アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
I wrote:
> 「煽り」というのは、「自分」というもののない人間が、他人の尻馬に乗って目立とうとするタイプの発言者であるといえます。だから、他人の発言を長々と引用して、「共感します」「その通りです」とか言って、だらだら感想を垂れ流す、というのは本質的に煽りと同じことなのね。
あめさん wrote:
> はあ…。すいません。文章の内容がよくわかりませんでした…。
ごめんなさい。わかりにくく書いてます。m(_ _)m
> 「煽り」というのは、「自分」というもののない人間が、他人の尻馬に乗って目立とうとするタイプの発言者であるといえます。
そもそも、「煽り」というのは、喧嘩の際に「そうだ! やっちまえ!」とかいって騒ぐくせに自分は参加する気もなければ責任を取る気もなく、騒動が激しくなってめちゃくちゃになれば面白いと思っている奴の同類だといえます。あるいは騒動に乗じて石を投げてみたりする奴の同類、です。「暴れたい」「めちゃくちゃにしたい」という欲望を、自分が責任を引き受けることなく満たしたい奴。そういう奴です。
> だから、他人の発言を長々と引用して、「共感します」「その通りです」とか言って、だらだら感想を垂れ流す、というのは本質的に煽りと同じことなのね。
これをあからさまに書いてしまうと、「それは私のことか?」という人が必ずや二人や三人出てきてしまうのであまり書きたくないのだけれど、「これこれこうこう、かくかくしかじかの理由で、××はいかん」みたいな書込みがあると、それを丸ごと引用したあげく、「そうだ、××なんていうのは人間として最低の行為だ! このあいだも……」とかいって文章が始まり、その後に続く文章が××とどういう関係があるのかさっぱりわからない、とかいったレスがあったりするのですよ。まあ、こういうのは文章を書いている途中で何について書いているのか分からなくなっちゃったとか、本当は後段の文章をアップしたかったのだけどきっかけが掴めずにいて、××の話題が出たので関係がありそうだと思ってアップしてみたもののほとんど関連がなかったとか、そういう場合もあるのですけどね。つまり、本人の中ではなんとなく脈絡があるという。
こういうの、本人の気晴らしにはなっているんだけれど、議論の本筋がどっかへ行っちゃうという点では“破壊的”です。
発言はしたいのだけど、掲示板の発言に「乗れない」うえに反論されるのも怖いために発言できない目立ちたがり、というのが、「煽り」になるように思います。そういう人には文章力を磨き、人生経験を積んで創造性を養ってもらいたいと思います。社会のために。
(Maria)
最近多忙すぎて、なかなかすぐに反応できない……。こうもり
です。
よし(陽疾)さん wrote:
>>>ここに関しては、大いに共感する。
>「ここ」ってのは
>> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにある
>>ようにしか、私には思えてなりません。
>という部分。ただし、ADD/ADHD、AS系のサイトで散見され
>ると言う意味で、館のメンバーにそんな人が多いなどと思ったことは
>ありません。
なるほど。123さんのコメントはアスペの館のメンバーに向けて
の非難だったので、このサイトだけの問題点を指摘されているのかと
誤解しておりました。
>これは誤解です、200%。
>123さんが(おそらく)考えているところの「切実」さが、彼女
>は、館のサイトに見つけられなかったのだと考えています。
上記のような行き違いがあったための誤解だったと思います。この
点についてはお詫びします。
追加ですが、これはよしさんのコメントに対してではなく、123
さんのコメントに対して思うこと。わたしの知り合いに子供の頃母親
から青酸カリを飲まされて、母親は精神病院に入院し本人は施設に預
けられ、結婚後も障害が子供に遺伝してそのことで妻から虐待された
末に離婚危機に陥ったことがあるという障害者がおります。なんか話
を聞いているだけでハードな障害者なのですが、その人はいつも深刻
で切実な話だけをしていた訳ではありませんし、いつも深刻に思い悩
んでいる訳ではありません。楽しいことがあればそれなりに楽しんで
いるし、けっこうヨタ話や馬鹿話をして盛り上がることもあります。
お気楽な話をしている障害者が必ずしも何も背負っていない障害者で
あるとは限らないんですけど、その点は残念ながら123さんには伝
わらなかったみたいです。ふう……。
かくいうわたしは、掲示板には抽象的な悩み事しか書かないと専ら
の評判なのですが、それは具体的な悩み事ならば、自己対策を立てる
か「障害ゆえの困難なのだから仕方がない」と運命を受け入れるかの
どちらかの対処をしてしまっているため。けっきょく、答えが見つか
らないような抽象的問題だけが掲示板上に表出してしまっているとい
う感じです。
掲示板で交流しているのだから、掲示板に書いてあることから他者
のことは判断していくしかないのですが、掲示板に書いてあることだ
けがその人の全てではないことは確かです。中には暗い人生を送って
いるから掲示板だけでは明るく盛り上がりたいという人もいるかもし
れませんし、掲示板ではおしゃべりな人が実は普段は寡黙だったなん
てこともありえます。今回の件にはそんな誤解もあったように思えま
す。残念
長々としたコメントで手間を取らせました。失礼しやす
Mariaさんへのレスでも書いたのですが、私は読字障害+読解力が欠如しているところがあり、
正直、あんくさんの文章は難しかったです。
でも、できればひとつひとつ答えていきたいので、
まだるっこしいかもしれませんが、大目にみてくださるとうれしいです。
あんく wrote:
>> オマエはただのハウンドドッグ
>> いつも吠えているだけ
>> 女をつかまえたこともなけりゃ
>> オレの友だちでもない
>> (ハウンドドッグ/エルヴィス・プレスリー)
>>
>>
>>笑ってやりましょう。
>>ハウンドドッグ君に幸あれ!と。
>
> このような引用では、大友康平率いるジャパニーズ・バンド、Hound Dogも顔色なしであろう。
確かにね。これはちょっと誤解をうけるかなあと思ったんですけど、
一応書いてあるとおり、エルヴィスのロックなんですよ。
たまたま、「そして音楽がはじまる」という番組でやっていて、
「おお、ぴったりだ!」なんて思ってつい引用してしまったわけですが、
まあ、これは私が軽率だったかもしれません。
ハウンドドッグファンの方、ごめんね。エルヴィスのファンの方へも。
>>逆に相手にされないと、深く傷つくんでしょうなあ、こういうタイプの人は。
>>「なんだよ?!どうして誰もレス返してくれないんだよ!!誰か俺にかまってくれよぉ!!!!!」
>>とかって(爆笑)
>>目に見えるようです。
>
> あめさんは、下の投稿をご存知であろうか。蝙蝠(観察型)さんのコメントの、コピペなのだけれど。
>
>Re: Asといふもの 13722へのコメント
>No.13724 Thu, 8 Aug 2002 18:12:29 +0900 (゜Д゜) ハア??
