アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みどりさん wrote:
>つらいっす。
>すごくつまらないことでも正しくないと許せないのが、日常生活では面倒。
あるんですよ、よくあるんですよ。なんでこんなことを気にして腹を立てているんだ?ってことが……。もうキリキリ舞い。
>その度に「最初の店に行った時には予測不能だったし戻るには100円以上の時間と体力的コストがかかったはずだしそもそも大したことじゃない」と自分にいいきかせないといけない。
みどりさん………。なんというか……的確すぎて言葉が出ません。「その度に」「自分にいいきかせないといけない」というところが、胸に迫る。
収拾がつかないんです。どこまで行っても自己嫌悪になるから。イライライライラ……。周りに申し訳ないと思うことですら、イライラの元。
ヤケクソでモノにぶちあたることだってあるぞ。でも、気分は晴れない。こういうときは安定剤飲んで寝てしまうか、ガンガン音楽をかけて脳内の雑音を消すくらいしか、わたしにはできないです。(事情が許せば釣りに行くけど)
軽い抑うつがあるのかも? 『シャドー・シンドローム』を読んでそう思いました。
余計なお世話かもしれませんが、みどりさん、栄養は足りていますか? 二食は外食とおっしゃっていたので、ちょっと心配……です。本当は、人のことは言えないの、わたしは。うまくいっていた時の状態を思い出そうとしているんですが、そういうことは憶えていないのだな、これが……。
とりあえず、サプリメントのセント・ジョンズ・ワートとDHA(EPAも含む)を摂って、たんぱく質とミネラルに気をつけた食事およびトランス脂肪酸の摂取をひかえようと懸命です。砂糖の摂取もひかえねば……。(←言うだけなら簡単。できるかどうかが、うう、苦痛)
良さそうと思ったことは、なんでもやってみたいと思います。
>「自分の身は自分で守らないといけない」も「正しいこと」の中に入っていたおかげで、だいたいは心配なく育ったらしい。(自分で予知できているものに限るけど)
>逆に、この点についてのリスクがほとんど取れないという不便なことになった。
「正しくない」自分とのつきあいは、しんどいっす。しんどい時はいろいろやってみるだすよ。どっかに何かが見つかるかもしれないので。
あたって砕けてどどど〜ん!ばかりしているあさかぜですが……あたしは負けない!!
専門医、専門医というけれど、脳のしくみの全てがわかってるわけじゃない。
専門知識なんていったって、たかだか、
人間が理解できる範囲のうちのほんのわずかなことだけしか語れない。
それにしたって、最先端なことまでフォローできてる医者なんて、ほんの一握りだよ。
って考えると、医者には期待できない。
でも、これまで「ただ、生きる」ということにすら苦労してきた私達は
何かに頼りたい。
支えられたい。
そして、何よりも、「よく、生き」たい。
でも、他人である医者は所詮、観察者でしかないし、
私達の苦労を同じ価値観で理解できるわけじゃない。
では、どこに答えが存在するのだろうか?
「よく、生きる」ための。
…私はそれを探している。
寺林さん wrote:
>けいさんが医者の理解のなさに怒ったことですが、私の母もそうでした。
>「アスペ・エルデの会」に問い合わせて見たらしいですが、東海地方以外の
>人、成人は門前払いでした。大人達こそが本当に援助を必要としているのに、
>悔しいです。
>
>富山の「めひの野園」のHPに大人のASや発達障害のことを提示して、直訴しようと考えてるんですけど、
>どうでしょうか?
横レスになるかな、と思うのですが、きいてもいいですか?
「アスペ・エルデの会」は何をしてくれるのですか?
そして、あなたは具体的には何を援助されたいのですか?
寺林さんへ
>私にはもう一つHPがあるんですけど、そっちのページに自分がASであることを
>告白しようかなぁと考えてます。でも、そのページは健常者ばかりが来る所だし、
>告白した所で「変なヤツ!」「変わり者!」って言われて、客が離れて行くんじゃないか
>と思うと.....
離れていく人ももしかして、いるかもしれないけど私としては一人でも多くの人にASを知ってほしいから告白してほしい・・。
>けいさんが医者の理解のなさに怒ったことですが、私の母もそうでした。
>「アスペ・エルデの会」に問い合わせて見たらしいですが、東海地方以外の
>人、成人は門前払いでした。大人達こそが本当に援助を必要としているのに、
>悔しいです。
私も一番近い自助グループにFAXを送ったけど無視されたの。
>富山の「めひの野園」のHPに大人のASや発達障害のことを提示して、直訴しようと考えてるんですけど、
>どうでしょうか?
