アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
今日の産経新聞に、文部科学省(←何度見ても中途半端な名前だ)の調査で、小中学校の生徒のうちの6.3%がLDまたはAD(H)Dだということが分かったという記事が載っていた。
そこで疑問。
記事では「LD(学習障害)」をADHDと別のものとして説明していたのだけれど、(広義の)LDというのはADHDやASを含み、(協議の)LDというのは「認知障害」(PERCEPTIVE DISORDERとかCOGNITIVE DISORDERとか言うんじゃろか)と言いかえたほうがいいのだろうか?
(Mr.Moto)
グルンサさん、シベラスさんアドバイスありがとうございました。
ASである(本で調べているうちに、全く自分がASであると自覚しました)私は、ASである子供を理解出来ない状態になっていました。
言ってはいけないと分かっているつもりなのに、つい”ダメ”と言ってしまい、最近は彼ともうまくいっていません。彼への接し方を見直し、気長に付き合っていきます。また児童相談所等に相談に行き、彼の今後について考えていきたいと思います。
ありがとうございました。
シュッツ wrote:
>自閉症やASだけでは説明がつかないように思えます。
>もっと広く情報を集めた方がいいかと思います。
>ただし、自分に似ている例だからといってすぐに同じだと決めつけずに、十分過ぎるぐらいの吟味をすべきでしょう。
補足です。
素人考えなので正しいとは言えませんが、自閉症はじめ、いろいろなものが複合しているようにも思えます。
その意味でも、特定の例に似ているだけで、すぐに答えを出すのは難しいと思います。
みーこ wrote:
>シュツさんは愛情、友情など理解できますか?
自分なりの解釈はあるのですが、それが多くの人にとっての愛情・友情と同じとは限りませんし、むしろ違うものである可能性の方が大きいだろうと感じています。
>私はそれさえも理解できません。小さい時から家族愛っていうのさえも理解できていませんでした。
家族、特に親について、他人のうちで生活上の結びつきを持つ人という以上に特別な存在とは感じていませんでした。
ただし、自分の子供に対してだけは、愛おしいと感じます。
それが俗に言う家族愛かどうかは分かりません。
>好きな人、嫌いな人もいません。
これらは、私にはいます。
主に、自分にとって害になるかどうかで判断しているようです。
損得勘定と言ってしまえば冷たいのかもしれませんが、コミュニケーションの取りにくい社会の中での身を守る方法とも言えるでしょう。
>喜怒哀楽が前から感じられません。
>旅行に行っても楽しいと感じない。プレゼントをもらっても嬉しいとも感じない。悲しいことがあっても自分の事のことのように感じず、傍観者のように感じる。皆が怒るような場面に直面してもなんで怒っているのかも理解できない。
>そんな感じです。
>でも外から見たら普通に感じているように見えるとは思います。
>あと人が「〜〜だよねー」って言っても理解できません。
他人と同じ場面で同じ感情を持たないのはよくあることですが、喜怒哀楽が全くないという状態は、私にも分かりません。
気付かずに過ぎていただけかもしれませんが、そういう人にはまだ出会ったことがなかったので。
>これって本当になんなんでしょうか・・
自閉症やASだけでは説明がつかないように思えます。
もっと広く情報を集めた方がいいかと思います。
ただし、自分に似ている例だからといってすぐに同じだと決めつけずに、十分過ぎるぐらいの吟味をすべきでしょう。
私には答えを出すことはできませんが、多少の参考になればと思います。
Mariaさん wrote:
> 「社交性」が「相手(接客業においては、お客様)のルールを尊重・遵守する」こと、あるいはその逆の「(暴力や強迫などの手段を用いずに)自分のルールに相手を従わせること」なら、「社会性」は「相手のルールとこちらのルールをうまく摺り合わせる・折合わせる」ことであり、研究職の場合はより高度な(とはいえ合理的かつ実質的な)レベルでの社会性が要求されます。
>
> 別の側面からいうと、社交性は結果だけど社会性は手続き(プロセス)だという言い方もできます。
すごく納得がいきました。
私の場合でいうならば、私は「一応の社交性」は適応努力成果として会得しているが、それに至るプロセスである「社会性」の部分にやはり何らかの問題があったのではないかと思いました。かなり「努力」したし、「普通」とはズレた解釈をしつつ「折りあい」をつけてきたらしい。
「適応成果に程度の差はあれ、努力しなければ適応とその維持が難しい」ということが即ちPDDであるか否かのひとつの指標となる気がします。「普通」の人は合わせるだの順応するだのいちいち考えずに「人づきあい」をして、それで自分にも周囲にも問題がないらしいので。
