題は、そういう「いいお母さん」と、うまくつきあうにはどうしたらいいか、ということなんです。徹底的に「いい子」でいたら死んじゃいますし。で、「入院中で自由がきかず、生殺与奪の権利を握られている」という、かなり子供側に不利なケースを想定してみたわけです。
「どこかのエラい人」に頼るというのは、本来あるべき「理想の父親像」に近い存在を持ってくる、ということだと思います。ですが、「亭主元気で留守がいい」という時代で、自分を「理想の『素敵な奥さん』」として扱ってくれない男性に幻滅している<シンデレラ>型女性に、こうした方法が有効なんでしょうか。けっきょく本人の願望を満たすことでしか対処できないというのでは、ただ甘やかすだけになってしまうと思うんですよ。とはいえ、中年以降の女性に「人間的成長」を促したところで効果があるかどうか、という問題もあるんです。
こうした問題は、「子供の『反抗期』とどう向き合うか」に通じます。困ったことに「うちの子供には『反抗期』がなかった」とか言って喜んでいるお母さんは、たいてい<シンデレラ>型のお母さんで、「子供が反抗するようになって嬉しくってしょうがない」というお母さんは、<ヤマトナデシコ>型のお母さんです。
そんなわけで、「障害のある子供を持った<シンデレラ>型お母さんの心のケア」というのが、ひとつの重要な課題としてあると思っています。これって難しいぞ。「イヤな現実」を押しつけられることには慣れていても、「イヤな現実」っていうものに自発的に向き合い、そこから喜びを得る、とかいった前向きな発想って出てきにくいから。
(Maria)
即座に「ほっとけばいいじゃん」と思った私は、親子関係に問題があるのかもしれない。
放っておけばいいとはいっても、近い人間にあれこれ言われるのはストレスになるんですよねー。
鬱の薬を飲んでいたとき、なにがいちばん嫌だったかといえば、親しい相手からの「薬はよくない」という前提の発言でした。
(食後3種類くらいの薬を取り出すと) 「そんなに飲むの?? よくないよ」 よくなくても飲まなきゃもっとまずいんだから、余計飲みたくなくなるようなこと言わないでよねー。
「薬減ったんだ」「よかったねえ」 私の方は、薬を減らしてしまって今後が心配だというつもりの発言だったんだけど。
赤の他人ならともかく、親しい人にあれこれ言われると、こたえます.。
自分だって悩むところはあって、それでもあれこれ検討した結果投薬という方法を選んだのに、よく考えもせずにその検討をくつがえさせることを言えるのが信じられない。
私に薬をやめさせて、私に自殺してほしいってことかいって。ちゃんとそこまで考えて言うのなら許せるのだが。
ま、説得したいのであれば、ほかの医者にセカンドオピニオンを求めるとか、妹に近かった別の近親者で説得できそうな人を探すとか。
でもなんで病人がそんなことせにゃあかんのだ。
私だったら離縁する (親と離縁するにはどうしたらいいんだろう?) とかそういう手段に出かねないな。
がん告知はもっとフクザツよねえ。なんせ最初から本人の知らないところで話が進んじゃうんだから。
あれは医師の守秘義務違反だと思うんだけど。(本人の許可なく家族に病状を話すなんて非常識だ)
Mariaさん、ぶちさん、話をどっちに向けたら良いのか判らないまま書いていますので読みにくかったらごめんなさい。
意識の無い人の生存権は家族にあります。でも、意識がはっきりしている、普通の会話が出来るのであれば、折りに触れ自分がいざという時どうされたいのかを家族や入院しているのなら医療チームに話しておくというのは、最近の傾向だと思いましたが。もちろん、法的強制力は全然無いので、もし、意識がなくなった時、親が子の意志に反しても親の意志を貫くことはできるでしょう。普段の会話が大切なんでしょうね。でも、残された者は後で良かれ悪しかれ、近所の人や親戚にいろいろ言われます。ここでも「何が普通なのか」が出てくることになります。
それはさておき、
多分Mariaさんは、私やぶちさんの考えの趣旨は理解されていると思います。
で、私が考える一番難しい点は、「患者サイドと医療サイドに相互の信頼関係が築かれているか」だと思います。まあ、「信頼してたのに裏切られた」というのが多々あるのがいかんともし難いですが。
でも、盲目的な信頼(相手が医者だから信じた的な)は本当に信頼と呼べるものなのでしょうか?逆に、「若いから信じられない」も、盲目的な不信頼と言えるのかも。相手が信頼するに足るのか自分なりのデーター(出来るだけ客観的な)を揃え、それで信じれるとなったら下駄を預け、どうしても信じられないとなったら他を当たるしかないでしょう。
でも、もう一つは人は自分が信頼されていると感じるとそれに答えようとする、面があるのでは。最初から「信頼してない」光線を出されるとやる気がなくなる事ってありません?
