アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
グルンサ wrote:
> 抽象的な物言いになりますが、結局のところ双方が互いを理解し、意識を変え、歩み寄り、行動を変えていく。例えば、障害者のための法律を作るにしても、まずは健常者の方が、障害者に可能な限り1人でも多くの人に聞き取り調査を行なうなどして、実際の法律を作るに当たっては、健常者・障害者が同数で対等に議論できるようにすることから始めます。(そもそも法律って、社会的強者が制定したものが多いでしょう?もっとも、障害と一口に言っても程度はいろいろですから、どのくらいの方までを論議の場に立たせるか、ということはあるかと思いますが。)その他、例えば足が不自由な身体障害者のために、ということであれば、公共の場では建物の中を全面的に段差をなくして平らにするとか、それができなければ、せめてスロープを増やすとか。その際にも、手動の車椅子でもあまり労力を使わずにすむ構造にする、など。(ちょっとずれますが、アメリカでは、段差でも動ける電動車椅子が作[造?]られたらしいですよ。)
そうですよね・・・
でも私は、地元の障害者の運動会に参加したとき、車椅子を実際に動かしてみて気づいたのですが、「スロープ」というものも、決して車椅子の利用者にとって楽なものじゃないんですよ。市役所の職員をやっていて車椅子歴が長く腕力もあるおじさんは、難なく体育館の場内の出口にある、丁度歩道と車道をつないでるような感じの、傾斜30°くらいで長さ15cmぐらいのスロープを越えていきましたが、私は何度がんばっても突破することができませんでした。まだ車椅子に乗りたての人とか腕の力が上手に使えない人にとっては、こんなささいなスロープでも大変な『障害物』になってしまうことを身にしみて思いました。
また目が見えない人にとって、「盲人用ブロック」というものは、自分の通っている場所を見出すために不可欠なものなのですが、設置基準・規格がまちまちで、一般的な「黄色にぼつぼつ・線」以外に、背景と同じ色が使われていたりして、弱視の人が困ってしまったり、電車のホームで杖で「ない・・・ない!」とブロックを探っているうちに、線路に転落してしまった人もいるようです。
それからこれは特に「国土交通省」へお願いしたいのですが、採算が取れないところに高速道路を通すよりも、既存の「一般国道」「幹線道路」といった類の道路端に、歩行者・車椅子利用者が安心して通れる通路を確保して欲しいです。特に大都市部の郊外は、歩道があったかと思うと急になくなったり、狭くなったりで歩ける人でも通りにくいです。車椅子の人が利用しやすい「低床形バス」も、もうちょっと普及させなきゃと思います。
(でも、それ以前にまずは能力開発へのアドバイス、ヘルプ、サポートが欲しい!とは思ってしまいます。
これは特に我々軽度発達障害者・聴覚障害者・色覚障害・弱視・内臓機能障害・精神障害の回復期の人など、『一見五体満足で見た目には分からない障害』を持っている人には、特に重要なことだと思います。外界からの情報がうまくとりこめなかったり、身体が疲れやすかったりして、生身で「効率優先主義」「能力主義」の社会で生活していくには、相当身を削るような努力が必要なのですから・・・・・
また知的障害・精神障害・発達障害・身体障害(寝たきり・車椅子・盲・ろう)の若い人においては、いずれも『親亡き後、どう生きる?』というジレンマを抱えています。これらの人のために、仲間同士の集まりの形成の支援・グループホームの建設*運営・働く場の確保・健常の人との交流の促進・余暇活動の支援などが必要でしょう。
さて私たち『軽度発達障害者』は何をすればよいのか?ということですが、働けなくっても、「体力作りのために、ウオーキングを欠かさない」とか「食器洗い・家の掃除・洗面所の掃除など、一日に何か一つ家族が喜ぶことをする」とか、自分のできることを目標をもってこつこつやっていくことが、生きる能力を陶冶してより良い明日につながっていくと思います。
名加野さん wrote:
> グルンサさん、こんにちは。やっと元の職場に戻ってきました。
>
> ええとですね、簡単に言えばいつまでインターネットに繋げてようが、一ヶ月のインターネット代金は一緒だという感じですか。普通の電話回線を使ってるんですが、電話している領域とは別の領域を使っているので、電話も一緒に使えます。電気代は別です……(汗。
>
> こんな感じでよろしいですか?
