アスペルガーの館の掲示板(旧)
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りるさん wrote:
>ただその場合、「PDDを受け入れることに悲嘆を感じる」人への配慮をどう
>したものかな、と思います。
>「できないことを数え上げる」ようなことになってしまうので。
>そこはそれぞれで越えてもらうしかないか…。
自分の欠点を見つめない障害受容と言うのはどうしても嘘になってしまい
ます。自分のいいところも悪いところも認めることができた時こそ、本当に
受容できたと言えるようになるのでしょう。
>PDDの子どもに関わって長いという医師は
>「得意なことを伸ばしていけば、苦手なこともそれについていくようにし
>て自然と底上げされていくもの」と言っていました。本当でしょうか。
微妙なさじ加減が必要みたいです。別の医師は「その子供の弱点を突つ
きだすことばかりに集中する」ことを戒めつつ、「長所と言うのは放って
おいても伸びるものなのだから、それだけに集中しない方がいい」という
戒めも行っています。自閉人が自分の欠点を見ずに自信を持つことも問題
という意味で理解しております。
一方、一部の自閉人の持つハイパー・レキシアなどはこだわり行動や興味
の限局など自閉症状の深淵から生み出された自閉人の財産であり、他人と関
わるためのかけがえのない武器。自閉症状だからと言ってやたらめったら取
り除いていいものではないことを教えてくれます。
周囲と合わせる部分と合わせない部分をうまく使い分けること。(とりあ
えず迷惑がかからない部分は合わせない)複雑ですが、このやり方が自分に
は合っていたみたいでした。
シペラスさん、はじめまして
?
>
> こないだ作業所で1時間ほど自由時間というものがあったので、みんなでSST(ソーシャル・スキルトレーニング)のビデオを見たのですが、興味津々と見ていたのは僕と好奇心旺盛なKさんの2人だけで、後の人は『取るに足らん…』というかたちで、寝入ってしまいました。
> 僕自身、障害者職業訓練センターというところで、6回あまりSSTを体験しているのですが、何か味気なく、実際の社会生活の中では、ほとんど役に立たないような気がしました。というか「こんなこと、既に使いこなせるよ…」って感じでした。
> またテレビのニュースで、やはりSSTということで、ASの少年に、老人の人へ席を譲らせる訓練をさせているところを撮っていましたが、何か一方的に彼を責めてしまっているようで、「これじゃ、絶対こいつはいじけて席など譲るまい!」というかんじでした。
>
そうですか。席を譲るという程度のことしかやらないのなら、それほど
期待できないというか、不十分ですね。自分がいったsocial skill
とは、自己主張をして自らの立場を守るにはどうすればよいかといった類のもので、席を譲る訓練はいらないです。そんなことやるくらいなら、顔の表情のつく
りかたとか、発声練習とかやったほうがいいと思う。
> 僕は、『メンタル系の障害』の人達へ、SSTをやる時には、常に、『般化の障害(類似性を検出してより有利に事をを運ぶことの困難さ)』ということがあるということを肝に銘じておくことが大切だと思います。
> 第一の理由は、どんな人でも『コミュニケーション能力』というものは、平坦なものではなく振動した波形を持っているのですが、メンタル系の障害の人は、その触れ幅が大きく、ある時は『とてもよくできました(^_^)!』だとすれば、またある時は『むっつり…(+_+)』、さらにある時は『喋り好き・回りくどい!!(@。@)』というように、evenさというものがないんです。だから、『今日これができたから、明日はこれより高度なものが…』という期待をせずに、『今日、最低限彼が学べることは…』ということを、常に確認しながら取り組むべきだと思います。
> 第二の理由は、『訓練』という閉鎖的な系と、『実社会』というオープンな系では、起こりうる事象の数の桁が違います。例えば、『席譲り』のトレーニングで、『お年寄りが、常に座ってくれる!』という前提で訓練を終えた子が、『いいです…』と辞退されたことに腹を立ててしまい、二度と譲らなくなってしまうということだってありえます。だから、同じ事象に対しての対処法は、必ず、一つではなくいろいろのケースががありえるということも、同時に考えさせる必要があります。
おっしゃるとおり。自分の社会的な能力の低さには、驚きを感じることすら
あります。
蓼食う虫さん、はじめまして
>私は今ある男の人をどのように理解すればいいのかわからないでいます。私は彼に、恋というよりも特別な愛情を感じています。彼とは二年以上恋人として付き合ってきましたが、彼の自分勝手で思いやりや配慮のない態度に傷つきすぎたので、最近私からさよならを告げました。先日私と彼をよく知る人が、彼はASであるということを私に指摘しました。(その方は医者でも、その関係の方でもありません。)
う、恋愛経験のない自分としては、『彼」がうらやましいと思います。
>>ASの人達はどのように恋愛をするのですか?その時どんな感情を持つのですか?
