アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
オレンジブルー wrote:
こんばんわ
>でも駄目ですよねー。無理です。殺気が帯びてきます。自分に。
>睡眠も平気で無くなります。
そうですよね・・・私も殺気が帯びてきます・・・。ピリピリしちゃうんですよね・・・。何だか・・・。
>そして、私は今まで励ましてくれて一緒に居てくれた幾人かにはきちんと伝えまし>た。「私は先天性の自閉スペクトラム上の人間で、障害者年金生活になりそうなん>だ」って言いましたヨ。「ああ、それが原因だったのか。はっきり分って良かった>ね」と言ってくれる人も居ました。自分には自然体で居れて、なんでもさらけ出し>てたもともとの関係だったので「そりゃさあ、障害者というのは事実かもしれない>けど、まあ、君なりに自然体でゆっくりできる事しようや。あまり悲鳴あげんとっ>てくれえ」って言ってくれました。。
障害の事を語っても、今までと変わらず、「そうなのね。でも、あなたはあなただし・・・」って態度が変わらない人って凄く嬉しいです・・・。その人は、私の障害とかそういう所ではなく・・・私を見てくれているんだな〜という気がします。
>言い様によっては、「多動症」とか「凝り性」などは使用がやりやすいとおもうの>ですがねえ・・・・・・。私は。利用できない周囲の方が「頭カタイんじゃあない>のか?」と感じます。田口ランディーさんの「からだの秘密」にもちょろっと載っ>ていましたが、「これこれこれをやらせるのにタドウは持ってこいで利用すれば良>い」・・・というような感じで。。。カンタンな気がしないでもないんですが。。
>あとは「今日はこれまで!」とストップ声かけりゃあいい事で・・・・ねえ。。。
出来ない事も沢山あるけど、そのかわり、集中力を発揮して、ものすごく・・・かは分からないけど、出来る事も沢山あるっていうのを認めてもらえたり、「障害」と自分で思っていることを反対に「個性・・・才能」って良い面だと思って見てもらえるといいですよね・・・。それって、前向きでとっても良い考え方だと思うのですが・・・。田口ランディさんの本・・・さっそく本屋さんで買ってきてしまいました。
>自分にとっていいと思う方に行けば、後悔は少なからず大丈夫なような気がします。。でも、「この人になら言ってもいい」という判断は本当に難しいです。
>社会認知でもって初めから「そういう人です」という体勢のほうが私は距離も程よくて良いんじゃあないかい?という気もします。。。。。。
やっぱり、「この人なら・・・」って信じて、「ギョッ」とされたりすると、とっても傷つくので・・・。長くつき合ってみて、ある程度相手と自分が親しくなれたらっていうのありますよね・・・。
武田好史さん wrote:
>そこでみなさんに質問です!
>
>障害者が暮らしやすい社会を実現させていくために、我々日本人の障害者ならびに健常者は、今後どのような点を努力していく必要があると思いますか??
抽象的な物言いになりますが、結局のところ双方が互いを理解し、意識を変え、歩み寄り、行動を変えていく。例えば、障害者のための法律を作るにしても、まずは健常者の方が、障害者に可能な限り1人でも多くの人に聞き取り調査を行なうなどして、実際の法律を作るに当たっては、健常者・障害者が同数で対等に議論できるようにすることから始めます。(そもそも法律って、社会的強者が制定したものが多いでしょう?もっとも、障害と一口に言っても程度はいろいろですから、どのくらいの方までを論議の場に立たせるか、ということはあるかと思いますが。)その他、例えば足が不自由な身体障害者のために、ということであれば、公共の場では建物の中を全面的に段差をなくして平らにするとか、それができなければ、せめてスロープを増やすとか。その際にも、手動の車椅子でもあまり労力を使わずにすむ構造にする、など。(ちょっとずれますが、アメリカでは、段差でも動ける電動車椅子が作[造?]られたらしいですよ。)
前に武田さんがNo.9147で
「『全ての障害者に対して、その自尊心が保障されるように、社会全体で努めなくてはならない』という条項でもつくらんかい!」と怒りを込めて書いていましたが、確かにこれは必要だと思います。そもそも、障害者は健常者と同じようにできない(というより、物の見方、考え方、捉え方、世界観等が違う、ということだと思いますが。実際に、身体障害のために動けない方もいますが、それは本人のせいじゃないケースがほとんどだし。)ということだけでバカにされたり、見下されたりするんですからね。(健常者の方にだって、得手不得手はあるでしょうに!)
