アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 国名。 (アスペルガー共和国について) 3967へのコメント
No.3968  Sun, 8 Apr 2001 21:57:12 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

自己フォロー。

>だったら、「エターナル・ランド」とか。
Eternal Land(永遠の国)

ほかには、
「アルカディア」Arcadia とか。

#アルカディアは、実在した街だったですが。。


Re: 国名。 (アスペルガー共和国について) 3965へのコメント
No.3967  Sun, 8 Apr 2001 21:38:52 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

>Joshyaさん wrote:
>> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
>ぴよさん wrote:
>>私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。
>
> Joshyaでございます。また長くなっちゃったよー(T_T)。くるとさんゴメン。
>
> 「ネヴァーランド」だと、「決して実現しない」「あるいは二度と戻ってこない」という意味になってしまいます。「ピーターパン」に出てきたのは、"never land" ではなくて、"never-never land"。だから、「『戻ってこない』なんていうことはない」というのが、本来の意味なんです。確かに、そういう「おとぎの国」「夢の国」みたいな意味で使うことのほうが多いですけどね。

あ、そうか。(^_^);
だったら、「エターナル・ランド」とか。


Re: はじめまして! 3939へのコメント
No.3966  Sun, 8 Apr 2001 21:34:47 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

はじめまして。アスペ似のやんちゃんといいます。

keisyu wrote:
>私以外にもACと、アスペが似ていると思っている人がいたんだ!

アスペの子供は親の期待どおりにならなくて、「なんでちゃんとできないの!」「なんて冷たい子なの!」と理不尽に責められることが多い。
なので、実際に虐待をうけてACになる率も高いんじゃないのかな。
そうでなくても、ある程度の年齢になると、自分のありのままと、世間との違いがわかってきて、「普通」になろうと無理をしてしまったりする。それはACの方が周りの人の期待に応えようと優等生を演じてしまうのと似ているのかも。
ちなみに私自身も、ACの基準にかなり当てはまっていると思う。
ただ、幸か不幸か、何を期待されているかよく分からなかったし、分かってもあまり器用でなくて優等生になれなかった。

>私と感覚が似ている人と、7年前に結婚し、5年前に子どもが生まれ、その子が高機能の自閉症でした。
>そして、なんと主人は、アスペでした。

なんかいいなあ(というのは感覚が似ている人に出会えたことね)。
なかなか気の合う人に出会えないものね。
出会えたからといって、好きになってもらえるとは限らないしねー。ふぅ。


Re: 国名。 (アスペルガー共和国について) 3964へのコメント
No.3965  Sun, 8 Apr 2001 21:13:25 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

Joshya wrote:
> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
ぴよさん wrote:
>私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。

 Joshyaでございます。また長くなっちゃったよー(T_T)。くるとさんゴメン。

 「ネヴァーランド」だと、「決して実現しない」「あるいは二度と戻ってこない」という意味になってしまいます。「ピーターパン」に出てきたのは、"never land" ではなくて、"never-never land"。だから、「『戻ってこない』なんていうことはない」というのが、本来の意味なんです。確かに、そういう「おとぎの国」「夢の国」みたいな意味で使うことのほうが多いですけどね。

 (そういえば、『「もう二度と」なんて言わないで("Never Say, Never Again.")』という映画がありました。ひょっとして、007シリーズの中でショーン・コネリーがいちばんカッコよかった作品かもしれない。『アンタッチャブル』のコネリーもよかったし。)

 で、二人のジョン(バプテスマのヨハネとジョン・レノン)が言ってるのは、「もう我々はそれを手に入れてるんだよ。私たちみんなが考え方を変えるだけで、それは実現するんだよ」ということなんです。

 そういえば、諸星大二郎さんの『失楽園』という作品は、これがテーマになってました。私のイエス・キリストのイメージにいちばん近いのが、『失楽園』に登場する「沼」から来た男です。

 (ついでながら、諸星さんは『生命の木』という、もうひとつ別のキリスト教物語を書いています。ここに出てくる「白痴のキリスト」の「善次(「ぜずす」だったりします)」がめちゃくちゃよかったりします。諸星ファンの多くは、「みんな、ぱらいそさいくだ! おらといっしょにぱらいそさいくだ!」というセリフに思わず「ぜずさま!」「ぐろうりやのぜずさま!」と反応してしまいます。とはいえ「重太」じいさん(「じゅだつ」だったりします)の「おらもつれていってくだせ、おらもつれていってくだせ」のほうが出るひとも多いんですが。)

 なお、書く戦争後の世界を舞台にした遠藤淑子さんの『ヘヴン』という作品に登場する「ヘヴン(天国)」は、軍の施設である精神病院で、『時計じかけのオレンジ』や『BANANA FISH』に出てきたような人格改造のための実験施設だった、というオチがついてます。つまり、我々が住んでいるこの世界以外に「天国」を求めてもロクなことがない、というメッセージを発しているという意味で、『失楽園』と好一対の作品であるように思います。

