アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
るうさん wrote:
>ちょこっと前に、ネイチャーという科学雑誌に言語障害の原因遺伝子が見つ
>かったというのがあったみたいなのですが(じゃじゃ丸さんのところで立ち
>読みしてきた)、これって、やっぱ自閉系の人にも関係あることなんでしょ
>うか?コミュニケーションがうまくとれないことも遺伝子に書かれちゃって
>るんなら、自閉症も遺伝子治療もできるのかしらん?と思ってしまうのです
>が。
発達障害のほとんどは先天性のものなのですから、自閉症にも遺伝子治療
というアプローチの仕方はありだと思います。
ただし、本当に障害者から障害を消し去ってしまうことが本人の幸福につ
ながるかどうかは疑問です。19世紀の哲学者ニーチェであれば「障害者の
偉大な精神を奪い取ってしまうことになる」と反対したことでしょう。
わたし自身は最近ASと診断されましたが、たぶん遺伝子治療が可能にな
っても治療を受けないでしょう。自閉を消去するのではなく、「うまくつき
あっていけるようになる」という方向性で生きていこうと思っています。
もっとも、これは自閉症を治療して消去したいと考えている人の考えに反
対するものではありません。
武田好史 wrote:
>さてそれはさておき、今日はみなさんに「精神障害者保健福祉手帳」について、お>尋ねしたいと思います。
>1.あなたは、すでにこの手帳を取得していますか?(Y/N)
N(勧められましたが・・・。)
>3.あなたは、軽度発達障害者(AS・LD・ADHD)の人がこの手帳の取得をする・余
>儀なくされることに、不満・抵抗を感じますか?(Y/N)
(Y)
>4.3でY(はい)と答えた方に質問します。
>ハ.その理由はどんなことですか?
手帳自体は良いと思うのですが、その手帳を持っている事で、今している仕事を辞めざるを得なかったり、偏見を持たれる事は怖いと思います。何もかも可能性を奪われるような怖さがあります・・・。(今の日本社会だと・・・)
>5.私は、後天的な脳の機能障害(たとえば高次脳機能障害、小児麻痺、半身麻痺、脳炎、脳卒中による失語など)と、精神障害のうち医学的に脳にトラブルが発生していることが明白で薬による治療や経過観察が相当長期的に必要なもの(てんかん・分裂病・うつ病・躁病・痴呆・重度の不安または強迫神経症など)、および知的障害・軽度発達障害を有する人には、包括的に『脳機能障害者手帳』を交付するようにしたほうが良いと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
ジャンル分けが難しくて・・・包括的にどうしたら良いのかよく分からないです。ちなみに、外国(福祉の発達した国)では、どういう形にしているのでしょうか?(高機能自閉症などを・・・。)外国でうまくいっている例などがあればそれを参考に手帳・制度を作ったらいいのでは・・・と思います。
グルンサ wrote:
truthさん wrote:
> 安心して、自分のできることをやれる場所・・・この存在が、どんなに大きく、>かつ心を預けられるか、と思います。私は、担当の仕事がほとんど限定されてしま>い、(配属先自体が、どう考えても間違いだったんだろうか・・・と思うくらい?