はい。お疲れのところ、お返事ありがとうございました。(わざわざすみません・・・。って、自分がふったんですよね、これ。)
メールありがとうございます。
ただ出来ればお名前を、お書き下さればまだよかったのですが(汗。
一応返信しました。が、戻ってきてしまい困ってます。
「メールではじめまして」というタイトルで送った方、心当たりありましたら、ご連絡下さい(苦笑。
あさかぜさん wrote:
> 自分に正直な生き方って、ひとことで言えば簡単だけど、実行するのはむずかしいですよね。人は人との関係性のなかでしか生きられないですから。
> 精神がまだ子供っぽさを残したまま、生きていくしかないんだと思っています。自分を否定しても何にもならないですから。
お返事ありがとうございました。私も、大学時代(後半)ごろからずっと頭を抱えてます。自分に正直に生きたい・・・けれど、なかなかそうはいかない現実もあります(悲しいけれど)。私が最初に直面したのは、学生時代。卒業後の進路の事で、母と言い合いに。そして就職した先は、自分に合っているとは思えず(実際、当時の直属の上司にも言われました)、そして職務中の怪我もあって現職へ。しかし、ここはもっと合わず(半分は、自分の体のことを考えて・・・だったのですが、現在の直属の上司etc.にも適性について言われる有様)、来年どうしたらいいんだろうとしこたま頭を抱えてます。おまけに学生時代は「おもしろい」、「変わってる」だけだったのが、世間に出されてからは「ガンコ」、「人の話をまるで聞いてない」・・・等々いろいろ変わってしまいました。(この間の事は省略します。過去のカキコにいくつか書きましたので・・・。)私自身、現在の上司からのコメント(後輩にも言われました)や、関連書籍、このHPで、ようやく自分にAS傾向があるようだ、ということがわかった次第です(未診断ですけどね)。
話を本題に戻して。私自身、未だに自分自身を受け入れられていないと思うところは多いです。(軋轢を感じるためか、自分から人を遠ざけちゃっているせいか?安心して[思い切って?]本音を話せる人が身近にいないという事もあるとは思いますが。反面、楽になった面もあります。)でも、自分の感情を素直に出せる時は出した方がいいと思いますよ。(私自身、しょっちゅうやってますからね。ここの住人の皆さんに対しては。まあ、職場で出せない分、余計にここで出まくってる気もしますが・・・。)13年も年下の私が生意気言ってすみません。(また答えになっていないレスになってしまいましたね、これ。)それでは。
グルンサさん、こんにちは。やっと元の職場に戻ってきました。
> すみません。ADSLってどんなものでしょうか?(初耳の初心者でございます。が…1ヵ月もすれば、もう初心者とは言えない、かな?)
ええとですね、簡単に言えばいつまでインターネットに繋げてようが、一ヶ月のインターネット代金は一緒だという感じですか。普通の電話回線を使ってるんですが、電話している領域とは別の領域を使っているので、電話も一緒に使えます。電気代は別です……(汗。
こんな感じでよろしいですか?
Mariaさん wrote:
> 歴史的には「カタロニア」、現地語としては「カタルーニャ」が正解だそうです。「カタロニア」というのは中世ラテン語の文献にそのまま現われている形で、「カタルーニャ」は十三世紀頃、カタルーニャ語で文書が書かれはじめた形だそうです。
> 以上、田澤耕『カタルーニャ50のQ&A』(新潮選書)より。
ひえーっ、「カタロニア」ってのは、単なる英語表記だとばかり思ってました。まさか、そっちの方が古かったなんて・・・。(ああ、生半可な知り様が恥ずかしい[思わず顔が下向き。見えてないっていうのに・・・]。)
>> そういえば、作曲家のドヴォルザークも、チェコ語で正しく発音となると違ってくるのだとか。(あえてカタカナ書きにすれば、「ドヴォルジャック」という書き方が一番近いみたいだけど、これもかなり無理があるらしい。)
>
> ドゥボルジャクという人が考案したキーボード配列があるのですが、英語では「ドゥボラック配列」。ショパンは正しくは「ホピン」。言語学者のチョムスキーも、もともとは「ホムスキー」。物理学者で哲学者のマッハは英語では「マック」だから、日本語の「マッハ数」は「マック・ナンバー」。「金日成」や「金正日」はかつて「きんにっせい」「きんしょうにち」だったけど、最近は「キム・イルソン」「キム・ジョンイル」。「毛沢東」も「もうたくとう」だったのが「マオ・ツオトン」。「ベニス」と「ベネツィア」、「メキシコ」と「メヒコ」というのもあります。
ホビン(ショパン)ってポーランド語読みかな?これって。間違いでなければ、「ヴェネツィア」はイタリア語読み、「メヒコ」はスペイン語読みですが(あ、Mariaさんは書いているくらいだから、もうご存知か[笑])、少しずつ元の言葉に近付けて発音しようということが嬉しい。(・・・なーんて、これが間違いだったらまた冷汗ものですが。)
