アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
連休に入ってボーとする時間が確保できたせいか、コメントを
書く意欲が湧いてきたこうもりです。やっぱり、ボーとする時間
は楽しいぞ〜、と。
それはさておき、ボーとしている間に思いついた発達障害寓話
でも書きなぐってみます。まあ、ディズニーアニメ『美女と野獣
』のパロディ版なんですけどね。「野獣の姿=障害」って感じで
理解しておいてください。ついでに言えば、「発達障害は発達が
障害されるのではなく、障害を抱えたまま発達する」ということ
も念頭に入れておいてください。それ以外はどんな読み方をされ
てもOKです。
「王子様が本当の愛を手に入れて野獣から人間の姿に戻ってから
しばらく経ちました。王子様は突然、かつて王子様を野獣にした
魔法使いの元へ訪れ、魔法使いにこう言いました。
『お願いだ。僕を元の姿(野獣)に戻してくれ!!』
魔法使いはびっくりして言いました。
『なんじゃと!!お前はすでに本当の愛を手に入れ、ベルとい
う素敵な女性とも結ばれたではないか?なぜ、今さら野獣に戻る
必要があるのじゃ?』
王子様は言いました。
『確かに野獣だった頃、僕は自分の姿を見るのが嫌だった!何度
人間の姿に戻りたいと思ったか分からない!でも、僕は野獣の姿
になることによって本当の愛を手に入れることができた。野獣の
姿にならなければ僕は今の僕になることができなかっただろう。
野獣の姿はもはや僕の人生とは切り離すことのできない大切な一
部なんだ!!野獣でなくなった僕はまるで精神の一部を奪い取ら
れているみたいだ!助けてほしい!!』
魔法使いはしぶしぶ王子様のお願いをかなえてやりました。王
子様は幸せでした。愛しのベルがどう思ったかは知らないけれど
…」
不調ながらも無事であることを確認でき、安心しました。過去に自
殺のサインを出して、そのまま実際に自殺未遂をおこしてしまった人
もいたため、大騒ぎしてしまったこと、お詫び申し上げます。
なお、わたしの一連のコメントに対してレスは不要です。ご自身の
健康を最優先させてください。では
名無しさんの書き込みを通して読んでみて思ったとを書こうと思い
がんばってみたのでしたが、どうしてもうまくまとめられず・・・。
ここではきらわれる”例え話”になってしまうのですが
在日韓国人・在日朝鮮人の方っていますよね。
例えに使うにはちょっと難しい問題かもしれませんがあえて使うと・・
その人たちは、姿は日本人にそっくりでぱと見た分にはわからないし
日本語も話せるけど
祖国の文化にとても誇りを持っていて、今でも大切にしているそうです。
もしとても親しい友人が、実は在日韓国人だったとします。
それを知ったとき、日本人のあなたはどうしますか?
「君はどこから見ても日本人にしか見えない。立派な日本人だよ。
僕は君のことをこれからも日本人だと思うことにするよ。」
といいますか?
でもそれは相手にとってとても失礼なことですよね?
在日韓国人であるということを通して、より相手のことを理解することも
でき、それまで見えなかった部分が見えてきたりもするのではないでしょうか。
それを理解することは相手の苦しみを理解しようとすることでもあると思います。
(この場合歴史的な背景もあるのでいろんな感情が生まれるでしょう。)
けれど、その人から在日韓国人であることを切り放すことはできないませんm。
そして、その人が韓国人であることを肯定的に認めるということが
もしかしたら自分のこれからの人生を変えるかもしれないのです。
家に招かれておいしいキムチの漬け方を教わることができるかもしれませんし
世の中に対する見方まで変わるかもしれません。
・・・・
例え話をしてごめんなさい。
不適切だったら、ごめんなさい。
社会的に、”障害者”という立場あるという面だけにこだわらず
自閉人や、LD人や、ADD人のことを
もっとちがう見方をしてもらえたらいいなぁと思ったので書きました。
・・・
言いたいことがうまく言えませんが
言うべきことはほかの方が言ってくださっていると思ったので
しつこく説明レス。
名無しさん wrote:
>早発性痴呆が、精神分裂病と改められたころ「(今でいう)神経症」の青年
>が青春期の悩みで病院を訪れたとき「分裂病」と診断されて、後の人生を投
>げうち無為にすごしたという。
自分の障害をどう受けとめるかは人によって様々です。人生に絶望してし