>何だか指示待ち人間と化している有様です。
>前に、Mariaさんが、「職場のエンジンになるか、コンピュータになるか。」と書>いていましたが、この一言が私にはとても大きく、重かったです。
>私事ですが、今、来年度の人事希望についてどうしたらいいのか、毎日頭を悩ま
>せています。(提出期限は切れてしまったのですが。)負けイヌのまま去りたくは>ない、しかし、どう考えても向いているとは言いがたいところに居続けるのが本当>にいいことなのか(本人にとっても、まわりにとっても)、現在の配属先を去った>ところで、一体自分に何ができるのか・・・先の見えない不安だらけでいっぱいで>す。
職場のエンジンになるか・・・コンピューターになるかって何だか考えた事もなかったです・・・。自分で仕事を作るって考えは全然なかった・・・のでそこらへんも能動的に出来ればなって思いました。
あらかじめ、「私はこーいう事が出来ます。あーいう事は出来ません。」という感じで、自分から限定しちゃえれば(仕事を決めるとき)・・・って考えは甘いですよね・・・。
仕事を辞めるって事が私も「逃げ」なのかなぁ・・・って考えたり、「やっぱり続けるべきか?」とか考えたり・・・。知り合いによると、「ここまでやった」思ったら、逃げとも思わずきっぱり辞めて新たな仕事へ・・・って考えられるらしいんですけど・・・。
どこにいっても基本的な事が出来て能力を生かせるって訳じゃなく、次の仕事へ移ったら、初めからやり直し・・・という感じで、キャリアを積むって事が出来ないので・・・仕事辞めるとしたら、「次の仕事は比較的大丈夫だ!」って確信がないと転職は無理だろうなぁ・・・とか思います。辛くても、向いていなくても、「せっかくここ見つけたんだしなぁ」って・・・新しい事をするのは大変ですね。
>さっきの続き。今の私は、これに近いです。(ただ、まわりの人達がかなり年上の>人達ばかりなので、後半の手だけは、残念ながら無理?)
ほんと、自分の方から周りを遠ざけている可能性が高いです・・・。しかし・・・リラックスして、安心してその場にいるって事が本当に難しい・・・。個性的な人達が集まっていて、皆結構バラバラに動いているみたいな所だと安心出来るかもなんて思います。
何だかずれたレスになっちゃったかもしれないけど、ごめんなさい・・・。
るおう wrote:
>truthさんは実際にあったんですね。。私も握手したりしたかったな。
>それにやはり自分達に似ていると思う人も多いのですね。
こんにちは。
会ったのですが・・・映画の影響が大きいのか・・・演奏が終わった瞬間・・・沢山の人達がディビッドさんの方に押し掛けていました・・・。それで、抱きしめて欲しいみたいで、「私も、私も〜」という感じで・・・デイビッドさんはちょっと困っていたみたいでした。私も握手したり、抱きしめたりしたかったのですが、そういう訳で遠慮したのでした。
ドナ・ウィリアムズさんが来日して、講演した時も、沢山の人達がドナさんと握手したがったり、話をしたいって感じでドナさんを囲んで集まっていたのですが、ドナさん自身は、とっても疲れたかも・・・って思ったりしました。
でも、出来たら・・・出来ないけど・・・個人的に会ったり、お知り合いになったり、彼(彼女)の世界の中に入りたい・・・友達になりたい・・・とか思っちゃいますね。でも、そう思っている人達が凄く多いんだろうなぁ・・・。
オレンジブルー wrote:
>わあもうコンバンワです(^^)
>あーコンサート行かれたんですか!いいな〜。
>本出てたのは知ってたけど、読んでないです。。。
>図書館にあるかな。。。
多分図書館にありますよ。表紙が青い色でとっても綺麗なのです。
>ピアノと共に呼吸して生きているヘルフ・ゴッドさんですよね。。
>ああいう夫婦もいるというのはなんだかとても分かる。。。
>なんだか親子のような不思議な関係ですよね。。素敵な夫婦だとおもいました。。
デイビッドさんって不思議な人で・・・生活保護とか受けて、病院を出てから、暮らしていたんだけど、助けてくれる人、面倒を見ようという人が必ず現れるのですよね。本の中で、奥さん・・・「結婚する時とっても迷った」って書いていました。ディビッドさんは生活が滅茶苦茶だから、奥さん、大変そうだけど、愛があれば・・・なんでしょうか・・・。
>ナマモノですからね。。音や色って。
何かね・・・やっぱり、普通?の音楽家の人の演奏というのは、安定していて、落ち着いた雰囲気を感じるのですが、ディビッドさんのは、何が起こるか分からないという感じの・・・ある意味混乱した演奏・・・という気もしました・・・。けど、そんな演奏をあまり聞いた事もないので、とっても面白かったですよ。
>あ、彼は生っ粋の自閉ジンでしょう。。。
>あの鮮明な夢を色粒のちぎり絵で描いて。
>虫の世界にも同等の高さに視線を置いて彼は天真爛漫の自由人ですよね。。
>彼の生き様はやはり底無しの「強さ」と「自由」を感じる。。。
>彼の経歴知っていますか?