>
>名無しさん_ wrote:
>>荒らし・煽りに反応するレスも荒らしの一部です。
>>放置を覚えましょう。
>>放置プレイ(;´Д`)…ハァハァ
>
> つまりはこ奴は、「自分は放置してほしい荒らしの変態です」と、わざわざここでまでカミングアウトしに来ているようなものなのだ。そして蝙蝠(観察型)さんのコメント。
>
>SMのことをほとんど理解できていないんだな。放置プレイとい
>うのは普通、放置する役の人が放置される役の人の欲求を満たさな
>いように行動することに意味があるんだぞ、と。
>
> というわけ。これを利用しない手はないのだ。放置して欲しがる阿呆は逆に徹底的に構って構って構い抜いてやったほうが、よっぽど効くのだ。
う〜ん。SMのことはよくわからないけど(笑)
つまりMariaさんが言ってたみたいに、「荒し」にはいろいろなタイプがあって、
で、(゜Д゜) ハア?? さんに対しても、まず、(゜Д゜) ハア??さんのタイプを見極め、それに見合った対処法をすればよいのだ、ということですね。
> ここにレスをつけてきているということは、あめさんもご覧じておられるはずなのだが、我々で包囲して返り討ちを食らわせてやって以来、思惑通り彼らも鳴りをひそめている。しかし、すぐにまた免疫をつけてくるか、第二、第三の荒らしがやってくるのでは、ということについては、心配にはあたらない。
> 確かに荒らしの手法というのは、無限大に存在するように見えるが、きゃつらのはステレオタイプというかワンパターン、つまるところは「猿真似」に過ぎないのに対し、こちらで手薬煉引いて用意しているものは、知力に根ざした「切り返しのヴァリエーション」なのである。
> 今のところは、見せない。くっくっく。
あの…。すみません、ツリー見ていただけるとわかると思うんですけど、私がレスつけたのは、(゜Д゜) ハア?? さんのコメント(とそれに続く2,3のレス)を直接見て直接レスしたので、実は彼に対して掲示板の方々がどのような対処法を取られたのか、知りません。
(いっちばん最初にレスした後で、ありゃ?下にもレスがある!と気づいた…。まあ、これは私の不注意ですな)
これ、書き終わった後、読んどきますね。
(いや、読んでからこれカキコしたほうがよかったかも?軽率…(;_;))
> ということで、多少前置きが長くなってしまった。
> 今からさせていただく、短いお話は、私の中坊時代におけるエピソードです。
> その日の終わりのホームルームの時間、私は困り抜いておりました。なぜかといえば、机の横に掛けておいた、体操着袋が無くなっていたからです。どうせいつものように、誰かが私に意地悪して、隠したのでありましょうが、ともかく私は手を挙げて、「私の体操着がありません」と、先生に言いました。
> その途端、教室中で、笑い声が起こりました。ふだん緘黙の私が「発言」したことへの面白半分の気持ちもあったでしょうが、あんくという子は、本人の気持ちはともかく「変な子、笑い者にしてもいい子」というキャラクターが、クラスの中で、そのころ確立していたのです。
> 私はその時、笑われたことに対して、俯きつつも、「なんで笑うの」と、クラスメート達に向かって、大声で抗議しました。新たに笑い声が起こり、ますます大きくなりました。笑い声の中、ふいに、クラスメートの一人、ふだん教師たちにも手に負えないと思われている、不良で通っていたゴロ巻き少年のジュンヤ(仮名)が、「(体操着盗った奴は)あんくのならいいと思ったんだよ」と、大声で言いました。その途端、クラスの中が、一瞬しんと静まり返りました。
> あんくはと言えば、あの嘲笑の嵐の中、ジュンヤ少年が発言した強さ対する感謝と、一言でクラスを黙らせた痛快さとで、今まで感じたこともない、暖かい光が、凍てついていた心に差してきたことを、いまでもありありと思い出します。
>
> 分かりますか。ジュンヤ少年の言葉の意味。つまり彼はちょっと見、当事者であるあんくに対してすら突き放したようにも思える物言いで、「お前らはあんくっていう弱い奴のことなら、いくら踏みにじってもいいと思ってんだよな」と、何も考えず笑った子供らに、グサリと返したんですね。
> 学校ではツッパって、誰も理解してくれない辛さを抱えた不良少年ならではの、ある種共感のこもった思いやりだったのでしょう。
> 今思い出しても、いつもちょっと冷めたような顔立ちをしていた彼があんなことをするなんて、意外だったし、もちろん少なくとも私がそれと気付く形で助けてくれたのは、後にも先にもあれ一回きりだったけれど、それ以来、彼を見る目が変わったことも、今に至るまで私の心の支えとなっていたことに、今の自分自身が気付いたことも、確かなのです。中坊の私は絶望的なほどに関係回避の子供だったし、相手だってあんくみたいな変わり者と関わるのはごめんだろうと思ったから、直接お礼は言っていないけれど。
すんません。このエピソードにはちょっと泣いてしまいました(;_;)
そうですね、理由は違えど同じく孤立しているあんくさんを見て、彼は我がことのように怒りを感じたのでしょう。
ジュンヤ君という人に出会えて、あんくさんは良かったですね、と心から言いたい。
> この世は悪意で満ちている=悪意=多数派=強い→寄らば大樹の陰あるいは触らぬ神に祟りなし、という、「悪意の腰巾着」的発想を断固拒絶して生きようとすると、ジュンヤ少年のように、けして平坦ではない人生を歩むことになってしまうのかも知れません。しかし、悪意に堂々とケンカを売り、戦える人の心を、私は愛するし、尊敬します。そして自分自身も、同じくらい強くなりたい。そしてここに集まる人たちの一人でも、「読んで楽しい、元気が出るケンカ術」に共鳴し、「もう一度だけでも自分の人生を戦ってみようか」と思う者が出てくれれば、それ以上の幸せはないのです。