「めひの野園」ってどんなところ?
私にはもう一つHPがあるんですけど、そっちのページに自分がASであることを
告白しようかなぁと考えてます。でも、そのページは健常者ばかりが来る所だし、
告白した所で「変なヤツ!」「変わり者!」って言われて、客が離れて行くんじゃないか
と思うと.....
「レインマン」や「君が教えてくれたこと」を見て、あるいはドナ・ウィリアムズ」の自伝を見て「感動した!」と言う人は多い。
そういう人たちが自閉症のことを本当にわかっているのだろうか.....
けいさんが医者の理解のなさに怒ったことですが、私の母もそうでした。
「アスペ・エルデの会」に問い合わせて見たらしいですが、東海地方以外の
人、成人は門前払いでした。大人達こそが本当に援助を必要としているのに、
悔しいです。
富山の「めひの野園」のHPに大人のASや発達障害のことを提示して、直訴しようと考えてるんですけど、
どうでしょうか?
けいさん wrote:
>私「自閉症は先天的な脳の障害です」
>
>私は医者の言葉に腹が立ちました!医者なら障害に偏見を持たないと
>思っていたからです。酷過ぎます!!もうそこの耳鼻科には二度と行
>きません。耳鼻科は専門外だから仕方ないのでしょうか?
>
>皆さんは私みたいな経験をした事がありますか?
去年の11月にASの診断を受けた時以外は、いつもそんな感じで
した。まず、自分自身が発達障害を抱えていることを説明しても、専
門外の医師には理解ができない場合が多かったようです。
そして、専門家には「18才以上は取り扱えない」という理由で門
前払いされていたのですから、正直困惑していました。
診断は確定したものの怖くて医療機関を利用できないという状態に
わたしはあります。
ぎゃ〜。連絡を忘れていました。こうもりです。
グルンサさん wrote:
>>(2月10日オフ会の予定)(以下略)
>
> 今ごろの問い合せで申し訳ないのですが、掲示板上での参加申込受付・締切
>り日を教えていただけないでしょうか?お手数をおかけして申し訳ないのです
>が、よろしくお願いします。
ひとまず、2月8日までです。以前、教えていただいた連絡先に連絡をしよ
うとしていたのですが、印刷機の故障で遅れております。
申し訳ありません。
(連絡の手段が分からないので、掲示板をお借りします)
投稿された曲は「クラシック以外」に分類しましたが、それでよかったですか?
私の知らない曲だったので。
グルンサさま、こんにちは。みるらでございます。
グルンサ wrote:
>みるらさん wrote:
>>先日柚子のおしごとをしたので調べたのですが地方によって諸説ありました。
>>梨だけでなく柚子がおバカさんだったり成り下がっちゃったり。
>>ところによって扱いがいろいろなので柚子が不憫でもあります。
> ↑上記の文って、「誰かの」言葉じゃなくって、「あっちこっち」の言葉なんでしょうか…?(ヘンな質問だとは思いつつも、つい気になってしまいました。)
はい。あっちこっちの言葉を私が勝手にアレンジしたものであります。
続きの言葉は、たくさんあったのです。ごめんなさい、エキスしか覚えておりませんもので。
ゆずぶろがとても気持ちよかった みるら
こんにちは、みるらでございます。Mariaさま、またまたお話ありがとうございます。
Maria wrote:
> そんなわけで、べつに「前時代」とかいう話ではないように思います。むしろ単に頭が悪いだけじゃないかな?
そう、まったくそのとおりです! 海外では菜食が一種のブームでしたから、先端ではあったわけです。
それで私はあれがやりたいとせつに訴えたりしたわけでございます。でも、大衆のレベルはやはりまだお肉至上主義だったのでありました。
菜食は特別なことでありましてや成長期の子どもがやってはいけないと、そういう認識が一般的だったのです。どこへいっても。
その頃私はとあるオリンピック金メダリスト師匠のところでオリンピック目指して日夜(いや学校があったので夜だけ)肉体鍛錬に励んでおりましたが
やはりお肉食べよでしたから。でもほんとうをいうと挽肉しか食べられなかったのです。それもちょっぴり。
最近になって私はお医者さまから「あなたは生涯菜食を貫くべき体である」というご指示を頂くまでになりました。
おとなのうそつきー! 額面通り信じちゃったんだからねー!