>病院の2階から落ちたんだったっけ?足の骨を折っても逃げ出して絵を描いてたん
>ですよ。すごい!私だったら「痛い!!!誰かー!」なんて騒いじゃう。
>ヘルフゴッドとはまたちょっと違った強さを感じるね。
>名前通り一字で「清」って感じですね(笑)
>そういや、名前って不思議とその人を出してたりするよね。
強いですよね・・・結構とんでもない目に沢山遭っているし、警察に掴まったり、色々しているんだけど、それであんまり自分が動じたりとかしないんだよね。何かものすごい芯が強い人という感じします・・・。自分っていうのが凄くしっかりしているなぁと・・・。天真爛漫ですよね〜〜。自由〜いいなぁ・・・。山下清さんも、何かしら誰かが力になってくれたりする・・・そんな感じですよね。
>ほんとうそうだよねえ。。。。
>忍耐強さ、努力する人は本当に「強い」と感心します。
>生きる力ってすごいよね。みんな色んなカタチでもって。
ディビッドさんが、「生き抜かなきゃいけないんだよ」とお父さんに言われたそうで、その通り、何があっても生きなきゃいけないって思っているらしくて、とっても不安定な人ですが、ひっょとして死ぬとか考えた事がないんじゃないかと思います。山下清さんもそーなのでは・・・。とても前向きというか、ネガティブな悩みを抱かない人って気がする・・・。周りとの不和で悩むとかそーいう事もなさそう・・・。自分に疑問を持った事がなさそうで、そーいうのは、凄いな〜と思います。生きる力ってほんとに凄いですね・・・。
鷲羽丸さん wrote:
> 「自閉症スペクトラムをマンガで解説する本」を学研あたりが出さないものですかねえ。
> 学研はテンプル・グランディンの「我、自閉症に生まれて」を出版した会社なのですから。
大いに欲しいですね。個人的には、ぶどう社の「自閉症 成人期に向けての準備―能力の高い自閉症の人を中心に―(パトリシア・ハウリン著)」もマンガで解説、なんていうのもあればな・・・と思います。もひとつ言えば、大人向きのこの種の本がもっと増えてほしい!(幼少期等、子供向きのものはいっぱいあるのにね。)
武田好史さん wrote:
>今日はみなさんに「精神障害者保健福祉手帳」について、お尋ねしたいと思います。
>1.あなたは、すでにこの手帳を取得していますか?(Y/N)
NO(というより、そういうものがあること自体、知らなかった)
>3.あなたは、軽度発達障害者(AS・LD・ADHD)の人がこの手帳の取得をする・余儀なくされることに、不満・抵抗を感じますか?(Y/N)
(ある意味で)YES
>4.3でY(はい)と答えた方に質問します。
>ハ.その理由はどんなことですか?
