アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ウィローモス wrote:
> どなたかが、薬がダメなら眼鏡もダメだなどとおっしゃっていましたが、それは全くの
>言いがかりでしょう。視力の向上が、読解力や計算能力に影響を及ぼすとは考えにくいか
>らです。
ひどい近視のせいで問題文が読めなければ、どの問題も解けないでしょう。数字を読み間違えたら、計算能力が高くても間違った答を書いてしまいます。
> しかしエルデリンは、まさに読解力や計算能力の向上を目的とした薬のようですから、
>それを使って入学試験に臨むのは問題があるでしょう。
どんな薬を使っても、もともと本人に読解力や計算能力がなければ無理だと思います。
どなたかも書いていましたが、この想像上の薬は「間接的障害を取り除くもの」となるでしょう。
その点、メガネと変わらないと思うのです。
> 「筋力増強剤を使いさえすれば、金メダル級の成績を出せる選手」が、選考試合でいつ
>ものように薬を使って、見事オリンピック出場資格を得た……ようなものです。
> これをインチキとするなら、エルデリンを使っての合格もインチキと言えるでしょう。
筋力増強剤の最大の禁止理由は、「インチキ」だからではないと思います。
「もしも許したら、選手がみな危ない薬を使うことになってしまい、選手の生命を脅かすから」でしょう。
守らない人が責められるのは、不公平だからではなく、筋力増強剤を使って勝つことによって、間接的に他の選手の安全をおびやかしているからです。
エルデリンを許しても、一般の人にとっては効果がないのであれば必要のない人は使わず、問題ないはずです。
……と考えると、エルデリンがもしも「一般の人にとっても多少の効果があってしまった場合」は、ズルだなんだとは別の問題が起きる可能性がありますね。
#バイアグラとかプロザックとかあったな。
> もしエルデリンのような薬が眼鏡ぐらいに普及したなら、視力に「裸眼視力」「矯正視
>力」という区別があるように、「純学力」「矯正学力」という区別が必要になるでしょう。
> 様々な試験や職業において、矯正学力のみ問われることもあれば、純学力が厳しく問わ
>れることもあるでしょう。これは視力や聴力でも同じことなので、十分に公平な審査だと
>思われます。
この考え方はいいですね。この路線で高校や大学の受験ということを考えると、重要なのは「入学後、十分に勉強についてゆけて、卒業後期待に応えた活躍ができるか」ということだと思います。
つまり、入学後もエルデリンを常用し続けてその効果を享受しつづけられるのであれば、エルデリンによる矯正学力で受験してもなんら問題ないはずです。
「近視でもメガネで見えるなら運転してもいい」というのと同じですね。
逆に、「最初の数回しか効かないので受験後は効果が消えてしまう」ようなものであれば、受験での使用は認めない方がいいでしょうね。
実はずっとx2悩んでいた問題が有り、どうしようか迷っていたのですが思い切って相談します。
ADDらしい娘の事なのでアス館にはふさわしくないかも知れませんが多くの人の意見を聞いてみたいのです。
自分だけの堂々巡りでは出てくる知恵も対処もたかがしれ、効果も無いようです。
現在、就職で東京1人暮しの娘の金銭管理がどうにもならないのです。
短大から親元を離れ、少しはその後の予習になるかと思っていたのにダンダン雲行きが怪しくなり・・
「就職したら一切、援助をするな!」という夫の厳命に逆らい内緒で助けてきたのですが・・
再三の不始末にゲンナリしてきてしまい、今後どう対処すべきか・・ADDの認識をさせるべきか?と・・
意欲と向上心に水を差すだけかも知れない、自分も知ってから怒りと悲嘆にさいなまれた事を思うと・・
遺伝のせいだと恨まれるのが怖かったのも本音。自分でも混乱と葛藤の嵐を乗り切ったとは言えない。
だけどヤル気だけではどうにもならない。自分のダメさを正面から自覚させた方がいいのかと・・
それとも、気を長くもって自分で軌道修正できる時がくるのをじっと待つべきなのかと・・
これが正解!なんて答えは無いのは承知。人それぞれだから・・只、私の頭では限界に来てるので。。
親として、どこまでが成すべき事なのか、どこからが甘やかしで要らぬ世話なのか、判断できません。