私の体を通り過ぎていったお肉たちが恨めしい みるら
みるらさん wrote:
> 私のADHDはごく小さいときから兆候があったようで食物が原因とは思わないのですが 、それによって激しさや困難が助長されていたのではないかと身を持って実感しております。 けれども昔は私のその変わったところさえも「肉を食べないせいだ」という理由にされておりました。
> お医者さまなど行くと何が悪くても「肉を食べないせいだ」と言われておりました。ああ、前時代。
イアン・F・ローズという人が書いた、『金メダリストを生んだ健康食』(ベースボールマガジン社)(←うろ覚え。『世界チャンピオンを生んだ〜』かもしれない)という本があります。
“フジヤマの飛び魚”・古橋広之進さんを破って金メダルに輝いたオーストラリアのマレイ・ローズ選手のお父さんが書かれた本なのですがね、その「健康食」というのが「菜食」でした。もっともゴマとかライ麦とか大豆とかいった各種の穀物、それに乳製品なども組みあわせているので、「肉を食べない」というだけの話なのですけどね。牧畜大国オーストラリアやアメリカではかなり衝撃的な受け止められかたをして、全世界的なベストセラーになりました。
だから、昭和三十年代から四十年代の高度成長期には、菜食がトレンドだったわけです。現在六十歳以上の人は、たぶん「オーストラリアの水泳のマレイ・ローズ」と言えば、「ああ、あの菜食主義者の」と思い出すはずです。
そういえば、“ニー・ドロップ”で有名なプロレスラー、キラー・コワルスキーも菜食主義者で知られてたな。試合中、対戦相手の耳をニー・ドロップで削ぎ落としてしまい、それを見て以来、肉が食べられなくなった、という「伝説」があります。
牛肉信仰は、鹿鳴館時代や占領下日本が生んだ徒花なのね。欧米に対する劣等感が消えて、日本人が豊かになってほんとうにおいしいものが分ってきたら、牛肉なんていうものは、べつに崇め奉るようなものではないということが分ってしまいました。もちろん本当においしい牛肉はおいしいけど、まあ、贅沢品でありご馳走であって、ふだんの食事の範疇ではありません。だから狂牛病ショックは牛肉の輸入に結びつきませんでした。「贅沢品」「ご馳走」というイメージが傷つけられちゃったから。「喰えきゃ喰わなくたっていいや」と思うから、消費自体がどっと落込んでしまいました。だって、他においしいものがいくらでもあるんだもの。オージービーフやアメリカ牛では「贅沢」「ご馳走」気分になれないんですよね。やっぱり松坂牛や米沢牛でないと。
そういえば、平成コメ騒動のときも、けっきょく輸入拡大にはつながりませんでした。「銀シャリ信仰」というのが、やっぱりあるのですね。だからあたしは「健康のために麦飯や玄米を食べる」みたいな気にはあんまりなりません。麦とろや麦飯カレーは好きですけどね。それよりふだんはお蕎麦とかうどんとか雑穀(ひえとかあわとかきびとか)とか芋類とか食べて、「まっ白いごはん」というのは「ごちそう」として取っておきたい気がします。
そんなわけで、べつに「前時代」とかいう話ではないように思います。むしろ単に頭が悪いだけじゃないかな?