>どうかよければ教えてください。
自分の意見は参考にならないかもしれませんが、もし自分に彼女ができたと
したら、多分全面的にあまえるのでしょう。彼に思いやりや配慮がないという
のは、他人に共感する能力が未発達であるという、ASの弱点であるのだと
思いますが、よりをもどしたいと言ってるのなら、蓼食う虫さんに純粋な愛情を
持っているのではと想像しますが。
ぱわーさん、はじめまして。
コメントから、ご自身がASであると判断して差しつかえないでしょうか?
ぱわーさん wrote:
>いま、離婚するので、夫と、親権でもめています。私に、身よりは、いません。収入も、ありません。でも、引き取りたいです。だから、何か手に職をつけて、子供の養育費が、もらえなくても、食べていけることを証明しないと、不利です。おまけに、心細さから義兄に間に、入ってと頼んだために、子供は、どう見ても、夫が、引き取る事が良いと、言われてしまいました。あすぺるがーと、分かったらもっとふりです。アスペルがーには、子育ては、無理なのでしょうか?収入を、かくとくするには?義兄は、みかただと、おもったのに。・・馬鹿でした。夫側でした。夫側には、親、姉、親族だらけです。
どのような経緯で離婚に至られたのか分かりませんが、もめている場合には夫の側の親兄弟親戚はすべて敵に回ると考えたほうが無難かと思います。わたしは何年かのちに離婚する予定でじわじわと準備をしていますが、夫の親族からはぐうの音も出ないほど叩きのめしてやるつもりです。
それはさておき、離婚に関連した知識や情報が必要でしたら、「離婚」で検索して別のサイトをたくさんお調べになったほうがよろしいのではと思います。
ASには子育ては無理なのでしょうか?と質問なさった件についてだけ、ひとこと述べさせていただきます。そんなことはないと思います。ただし、できるだけ多くの味方あるいは支援者を見つけ出したほうが苦しさの度合いが違うという気がします。精神的にも経済的にも離婚はキツイです。それを乗り越えるための支援者はあったほうがありがたいと思うのです。でないと、母子共倒れになってしまう危険性があります。行政の制度もできるだけ利用するべきでしょう。
こうもりさん wrote:
>単なる興味で意見をだしているだけなので。
単なる興味、大いに歓迎です。ありがとう。
それを言ったら私も、単なる興味で作ってるだけ、ということになるかもしれません。
自助グループに参加しているわけでもなく、PDD関係で何か具体的な活動をしているわけでもなく、
まったくひとりで勝手にやっていることなので。
確かこうもりさんは何らかのネットワークに関わっておられたと記憶しているので(違ったらごめんなさい)、
もし加能でしたらそちらの方で広めていただけるとありがたいです。
といってももし大変でなければの話ですので、気になさらないでください。
とりあえず、明確にすべき点は「困っていること」「困難なこと」に絞っていこうと思います。
ただその場合、「PDDを受け入れることに悲嘆を感じる」人への配慮をどうしたものかな、と思います。
「できないことを数え上げる」ようなことになってしまうので。
そこはそれぞれで越えてもらうしかないか…。
PDDの子どもに関わって長いという医師は
「得意なことを伸ばしていけば、苦手なこともそれについていくようにして自然と底上げされていくもの」と
言っていました。本当でしょうか。
ビル・ゲイツさん wrote:
>恋愛にASの人も普通の人もあったもんじゃない!