> 自動車関係では、「BMW」は「ビーエムダブリュー」じゃなくて「ベー・エンム・ヴェー(バイエルン・モートル・ヴェルケ)」。「フォルクスワーゲン」は「フォルクスヴァーゲン」。「ジャガー」は「ジャギュア」。「メルセデス」は「メルツェデス」か「マーセディーズ」。「マセラティ」は「マゼルラッティ」。「ル」は「犬の音」と云われた巻き舌のル。がるるるる。
> 拳銃だと「ワルサーPPK」は「わるさーぴーぴーけー」ではなく「ヴァルター・ペー・ペー・カー(ポリツァイ・ピストル・クリミナーレ)」。ヒトラーやナポレオン・ソロやルパン三世の愛銃「ワルサーP38」は「わるさーぴーさんじゅうはち」ではなく「ヴァルター・ペー・ドライツィヒアハト」。「モーゼル」は「マウサー」。
> 佐貫亦男先生の「工業英語」の時間にはこんなことを教わっていました。
>
> だけど聖書の人物名が英語読みでなくてよかった。「ヨハネ」が「ジョン」で「ペトロ」が「ピーター」で「アンデレ」が「アンドリュー」とか言われたら気分が萎えてしまいます。「マリア」や「トマス」はいいんですが。
質問になりますが、Mariaさん、あなたの学生時代の専攻って何でしたか?あまりの博識ぶりに想像もつかない・・・。もし、お嫌でなければ教えて下さいませ。(もちろん、学生時代の専攻がすべてを決定するなんて、露ほども思ってはいませんが・・・。)
レスをくださった皆さん、ありがとうございます。
かなり興奮していて、恥ずかしいカキコをしたと自分では思っていたので、頭が冷えるまで休んでいました。
pennpenn58さんへ
1956年生まれのあさかぜは、まだSSRI一年目です。仕事は昨年の7月にやめてしまって、ずっとぷーしていますけど、当分勤める気にはならないです。でも生活が苦しいのは確かなので、今は夫との根競べをしてます。(勤めろよ、このオヤジ!身体を壊したわけでもないのに会社をやめちまって、ぐうたら寝てるかゲームしてるヒマがあったら、職安に行け!家のローンと子供の養育をどうする気だ?)ってところですね。このままだと本気で夜逃げかも……。
疲れているときは無理をせずに、ゆっくりやすみましょう。お互い自分を大切にしたいですね。
グルンサさんへ
ひどく感情的なカキコでしたのに、ていねいなレスをくださってありがとうございます。自分に正直な生き方って、ひとことで言えば簡単だけど、実行するのはむずかしいですよね。人は人との関係性のなかでしか生きられないですから。
実態はおばさんなのに、精神がまだ子供っぽさを残したまま、生きていくしかないんだと思っています。自分を否定しても何にもならないですから。
オレンジブルーさんへ
「あさかぜ」は洗濯洗剤でも扇風機でもなく、報道ヘリでも健診車でもなくて、寝台特急からとりました。同人誌やってた頃のPNは「あさかぜ さくら」か「はやぶさ みずほ」を使ってみたりしたんです。全部寝台特急=ブルートレインとも言います。列車(特に長いの)が好きなもので♪
東京暮らしの頃、よく新宿駅のホームの端に立って、中央線や総武線の電車の行き来を見て胸をときめかせていました。ときどき上野駅にも遠征して、何時間もながめていたものです。なぜか東京駅には行かなかったんだけど……。
pennpennさん wrote:
> アメージンググレースの歌詞の意味を始めて知りました。葬送の時に使われる歌だというのが納得できました。私もこの歌が大好きなのです。
> 詞自体は難しくないのですね。どこかでアメージンググレースは黒人の人が作った賛美歌と聞いたような気がします。私も白鳥英子さんがこの歌を歌ったのをテレビでみました。
『アメイジング・グレイス』はイギリスの古い賛美歌。ですから“Tis”とか“thus”とかいった、古い英語が混じります。あたしも白鳥英美子さんの『アメイジング・グレース』(同名のアルバムあり)がTVCMで使われてから、この曲について調べました。
なお、葬送に使われるのは、『聖者が街にやってくるとき』。かの“サッチモ”ことルイ・アームストロングの葬列のときには、この曲が盛大に演奏されていました。
現在『黒人霊歌』として知られているのは『リパブリック賛歌』、あるいは『グローリ・ハレルヤ』という名前で知られている曲。たしか、南北戦争当時の軍歌だったと思います。日本だと、「♪おたまじゃくしは蛙の子 鯰の孫ではないわいな それが何より証拠には やがて手が出る足も出る」の歌詞で有名……と書いてから気がつきました。「♪新宿西口駅の前 大きなカメラの店がある 安くてなんでも揃ってる カメラはヨドバシカメラ」のほうが有名ですね。
そういえば、クリスマス・ソングで大事なのを忘れていました。ビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』。軽い曲ですけどね。
あとはジョン・レノンの『メリー・クリスマス&ハッピー・ニュー・イヤー』。この曲、正式のタイトルがわからない。
ところでジョン・レノンの息子さんは「ショーン」だったけど、ジョンはアイルランド系なのかな?