「読んで楽しい、元気が出るケンカ術」、いいですね、私はそういうの大好き。
脱線しますが、私はこのあいだ、高速バスの待合室で、並び順に対して大声でぶちぶち文句を言うヤーさん風のおっさんに
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるせぇんだよ!」
とタンカ切ってしまいました。病院に行くところだったからイライラしていたし、そのおっさんの幼稚な振る舞いにむっかーときてしまって。(いかんですな、この短気な性格。)
まあ、そのあと、傘でもって暴力をふるわれてしまったんだけれど。
でも、ちっとも痛くなかった。心も体も。そのあと、バスが来るまで、ギリリとおっさんをにらみ返していたら、「あたまおかしい」みたいに言われてしまった。
周りの人も見てみぬふりってかんじで何にも言わなかったけれど、ただひとり止めに入ってくれたひとが、バスに乗っても「となり、いいですか?」なんて言って座ってくれて。
その人はおっさんに「あんたも物好きだな」なんていわれていた。
私は誰に理解してもらわなくてもかまわなかったんだけど、
(だってずっとそういう人生だったし)
ただ一人、私に理解のようなものを示してくれた人に対して、すごいうれしい気持ちを感じた。それだけで私は充分だったんですよ。
残念ながら、私はその人にどう接していいかわからずに
一言も声をかけられなかったんだけれど、
「止めてくださってありがとうございました」っていうべきだったかな、と
あとから後悔しました。
> それが果たしてあめさんであるのかどうかは、私には知る由もないのだけれど。
ハハハ、私は単なる気の短い、男みたいな女です(笑)
>>14274
ブラクラ
…といってみるテスト。
http://www.partyline2001.com/bbs5/3210/
読解力のなさ+読字障害なので、すみませんが、ひとつひとつ確認しながらコメントさせてもらいますね。
ASの人にはまだるっこしいかもしれませんが、
大目に見てもらえるとありがたいです。
Maria wrote:
> あめさんと14267さんは「荒し」と「煽り」をごっちゃにしておられます。確かに「煽り」も「荒し」の一種ですが、通常「荒し」といったら「煽り」を主導するタイプ。
なるほど。
「煽り」と「荒し」は違うものであり、
「煽り」を主導するのが「荒し」なのですね。
> で、あたしの分類だと、あめさんも14267さんも、「煽り」(間接的な「荒し」)に属してしまうのですよ。
ということは、私は知らぬ間に「煽り」をやっていたということ…ですか?
>さらに、(直接的な)「荒し」にもいろいろタイプがあって、「正面からツブして>やらないと、しつこく絡んでくる」というタイプもいます。
ふむふむ。
それは「(゜Д゜)ハァ!? 」さんがもしそういうタイプだとしたら、無視するのでは意味がなく、「正面からつぶして」やらないといけないということですね。
> 「煽り」というのは、「自分」というもののない人間が、他人の尻馬に乗って目立とうとするタイプの発言者であるといえます。だから、他人の発言を長々と引用して、「共感します」「その通りです」とか言って、だらだら感想を垂れ流す、というのは本質的に煽りと同じことなのね。
はあ…。すいません。文章の内容がよくわかりませんでした…。
> で、「荒し」にも、「相手の反応を見て楽しむタイプ」以外に「相手の心理を想像して楽しむタイプ」というのがいて、後者の例としては「クラッシャー」タイプというのがいます。で、中には、「無視されたり反論されたりするとクラッシャーに化ける」というどうしようもないのがいて、こういうのは掲示板のシステムそのもので防禦することでしか対処できません。
>
> また、「荒し」の中には次々と別人のふりをして連鎖的に書込みをしてゆくタイプ(発言に中身がないのと論調がベタなのでだいたい分かりますが)がおり、これなんかは本当に別人というか、似たような連中がひとまとまりで「荒し」を形成してたりするのでこの連鎖はどっかで断ち切らないといけません。
>
> なかには被害者・弱者を装ってというか、助けを求めるふりをして、助言を受けては「ええ、でも……」と相手の発言を拒絶するタイプの「荒し」もいます。これなんかは意図的なものではないので対処が難しく、その掲示板で一人でも引っかかっちゃった人がいると、その人が延々と絡まれて苦しめられたりします。で、そういう「被害者もどきの神経症的荒らし」は自分に関係のない発言にも、「それは私のことですか? 私のことなんですね?」とかいって絡んでくるからまた困ります。
>
> 「ただ黙ってやり過ごせばいい」という考えかただと、「叩き」タイプの「荒し」が横行して弱い人が書き込めない「荒れた」掲示板になってしまいます。「荒し」というのはおおむね創造性がない(創造性があったら他のことをやっています。もっともうちの Moto ちゃんのように、「荒し退治」に創造性を発揮する人もいますが)ので、行動パターンがステレオタイプだからその意味では対処が簡単です。
なるほど、です。
「掲示板荒し」というものが一種類ではない、ということなんですね。
だから、すべての「荒し」に、ひとつの手段で対応するのは無理だと。
私はこの掲示板には1ヶ月に一度の割合くらいしか来ないので、
今回たまたま「荒し」なるものを見てしまい、ついムカッとなって書き込んでしまったのですが、
今回は私の勉強不足&短絡的な行動だったようです。
もっかい、いろんなレス読んで出直してきます。
(文章読むの、つらいんだけど…ううっ(;_;)頑張るしかないか)
どういった会合になるのでしょうか。
私はいつも一人だったし、同じような人に会ったことがありません。
今になって高機能自閉だとか、アスペルガーとか、またADHDというのが話題になって勉強する機会ができて、