まう人もいれば、前向きに捉える人もいるし、冷静に受け止める人もいれば
、不安に陥ってしまう人もいます。障害者と認定したり障害を告知すること
が本人にとっていいことなのかどうかはその人が一生を終えるまで分からな
いのです。
>精神医療や脳神経医療の歴史は、失敗の連続につぐ模索。
わたしが好きな医療倫理学の論文に「人間モルモット」という考察があり
ます。医学が生身の人間をモルモット(実験体)にしているのではないかと
いう批判に対する反論論文です。精神医学に限らず、治療方法が確立されて
いない領域では、成功するかどうか予測できない実験的な治療アプローチが
繰り返されます。当然、誤まったアプローチによって患者を取り返しのつか
ない状態に陥れることはありますし、多くの失敗例を積み重ねることになる
でしょう。しかし、ほとんどの医学分野では試行錯誤して失敗例の山を築い
ていかないことには治療方法を確立することはできないのです。現在では薬
を飲めばすぐに治るような病気であっても、例外なくこのようなプロセスを
経て治療方法が確立していったのです。
あまり個人的な意見を出すつもりはありませんが、わたし自身はそのこと
を割り切った上で病院を受診しました。提示したわたしの情報が自分自身の
治療(というか、治療は希望していないのだが)に寄与しなくても、これか
ら受診する人や、後の世代の発達障害児たちに寄与することがあるかもしれ
ないという淡い期待を抱いているためです。ただし、これが本当に淡い期待
で終わらないことを望んではおりますが。
しつこいレスになってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
名無しさん wrote:
>最初に謝っとく。発達障害のことには全くの門外漢でゴメン。
この掲示板に再び顔をお出しになるかどうか分からないので
すが、ちょっと発達障害に関する認識で引っかかる部分があっ
たので、気になった部分に補足説明をしておきますね。
別に名無しさんに対して恨みがある訳ではなく、この掲示板
を見にきたあまり予備知識を持たない人たちへの配慮が主な目
的です。
>だんだん世間が競争社会になっていってるよね。そういうなか
>で、昔だったらたいして問題にならなかったちょっとした不器
>用さが、落ちこぼれ→学習障害LDと言われるようになった気
>がするんだ。
(中略)
>なのに、LDのコは障害として扱われて薬飲まされる。
>リタリンが効くっていうけど、そんなの当たり前じゃん。覚醒
>剤だもん。
まず、名無しさんが指摘されているのはLD(読み書き計算
の障害)のことではなく、ADHD(注意欠陥・多動性障害)
のことです。LDについては実験的に使用されている薬物こそ
あるものの、現時点では薬物治療の方法は確立されておりませ
ん。で、ADHDについてはリタリンなどの薬物治療がけっこ
う行なわれているというのは事実ですが、今の診断マニュアル
では発達障害の範疇には含まれておらず、行動の障害という位
置づけがなされています。個人的には発達障害だと思うんです
けどね。
>そして、今 アメリカじゃLD児がリタリン中毒になってる。
>成人の間でもリタリン中毒は社会問題になってる。
これは問題を分けて考えておく必要があります。リタリンに
は覚せい剤という側面があるため、どうしても常用者が発生し
てしまいます。つまり、障害がある訳ではないのにリタリンを
服用するリタラー(リタリン常用者)と呼ばれる人たちは確か
に存在するのですが、それは何らかの障害を抱えている人が服
用するのとは事情が異なります。
さらにADHDの治療においても、リタリン服用は不適応状
態が悪化するのを防ぎ、本人が自己対策を立てることができる
ようになるための一時しのぎの手段というが原則です。
>なのに、LDの診断や治療で荒稼ぎした精神科医達はいまだ
>診断を求める親から搾取しているという。
この点には注意が必要ですが、ADHDや発達障害の治療と
いうのはあまりもうかりません。発達障害を専門にしている医
師というのは他の分野の医師に比べると明らかに収入は少ない
のです。そのために発達障害の専門医のなり手がなかなかいな
いというのが、この業界の頭痛の種です。
それこそ、学力のあるASの人が医学部に入学して専門医に
なってくれた方がいいんじゃないか、と思うことさえあるぐら
いです。(名づけて、「ASのASによるASのための専門医
養成計画」
こだまさん!おめでとうございます〜!!