じゃあ、お母さんはどうしたら研修医の先生を信頼できるようになるのか?最初の躓きで(上司の先生うんぬん、ですね。これじゃお使い小僧でしょう)私にはその研修医の先生はよっぽどの事がない限りはお母さんの信頼を勝ち得ない気がします。
まあ、しばらくは上司の先生とやらがMさんを見て、治療方針を研修医の先生に2人の前で出させてみて、誉めるところは褒め、必要なアドバイスは付け足し、自分が後ろで支えている事を見せれば(トラの威を借るきつね作戦)少しはお母さんも言葉を聞く気になるかも。
上司の先生が医者の権威を嵩にする人でなければ良いのですが。
ただただ、この研修医の先生がこれを教訓にもうちょっと学んでくれると良いのですが。
医者を育てるのは医者じゃなくて患者なのかもしれない。でも、医者としての自分を育ててくれた患者を助けるのにその医者は若すぎて、その恩は次の患者を助けることで報い。でもそれを忘れた医者はどうなるのかな?
栄養に関しても、例えば穀類は燃焼されないと脂肪になって体に溜まるし、果物は水分が多いのが多いし、塩気の多いのも水分貯留を引き起こして心臓に負担を掛けるけどって感じで何もかも駄目ではなく、何かしらお母さんが持って来ても良いものを提案するとか。取りあえずチーズは良さそうかも。海草とかは?あとは、Mさんの大好物のなにか。量よりも質を重視してもらって。心臓病では減塩、高蛋白食を推奨していると思いましたが。水分量はとにかく守って。体重は今を最低ラインと取りあえず定めて(むくみが取れて、水が溜まっていない状態)、それよりは減らす必要はないけど、元の体重はむくみが元で本来よりも多くなったいた事を納得させて。急な体重増加は心臓に余計な負担を掛けてまた水が溜まる原因になるから、急ではなく徐々にと念を押しつつ。食事量はMさんの運動量とも関係するのではと思いますが。
とにかく、お母さんはMさんを心配しているという点を考慮してもらって、医療サイドも頭ごなしにあれも駄目、これも駄目ではなく、どっか接点を見つけてもらいたいです。でも、これもMさんが間に立つのでなく、誰かしら看護婦さんなり隣りのベットのおばさんなりがちょっと中を取り持ってくれると良いのだけど。
あるいは、退院後の事を考えてってことで、栄養士さんの栄養教室を受講してもらうとか。
ぶちさんの考えは概ね私も賛成ですが、「いずれ良くなるから今だけの我慢」のくだりだけはMさんの場合は当てはまりにくいのでは?悲観的過ぎる話ももちろん良くないのですが、楽観的すぎると悪くなった時に反発が余計に来そうな気がします。でも、これは難しいです。
Mさんがもし、体調が改善したと感じ、そのままその病院で治療を続けたいのであれば、お母さんの前で、主治医の先生を信頼している事をはっきり言えばどうなりますか?
お母さんを好きなのとお母さんの言う通りにするのは別であることを言ったらだめなのですか?
これを私の母親に当てはめて考えると、、、、、めまいがしてきたのでここで止めておきます。
(かおり)
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