自分ってそれっぽいな、いや、そのものだと思いつつも、過去に出会った人たちで「そうなのかな」と思う人たちのことを思い出して、やっぱり違うような気がします。
今まで4人出会いましたが、自分みたいに中途半端に適応できてる人たちじゃなくて、明らかにコミュニケーション能力を持たない人たちでした。
うち一人は精神科に通って、入退院を繰り返していました。
だから今日まで自分の同類とは思っていませんでした。
私自身は自分の限界を超えなければそれなりに仕事もできるし、普段はなるべく人から遠ざかっているのでまったく生活に不都合を感じません。
言動に問題があるので、なるべく喋らないようにしているだけです。
隠遁生活に入って、時間の限られたパートで家計を助けるだけの生活なので、
ネット三昧を始めるまでは自分の同類がこんなにいるとは思いませんでした。
でも、生活費を稼いでくれる主人の上司がアスペらしくて何を求められているのか理解できず、苦労しているようです。
また私の友人で高校の英語教師はとても頭の良いアスペルガーだと思って観察しています。
私はいつも彼女の一方的なおしゃべりをうんうん、と聞いています。
私も言いたいことはあるのですが、なかなか隙を捕らえることができません。
皆さんは同類の人と直に会ってお話をしたことがありますか。
あめさん wrote:
あめさんは、この板を荒らす連中に対して反応している者のことは、ただただむきになっているだけだと、判断しておられる。ところがそうではない。
> オマエはただのハウンドドッグ
> いつも吠えているだけ
> 女をつかまえたこともなけりゃ
> オレの友だちでもない
> (ハウンドドッグ/エルヴィス・プレスリー)
>
>
>笑ってやりましょう。
>ハウンドドッグ君に幸あれ!と。
このような引用では、大友康平率いるジャパニーズ・バンド、Hound Dogも顔色なしであろう。
>逆に相手にされないと、深く傷つくんでしょうなあ、こういうタイプの人は。
>「なんだよ?!どうして誰もレス返してくれないんだよ!!誰か俺にかまってくれよぉ!!!!!」
>とかって(爆笑)
>目に見えるようです。
あめさんは、下の投稿をご存知であろうか。蝙蝠(観察型)さんのコメントの、コピペなのだけれど。
Re: Asといふもの 13722へのコメント
No.13724 Thu, 8 Aug 2002 18:12:29 +0900 (゜Д゜) ハア??
名無しさん_ wrote:
>荒らし・煽りに反応するレスも荒らしの一部です。
>放置を覚えましょう。
>放置プレイ(;´Д`)…ハァハァ
つまりはこ奴は、「自分は放置してほしい荒らしの変態です」と、わざわざここでまでカミングアウトしに来ているようなものなのだ。そして蝙蝠(観察型)さんのコメント。
SMのことをほとんど理解できていないんだな。放置プレイとい
うのは普通、放置する役の人が放置される役の人の欲求を満たさな
いように行動することに意味があるんだぞ、と。
というわけ。これを利用しない手はないのだ。放置して欲しがる阿呆は逆に徹底的に構って構って構い抜いてやったほうが、よっぽど効くのだ。
ここにレスをつけてきているということは、あめさんもご覧じておられるはずなのだが、我々で包囲して返り討ちを食らわせてやって以来、思惑通り彼らも鳴りをひそめている。しかし、すぐにまた免疫をつけてくるか、第二、第三の荒らしがやってくるのでは、ということについては、心配にはあたらない。
確かに荒らしの手法というのは、無限大に存在するように見えるが、きゃつらのはステレオタイプというかワンパターン、つまるところは「猿真似」に過ぎないのに対し、こちらで手薬煉引いて用意しているものは、知力に根ざした「切り返しのヴァリエーション」なのである。
今のところは、見せない。くっくっく。
ということで、多少前置きが長くなってしまった。
今からさせていただく、短いお話は、私の中坊時代におけるエピソードです。
その日の終わりのホームルームの時間、私は困り抜いておりました。なぜかといえば、机の横に掛けておいた、体操着袋が無くなっていたからです。どうせいつものように、誰かが私に意地悪して、隠したのでありましょうが、ともかく私は手を挙げて、「私の体操着がありません」と、先生に言いました。
その途端、教室中で、笑い声が起こりました。ふだん緘黙の私が「発言」したことへの面白半分の気持ちもあったでしょうが、あんくという子は、本人の気持ちはともかく「変な子、笑い者にしてもいい子」というキャラクターが、クラスの中で、そのころ確立していたのです。
私はその時、笑われたことに対して、俯きつつも、「なんで笑うの」と、クラスメート達に向かって、大声で抗議しました。新たに笑い声が起こり、ますます大きくなりました。笑い声の中、ふいに、クラスメートの一人、ふだん教師たちにも手に負えないと思われている、不良で通っていたゴロ巻き少年のジュンヤ(仮名)が、「(体操着盗った奴は)あんくのならいいと思ったんだよ」と、大声で言いました。その途端、クラスの中が、一瞬しんと静まり返りました。
あんくはと言えば、あの嘲笑の嵐の中、ジュンヤ少年が発言した強さ対する感謝と、一言でクラスを黙らせた痛快さとで、今まで感じたこともない、暖かい光が、凍てついていた心に差してきたことを、いまでもありありと思い出します。
分かりますか。ジュンヤ少年の言葉の意味。つまり彼はちょっと見、当事者であるあんくに対してすら突き放したようにも思える物言いで、「お前らはあんくっていう弱い奴のことなら、いくら踏みにじってもいいと思ってんだよな」と、何も考えず笑った子供らに、グサリと返したんですね。
学校ではツッパって、誰も理解してくれない辛さを抱えた不良少年ならではの、ある種共感のこもった思いやりだったのでしょう。