(Maria)
こうもりさん wrote:
>> 2月10日(日)の正午から関西(おそらく大阪の難波地区)でオフ会を開く予定でおります。(中略)
>>
> 不十分ではありますが、正式告知です。今回は現地コーディネーター
>さんの都合もあり、詳細はメールでお知らせすることになります。
>
>(2月10日オフ会の予定)(以下略)
今ごろの問い合せで申し訳ないのですが、掲示板上での参加申込受付・締切り日を教えていただけないでしょうか?お手数をおかけして申し訳ないのですが、よろしくお願いします。
けいさん、武田さん、こんにちは。みるらでございます。
ちょっとお話は違うのですが。
武田好史 wrote:
>私:「ADHDやLDは、環境ホルモンによっても起こるという論文を目にしています が、どうなのでしょうか?」
>>
>講師:「知能とか言うのは、後天的に決まってくるものなので、一概に『どう…こう』いえるものではないですね……ADHD…あれは心因的なものでしょう。むしろ親のしつけとかの要素が強いと思います。」
>>
> 脳の機能障害で、親御さんは悪くないのに……
>既にE.A.Guillett et al.(1998)という、メキシコ・ソノラ・ヤキ谷の4・5歳の子供たちの追跡調査の論文で、「農薬を大量使用している地域の子はそうでない地域の子に比べて、目と手の強調が悪い。人間の絵を描かせても、人間らしい形が描けない……」ということが述べられているのに……
私はベジタリアンです。物心ついたときから動物性のものを食べるのが苦手で
しかし高度成長期にそんな“わがまま”が許されるはずもなく、何十年、無理やり動物性食品を食べてまいりました。
30になったときにどうしても我慢できずまた時代が変わったこともあって人間関係に支障を及ぼすのを覚悟でやめました。
楽になりました。
私のADHDはごく小さいときから兆候があったようで食物が原因とは思わないのですが
それによって激しさや困難が助長されていたのではないかと身を持って実感しております。
けれども昔は私のその変わったところさえも「肉を食べないせいだ」という理由にされておりました。
お医者さまなど行くと何が悪くても「肉を食べないせいだ」と言われておりました。ああ、前時代。
いまでもハムをむりやり食べて苦しんでいる夢を見てうなされて起きる みるら
おはようございます。みるらでございます。
Mariaさま、さっそくありがとうございました。
さすがコンピュータの世界でお仕事されている方は違うわと感心いたしました次第です。
ずっと紙媒体できてしまったのでどうもwebでのお作法をいまひとつはかりかねているようです。
考えてみると掲示板はある意味公の場面だと思いますので準拠したほうがよろしいですね。
メールなら話し言葉同様、ある程度の破綻や逸脱もまた味のうちということがあるのでしょうが。
おしごとでなく文を書くときはあたまをリラックスさせてららら〜ん♪とかきたいと思いつつ
やっぱり顔文字とか流行り言葉とか使えないふるいタイプの みるら
武田好史 wrote:
>’’けい’’ wrote:
>>私は今年に入って、近所の耳鼻科に行きました。昔から耳の
>>聞こえが悪いのが気になったので。お医者さんとの会話を抜粋します。
>>医者「診察書に薬飲んでいるって書いてあるけれど、
>> 何の薬飲んでいるの?(今かかっている病名の欄に)
>> アスペルガー症候群って書いてあるけれど、何の
>> 病気なの?」
>>私「こだわりを抑える薬をのんでいます。アスペルガー
>> は高機能自閉症の一種です」
>>医者「耳が聞こえないって神経質になっているから、自閉症に
>> なるんじゃないの?」
>>私「自閉症は先天的な脳の障害です」
>>私は医者の言葉に腹が立ちました!医者なら障害に偏見を持たないと
>>思っていたからです。酷過ぎます!!もうそこの耳鼻科には二度と行きません。耳鼻科は専門外だから仕方ないのでしょうか?
>>皆さんは私みたいな経験をした事がありますか?
>
公民館主催の『環境ホルモン』の勉強会に行ったとき、
私:「ADHDやLDは、環境ホルモンによっても起こるという論文を目にしています が、どうなのでしょうか?」
>
講師:「知能とか言うのは、後天的に決まってくるものなので、一概に『どう…こう』いえるものではないですね……ADHD…あれは心因的なものでしょう。むしろ親のしつけとかの要素が強いと思います。」
>
脳の機能障害で、親御さんは悪くないのに……
既にE.A.Guillett et al.(1998)という、メキシコ・ソノラ・ヤキ谷の4・5歳の子供たちの追跡調査の論文で、「農薬を大量使用している地域の子はそうでない地域の子に比べて、目と手の強調が悪い。人間の絵を描かせても、人間らしい形が描けない……」ということが述べられているのに……
Maria wrote:
>> (リーダーって何だろ???)>syakuさん wrote:
> 印刷業界でいう「リーダー」は‘…’とか‘‥’とかいうやつ.寺林さんは半角ピリオド四つ(「.... 」)で表現し,オレンジブルーさんやふれさんは句点三つ(「。。。」)で表現し,みるちゃんや武田好史さんやtruthさんが中黒三つ(「・・・」)で表現しているところのものです.
>
今日より、「・・・」から「…」に改めます。
ご指導ありかとうございました!
みるらさん wrote:
> さて、3点リーダにしたほうがよろしいでしょうか?