自分がADD/アスと診断されてなければ取り越し苦労なのでしょうが、娘もADDの可能性は濃厚です。
でも、金銭管理を除けば私より遥かにまともな子です。プライドも高く、話しても負けます。
考え方もしっかりしてるのですが・・どうしても衝動に流され計画性を持てない。なのに意地っ張り。
こんな子に説得、納得させ、引っ張る力が私には無いのです。自分でも出来ないのに怒れません。
主人は「できて当たり前」と思ってる人です(根拠は・・俺の子だから)私から見れば望むレベルが高過ぎ。
ADDだ、アスだ、なんて話も絶対、受けつけないでしょう。娘も認めようとはしないでしょう。
1人相撲なのかも知れません。無意味かも知れません。ADD云々抜きに解決する方法も有るでしょうか?
どうにも論理的に上手くまとめきれない文で恐縮ですがよろしくアドバイス願います。
こうもり wrote:
>治療…健康だった心身が不調になった場合に元の健康な状態に戻すこと
>
>改造…自然な状態では社会生活に支障が出る障害(主に先天的な障害)
> を抱えている場合に、障害者本人が適応しやすいように身体や脳
> や遺伝子などを作り変えること。
うーん。この区分けは難しいですよね。先天性の心臓疾患を治すのは治療?改造?
私は「治療」ととらえるけど、もともと壊れてた場所が心臓なら治療で脳なら改造ってのは不思議だし。
臓器移植で治す場合はどうか。臓器じゃなくて角膜程度の場合は。などなど考えると、キリがないです。
脳移植なんてのができるようになったたらまた混乱しそうだ。
> どういう訳か分かりませんが、多くの人は「元に戻す治療」に比べる
>と、「元の状態よりよくする改造」の方に強い抵抗を感じてしまうよう
>です。
ねたみ、なのかな。
>>たぶん、手術なら周囲もあまりズルとは言わない気がするのです。
>>じゃあ、薬ならなぜズルなのか。
>
> わたしは手術の場合にもズルと言われてしまう場合があるような気が
>するのです。能力や外見を向上させる手段として改造手術が行なわれた
>場合には。理由は前述した通りです。
…うーん、確かに言う人は言うだろうなあ。でも薬よりはだいぶ少なくなりそうに思います。
例によって結論は述べず、考察に必要な情報提供のみを行ないます。
ウィローモスさん wrote:
> 読む早さの問題は、文章内容の理解とは少し問題の質が違うような気がし
>ます。これは試験の主催者の方で、字の大きな問題用紙を特別に用意するな
>どの対策も取れるでしょう。
もちろん、読む速さと内容理解は異なります。ただし、ウィーモロスさん
が指摘するように、弱視では学力の不利にはならないということはなく、読
む速度の速さが落ちるという意味で明らかにテストで不利になるということ
を言いたかったのです。また、大人になった弱視の方に話を聞くと、「学齢
期に現在のようなよい補助具がなかったため、本を読んだり勉強をするのに
ひどく時間がかかってしまっていた。」という話を聞きます。したがって、
LDとは同じではありませんが、視覚の困難が学習への支障になってしまう
場合はありうるということは、さしあたって理解しておいた方がいいでしょ
う。そうでなければ、視覚障害者の苦労をなかったことにしてしまうことに
なりますから。
また、余談ですが、現状では正式な診断を持っていたり障害者手帳を持っ
ている弱視の方でなければ、試験において問題用紙やテストの時間を配慮し
てもらうことはできないようです。けっこう多くの視覚障害者が試験での配
慮を受けられなくなってしまうことになり、それなりには問題になっており
ます。
視覚障害児だったら、LD児よりは配慮してもらえるだろうということに
はならないようです。
こうもり wrote:
>これが試験の場合に限定すればそうとも言えないのです。試験と言う
>のは、ほとんどの場合時間制限があり、例えば、弱視の人が文章を読む
読む早さの問題は、文章内容の理解とは少し問題の質が違うような気がします。これは
試験の主催者の方で、字の大きな問題用紙を特別に用意するなどの対策も取れるでしょう。
>LD児にとっては確実に不利に働くということはたあさんへのレスで指
>摘しました。この点についてはどう思われますか?