 もう一つ。樹なつみさんの『OZ』では、一種の理想都市として描かれているのは『OZ(オズ)』です。もちろん『オズの魔法使い』に出てくる『オズの都』ですね。これに対して主人公が浮浪者の老人に聞かされた「この世で一番美しい風景」というのは「収穫の時を迎えた一面の麦畑」だったりします。
 遠藤淑子さんの『ヘヴン』と樹なつみさんの『OZ』には、どちらも人間そっくりで両性具有的なヒューマノイドが登場します。で、どっちの主人公も、ときどきそのヒューマノイドを「うらやましいなあ」と思いながら見ています。

 榛野なな恵さんの『Papa Told Me』にもロボットになりたがっている高校生の女の子が登場します。もしも、こういうひたすら愚直で誠実な存在だけが地上にいたならば、確かに地上は「天国」です。だけど、それは「与えられたもの」ではなく「選びとったもの」でなければなりません。だから私は「人間を家畜化する行為としての『教育』」は認めなかったりするわけです(私は教育そのものを否定しているわけではありません。念のため)。佐藤史生さんの『ワン・ゼロ』は、人間を家畜化しようとする『神(ディーバ)』に対する人間の「意志」の象徴『魔(ダーサ)』の意義申し立てという意味で、「誠実さ」と「意志」は矛盾しない、という主張のように思います。

 ひょっとしたら、ASというのは「進化した人間」なのかもしれません。ロボットのように愚直で誠実、しかも高い知性を持ちながら、動物的な怒りや悪意に基づく憎しみを持つことができない、という天使のような存在がASです。だけど、これが人格障害と結びついたものがいわゆるサイコパスである、と考えるとけっこう辻褄が合っちゃったりするから怖かったりします。『OZ』に登場する19(ナインティーン)はまさにこのタイプ。だけど19の最後はちょっと泣けてしまったりします。

 そんなわけで、ASのためのブックガイドでした。


Re: 国名。 (アスペルガー共和国について) 3963へのコメント
No.3964  Sun, 8 Apr 2001 19:47:41 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

Joshyaさん wrote:

> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?

私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。


Res:アスペルガー共和国について 3952へのコメント
No.3963  Sun, 8 Apr 2001 17:42:43 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 「アスペルガー共和国」の名前について。

 たとえば、「アメリカ合衆国」の「アメリカ」というのは、アメリゴ・ベスプッチという人の名前が元になっています。「インディアン」なんていうのも、コロンブスが最初にたどりついた場所をインドの一部だと思ったところから名付けられました。「エベレスト」なんていう名前も、イギリスの測量官の名前で、現地語では「チョモランマ」です。
 そういう意味で「アスペルガー症候群」というのは、ちょっとイヤな感じがあります。アスペルガーが見つける前から、「アスペルガー症候群」は存在してたわけですし、「アスペルガー症候群」は「病気」というより「変異」あるいは「タイプ」であり、むしろ内臓逆位(内臓の位置が左右逆)なんかに近いものですから。

 以前、この掲示板に「一つのパンを二人で分ける」話が出てきたときに、「交渉理論」における「オプチマルな交渉」という概念について述べたことがあります。キリスト教でいう(というより、イエス・キリストのいう「最も重要な掟」(マタイ・22:34−40)というのは、この「オプチマルな交渉」に帰着するように思います。ですが、「オプチミスト」というと「楽天家」(よく考えるといい言葉なんだけどね)という意味になっちゃうし、「功利主義者」というと「利己主義者」みたいに思われちゃうし、どうもいい訳語が出てこないんですね。でまあ、なんとかあてはまる言葉を探すと、「天の国の住人」ということになっちゃいます。

 福音書が書かれているギリシャ語では、「天」は「ウラノス」(天王星がウラノスですね)です。だけどなんとなく雰囲気が出ないように思います。
 で、考えたのがジョン・レノンの『イマジン』。天国なんていうものは存在しなくて、あなたがそう考えることでこの世が天国になる……そういうメッセージソングなんですね、あの歌は。『イマジン』を知らないひとでも、「狭いながらも楽しい我が家……」という歌詞で有名な『私の青空』という歌を知っているひとは多いはず。あれは『マイ・ブルー・ヘヴン』です。

 そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?

 (Joshya)


ひろた君へ 3953へのコメント
No.3962  Sun, 8 Apr 2001 12:37:37 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 Mr.Motoである。くるとさんゴメン。この手のRESにはサマリーがつけられん。わりと不毛な(というか、広がりのない)議論(しかもディベート的な議論のための議論)をしているので、つまんなかったら読みとばしちゃってください。

