アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
自称 AS のみどりです。
くると wrote:
>(1)愛情論法→「おまえ(あなた)のことを思って言
> っているんだ。」
>(2)情熱論法→「せっかく一生懸命やっているのに!」
> 「おれ(わたし)にはやる気がある。」
>(3)回帰主義的論法→「最近の若い者(こども)は…」
> 「おれたちの若かった頃は…」
どれも共感どころか、反発しか出てこないですね。
(1)「それがどのように私のためになるのか」を説得してくれればいいのに、と思います。
(2) ありがた迷惑ってのがよくあるのよねー。第三者がかばうために言うならまだわかるんだけど。
(3) 物事を客観的に見られないか、過去にしがみついているのか。だったらなんだっての。
> さて、みなさんに質問です。みなさんには日常会話で
>ひっかかる論法はありますか?あったら教えてください
>ませ。
集団への帰属を要求する論法は大抵だめですね。「同じクラスの仲間じゃないの」「同期なんだから」「家族でしょ」
単に発想が理解できないということのほかにも、同類集団に利益を誘導するのが当然ならば、必然的にマイノリティに厳しい社会になるということですから、そういう点でもやはり許容できません。
何度も言われて毎回「はぁ?」と思ったのが「〜〜中学校生としての誇りをもって云々」。うちは学区で分けられた公立の中学校なんですけどぉ。
こんにちは、はじめまして、みどりさん。ぶちです。
私もこういう事よくあります(ありすぎです!)
みどり wrote:
>その後、その会話を何度も反芻し続けて、ああいえばよかったこういえばよかったと、架空の会話をし続けます。身振り手振りつきです。
言ってみればこれは復習。
「あー、あの表現まずいよねぇ」「こう言ったほうが良かったよね」
「そうしたらこんな事を言ってきて、そして私は・・・」
・・・と、あーでもない、こーでもない・・・
私の場合は復習だけではなく、予習もあります。
「今度こういう機会があるから、たぶんこういう会話になって・・」
「私がこういうと、向こうがこう言って・・・」
途中で表現も直したり、忙しいです。
私の場合予習も復習も思いっきりやってます。
しじゅうブツブツ言ってます。まわりから見たら変かな?
嫌な思い出がひっついて離れなくて、それの復習をしている時は、
だんだん暗くなりますね・・・いつまでも考えていても仕方ないんで、
少し大きな声で「はい、これでおしまい!」とか言って、そこから
それまでの動作と違う事を始めます(家の中にいたら、外に出るとか)。
少しは気分が変わるかな?
あー、そうそう、私も「性別間違えて生まれてきたかな?」って
思ってました。あ、女の人のほうが好きとか、そういう事じゃなくて。
まわりからもそう言われるんです。「おまえ本当は男なんじゃないの?」
とか、「お前と話していると、男同士で話しているみたいだ」って。
義妹達からもそう言われてます、「女じゃない」って。どういう意味
なんでしょうかね?
子供も産んだから、生物学的には女なんでしょうが、性別不詳のよう
です(それに年齢も不詳らしい)。
はじめまして
ニキさんはこの掲示板をお読みになることはあるんでしょうか?
ニキさんのアドレスがわからないので(当然のことといえば当然ですが)ここに書き込みます。はじめに、お互いの顔が見えないのは本当にいいことだと感じています。先日ニキさんのホームページを拝見させていただきました。『館長私的記録』のページです。ニキさんは、5月から6月におきた事の内容で、ある学生のことを取り上げています。悪印象を振りまく、単に経験が浅い、最初から無礼・・・と、かなり言いたい放題を書いています。ニキさんはその学生さんのことを思ってそのようなねぎらいの言葉を、わざわざ書き込んだんでしょうか?面と向かって、その生徒さんに同じ内容を、ご自分の口からいってあげることの方が簡単で、その学生さんの為になるのではないでしょうか?私は、ニキさんのファンで、翻訳本も出版されたものは必ず読ませて頂いています。
なんだか、あのページに書かれてあったニキさんの言葉は、がんばってください、の言葉で締めくくってはいましたが私には、皮肉たっぷりのように感じられました。その生徒さんに会うことは出来なくても、一言でも何か、電話などで話してあげてはどうだったのでしょうか?きっとその生徒さんは、今ごろ傷ついていることと思います。あのような冷たい台詞、ホームページだから書けると思います。本当に便利な世の中ですよね。そう思っているのは、ニキさん、あなたも同じですよね。
en より
くるとさん wrote:
> LDのくるとです。みなさんは日常の中で次のような
>論法で説得をされたことはありますか?