酷な言い方ですが、同じ条件でLDの子が不利なのは当たり前のことです。目の悪い子
が、目の良い子よりも様々な面で不利なのと同じことです。
その能力の矯正が許されるのかどうか、さらに矯正の手段が妥当かどうか。それが重要
だと考えます。
現在、視力の矯正はむしろ奨励されるし、手段としての眼鏡やコンタクトレンズは妥当
な物として、社会的に認知されています。
シュッツさんへの回答でも少し触れたのですが、エルデリンという薬が、近視の眼鏡の
ように、LDの症状を軽減させるだけの物であればよいでしょう。
あとはエルデリンによる能力の矯正が、眼鏡なみに世間に認知されれば問題ないでしょ
う。
もっとも、それを世間に認知させることが一番困難な課題であろうとは思います。
シュッツ wrote:
>この点において、エルデリンと眼鏡は同じだと言えます。
最も大きな違いは、眼鏡は目そのものの機能には一切影響を与えないが、エルデリンは
脳の機能そのものに影響を与えるであろうと考えられることです。
眼鏡については、視力以外の何物も向上させないことがほぼ明らかです。特に、問題の
解決能力を向上させる効果はないと言い切ってよいでしょう。
試験場で眼鏡をかけた途端に、それまで解けなかった問題が急に解けるようになるとい
うことは、まず考えられないでしょう。
それではエルデリンはどうでしょうか。
問題の解決能力そのものを向上させる効果の一切ないことが、医学的、生理学的に示さ
れるなら、世間にも受け入れられやすいでしょう。
結局エルデリンという薬品ができたとして、その正しい作用と位置付けを、いかに世間
に理解してもらうか、ということになると思います。
こりっこ wrote:
>シベラスさんお誕生日おめでとうございます〜
>このところパソコンが壊れていますので少し遅れてしまいましたが・・・
>私もシベラスさんと同じかに座のB型ですよん。(どこかで読みました)
>私は今年で26歳になりました。年々若くなっていく感じがします。
>明るく開放的でしなやかに美しく癌細胞など退治しながら生きていきたいものです。
Someday we shall shine!