また、「公的な関係/私的な関係」という分類も絡んでくるのではないかと思いました。
子どもなら人間関係に公私の別はほとんどないでしょうが、ある程度の年齢になると、「同級生・同僚ほか勤め先の人」等と、「プライベートな関係=家族、友人、恋人など」の区別にはどうしても直面することになりますよね。
つまり、
┃ 社会性/社交性(適応努力/成果)
━━━━╋━━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━
公私の別┃公的に社会性あり〜なし│公的に社交性あり〜なし
┠───────────┼───────────
┃私的に社会性あり〜なし│私的に社交性あり〜なし
というマトリックスのようなものが成り立つのかな、と
ためしに書いてみたところでなんだかわけがわかんなくなった・・・
わかんないながら自分はどうかと考えてみると
「公的社会性(プロセス)=問題あり(マニュアルを見つけられればOK)」
「公的社交性(結果)=なんとか適応(無理してるがとりあえず問題を起こしてはいない)」
「私的社会性(プロセス)=問題あり(私的な関係では相手の対応が非常に流動的なのでわけわからん)」
「私的社交性(結果)=問題あり(ごく限定的に非常に親密か、もしくはまったくつきあわないかのどちらか)」
というところかな、と。
結局わけがわからなくなってしまいました・・・。
深夜さん wrote:
>>では「社会性がある」というのは、いったいどんなことをさしているのでしょうか??
> 周りにいる人間とある程度「うまくやっていける能力がある」,つまり,「そこそこ人付き合いが出来る」という事ではないでしょうか?
> 特に接客業はコレが必要であるが,研究職はコレはあまり必要ではない。という事ではないでしょうか?
それは、「社交性」。
「社交性」が「相手(接客業においては、お客様)のルールを尊重・遵守する」こと、あるいはその逆の「(暴力や強迫などの手段を用いずに)自分のルールに相手を従わせること」なら、「社会性」は「相手のルールとこちらのルールをうまく摺り合わせる・折合わせる」ことであり、研究職の場合はより高度な(とはいえ合理的かつ実質的な)レベルでの社会性が要求されます。
別の側面からいうと、社交性は結果だけど社会性は手続き(プロセス)だという言い方もできます。「勝手にやっちゃって通してしまう」というのは世渡りのテクニックとしてはありうるので「社交性がある」と言えるのでしょうが、「社会性がある」とは言いがたいと思います。同じ結果を得るにせよ、交渉によって合意あるいは同意を得るのは社会性の点でより望ましいとみなされますし、オプティマルな(双方に利得のある)合意点を見つけて賛同を得る、というのは「高度な社会性を持ちあわせている」とみなされる行為です。
なお、社会性を発揮するには、その人が「公的な判断基準に拠っている」こと、社会的バックグラウンドを持ち合わせていることが認められる必要があります。固い言い方をすると、「バーゲニング・パワー(交渉における力)を社会性に負っている」わけです。だから、誹謗・中傷・名誉毀損などはその人の社会性を損ねる行為であると言えます。その意味で、社会的バックグラウンドなしに人をコントロールする犯罪者、すなわち詐欺師は高度に社交的で高度に反・社会的です。また、公徳心を持ち合わせない人間に対して社会性は無力ですが、社交性は有効です。
(Maria)
深夜 wrote:
> ついでですが,先ほど勉強しようと席について集中しようとすると,お尻の穴周辺の毛の感触?が気になりだし、これは今晩風呂上りに脱毛するから、それまで我慢していよう(そのときそのとき対処してると一日が脱毛と髪いじり?で終わるから・・)
リタリンはADHDのお薬です。深夜さんは触感が過敏すぎるんですね。
薬もいろいろあるようなので、慎重に対処して下さい。
私はすごく毛深いですが、気になりませんねえ。国外逃亡したのは毛を剃れと周りの人がうるさすぎるので、嫌になって自分よりもっと毛深い人と非日本人と結婚したくらい。(理由はそれだけではありませんが)
でも、やっぱり、夏でもずっと長袖、長ズボンです。
夫も私も「なんで毛深いの」と娘に聞かれると「あったかくていいでしょ」なんて
答えています。熊一家・・・。
アスペのこだわりとか過敏な触感かもしれませんが、あるいは心因性の強迫なんとかという行動かも。
あの、やたらに手を洗ってしまうやつとか。
原因はずっと別の心の奥底にあるのかもしれませんね。
尼さんも頭は剃るわけですから、男性・女性関係ないですよ。私の友人(女性)は仕事もやめたついでに、思い立って頭を剃ってしまいました。
ただ単に坊主になってみたかったとか。世の中いろいろな人がいるものです。
>では「社会性がある」というのは、いったいどんなことをさしているのでしょうか??
