アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みなさんいろいろのご意見ありがとうございました。
以下に示すULRは、名古屋のIEPという団体が作成した、発達障害児の就学のの手引きです。発達障害児の教育に関してどのような問題があるのかが、まとめてありました。
http://www.nucl.nagoya-u.ac.jp/~taco/matito-arcive/school.html#23
グルンサ wrote:
こんばんわ。レス遅れて・・・もう覚えていないかも・・・。って感じなんですけど、書かせて下さい。
> 障害を障害として捉えるのではなく1つの個性、もしくは特性・特技として捉え>られ、かつそれを活かせたら最高ですよね。(前にも書いていた方がいましたが、>すみません、どなたでしたっけ?)まずは、理解してくれる人を探すことから始め>ることにはなりますが。この点、オレンジブルーさんを羨ましいとは思ってしまい>ますが、今の状態に行きつくまでは、相当大変な思いや経験をしてきたと思いま
>す。(前に書いていましたよね?確か。)
>この場を借りて、truthさん、pennpenn58さんへ。お二人への応援カキコ(?!)を>見掛けるようになりましたが、よかったですね。ここの館には、理解者がいると思>うと、こちらとしても嬉しくなります。(なんて、またもえらそーに書いてしまい>ましたが、悪い癖ですね。これ。)
自分が何かを発言して、共感されたり、同じ思いをしっている・・・っていう事が分かるのはとっても嬉しいですよね♪ちゃんと、私の思いに反応が返ってくるっていうのは本当に嬉しいです♪♪
障害を障害と捉えず一つの個性と見るっていうのは・・・自分の意識もあるんだろうなぁと何となく感じたり、考えたりします。ドナさんとかヘルフゴットさんも、後、山下清さんも、多分・・・「私は障害者」という事を引け目に思ったりしないんだろうなぁって思ったりして。(そんな有名な人達と比べるのもちょっとおこがましいかもしれないですが。)多分色々な目に遭う事もあるのだと思うのですが、それでも、自分を曲げない強さがあるから、「自分は自分だし」って強く存在出来て、それで人に認められるんだろうって気がします。
ネガティブな方向に考えていると、周りも私をネガティブに捉えるような気もします。でも、私は、言葉ではそう言えるけど、実際に行動で示せるほど・・・偉くはなく、やっぱり、行動するのは難しいな・・・って思うのですが。
「堂々としていれば、社会は結構受け入れてくれるものです。」って、身体的に問題を持っている友人が言っていましたが、そーいう部分もあるかも・・・って思ったりします。
本当に嬉しいです。有り難うございます。私も嬉しい。何だかグルンサさんの笑顔を思い浮かべてしまいました・・・。頑張らないとな〜って気分になります♪
pennpenn58 wrote:
こんばんわ・・・。随分レスが遅くなっちゃたので、忘れられているかもしれません・・・。ごめんなさい・・・最近・・・仕事以外はグーグー寝ていました。疲れが溜まっているのかも・・・。
> 私も同じような仕事の方とお知り合いになれてうれしいです。老人ホームを辞め>たあとは民間の福祉関係の会社でケアマネージャーの仕事を半年して上司と合わな>くて首になりました。精神病院に通院しているのも原因でした。
> 老人ホームでも民間の福祉関係の関係の会社でも入所者の人や利用者の人とはよ>い関係が結べるのですが職員間の人間関係は私には難しかった。当分失業保険で暮>らしそのあとはひとりで仕事ができるように独立しようかどうしようか迷っている>ところです。でも自分に独立する能力があるのかどうか不安なのです。
> 仕事ってほんとうにきびしい世界だと思います。自分を見失いようにしないとい>けないよね。そして職場での親しい友人がいないととてもだめ。孤独の泥沼にはま>ってみんな敵に見えてしまう。私は老人ホームではやはりASぽい人がいたのでそ>の人に時々相談していました。相談と言うより愚痴でしたけど。
> 老人ホームではまあ何とかやっていたのですが家庭で夫とうまくいかないのがつ>らくて職場も精神的にきつい、家庭もつらいとダブルでトラブルを抱えてある日突>然職場に行けなくなって、そのまま一年休職しました。タハハ、そして今はプーを>しています。でもずいぶんよくなったような気がしていて今ならまた別なところで>職場復帰できるかあという感じです。この掲示板を知ったこともよかったです。
>あ、自分はASだったんだと知ったことでもう目からうろこ、今までの自分に対す>る疑問が氷解しました。で、精神的に楽になりました。みなさんのおかげです。