シベラスさんお誕生日おめでとうございます〜
このところパソコンが壊れていますので少し遅れてしまいましたが・・・
私もシベラスさんと同じかに座のB型ですよん。(どこかで読みました)
私は今年で26歳になりました。年々若くなっていく感じがします。
明るく開放的でしなやかに美しく癌細胞など退治しながら生きていきたいものです。
キーボードの置き場所が貧相で,日に何度もキーボードがどんがらがっしゃんと墜落するのが気に障るのか,この頃猫たちが寄り付かなくて困っています。
にるみた達の小さい頃は,いくつも発生していた障害を,キーボードの上を歩いて魔法のように解決してくれていたのに。猫がまじめになってきて,この頃は人の責任が増えた。
こんにちは。
ネチケットって、ネットのルールかな? 掲示板上のお約束ごと。この掲示板に長く、投稿してきた常連のみなさまの暗黙の、ルール。
私は、人に誤解されやすい人間ですが、同時に、人を、誤解しやすい人間です。傷つきやすい人間でありながら、同時に、人を、傷つけやすい人間です。
私は、この一連の、投稿の、全てを、理解することが、できません。理論的な文章は、苦手なほうです。頭が、悪いのです。
こりっこさんの、発言に、Luluさんが、傷ついたこと。どちらが、悪かったのか。何が、悪かったのか。私は、それを、判断しない。ただ、Luluさんは、きっとこの掲示板に書き込みを、するのが、楽しく、レスを、してもらうのが、うれしかった。
私は、Luluさんに、知らせたい。この掲示板に来る人は、さまざまであり、心に受けた傷のために、攻撃的になる人もいるし、自分が、受けた中傷を、正しいと信じている人もいる。論理的な正当さに、こだわる人もいれば、非論理的な人もいる。感情的な人もいるし、また妄想を、持つ人もいる。やさしい人も、そうでない人もいる。この世の中と同様に。
投稿ルールを、説かれれば、私は、そのルールを、守ろうと思う。けれど、できれば、投稿に対して、寛容であってほしい。この世の中を、生きることに、困難を、かかえている人の、言葉に、寛容であってほしい。私は、うれしさに、はしゃぎすぎてしまうことがある。子どものように。しばしば、楽しさに、夢中になり、やりすぎてしまうことがある。それは、ひとつの障害かもしれない。何かの、間違いで、人の好意を、裏切るかもしれない。それもまた、障害かもしれない。
論理的に物事を、考えることが、できる人は、物事の正しさを、判断することができる。障害の軽い人は、障害の重い人にアドバイスを、することができる。こうすれば、うまくいくと言うことができる。お前は、まちがっていると、言うことが、できる。断罪することが、できる。
正しさの、判断をすること。それはこのアスペルガーの掲示板で必要な行為なのだろうか。アスペルガーの人間が、しがちなことではことではあるけれど。こだわりがちなことではあるけれど。
う〜む、例によって説明が混乱しやすいですね。
Lulu wrote:
>私の職場では、もともと少人数の会社ですがみんな障害には理解のある
>人たちなので、その点は心配は要りません。
障害に理解ある職場であると言うのであれば、なぜやたらとあちこち
のサイトで、「自分は孤立している」とか「日本中を敵に回している」
とか触れて回る必要があるのですか?はっきり言って、Lulu氏の対
人関係に関する発言は
(1)ニ転三転しやすい
(2)他人への評価が極端に変動しやすい
(3)余所のサイトでトラブルがあるとそれを別のサイトに言いふらし
て回るというネチケット違反が多い
と言った問題が多く、あまり信用できなくなっています。(他のサイト
でのLulu氏の発言もいくらかは知っていると言うことは指摘してお
きましょう)
ま、今後の発言はそういうものとして聞き流しておきます。このコメ
ントにもレスしないようお願い申し上げます。では
ウィローモスさん wrote:
> どなたかが、薬がダメなら眼鏡もダメだなどとおっしゃっていました
>が、それは全くの言いがかりでしょう。視力の向上が、読解力や計算能
>力に影響を及ぼすとは考えにくいからです。
これが試験の場合に限定すればそうとも言えないのです。試験と言う
のは、ほとんどの場合時間制限があり、例えば、弱視の人が文章を読む
補助具なしに試験を受けた場合、明らかに不利があります。正常な視力
を持つ人に比べると文字の入力速度が遅く、国語や英語などの長文を読
むのは、正常な視力を持つ人に比べると時間がかかります。
また、受験勉強をする場合でも、補助具があった方が勉強を効率よく
進めることができるのは確かです。
> 問題は、良い結果を出すための能力の向上が、本人の努力や素質では
>なく、薬の効果によって得られたものだということです。このため、薬
>を使わない人が不公平感を持つのも当然でしょう。
1点補足しておけば、努力をしなくても学力があがる薬というのは今
後も作られることはないでしょう。せいぜい、勉強をする際に文字や数
字の入力速度が速くなるぐらいだと思います。
また、シペラスさんがレスしたように、LD治療薬が開発されたとし
ても、その薬がLD児にどの程度効くのかについては、個体差があると
考えられるため、薬によってどの程度成績が上乗せされたのかは判断し
にくい部分があります。ADHDでも薬物治療が効くかどうかには個体
差がありますしね。
また、学力に関して言えば、LD児と非LD児の間では絶対的平等(
同じ条件や権利が与えられているという意味での平等)ということが、
LD児にとっては確実に不利に働くということはたあさんへのレスで指
摘しました。この点についてはどう思われますか?