周りにいる人間とある程度「うまくやっていける能力がある」,つまり,「そこそこ人付き合いが出来る」という事ではないでしょうか?
特に接客業はコレが必要であるが,研究職はコレはあまり必要ではない。という事ではないでしょうか?
ついでですが,先ほど勉強しようと席について集中しようとすると,お尻の穴周辺の毛の感触?が気になりだし、これは今晩風呂上りに脱毛するから、それまで我慢していよう(そのときそのとき対処してると一日が脱毛と髪いじり?で終わるから・・)と決めてメモ帳などに「尻の毛」などとメモるわけですが,やはり、なぜか気になって集中できずじまいになるのです…。
>私は専門家でもないのに意見してすみません。
いえいえ,相談にのって頂き,有難う御座います。リタリンですか。。。よく聞くお薬の名前ですが試した事が無いので,一度医者に相談しようと思います。
>最近職場の男の子達が頭を剃って坊主頭にしてしまいました。
>ハゲてきたのが気になるとかで、すっきりして喜んでいます。
>受験に不利にならないようなら、一つの選択かもしれません。
これは私に関しては考えにくいですね〜。なんせ女性ホルモンに手を出すほど女性的?な性格ですから。。
はじめまして。
アスペルガー障害の診断が降りているのなら、主治医に相談して、薬を処方してもらってはどうでしょうか。
私は専門家でもないのに意見してすみません。
でも、ADHDのお子さんなどは受験やテストの時にリタリンを処方してもらって、頭がすごくすっきりして集中できたという話を聞きました。
最近職場の男の子達が頭を剃って坊主頭にしてしまいました。
ハゲてきたのが気になるとかで、すっきりして喜んでいます。
受験に不利にならないようなら、一つの選択かもしれません。
書き忘れですが,文章を読もうとすると,関係無いの無駄毛にイライラし出して,思考力0になります。私は大学受験生で今まで執念でやってきたのですが,さすがにこの状態では,受験も勝負になりません。私は大学再受験生であとがないのです。地方国公立の理系志望ですが,完全に駄目状態です。センターまであとちょっとしかありません。時間が無いです。助けてください。
天然パーマでひどく悩む20歳男性ですが,これってアスペルガー障害でしょうか?
例えば無駄毛の感触でイライラして夜眠れなかったりします(今…)。
精神科に通っているのですが,アスペルガー症候群だといわれました。ほんとにそうなのでしょうか?単なるわがままなんじゃないでしょうか?それとも何か他の精神病でしょうか。。私はあまりのイライラに,数ヶ月前女性ホルモンに手を出したりもしてしまいました。
…一体どうなのでしょう。ご意見よろしくお願いします。
AS(未診断)の夫を持つぱーこです、ごぶさたでした。
こちらでずいぶん、助けられて私なりに自分を守ることを覚え、
夫を好きなようにどうぞ、とばかりに距離をとってきました。
ですが、疲れてきて、こちらを時々拝見しておりました。
1ヶ月分をざっと読ませていただいて、やはり時々はお邪魔したいなぁ、と
思ったしだいです。
あさかぜさんへのいろいろなレス、他人事でなく読みました。
みーこさん wrote:
>シュツさんは愛情、友情など理解できますか?