また、障害者の方からも、どんどん意見を出したりしていく等のことは必要だと思います。(でも、それ以前にまずは能力開発へのアドバイス、ヘルプ、サポートが欲しい!とは思ってしまいます。とかく、障害者というだけで一段[だけでなく、二段、三段でも?]低く見られてしまうんですからね。個人的な意見ですが。)
・・・と、いささか感情的になってしまいましたが、とにかく双方が互いを理解し合うこと。まずはここからだと思います。(答えになっていなかったらすみません。)
るおう wrote:
どうも有り難う・・・。とっても嬉しかったです。今度行ってみますね。チャットでも、自分と同じ事を考えていたり、悩みを抱えている人達と話せるのは嬉しいです♪
TRUTHより・・・。
グルンサ wrote:
> あんまりだ・・・それって。そりゃ、フツーの人の考え方でしょうに。何でもかんでも、「健常者」の型にはめこまないでーっ!!って思うのはそういう時ではないでしょうか?
こんな時は「健常者」のほうこそ、ガンコで融通が利かなくてキツイと思います。単に「多数者」だからたまたま不便じゃないだけでしょ?ASは他人を思いやれないとか、自分以外の人間を想像できないとか書いてあったけど、「障害者」をいじめる「健常者」のほうがよっぽど、想像力が欠如していると思う。
…でも「自分の世界が全て」だった頃は確かに周りに迷惑かけまくっていたな…だけどいじめはしなかった。そもそも理解できない。好きでもない相手になんでかかわりたがるの?時間の無駄ですよね。暇なのかな。
> この一節で思い出した事。-中略-
取引先の人と和やかに会談していた上司の方が、相手が帰られるなり、「わりゃー○○の手先かー!って胸ぐらつかんだろかと思ったんですけねー、まーこっちも大人やし…」と話していたので「私にこんな駆け引きできるやろか?」と思ってしまった、ということですよね?(何故か大阪弁に…)
げに畏るべきは営業職の方々というところでしょうか。ストレス、溜まるでしょうね…。
武田好史 さんへ
>みなさんこんばんは。
こんばんわ。
>そこでみなさんに質問です!
>
>障害者が暮らしやすい社会を実現させていくために、我々日本人の障害者ならびに健常者は、今後どのような点を努力していく必要があると思いますか??
やはり、健常者も障害について知識を持つ必要があると思います。
みなさんこんばんは。
明日12月9日は『障害者の日』です。
障害者にかかわる様々な問題について、国民の理解と認識を深め、なおいっそうの障害者福祉の増進を図るために、国が設けた日なのだそうです。
そこでみなさんに質問です!
障害者が暮らしやすい社会を実現させていくために、我々日本人の障害者ならびに健常者は、今後どのような点を努力していく必要があると思いますか??
るかさん、こんばんわ。こうもりです。レスが遅れたことと立ち入った質問
をしてしまったことをお詫びいたします。
恋愛のような距離の近い対人関係自体が脅威になってしまうわたしにはうま
く答えることができないのですが、るかさんが好きな男性とるかさんの間の対
話が男性の姉によって切断されてしまっていることは気の毒だと思いました。
るかさんとその男性の関係が今後どうなるにしろ、けっきょくは本人同士が直
接話し合って決めるべき問題でしょう。
お二人が直通で話し合える場があればいいのですが、現時点では思い浮かび
ません。あまり、役に立たないレスで失礼しました。
Mariaさん wrote:
> AMAZING GRACE
>
(英語詞は失礼ながら、割愛させていただきます。)
>
> 驚くべき恩寵 なんと甘美な響き
> 私のような廃残者すら 救いたもう
> かつて失いしものを 今は見出し
> 盲いた目 今は開く
>
> 神は畏敬を我が心に教え
> 恐怖を和らげたもう
> なんと忝(かたじけ)なきかな 恩寵の顕われ
> 我は信仰を知らざりき
>
> 多くの危機 苦難と誘惑を経て
> 我は此処に至る
> 此処より遠き安息へ運び
> 我を住処に導き給え
>
『アメイジング・グレイス』ってこういう歌詞だったんですね。(かつて、白鳥英美子さんがTVで歌っていたのを見たことはありましたが、歌詞の内容が全然わかりませんでした。)まるで、クリスマス・プレゼントのようにも響いてきたりして。(と書くと、Mariaさんの書いたことからまるっきり外れてしまいますが・・・。)
何はともあれ、ありがとうございました。
こんばんは、みるさん。はじめまして。(かわいいお名前ですね、「みる」って。)
みるさん wrote:
>うちの母(昭和15年うまれ)がおしえてくれた歌詞も、
>
>#きよしこのよる ほしはひかり
>#すくいのみこは みははのむねに
>#ねむりたもう ゆめやすく
>
>でした。幼稚園のころですね。教わったの。
>意味も一応教えてくれたんですけど、わかってなかったみたい…。
>賛美歌の言葉って、こどもにはむずかしいなあ。