&
わたしのHPきてくださって
ありがとうございます♪
これから、きっといろいろ良いことありますよ!
すももさんへ
レスいただいていたのにお返事が遅くなってしまってごめんなさい。
私はPCを持っていないためドリームキャストでアクセスしているのですが、
最近新しいソフトを使いはじめてまだ扱い慣れていないものですから
過去ログを上手に見る方法がわからず
気になりつつも見れませんでした。
こだまwrote:
>>私は今歌の勉強をしています。
>>ついこの前、オペレッタのアンサンブル劇団のオーディションを受けてきたばかりです。
>>まだ結果はわからないのですが、
>>もし受かったらどんなことがはじまるのかとドキドキしています。
すももさんwrote:
>すごいですね!
>わたしもいい結果を祈っていますね!
ありがとうございます。
おかげさまで無事入団が決まりました〜!!
顔合わせとかは、まだこれからですが・・・。
とてもちいさなグループなので今の段階ではそれほど大きな活動はしていませ
んが
福祉施設のホールで演奏したり、
学校の文化行事として呼ばれて上演したりすることもあるみたいです。
音楽を通じて自分のやりたかったことができる、と思うとすごくうれしいです。
ドキドキしています。
>私の周りはほとんど音楽をやっている人なのですが
>音楽をやっている人は、音楽で自分を伝え合えるから
>一度ちゃんと気が合いさえすれば(ここがポイントかな。)
>付き合っていてとても楽です。
>言葉ではできないようなコミュニケーションができるから。
>そういう人とめぐりあえるといいですね。
すももさん、ありがとう。
↑これを読んで、なんだか希望が持てそうな気がしてきました。
>いってみましたよ!
>どうやったらお仲間になれるのかしら?
>もしよかったら教えてください。
会員制BBSのパスワードは、123987546です。
私もすももさんのHP行ってみようかな。
川合くんも、レス(返信)ありがとう。
川合くんのカキコ(書き込み)を読んで、川合くんは行動力のある人だと思いました。たぶん、川合くんは、人から色々言われる前に自分でやってみようと頑張ってしまうタイプなんだと思います。
親御さんたちは、そんな川合くんの積極的な行動が、危なっかしくてつい、「先走って」と注意したくなってしまうのでしょう。
川合くんも、自分なりに考えて行動したと思うので、「先走って」というより、熱心に取り組み過ぎてしまったのかなぁ〜と感じました。
うちの息子は、川合くんと違って私(母親)に頼ってばっかりだから、私は川合くんの行動力が少し羨ましいです。
こちらの方から、訊いておきながら良いアドバイスが出来ずにごめんなさい。掛かり付けの先生が、川合くんの良き理解者になってくれることを祈っています。
KAKOさんの話しけっして他人事では無い。
私も身体が変になって吐き気の毎日で動けなくても
なんてコトバで表現していいかわからないし
どうやって動けばこの訳のワカラナイ身体がリラックスできるのかも大変だった
時がある。発狂しそうで叫んで暴れ出しそうでもなんか必死で抑えて
頑張ってた時も在ったな。
親もワカラナイしね、私のコト。「自分がワカラナイのこっちが知るか」って
ことも在った。
すごく苦しい調子が軽減してすごく楽になるとカラダに感謝してしまったり。
何度も苦しくなると、「今度楽な時に死んだ方が絶対いいよな。」ってのも在る
し。回復したって支援もないから意味のない存在にはあまり変わりない虚しさも
あるし。全て馬鹿臭いから後は惰性で親のすねかじって好きな時間過ごした方が
自分にとって(親にとっても)良いと思ったり。
アメリカでの生活支援とか就労支援、視覚化によるコミュニケーション実践
の話しを福祉課っていうところの先生にしてらね、
「自閉は「障害者」に入らないんです」
ってバッカじゃねえのこいつ?
と思って
「生きていけないじゃないですか。」
って私は言いました。
おお〜い。私はふつうに喋ってても自閉症なんだってえええええ〜!!
ナに診てんだセンセエエェエエ?????