というのは、この手帳を必要とするのは各個人が持つ障害の程度、事情によって変わってくると思うから。「私は、さほど必要としていない、もしくはいらない」という人は不要だと思うし、「どうしても必要!」という人は取得すればいいと思います。(それ以前に、たとえ必要であっても、お上がきちんと認可してくれるかどうか、という問題もありますが。)また、(直接の答えにならないけど)精神科に通っているというだけで、偏見を持つ人もいる世の中、(これだって自分を何とかしたいと思うからいくわけなのにね。)この手帳を取得したいけれど、持っていることがわかると・・・って、ためらう人も出るのでは?(本当は周囲に理解者がいて、必要なサポートをしてくれるとホントに助かるんですけどね。)
>5.私は、後天的な脳の機能障害(たとえば高次脳機能障害、小児麻痺、半身麻痺、脳炎、脳卒中による失語など)と、精神障害のうち医学的に脳にトラブルが発生していることが明白で薬による治療や経過観察が相当長期的に必要なもの(てんかん・分裂病・うつ病・躁病・痴呆・重度の不安または強迫神経症など)、および知的障害・軽度発達障害を有する人には、包括的に『脳機能障害者手帳』を交付するようにしたほうが良いと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
軽度発達障害を除けばYES。(軽度発達障害については、上に書いた通りです。)
それにしても、つくづく人と違うということで、どうしてこんなに社会で息苦しい思いをしなきゃなんないのよ-!!と思うことしきり。(前に、「光とともに・・・―自閉症児を抱えて―」というマンガを読みましたが[このマンガでは、カナータイプの自閉症を扱っていました。〕、つくづく発達障害者が社会に受け入れられる(もしくは溶け込む)ことの厳しさを思います。本題からは外れてしまいましたが。)
Maria wrote:
> ……失言でございました。ごめんなさい。「だからフォークの出っぱったほうにもの乗っけて喰うことを正式な作法として押しつけるなよ、と言いたい。」というのが本意でございます。
あ、ごめんなさい。Mariaさんへの返信でしたがMariaさんへの文句ではなかったんです。
> 出っぱった方に乗せるのは、「ナイフとフォークを持ち替える必要がない」という意味では合理的なんですが、単純に「食べやすさ」を考えると、やっぱり右手にフォークを持ってへこんだほうですくって食べたほうが楽なわけです。
あー持ちかえるかだけじゃないんです。
口に入れるときの柄の角度の問題で、フォークのへこんだほうに物を乗せると、乗せた部分を平らに保つために柄を (つまり手を) 高くもちあげないといけません。下手すると手が耳のあたりにきたりして、柄についたソースが頬についちゃったりします。持ち上げる過程で落としちゃったりもします。
背の方に乗せれば、乗せるときの問題さえクリアできれば、あとはそれほど問題ありません。
…やってみるとわかると思うんですけど、みんながそういうってことは、もしかして私の不器用と関係して私だけの問題じゃないかという気もしているんです。 (へこんだほうに乗せるとうまく食べられないのは私だけなのか? というもの)
> 思うにイギリス人は「ねばならない」という方面に向きやすいところがあるんじゃないでしょうか。
イギリス人のあれは単に好きでやってるような気がします。「紅茶は紅茶を先に入れないといけない」とか「ミルクを先にいれないといけない」とか、言ってる方はそれぞれ真剣らしいんだけど、ようするにそうやって「自説を頑固に主張する」こと自体が好きなのではないかと。
お互いにその性質を理解しているところではあまり問題が起きないけど、それに慣れていない外国人が「ねばならない」と言われると、言葉どおりに取ってしまって混乱したり曲解したりしそうです。
日本人の「つまらないものですが」「いやーうちの子はなんにもできなくて」というやつも、みんなが言葉どおりには取らないから成り立っている会話なわけですが、それを理解していない人がたまに本気にとっては、お互い困ってしまったりします。
あれ、アスペの話に戻ってきたかも。
小学生の頃、文字だけの本を読むのが苦手だったわしは、主に学習マンガから様々な知識を取り入れました。
その中心となったのが、「学研まんが ひみつシリーズ」です。
ご存知の方も多いと思いますが、このシリーズは、大部分の作品タイトルの末尾に「〜のひみつ」とあって、いろいろな知識をガキんちょでもわかりやすく理解できる、というものです。わしはシリーズ中の10数冊ぐらいを持っていて、そのほとんどは現存しています。
ガキの頃のわしは、「文字のみによる情報」を処理する能力が著しく劣っていました。目に入るモノをすべて「映像」としか感じられなかったのです。ですから、「文字の情報」とあわせて、「“マンガによる説明”という映像」があったことで、「ひみつシリーズ」はわしの知識の源となりました。(ページの横に書かれていた「まめちしき」は、文字のみだったこともあり、当時はすっとばして読んでいました。)
このシリーズの執筆陣で、わしが特に好きだったのは、内山安二さんでした。
内山さんの描いた作品の中で、わしが持っているのは、
「コロ助の科学質問箱」
「科学物知り百科」
「できるできないのひみつ」
です。わしはこの3冊から、科学の知識を結構取り入れたように思います。
加えて、内山さんの描く絵はほのぼのとしていて、なぜか見ていて飽きないものがあります。犬・猫・ブタ・ネズミが擬人化されたキャラクターがよく登場するのも楽しく感じました。
また内山さんのマンガには、「相手を棍棒でたたいてツッコミを入れる」シーンがよく出るのですが、これもわしの好きなシーンでした。(アブナイヤツ!)