私は、仕事が関係しなければ・・・仲の良い人とは、何とかコミュニケート出来るのに、仕事だったり、利害関係が出てきたりすると、混乱してしまうのはどうしてかなぁ・・・って思っていたのですが・・・pennpenn58さんが言われているように、仕事って厳しいから・・・なんだろうなぁ・・・と思います。自分を見失いそうにもなりますよね・・・。
私も独立して仕事したいです。お弁当屋さんとかいいかもなぁ・・・なんて考えたり、(滅茶苦茶料理が好きなんです。)今でも、個人で個人宅のホームヘルプをもぐりで・・・(資格無しで・・・)しているので、そんな・・・あんまり雑多な人間関係のない仕事が出来ればなぁと思います。しかし・・・自分で営業したり、全部責任を持つかと思うと・・・う〜ん・・・と考えてしまいます。
ここの掲示板をを知って私も本当に良かった〜〜。書き込み読んでいて、一人じゃない気もしました♪♪「わーい」って思いました♪「何だ、みんなそー思っているのかぁ」って思ってとっても嬉しかったですよ。
他の皆さんも色々書いているけど、私も・・・8月くらいから11月にかけて、身体がほとんど動かず、送迎の運転していて、寝てしまいそうになるような状態が続いていました。休みの日は一日寝たりしちゃったりして・・・。「死んでもいいから続けよう」って気持ちでやっていました。そういう気持ちじゃないと続けられないって思ったのでした。でも、動けなくなって・・・「トレドミン」というセロトニンの薬を処方してもらったら、何とか動けるようになりました。
世間的な評価は関係なく・・・個人レベルでは、私もpennpenn58さんも凄く頑張っていると思います。頑張ればいいってもんじゃないのかもしれないですが、生きることを頑張っていると思います。よくやっている・・・って思います。そして、多分・・・そういう部分をちゃんとみてくれていて、認めてくれている人もいるんだろう・・・色々・・・って思います。もっと自分に誇りを持って・・・もいいんじゃないか・・・って気もします。(選らそうかなぁ)
レスが遅くなってごめんなさい・・・。
「学級」や「線引き」などは出発点ではなく、最後の結論として考えた方がいいのではないでしょうか。
障害の有る無しにかかわらず、それぞれの子供に合った環境というのが、まず始めに考えるべきことだと思います。
そして与えられた条件のもとで、最善の環境作りをすべきでしょう。
#障害の話ではないですが、お絵書きで太陽を黄色く描いたら、先生が「赤くしなさい」と叱ったなどという、けしからん話を聞いたことがあります。
ここで「条件」と書いたことは、子供の個性を伸ばし障害を理解できる教師がいるか、いなければそのような教師を育てることができるか、小学校であれば幼稚園の段階で子供達にどのような意識を持たせてきたか、学校の規模、土地柄、などなど、様々なことを含みます。
これらの条件によって、全ての子供を普通学級にまとめるか、普通学級と特殊学級を分けるか、通級にするいか、学年によって変えていくかなど、それが相応しいかが違ってくるでしょう。
最善の選択をすることは難しいのも確かですが、その努力は必要だと思います。
私が小中学校の時には、知能に障害のある子が普通学級に一緒にいましたが、何の問題もありませんでした。
#同窓会で会っても相変わらず明るかったなあ。
話題に乗り遅れかけてしまった…。こうもりです。
まずは、朝日新聞のある介護福祉士の人のコメントについて。
> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子
>たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目に
>したとき、背筋が寒くなりました。
これについては結論は明快です。普通学級では周囲の理解が得られなかった
り、指導の仕方がこれらの障害児に合っていなかったからです。
ひとまず、普通学級のやり方がうまくいかなければ違うアプローチの仕方を
試してみるというのは間違っていないと思います。もっとも、ここに「障害者
の方が健常者よりも低劣である」という思想や「普通学級の方が障害児学級よ
り高級である」という思想が混ざってしまうために話がややこしくなるのです
が。(朝日新聞の投稿者自身は明らかにこの思想に基づいて意見を述べている
ようである)
> コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子
>に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほ
>ど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみ
>んなでかばいあっていくのじゃないですか?