今思い出しても、いつもちょっと冷めたような顔立ちをしていた彼があんなことをするなんて、意外だったし、もちろん少なくとも私がそれと気付く形で助けてくれたのは、後にも先にもあれ一回きりだったけれど、それ以来、彼を見る目が変わったことも、今に至るまで私の心の支えとなっていたことに、今の自分自身が気付いたことも、確かなのです。中坊の私は絶望的なほどに関係回避の子供だったし、相手だってあんくみたいな変わり者と関わるのはごめんだろうと思ったから、直接お礼は言っていないけれど。
それでもあの時笑われて、あんくがいつものように傷ついたそぶりも見せず、何ひとつ抗議しなかったとしたら、ジュンヤ少年もああした形で発言する気にはならなかったことでしょう(それでも子供達に交じって笑ったりはしなかったかも知れないが)。
この世は悪意で満ちている=悪意=多数派=強い→寄らば大樹の陰あるいは触らぬ神に祟りなし、という、「悪意の腰巾着」的発想を断固拒絶して生きようとすると、ジュンヤ少年のように、けして平坦ではない人生を歩むことになってしまうのかも知れません。しかし、悪意に堂々とケンカを売り、戦える人の心を、私は愛するし、尊敬します。そして自分自身も、同じくらい強くなりたい。そしてここに集まる人たちの一人でも、「読んで楽しい、元気が出るケンカ術」に共鳴し、「もう一度だけでも自分の人生を戦ってみようか」と思う者が出てくれれば、それ以上の幸せはないのです。
それが果たしてあめさんであるのかどうかは、私には知る由もないのだけれど。
あめ wrote:
>相手にするだけ、こちらのエネルギーの無駄です。
>ほっときましょ。
>実際、社会にはこんなひと、山ほどいます。
>今回はたまたま「(゜Д゜)ハァ!? 」さんが、書き込みしたってだけのこと。
>おそらく外から迷い込んできたんでしょうな。(2ちゃんねるあたりっぽいな)
>犬が威嚇してキャンキャン吠えているようなもの。
>そして、そういう犬に限って、しっぽがだらっと垂れ下がっているものです。
>(ようするに臆病なのね)
>どうせ、書き逃げなんだから、
>ほっときましょうよ。
弱い犬ほどよく吠えるとはこう言う事なのだ
あめさん wrote:
> 相手にするだけ、こちらのエネルギーの無駄です。
> ほっときましょ。
14267さん wrote:
> 煽りの望んでいることは
> 「なんでもいいから、この煽りに反応してくれること」
> なのです。
あめさん wrote:
> そうそう。
> こっちが相手すればするだけ、向こうさんは喜ぶのね。
> 「やってる、やってる、ひっかかってきやがった」って。
> で、隠れてこっそり観察してるの。
黒Mariaでございます。
あめさんと14267さんは「荒し」と「煽り」をごっちゃにしておられます。確かに「煽り」も「荒し」の一種ですが、通常「荒し」といったら「煽り」を主導するタイプ。
で、あたしの分類だと、あめさんも14267さんも、「煽り」(間接的な「荒し」)に属してしまうのですよ。さらに、(直接的な)「荒し」にもいろいろタイプがあって、「正面からツブしてやらないと、しつこく絡んでくる」というタイプもいます。
「煽り」というのは、「自分」というもののない人間が、他人の尻馬に乗って目立とうとするタイプの発言者であるといえます。だから、他人の発言を長々と引用して、「共感します」「その通りです」とか言って、だらだら感想を垂れ流す、というのは本質的に煽りと同じことなのね。
で、「荒し」にも、「相手の反応を見て楽しむタイプ」以外に「相手の心理を想像して楽しむタイプ」というのがいて、後者の例としては「クラッシャー」タイプというのがいます。で、中には、「無視されたり反論されたりするとクラッシャーに化ける」というどうしようもないのがいて、こういうのは掲示板のシステムそのもので防禦することでしか対処できません。
また、「荒し」の中には次々と別人のふりをして連鎖的に書込みをしてゆくタイプ(発言に中身がないのと論調がベタなのでだいたい分かりますが)がおり、これなんかは本当に別人というか、似たような連中がひとまとまりで「荒し」を形成してたりするのでこの連鎖はどっかで断ち切らないといけません。
なかには被害者・弱者を装ってというか、助けを求めるふりをして、助言を受けては「ええ、でも……」と相手の発言を拒絶するタイプの「荒し」もいます。これなんかは意図的なものではないので対処が難しく、その掲示板で一人でも引っかかっちゃった人がいると、その人が延々と絡まれて苦しめられたりします。で、そういう「被害者もどきの神経症的荒らし」は自分に関係のない発言にも、「それは私のことですか? 私のことなんですね?」とかいって絡んでくるからまた困ります。
「ただ黙ってやり過ごせばいい」という考えかただと、「叩き」タイプの「荒し」が横行して弱い人が書き込めない「荒れた」掲示板になってしまいます。「荒し」というのはおおむね創造性がない(創造性があったら他のことをやっています。もっともうちの Moto ちゃんのように、「荒し退治」に創造性を発揮する人もいますが)ので、行動パターンがステレオタイプだからその意味では対処が簡単です。
やっぱり、「××には○○」みたいな、固定的な対応では対処が難しいと思います。相手も生き物ですから。
(Maria)
14267 wrote:
>煽りの望んでいることは
>「なんでもいいから、この煽りに反応してくれること」
>なのです。
そうそう。
こっちが相手すればするだけ、向こうさんは喜ぶのね。
「やってる、やってる、ひっかかってきやがった」って。
で、隠れてこっそり観察してるの。
逆に相手にされないと、深く傷つくんでしょうなあ、こういうタイプの人は。
「なんだよ?!どうして誰もレス返してくれないんだよ!!誰か俺にかまってくれよぉ!!!!!」
とかって(爆笑)
目に見えるようです。
ああして、誰かに反応してもらうことで、自分の存在を確かめているのかしら?