↑
大体椅子に座っての「ふつうに一所ケンメ喋りモード」の私しか知るはずもな
し・・・・。
今日なんとなく親が私に入会させたジムで踊る私の姿。
どううううううみても「んん?あの子はナンカ違うぞ??」ってな様子なんで、
周りの利用者もナンカだんだんと違った目で私を見る時あるんだよね。
別に気にするわけじゃないけど、
鏡に映る私の踊っている姿。
「本当にこれは障害者に入らないんですか?」って言いたくなったぞ。
一回観に来いって言ってやろうかな。
一回毎日の生活見に来てみろっても。
要するに、福祉課の人にしてみても単に厄介払いなんじゃないのか?
って思うんだよね。
カッコイイセリフだけで上手いこと言ってるけど、
あの人らこそ福祉対策とか全然やる気ねーんじゃないのか?って言いたいよね。
結局話し聞くだけしかしてくれない。
むしろ、苦しいまみれのどん底で「のたれ死に」させたがってんじゃねーか?
ナチスじゃないけど、
「障害者は焼き殺せ」ってのと結局似ていないでしょうか。
過程が違うだけで。
支援も無いのに働く気も無いし。当たり前。
無茶苦茶だよね。無理だよね。バッカじゃねーの?(爆笑)
しかしそれにしても、オツムの弱い障害者にしても、大人から好評だったり
毛嫌いされるタイプが在るってんだから、これまた大変さ。
「あのおたまじゃくしみたいな子、アタマ悪そうだし、私大嫌い。」
なんていい年こいた大人のオバサンが言うんだから(ふつうのチョット変った
性格の人大人同士にも一回一回そう言うし:汗)、
「ブスヨネあの子」っていわれない様に化粧した方が良いってな感じかと
思ったら「アタマ悪そうなのに一丁前に色気だけ付けて」とかさっぱり分からんぞ
大人達。
俺は〜知らんぞぅいずれ発達障害者の犯罪が増えても。
おっと、私は♀。
暖かなレスをいただいた方々、まことにありがとうございます。
まだまだ不安定な状態で、揺れてはいますが なんとか回復しつつはあるので、現状を書かせてください。
皆様のレス、ありがたく拝見いたしました。非常に励みになる言葉をいただきありがとうございます。
大変失礼ながら、まだまだ混乱している状況で、お一人様あてに御礼とご返信をしたいのですが、失礼があってはなりませんので、精神的な混乱が収まって、
もう少し、回復したらレスをつけさせていただきます。
申し訳ありません。
ご心労をおかけしてもうしわけありません。
ただ、PC上で「死にたい」とか書いたのは誓ってこれがはじめてです
あの書き込みをした時は、外出・買い物や調理などできず生活が危機的な状況で
入院待ちをしている間に、偶然 ルボックスを抜いて服薬したことが効をそうして、持ち直したようです。(まだ診察に行ってないのですが、ルボックスは当方に合わないようで)
今となって冷静に申し上げられるのは、単なる自己実現欲求や愛情飢餓で死にたいと言っていたのではなかったということです。
その背景に一番大きくかかわるのは身体の健康上の事です。
とても強いアレルギー体質で、何度も嘔吐や胃腸障害で入院・退院しているうちに
だんだん体力が落ちてきて、気力が衰えてきたことが根底にあります。
どんなに頑張ってみようと思ってもだんだん気力が出にくくなってきたという感じでしょうか。 鬱とはまた、違った感じで問答無用に気力を奪っていく感じです。
このあいだ今年3回目の救急車に乗りましたが、ソレトン(痛み止め)でアレルギーを起こして、嘔吐し、薬物性痙攣を起こしてアナフィラシキー(中和剤)の点滴を打っている間、いつもだったらこんな現状のとき「生きていたいな」と思うのを
「もう、いいや これで駄目でも」と思ってしまった。
何度も生死の境さまよって、入院中、食べれずに食べ物の幻覚をみたりしていたとき(ごみ箱にポップコーンが詰まっていた・・)にも「ああ これで死ぬかな?」と思っても、死にたいとは思わなかったのに。なんか体力的に、30代になって落ちてきたからなんでしょうね。
そして、病み上がりで 体力が落ちているときに対人関係でつまずいたのもあったし。失恋というか。
父に久しぶりに会わなきゃならないことがあったのも良くなかったです。
祖父が危篤になったので、帰宅したところ 相変わらず父が些細な私の行動を、ひとつひとつあげつらって、非人間的だの情が無いだの無神経だの言われて「ああ やっぱり帰れないんだな」と思ったのもあります。父の幼少期からの暴力(殴り倒した後に、私に自転車を放り投げつけてくるような)で、父の前では萎縮して、吐き気がしてきてしまう。