>くだらない質問は止めにして下さい。
「くだらない質問」と決めつける理由はなんですか?
「恋愛にASの人も普通の人もあったもんじゃない」とおっしゃるのでしたら、
「恋愛とはどういうものか」ということを、詳しくわかりやすく説明していただけますか?
ちなみに老婆心ながら、存命中の著名人の名前をそのままハンドルにするのは私は賛成しません。
どんなに真っ当なことを書いても、
そういったハンドルによって「茶化している」「誇大妄想的」といった印象を与える可能性があり、
書き込みの内容そのものも、まともに受け取ってもらえない危険があると思うからです。
kotobu wrote:
>私はソーシャルスキルを使っていると思われるのをめにするとなぜか嫌悪感をいだいてしまいます。
>なぜかはわかりませんが。わざとらしく思えてしまうのです。
>自分でソーシャルスキルというものを使ってしまったと思う時もなにかいやな感じがします。
> 皆さんはどうなのでしょうか?
私は、ソーシャルスキルを実際にどの様に行っているのか全くわかりません。
子供にあなたは、アスペルガーだと告知していないので指導してくれる先生(言葉の教室)の所へも連れて行く事もできません。
行動や反応が違う時私が言って直させる事しか出来ません。
でも親子同士は、とっても難しくほとんどバトルです。
自分の言いたい事を最後まで言い切らないと気がすまない。
人が話しをしていても興味が無いと目が別の方向を見ている。
自分が正しい(自分を守る為の屁理屈がほとんど)と思う事は「だって、だって」と三十分でも言い続ける。
そんな時は、ソーシャルスキルの指導が受けられたらどれだけ良いだろうと、思っています。
親だけでは、限界を感じます。
蓼食う虫さん、はじめまして。
蓼食う虫さん wrote:
>彼にとって私という存在は「快」なのだと思います。
あくまで私の印象ですが、この表現に集約されるように思います。
私はいわゆる「異性とのおつきあい」というのを何度かしましたが、
それがはたして「恋愛」であったのかどうか、今ではまったく自信がありません。
「ヒトである以上、人並みに『恋愛』しなければ」という思い込みに駆り立てられていたことも多かったと思います。
「相手を切らしたことがない」というのが自慢だった時期もありました。
今は「恋愛」というものがどういうものなのかわかりません。
世間的には「理解して当たり前のこと」らしいので、解説そのものがないし、
きいても「考えるもんじゃない、感じるものだ、ただ『好き』なんだ」とかの
わけのわからない答えしか返ってこないし。
「生殖本能」といった説明の方がまだ納得できます。
私にとっては、「恋人」といった限定的なものでなく、「人と親しくなること」全般では
「信用できる(能力的・身体的に利用されているのではないという安心感を持てる)」
「なついている」ということが重要になっています。
それはつまり「その人とつきあうことが自分にとって『快』であるか否か」ということです。
私が今検討していること(成人ASのためのチェック)にも参考になりました。ありがとう。
あくまでわたしの例であり、多くの自閉人は違うと思います。
蓼食う虫 wrote:
>ASの人達はどのように恋愛をするのですか?
あまり恋愛をしたことはないのですが、
・あまり恋心を持った相手には親しげに話しかけない
・あまり積極的にアプローチしたこともない
・遠くから手助けするような関わり方をする
・比較的興味の一致を重視する
・相手がこちらに好意を持っていることが分からないと動かない
・あまりギブアンドテイクの関係になりにくい
というのが特徴です。どうりであまり恋愛できない訳だ……
・その時どんな感情を持つのですか?