ウィローモス wrote:
> しかしエルデリンは、まさに読解力や計算能力の向上を目的とした薬のようですから、
架空の薬なので正確な議論は難しいのですが、上記の部分はおそらく違うでしょう。
LDとは何かを考えると、読解力や計算能力はもともと備えていて、集中力などによってそれを発揮できない症状に対して、集中力を覆い隠すもの、いわば脳の中の霧のようなものを取り除いて、本来の学力を表に表すのが、エルデリンの作用と考えるべきでしょう。
直接、読解力、計算能力を向上させる薬とは考えにくいです。
> 今回話題になっている「入学試験」とは、文章の読解力や、計算能力を問う試験だと考
>えられます。
> どなたかが、薬がダメなら眼鏡もダメだなどとおっしゃっていましたが、それは全くの
>言いがかりでしょう。視力の向上が、読解力や計算能力に影響を及ぼすとは考えにくいか
>らです。
視力も、受け取るべき情報の量を減らされることで学力に影響が出ることが考えられ、LDと同様に本来の学力を発揮できない状態にあるものを、眼鏡によって光学的覆いを取り除いて、本来の読解力、計算能力を表に出すと考えられます。
この点において、エルデリンと眼鏡は同じだと言えます。
今回話題になっている「入学試験」とは、文章の読解力や、計算能力を問う試験だと考
えられます。
どなたかが、薬がダメなら眼鏡もダメだなどとおっしゃっていましたが、それは全くの
言いがかりでしょう。視力の向上が、読解力や計算能力に影響を及ぼすとは考えにくいか
らです。
しかしエルデリンは、まさに読解力や計算能力の向上を目的とした薬のようですから、
それを使って入学試験に臨むのは問題があるでしょう。
「筋力増強剤を使いさえすれば、金メダル級の成績を出せる選手」が、選考試合でいつ
ものように薬を使って、見事オリンピック出場資格を得た……ようなものです。
これをインチキとするなら、エルデリンを使っての合格もインチキと言えるでしょう。
問題は、良い結果を出すための能力の向上が、本人の努力や素質ではなく、薬の効果に
よって得られたものだということです。このため、薬を使わない人が不公平感を持つのも
当然でしょう。
もしエルデリンのような薬が眼鏡ぐらいに普及したなら、視力に「裸眼視力」「矯正視
力」という区別があるように、「純学力」「矯正学力」という区別が必要になるでしょう。
様々な試験や職業において、矯正学力のみ問われることもあれば、純学力が厳しく問わ
れることもあるでしょう。これは視力や聴力でも同じことなので、十分に公平な審査だと
思われます。
「¥」¥767c4うy409999999999999999555じーんm7kっgklp@90っっp
(↑わじまがキーボードの上を歩いた)
ぱーこさん wrote:
> 夫は私に、「〜しようか」と言われるのが恩に着せられるようで嫌なのかもしれません(私的にはすごく理解が進んだ)。
沖縄などがそうなのですが、「〜するぞ」「〜しようっと」に相当する表現が、「〜しようね」だったりする地方があります。それがとてもイヤ、という人がいました。「さあ、仕事しようね」「さあ、出かけようね」とか言われると、なんだか当然のように自分も一緒に同じことをしなければならないような気分にさせられるからだそうです。「勝手にやれよっ!」と言いたくなるとか。
他にも、「〜してあげる」といった表現を、丁寧語の一種のつもりでする人がいて、それが音着せがましくてとても癇に障るというひとがいます。同僚が自分の作業に手一杯で四苦八苦しているときに、「手伝ってあげようか?」というのは、「手伝うのは本来私の役割ではないのだが」という意味を含んでいますが、「手伝いましょうか?」というと、「誠実労働義務に基づく適切な労働力のシフト」みたいな考え方が出てきます。これが「手伝わせていただけますか?」だと、「あなたの職域を侵すようで申し訳ないのですが」みたいな「控えめな提案」という感じになります。