先日、それらを引っ張り出して読み返してみました。
いやー、今でも十分楽しめます。ガキの頃は飛ばして読んでいた「まめちしき」も今はすんなりと読めます。「そうか、こんなことが書かれていたのか。」と思ったりしました。もっとも、今では「それは誤りである」とされてしまったこともあるんでしょうけど……。
「ひみつシリーズ」、わしの少年時代を色づけてくれたもののひとつです。
あと余談ですが、「自閉症スペクトラムをマンガで解説する本」を学研あたりが出さないものですかねえ。
学研はテンプル・グランディンの「我、自閉症に生まれて」を出版した会社なのですから。
ヤボな要望だったか 鷲羽丸
るうさん wrote:
>ちょこっと前に、ネイチャーという科学雑誌に言語障害の原因遺伝子が見つかったというのがあったみたいなのですが(じゃじゃ丸さんのところで立ち読みしてきた)、これって、やっぱ自閉系の人にも関係あることなんでしょうか?
関係あるかもしれませんね。(時々、言語障害についての記述がいくつか自閉症やASについての本には記載がありますし。)
コミュニケーションがうまくとれないことも遺伝子に書かれちゃってるんなら、自閉症も遺伝子治療もできるのかしらん?と思ってしまうのですが。
ぜひとも期待したいところです。ところで今回、言語障害で・・・ということでしたが、これって聴覚にも絡むことなのかなあ・・・?
>> みなさんこんばんは。今日は皇太子ご夫妻に内親王さまご誕生ということで、列島全体が祝賀ムード(多少ランチキっぽいが・・・)に包まれていますが、いかがお過ごしでしょうか?
さてそれはさておき、今日はみなさんに「精神障害者保健福祉手帳」について、お尋ねしたいと思います。
1.あなたは、すでにこの手帳を取得していますか?(Y/N)
2.1でY(取得した)と答えた方に質問します。
イ*どういった経緯で手帳を取得なさいましたか?(さしつかえなければお答えください)
ロ*手帳をもらったことによるメリット・デメリットはどんなことですか?
3.あなたは、軽度発達障害者(AS・LD・ADHD)の人がこの手帳の取得をする・余儀なくされることに、不満・抵抗を感じますか?(Y/N)
4.3でY(はい)と答えた方に質問します。
ハ.その理由はどんなことですか?