それにしては、やり方が貧相ですが…。
オマエはただのハウンドドッグ
いつも吠えているだけ
女をつかまえたこともなけりゃ
オレの友だちでもない
(ハウンドドッグ/エルヴィス・プレスリー)
笑ってやりましょう。
ハウンドドッグ君に幸あれ!と。
>>14266
>相手にするだけ、こちらのエネルギーの無駄です。
>ほっときましょ。
同意します。
煽りの望んでいることは
「なんでもいいから、この煽りに反応してくれること」
なのです。
(゜Д゜)ハァ!? wrote:
>┌──────────────────────────────────────────
>│:::::;:::: ヽ ノ │
>│:::::::::  ̄- - ̄ . │
>│:::::::  ̄ ̄ │
>│:::::: ミミミミミミミ ミミミミミ│
>│:::: ───〓──────〓〓─────〓
>│ ── ̄ ̄ │/ ̄●\ / │〆 ̄●ヽ │
>│ヽ ⌒⌒\ヽ───ノ /│ │───> .│
>│ヽ 〆  ̄ ̄ ̄ ̄ │ │ \──/
>│ \. │ │ │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>│ │ .. │ │ /
>│ .│ . . ─/ ヽ / < お前らホームラン級の馬鹿だな
>│ │ / \⌒\ ノ\ . / \
>│\/ヽ / \. / \
>│ │\ │ │ <── ̄ ̄ ̄──). /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>│ │ ヽ │ \ \++++++/ /
>│ .│ \ \────/ /
>│ / \ (────ノ /
>│ /│ \ . /\
>│ / │ \ <──── /│\
>│ノ │ \ / │ \
>│ │ \ / │ \
>│ │  ̄ ̄ ̄ ̄ │  ̄\──
>──────────────────────────────────────────
相手にするだけ、こちらのエネルギーの無駄です。
ほっときましょ。
実際、社会にはこんなひと、山ほどいます。
今回はたまたま「(゜Д゜)ハァ!? 」さんが、書き込みしたってだけのこと。
おそらく外から迷い込んできたんでしょうな。(2ちゃんねるあたりっぽいな)
犬が威嚇してキャンキャン吠えているようなもの。
そして、そういう犬に限って、しっぽがだらっと垂れ下がっているものです。
(ようするに臆病なのね)
どうせ、書き逃げなんだから、
ほっときましょうよ。
よし(陽疾)さん wrote:
>ごめんなさい、不快な思いさせたのなら。
>あくまで、「(私の見たところ)」なんでね。
ああ、不快なんてことはないです。言ったことがうまく伝わってなかったのかな、と心配だっただけですので、気にしないでください。
>おそらくのところ、123さんの言いたいことの主題は、
>「世の中にはもっと大変な境遇の人がいるのに、甘えるんじゃないよ!」
>「世間話に、うつつを抜かしていい身分だな、きみたち」
>でありまして、その他のことは、まあ、オマケなんですよ(私の見たところ)。
そう解釈していいんですかね?(すでにここからつまづいている)
もし疲れて八つ当たりされているだけだとしたら、よし(陽疾)さん の言われるように
>だから、彼女の真意とか、若干の誤解、矛盾、など質したり、確認するのは時間の無駄と私は判断しました。
>
>・彼女の哀しみ、怒りを共有してあげられる「アドバイス」、「仲間」、
>「そういうサイト」を紹介してあげるのが先決。論争は不毛にしかこの場合なりえないと考えたもので。それで、彼女が救われれば、いいことです。
>(でも、なかなか、そういうサイトとかないのかもしれないなあ、とは思います)
という対処で良いと私も思います。
123さんには、悪意は特に感じられないので(私には)、「荒らし」扱いをする必要はないと思います。少し発言に配慮がほしかったところですが。
おそらく123さんにはここのサイトが合わなかったのでしょう。
ここで、私がどうわからなかったか説明するのもアホらしいので省略しますが、「彼ら」「貴方方」の分け方が、曖昧な感じがしたのと、
何か肝心となる前提を言わずに枝葉の部分だけを並べられた感じで、
文章のつながりがかみ合わなくて「???」となってしまったのでした。
123さんを責めているのではなく(私も分かりにくいことをたくさん書いていると思いますし)、話は良く聞いてから返事をしないと見当違いの非難をしかねないので、「ちょっとまだ分からないわよ」という声をあげておこうと思ったのでした。
またまた役に立つことは何も書けませんで、
そういうことは他の人に任せて、文章解読に終始しているやんちゃんでした。
こうもり wrote:
> ええと、気になった点だけコメントします。他の点については異存が
>ないと思ってください。
>
よろしくお願いします。不快に思わせるとこあるかもしれませんが、意思疎通のためのためですので、ご勘弁ください。
>
>よし(陽疾)さん wrote:
>
>>ここに関しては、大いに共感する。
「ここ」ってのは
> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
という部分。ただし、ADD/ADHD、AS系のサイトで散見されると言う意味で、館のメンバーにそんな人が多いなどと思ったことはありません。
>>ASの館には、切実な話も多いが「知的社交場」的な側面が多分にあ
>>る。
>
> 文章による意志疎通だけが平均以上によくて、それ以外の手段による
>意志疎通(口頭での会話,表情やジェスチャーによるやりとり)に色々
>と困難を抱えているわたしにとって、文章だけでやりとりできる「知的
>社交場」というのはそれなりに切実なものなのだと考えてください。自
>閉度が高くオフ会に参加するのが困難な自閉人ならばなおさらです。
>
> あるいは、現在ひきこもり状態にあったり孤立している人がネット上
>だけでも共通の趣味を持つ仲間を見つけて興味のある話題に興じること
>を「切実ではない」と言い切れるでしょうか?
>
> そもそも知的な話題が好きだが、何らかの理由で一般の社交場に参加
>することができない障害者にとっては、ネット上の「知的社交場」は切
>実であり、「お気楽」と断じてしまうことはできないと考えます。
これは誤解です、200%。
123さんが(おそらく)考えているところの「切実」さが、彼女は、館のサイトに見つけられなかったのだと考えています。
「123さんの考える切実」と「私の日々考える切実」はてんで違います。
わたし(よし)には、仕事のちょっとしたミスや、スーパーで、買った物をレジ袋に詰め換えるを忘れて買い物カゴのまま店外に出てしまったりということさえ、「私にとっては切実」です(ちょっと大げさか?)