(Maria)
グルンサさん wrote:
> それと、記憶違いでなければ確かカタルーニャ語はスペイン語のうちだと習ったような気もしますが……。(もう10年ぐらい前の話なので、正確には思い出せないな。すみません。ちなみに、共通語として教えられたスペイン語はカスティーリャ語だったと思います。)
同じラテン系言語(ロマンス諸語)という意味では、いわゆるスペイン語(カスティーリャ語)とカタルーニャ語は姉妹のような関係にあります。で、スペインの公用語というのはカスティーリャ語です。スペイン憲法第三条には、「カスティーリャ語は国家の公用スペイン語である(El castellano es la lengua espan~ola oficial del Estado.)」とうたってあります。
ただ、「『スペイン語』=カスティーリャ語」というのが、やっぱりイヤ、という人はいます。
> さて中国語ですが、普通話(共通語)として教えられるのが北京語ですが、少なくとも広東語って、中国語のうちじゃなかったっけ?(よくは覚えていませんが。わたしは、客家語や福健語も中国語のうちだと思ってたんですが、違うのかな?)どなたかご存知の方、教えてくださーい。(こんな形で、外国語談議(?)が復活(??)するとは意外でした。失礼ながら。)
これもそう。「『中国語』=北京語」というのがイヤ、という人がいます。
そういえば、「北京」はかつてPekingだったと思ったのですが、いつのまにかBeijingになっているような気がします。これは確か中国東北部(旧満州)の発音が「ペキン」だったから、と聞いた記憶があります。
> ここで横道に逸れますが、Mariaさんが「カタルーニャ」ときちんと表記していたことがとてもうれしい。というのは、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」というタイトルを見るたびに「おーい、違うでしょうが・・・」と思ってしまうので。
歴史的には「カタロニア」、現地語としては「カタルーニャ」が正解だそうです。「カタロニア」というのは中世ラテン語の文献にそのまま現われている形で、「カタルーニャ」は十三世紀頃、カタルーニャ語で文書が書かれはじめた形だそうです。
以上、田澤耕『カタルーニャ50のQ&A』(新潮選書)より。
> そういえば、作曲家のドヴォルザークも、チェコ語で正しく発音となると違ってくるのだとか。(あえてカタカナ書きにすれば、「ドヴォルジャック」という書き方が一番近いみたいだけど、これもかなり無理があるらしい。)
ドゥボルジャクという人が考案したキーボード配列があるのですが、英語では「ドゥボラック配列」。ショパンは正しくは「ホピン」。言語学者のチョムスキーも、もともとは「ホムスキー」。物理学者で哲学者のマッハは英語では「マック」だから、日本語の「マッハ数」は「マック・ナンバー」。「金日成」や「金正日」はかつて「きんにっせい」「きんしょうにち」だったけど、最近は「キム・イルソン」「キム・ジョンイル」。「毛沢東」も「もうたくとう」だったのが「マオ・ツオトン」。「ベニス」と「ベネツィア」、「メキシコ」と「メヒコ」というのもあります。
自動車関係では、「BMW」は「ビーエムダブリュー」じゃなくて「ベー・エンム・ヴェー(バイエルン・モートル・ヴェルケ)」。「フォルクスワーゲン」は「フォルクスヴァーゲン」。「ジャガー」は「ジャギュア」。「メルセデス」は「メルツェデス」か「マーセディーズ」。「マセラティ」は「マゼルラッティ」。「ル」は「犬の音」と云われた巻き舌のル。がるるるる。
拳銃だと「ワルサーPPK」は「わるさーぴーぴーけー」ではなく「ヴァルター・ペー・ペー・カー(ポリツァイ・ピストル・クリミナーレ)」。ヒトラーやナポレオン・ソロやルパン三世の愛銃「ワルサーP38」は「わるさーぴーさんじゅうはち」ではなく「ヴァルター・ペー・ドライツィヒアハト」。「モーゼル」は「マウサー」。
佐貫亦男先生の「工業英語」の時間にはこんなことを教わっていました。
だけど聖書の人物名が英語読みでなくてよかった。「ヨハネ」が「ジョン」で「ペトロ」が「ピーター」で「アンデレ」が「アンドリュー」とか言われたら気分が萎えてしまいます。「マリア」や「トマス」はいいんですが。