Moto wrote:
> だから、「よし、今夜は痛飲しよう」ということになって泣き・愚痴・ゲロの
>三拍子、みたいな「非日常」の世界においてならばそれは許されるのであるが、
>日常に戻ったらそれはすべて忘れねばならんのである。
ひろたwrote:
>痛飲は今の定義拡大的言葉づかいで、乱交といっていいのかな。 妻で無いの
>にいいのか?っとまずおもうわけですが、それは非日常であるから許されるわ
>けである。というのがここの論理だろう。
 どこからこういう素っ頓狂な誤読をするかなこの男は(-_-X)。
 泣きを言ったり愚痴をこぼしたりしてよい相手というのは親兄弟恋人つれあい親友あたりと決まっておるわけだし、赤の他人にゲロの始末までさせてしまうというのは社会人としてあるまじき行為である。「乱交」というのはその人間関係の領域を超えて「非日常」の関係を持ってしまうことだ。
 所長やKILROYはあらかじめここまで書くので文章がくどくなる。こういう素っ頓狂な誤読をする奴らがいるから所長やKILROYが落込むのだ。そこんところを配慮しろ。

>日本でも昔、祭りという非日常に乱交がおこなわれる村があったようだしね。
 ムラ的な共同体においては、抑圧自体が「罪」というところがある。そこで、「非日常」を共有することで境界をとっぱらうために「祭り」を行なうのである。

>(しかしじゃあ痛飲の時はくっちゃっていいのか?って話題もあるけれど悪趣味
>だから省略。)
 それは準強姦といって犯罪だ。貴様は織原容疑者か。
 男女の営みのことを「お祭り」というくらいだから、非日常を共有した場合、そういう関係に行っちゃう危険性は非常に大きい。したがって、そういう女性とはあくまでオフィシャルな場でしかつきあわん、というのが慎みというものである。
 「愚痴ぐらい聞いてくれたっていいじゃないですかぁ!」「そういうのは彼氏にでも相談するんだな」「だって、彼が聞いてくれないんですもん。」「だったらその彼を連れてこい。俺が説教してやる!」というのが正しい対応。
 「今晩は思いっきり乱れちゃいますからね、覚悟してください?」「そしたら姦っちゃって大人しくさせてやる」くらいの感じでスタートした場合、これはもう最初から「やる」体勢。したがって、乱れるはずがお見合いの後のデートみたいになってしまって、盛り上がらないことおびただしい。いよいよ、という段になって「脱ごうか?」「脱がそうか?」みたいに妙に遠慮がちだったりとか。かくも非日常を共有するというのは難しいものなのである。

>しかし、
>自分のある面がさらけ出されるのを恐れる事と、恥ずかしがる事、嫌悪する
>事、禁欲(禁止)する事とはすべて、全然違う話ではないのか。
 だからそう言っとる。それが「美学」というものなのだ。

>ある人は、親友と飲んで語り合うのは好きだが、繁華街に飲みにいくときは
>絶対誰も誘わず一人で行くという。つまり非日常に日常を入れたくないのだ。
>品性のある人ではないか。ここを非日常とみなしてる人でオフ会にはいきた
>くないって人もいるだろう。それも同じ事だよね。
 無名性あるいは匿名性の中に身を置くというのと、日常からの解放あるいは逃避とは別の話である。それを言いだすと、「旅の恥は掻き捨て」ということになる。酔ったあげくのケンカやゆきずりのエッチを私は認めない。
 北の波止場近くのバーで、きれいな標準語を話すマスターと二人きり。「お客さんは東京から?」「うん」「こちらにお知り合いでも?」「まあね。(ふっ、と遠い目をして)……マスターはこちらのご出身?」「(ふっ、と遠い目をして)……今夜は冷えそうですね。」
 こういうありがちな世界が、「嗜み」とか「慎み」の世界なのである。女も喧噪もないほうがいい。とはいえ同じような状況で、都会的でちょっとやさぐれた感じの美女(で、必ずロングコート着用のこと)が「マスター、お代わり!」「……身体はお大事にしてくださいね」「うるさぁい! 注げ!(沈黙)……ねぇ、あたしたいな女、どう思う?」「素敵ですよ」「ふんっ! だったら口説きなさいよぉ……(ぐずぐず)」なんていうのも許す。

>僕は品性を持った凛とした人(例;飲み会でもしらふでいるような人)を尊
>敬するし惹かれる。なぜなら自分にはあまり無いものをもってるから。品性
>とは恥ずかしがる事ではないだろうか。
 「酒を飲む」というのはアルコールの作用によって抑圧機構を麻痺させる行為なのだから、酒飲んで酔っぱらわないなんていうのは何をしているのかよくわからない。「それより茶を飲め、茶を」と私なら言う。

>似た理論で仕事と遊びを分ける人もいるけれどこれも禁欲的だと思う。これは
>両立させるのがプロの醍醐味だろ!? ちがうのか?
 ちがうのである。
 これをごっちゃにする馬鹿が多く、その馬鹿がプロ同士のつきあいに嫉妬することが多いので、分けといたほうが無難である。「あんたはどっちの味方なんだ!」みたいな属人的な批判を受けやすくなるというリスクもあるので、むしろ均等に嫌われていたほうが仕事はうまくいく(岡本浩一『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』、PHP新書を参照のこと)。
 遊びにもいろいろあるが、真のプロは仕事で自己実現しちゃってるから自己実現としての「遊び」は不要であり、「無名性と匿名性の中に身を置く」ためには趣味の人脈はあくまで趣味の人脈にとどめておきたい。また、「自分を見つめるための時間」という意味での「遊び」であれば、本来それは孤独なものである。