さらに恥じを忍んでいいます。わたしは「知的社交場的な楽しくも、時にシリアスな会話」」、「どうでもいいヨタ話」や、「心理学的な洞察」に興味があり、それが楽しみでアクセスしているのですここに。
ここにアクセスすることが私の楽しい生活の一部なのです。
(お気楽な人間は、とは私のこと)
そして、「政府の福祉政策とか」「障害者手帳」的な、「123さんが考えるところの『切実な』」な問題には正直恥を忍んで言いますが余り興味がありません。
日常生活的な意味では障害はほぼないので。
私は、ある意味、「興味本位」でアクセスしている、かなり最低な人間です。
(管理人さんが書き込み拒否したいと言うことであれば、残念ですが甘受します)
>
>>こんど、ADHDの人たちが自分たちで
>>『ひらめきすぎる人々(仮題)』という本が出されるようですが、
>>このタイトルには、個人的には抵抗を感じます。
>>劣等感にさいなまれるのも良くないですが、
>>ADHDに妙にアイデンティティとプラスイメージを
>>求めるのは自分には違和感があります。
>
> これは時と場合によります。自らが抱える欠点や困難や問題から目を
>反らしてプラスイメージを撒き散らすのは考えものですが、自分の欠点
>や困難や問題点を含めて自己肯定するというのであれば決して嫌味は感
>じません。また、自分をごまかすような楽観主義は嫌いですが、自分は
>この障害から一生逃れることはできないという達観や覚悟の上で生み出
>された障害者の楽観主義には好感が持てます。あるいは絶望を知らずに
>希望を語ることについては反発を感じますが、絶望を乗り越えて生み出
>された希望には畏敬の念すら覚えます。
>
> その『ひらめきすぎる人々』という本についてはどんな内容なのか分
>からないので、何とも言えないのですが。
こうもりさんの書かれたことが、ほぼ私の書きたかったことです。
文章があまりにも長くなりすぎると思ってってはしょりすぎたので、
関係者含め、一般の方にかなり不快感を抱かせる文章になってしまったようです。
すみません。
本の中身に期待です!(題名に違和感あるのはあいかわわずですが>しつこい自分)
こうもりさん wrote:
> 発達障害児の家族や職業的支援者がその発達障害児・者の発達の成長をあきらめてしまうと、発達障害児・者はそれを敏感に察知して、成長を止めてしまう。こうして発達が阻害されると、あきらめてしまった家族や職業的支援者は「やっぱり発達障害児・者はこの程度なんだ」という思いを強くして、さらに発達障害児・者への発達的アプローチをしなくなってしまう。その結果、発達障害児・者はさらに成長を止めてしまう……。
>
> このような悪循環がわたしの考える関係障害です。123さんの語る発達障害児・者のイメージを読んでいると、まさにこんな印象を受けました。
「関係障害」という言葉を使ったのはおれなので、おれ自身の見解も述べておこう。
おれは、「123さんは、子どもを問題児(行為障害のある子ども、問題行動を繰返す子ども)と見なすことで、かえって問題行動を誘発している」のではないかと推定している。これは幼児教育や看護の現場の人間に多いパターンである。
「説得によって相手が納得することで、相手の行動を変える」というのは、国際政治における和平交渉あるいは国交正常化みたいなもので、非常に気の長い努力を必要とするが、成功した場合は非常に安いコストで安定した関係が築けるという大きなメリットがある。
ところが、
1)双方の力関係がアンバランスである。
2)強い側が、弱い側の行動をコントロールできないことに怖れを持っている。
3)強者側が、手っ取り早い解決を望んでいる。
というケースだと、強者は「とりあえずガツンとやって、言うことをきかせる」という「恫喝外交」「砲艦外交」を行なってしまうのである。で、それに対して、弱者が「不当だ! 謝罪しろ! こっちの言い分も聞け!」というと、相手が自分のコントロールを離れてしまった恐怖から、ますます力に頼ろうとして攻撃的になるのである。
で、いったんそういう関係になると、あたかもイスラエル対パレスチナのような様相を呈してくるのである。つまり、悪化した関係が続くことから、
4)相手を説得する材料に乏しい。
5)弱い側が、過去の経緯から、相手に対して補償を求めている。
といった条件が加わり、パレスチナ(弱者である子ども)がやけくそなテロ(問題行動)に走り、イスラエル(強者である教師)はテロを押さえこもうと軍事力を行使し、それがますますパレスチナをいら立たせるのである。
こうもりさんが言うような、「発達障害児・者はそれを敏感に察知して、成長を止めてしまう」といったケースは、実際にはほとんどないのではないか、と思っている。発達障害児・者の多くは、単に放っておかれただけで成長を止めてしまうほどヤワではない。むしろ、成長しようと足掻いていながら、その方向が定まらないために「行為障害」「問題行動」と見なされて押さえつけられ、その戦いに疲れ果てたあげく無気力になってしまったのではないか。
アメリカでは、かつてLD児(「発達障害児」ではなく、「脳内微小欠陥」と考えられていた時代。まだADHDという概念ができあがっていなかった時代である)に対して精神安定剤を投与して“扱いやすく”することが普通に行なわれていた。それがリタリンという「治療薬」が登場することで、子どもの精神的活動を阻害することなく、ある程度正常に活動することができるようになったのである。リタリンの使用についていろいろと問題点が指摘されているが、「少なくとも子どもたちをかつてのような無気力な薬漬け状態に戻すよりはマシ」だし「リタリンを禁止し、安定剤も使えないとなると、子どもより先に親のほうが参ってしまい、子どもに対する虐待が大幅に増える危険性がある」という意見もあったりするのである。
「子どもを管理しやすくする」ことは「子どもを潰す」ことにつながりやすい。「よく管理された子ども」が、じつは「回復不能なほど気力を失ってしまった子ども」であったりするかもしれないのである。
そんなわけで、子どもの行動の背後にあるものに目を向けてほしいと思う。
(Mr.Moto)
ええと、気になった点だけコメントします。他の点については異存が
ないと思ってください。
よし(陽疾)さん wrote:
>ここに関しては、大いに共感する。
>ASの館には、切実な話も多いが「知的社交場」的な側面が多分にあ
>る。
文章による意志疎通だけが平均以上によくて、それ以外の手段による
意志疎通(口頭での会話,表情やジェスチャーによるやりとり)に色々
と困難を抱えているわたしにとって、文章だけでやりとりできる「知的
社交場」というのはそれなりに切実なものなのだと考えてください。自
閉度が高くオフ会に参加するのが困難な自閉人ならばなおさらです。
あるいは、現在ひきこもり状態にあったり孤立している人がネット上
だけでも共通の趣味を持つ仲間を見つけて興味のある話題に興じること
を「切実ではない」と言い切れるでしょうか?