> 私、先生もしておりましてもちろん基本は3点リーダ2つと教えておりますが
> ネットでは、それでは多くて気になるし、変換が面倒だし、で
> なかぐろ3コが気に入っておりました。なかぐろ3コ。好きなのですが。
> ちなみにやはり3点リーダ2個の点6個では文が冗長になるという判断からか
> 3点リーダは1個、つまり3個だけという基準を設けているところもあるようです。
>‘」’と‘。’との関係などもスタンダードが変わってきたようですしいろいろ変わってゆくのかな。
基本的にいって、「三点リーダー二個」というのは活字の世界・作文の世界のお約束なので、「掲示板上での発言に限る」ということであればどうでもいいことなんじゃないかと思っています。あたしは活字の世界を意識しているので顔文字もあんまり使いませんし。
まあ、「…」「……」「………」を使い分けることで長くも短くもできるので、二個が便利、というところはありますが。
ただ、「組版」ということを考えると、中黒(‘・’)と三点リーダー(‘…’)では、禁則処理における扱いの違いがあります。中黒が二つ以上続くことは原則としてありませんが、三点リーダーは二つ並ぶのが原則ということで、構文チェッカーにも引っかかります。また、中黒には三点リーダーと違って縦横がありませんから、組版ソフトウェアの縦組・横組のチェックとの絡みが気にかかります。
誰かが自分の文章を印刷しようとしたときには、それを自分自身でコントロールできない場合があります。相手が組版のプロだとは限らないので、単に相手の使っているワードプロセッサの機能となじまないだけで相手は混乱してしまうかもしれません。
それも考慮に入れて、あたしはなるべく無難な方法を取ります。
それから、これはあたしが問題発言を繰返しているのが原因なのですが、「文章は、どこでどう引用されるか分らない」ことから、「なるべく一般的なスタンダードに従う」ということを原則にしているというのがあります。
何がスタンダードなのか。あるいは何がスタンダードと考えるか。
何を自分のスタイルとして採用するか。
それがスタイルとして認知されるかどうか。
この三点は、考慮しておいたほうがいいと思います。「もの知らず」「非常識」「偏屈」とかいった判断をされることもありますから。三点リーダー一個は確かに見かけが軽くていいのですが、それがスタイルなのか、単なる無知によるものかを判断するのは読み手なので。
‘」’と‘。’に関していうなら、「句点=ピリオド」という考え方をする人(教育者に多い)と「表現上の補助的な道具」という考え方をする人(文学者に多い)がいるので、どちらがスタンダードとも言えないところがあります。技術文書を書くときは前者、小説(の中のセリフ)を書くときは後者と使い分けることもありますし。
電子データで文書の受渡しをするときに、こうした「コンピュータの世界でのお約束」、あるいは「コンピュータの世界での特種事情」というのが、意外にもいろいろとトラブル(それも感情的な)を起こすので、あたしは用心しています。
たとえば、オペレーティング・システム間で共通性のないローマ数字や丸数字、合字などは使わないようにしています。「私の機械ではちゃんと読める」みたいなことを万が一にもポロッと言っちゃおうものなら、「傲慢」「無神経」「偏屈」とかいった印象が有無を言わさず貼りつけられたりもするので。
世の中には「コンピュータ側の人間」と「非・コンピュータ側の人間」がいて、「コンピュータ側の人間」は「非・コンピュータ側の人間」の人間を馬鹿にしている、という通念が、すでにしてでき上がっているのですね。で、ハードやソフトのメーカー、それに教育産業がマスコミを通じてこうした通念を利用し、「非・コンピュータ側の人間」の人間と自らを位置づけている人の劣等感を煽って、盛んに宣伝をしていたりするわけです。「いまどきコンピュータくらいできなきゃダメだ」って。
で、その結果醸成された「『コンピュータ側の人間』に対する『非・コンピュータ側の人間』の憎しみ」を反映して、映画やTVドラマに出てくるコンピュータ・プログラマーなんていうと、ほとんどの場合、変態性欲者で性格異常の人格破綻者として描かれていたりするのだな。
ありがたいことに、あたしのような文語文法の整理だとか語彙の蒐集だとかをしている人間は、ほぼ無条件に「非・コンピュータ側の人間」と見なされます。で、「あたしも仕事でコンピュータを使っている」という話をすると、コンピュータというものが人間に対していかに非人間的な労苦を強いる悪魔の発明品ともいうべき機械であるかというのを縷々訴えられ、共感を求められてしまったりするのだな。