わたしは、小学校の音楽のサブテキストでこの歌詞を知りました。(あんなにいろいろあるというのは、武田さんのカキコで初めて知りました。)
さて、話を逸らせてしまいますが、今日はジョン・レノンの命日。(ジョンのクリスマス・ソングが、流れているのが聞こえてきて思い出しました。)ジョンの方は、実にいろいろとりあげられているのに、太平洋戦争についてのことを目にも耳にもしないのはなぜ?(単にわたしが知らないだけ、というのもあるとは思いますが。)10年前には、ニューズウィーク日本版でも「真珠湾50年(だったかな?)って、とりあげていたくらいなのに・・・。
また(蛇足になりますが)、当時、わたしが大学生だった時のこと。他のクラブから(当時、わたしは文化局連合会の、とあるクラブに籍を置いていました。・・・って、過去のカキコを読めば、すぐわかりますが(笑)。)役員交代の案内が届きました。その中の日付が、「皇紀2650年(!)11月(だったかな?後は忘れました)」というのには、驚いた!西暦1990年って時代に、これはないでしょーに・・・と目が点になりました。非常に失礼ですが、みるさんのお母様のお生まれの年を見て、ふと思い出してしまいました。(しかし、クリスマス・ソングの話題のはずが、とんでもないところにとんじゃいましたね。ごめんなさい。)こんなわたしですが、よろしく。
ばやし さんへ
こんにちはもうすぐ30歳になる女性、まろんすと申します。
だいぶ歳が上ですが良かったらメール下さい。
AMAZING GRACE
Amazing grace, how sweet the sound.
That saved a wreck like me
I once was lost but now I'm found
Was blind but now I see
Twas grece that taught my heart to fear
And grace my fears relieve
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
I have already come.
Tis grace here brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
驚くべき恩寵 なんと甘美な響き
私のような廃残者すら 救いたもう
かつて失いしものを 今は見出し
盲いた目 今は開く
神は畏敬を我が心に教え
恐怖を和らげたもう
なんと忝(かたじけ)なきかな 恩寵の顕われ
我は信仰を知らざりき
多くの危機 苦難と誘惑を経て
我は此処に至る
此処より遠き安息へ運び
我を住処に導き給え
(Maria)
re wrote:
> 時々遭遇するのが,一人で歩いていたり,店に入ったりすると,その場で殺されても仕方がないような侮辱的発言をしたり,嘲笑する者がいることです。
> これは分別のない子供か,本物の異常者か,あるいは悪人です。
> 笑う者が賢いとは言えず,嘲笑する者が強くはなく,群れているから権利があるとは言えません。
> いつも群れているのは,一人でいるのが怖いからであり,情けないことです。
> 他人にちょっかいを出さないと,自分の存在を確認できなかったり,存在を示せないというのも,とるにたりない同でもいい人間であることを示しています。
> こういう卑怯者こそが,いじめ常習者で,死ぬまでいじめをしないと生きていけないのです。
> ただしいつもいじめをしているので,いつも説教されたり,反撃を受けたり,社会的に認知されないで死にます。
> いじめだけが生きがいで,いじめでしか社会とのコミュニケーションができないので,まともな人間とは友人になれません。
> つまり犯罪者仲間としか付き合えないのです。
> それは非常に厳しく,哀れな生き方です。
確かに、そうゆうバカがいる。僕が通ってる高校にも居る。
グルンサさん、武田さん、こんにちは。
うちの母(昭和15年うまれ)がおしえてくれた歌詞も、
#きよしこのよる ほしはひかり
#すくいのみこは みははのむねに
#ねむりたもう ゆめやすく
でした。幼稚園のころですね。教わったの。
意味も一応教えてくれたんですけど、わかってなかったみたい…。
賛美歌の言葉って、こどもにはむずかしいなあ。
−みるより−
タレイヌ wrote:
>20年ぶりぐらいで、伴奏付きでうたいました。
私も3回はうたいました。オペラ歌手のような声で(笑)。
>うちの子供達は、皆、キリスト教の幼稚園、保育園でしたが、私が歌う場面はなかったな。
>次男が、「何、どうしたの?」とよってきて、「めずらしいじゃん」だって。
>タレイヌが、本気で歌ってるとこなんて、はじめてみたんじゃないかしら・・・。
よかったです。タレイヌさんにうたってもらえて…。
なんか、タレイヌさんのお子さんたちの所まで、
自分はつながっているのかな?とわたしは感動しました。うううー。
タレイヌさん、「ママは歌手なのよ〜」と言うところを
ようくアピールしておきましょうね!
