アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
あつみさん wrote:
>ここのところ、「彼と誤解のないコミュニケーションをとる」ことにはまりすぎて、終わりの見えない論争をしてしまうことが多々あり、それがどうやら逆に彼を苛立たせる原因となっているということに気づきました。
論争ができるということ自体、わたしからすればうらやましい限りです。
どうやら自分の感情処理ができまして、問題の本質が見えてきたので結論を出した日にコメントを読んでしまったので、レスをさせていただきました。
>私は、気になったことはとことん追求したいので、お互いに学んで、一緒にやっていくことに相当な年数をかけることも厭わないつもりです。ま、彼がどうしても私ではだめだ、と判断するまでは諦めないで、やってみようかなと思いました。
たまたま逆ですけれど、わたしは限界をむかえてしまいそうですので離婚を決意しました。今後の生き方について長期中期短期と計画を立てた上で、少しずつ実行に移していこうかと思っています。とりあえず中期計画(?)としては、娘の小学校卒業と同時に離婚にもっていけるようにするつもりです。けっこうこれがワクワクしてるんで、自分のありようはいったい何なのだろうって思ってしまいます。まぁ、わたしは娘の母親にはなりたいですけど、夫の母親がわりを期待されるのはもう御免だという気がしていますので……。
>でも、そういう努力はもしかすると、別にASであろうとなかろうと、どこのカップルも行っていることなのかも知れませんね。
そう思います。本人同士の問題として追求していけるのなら、けんかであろうともカップルとしては健全だろうという気がします。
あつみさん wrote:
>123さんのおっしゃるようなこと、わりと一般的なご意見なのかも知れないと思います。乱暴な言い方をすれば「世の中にはもっと大変な境遇の人がいるのに、甘えるんじゃないよ!」という。この手の叱責は、私自身、よく受けますので「ああまたか。やっぱりそうなんだ。」と諦めかけました。なにしろそれが圧倒的多数の意見であるように思うので。
123さんの意見と、それに反論した方々の意見であれば、世の中が支持するのは、残念ながら123さんの方なのだろう、という感想は私も持ちました。それでも、123さんのことだけでなく、このところ激論が続いている中、「みんなだんだんケンカが上手くなって来ているのかなあ」とも思えます(いやchip氏←あつみさんはご存じない人物かも知れないが―の頃からすると、随分みんな言うようになったと思う)。ケンカ術っちゅーのは、勝つためにはとにもかくにも、辛辣、どぎつい言葉にもへこたれない「精神力」だから。でも、現実世界での口論となると、とても今回のようにはいかないのでは、というのも本音。ネットというのは、「世間」ではないのだし。
>やっぱり自分の思ったことをうかうかとインターネットなんかに載せるものではない、と後悔しました。
123さんの場合、あつみさん、貴女という人の発言に対して物申したというより、八つ当たりに利用されてしまった感があるのではないかと。蝙蝠(観察型)さんの言う「病んでいる」というより、「介護疲れ」っぽくて、幾分投げやりなレスという印象を、私は受けました。
>しかし、ここの掲示板ではそうではない。
>実際の社会ではマイノリティであると思われる意見の持ち主が、ここではマジョリティを形成しているようですね。
>
>すごく面白いなあと思いました。実際に普段生活していて、AS又はASに関係のある人々がこんなに集まることってありえないですよね。そして批判的な立場の人々とも意見を交換するなんて。(もちろん、発達障害に関連する会の集まりなどは除きます。学校や職場などの日常生活において、という意味です。)
>この掲示板の様な場所は、もしかしたら、マイノリティの文化を形成する培地になってゆくのでは、と思いました。かつて(今もですが)マイノリティとしてとてつもない迫害を受けてきた同性愛者が、今や独自の文化を発展させているように。
「捨て台詞」だと、意見交換にもならないんですけどね(-_-!)。「健常の第三者」と、「当事者」が、川のこっち側とあっち側のまま交わることもなければ、普段の生活で、Asやその他の発達障害について、トラブルや葛藤をも忌避することなく語り合える場、というのが、この国の土壌には見当たらないよなあ。まあ散々ボコっておいて、「お前もよく戦った」とは、言ったものではないだろうけれど、こういう場で口論になると、しばしばデスマッチ的になってしまうのはなぜ?(←自分こそケンカ売りキャラのくせしてカマトトぶんなよ!)