でまあ、あたしも実際にはコンピュータのエキスパートなわけですから、そうした人たちをお助けしたりもするんですよ。
ところが……その結果、逆にいじめられることが多いのですね。誠実な対応をすればするほど、いじめられる。「コンピュータ側の人間」を「強者」、「非・コンピュータ側の人間」を「弱者」と位置づけて、「強者は弱者に配慮し、誠実な対応をしなければいけない」という論理をふりかざして、「わからない」「わからない」という言葉を繰返し、相手を振り回すことで「コンピュータ側の人間」に復讐しようとする人というのが、少なからずいたりします。「私がこんなに苦しんでいるのに、どうして助けてくれないんだ」。そういう人が、います。
「困っているのだから、助けてくれて当然。私にはあなたしか頼れる相手がいないのだから」。こういうパターンで、精神科医やカウンセラーに依存しちゃう患者は少なからずいます。これと同じパターンが、「コンピュータ側の人間」と「非・コンピュータ側の人間」の間に、できあがってしまう。これは、しんどいです。「コンピュータ側の人間」というのは「公認された敵」ですから、どれだけ苦しめようが正当化されてしまいます。
そんなわけで、あたしは自らを「弱者」と位置づけて恥じない相手を助けようとは思わなくなってしまいました。「自分の手で勝ちとってこそ勝利である」という人に、必要最低限の助力を与える以上のこと(本当は、「以上のこと」ではなくて「越えること」なんだろうけどさ)をしてはいけないし、それ以上のことはあたしにとって危険なことだったりもします。あたしに「裏切られた」「見捨てられた」と思っている人はけっこういるみたいですし。
こういった事情があるものですから、あたしはなるべく「表現上の必要性・必然性」を追求することにしています。これもまた「あなたまかせの無責任な態度」と非難されることも多いのですが。
(Maria)
Maria さんwrote:
> うふふふふふふふふ。(←言いたいけど言えない。『ふたりで聖書を』を最後まで読むとオチがわかる)
大変遅ればせながら。
今、半分を、通過中。
人物像を頭に描くまでに、多大な時間が必要でした。が、今もって、混乱したままかもしれません。(かなしい)かといって、新約聖書とつき合わせながら、読むなんて、贅沢な時間をいまや持つ事は「不可能!」な、タレイヌ。(お許しを)
で、全然関係ない感想文です。
今、不本意ながら、限りなくボランティアに近い状態で、やるべき事を、なるべく合理的、かつ、金額に換算せずに行おう(じつは、設定基準を作るとえらい高いものになり、それでいて、効果が発現するのに、年単位の時間が必要)として動いているのだけれど、これを、外側から眺めると、宗教のように見えてしまうかも!!と気がつきました。
私の関わるボランティアの中心人物は、コンピュ―ターソフトを、書く人です。
なんだか二重三重に、事柄が、重なって見えてしまって、『推理を楽しむ』気分でなくなってるみたいなタレイヌ。
したがって、現在、ボランティア指南書(?)と、化してしまっている、『ふたりで聖書』でございます。
(タレイヌ)
あさかぜさん、こんにちは。ぶちっす。
あさかぜ wrote:
> 昨日はげっこしてたけど、今日は大丈夫。でもずーっと頭の鈍痛が去らないし、目が疲れています。鎮痛剤も睡眠も役にたちません。心臓も不調を訴え出したしね〜、なんじゃコリャ?です。
うわー・・・大変ですね。やっぱりストレスかな? 私も疲れると頭痛が頻発します。娘は嘔吐と熱。「限界だよー」って、わさかぜさんの体が訴えてるですね。お子さんがいると、「すべてを忘れてのんびり」ってわけには、なかなか行きませんが、少しでも休んでくださいね。
> エネルギーの費やしかたが足りないのか、方向がまちがっているのか、判断ができなくなっています、わたし。疲れているとロクな考えも浮かばないですしねぇ。
ごめんなさい、そういう意味で書いたんじゃないんです……うちも4年くらい前までは、ボロボロだったですから。上手く行ってるように見えても、裏では熾烈な戦いが! 結婚生活って大変ですよね。全然バックグラウンドの違う人が、一緒に暮らすわけですから。あー、あのエネルギーを、もっと別の事に使いたかった……
もう今のパートナーと離婚しても、他の人とまた結婚しようって気は、全く起こりませんよ。あれをもう一度やれって言われても、もう体力も精神力もないですもの。
> ハードじゃあ〜〜!!
私も叫ぶじょー!!ハードじゃー!!
(ぶち)
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