(Maria)
3年前からSSRIと抗不安剤を服用しています。それに今度はリタリンが一日2回追加になりました。というのは私はどこでもここでもすぐに眠くなってしまうのでナルコレプシーという病気じゃないかと医師に相談してみたのです。
なにかの講習とか映画とかまず間違いなく寝ています。あと車の運転も条件反射的に眠くなってしまい、何度対向車線につっこんだことか。子供の送り迎えをするとき、わたしがだまっていると子供におかあさん!!寝てるんじゃない!!??と肩を揺さぶられます。
ナルコレプシーの脳波検査では異常はなかったのですが検査中爆睡してしまい、まあ、症状はあるということで眠気覚ましということで処方になりました。飲んでみると凄く落ち着くのです。眠気も消えたし。そのことを医師に伝えたところADDもあるのかもしれないねえということでした。きちんと検査して認定を受けるというところまでは行かなかったのですが今はリタリン処方が本当にありがたいと思っています。
Maria wrote:
> AMAZING GRACE
アメージンググレースの歌詞の意味を始めて知りました。葬送の時に使われる歌だというのが納得できました。私もこの歌が大好きなのです。グレゴリオ聖歌も好きです。詞をよんでひととき私も神の恩寵につつまれたような気がします。私の葬式の時もこの歌を流してほしい。
詞自体は難しくないのですね。どこかでアメージンググレースは黒人の人が作った賛美歌と聞いたような気がします。私も白鳥英子さんがこの歌を歌ったのをテレビでみました。トワエモアの頃の白鳥英子さんは大変申し訳ないのですがブスだなあなんて小学校の頃の私は思っていたのです。ファンだったのですが。でも今白鳥英子さんは凄い美人に見えます。美人の基準というのは個人的にも社会的にも変化するんだなあと思った次第です。
ちなみに私は昔も今もきれいとほめられた経験はないです。でも年をとってから美人と言われるようになるかもしれない。・・・・・・。娘にはお母さん、もっときれいな格好をしてといつも言われます。反省・・・・・・。
truth wrote
>
>そうです♪何だか、ここで、福祉関係で働いている人達としりあえてとっても嬉しいです・・・。私も頑張らなきゃなって思いました・・・。
>
私も同じような仕事の方とお知り合いになれてうれしいです。老人ホームを辞めたあとは民間の福祉関係の会社でケアマネージャーの仕事を半年して上司と合わなくて首になりました。精神病院に通院しているのも原因でした。
老人ホームでも民間の福祉関係の関係の会社でも入所者の人や利用者の人とはよい関係が結べるのですが職員間の人間関係は私には難しかった。当分失業保険で暮らしそのあとはひとりで仕事ができるように独立しようかどうしようか迷っているところです。でも自分に独立する能力があるのかどうか不安なのです。
仕事ってほんとうにきびしい世界だと思います。自分を見失いようにしないといけないよね。そして職場での親しい友人がいないととてもだめ。孤独の泥沼にはまってみんな敵に見えてしまう。私は老人ホームではやはりASぽい人がいたのでその人に時々相談していました。相談と言うより愚痴でしたけど。
老人ホームではまあ何とかやっていたのですが家庭で夫とうまくいかないのがつらくて職場も精神的にきつい、家庭もつらいとダブルでトラブルを抱えてある日突然職場に行けなくなって、そのまま一年休職しました。タハハ、そして今はプーをしています。でもずいぶんよくなったような気がしていて今ならまた別なところで職場復帰できるかあという感じです。この掲示板を知ったこともよかったです。あ、自分はASだったんだと知ったことでもう目からうろこ、今までの自分に対する疑問が氷解しました。で、精神的に楽になりました。みなさんのおかげです。
I wrote:
> ここで横道に逸れますが、Mariaさんが「カスティーリャ」ときちんと表記していたことがとてもうれしい。というのは、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」というタイトルを見るたびに「おーい、違うでしょうが・・・」と思ってしまうので。