しばらくパソコンを使えない状況で過ごしており、久々にここの掲示板を見たところ、すごいことになっていて、展開の早さに、驚きました。
まず、以前の私の発言に対する(?とはあまり思えないのですけれども)123さんの 投稿を読み、「なんだか分からないが怒らせてしまったようだ」と思って大変動揺しました。やっぱり自分の思ったことをうかうかとインターネットなんかに載せるものではない、と後悔しました。
しかし、その後に続くたくさんの意見を読ませていただき、「こんな意見もあるのだなあ。賢いなあ。」と感心しました。
123さんのおっしゃるようなこと、わりと一般的なご意見なのかも知れないと思います。乱暴な言い方をすれば「世の中にはもっと大変な境遇の人がいるのに、甘えるんじゃないよ!」という。この手の叱責は、私自身、よく受けますので「ああまたか。やっぱりそうなんだ。」と諦めかけました。なにしろそれが圧倒的多数の意見であるように思うので。
しかし、ここの掲示板ではそうではない。
実際の社会ではマイノリティであると思われる意見の持ち主が、ここではマジョリティを形成しているようですね。
すごく面白いなあと思いました。実際に普段生活していて、AS又はASに関係のある人々がこんなに集まることってありえないですよね。そして批判的な立場の人々とも意見を交換するなんて。(もちろん、発達障害に関連する会の集まりなどは除きます。学校や職場などの日常生活において、という意味です。)
この掲示板の様な場所は、もしかしたら、マイノリティの文化を形成する培地になってゆくのでは、と思いました。かつて(今もですが)マイノリティとしてとてつもない迫害を受けてきた同性愛者が、今や独自の文化を発展させているように。
この掲示板に以前から参加されている方々はそんなこともうとっくにお気づきになられているのかも知れない、とも思いましたが、私は最近気がついて、ワクワクしたので、書いてみました。
そして気がついたのも、もとはといえば、動揺を与えた123さんのお陰でもあり、それもまた面白いものだなと思いました。
あさかぜさん、丁寧なご返答ありがとうございました。
経験に基づいたご意見、大変興味深く読ませていただきました。
あさかぜ wrote:
> 自分と似た資質を持たなくても、コミュニケーションがむずかしいということはないだろうと考えます。お互いの努力があれば。
> あるいは努力してもどうにもならないという資質であったとしても、感謝を示すという方法もあると思います。ひとつひとつ学んでいけば決して身につかないわけではないとは思うのではありますが……道は限りなく遠かったりします。何年何十年というスタンスで学ぶ姿勢が必要になるかも?
確かに、彼とコミュニケーションをうまくとるには、相当な年数が必要なのではないかと思います。彼に限らず、ですが。
ここのところ、「彼と誤解のないコミュニケーションをとる」ことにはまりすぎて、終わりの見えない論争をしてしまうことが多々あり、それがどうやら逆に彼を苛立たせる原因となっているということに気づきました。
私は、何とか、彼と上手くやってゆければ、と考えるのですが、そのことが相手を追いつめることに繋がるのであれば、あまり頑張りすぎるのも良くないのかも、と思い始めています。私は、気になったことはとことん追求したいので、お互いに学んで、一緒にやっていくことに相当な年数をかけることも厭わないつもりです。ま、彼がどうしても私ではだめだ、と判断するまでは諦めないで、やってみようかなと思いました。
でも、そういう努力はもしかすると、別にASであろうとなかろうと、どこのカップルも行っていることなのかも知れませんね。
深蒼 さんwrote:
はじめまして。タレイヌです。
薬についての,経験談を、2つ。
まず1つ目は,私のこと。
いまから,10年以上前、子宮内膜症で,男性ホルモンを処方されました。(いまは,使われなくなっている薬です)医者は,「食欲が増して,太りやすくなりますから」と,言いました。結果的には,そのとおりでした。でも,私にとって深刻だったのは,太った事より、精神的に,辛かった事です。これって,説明しにくいです。いわば,気分の問題ですから。でも,明らかに,飲んでいるときと,その後やめたときでは,自分が「違っている!」と認識できたのです。(半年ほどで,一時中断になるのですが,そのままやめました。恐かったからではなく、嫌だったからです。)結局、その後は漢方薬に変えて、最終的には、手術にて、一件落着。
2つ目は、ごく最近の事。
私は、自宅で数学を教えています。ある先生の紹介で、ADHD疑いの子を、面倒見はじめました。いろいろなところに混乱が見られて、確かに大変そうです。あるきっかけで、リタリンの処方が始まりました。1錠飲んで、我が家へきました。(もちろん休日の午前中です)相変わらず、ごろごろしているし、トイレには通うし、しゃべり始めれば、止まらないしで、ほとんど、いつも通りの行動です。でも、数学をはじめたとたん、私は、とても驚きました。昨日までは、+-が、混乱してしまって、類題である式の計算も、1つ1つ、訂正や、説明をくりかえすのですが、その日は、前の行で解いた計算式を見て、次の解答を、自力で出せたのです。明らかに、混乱がへっていました。
本人には、多分 自覚はないでしょう。学校へ行っても、先生たちも行動からは、変わったとは気づかないでしょう。でも、私には、とても変化したことが、わかりました。
ただし、この注意集中状態が、「レディネス」なのであって、ここからが、教育の本番という事になるのですけれど・・・ね。
これらの事から、私が感じていること。
ある種の薬によって、「気分が左右される」ということは、抗生物質が効いて、熱が下がるのとは、ちょっと意味合いが、違っていると思います。状況判断する「私」の「判断基準」を、自ら、手放すことになってしまうからです。そして、周りの人間が、行動を基準に、量を決めるとすれば、結果的には、かなり、多量投与になるのではないかと、思うのです。(微量で激変する事が 結構あるはずだし、長期投与で、じわじわ変化する場合もあるかもしれません。)
>特に、飲んだ時の効果(ASそのものの症状にに効果があるのか、それに誘発されて起こる二次症状を抑えるためのものか)
>と、副作用の程度(殊に、ASならではの「特長」を殺してしまう事はないのだろうか?)