コミュニケーションの仕方はこれから学んでいくということ自体は当たり前
のことだと思います。しかし、発達障害児と評価されることが、なぜコミュニ
ケーションの発達を阻害することになるのか、うまくつながりません。もっと
も、障害者と評価されたがために、完全に健常児との接点がなくなってしまっ
たのであれば、そういうことはあるかもしれません。
> 教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断で
>つぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではない
>でしょうか?
障害がはじめからなかったかのように扱い、有効なアプローチをしない方が
よほどその子たちの未来をつぶしてしまうことになるでしょう。
また、自分自身を「健常児」と評価されたいか、「障害児」と評価されたい
かは意見が分かれるところです。わたし自身の子供の頃(未診断だった)はと
言うと、障害児としての支援が欲しかった訳ではありませんが、「健常児とは
っきり区別してほしい」という気持ちが強かったです。学校側から一方的に決
められるのは不快ですが、本人が「健常児としていきるか?障害児として生き
るか?」を選ぶ権利はあってもいいと思います。
> つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の
>記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。
適切に対応されていなければ、障害児と評価されていようがいまいが、豊
かな経験は残りません。別次元の問題でしょう。
みどり wrote:
>> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
>
>障害児とするのは別に問題ないと思うんだけど、それによってその子が普通学級に (入りたくても) 入れなくなってしまう、というのなら反対だな。つまりその点においては投稿者に同意します。
>
>武田好史 wrote:
>> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
>
>普通学級に入れることと普通扱いすることは別だと思うし。
>まあ実際は普通学級に入れたらあとのケアはなし、ってくらいの実情なんだろうけど、じゃあ障害児学級が知能が高い子供の知的欲求に耐えられる状況かと言えばそうでもないと思う。
>以上は本人側の問題。
>逆の視点もあって、広汎性発達障害児を全部普通学級から除外しちゃうと、そこで育った子供は、広汎性発達障害の子供を知らずに大きくなることになります。
>そうやって育って、大人になってからいきなりどこかで広汎性発達障害の大人と出会った場合の反応は、あんまり期待できない気がします。(「発達障害=>すごく特殊な人=>ナイフで殺人する人でしょ」みたいなわけわかんない偏見がまかり通る危険が増える)
>これは発達障害に限らず、身体障害の場合なんかも、極力身近においといたほうが、無用な偏見はさけられるんじゃないかと思います。
確かに『知的欲求』に関する問題からも、『配慮が必要な人』がいることの子供への啓発という点からも、普通学級に置くべきという意見は分かります。
しかし教室という環境は、多くの児童生徒が出入りし、広い空間で、刺激が強く、そういった子の中にはいるだけで非常に疲れて、先生の話が聞けなかったり・板書をとり切れなかったり・私もそういう子だったのですが教室を飛び出していったりという子がいるということも、忘れてはいけないのです。
小学校低学年のうちは案外『気にせずに普通学級』でもかまわないと思うのですが、学習面で着いていけなくなるとか・いじめなど人間関係のトラブルが生じてきやすい高学年を迎える前の全ての子供に対して、全国統一のLDに対する検査を行い、その結果適切な配慮が必要と分かった子供は、専門家が行う月に2.3回の治療プログラムに非強制的に通ってもらうといったことが、最低限必要なのではと僕は思います。
へりこ wrote:
>ひぇー、これってまんま私の特徴になってしまうー!