「カスティーリャ」ではなく、「カタルーニャ」でした。自分で間違えてどーするって・・・。しょーもない(^^;)。
Mariaさん wrote:
> ラテン・アメリカというと、ラテン系言語(ルーマニア語・イタリア語・カスティーリャ語・カタルーニャ語・ポルトガル語・ガリシア語・フランス語・オック語(プロバンス語・ラングドック語・ガスコーニュ語・リムーザン語・オーベルニュ語))のうちカスティーリャ語とポルトガル語の文化圏という感じがするし、イスパノアメリカというとカスティーリャ語文化圏という気がします。イベロアメリカというと、イベリア半島だからポルトガル語は入りそうな気がする。
>
> バスク語やカタルーニャ語やガリシア語は「スペイン語」じゃないのかー!とか思ってしまうのですね、あたしは。「中国語」というと広東語や客家語や福健語は入らないのかー!とかいうのもあるし。
>
> どんなもんなんでしょうか。
わたしはこのカキコを読むまで、ガリシア語というものがあるということを全然知りませんでした。(元・学科生がいうセリフか?これって。)
それと、記憶違いでなければ確かカタルーニャ語はスペイン語のうちだと習ったような気もしますが・・・。(もう10年ぐらい前の話なので、正確には思い出せないな。すみません。ちなみに、共通語として教えられたスペイン語はカスティーリャ語だったと思います。)
ここで横道に逸れますが、Mariaさんが「カスティーリャ」ときちんと表記していたことがとてもうれしい。というのは、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」というタイトルを見るたびに「おーい、違うでしょうが・・・」と思ってしまうので。そういえば、作曲家のドヴォルザークも、チェコ語で正しく発音となると違ってくるのだとか。(あえてカタカナ書きにすれば、「ドヴォルジャック」という書き方が一番近いみたいだけど、これもかなり無理があるらしい。)さて中国語ですが、普通話(共通語)として教えられるのが北京語ですが、少なくとも広東語って、中国語のうちじゃなかったっけ?(よくは覚えていませんが。わたしは、客家語や福健語も中国語のうちだと思ってたんですが、違うのかな?)どなたかご存知の方、教えてくださーい。(こんな形で、外国語談議(?)が復活(??)するとは意外でした。失礼ながら。)しかし、Mariaさんの問いかけには全然答えになっていないようなレスだった気も・・・。
truthさん wrote:
>私は一応・・・職員なんですけど、でも、心の中では彼らに親近感を感じて、「そーだよねぇ・・・」と共感しながら接しています。う〜ん・・・時々、本当に、「職員なのに、こんなに共感して、同じ気持ちでいいんだろうか?」って思うのですが・・・。
私はむしろ共感し、同じ気持ちになるからこそ、分かり合える面もあるのでは?と思うのですが。(違ってるかな?)余談ですが、理学療法士についての本の中で
「理学療法士の中に、運動が苦手という人もいるが、だからこそ患者の気持ちがわかって、より向いているのでは?」といったような記述を読んだ記憶があります。
横レスにて、失礼します。
truthさん wrote:
>オレンジブルーさん wrote:
>>そして、私は今まで励ましてくれて一緒に居てくれた幾人かにはきちんと伝えまし>た。「私は先天性の自閉スペクトラム上の人間で、障害者年金生活になりそうなん>だ」って言いましたヨ。「ああ、それが原因だったのか。はっきり分って良かった>ね」と言ってくれる人も居ました。自分には自然体で居れて、なんでもさらけ出し>てたもともとの関係だったので「そりゃさあ、障害者というのは事実かもしれない>けど、まあ、君なりに自然体でゆっくりできる事しようや。あまり悲鳴あげんとっ>てくれえ」って言ってくれました。。
>
>障害の事を語っても、今までと変わらず、「そうなのね。でも、あなたはあなただし・・・」って態度が変わらない人って凄く嬉しいです・・・。その人は、私の障害とかそういう所ではなく・・・私を見てくれているんだな〜という気がします。
>