そんなわけで、「使った資料は元に戻してください」(強い要望)/「使った資料は元に戻す」(規律の強調)/「使った資料は元に戻せ」(命令)/「どうして使った資料を元に戻さんのだ」(質問の形を取った、規律を守らないことに対する怒りの表明)/「使った資料を元に戻してくれると嬉しいなぁ。とっても嬉しいぞぉ!(T_T)」(哀願)「泣くなよ(-_-;)」といった、ニュアンスの違いに配慮して言葉遣いを選び、相手との関係を尊重すると、言葉に敏感なASにはわりと円滑に意思が伝えられるように思います。
ちなみに、犬は命令に従うけど猫は従わないぞ。そもそも命令される立場だと思ってないし。だから、「命令に従わないのでお仕置きをする」という行為は、猫の行動をエスカレートさせる結果に終わります。
そんなわけで、猫がキーボードの上を歩いたら、「泣く」(→飼い主を悲しませたくないので止める)「カンカンノウを踊らせる」(→なんだかよくわからないので避ける)とかいったことが有効のような気がします。だけど、飼い主が見てないとやっぱり歩くぞ。そんなわけで、「ブービートラップを仕掛ける(キーボードの上に乗るとキーボードもろともどんがらがっしゃんと墜落するようにしておく)」といった、飼い主と猫との関係とは無関係の条件附けというものが必要かつ有効になってきます。
これ、犬や人間に関しても同じことで、権威や感情的ゆさぶりによって相手の行動をコントロールするよりも、相手の理解(認知構造)を変えることで相手の行動をコントロールすることのほうが、一般に有効です。
『知るは難(かた)く 行なうは易(やす)し』 孫文
(Maria)
こんにちは、レスありがとうございます。
こうもり wrote:
> しかし、そのような当てにしていない相手とメール・アドレスを
>共用したりするでしょうか?メール・アドレスを共用すれば個人の
>プライバシーに関わるような情報が流出するのは目に見えておりま
>す。また、PML_E2氏は比較的Luluさんの状況をよく知っ
>ていたし、両者の意見にそれほど齟齬がないのは不思議な感じがし
>ました。この説明は今イチ釈然としなかったのですが、まあよしと
>しましょう。
この点については、PM2が公用のメールアドレスしか持っていなかったので、やむを得ず「このBBSを利用するときだけ」という条件で共用したのです。
もしこれがネチケットや利用規約に反しているのであれば、メールアドレスを貸した私の責任ですので、お詫び申し上げます。
こうもり wrote:
> 基本的に障害関連のサイトへの出入りは誰の目にも触れないメー
>ルを利用することをお薦めします。職場の人間に障害を公表してい
>ないのであれば。
私の職場では、もともと少人数の会社ですがみんな障害には理解のある人たちなので、その点は心配は要りません。ただ、ここにアクセスするためのメールアドレスは、公用の他に別途私用メールアドレスとして取得したHotmailのアカウントを使用しています。
こうもり wrote:
> 「日本中の全て」というのは架空の敵を作りすぎです。このサイ
>トに来るのはASや関連する障害に関心を持っている人だけで全て
>の人が見に来る訳ではありません。じっさいには世の中にはASの
>Aの字も知らない人の方が多いぐらいです。これは以前のレスでも
>コメントしたはずなのですが、あまり生かしてもらえてないようで
>すね。憎むのは自分に直接危害を加えた相手だけで十分です。
> まあ、ここで悩みを語るのは問題を解決したい場合のみにした方
>がいいでしょう。
この対応は拙かったかな、以後気をつけます。
こんにちは、レスありがとうございます。
みどり wrote:
>往々にしてあるんです、本人はさっぱり悪意のつもりもなく、むしろいいことをしているつもりだけど、ハタから冷静に見ると相手にひどいことしてる、おそらく本人の深層意識かなんかが無意識のうちにやってるのかも、ってのが。