>私も…二次障害と言うんですか、昔のいじめとか、性的いやがらせのPTSDとかがネックになっているようです。
へりこさん、こんにちは。似てますか?ASの母親ってあんまり母親業にむいていないような気がするこのごろです。ついでに妻業にもむいてないみたい。何にむいているんだろう。夫は常におまえの努力が足らない、おまえの考え方がおかしいと言うのですが。ウーン、私の努力は実らないのです。きっとどこかとんちんかんなのでしょう。
なんかASっていじめられたりすることがあってたしかに障害そのものより2次障害の方が問題だってことありますよね。人とうまくやっていくために必要な自尊心をなくしてしまうとか。自信をなくして鬱病になっちゃうとか。
へりこさん、大変な思いをして相談に行ったのにひどい人に当たってお気の毒です。なんか精神科医もそうだけど当たり外れがあるよね。私も今の精神科医に落ち着くまでけっこう何件か病院巡りをしました。カウンセラーも場合によっては有効だけど病院の方が保険がきいて安くていいような気がします。あ、身も蓋もない言い方。
へりこさんの母親ももしかしたらADHDの可能性があるかもということ。うちも母親もどうもADHDのような気がします。なんかちゃかちゃかしてるというか。やはり蛙の子は蛙。ナマズの子供じゃないわいな。あ、なんかちがうか。
精神科で心理テストを受けたことがあります。ロールシャッハテスト。インクのシミみたいな模様が何に見えるか聞かれるおなじみのやつです。結果は人との共感性がひくい。男性の上司とぶつかりやすいということでした。当たってるかも。そこはADHDじゃないでしょうかということで受診したのですが基本的にADHDが問題になるのは思春期までですといわれて検査まではいきませんでした。
今の病院ではADHDの可能性もあるということで検査はしませんでしたがADHDの治療薬のリタリンを処方してもらっています。私はナルコレプシーの症状もあってどこでもここでも眠くなるのでリタリンは眠気覚ましとしてもありがたいです。コーヒーを飲んでもカフェイン剤をがりがり食べても抵抗できないような眠気が突然きて困ってましたがリタリンが処方になってからはだいぶ助かってます。
へりこ さんwrote:
>普通学級で、ケアをしつつ、というのが理想かな。
ハイ、通級制度が、ありますよ。(場所によるかな?)
>そうなると、教師の知識、力量が問われます。障害児のケアと共に、周りの啓蒙にも努めなければなりません。
ハイ、学校訪問という事も、やっているところ、ありますよ。
親へのカウンセリングや、教師へのアドバイスというのも、ない訳ではないです。
>クラスの少人数制、担任二人とかにすれば楽になるか。
T・Tという制度もありますよ。
>「障害は無縁ではない。自分の子供がそうなるかもしれない。自分自身も、病気、事故などでそうなるかもしれない。今はたまたま普通なだけ」という考えが浸透すればいいのにな。
結局、線引きであろうと、差別であろうと、『違いがない』ことにしたり『見ない=ない』ことしない事が大切。(誰かの“せい”や、何かの“せい”にしないの。だからどうしたらいいのだろうか・・?って、みんなで考えればいいのよね、つまり。)
制度として確立した後、真剣に運用するのは、結局現場の人間の『感性』と『力量』にかかってくるのでしょう。
へりこさんに、次の??一票。
(タレイヌ)
武田好史 さんwrote:
> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?
言葉だけが先行して、『広汎性発達障害児』と診断された子供たちの心は置き去りにされたまま、大人たちの価値判断で線引きされるのはかわいそう。
長男(AS)はずっと普通学級だったけれど、特殊学級に入ってもきっと浮いてしまっていたでしょう。
現場の教師たちや、専門家さえどう扱ってよいのか戸惑うことの方が多いのではないでしょうか?
> 教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断でつぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではないでしょうか?
> つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。それほど辛い思いを大人たちは、その子たちにさせてはならないと私は思います。
私は上記の意見には同感です。怒りは湧きません。
問題を提起してくれる人たちが増え、この子らをどう守っていってあげたらいいのか、もっと議論してほしい。子供たちを見捨てないでほしいと心から願っています。
普通学級で、ケアをしつつ、というのが理想かな。
そうなると、教師の知識、力量が問われます。障害児のケアと共に、周りの啓蒙にも努めなければなりません。
クラスの少人数制、担任二人とかにすれば楽になるか。
現状では「特殊学級」に放り込むほうが教師にとっては楽そうですね。
それでこの投稿者は安易な「線引き」を恐れている、と。
今大事なのは「普通人」教育か。
「障害は無縁ではない。自分の子供がそうなるかもしれない。自分自身も、病気、事故などでそうなるかもしれない。今はたまたま普通なだけ」という考えが浸透すればいいのにな。
グルンサ wrote
>
>いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
>
ああ、これは私が若い頃、会社というものに勤めていたときの会話そのまんま。私がしばしば指示をまちがうので私自身も自信をなくしていたしいつも泣きたい気分でした。上司も私に指示を出すときは何も考えなくていいし悩まなくていいから、とにかく言われたことだけやればいいからと何度も言われたものでした。
自分の仕事のできなさが理解できず、会社の隣にあった精神神経科に一度行ったことがある。
私 : 「仕事をまちがえてばかりいるんです。なぜでしょうか」
医師; 「若いんだから仕事のことなんかで悩まないでボーイフレンドでも作っ たら?」
私 : 「・・・・・・」
どうも上司の指示に従って仕事をするというのは私の一番不得意な分野だったらしい。結婚してから老人ホームに勤めたが慣れるまではとんでもない苦労をしたが
いったん慣れて自分の裁量で仕事ができるようになってからはずいぶん楽になったと思う。人よりむしろ仕事ができたかもしれない。でも副主任という立場になってからはまた人間関係に悩んで結局仕事を辞めたのですが。
エー、ちょっと母を病院に送らなければ行けないのでまた書きます。
ぐるんささん、だいじょうぶ。あんまり自信をなくさないでね。といいつつ、今朝夫にしみじみとおまえは何だか知恵遅れみたいだなあと言われたpennpennでした。
グルンサさん wrote:
>いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
>
あは、私もそんな行き違いは頻繁にあります。
何か上の人が指示を出そうとしたときには、とりあえずメモするのだけど、
大体、メモした項目が10個あれば、3個ぐらいは忘れてやり残してしまいます。
指摘されても、ん?、覚えていない。
メモもよくなくすし。
秘書さんを雇える身分の人がうらやまし〜、今日この頃。
武田好史 wrote:
> この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
最近、ADHDというものの存在が知れられるようになってきた。新聞でもASが取り上げられているのは見たことがないがADHDについては教育面などで取り上げられているのをよく見かける。そして学級崩壊のことも社会全体の問題として大きく問題になっている。
学級崩壊の原因を作る子供にADHDの症状を持つ子供が多いという記事を読んだことがあるが広汎性発達障害児の教育が問題になる背景には学級運営の問題があるのだと思う。学級崩壊は私の住む福島の田舎町でもある。
多動のある子供にかかりっきりになるわけにはいかないとかADHDの子供はほんとうは素直な子供が多いが学級がざわざわしてくるといっしょに騒いでしまい学級崩壊を進めてしまうという教師側の理論がこの問題の背景にはあると思う。
ADHDの子供の教育には教師の力量が問われるがそれ以上にADHDの子供に対する治療の遅れがもっと問題になってもいいと思う。専門家の養成の遅れを問題にせずただ広汎性発達障害児を別枠で教育しようと言う発想に私はうなずけない。
とある日の朝の会話。
上司:「1月末(口座)引落の申込書って送ったっけ?」
私:「いや…最近送った覚えはないんですが…。」
上司:「でも確かに(記録に)出てるんだよな…。ああ、別枠でか。でも、いつ送
ったんだっけ?」
私:「うーん…、最近送った覚えはないし…。」
上司:「一昨日、送ってない?」
私:「うーん、今週に入ってからの記憶はないなあ…。」
上司:「俺は一昨日のって言ってるの。」
私:「……(この後、業務日報を見に行く私)。」
もう1つ。他の上司から用件を頼まれて。
他の上司:「何も考えなくていいから、その通りにやってね(しょっちゅう人の言う事をとっ違えるから)。」 私:「……。」(この後、黙って用件をこなす。)
別の日の、また違う上司(上司3とします)との会話。 上司3:「さっき俺が言った事をもう1回繰り返してみて。(作業が1〜4まであるとします。)」
私:(その通りに繰り返し[た、つもり。ここで、1が抜けている事、もしくは言い忘れている事に気付かない。])
上司3:「最初にやる事(しかも一番大切な事、ここでは1です)を忘れてるだろ。何度も同じ事を言わせるなよ[既に何度も言わせている]。頼むからさあ…。」
私:「…(小さくなって)すみません…。」
いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
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