>について教えて頂けると大変嬉しいです。
納得できるまで、たくさんの方々に、いろいろな形で、お尋ねになり、調べ、最終的には、御自分の体と、よく相談して(つまり、気分の変動を、ご自分で気にしていてください)なるべく、医者に、伝えましょう。本気で、患者のためを思っている医者であれば、量や種類など、いろいろな薬や、方法を試してくれるはずです。
どんな薬であっても、御自分が、納得して、お飲みになる事が、一番です。
どんな時でも、私自身の判断の「主導者」でありたいですからね、あくまでも。いろいろな薬を、お飲みになっていらっしゃる方の経験談は、何にも勝るとおもいますし・・・。
そして、不安でしたら、少しずつ少しずつ飲んでみてはどうですか。効くか効かないかは、これも、飲んでみないとわかりませんから。(飲むルールがありますから、そこは、医者や薬剤師の説明を、よく聞いておいてください)
(タレイヌ)
こんばんは、深蒼です。
皆様方の意見等、本当にありがとうございました。
一時は不安でたまらない状態でしたが、少し落ち着いたような気がします。
まずは特に気になった意見へのレスをば。
type-K wrote:
>大変申し訳ないのですが、貴女の不安は良くわかっているつもりですが、言わせて下さい。このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません。貴女を実際に診て、診断して、詳しく説明もきける主治医にのみ効くべきです。納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう。
>責任のとれる者のみが答えを言えるタイプの御質問ですから。
その事については投稿前にもよく考えました。
……ですが、それでも敢えてここに書き込んだのは、
「実際に薬を飲まれている方の意見」を聞かせて頂きたかったからです。
私自身、今の主治医の事はとても信頼しているのですが、
その言葉だけで飲むか否かを判断するにはやはり不安があったのです。
殊更「脳」という器官だけに。
ですので、実際同じ薬を飲まれている(飲んだ事がある)方から意見を頂くことで、
決断をする上での参考にさせてもらおうと考えたのです。
#事前にこの事は書いておくべきだったのでしょうが、
#ちょっとそこまで頭が回らなかったようです。すみません。
そしてここからが本題。
とりあえず、皆様が書き込んで下さった情報、ネットでの情報、そして私自身の考えなどを踏まえた結果、
次の診察(一ヵ月後です)までは「ルボックス」のみを服用する事にしました。
実際今朝から飲み始めて、一時は副作用(吐き気)等で苦しんだ時もありましたが、
現在の所は落ち着いています。
#「リタリン」は「麻薬性」云々の事と、薬が切れた後に起こる「リバウンド」
# がやはり不安だったので、今回は保留という事で。
# 一次障害にある程度の効果があるのであればリスク覚悟で飲むつもりでしたが、
# 二次障害であればそんなに無理しても仕方ないですし……
まだ飲み始めたばかりなのでまだまだ不安はありますが、
体調をコントロールしながら少しずつ慣らしていこうと思います。
それでは。
#ちなみに、私はれっきとした「男」なのでご注意を(汗
よし(陽疾)さん wrote:
>
>
>ASの館のメンバーからは、反論ばかりで、「彼女の言うことも分かります」、的な発言は(私の見るところ)なかったのは意外。
あのー・・・、私、反論してないですよー。
私が「よく分からない」と言ったのは、実際に「分からない」という意味で、
「賛成できない」の婉曲表現じゃありません。(←このように受け取られる場合もある)
何が言いたいのか、真意を測りかねている状態で、反論も共感もでてこないです。
反論を書かれている方は、123さんが何に不満を抱かれたか、十分理解されているのでしょうか?