Moto wrote:
>オフィシャルとパーソナル、パブリックとプライベートの区別はつけるべきだと思う。
ひろたwrote:
>人が法に傅くのではなく法が人に傅くのである
>かつてある人物が休息日に相手の合意のもとで患者の治療という仕事をおこなっ
>た。一方当時、休息日に働いてはならない」という禁があった。これを破ったと
>して、彼が責められた時、彼が言った言葉だとされている。
>場面場面で適切に、かつおそれず、自分の役割を果たせばよいではないか品性の
>違う人同士がそれゆえもあってお互い尊敬しあい、友情や愛情を築く事はことは
>かなりよくある事であると感じるし
 オフィシャル:職務上の/任務としての
 パーソナル:個人的な
 パブリック:公の/公的な/公用の
 プライベート:私な/公的な立場から離れた
 私はウェイターとしての仕事には自信があるが、喫茶店では客としての注意はするが(トラブルでも起こされれば別だが)その店のウェイターの教育に口を出したりしないし、代わりに仕事をすることもない。それはオフィシャルとパーソナルの区別である。
 また掲示板上で他人を誹謗中傷することはないが、メール上では何を言おうと私の勝手である。これはパブリックとプライベートの区別である。
 それがなぜユダヤ教における安息日の規定と結びつくのかがわからない。私(というより所長だが)だってお客さんに「うちのパソコンなんだけどさぁ、こんど通信始めたいんだけど、機材のセッティングとかサインアップとか分かんないんだよね。なんか分かりやすい資料とかありません?」とか言われたら「じゃあ、今度の休みにでもお宅へ伺いますよ。代金はビールとカツ丼で結構ですから」「よし、なら鰻重。」「それより上寿司一人前」「乗ったぁ!」くらいのことはする。
 そもそも私が東方カトリック教会の教祖様であるJoshyaと同一人物だというのを忘れたか?

>真面目モードでした
>しかし、正論(の追求)は何も残らない気も一方でちょっとする。正論残って人
>残らず。ただの恐怖なのかもしれないが。
 キミが求めているのはおそらく人生の解説書ではなくて、「必勝本」なのだ。
 人間に限らず動物というものは、危機感が高まると「いまここ原理」というのが働いて、目先のことしか考えられなくなる。つまりキミは焦りのあまり、長期的な対策をとったり根本的な掘下げというものができなくなっており、ついつい目先の解決策、目先の理論に飛びついてしまうのである。
 KJ法やNM法といった問題解決技法でも勉強してみたまえ。少しは違うはずだから。
 (川喜多二郎『発想法』『続・発想法』、中公新書などが入門書としては適当)

 最後に一つ。大森総研メンバーはストイックであるが禁欲的ではない。より正確に言えば、「ギリシャ哲学の一派であるストア派の哲学に忠実という意味でストイック」ではあるが、「ピュ−リタニズム、ビクトリア朝的な禁慾思想に忠実という意味で禁欲的」ではない。
 ストア派の哲学においては、人間はその才能をもって社会に貢献することを善しとする。したがって、食事にしたってすでにあるものを無駄にせずおいしくいただくのはストア的にいって正しい。高級素材を求めるのは反ストア的だが、おいしいごはんの炊き方やおいしい味噌汁の作りかたを追求するのはストア的なのだ。したがって和食、特に江戸料理はストア的な料理だといえる。
 さらに、女性に喜びを与え、富国強兵に貢献するという意味で、セックスというのはストア的な行為なのである。このあたりは塩野七生さんのエッセイを参照していただきたい。ユダヤ教にギリシャ的なストア哲学が影響を与えた結果生まれた原始キリスト教の正統なる後継者を自認するJoshyaがS○Xネタにこだわるのにはこうした理由がある。

 いわゆるフェミニスト女性の中には、男性の「イかせたい」という欲求を征服欲の表れ、すなわち自己確認の欲求とみて排除する、という思想がある。つまり、「男なんかいなくたって女はイけるのだ」という発想、ないし、「女は快楽のための道具として男を利用しているだけなのだ(エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』はまさにこれがテーマだった)」、という考えかたである。
 けれども生物学的にいえば男というものは女によってしか自己を確認できないわけで、そうすると、「彼のためにイッてあげたい」というのも女性にとって普通の感情である、ということになる。で、「イかせてあげられない男」と「イッてあげられない女」が双方の愛情ゆえに悩み苦しむ、ということになる(昨今ED(勃起不全)が社会問題化しているのもこれが理由だろう)。
 で、この不幸な状況を看過できないがゆえに(特にAS女性には「イッてあげられない」ひとが多いはずである)、Joshyaはセックスについて説くのである。「犯す男」と「犯される女」の関係は反社会的であり不健全であるけれども、「イかせちゃう男」と「イかされちゃう女」の関係は、同じ「加害者」と「被害者」の関係であっても心理的に安定なのである(「すぐそうやってエッチでごまかそうとするんだからぁ!」みたいに文句を言っている女性はあんまりそのことに悩んでいないように見える。これを公の場で言うと「そういう思想が女性の自立を妨げるのだ」とフェミニストに袋叩きにされるのだが)。