身体のこと。
発達障害と二次障害(鬱)
運動抑制(鬱の症状)で就労がむずかしい。長い時間、机やPCに向かっていられない(吐き気が出てくる)(PC設定などは健常者の元友人がやってくれた)。
鬱の治療が使えない薬があって、はかどらない。
公的援助と自立の関係、実家に帰れない。
そうしたもろもろの追い込みがかかった状態であったことが背景です。
ADHDの診断も、私の場合心を安らかにするものではなかったです。
何か治療法があって、人並みになれる希望があるならと診断を受けてみたので、リタリンくらいしか治療薬がないのを知っていたら、受けなかったかもしれない。
治療法が無くて、ただこの状況を「障害だから出来なくてもしょうがない」って思うように指導されたけれど、その通り思ってしまったら、自分はこれを「人並みに出来ないこと」の免罪符にしてしまうような気がして。
そう思ったら、自分の場合はどんどん駄目になってしまうだろう。
だから、なるべく普段はADHDとかAS(ASは傾向といわれている)のことは考えないことにして・・
こんなこと書くと「じゃああなたはここにそぐわないんじゃない?」って言われてしまいそうだけれど。
発達障害の治療や、社会的保障、教育の問題が少しでも向上するのは心から私だって祈ってる。自分のADHDの事はもうどうでもいいけど、発達障害の子供たちが傷つくのは見てられない。だから、ここをのぞいている。
ただ 個人的にADHDのことを肯定的に話すなら、リタリンが体質的にセーフで、これが効いているのが今 すごく幸いです。
また 落ち着いてきたら、ご心労おかけした方にレスさせてください。
星子さん wrote:
>わたしもこの意見に共感で、「自閉症者」が喋っているのは
>どんな内容を喋ろうが「自閉症者」であるということがどうも周囲の人間には
>理解しがたいらしく、
>私が、「だって人と違うんだもん」
>と言ってもどうも「あのねえ、僕は「自閉症者」とか初めから診ていないで一
>個人として星子くんを見ているんだけど」
>ってな風に言われてかなり「それってちょっと違うと思う」と違和感感じて困
>惑してしょうがない。
他者理解は自分と相手の違いを認めることからはじまる、と言われます。「
差別」はまずいかもしれないけれど、「識別」は大切なことです。ところが、
自分と異質なものを「識別すること」と「差別すること」を混同してしまって
いる人は実に多いです。相手と自分の同じ部分にだけすがりついたような他者
理解はちょっと変な気分になります。
川合 哲也さん wrote:
>今度、病院に行って来るのでその時に先生に話してみたいんだけど、どん
>な事を話せばいいでしょうか。
病院に行った時に「何か今困っていることがありますか?」と聞かれる
ことは多いと思います。その時にすかさず「家族の者がわたしの障害を今
イチ理解できておらず、悩んでいます。」と話してみましょう。インフォ
ームド・コンセント(患者およびその家族への障害の説明)は医師やカウ
ンセラーの重要な仕事ですから、動いてくれる可能性があります。
そして、病院の担当の医師かカウンセラーが空けられる曜日や時間を確
認してその日程に合わせてご家族の方を病院に連れていって説明してもら
うという形をとります。もし、これがうまくいかない場合は別のテクニッ
クも教えますので、ご一報ください。では
kako さんへ
・・・生きてますか??
生きてますよね??
ウツ状態って、本当に辛いものですよね。
私は抗欝剤を飲むようになって、最近は精神的にはラクになり、ひどく落ち込むこともなくなりましたが、
またいつそうゆう状態になるかわからないので、とても他人ごととは思えないです。
私が好きなインディアンの詩
以前暗記していたのですが・・・思い出しながら書きます。
「祈り」
ひとりぼっちだったり
困り果てていたり
だれかの助けが必要なときは
まぶたを閉じて
わたしを想い
わたしの名前を呼びなさい
そうすれば わたしは 来る
見上げる夏の日の大空に
わたしの姿を探し求め
道に響くわたしの足音に
あなたの耳をこらしなさい
石を持ち上げてみれば そこに わたしは いる
HO!!