(←これは「理解してないだろう」という意味の反語ではないです。私はよく分からなかったので、意見が次々出てくるのが不思議だったのです)
できれば、123さんに改めて詳しく説明してほしいところですが・・・何となく、ここの掲示板はもう見られていないかもしれませんね。
単なる捨て台詞だったのかしら。だったら何も書かなければいいのに・・・。
Mr.Moto wrote:
> 村上さん、お初にお目にかかります。 Mr.Moto と申します。
>
>村上京子さん wrote:
>> 大変申し訳ないのですが、貴女の不安は良くわかっているつもりですが、言わせて下さい。このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません。貴女を実際に診て、診断して、詳しく説明もきける主治医にのみ聞くべき。納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう。
>> 責任のとれる者のみが答えを言えるタイプの御質問ですから。
>
> 「このような掲示板」というのがどのような掲示板なのかは気になるところだが(^_^;)、それは言わんことにして、「このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません」というのは確かに正しくはあるのだが、「それを言ってどうするのか」「それを言ったからどうなるのか」という思いが残る発言だとおれは思う。
> インフォームド・コンセントは確かに理想ではあるものの、「患者は黙って医者のいうことを聞いていればいいのだ」と考える医者は多く、患者が自分の病状だの服用している薬だのに対して説明を受けようとすると、露骨に厭な顔をしたり、頭ごなしに「そんなことは気にしなくていいんです」と叱りつける医者が少なからずいる。
> で、セカンド・オピニオンを得ようと思っても、たとえばカルテを回してもらわなければ今まで受けた治療やその経過などを一から説明しなければならなくなるし、そもそも医者がどう判断してどういうつもりで治療したかなんていうのが患者に分かってなければ説明のしようもない。しかも、カルテを回したとしても自分の診断を伏せてデータだけを提示する医者が多いのである。
> そんなわけで、「納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう」というのは、「今の医者がダメだと思ったら医者を替えろ」というのと実質的に同じことになってしまうのである。ところが、患者には医者を評価・判断するデータすら与えられないことが多い。だったら自分で調べるしかないではないか、とおれは思うのだ。
ということなので、薬に関してはできるだけ、複数の専門家に意見を聞いたり・文献をあさって、多くの情報を得たほうが良いと思います。
また、飲む薬の種類・量が多い場合には、薬を飲んだ時間・何か普段とメンタル的な*行動的な*体調的な面で異なった状況はないか等を、記録しておいたほうがよいと思います。
fromひまわり。グロンサさん、お久しぶりです。
精力的に動かれてますね。
日程的に行けなかったのですが、
「自閉症カンファレンスNIPPON」2日目、アスペ当事者ご夫婦が発表されたようですが、
参加者は若年層対象の所に所属している人が多いでしょうし、
サポートブックみたいな具体的な物は無いし、
(気持ちは、おもいっきりコモられてたとお聞きしてますが)
結構しんどかったのではと思います。
カナータイプ主体の方々に、お話する、コツみたいのは、感じられましたでしょうか?
> そんな中で思ったのが、「いずれはカナー・アスペルガー両タイプの割合を半々にして、もしくはアスペルガータイプ主体のイベントも開催してほしいな」…ということ。
> カナータイプ主体の大規模なイベントがやっと始まったばかりではありますが、アスペルガータイプもいずれは同じように…と、ふと頭をよぎった時でもありました。
近いうちにそうなって欲しいです〜。
発達障害相互支援ネットワークのこうもりです。
さなさん wrote:
>「アスペルガー症候群」という診断は何科の先生が下す判断ですか?
>教えて下さい。そしてどんな治療法があるのでしょうか?
原則的には小児精神科医ですが、特に他の分野の精神科医が出して
はならないというものではありません。アスペルガ―症候群の診断が
できる精神科医が少ないというだけで。
で、治療法についてですが、現時点ではないと言うのが正確でし
ょう。障害者の支援には大きく分けて
(1)障害を消去あるいは軽減する
(2)本人が障害とうまくつきあっていけるように手助けをする
の2種類がありますが、今の段階で可能なのは(2)のアプローチで
す。
>当方,都内在住です。良い病院等ありましたら教えて下さい。
>私も弟も ずっと生きづらさを背負ったまま なんとか
>生きている状態です。よろしくお願いします。
都内でしたら、ある程度は把握しているのですが、オープンなサイ
トで公表することができません。病院の名前を公表してしまうと、受
診希望者が殺到してしまい、その医療機関に迷惑をかけてしまう恐れ
があるからです。ただし、DMで教えることは可能ですので、必要が
あれば下記のメールアドレスにご連絡ください。受付担当はわたしで
す。
(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
村上さん、お初にお目にかかります。 Mr.Moto と申します。
村上京子さん wrote:
> 大変申し訳ないのですが、貴女の不安は良くわかっているつもりですが、言わせて下さい。このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません。貴女を実際に診て、診断して、詳しく説明もきける主治医にのみ聞くべき。納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう。
> 責任のとれる者のみが答えを言えるタイプの御質問ですから。
「このような掲示板」というのがどのような掲示板なのかは気になるところだが(^_^;)、それは言わんことにして、「このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません」というのは確かに正しくはあるのだが、「それを言ってどうするのか」「それを言ったからどうなるのか」という思いが残る発言だとおれは思う。