 そんなわけでひろた君、思いつきを思想にまで高めてから喋るようにしようね。

 (Mr.Moto)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3941へのコメント
No.3961  Sun, 8 Apr 2001 06:37:48 +0900  くると [この発言にコメントする]

くるとです。情けない自己レスになっちゃいました。

不肖くると wrote:
> みなさんのコメントを見た結果、「友人」という言葉が大きく
>分けて二種類の意味で使われていたことに気がつきました。
>
>(1)一緒にいるのが楽しい友人
>(2)社会性を身につける手段としての友人

 もう1つの種類があったので補足します。

(3)世間体を守る手段としての友人
 「お友達幻想」という言葉がありますが、一般的には友人が多
い方が社会的評価は高くなるようです。孤立感を持つ人の中には
とにかく集団に参加することによって、自分の社会的評価を高く
してしまう場合があります。わたしが2次障害を起こしていた時
期はこのタイプの友人を求めていたような気がします。

 最近は仕事以外では(1)のタイプの友人が増えてきて、本当
にうれしいです。


質問 アスペの館の心の中の位置について
No.3960  Sun, 8 Apr 2001 03:39:19 +0900  ひろた [この発言にコメントする]

なんてテーマどうでしょう

皆さんのここアスペの館(飲み会的な非日常!?非日常的な日常!?)と普段の日常との距離について聞きたいです

皆さんはここのことを普段の日常で生活を共にする誰に話してますか、(いつか)話す用意がありますか
それは聞かれたら答えるというスタンスですか それとも聞かれなくても教えちゃうって言うスタンスですか 
ここに皆さんの生活を共にする知人が入ってきたら(あるいはすでにいることが分かったら)非常に困りますか、ただなんとなくすごくはすかしくて困ると言うだけですか?それとも誤解や嫌悪感を相手に覚えさせる事なく誘えるものなら積極的に誘いたいと思いますか


またヘタレ上司
No.3958  Sun, 8 Apr 2001 02:28:10 +0900  JET [この発言にコメントする]

 退院して職場に戻りました。

 すると、私宛の辞令書があって、なんと、この4月から、毎月の給料
が今年の1月にさかのぼって、2ランクもアップすることになりました。
 2ランクもアップと言っても、1ヶ月分の新聞の購読料ほどしか金額
が上がりませんが、それほど、職場のエライさんに信頼──パソコンの
ことで──されていると好意的に受け止めようと思いました。

 ですがその日、ヘタレ上司ともう一人の者から、そのエライさんが翌
日の会議で使う液晶プロジェクタのセッティングを頼まれたのですが、
指示をする者同士の仲がかなり悪く、二人とも違うことを私に言うので、
なかなかセッティングがうまく進みません。このようなことで混乱する
のは私にはよくあることです。
 そこで、キレた(振りをした)私は、エライさんに丸聞こえの大声で
「人に指示すんのなら二人できっちり相談したらどうか。こういうのを
『船頭多くして船山に登る』って言うんだよ」と叫んだところ、哀れ二
人は、エライさんの部屋に呼ばれ、当分の間出てきませんでした。

 翌日の会議は、先ほどの二人はエライさんから明らかに用なし扱いさ
れているのがわかりました。そこまではいいとして、私のようなヒラが、
いつ液晶プロジェクタとそれにつながれたノートパソコンにトラブルが
起きてもいいように待つことを、いきなり会議室の中でエライさんから
指示されて、実にやりにくかったのですが、こういうことがある限り、
今の職場にいるのは決して悪いことではない…と思いました。
 でも病み上がりの体には疲れました。

 http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html


Re: お久しぶりです 3862へのコメント
No.3956  Sun, 8 Apr 2001 02:25:07 +0900  JET [この発言にコメントする]

猫目4 wrote:
>JET さん
>
>なにはともあれ
>退院おめでとう。

@猫目4さん
 resどうもありがとうございます。

 いやぁ、それにしても、主治医に「リストカットはしてないか」と腕
をムンズとつかまれたり、プロバイダに関することで質問をされたまで
はいいとして、整形外科医や、しまいには、たまたま入院先の病院にや
ってきた、よその病院に籍を置いている精神科医までが病室に押しかけ
てきて、この病人(当時)相手に、最近の医療系ネット事情についての
説明会はおろか、謎のファイルの交換会(さらに「sakura.exe」
は持ってないかとまで尋ねられた)も強要(?)させられて、オレは患
者で、今ここにいるのは入院している病院でいいのだろうか? と大い
に悩んだことは事実です。
 まぁ、それがよかったのか、回復が早かったんですけどね・・・。

 でも一番凄かったのは、昨年末以来のにっくき「上司の上司」が、転
勤の挨拶に私の病室を、私がトイレに行っている隙に急襲したことで、
なんだか急に“いい人”然してしまっていたのを見た際、お前はドラえ
もんのジャイアンか?! と激しく思いました。

 http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html


Re:Re: 『にんげんゆうゆう』を見て(お決まりのつけたし) 3953へのコメント
No.3954  Sun, 8 Apr 2001 02:13:45 +0900  ひろた [この発言にコメントする]

自己レス
>え、日常と非日常がごっちゃのがアスペじゃないのか 自閉ファンタジーとかそうだろ!?