>>言い様によっては、「多動症」とか「凝り性」などは使用がやりやすいとおもうの>ですがねえ・・・・・・。私は。利用できない周囲の方が「頭カタイんじゃあない>のか?」と感じます。田口ランディーさんの「からだの秘密」にもちょろっと載っ>ていましたが、「これこれこれをやらせるのにタドウは持ってこいで利用すれば良>い」・・・というような感じで。。。カンタンな気がしないでもないんですが。。
>>あとは「今日はこれまで!」とストップ声かけりゃあいい事で・・・・ねえ。。。
>
>出来ない事も沢山あるけど、そのかわり、集中力を発揮して、ものすごく・・・かは分からないけど、出来る事も沢山あるっていうのを認めてもらえたり、「障害」と自分で思っていることを反対に「個性・・・才能」って良い面だと思って見てもらえるといいですよね・・・。それって、前向きでとっても良い考え方だと思うのですが・・・。
>
>>自分にとっていいと思う方に行けば、後悔は少なからず大丈夫なような気がします。。でも、「この人になら言ってもいい」という判断は本当に難しいです。
>>社会認知でもって初めから「そういう人です」という体勢のほうが私は距離も程よくて良いんじゃあないかい?という気もします。。。。。。
>
>やっぱり、「この人なら・・・」って信じて、「ギョッ」とされたりすると、とっても傷つくので・・・。長くつき合ってみて、ある程度相手と自分が親しくなれたらっていうのありますよね・・・。
障害を障害として捉えるのではなく1つの個性、もしくは特性・特技として捉えられ、かつそれを活かせたら最高ですよね。(前にも書いていた方がいましたが、すみません、どなたでしたっけ?)まずは、理解してくれる人を探すことから始めることにはなりますが。この点、オレンジブルーさんを羨ましいとは思ってしまいますが、今の状態に行きつくまでは、相当大変な思いや経験をしてきたと思います。(前に書いていましたよね?確か。)
この場を借りて、truthさん、pennpenn58さんへ。お二人への応援カキコ(?!)を見掛けるようになりましたが、よかったですね。ここの館には、理解者がいると思うと、こちらとしても嬉しくなります。(なんて、またもえらそーに書いてしまいましたが、悪い癖ですね。これ。)
鷲羽丸さん wrote:
> ラテン・アメリカはいわゆる「中南米」一帯、イスパノアメリカはそのうちのスペイン語を公用語とする地域、のことだと思います(イベロアメリカという言い方もあった記憶があります)。
ラテン・アメリカというと、ラテン系言語(ルーマニア語・イタリア語・カスティーリャ語・カタルーニャ語・ポルトガル語・ガリシア語・フランス語・オック語(プロバンス語・ラングドック語・ガスコーニュ語・リムーザン語・オーベルニュ語))のうちカスティーリャ語とポルトガル語の文化圏という感じがするし、イスパノアメリカというとカスティーリャ語文化圏という気がします。イベロアメリカというと、イベリア半島だからポルトガル語は入りそうな気がする。
バスク語やカタルーニャ語やガリシア語は「スペイン語」じゃないのかー!とか思ってしまうのですね、あたしは。「中国語」というと広東語や客家語や福健語は入らないのかー!とかいうのもあるし。
どんなもんなんでしょうか。
(Maria)
武田好史 wrote:
こんばんわ
>私も1年間ですが、地元の福祉作業所でボランティアをしていた経験がありま
>す。主に、重度の自閉症を抱えている3人の人の面倒を、うお座生まれで血液型O
>のやさしい年配の女性の指導員の先生といっしょに見ていました。3人とも言葉に>ハンディをもっていて、極度の『音過敏症』であり、それぞれ「みんなががやがや>してくると物を投げつけてしまう」・「誰かが激しい口調でしゃべりだすと著しい>パニック状態になる」・「雷が怖いのでどんなに晴れていても作業中に五分おきく>らいに空模様が大丈夫か観察しないと気がすまない」という問題を抱えていまし
>た。それでも一ヶ月に2回ぐらいの『ケーキ作り』のときは、もうみんな真剣で、>バターをほぐして泡立てたり、粉ふるいをやったり、卵をハンドミキサーで泡立て>たり本当にかいがいしく働きました。かの先生も、「もしかしたら、お菓子屋さん>ができるかもしれない!」と言われ、自らも食品の衛生管理責任者の講習をお受け>になったほどです。私もそのときに役立つようにと、障害者職業センターでの訓練>期間の半分は「ケーキーとクッキーの製造」コースに在籍しました。また廃品回収>で親御さんが集めた空き缶をつぶす作業もがんばっていましたし、買い物に行った>店の中では神妙にしていて、決して暴れだすことはありませんでした。この前久方>ぶりに、作業所で作っている紙製品の材料の牛乳パックを届けにいったとき、3人>のうちの一人が私の顔を覚えていてくれて、手を振ったら、振り返してくれたのが>とてもうれしかったです。