インフォームド・コンセントは確かに理想ではあるものの、「患者は黙って医者のいうことを聞いていればいいのだ」と考える医者は多く、患者が自分の病状だの服用している薬だのに対して説明を受けようとすると、露骨に厭な顔をしたり、頭ごなしに「そんなことは気にしなくていいんです」と叱りつける医者が少なからずいる。
で、セカンド・オピニオンを得ようと思っても、たとえばカルテを回してもらわなければ今まで受けた治療やその経過などを一から説明しなければならなくなるし、そもそも医者がどう判断してどういうつもりで治療したかなんていうのが患者に分かってなければ説明のしようもない。しかも、カルテを回したとしても自分の診断を伏せてデータだけを提示する医者が多いのである。
そんなわけで、「納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう」というのは、「今の医者がダメだと思ったら医者を替えろ」というのと実質的に同じことになってしまうのである。ところが、患者には医者を評価・判断するデータすら与えられないことが多い。だったら自分で調べるしかないではないか、とおれは思うのだ。
そういうときに、掲示板はきわめて便利なメディアである。そこには対話があり、多くの人間の目があるからだ。相手は自分の知識レベル等を判断して答えを返してくれるし、変なことを言えばツッコミが入るから不確かなことは言えないという抑制もある。
そういう観点から見るなら、この『アスペルガーの館の掲示板』はかなり信用のできるサイトであるように思う。「責任のとれる者のみが答えを言える」といっても、医者だって必ずしも(というか、決して)責任を取ってはくれないのだ。最終的な判断は自分で下すしかないのである。
「『基本的には、他人は無責任なことしか言えない』ということを重々認識しつつ、他人の意見に振り回されないように用心し、文献調査やインターネット検索で裏を取ったり医者や薬剤師に質問するなりして確認を取り、他人の意見を丸呑みせず上手に活用することを考えなさい」。おれとしてはこのくらいのことを言っておきたいと思う。
(Mr.Moto)
ひま人さん wrote:
> 気になるのですが、ASと自閉症とを同一のものと論じているのでしょうか? 僕は自閉症がASとどの程度同質のものなのか、どこまで同じでどこから違うのか知らないので、自分のコメントはASだけに限定したものとして考えています。
「自閉症スペクトラム」−「広汎性発達障害」=「こだわり行動」
「アスペルガー症候群」−「高機能自閉症」=「言葉の遅れ」
あたりが基本的認識。「古典的自閉症」(知能の遅れ+言葉の遅れ)の場合、「発話が極端に少ない」を特徴としてあげる場合があるので、言語発達に関してはコメントできない。なお、古典的自閉症の場合、言語理解ができていないのか(そんなことはないと思う)、発話の能力がないのか(そうではなさそうに思う)、二次障害などで緘黙状態にあるのか(かなりありそう)かは不明。
> 僕が「ここはASをテーマに」と言ったのは、ほかの書き込みを禁止したいということではなく、接頭語がどうのこうのといった枝葉末節にではなく、たとえば今問題にしているような、なぜAS児には幼児の言葉が乏しくて大人の話し方に飛躍するのか、といったことこそ書き込んでほしいわけですよ。
国語学者の大野晋先生は、「日本語は“乱れている”のではなく、“ゆらいでいる”のだ」とおっしゃっている。「(規範としての)文法から外れている」ことにばかり着目せず、「法則としての文法」に目を向け、現象として分析する態度を認めろ、ということを主張したまで。
「ごちゃごちゃ理屈を捏ねずに、まず『正しい日本語』を身につけさせるよう、厳しく指導しろ」みたいな態度を取る教育者は多いので、ここんところをちゃんと主張しておかないと、「なぜAS児には幼児の言葉が乏しくて大人の話し方に飛躍するのか」といった議論そのものが「教育の現場を理解しない、研究者のお遊び」と見なされかねない。
> そうした指摘はすでに何人もの人たちからされていることですが。そこの本質をもう少し詳しく具体的に表現できないものでしょうか。
Hacker と呼ばれる人々の間では、“supercanonical(超規範的)”と呼ばれる傾向があるといわれている。数学基礎論の研究者は、「構成主義おたく」だという話もある。
自閉傾向は演繹的だし、一般の人は「こうだから、こうなんだ」という考え方をする点で帰納的といえる。自閉はアルゴリズム主導で健常はデータ主導、という解釈もできる。
問題解決において、得意とするアプローチが異なっていることが、こうした差に現れているのではないかと思っている。
>> そんなわけで、多くの日本人にとっての母語である日本語を、いったん「外国語」、すなわち「外なる言語」として捉え、その文法や用法について、いったん「日本人としての感性」を横に置いて分析してみることは、自閉症スペクトラム障害児の言語指導において有効ではないだろうか、といったことを我々は考えている。
>
> それは言うのは簡単ですが、かなりむずかしい、というか不可能に近いと思います。日本語をほぼ完全に刷り込まれた状態から、いったん日本語に関して無垢の状態に戻すというのは至難の業ではないか。
意味論的には不可能だが、記述的には可能であるし、『雑魚亭』の『日本語文法の「なぜ」に答える』では実際にそれを行なっている。
コンピュータは「あらゆる言語に対して無垢」なので、「コンピュータに日本語を理解させる」ための「日本語の(記述)文法」を構築することで、それを行なった。
> ここには、「「クレタ人はうそつきである。」と或るクレタ人が言った。彼はうそを言っているのかそれとも本当のことを言っているのか」という有名なパラドックスに似た状況が生じないだろうか? すなわち、日本語を外国語の一種として捉え直すという作業自体が日本語を使って行われるわけですから。
「日本語の文法」を記述するのに使った「メタ記述言語」としては、数学や論理学、情報処理の世界で使われている記述法を援用した。特に論理学からは、外延主義の論理学や様相論理学(モンタギュー文法)などの多くを借りている。
> たとえば、日本語学校で使用されているテキストは、日本人が読んでもおもしろい。それならいっそのこと、外国人向けに開発された日本語の教材を使ってAS児を指導するというのはどうでしょうか?