分かってると思うけれど本当に冗談なので気にしないでください あの文脈では論点もずれてます
ちなみに僕はこのような「〜なのがアスペでないの?」という物言いはここにいる人達を下手すると硬直させかねないので、そんなに好きではないです(というか気配りが必要な気がするで自分ではやりたくない)

ちなみにHP見れば分かりますが、ひろたは(昔は違いましたが)自分の事をアスペだとかADHDだとか名乗っておりません あえていうなら院生23歳♂@就職活動中/B型さそり座(^^; ここはアスペでないただの変な人もいていいところだと信じているので

以上自己レスでした


Re:Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3918へのコメント
No.3953  Sun, 8 Apr 2001 02:05:51 +0900  ひろた [この発言にコメントする]

ひろたです

>Mr.Moto>日常と非日常をごっちゃにしてはいかんぞ。

え、日常と非日常がごっちゃのがアスペじゃないのか 自閉ファンタジーとかそうだろ!?
(ってな、野次馬的ちゃちゃいれは止めといて 今回は真面目に論理的に引っかかったところを指摘してみまーす 指摘なのでレスはあ、そうかもなっ(でもだから)って思っただけなら不要なのです)

>>>>>>>>>>>>>>

Mr.Moto>
> セックスの最中に日常のコード(規範)を踏みはずすのはある意味で当然のことだが、日常のレベルでつきあっている友人に対してそれをやってはいかんのである。私にとってそれは不倫と同じ類の話なのだ。
そうだよね 不倫だと僕も思うよ ここでは、そう言う言葉遣いにしよう

Mr.Moto>
> だから、「よし、今夜は痛飲しよう」ということになって泣き・愚痴・ゲロの三拍子、みたいな「非日常」の世界においてならばそれは許されるのであるが、日常に戻ったらそれはすべて忘れねばならんのである。
痛飲は今の定義拡大的言葉ずづかいで、乱交といっていいのかな。 妻で無いのにいいのか? っとまずおもうわけですが、それは非日常であるから許されるわけである。というのがここの論理だろう。日本でも昔、祭りという非日常に乱交がおこなわれる村があったようだしね。
(しかしじゃあ痛飲の時はくっちゃっていいのか?って話題もあるけれど悪趣味だから省略。)

Mr.Moto>
> 酔った勢いで「あんな会社、いつだって辞めてやるぅ〜!」とか言った次の日に、希望退職者リストに載せられたりしたら堪るまい? そこにはおのずと非日常と日常との間の線引きというものがある。友人との会話が公になっても別に困らんが、寝室における夫婦の会話が表に出てしまったらそれは非常に不都合なのである。それは掲示板にアップしたメッセージが他の場所で引用されるのと、個人宛のメールが無断で公開されてしまったのと同じくらいの差がある。
>
信用を裏切る行為はよくない。コンテクストの読みあやまりも当人が悪いだろう。(今の例の逆に酒の席で誘われたのにそれっきりなんてのもあるだろうね)それはわからなかったではすまされないのは社会的にはきっと当然だろう。
しかし、
自分のある面がさらけ出されるのを恐れる事と、恥ずかしがる事、嫌悪する事、禁欲(禁止)する事とはすべて、全然違う話ではないのか。
逆の立場でいえば、他人のある面がさらけ出される事を、嫌悪する事、恐れる事、禁欲する事、禁止する事、恥ずかしがる事、これはすべて違う。

ある人は、親友と飲んで語り合うのは好きだが、繁華街に飲みにいくときは絶対誰も誘わず一人で行くという。つまり非日常に日常を入れたくないのだ。品性のある人ではないか。ここを非日常とみなしてる人でオフ会にはいきたくないって人もいるだろう。それも同じ事だよね。
僕は品性を持った凛とした人(例;飲み会でもしらふでいるような人)を尊敬するし惹かれる。なぜなら自分にはあまり無いものをもってるから。品性とは恥ずかしがる事ではないだろうか。(その品性を貶めたい感情が好きな人に対してたまーに沸く事は否定しない(^^;)


Mr.Moto>
> すなわち友人というのは日常を共有する相手であり、妻というのは非日常を共有する相手なのである。
>
程度によるが、それはあまりに禁欲的に過ぎるのではないだろうか。
似た理論で仕事と遊びを分ける人もいるけれどこれも禁欲的だと思う。これは両立させるのがプロの醍醐味だろ!? ちがうのか?
しかし、結婚したら妻一筋とおっしゃるKILROY氏に文化的に近いMr.Moto様が、このようなことを言うのはすごく分かる。逆に、僕は戦友のように「仕事」を通じた深い友情が日常を殆ど逸脱しない中での非日常体験であり、それなりに美化されてもいる現実があり、自分も、自分の人生の1ページに加えたいシーンと感じる感覚を持つからこそ、バイやフリーセックスに嫌悪感をそれほど抱かないとも言える。独我論までいかなくても、体験を重視する考えからは、現実に非日常だろうと日常だろうと体験が非日常であり、しかもその非日常体験(自閉ファンタジー;これは当然アスペでなくてもまれに体験する事はあるだろう)が相互に影響されあってるという信頼が相互に合って、甘美なものであればあまり違わないのではないかと思えるわけで。
僕は(他人の事までかまわないが、自分自身は)友情は恋愛のように、恋愛は恋愛のような友情のように経験できたら良いなと思うぴよさん wrote:
>友人についても、似たようなことがいえるかもしれない。
>なんて思ったりします。