−みるより−
Mariaさん wrote:
>亡くなった人が天国に召されるように、葬式のときに教会から墓場までの行列で、派手に演奏される曲です。迷っちゃったヒトは一日早いハロウィンの晩に化けて出るのだな。
ぶっ。これって、派手に演奏される曲だったのね・・・。(しかも、1日早く化けて出るとは。)
> で、『アメイジング・グレイス』は、この世での役割を終えたひとが神に召されるときの、いわゆる「お迎えが来た」ときの曲だったりします。だから、映画なんかでこの曲が流れると、だいたいそのとき画面に出ている主要登場人物がその場面で死にます。
えーっ?!映画「親分はイエス様」のオープニングで、この曲を使っていましたが、そういうことは全然知りませんでした。
> 『アウェー・マリア』は『幸いなれ、マリア』です。「こんにちは、マリア」(そういうふうにも訳せる。「さようなら、マリア」というのもある)だったらおかしい気がするけど。いきなり天使ガブリエルがラッパ吹きながらやってきて、「こんにちは」とか言って、受胎告知して、「じゃあ、さようなら」。おーい、なんなんだぁー。
>
> 『もろびとこぞりて』はよくわかりません。元の歌詞とか知らないし。いわゆる「エルサレム入城」の場面かもしれません。だとすると面白いぞ。エルサレムの神殿に乗り込んだイエス先生は、屋台ひっくり返しーの星一徹あばれとか、家畜追い散らかしのゴジラあばれとかしてしまいます。うがががが。だけど、あの曲の素っ頓狂な明るさが好きです。
わはははは!こういうのを読んでいると、Mariaさん節(というのもヘンですが)ってホントにいいなあと思う。(大分さかのぼるけど、No.9171の「あめりかー」での3)と7)には吹き出し、4)には大笑いしました。)
書き終えて、気がつきました。
I wrote:
> この一節で思い出した事。(中略)
>私には、こんなかけひき(腹の探り合い、と言う方が正解でしょうか?)が出来るんだろうか・・・?とふと思ってしまいました。
上記の書き方で私の言いたい事は、伝わっていたでしょうか?(改めて読み返してみたら、書き方としてはなんかヘン?と思ったので。)
もし、わかりづらいようでしたら、その旨教えて下さい。書き直しますので・・・。 (グルンサ)
へりこさん wrote:
>今までは「自意識過剰なのよ」と言われるのがおちでしたから。
あんまりだ・・・それって。そりゃ、フツーの人の考え方でしょうに。何でもかんでも、「健常者」の型にはめこまないでーっ!!って思うのはそういう時ではないでしょうか?