結果的にそれに近いことになりそうである。
>> 自閉くん自閉ちゃんの言語感覚には独特なものがあり、一般には「ヘンな日本語」として退けられがちだが、文法の点から見るならば、「過剰に文法的」であるがゆえに日常の用法を逸脱してしまったケースが数多く見られる。そんな訳でこの手の文法がらみの日本語ネタっつーのは自閉症スペクトラム障害児の健全(?)育成に役立つわけで、『アスペルガーの館の掲示板』の主旨から外れているとは必ずしも言えないのと思うのだよ。
>
> そんなのあたりまえでしょう。いつ小生がそんなことを言いましたか?
「超私的」という表現に対して否定的である、と解釈されうる発言があったので、常識的には「現代の若者における言葉の乱れ」みたいな方面に話が行くかと思った。
> ASのお子様について、普通学級がいいのか特殊学級がいいのかということが問題になりますが、これは個々のケースで異なってくるでしょうから一般化できませんが、いま話題になったAS児の特性から考えると、同年齢の健常児から完全に隔絶することはできないにしても、すくなくともそうした場所と時間を減らして、大人との交流のできる場を増やしたほうが対人能力と言語能力の発達にとって効果的なのではないでしょうか。
日本在住の外国人の子供と一緒に日本語を教える、というのもいいかもしれない。
> 大人といってもいろんな人がいますから、できれば退職した大学教授、研究家、といったような、知性性のあるひとが好ましいでしょう。そういう人たちにこそボランティアとして参加してほしいのものです。「最近の若者は本は読まなくなったし、学問科学への興味も失った」と嘆いている某知識人らにとっては、ひょっとするとAS児は垂涎の的的な存在なのかもしれませんよ。
『ひと塾』という、遠山啓(とうやま・ひらく)さんという人が始めた教育運動がある。これは退職した大学教授である遠山さん自身が、ボランティアで始めたものだ。
遠山さんは、知的障害児(当時は「発達障害」という概念はなかった)の発達過程を、「人間の発達過程をスローモーションで見せてくれる貴重なもの」として捉えており、「すべての教育者は知的障害児の教育を一度は経験すべきである」と言っている。知的障害児はその発達過程での「飛躍」を許さないため、「知的障害児は発達過程研究における顕微鏡である」と言っている。
> ただ現実的には、いったん学校に収容されるとそれに拘束されてしまってなかなか都合のいいように時間が確保できませんから、実現するのは難しいでしょう。それでも毎週土曜日が休みですから、以前よりかはましです。総合学習という遊び時間や普通学級至上主義よりも、こうしたほうが本人の幸福につながるように思います。
大学の教育学部の附属幼稚園や小中学校は、もっぱら「優等生」を集めているが、遠山さんは「そんなのは無駄だから止めてしまえ。優等生なんていうのは、どんな教えかたをしたって、自分で勝手に学ぶのだ」といい、「そういう学校でこそ、知的障害児を教育すべきだ。その結果は、普通の子どもの教育、あるいは英才教育にも必ずや役立つはずである」と言っていた。
『遠山啓著作集』は、図書館にはけっこう入っているので、興味があれば参照されたい。
(Mr.Moto)
123さんの投稿に、実に多くの人たちがレスをつけている。その様子を見ていたら、波紋率ないし波紋指数、という言葉が浮かんだ。そういうものが数学の世界かどこかにあるのかどうかはわたしは知らないが(わたしが思いつくようなことだから、きっと洗練されたものがとっくの昔にあるのだろう)、とにかくわたしは、「123さんの投稿は波紋率が高い」と思った。
波紋率ないし波紋指数は、ある新規投稿に対するレスの「人数×重み」で出せるのではないか。「重み」というのは適切な表現ではないかもしれないが、例えば「ある人がこのBBSに初めて訪れた日からそのレスを書いた日までの発言数/日数」というような数値で表されるもの。もっと色々考えられるだろう。
タマさん wrote:
>
>ところで、その放課後クラブの子供達の中には自閉症の子達がいました。私は彼等を見ていて、自分の中に彼等に似ている部分を見い出しました。ほんとは遊んでほしいのに、そういう表情ができない、気持ち。遊んで欲しいけど、近づいてほしくない、自分の領域を犯してほしくない、気持ち。いっそ、1人でいる方が楽だ、という気持ち。「自閉症の子たちは人と関わりたいなんて思わない」と言う人もいますが、指導員さんは、自閉症の子たちも本当は人と関わりたいと思ってると信じていたし、その他の面でも彼等の可能性を信じきっていました。そして、彼等は少しずつだけど、指導員さんの期待に答えていました。期待が過剰すぎても重たいばかりですが、やはり、教科書上の知識だけで、勝手に相手の可能性に線を引いてしまうような人には知的障害児(者)と関わる仕事は向いてないと思います。
>
私は長男18歳(AS)の母親です。息子は高2の時にASと診断されました。
私自身ASについての知識が無かったこともあって、ここの掲示板をよく覗くようになりました。(2000年の1月頃から)
色んな人の投稿を読んでいて、「なに!この人AS? 本当にASのこと解って発言しているの?」と疑うこともありますよ。
息子の症状がここに書き込まれる人たちよりも重いからです。
でも、タマさんみたいな人の(上記の)意見を読むと嬉しくなるんです。
ここへ集う人たちの考え方や感じ方をもっと知りたいと思ってしまうんです。
ASの人の気持を少しでも理解したい人に、お薦めしたい掲示板ですよ。
あっ! タマさん、ごめんなさい。勝手に(一部)引用させてもらいました。
私が言いたかったことが書かれてあったので、じ〜んとしてしまいました。