僕はこれは自明性を疑えばまっとうな事だろうと思うが。
ポイントは「双方の合意と信頼関係があること」
さらに例外を除いては、双方ともにそれを望んでいる事が満たされるべきだろう。
それをしっかり確認しないで、相手へ要求したり、相手へぶちまけたりする事は強姦まがいである事は明らかだ。 ぶちまける事に対し、関連する人物がいれば、騒然信頼性も汚す事になる。これは社会的に害悪な行為(というより単純に人を傷つけやなおもいにさせるよね)であろうと感じる。

でもこれは関係者の合意があれば障害にならない事だ。もちろん、たいていの自明な事には人知の及ばぬものも含め理由があるのだから、ただ自分がもっとよくいきるためとかでなく「何の為に」という強い行動規範を持っていた方が良いと僕は個人的には強く思うが。

Mr.Moto>
> オフィシャルとパーソナル、パブリックとプライベートの区別はつけるべきだと思う。

人が法に傅くのではなく法が人に傅くのである

かつてある人物が休息日に相手の合意のもとで患者の治療という仕事をおこなった。一方当時、休息日に働いてはならない」という禁があった。これを破ったとして、彼が責められた時、彼が言った言葉だとされている。


場面場面で適切に、かつおそれず、自分の役割を果たせばよいではないか
品性の違う人同士がそれゆえもあってお互い尊敬しあい、友情や愛情を築く事はことはかなりよくある事であると感じるし


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自分の話をしよう 僕はここに来るおむにさんがやってるチャットを日常からはなれた空間にしていた。日常は言えない想いをそこで話していた。それは恐れている事だった。でも恐れていると想いながら、そこに吐き出せば吐き出すほど、恐れが広がっていった。だから、今は僕はここは、非日常である事は確かでも、別に秘密にしない事にしている。それに、秘密にしなければ人の興味は急に薄れて、結局覗き見られる事は少ない。だからといって、逆に、きかれもしないのにチャットや自分のHPのアドレスを明かしたりはしない。なぜなら僕のそこへの書きこみの内容からそれは日記を見せるようなもので恥ずかしいし、悪趣味に感じるから。
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禁止する事、恐れる事と恥ずかしがる事や嫌悪する事は違うのだ
(正直さを追求する事もこれを考慮すれば、ちょっとはうまくいくだろう。自分の相手への負の感情やその時点での評価を出す事を、相手をよく理解していない事と感じ、恥ずかしい事だと思うなら、止めれば言い訳である。ただ正直に振舞う事に関しては自分のなかではまだ未決の問題だが)

真面目モードでした
しかし、正論(の追求)は何も残らない気も一方でちょっとする。正論残って人残らず。ただの恐怖なのかもしれないが。


Re: アスペルガー共和国について 3948へのコメント
No.3952  Sun, 8 Apr 2001 01:57:32 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

さくらかのえさん wrote:
>国土と行政機関をもった「国家」ではなく、
>みなが固まって暮らすとかいうのでもなく(場所の選定だけでももめそうだ)、
>ゆるやかなネットワーク的なものがいいかも。
 いいですね、それ(^_^)。Motoさんに言っときます。

>思いつき・・・どこかの小国のように切手を発行して財源とするのはどうでしょう。
 所長さんによれば、実際に可能だそうです。
 個人で発行するのは条約上無理のようですが、キジル(黒沢明さんの『デルス・ウザーラ』の舞台になったあたりです)のような国は収入源がないため(なにしろ旧ソビエト連邦の外国人立ち入り区域にあったものだから、観光収入も稼ぎようがないんです!)、外貨獲得のために切手を発行する、ということをしています。で、国によっては、一定の比率のお金を払えば、その国の切手として承認し発行してくれる(とはいえその国で印刷するわけではないようですが)、というシステムがあるそうです(「そういえば日本の郵政省にも同じようなシステムがあったんじゃないか?」みたいな話をしてました。ただし企業向けなので、プレミアがつくことはめったにないそうです)。
 あとは企画力と印刷の質、ということでした。日本の切手というのはお札と同じ技術で印刷されているので世界的に評価が高いそうです。ですから、ちゃんとした技術で話題性のある切手を印刷して、どこかの国に認めてもらえば、あたしたちでも切手は発行できるそうです。でも、お金かかりそうですね。