>私はそれさえも理解できません。小さい時から家族愛っていうのさえも理解できていませんでした。好きな人、嫌いな人もいません。猫や犬などの動物を見てもかわいいとも小さい頃から思いませんでした。
>でも周りがかわいいっていっているからかわいい動物なんだと自分に言い聞かせていました。
たぶん夫もそうなのではないか、と思いました。
夫から見れば、私は加害者なのかなー。一緒にご飯を食べようと言うのさえ、
ためらわれるくらい、下向いて新聞読みながら3分ほどで目の前の気に入ったもの
だけを食べて、気に入らなければ捨てたり、遠くへ押しやったり・・・・
柿の種がご飯だったりで、最初はそれでおもしろがって
好きだというものを用意していましたが、へとへとです。
結局、食事作りに疲れています。何をしても文句か残すかです。
好きな時間に一人で好きなものだけを食べています。
豚肉からお米にかわり、韓国のり、納豆から、イモ類、最近はサンドイッチ。
同じ屋根の下にいてほしいのか、そういうものらしいからそうしているのか・・・?
>私の場合は両方だと思います。
>喜怒哀楽が前から感じられません。
>旅行に行っても楽しいと感じない。プレゼントをもらっても嬉しいとも感じない。悲しいことがあっても自分の事のことのように感じず、傍観者のように感じる。皆が怒るような場面に直面してもなんで怒っているのかも理解できない。
>そんな感じです。
>でも外から見たら普通に感じているように見えるとは思います。
>あと人が「〜〜だよねー」って言っても理解できません。
夫の場合も彼の父が倒れたのですが、長生きは醜い姿を晒すだけだ、とのたまい、
お見舞いにも行く気がなさそうです、この1ヶ月半。
夫の兄が倒れたときも、遠くでボーっと立っていて
ああはなりたくない、とご飯を食べない理由にしています。
彼は自分で『理性的だろう』と言ったことがあります。
息子が不登校を始めた頃いうので、「冷静」か「他人事」なのか多少の期待を持ちましたが、やはり第3者らしいです。
それでも常同行動があるのは、ストレスは感じているとうことなのでしょうね。
お金磨きは方法をいろいろ変えて、まだ、続いているようですが
同時に韓国語を勉強しています。
ほとんど自分の部屋にいて、会話することも不可能です。
いい終わらないうちにいなくなる。
愛情はわからないけれど、親切は愛情だと思っているかもしれません。
分からないものを責めても仕方ないなー。
暖簾に腕押し。
今まで子育てに追われていて、私がそんなに気にならなかっただけでしょうね〜。
好きにしてもらっていいけど、どこかで接点がないと今の私はくるしいなぁ。
せめて30分でも居間にいてほしいなぁ。
シュツさん、レスありがとうございました。
>私は「すべての事」ではないし、好き嫌いが全くない訳ではないですが、多少似た傾向があります。
シュツさんは愛情、友情など理解できますか?
私はそれさえも理解できません。小さい時から家族愛っていうのさえも理解できていませんでした。好きな人、嫌いな人もいません。猫や犬などの動物を見てもかわいいとも小さい頃から思いませんでした。
でも周りがかわいいっていっているからかわいい動物なんだと自分に言い聞かせていました。
>
>すべてに無関心と書かれていますが、逆に強度の興味を持つものは何かないでしょうか。
>対象によって、無関心なものとこだわる物との差が激しいという傾向が自閉圏に多く見られます。
強度に興味を持っているといるものは人を見入ることだと思います。
小さい頃から目が合わないように人に見入る癖がありました。
ただ見ているだけで、特に感情がわきません。
「ごっこ」遊びも苦手で人とは違う独自の世界に浸る癖もありました。
現状がよくわからずに、ぼーっと他のことばかり考えるような子供でした。
>無感動とは、自分の内部での自分独自の感動についてでしょうか、それとも多くの人が感動することに対して感動を感じることがないということでしょうか。
>私の場合には、前者はまあそれなりにはあるようですが、「独自」のものみたいです。
>後者は全てとは言わないまでも少ないようです。
>「共感」というものが私には実感できないのです。
>「共感する」とはどういうことかがよく分からないのですが、みーこさんの場合もそうなのでしょうか。
私の場合は両方だと思います。
喜怒哀楽が前から感じられません。
旅行に行っても楽しいと感じない。プレゼントをもらっても嬉しいとも感じない。悲しいことがあっても自分の事のことのように感じず、傍観者のように感じる。皆が怒るような場面に直面してもなんで怒っているのかも理解できない。
そんな感じです。
でも外から見たら普通に感じているように見えるとは思います。
あと人が「〜〜だよねー」って言っても理解できません。
これって本当になんなんでしょうか・・
みーこ wrote:
>私はすべての事に対して無関心、無感動です。
>ふつう人って好き嫌いっていう感情がありますよね?