type-K wrote:
>大変申し訳ないのですが、貴女の不安は良くわかっているつもりですが、言わせて下さい。このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません。貴女を実際に診て、診断して、詳しく説明もきける主治医にのみ効くべきです。
いつものごとく変換を間違ったようです。”効くべき”ではなくて”聞くべき”ですよね。すみません。私、入力もままならなくて。
深蒼様
初めまして。村上京子といいます。(type-Kとしたのは前の名前では投稿できなかったからです。)自閉症持ちの医療従事者です。
大変申し訳ないのですが、貴女の不安は良くわかっているつもりですが、言わせて下さい。このような掲示板で薬の相談はすべきでは有りません。貴女を実際に診て、診断して、詳しく説明もきける主治医にのみ効くべきです。納得が行かなければ、別の専門家の所にいかれるのも良いでしょう。
責任のとれる者のみが答えを言えるタイプの御質問ですから。
Mr.Moto wrote:
>ひま人さん wrote:
>> そういうことではなく、超という接頭語を付けることによるインパクトの強化が、あまり多用し過ぎると逆に印象が薄れてしまうということ。
>
> 「凄い」「絶対」「懸命」「必死」等、安直に使われすぎて印象が薄れてしまった言葉は「超」以外にも少なからずある。
>
> あつみさん個人が「超私的」という言葉を使ったことに対する批判的コメントなのか、強調の安売りが横行している一般的風潮に対する批判的コメントなのかが不明だったので、とりあえず「超××」という接頭語は半世紀以上前から一般に安売りされており、それに対する批判もあったということを指摘して、あつみさん個人を批判するには当たらない、ということを主張しておいた次第。
批判的な意味合いは一般的風潮に対して90%くらい、あつみさんに対しては10%くらい、ですが、、僕の発言の中身は、批評的な意味合いが80%くらいで残りの20%ほどが批判的なものです。
>I wrote:
>> なお、引用は『雑魚亭』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/)、『言語教育論』の『「若者ことば」の合理性 』から。
>>
>> 最近、『雑魚亭』の掲示板が冷えぎみである。梃(てこ)入れも兼ねて登場。御免。
>
>ひま人さん wrote:
>> ここは本来ASをテーマに投稿する場ではないか。
>
> 自閉症スペクトラム障害児の言語習得過程は、普通の子供とはかなり異なったものであるらしい、ということが云われている。自閉症スペクトラム障害児には、いわゆる「赤ちゃん言葉」の段階が見られず、いきなり大人のような喋りかたをする例がしばしば見られる。
気になるのですが、ASと自閉症とを同一のものと論じているのでしょうか? 僕は自閉症がASとどの程度同質のものなのか、どこまで同じでどこから違うのか知らないので、自分のコメントはASだけに限定したものとして考えています。
> ここから、自閉症スペクトラム障害児においては、「母語としての言語の習得過程」ではなく、「第二言語(≒外国語)としての言語の習得過程」に関する知見が参考になるのではないか、と指摘する研究者が少なからずいる。
そういう見方は興味深い。僕が「ここはASをテーマに」と言ったのは、ほかの書き込みを禁止したいということではなく、接頭語がどうのこうのといった枝葉末節にではなく、たとえば今問題にしているような、なぜAS児には幼児の言葉が乏しくて大人の話し方に飛躍するのか、といったことこそ書き込んでほしいわけですよ。
こちらも、そんなことにこだわらずに本題に入ればよかったのですが、一言居士なものでつい書き込んでしまったわけです。
> 自閉症スペクトラム障害児が「難しい喋りかたをする」と云われるのは、「日本語の中の外国語」ともいうべき漢語や文語のほうが、定型的な文法に則っているぶんだけ構成的に(規則を敷衍することによって使用範囲を広げてゆくというやりかたで)身につけやすいからではないか、といった話は、うちの Maria が『アスペルガーの館の掲示板』で何度か話題にしている。
そうした指摘はすでに何人もの人たちからされていることですが。そこの本質をもう少し詳しく具体的に表現できないものでしょうか。
> そんなわけで、多くの日本人にとっての母語である日本語を、いったん「外国語」、すなわち「外なる言語」として捉え、その文法や用法について、いったん「日本人としての感性」を横に置いて分析してみることは、自閉症スペクトラム障害児の言語指導において有効ではないだろうか、といったことを我々は考えている。
それは言うのは簡単ですが、かなりむずかしい、というか不可能に近いと思います。日本語をほぼ完全に刷り込まれた状態から、いったん日本語に関して無垢の状態に戻すというのは至難の業ではないか。
ここには、「「クレタ人はうそつきである。」と或るクレタ人が言った。彼はうそを言っているのかそれとも本当のことを言っているのか」という有名なパラドックスに似た状況が生じないだろうか? すなわち、日本語を外国語の一種として捉え直すという作業自体が日本語を使って行われるわけですから。
そういう意味で言っているのではないと反論されるかもしれません。じっさいにはそうした見方というものを類推するなりしてやっていくということになるのではないでしょうか。
たとえば、日本語学校で使用されているテキストは、日本人が読んでもおもしろい。それならいっそのこと、外国人向けに開発された日本語の教材を使ってAS児を指導するというのはどうでしょうか?