>ま、人の意志を「悪意」と「善意」の二つだけに分類してしまうのは、すごくASっぽくはあるんですが。
無意識のうちにですか、それは本人に聞いてみないとわからないでしょうが、おそらく母にはこういった意識はないでしょう。現に、私の母は私が勝手に太ったと思っているようですし、…
ただ、「Luluがなんでも好き嫌いしないで食べてくれるし、食べ物のことについて不平不満を言ったことがない。」(本人談)というのは根底にはあるかもしれません。
みどり wrote:
>後戻りの理由やその正当性を探してばかりいるよりは、なんとか後戻りしない方策を考えた方が、進歩しやすいと思いますよ。
まあ、この点に関しては前向きに考えましょう。ふと後ろを振り返ったときに、後戻りすることがあるので、せっかく見えた光明は逃さないようにします。
たあさん wrote:
> サポート体制(例えばLDの生徒は試験時間を長くする、など)が整って
>いなければ、薬を飲んで試験を受験することは当然のことだと思います。
作り話の中でガータロくんの親御さんは、それを「手足の不自由な人から
車イスや杖を取り上げて健常者と同じ徒競走に参加させるようなもの」と述
べていました。絶対平等が健常者と障害者の間で成り立ちにくいのは間違い
ありません。
> 健常者と障害者の平等というのは、障害に対する周囲の理解と支援環境が
>整って初めて実現するのだと思います。
障害者への配慮がなされていないなら、どんな手段を講じてもいいかとい
う問題はありますが、「画一的な対応をすることが障害者と健常者の平等や
公平につながる訳ではない」という意見と受けとめました。自分がこの問題
を考える材料にしたいと思います。では
(PS)
最近、精神状態がいくらかよくなっているというコメントを見て、喜んで
おります。ご自愛されますよう。
たあさん wrote:
> サポート体制(例えばLDの生徒は試験時間を長くする、など)が整っていなければ、薬を飲んで試験を受験することは当然のことだと思います。
私もそう思います。それでも
他の保護者が「ずるい」と言うなら、主催者がきちんとこういう方法を取りますと言って、それが不服な方は、本人に文句をいうのではなく、主催者(学校)に言えばよいと思います。・・・・変な日本語になってるけど・・・
親のエゴと公平かどうか、は次元が違うと思うんですよね。
> 私は高校生の頃、朝、学校に行く気がおきなかった時、お酒を飲んでから通学していました。
>私はどんなことをしても高校を卒業したかった。
・・・・あの、無神経かも知れませんが、その思いの強さに感動しました。
高校生でそこまでやれるものか、すごい!と。
> 健常者と障害者の平等というのは、障害に対する周囲の理解と支援環境が整って初めて実現するのだと思います。
話がずれますけど・・・・・・
同じ地球に生きていて、お互いのことを知らないできたなぁ、知らないから傷つけたなら、私は知りたい。世界がひろがるかもしれない。
自閉症の男の子と遊んでいますが、昨日は土砂降りの中、両手を挙げて走っていたし、それがとても綺麗に思えました。
思いっきり走りたいと思って、今日は少し遠くの小学校へ行ったら、「この子、脳がないの?」と遊んでいる子が聞いてくれました。『ちゃんとあるよ』もっと、ちゃんと答えたかった私。でも、うまく言えず、残念です。チャンスだったのにな。
その人の、日常の不便さや生活のし辛さが少しでもわかれば、
切り取った部分だけで、不公平とは言えないんだけど、
でも、ありますよね〜、逆差別と言われるもの。
んだんだ・・・・私がそうだった。
人を羨ましいとか、人より損したくない、みたいなの。
人って、被害には敏感だけど、感謝には鈍感、だと日野原先生が書いておられるそうです。90歳のお医者さんです。
きゃー、飛んでばかりで、ごめんね〜!