>「ガンコ」は、私もよく言われます。後は「キツイ」とも。
後輩が話し方のせいで、そのまた下の後輩達から「キツイ」と思われているらしいんですよね。(私自身は、さほどそうとも思いませんでした。感じ方が人それぞれと言ってしまえば、それまでなんでしょうけど・・・。)
どうやらもっといろいろ脚色して「事実」を言って欲しいらしい。物事は判りにくく、伝わりにくく言ったほうがいいようですね?私がそんなふうに言われたら、さっぱり判らないです。
この一節で思い出した事。最近職場にて、上司が他団体の方と和やかに話をしていました(私にはそう見えた)。ところが・・・!その話が終わって、上司がそのまた上司に話していた事が、他団体の相手がオブラートに物を包むような言い方をしていたらしく、(先に出た方の)上司はその中から相手の本音を察し、「てめーらは、○○(すみません。ここは書けない)の手先か!」と胸倉つかみたくなったけど、こっちも大人ですから・・・」と、話しているのが聞こえました。
私には、こんなかけひき(腹の探り合い、と言う方が正解でしょうか?)が出来るんだろうか・・・?とふと思ってしまいました。
>いえいえ、私はとても救われました。本当にありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございました。
鷲羽丸さん wrote:
> あと、神奈川大の中南米研究サークルの名称は、拓大と同じで「ラテンアメリカ研究会」ですよ(グルンサさんの大学時代は違った名前だったのでしょうか?)。
ごめんなさい。記憶があやふやになっていたようで・・・。(専業大学生だった時代も、今は昔・・・なんてごまかすなって。)
>>ところで、もう1つ質問。(今回、聞いてばかりですね。)鷲羽丸さんって、大学のみ神奈川で、実家が岡山だとか?
>
> わしの実家(今住んでいるところ)は岡山です。大学の4年間は横浜でひとり暮らしでした。
いいなあ。(実は、横浜には数えるほどしか行った事がないので。)
> で、ここからはわしからの提案。
> グルンサさんはメールを出すことができない状態なんですよね。その点は理解しているのですが、「掲示板」という「公の場」で、「個人的な話のやりとり」を続けるのはどうかな……と感じてきました。(きっかけを作ったのはわしの方ですが……)
> かたいことを言うようで恐縮ですが、ひとまず、今回のやりとりはこれで終わり、ということにしようと思います。(あ、この投稿へのレスはしてもいいんですよ。)
>
> そんなわけで、グルンサさん。また別の話題が持ち上がったら、また盛り上がりましょう。
実は、わたしも書き終えた後、「これって、公的な掲示板なのよね・・・」と、公の場で個人的なことに突っ込みすぎたな・・・と、反省しています。(ごめんなさい。)
鷲羽丸さんの言う通りだと、わたしも思います。(こういうのって、メールでやりとりするべきことですからね。)
また、何か新たな話題が出たら、大いに楽しみましょうね!それでは。
(仲間がうれしくって、つい舞い上がってしまったグルンサでした。)
時々遭遇するのが,一人で歩いていたり,店に入ったりすると,その場で殺されても仕方がないような侮辱的発言をしたり,嘲笑する者がいることです。
これは分別のない子供か,本物の異常者か,あるいは悪人です。
笑う者が賢いとは言えず,嘲笑する者が強くはなく,群れているから権利があるとは言えません。
いつも群れているのは,一人でいるのが怖いからであり,情けないことです。
他人にちょっかいを出さないと,自分の存在を確認できなかったり,存在を示せないというのも,とるにたりない同でもいい人間であることを示しています。
こういう卑怯者こそが,いじめ常習者で,死ぬまでいじめをしないと生きていけないのです。
ただしいつもいじめをしているので,いつも説教されたり,反撃を受けたり,社会的に認知されないで死にます。
いじめだけが生きがいで,いじめでしか社会とのコミュニケーションができないので,まともな人間とは友人になれません。
つまり犯罪者仲間としか付き合えないのです。
それは非常に厳しく,哀れな生き方です。
グルンサ wrote:
はじめましてグルンサさん。
> しかし、世間と自分の間の超えられない溝…これについては、悲しいものです
>よね。ホントに。
共感していただけるのですね…すごく、すごくうれしいです!今までは「自意識過剰なのよ」と言われるのがおちでしたから。
「ガンコ」は、私もよく言われます。後は「キツイ」とも。意見を聞かれて自分の考えを言うとこう言われます。「でも事実ですよ」というと「事実だからキツイ」んだそうで。みんな「うそ」を言って欲しいのかしら?どうやらもっといろいろ脚色して「事実」を言って欲しいらしい。物事は判りにくく、伝わりにくく言ったほうがいいようですね?私がそんなふうに言われたら、さっぱり判らないです。普通の人はスゴイ!
>…と、最初からトーンダウン気味のカキコですみませんが、よろしくお願いします。
いえいえ、私はとても救われました。本当にありがとうございます。
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