> 自閉くん自閉ちゃんの言語感覚には独特なものがあり、一般には「ヘンな日本語」として退けられがちだが、文法の点から見るならば、「過剰に文法的」であるがゆえに日常の用法を逸脱してしまったケースが数多く見られる。そんな訳でこの手の文法がらみの日本語ネタっつーのは自閉症スペクトラム障害児の健全(?)育成に役立つわけで、『アスペルガーの館の掲示板』の主旨から外れているとは必ずしも言えないのと思うのだよ。
そんなのあたりまえでしょう。いつ小生がそんなことを言いましたか?
言い訳させてもらうと、その「雑魚亭」なるサイトにはアクセスしたことがないので、小生はてっきりただの言語論についておしゃべりしている場所くらいにしか考えていなかったわけです。
> なお、『雑魚亭』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/)は発達障害相互支援ネットワークの公式ホームページでもあり、視覚障害者向け日本語処理システム(自動点訳システム等)の開発支援を含め、広く障害者のサポートを行なうべく日本語や日本語処理に関する情報提供を行なっておったりするのである。専門的な、あるいは研究的な話題に関してはこっちで議論を尽くす予定。
興味はありますが、それらの開発に関しては素人なので介入できそうにありません。(その種の仕事をしてみたいものです)。
今出た話題に関してひとつ提言。
ASのお子様について、普通学級がいいのか特殊学級がいいのかということが問題になりますが、これは個々のケースで異なってくるでしょうから一般化できませんが、いま話題になったAS児の特性から考えると、同年齢の健常児から完全に隔絶することはできないにしても、すくなくともそうした場所と時間を減らして、大人との交流のできる場を増やしたほうが対人能力と言語能力の発達にとって効果的なのではないでしょうか。大人といってもいろんな人がいますから、できれば退職した大学教授、研究家、といったような、知性性のあるひとが好ましいでしょう。そういう人たちにこそボランティアとして参加してほしいのものです。「最近の若者は本は読まなくなったし、学問科学への興味も失った」と嘆いている某知識人らにとっては、ひょっとするとAS児は垂涎の的的な存在なのかもしれませんよ。
ただ現実的には、いったん学校に収容されるとそれに拘束されてしまってなかなか都合のいいように時間が確保できませんから、実現するのは難しいでしょう。それでも毎週土曜日が休みですから、以前よりかはましです。総合学習という遊び時間や普通学級至上主義よりも、こうしたほうが本人の幸福につながるように思います。
こんにちは。高機能自閉症児(7歳)の母をしております、まるるといいます。
123さんの一所懸命さはとてもよくわかります。本当はもっと具体的に記述して頂けるとお答えしやすいのですけど、この文章の上だけで私の思ったこと書かせて下さい。
123さん wrote:
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
これは多分かなり低年齢のお子さんを指して言ってるのかしら。
うちの子はあんまりありませんけど、アスペのお子さんなんかだと、かなり小さいうちから自分と周囲との違いに気付かれてること多いですよね。
横浜の某クリニックなんかだと、小学校の高学年頃から告知を勧められるらしいけど、それって本人にそういう認識がなかったら出来ませんものね。
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
当事者に対してする質問とは思えないので、う〜ん誰に言ってるのかちょっと判りかねます。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
私達が守ろうとしている子たちが、成人となった姿がここにはあると私は思っております。
ここに来て学ばせて頂くこと、本当にたくさんあります。
専門書には書いていない、でも私達が知らなければいけないこと。
本当に本当にたくさんあると思っています。
初めまして。
初めてここを見つけましたが,勉強不足でアスペルガーたる
症例等の事よくわかりませんが,不安があって書きこませて
頂きます。
私は,自分の生きづらさを長年,ずっと考えてきたモノです。
色々な病院へ行きましたが,自分を何かの病名や障害名などに
あてはめる事をずっとさけてきました。医者も特に何も言わないし。
それでも精神科では,不安を和らげる薬をもらったりしたりして
時々飲んだりして生きてきました。
「アスペルガー症候群」という診断は何科の先生が下す判断ですか?
教えて下さい。そしてどんな治療法があるのでしょうか?
当方,都内在住です。良い病院等ありましたら教えて下さい。
私も弟も ずっと生きづらさを背負ったまま なんとか
生きている状態です。よろしくお願いします。
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