5.私は、後天的な脳の機能障害(たとえば高次脳機能障害、小児麻痺、半身麻痺、脳炎、脳卒中による失語など)と、精神障害のうち医学的に脳にトラブルが発生していることが明白で薬による治療や経過観察が相当長期的に必要なもの(てんかん・分裂病・うつ病・躁病・痴呆・重度の不安または強迫神経症など)、および知的障害・軽度発達障害を有する人には、包括的に『脳機能障害者手帳』を交付するようにしたほうが良いと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
ちょこっと前に、ネイチャーという科学雑誌に言語障害の原因遺伝子が見つかったというのがあったみたいなのですが(じゃじゃ丸さんのところで立ち読みしてきた)、これって、やっぱ自閉系の人にも関係あることなんでしょうか?コミュニケーションがうまくとれないことも遺伝子に書かれちゃってるんなら、自閉症も遺伝子治療もできるのかしらん?と思ってしまうのですが。
Mariaさん wrote:
> ところが近代になって、アジアの端っこの日本なんていうヘンな国が、ぐいぐい力をつけてきたわけです。黄色いサルどもめが、くらいに思ったんでしょう、おそらく。だけど、喧嘩してみたらこれが強かった。チャーチルは、大英帝国の力の象徴ともいうべき最新鋭戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウエールズが日本の航空兵力のためにたった二時間で沈んじゃった、と聞いて、死ぬほど落込んだそうです。
ホントに−?!私はこれを読んで、思わず笑ってしまいました。(Mariaさんの書き方ってホントにおもしろい。)
> 現在、かつての大英帝国の威光は新興国アメリカに押されて見るかげもありません。王室はスキャンダルにまみれてるし、全体的にみてあんまりパッとしない国になっちゃいました。だから、似たような立場でうまくやってる日本を見ると、これは相当に悔しいと同時にうらやましい。しかしイギリスの大衆文化には誇れるものがあるぞ!『ハリー・ポッター』を見ろ!とか言いたくはなるんだけど、『千と千尋の神隠し』には負けてしまうという……。ヘコむぞ、これは。バトル・オブ・ブリテンの覇者スピットファイアが零式艦上戦闘機に負けたくらいヘコむ。
これにもぶっ。てふき出してしまいました。
> 人間、心のよりどころを失っちゃうと脆いもんだなぁ、と思います。まあ、あたしも人生いろいろあって、他人に誇れるものというのがあんまりありません(雑学とへらず口っていうのはあるんだけどさ。どっちもいくら使っても減らないからいいよな)。ただ、日本人はまだまだ大丈夫なんじゃないの?と思います。「そろそろ危ない」「もうダメだ」と思っているから焦りが出て、ますます悪くなってゆくという悪循環にはまりかけてはいるけれど、「世の中、捨てたもんじゃないな」と思う部分はいっぱい残っていて、世界全体を見渡してみると日本は相当にうまくやっていて、だからこそこの不況のニッポンに世界各地から仕事を求めてやってくる人たちがいたりもするわけです。
>
> 日本人よ、上を向いて歩こう。そしてイギリス人も、それに世界中の人も。
今回は、感想にもなっていないレスですみません。 ところで、ちょっとこの場をお借りして。風呂糸さん、あなたのネームはもしかして、「フロイト1/2」からでしょうか?(もし、違っていたらごめんなさい。)
(ここんとこ、真夜中のレス続き[というよりそればっか]のグルンサ)
私は、でっぱったほうに乗せられなくて、へこんだほうに(左手)すくい寄せるようにナイフでのせる(右手)。いつも「でっぱった方に乗せれる人」にジロジロみられながら食べます。両手使ったほうがブサイクな食べ方になってしまうなんて、なんか変。
この間オランダ人が食事をしてたので、チラっとみたら、なんと、ナイフに肉をつきさして食べていたよ。米ももちろんナイフにのせて。それを見てからは、「けっ、見たいやつはジロジロ見やがれ!」と思いながら食べてます。
I wrote:
> だからフォークの出っぱったほうにもの乗っけて喰うなよ、と言いたい。
みどりさん wrote:
> いつも疑問だったんですけど、どうしてでっぱった方に乗せるのを「ヘンなカッコウつけて」と言われるのかがわからないのです。
> だって、ご飯にかぎって言えば、でっぱった方に乗せた方が食べやすいですよね。
……失言でございました。ごめんなさい。「だからフォークの出っぱったほうにもの乗っけて喰うことを正式な作法として押しつけるなよ、と言いたい。」というのが本意でございます。