私も、パニック状態になれたら・・・もう少し楽かなぁ・・・って思ったりします・・・。自分で・・・心の中ではパニックを起こしているのに、抑えてしまう所があるみたいで・・・知的障害者の人達がパニックを起こしたり、それはそれで大変な事なのかもしれないけど、「素直に自分の感情を出せていいなぁ・・・。」と親近感と、共感みたいなのを感じて、彼らの様子を見ています。
あまり会わなかった後で「ニコッ」と笑ってくれたりするととっても嬉しいです。
私は一応・・・職員なんですけど、でも、心の中では彼らに親近感を感じて、「そーだよねぇ・・・」と共感しながら接しています。う〜ん・・・時々、本当に、「職員なのに、こんなに共感して、同じ気持ちでいいんだろうか?」って思うのですが・・・。
へりこさん wrote:
>こんな時は「健常者」のほうこそ、ガンコで融通が利かなくてキツイと思います。単に「多数者」だからたまたま不便じゃないだけでしょ?ASは他人を思いやれないとか、自分以外の人間を想像できないとか書いてあったけど、「障害者」をいじめる「健常者」のほうがよっぽど、想像力が欠如していると思う。
確かにそうですよね、これ。前に他のところで書きましたが、発達障害者って、なまじ外見が健常者と同じだからこそ、余計に拍車がかかっている面はあると思います。
>…でも「自分の世界が全て」だった頃は確かに周りに迷惑かけまくっていたな…だけどいじめはしなかった。そもそも理解できない。好きでもない相手になんでかかわりたがるの?時間の無駄ですよね。
うんうん。同感です。最初から接しない方がよっぽどいいと思うのにね。
>> この一節で思い出した事。-中略-
>取引先の人と和やかに会談していた上司の方が、相手が帰られるなり、「わりゃー○○の手先かー!って胸ぐらつかんだろかと思ったんですけねー、まーこっちも大人やし…」と話していたので「私にこんな駆け引きできるやろか?」と思ってしまった、ということですよね?(何故か大阪弁に…)
はい、そうです。私はまわりくどい言い方って、真意を捉えるのが難儀なもので・・・。(もっとも、簡単な仕事の指示さえ、とっ違えることはしょっちゅうですが。)いささか、へりこさんのカキコからずれちゃったかな?とは思いますが、その点はお許し下さい。
pennpenn58 wrote:
こんばんわ。横から書き込みでごめんなさい・・・。
> 私も老人ホームで働いていたことがあるのでグルンサさんとちょっと似ているか>もしれない。全然むいていないのに副主任になって鬱病になって一年休職して結局>やめちゃったというのが私です。グルンサさんは現役で今がんばっていてかわいそ>う。あ、truthさんも福祉施設ですよね。
そうです♪何だか、ここで、福祉関係で働いている人達としりあえてとっても嬉しいです・・・。私も頑張らなきゃなって思いました・・・。
> 老人ホームは窓がいっぱいあって私はいつも窓から空をながめていました。夜勤>の時は時々外にでて星をながめ、朝仕事の時はいつも朝焼けをみるのが好きでし
>た。空ってきれい。私はいつもどの仕事をしているときも時々さぼって空をながめ>ていました。雲の写真を撮るのも好きでしたが今はながめるだけ。雲は私の友達で>す。
私は、福祉施設の送迎もしているので・・・(時々私に運転させるなんて無謀で・・・知的障害者の人達を乗せて事故起こしたらどうしよう・・・って思うのですが・・・。)夕方の空の色は本当に綺麗で・・・車の中から見とれてしまいます。雲にピンクやオレンジの光りが当たっていても、綺麗だし、だんだん暗くなっていくのも美しいです。昔はよく、明け方の星が消えていく空が見たくて、朝早く起きて、高台の草原に座って見たりしていました。
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