 で、思ったんですけど、バンダナとTシャツと鍋つかみ、というのはどうでしょうか。

 ふつうのバンダナって、サイズが中途半端なんですよね。なんか、ちょっと大きめのハンカチくらいのサイズしかないじゃないですか。西部劇に出てくる列車強盗が使ってるようなおっきなバンダナって日本だとほとんど売ってなくて、たまに売っててもデザインが可愛くないでしょう?(所長さんは葛西臨海公園の、「まぐろ」柄のバンダナを愛用しています) だから、スカーフの代わりに頭にかぶったりするときに、サイズが足りないんです。
 で、そういうちゃんとしたバンダナで、『アスペルガー共和国』の理念を抽象的に表したオシャレな図柄をデザインしたものを作って、その理念に賛同したひとに買ってもらうんです。だから、アスペルガー共和国の「国花」とか「国鳥」とか「国蝶」とかも決めといたほうがいいですね。

 で、あとはTシャツ。プリントじゃなく染色で、何回洗ってもヘタらなくて、自然に優しいオーガニックのTシャツとかいったら、売ってないんですよね。メッセージTシャツっていうのは、だいたい安っぽぉーいのしかないじゃないですか。そういうの手描きでいいから作れないかな、と思います。

 で、最後のなべつかみ。ふつう売ってるなべつかみって、ミトンみたいな恰好してるじゃないですか。あれって使いにくいんですよね。「へび」みたいに、親指も他四本も区別ないくらい「がばっ」とつかめるのが欲しいと思います。で、実際の「へび」に忠実に、もうウロコの一個一個まで正確に描いちゃうの。

 ……だけど、「鍋つかみ」ってアスペルガーに何の関係もないですね。失礼しました。

 −Maria−


足力 3906へのコメント
No.3949  Sun, 8 Apr 2001 01:06:32 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 えー、Joshyaでございます。前回御紹介いたしました「叩打法」、お試しいただけましたでしょうか。相手の筋肉がほぐれてくるのが如実にわかる、というのはけっこう面白いでしょ?

 ついでに前回書き忘れたことをひとつ。叩かれる側にも「構え」というのがあって、背もたれのない固い椅子に浅く腰かけて背骨をちょうどコインを積むように、力を入れなくても背筋を伸ばしていられるように真直ぐにします。で、頭のてっぺんを押し上げるような感じで頚を真直ぐにします。このとき、両肩を掴んで上半身を捻るようにゆらゆらゆら、とゆすぶってみて、振動がきれいに腰まで伝わってゆくなら……それって肩凝ってねぇって(^_^;)。

 で、次は台湾マッサージの定番、「足力(そくりき)」です。これはまあ相手にうつぶせになってもらって、相手に背を向けるように立って土踏まずをふみふみふみ、と踵で踏む、というだけのことだから、別に難しくもなんともありません。

 で、それが終わったら、今度は相手のほうに向きなおって足先のあたりに跪いて座り、相手の膝から下を起こします。膝直角、足首直角、よろしいですね? で、掌を上に向けて、相手の母指球のところを中指と薬指、小指の付け根を親指で持ちます。そうしたら相手の踵を左右にぶらぶらぶらぶらっと振ってあげます。これでふくらはぎの筋肉がほぐれます。

 つぎに、こんどは相手のつま先を伸ばし、手を百八十度持ち替えます。で、つま先がちょっと重なるようにして、相手のお尻のところにぎゅぅーっと押しつけます。そうすると、すねの部分の筋が伸びます。ぶらぶらぶら、ぎゅうううう、ぶらぶらぶら、ぎゅうううう。「おお、足が軽い」みたいな感じになるはずです。

 最後にひとつだけ、おまけ。まず相手にこっちを向いて、膝を立て、後ろに手をついて座ってもらいます。次に、相手の太ももの内側、膝からてのひらの巾ひとつ分くらいの凹んだところを探します。相手が素肌だったら、そこだけがほんのりと温かいのがわかるはずです。で、掌底で内側と外側から脚を挟むようにして、一円玉くらいの小さな円を描くようにぐりぐりぐりぐり、とマッサージします。くすぐったがりの女性にはとてもじゃないけどこんな真似はできませんが、十分にほぐれている場合は可能です。で、これを左右交互に三十秒くらいやっていると、相手の女性が困ったようなヘンな表情になるのが分かるはずです。じつはこの部分、動脈が皮膚のすぐ下を走っているので、交感神経叢が密集してるんですね。ですから総頸動脈洞と同じく、以前に説明した「ドリル舐め」のポイントであります。マジな話、頭抱えて声をあげながらのたうち回っちゃうというくらい効きます。「女性に犯される」という貴重な体験をしたい男性がおられたらお試しください(^_^!)。なお、「風俗行ったのねっ! そうでしょっ!」と問いつめられる可能性も高いので、この書込みのプリントアウトをあらかじめ用意しておくことをお勧めします。(←ここまで書いていいのか?)
 なお、このポイントは対人地雷によって膝から下がふっ飛んだ、みたいな場合の止血ポイントです。覚えておいてあんまり役に立つもんでないけど、救急法の教科書には載ってます。

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