うれしくてせつない。空想中にその女性の姿や言葉がしょちゅう
出てくる。急に相手が去ってしまったらどうしようと不安になるな
どです。この辺はあまり非AS系の人と変わらないだろうと勝手に
推測しています。
蓼食う虫 wrote:
>ASの人達はどのように恋愛をするのですか?その時どんな感情を持つのですか?
>どうかよければ教えてください。
はじめまして。
私はASの男性とつきあってますが、恋愛の感情と言うのは、ASだろーが、そうじゃなかろーが、同じだと思いますよ。
ただ、あなたの元彼(?)の態度が、ASの特徴に沿ったものなのか、そうじゃないのかは把握した方がいいですね。
ASの特徴を理解しておくと、不必要に傷つかずにすみますから。
ただ・・・私はそのおかげでたまに保護者と化してしまいますが(爆。
こんにちは。
(#17608:蓼食う虫様)
>ASの人達はどのように恋愛をするのですか?その時どんな感情を持つのですか?
>どうかよければ教えてください。
それはこちらが教えてほしいくらいです。
とは言いながらも、こちらもいろいろ手探りで頑張っています。
ひとまず、細かい質問項目への意見は省略し、大づかみな意見だけ
出しておきます。ちなみにレスの方は無理になされる必要はありませ
ん。単なる興味で意見をだしているだけなので。
りるさん wrote:
>●私は、こういった自己チェックで
> 「大人のASが自分の特性(主に『困っていること』)を把握する」
> 「『なぜ対人関係などの問題が起きてしまうのか』をできるだけ明確にする」
> 「できるだけ多くの人の意見をまとめて、専門的見地からの裏付けも加えるこ
>とで説得力をもたせる」
>○この目的のためにこういったチェック項目を作ることは役に立つと思いま
>すか?
思う。特に当事者が自分で把握できている問題だけでなく、自分が気がつ
いていない困難に気がつくことは大切だから。オフ会などで様々な当事者と
会って感じることの1つは、本人が特に悩んでいる部分というのはある意味
では本人が強く意識している分、大きな困難にはなっていない場合が多い。
気がついていないポイントの方が周囲との軋轢を生む原因になっていること
も多い。
>○他に「こういう目的に役に立つのではないか」と思うことはありますか?
例えば、言語性は高いが障害を自覚していない当事者の自己理解を深める
ためにチェックシートや知能検査の結果は役に立つとされる。もっとも、心
理学などに詳しい場合はこれらの弱点も知り尽くしているケースもあるのだ
が。
あるいは家族が未診断の当事者の障害を掴みかねている場合などにも家族
に実施することによって理解が深まる場合がある。
>●「この中にはないが、こういう質問も必要だ」と思うものはありますか?
>ある場合は、できるだけ具体的に教えてください。
・他人から頼みごとをされた場合に婉曲に断るスキルを持っていない。
・世間話についていけないが、興味のある話だけには俄然強い。
・集中力が鋭すぎて、何かに熱中している最中は他のことをに手がつかなく
なる。
・同時に複数のことをこなすのが苦手
などはわたしに見られる傾向です。自閉の特徴ともそれほどずれていないと
思います。
>●識字方面のLDを合わせ持っている方には、これを読んでもらうこと自体が
>難しい場合があると思います。
> そういう方の意見もきくためには、どうしたらいいと思いますか?
去年研究協力でDAISYという視覚障害者用のソフトの紹介を行いまし
た。視覚障害者向けソフトには音声機能がついていたり文字が見やすくなっ
ていて、LD,知的障害者のように読字に困難を抱える当事者にも役に立つ
可能性があります。もし、興味がおありでしたら、(社)日本リハビリテー
ション協会あたりに問い合わせてみてください。まあ、そこまでやらなくて
も
・掲載するHPに音声機能をつけておく
・文字はできるだけ大きく見やすい色にする
といった配慮をしておけば、何とかなると思います。
ビル・ゲイツ wrote:
>札幌に住んでいるアスペルガーです。
>自閉症協会札幌支部に入会しようとしましたが
>親の会としての性質のもので「ご本人の入会は無理」だと言うことです。
>アスペルガーはれっきとした自閉症なのにおかしな話ですね。
>で、別の組織を紹介されましたが、そこもやはり親の会の性質のものです。
>こうなったら自分で作るしかないのかな??