思うにイギリス人は「ねばならない」という方面に向きやすいところがあるんじゃないでしょうか。推理小説なんていうのを見てもそう思うんだけど。まあ、そこんとこは日本人も同じなんですけどね。
「畳の縁を踏むな」というのも、本来は「躓くといけないから」ということで、「踏まないほうがいいですよ」というものだったのが、いつのまにか「踏んではいけない」みたいになってしまった、のだそうです。
出っぱった方に乗せるのは、「ナイフとフォークを持ち替える必要がない」という意味では合理的なんですが、単純に「食べやすさ」を考えると、やっぱり右手にフォークを持ってへこんだほうですくって食べたほうが楽なわけです。
じっさい、ナイフを持っていないときに果たして同じことをするかどうか、つまり、ドライカレーのように、ナイフで切るものがないものを食べるときに、わざわざナイフを持ってきてフォークの出っぱったところにのせて食べるか、といえば、たぶん食べないんですよ。つまり、「ごはん」と「おかず」の両方を交互に食べるときなんかに、せわしなくフォークを持ちかえないための便法として、「フォークの出っぱったほうにごはんを乗せる」というテクニックが用いられるのだ、と解釈できそうに思うわけです。
だから、「つぶつぶの物を食べるときは、フォークを右手に持ち替えてもいいんだよ」というのが、「フォークの背(へこんだところ)に乗せて食え」という言葉の本来の意図だったんじゃないか、と思うわけです。だったら、食べにくいと思ったら右手にフォークを持ちかえて食べればいい。ただ、それをイギリス式のマナーでは「正式でない」「不作法なこと」として禁止してきた経緯がまずあって、宮内庁が正式なテーブルマナーとして採用したイギリス以外の国では、必ずしも出っぱった方に乗せなくてもいい、ということが普及してから、イギリス式マナーに対する反撥、というのが出てきたように思います。
あるいは、ステーキをまず一口サイズに切っておいてから、ナイフを置き、フォークで食べるのを、イギリスや日本では「不作法なこと」とするようです。だけど、ドイツ人やイタリア人はあんまり気にしないみたいです。「食べやすいように食べればいいじゃん」という感じ。つまり、「もっとも食べやすい方法」というのが正式なマナーになったわけで、それが食べにくかったらマナーになんか従わなくていい、ということになるわけですよ。
日本人は丼飯を食べるとき、丼を手に持ってお箸でかっこみます。ところが韓国では、ごはんというのは下に置いたまま匙ですくって食べるのが正式です。だけどおかずは箸をつかって食べるのね。そんなわけで、韓国の正式な作法で食事をしようと思うと、箸・匙・箸・匙とちょこちょこ持ちかえなければなりません。これって日本人にはけっこう苦痛。だいたい石焼ピビンパなんか、熱くて手じゃ持てないし。韓国も儒教の国のせいか、「ねばならない」的な決まりが多いように思います。
あたしはステーキを「おかず」として食べるなら、ステーキ丼がいちばん合理的なように思います。いちいち切る手間とかいらないし、冷めにくいし、ソースがごはんにしみておいしいし。そんなわけで、白いご飯が平たいお皿に乗って、ナイフとフォークの洋食のテーブルに出てくるスタイルというものに、あたしはそもそも批判的です。もうちょっと考えてくんないかなぁ、と。ステーキ皿にご飯を入れてかき混ぜてソースからめて食べてたりすると、けっこう白い目で見られたりするもんな。
いっそ、「具のない海苔巻」にして出してくんないかなぁ、と思います。そうしたら、パンと同じようにソースなすりつけて食べるから。
そんなわけで、「ねばならない」的なマナーというのは、あまり好きではない、ということだったりします。「ナイフの先で歯をほじるな」(イギリスのマナーブックに本当にそう書いたのがある)みたいなのは許せるとしても。
(Maria)
Maria wrote:
> (だからフォークの出っぱったほうにもの乗っけて喰うなよ、と言いたい。
いつも疑問だったんですけど、どうしてでっぱった方に乗せるのを「ヘンなカッコウつけて」と言われるのかがわからないのです。
だって、ご飯にかぎって言えば、でっぱった方に乗せた方が食べやすいですよね。
ころころ転がるようなもの (で差せないもの) であれば、へっこんだ方でないと大変ですが。
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