>私にはそれがありません。
私は「すべての事」ではないし、好き嫌いが全くない訳ではないですが、多少似た傾向があります。
すべてに無関心と書かれていますが、逆に強度の興味を持つものは何かないでしょうか。
対象によって、無関心なものとこだわる物との差が激しいという傾向が自閉圏に多く見られます。
無感動とは、自分の内部での自分独自の感動についてでしょうか、それとも多くの人が感動することに対して感動を感じることがないということでしょうか。
私の場合には、前者はまあそれなりにはあるようですが、「独自」のものみたいです。
後者は全てとは言わないまでも少ないようです。
「共感」というものが私には実感できないのです。
「共感する」とはどういうことかがよく分からないのですが、みーこさんの場合もそうなのでしょうか。
他人の感情を数学的に分析して理解することで、「共感」の代用としていますが、全ての場合に上手くできる訳ではないです。
>これって何かの精神病ですかねぇ?
書かれていることは「症状」であって、それが「病」なのか「障害」なのか「性格」なのか、判断することはできないでしょう。
私はすべての事に対して無関心、無感動です。
ふつう人って好き嫌いっていう感情がありますよね?
私にはそれがありません。
どうしてかなぁ。。。
前からずーっとそうだったけど、今まで分かっているふりをして
いきてきました。
他人に合わせたりしながら・・・
これって何かの精神病ですかねぇ?
小さい頃からずっと私は人とずれているなって思ってきました。
みんなと同じようになりたいです。
あさかぜさん wrote:
経験者だという生の声を頂いて嬉しいです。
> 親であっても、我が子の障害を受け入れるまでにものすごく時間のかかる人もいるんだと思います。人によっては一生受け入れられない場合もあるかもしれません。
さっき、学研の冊子を読んだら、親がこどもの障害を受け入れるのにどういう
人格形成の経由をたどるかという文章が在りました。
(実践障害児教育11)
フロイト学説から始まり、まるで歪んだ2重の顔が出入りする豹変する母親の話し
です。
・・・それにしても、わたし自身、こういった教育とかどうとかいう分野自体
あまり好きでは無く引いてしまっていました。もっと自然な関係はないのかと。
そうそう。私、最近音楽に興味があって。
こう・・グッ!となんか吹き込まれて「生ける」「行ける」んですよね。
> わたしが「心の中の親殺し」ができるようになったのは、三十代になってからでした。自分が恐ろしくて一晩中泣いたけど。おそらく思春期の終わりだったろうと思います。
私はー。えっとお、「親殺しは一時の激情として冷静な判断で考えないと、
人としてやっぱり良く付き合いたいんし(親子ってすごく切ってそうカンタンに
切れない生理的なもんとかがあると思うんです。無理したくないしなぁ〜。)
向こうだって大人なんだから“信じてるよ!”っておもいたいしなー。
ただ、物理的な距離としての家は「離れた方が良いかも」と考えました。
あと。
・・・・んまあ・・、色々。
>それぞれ別の人格を持った人間なんだから、お互いのありようを尊重することでしか人間関係は成り立たないと思うのですが、そこを勘違いしている親というのも存在するんですね。
良い事言いますね!うおお〜あさかぜさん名言集第1回・・・なんちゃって。
だは。
そう、普通の人でもムツカシイというのに・。うむっ。
アスペ同士でもそうじゃろうなあ。空間を侵すな!とか。
気持ちの良い関係で地球上に存在してたいもんです。
> 星子さんは要望を述べているわけだから、ある程度距離を取りながらお母さまが歩み寄ってこれるやりかたを何とか見つけられるといいですね。星子さんも忍耐がいるかも?
結構、私多分強い子でして大丈夫ですよ。
余談。
昨日のお金持ち大富豪のテレビがオモシロクッテはまってしまった(爆)
やっぱ、金持ちは「何か」が違う・・!!鶏8羽から年間9000億になるとわ!