支部に断られた場合は、東京の事務局に申し込めば入会できるでしょう。
社団法人 日本自閉症協会
〒162-0051 東京都新宿区西早稲田2-2-8
高機能やアスペルガーを自閉症とはしたくない支部がたくさんあるようですね。
蓼食う虫 wrote:
>はじめまして。私は今ある男の人をどのように理解すればいいのかわからないでいます。私は彼に、恋というよりも特別な愛情を感じています。彼とは二年以上恋人として付き合ってきましたが、彼の自分勝手で思いやりや配慮のない態度に傷つきすぎたので、最近私からさよならを告げました。先日私と彼をよく知る人が、彼はASであるということを私に指摘しました。(その方は医者でも、その関係の方でもありません。)
それで気が済むのならいいのではないでしょうか…僕も彼と同じようなやつでした。
何回も失敗して、痛い思いをして、適切なレベルを覚えていくのが『恋というもの』です。
kotobu wrote:
>私はソーシャルスキルを使っていると思われるのをめにするとなぜか嫌悪感をいだいてしまいます。
>なぜかはわかりませんが。わざとらしく思えてしまうのです。
>自分でソーシャルスキルというものを使ってしまったと思う時もなにかいやな感じがします。
> 皆さんはどうなのでしょうか?
こないだ作業所で1時間ほど自由時間というものがあったので、みんなでSST(ソーシャル・スキルトレーニング)のビデオを見たのですが、興味津々と見ていたのは僕と好奇心旺盛なKさんの2人だけで、後の人は『取るに足らん…』というかたちで、寝入ってしまいました。
僕自身、障害者職業訓練センターというところで、6回あまりSSTを体験しているのですが、何か味気なく、実際の社会生活の中では、ほとんど役に立たないような気がしました。というか「こんなこと、既に使いこなせるよ…」って感じでした。
またテレビのニュースで、やはりSSTということで、ASの少年に、老人の人へ席を譲らせる訓練をさせているところを撮っていましたが、何か一方的に彼を責めてしまっているようで、「これじゃ、絶対こいつはいじけて席など譲るまい!」というかんじでした。
僕は、『メンタル系の障害』の人達へ、SSTをやる時には、常に、『般化の障害(類似性を検出してより有利に事をを運ぶことの困難さ)』ということがあるということを肝に銘じておくことが大切だと思います。
第一の理由は、どんな人でも『コミュニケーション能力』というものは、平坦なものではなく振動した波形を持っているのですが、メンタル系の障害の人は、その触れ幅が大きく、ある時は『とてもよくできました(^_^)!』だとすれば、またある時は『むっつり…(+_+)』、さらにある時は『喋り好き・回りくどい!!(@。@)』というように、evenさというものがないんです。だから、『今日これができたから、明日はこれより高度なものが…』という期待をせずに、『今日、最低限彼が学べることは…』ということを、常に確認しながら取り組むべきだと思います。
第二の理由は、『訓練』という閉鎖的な系と、『実社会』というオープンな系では、起こりうる事象の数の桁が違います。例えば、『席譲り』のトレーニングで、『お年寄りが、常に座ってくれる!』という前提で訓練を終えた子が、『いいです…』と辞退されたことに腹を立ててしまい、二度と譲らなくなってしまうということだってありえます。だから、同じ事象に対しての対処法は、必ず、一つではなくいろいろのケースががありえるということも、同時に考えさせる必要があります。
はじめまして。私は今ある男の人をどのように理解すればいいのかわからないでいます。私は彼に、恋というよりも特別な愛情を感じています。彼とは二年以上恋人として付き合ってきましたが、彼の自分勝手で思いやりや配慮のない態度に傷つきすぎたので、最近私からさよならを告げました。先日私と彼をよく知る人が、彼はASであるということを私に指摘しました。(その方は医者でも、その関係の方でもありません。)
アスペルガー症候群という言葉も聞いたことがなければ、いわんやその内容は勿論のこと知らなかったのですが、辞典で調べたところかなり、というか確かに彼に当てはまるものでありました。
先ほども言ったとおり、私は彼をすきです。別れるという形になった後も、彼は私とヨリを戻そうとするところから、彼にとって私という存在は「快」なのだと思います。
ASの人達はどのように恋愛をするのですか?その時どんな感情を持つのですか?