・・・・
私は、辛いときに、この詩を思い出して、なんども元気づけられました。
なので、何か伝わるかも、と思って書いてみました。
Mariaさん wrote:
> プロフェッショナルである医者が素人である患者に対して「われわれの言葉で話せ」というのはあからさまにプロ意識が欠如していると言わざるをえません。
>処理の上ではこれが自然なんです」と説明する
> 説明能力もプロの能力のうち。そう思います。
そうですよね。。。単に口下手なんかなぁーって思う時もあるし、
単に突っ込んで話ししたくないだけなんかぁっておもうときもあるんです。
私はかなりイヤラシイ人間でして、相手の人がどういう人間か知る為にわざと
嘘を吐いて様子見る時があります。(←友達とかにはしないですよ)
例えば、「好きな画家って誰?」とか聞かれて本当に名前なんか出さないで、相手を見てナンカ勝手に妥当だと思い当たる名前しか出さないです。
で、その人が話し続ける様子がなかったら、
それでタイムリミット(お涙)。「知らないんだな」で、終わり。
でも、今思えば、「この人きっと好きな事については一人で喋り出すだろうからさてさて様子をうかがおうかにゃあ・・・」
という背景状況だったのかもしれない(あははぁー)
話し変っちゃいますが、
今日、ゴルゴ13の筆者が書いた 血液型で人物みるという本を読んでかなりウケてし自閉人でもこれ当てはまるんだろうか・・・・
もし本屋で見つけたら人間ウォッチャー参考程度に見ると面白いかもですよ〜@
ちなみに私は中学・高校となんか委員長やら文化祭各分野の長にならされていた口
でした。←一体全体超信じられない。あれは立場の擦り合いだったのか・・・・
当っている・・・のか??・・・・・・・???
それにしても読んでて吹き出しっぱなしだった(プックプププッ・・・)
立ち読みしながらずっと笑いっぱなしでーした(~*~)
私ってヤナヤツだぁ〜!でも絶対あの本オモシロイ。
こうもり wrote:
> こんばんわ、こうもりです。
>
>川合 哲也さん wrote:
>>祖母には「深刻に悩んでるとは思わなかった」とか祖父には僕がアスペル
>>ガー症候群だという事を分かってくれそうではありませんでした。母は「
>>私がいけない」と言っても、先走ってるとか言ってたりして、おまえは発
>>達障害なんだと言われてるように感じてしまいます。もう家族で分かって
>>くれる人が居なくてもう嫌です!誰にも分かってくれなくて....
>
> わたしの家の場合、わたしが発達障害者であるということを理解してい
>るのは母ぐらいでしょう。わたしが幼児の頃、様々な相談機関で「親のし
>つけが悪い」と非難されていたので、わたしの診断がASと決定したこと
>を喜んでいた(?)ようでした。父方の家族はわたしの障害のことは理解
>できていません。理由は家族が非発達障害者だからではなく、自覚はない
>が発達障害の傾向を持っている人ばかりだから。だから、自分たちだけで
>なく、わたしも発達障害者だという認識はないんですよね。わたしと同じ
>ような発達過程をたどった人は父方の家族の中ではありふれていましたか
>ら。
>
返事、ありがとうございます!分かってくれる人が居て、うらやましいです。僕なんて、「こんな深刻に悩んでるとは思わなかった」って言われたり、「私のせいだ」と言って僕の事は全然考えてくれない親です。今度、病院に行って来るのでその時に先生に話してみたいんだけど、どんな事を話せばいいでしょうか。
> で、家族に理解させる方法。川井くんが診断を受けた病院の医師あるい
>はカウンセラーから家族に障害のことを説明してもらうことなんです。精
>密検査をした結果、ASの診断が出されても、AS本人の家族が認めがら
>ないということはよくあることで、特に発達障害を扱っているカウンセラ
>ーはそういう家族への対応に慣れています。本人だけでなく、家族が障害
>を理解しないと解決できない問題もあるので、診断を受けた医療機関で相
>談した方がいいのではないでしょうか?
直子 wrote:
>川合 哲也くん wrote:
>>久しぶりです!またアスペルガー症候群の事で大騒ぎしてしまいました。
>>もう家族で分かってくれる人が居なくてもう嫌です!誰にも分かってくれなくて....