そもそも知的な話題が好きだが、何らかの理由で一般の社交場に参加
することができない障害者にとっては、ネット上の「知的社交場」は切
実であり、「お気楽」と断じてしまうことはできないと考えます。
※最近、発達障害者のIT利用に関するミニシンポジウムにパネリストと
※して参加して気がついたことです。
>こんど、ADHDの人たちが自分たちで
>『ひらめきすぎる人々(仮題)』という本が出されるようですが、
>このタイトルには、個人的には抵抗を感じます。
>劣等感にさいなまれるのも良くないですが、
>ADHDに妙にアイデンティティとプラスイメージを
>求めるのは自分には違和感があります。
これは時と場合によります。自らが抱える欠点や困難や問題から目を
反らしてプラスイメージを撒き散らすのは考えものですが、自分の欠点
や困難や問題点を含めて自己肯定するというのであれば決して嫌味は感
じません。また、自分をごまかすような楽観主義は嫌いですが、自分は
この障害から一生逃れることはできないという達観や覚悟の上で生み出
された障害者の楽観主義には好感が持てます。あるいは絶望を知らずに
希望を語ることについては反発を感じますが、絶望を乗り越えて生み出
された希望には畏敬の念すら覚えます。
その『ひらめきすぎる人々』という本についてはどんな内容なのか分
からないので、何とも言えないのですが。
りるさん wrote:
>「障害児に関する仕事」をしている方々の中で、いったいどれだけの方が、
>「適切な関わり方と受容姿勢」の上に立ってそういった仕事をしておられるのか。
>私はずっと考えています。
発達障害児の家族や職業的支援者がその発達障害児・者の発達の成長
をあきらめてしまうと、発達障害児・者はそれを敏感に察知して、成長
を止めてしまう。こうして発達が阻害されると、あきらめてしまった家
族や職業的支援者は「やっぱり発達障害児・者はこの程度なんだ」とい
う思いを強くして、さらに発達障害児・者への発達的アプローチをしな
くなってしまう。その結果、発達障害児・者はさらに成長を止めてしま
う……。
このような悪循環がわたしの考える関係障害です。123さんの語る
発達障害児・者のイメージを読んでいると、まさにこんな印象を受けま
した。
発達障害児・者への支援方法は時代によって変化するし、今は正しい
と思われている支援方法が跡の時代から見れば間違っていたということ
もおこりうるでしょう。これはやむを得ないことなのだと思います。そ
れでも「周囲の障害の受容」と「その障害児に応じた発達を信じ続ける
態度」は時代を超えて重要なものなのだと思います。
やんちゃん wrote:
>よし(陽疾)さん wrote:
>>
>>
>>ASの館のメンバーからは、反論ばかりで、「彼女の言うことも分かります」、的な発言は(私の見るところ)なかったのは意外。
>
>あのー・・・、私、反論してないですよー。
>私が「よく分からない」と言ったのは、実際に「分からない」という意味で、
>「賛成できない」の婉曲表現じゃありません。(←このように受け取られる場合もある)
>何が言いたいのか、真意を測りかねている状態で、反論も共感もでてこないです。
ごめんなさい、不快な思いさせたのなら。
あくまで、「(私の見たところ)」なんでね。
だけれども、おそらくのところ、123さんの言いたいことの主題は、
「世の中にはもっと大変な境遇の人がいるのに、甘えるんじゃないよ!」
「世間話に、うつつを抜かしていい身分だな、きみたち」
でありまして、その他のことは、まあ、オマケなんですよ(私の見たところ)。
だから、彼女の真意とか、若干の誤解、矛盾、など質したり、確認するのは時間の無駄と私は判断しました。
・彼女の哀しみ、怒りを共有してあげられる「アドバイス」、「仲間」、
「そういうサイト」を紹介してあげるのが先決。論争は不毛にしかこの場合なりえないと考えたもので。それで、彼女が救われれば、いいことです。
(でも、なかなか、そういうサイトとかないのかもしれないなあ、とは思います)
・個人的には、「正論を振りかざす人間」という人は苦手なのです。
失恋のショックで自殺を考えている人に、「世の中には、食料もなく飢えている人もいるのに何悩んでるの?」これ正論かもしれないけど、どう考えてもおかしい。失恋の悩みには、それなりの重みがあります。「世の中にはもっと困っている人々が〜・・・」には反論できないけど。
私のサイトにも、「あんたはすごく恵まれてるじゃないか、オレ(仮にAサン)は○○や△△もできないんだぞ、甘えんな!」的な投稿がありました。私は、極悪、非道なので、
「障害が重い方が偉いのか!、私は自分自身のためにこのサイトをやっている。勝手に期待されて、勝手に失望されても困る。そんなに苦しんでいるならAさん自身のサイトでご自分の苦しみを語られたらいかがですか、共感される人もでてくるでしょう」なんて書いた。まあ、鬼ですね。私は。
そして、もうひとつの123さんの主題は
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>にしか、私には思えてなりません。
というところでしょう。
これは、いろんなASやADD/ADHDサイトのBBSサイトの
発言をみると、時々、私も123さんと同じ思いを禁じえないことがあります。
>それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
などと、時によっては、私も心の中で叫ぶ時があります。
こんど、ADHDの人たちが自分たちで
『ひらめきすぎる人々(仮題)』という本が出されるようですが、
このタイトルには、個人的には抵抗を感じます。
劣等感にさいなまれるのも良くないですが、
ADHDに妙にアイデンティティとプラスイメージを
求めるのは自分には違和感があります。
「やんちゃん」さんへの返事のつもりで書いた文章のはずだったのですが、それにかこつけて、自分の言いたいことだけを垂れ流した文章になってしまいました。
ごめんなさい。
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