どうかよければ教えてください。
はじめまして、social skillがわざとらしいというのはもっとも
だと思うが、これがないために自分はいままで嫌がらせ・あざけり・
からかい・いじめ・中傷などを招いていたと思う。この世の中は
世渡りのうまい器用な人が有利なようにできているのだから、
それを現実としてみるべきだと思うが、他の人はどう思われますか。
17570で投稿した「当事者の立場からの、成人AS(またはLDやADD/ADHDを含むPDD)の自己チェック項目」について、
ご意見をおききしたい点を具体的にあげますね。
●私は、こういった自己チェックで
「大人のASが自分の特性(主に『困っていること』)を把握する」
「『なぜ対人関係などの問題が起きてしまうのか』をできるだけ明確にする」
「できるだけ多くの人の意見をまとめて、専門的見地からの裏付けも加えることで説得力をもたせる」ことによって、
→「対人関係などで問題が起きる危険をできるだけ減らす」
→「一般の人が理解しずらい問題が起きやすいということや、どうしても苦手なことなどについて、周囲に理解してもらう」ために
役立つのではないかと考えています。
理解してもらうためには、ある程度形になった「材料」が必要だと思うのですが、
成人ASは専門的にもまだ「はっきりしない」存在であり、当事者同士も「まとまっていない」と思うからです。
(「まとまるのが難しい」ことそのものがASの特質だと思いますが、
多少は社会経験もある大人の場合、ある程度「擦り合わせる」こともできるのではないかと思うのです)
○この目的のためにこういったチェック項目を作ることは役に立つと思いますか?
○他に「こういう目的に役に立つのではないか」と思うことはありますか?
○特に何の役にも立たないと思う場合、その理由はなんですか?
●「この質問はいらない」と思うものはありますか?ある場合、いらないと思う理由はなんですか?
●「この中にはないが、こういう質問も必要だ」と思うものはありますか?ある場合は、できるだけ具体的に教えてください。
●答えてみようとするときに、答えに迷うような質問や、「時と場合による」という答えになってしまうものはありますか?
ある場合は、どういうふうに迷うのか、たとえばどんな「時と場合による」のか、具体的に教えてください。
●識字方面のLDを合わせ持っている方には、これを読んでもらうこと自体が難しい場合があると思います。
そういう方の意見もきくためには、どうしたらいいと思いますか?
ビル・ゲイツさん wrote:
>アスペルガーは紛れもなく精神障害だと思う。
>けれども従来の精神障害とは違うもっと広いカテゴリーでの精神障害だと
>言う事を周知させなければいけない。
>周りからあまりネガティブに捉えられても困る。
この場合、ASだけを他の精神障害と切り離してイメージを良くしようと
するか、精神障害とひとくくりされる障害全体のイメージを底上げしていく
ことを目指していくのかは障害者運動みたいなことをやる上では重要な観点
です。前者はイメージが悪いものから離れようとする運動であるのに対して
後者はイメージの悪さそのものを変えようとする運動です。
わたしから言えることは後者の方が他の精神障害者を含めた衆人に理解さ
れやすい運動であるということだけです。では
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