ニンゲンっておもしろいなっ!(感嘆)
今日はフリマでスーパーラバーズなんぞ言うブランドもの服をジャケットと合せて
3着¥2500で購入してハッピーでなんと地元の踊りに参加して舞い上がってしまっ
た。
真っ赤のジャケットなんかすげーかわいくってよ。(10代の時は外国人か?と言わ
れたこともあったな・・・よくワカラナイ。)
そうそう。アスペの人に向いてる職業ハナシ。
・デパートの電話交換手。→通訳ができて、同じことを機械的に言ってれば良い。
・ゴルフのキャディーさん→本で見たけどこういうヒトガ居るらしいよと聞いた。
お客さんの名前と趣味など何百人ものを覚えてしまう。
あまりにミスが無くきちんと覚えてくれるのでおっさん客に人気が
あり仕事以外で食事などに誘われるが、一切断るらしい。
色んな人間がいるもんですね。
あんくさん wrote:
> 子供には何の罪もないのに、これからの人格形成に、大きな影響を与えるのだろうな、と、思う。
大きな影響どころではない。既に人格形成上根本的なダメージを受けていると思われます。少なくとも思春期までならまだ取り返しがつきやすいはずです。そのまま成人してしまったら、その子が自力で悪影響から脱するのは非常に難しくなります。
> 今では私は、隣の家族は、「猿の家族」なのだと思うことにしている。
猿に失礼です。そういった、親として機能していない、単なる生物学的Pに過ぎない輩に、一個の人格を持った人間の養育をさせるのを容認してはならないと思う。
> 虐待をするからといって、その子と家族を引き離すことに、なにか意味はあるんだろうか?
少なくともその子のダメージがこれ以上大きくならないように抑えることはできます。バカ親はほっとくとして、子ども一人を救うことは加能ですし大きな意義があります。
> それにしても、私が一番嫌なのは、私が通報したら、自分たちの家庭の騒音が最も聞こえてくる、隣の部屋に住む、あの女のしわざだ!と、分かってしまうことなんだろうな。
それもよくわかりますが、あんくさんのしわざとわからないように、どうにかして通報することはできないでしょうか。
LD、ADHD、AS、そのほかスペシャルニーズの子どもが、正しい理解を得られずに、今、虐待されている。
それはそのまま、ここに来ている多くの人の過去の姿ではないかと思います。
星子 wrote:
星子さん wrote:
>今回の親との格闘(笑)理由は、
>・家が狭いので家族やってる人との距離感がなくストレス受けやすい。
>・ 私自身も鬱積するものが溜まっていてのストレス。
>で、
>なるべく外出して気晴らしすることを勧められました。
アパートの私の隣の部屋には、2Kのスペースに家族4人が住んでいて、一番下の子は、言葉の出るのが遅く、私の見たところでは、多動もある。昼も夜も問わず、毎日のように、母親が、「こらっ、片付けろッ!」「あっちへ行けッ!」など罵声を浴びせながら、その子をバシバシ叩いているようで、そのたびに、子供は、金切り声で泣き声を上げる。声の中には、怒りの抗議も含まれているようで、「そうだ、もっと怒れ!クソババアなんかに負けるな!」と、私も心の中で叫んでしまう。
子供には何の罪もないのに、これからの人格形成に、大きな影響を与えるのだろうな、と、思う。
今では私は、隣の家族は、「猿の家族」なのだと思うことにしている。猿よりまだ酷い。無学で、自分のこの(濁った)目で見たことが全てで、なんの理論も持たないまま、ただ子供を産み、ただ生きているだけの人間達に、「その子は発達障害です。特別な教育が必要です」などと言ったところで、救いはあるのだろうか?虐待をするからといって、その子と家族を引き離すことに、なにか意味はあるんだろうか?
彼らの家庭にも、わめき声、泣き声よりははるかに少ないけれど、笑い声だって確かにするのだ。教養の低い人間には、それなりの生き方があるのであって、分厚い本を押し付けてどうこうする、というものではないのだろう。
それにしても、私が一番嫌なのは、私が通報したら、自分たちの家庭の騒音が最も聞こえてくる、隣の部屋に住む、あの女のしわざだ!と、分かってしまうことなんだろうな。
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