今日は、たまっていた仕事を片付けたので、気分がハイなのです。
みどりさん wrote:
>じゃあ、頭痛薬だったらどうでしょう。
>頭痛しながら受験は明らかに不利です。それを薬で修正するわけで、ず
>るいと言えます。
>「誰でも飲めるから」とは言っても、頭痛のない人には効果はありません。
>そして、世の中には薬の効かないタイプの頭痛の人もいます。
ここで、再び「治療」と「改造」の問題に立ち戻るとします。まずは
わたしの定義。
治療…健康だった心身が不調になった場合に元の健康な状態に戻すこと
改造…自然な状態では社会生活に支障が出る障害(主に先天的な障害)
を抱えている場合に、障害者本人が適応しやすいように身体や脳
や遺伝子などを作り変えること。
そして、頭痛薬の服用は、わたしの定義では「改造」ではなく「治療
」にあたります。ついでに言えば、発達障害者の二次的障害の治療もわ
たしの定義では「治療」です。ただし、発達障害そのものを生物学的に
消去しようとする医療行為の場合、わたしの定義では「改造」に含まれ
ます。あるいはADHDの薬物治療もいちおうは「改造」に含まれるこ
とになるでしょう。別に「改造」が悪いことだとは思っていないし、ど
んな医療行為を希望するかは全く障害者本人の勝手だと思うのですが。
で、わたし自身は「治療」に関しては、もしかすると不公平さがたく
さん潜んでいるかもしれないという予感はしているのですが、一般的に
は問題視されにくいのではないかと思います。例えば、交通事故で体が
不自由になってしまった人が社会復帰するために、リハビリなどの「治
療」を受けていたとしても、これを「不公平だ」という人は比較的少な
いのではないかと思います。
あるいはこんな例を持ち出してもいいでしょう。火事で顔に火傷を負
ってしまった人に顔の整形手術を行なうことに対して、周囲の人は滅多
に反対しないと思いますが、美容目的で顔を整形手術しようとしている
人に対しては快く思わない人が出てくる可能性は高いと思います。
どういう訳か分かりませんが、多くの人は「元に戻す治療」に比べる
と、「元の状態よりよくする改造」の方に強い抵抗を感じてしまうよう
です。
逆にみどりさんが指摘するように「元の状態に戻す」治療が第三者か
ら不公平と見なされるのはどういう場合なのか?今回は「改造」に焦点
を当ててしまっているため、十分な考察はできなかったのですが、考え
てみる価値がありそうです。
>> このテーマに薬物治療と手術の違いはありません。
>
>手術は元に戻せないと仮定すると、かなり違いが出ると思います。
>手術による治療もズルだと言われたら、すでに手術を受けた生徒は受験
>自体がもう不可能になってしまいます。
>薬なら飲まずに受けるという手があるけど。
なるほど。手術は薬物治療と違って、永続的な効果があるというとこ
ろまではわたしも気がついたのですが、この点は気がつきませんでした。
>たぶん、手術なら周囲もあまりズルとは言わない気がするのです。
>じゃあ、薬ならなぜズルなのか。
わたしは手術の場合にもズルと言われてしまう場合があるような気が
するのです。能力や外見を向上させる手段として改造手術が行なわれた
場合には。理由は前述した通りです。
ともあれ、問題が発展してきたような感じ…。ありがとさんです。
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