>
>初めまして、川合くん。
>川合くんは、誰も自分のことを分かってくれないと思って苦しいのですね。
>うちにも18歳の息子が居て、アスペルガー症候群と診断されています。
>うちの息子も、後で後悔することが多いです。
>例えば、ゲームカセットを売りに行って、後でやっぱり売らなければよかったとボヤいたりしています。
>
>川合くんはどんな時に先走っていると注意されるのか、よかったら教えてもらえませんか?(この問いかけは無視されてもかまいません)
>
>私個人的な意見ですけど、先走ってしまう性格は発達障害とは関係ないと思います。今の川合くんは、アスペルガー症候群という病名が重くのしかかって、ちょっとした非難めいた言葉でも敏感に反応してしまっているのではないかという気がします。
返事、ありがとうございます!一生付き合って行かなきゃならないと、言われてすごくショックでした。どんな事かなぁ... 商業高校に在学中で、オリエンテーションの時に、担任の先生に「この機会だから印鑑を買っておくといいよ」と言われ、印鑑を買ったら言われてしまいました...更に買った印鑑を印鑑登録しなくてはならないと思って、印鑑登録をしたらまたいわれてしまいました。見ても可笑しい事だとは思うけど、やっぱり言われてショックなんです!今度、病院の先生に言ってみようかな...
>
>川合くんも気持ちを落ち着けて、自分が不満に思っていることや戸惑いを感じていることを手紙に書いてお母さんに伝えてみてはどうですか?(ちょっと、恥ずかしいとは思いますけど…)
やんちゃん wrote:
>「詩」という形式を取っていることの意義があると思うのですよ。
>普通に意見するのとはちょっと違う。もっと間接的なものだと思うのです。
>街角で歌っていて、聴いてくれなくてもいいけど、必要ならば聴いていけばいい。でも必要なければ無視すればいい。そういうものだと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/minstrel/diaryold/20020501/
星子さん wrote:
> わたしもこの意見に共感で、「自閉症者」が喋っているのは
> どんな内容を喋ろうが「自閉症者」であるということがどうも周囲の人間には
> 理解しがたいらしく、
> 私が、「だって人と違うんだもん」
> と言ってもどうも「あのねえ、僕は“自閉症者”とか初めから診ていないで一個人として星子くんを見ているんだけど」
> ってな風に言われてかなり「それってちょっと違うと思う」と違和感感じて困惑し
> てしょうがない。
プロフェッショナルである医者が素人である患者に対して「われわれの言葉で話せ」というのはあからさまにプロ意識が欠如していると言わざるをえません。プロフェッショナルであるシステムエンジニアが、素人である顧客に「(コンピュータの専門家である)我々に分かる言葉で説明しろ」とか言ったらお金払ってもらえないんだぞ。
ソフトウェア開発の世界では、文章の↑こっち側を「後方」、↓こっち側を「前方」と言います。そんなわけで、ユーザ向けの文書では、↓こっち側を「文章の後の方」、↑こっち側の「文章の前の方」と書いておき、開発側の文書では↑こっち側を「後方」、↓こっち側を「前方」と使い分けます。で、「開発文書の読み方」なんていうマニュアルを、おまけで付けたりなんかするのね。
「なんでそんなややこしいことをするのだ。統一すればいいじゃないか」というユーザさんもいるのですが、「これから進んでゆく方が“前”で、もう通り過ぎた方が“後”なんですよ。だから、処理の上ではこれが自然なんです」と説明すると、「なるほど」と分かってもらえます。
説明能力もプロの能力のうち。そう思います。
(Maria)
なんか余計なことを言うべきではないのでしょうが。詩というものについて、ちょっと思うところを書かせてください。
「詩」という形式を取っていることの意義があると思うのですよ。
普通に意見するのとはちょっと違う。もっと間接的なものだと思うのです。
街角で歌っていて、聴いてくれなくてもいいけど、必要ならば聴いていけばいい。でも必要なければ無視すればいい。そういうものだと思います。
あと、一応、詩というのは出した時点で、それぞれ独立した「作品」と捉えるのがよろしいんじゃないでしょうか?事実から想起されたものにせよ、それに対しての直接的な意見というより、インスピレーションをえて新たに創造したもの。その事実それだけではない。
なので、直接的にイチャモンつけるのは不適切ではないかと思うのです。
いかがでしょう!
議論内容については入っていけないのですが(私は特にどちらの立場というわけでもなく、意見を持っていないので。難しい内容だなと思ってます)、その辺だけよろしくお願いします。
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