>
>(1)愛情論法→「おまえ(あなた)のことを思って言
> っているんだ。」
>(2)情熱論法→「せっかく一生懸命やっているのに!」
> 「おれ(わたし)にはやる気がある。」
>(3)回帰主義的論法→「最近の若い者(こども)は…」
> 「おれたちの若かった頃は…」
> 以上、(1)(2)(3)は対処の仕方こそ覚えまし
>たが、未だに共感できない状態が続いています。
ありますあります。それこそ数え切れないくらい体験しました。わたしも共感はできそうにないですね。
> さて、みなさんに質問です。みなさんには日常会話で
>ひっかかる論法はありますか?あったら教えてください
>ませ。
(3)に似たような……と言うより逆のタイプでしょうか「ババアは引っ込んでろ」「年寄りは口出さないで」みたいなのがありますね。
嫁姑のあいだとか、親子喧嘩なんかで……ピシッと相手を拒絶してしまうのですよね。
あら、日常会話じゃないわね。くるとさんの意図から離れてしまったような気がします。すみません、こんなので……。 絶不調のあさかぜです。ごめんなさい。
LDのくるとです。みなさんは日常の中で次のような
論法で説得をされたことはありますか?以下に挙げる3
つの論法は多くの人が説得力を感じているが、わたし自
身が共感できないものどもです。
(1)愛情論法→「おまえ(あなた)のことを思って言
っているんだ。」
わたし自身は愛という感情の存在については認めるこ
とはできます。しかし、これらのセリフを吐く人はどち
らかと言えば、話し合いをせずに自分の主張を押し通そ
うとしているように思えます。相手と同じ土俵で議論し
ようとしていないので、わたし自身はかえっていら立っ
てしまいます。
(2)情熱論法→「せっかく一生懸命やっているのに!」
「おれ(わたし)にはやる気がある。」
このセリフを吐く人たちは熱意があれば、必ず相手に
それが伝わると考えているようです。しかし、わたし自
身は相手の言っていることが理論的に納得できるかどう
かを判断材料にしてしまう傾向があるせいか、見事に伝
わらないようです。
冷静に理詰めで話してくれれば、ちゃんと納得できる
のですが。
(3)回帰主義的論法→「最近の若い者(こども)は…」
「おれたちの若かった頃は…」
現状に不満を持つ人は、過去を理想化して現在を批判
しようとすることがあります。批判している内容自体は
正しいことも多いと思います。
しかし、前の世代の人が後の世代の人に対して優越感
を持つための戦略のようなものも感じます。後の世代の
人たちは前の世代の人たちの若かった頃を知らないので
、前の世代の人と同じ土俵に立つことができないからで
す。
ちなみに、わたしの同世代がこの論法を使用するとい
ら立ちます。わたしがこどもの頃はいじめに合うは異常
扱いされるはで、ちっともよくなかったからです。
以上、(1)(2)(3)は対処の仕方こそ覚えまし
たが、未だに共感できない状態が続いています。
さて、みなさんに質問です。みなさんには日常会話で
ひっかかる論法はありますか?あったら教えてください
ませ。
初めてミッドランドさんにレスさせていただきます。
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
よくあります。それで周りが見えなくなりますね。僕の場合は。
> その記憶が決まって「忌まわしい思い出」ばかりです。
> 特にストレスがたまっているときに起こりやすいのですが、ふとしたことで記憶が津波のごとく押し寄せてきて、憂鬱な気分になります。
「心に響く感動する」音楽や歌によって引き起こされる事が今の所わかっています。なぜ感動すると、嫌な記憶なのかは不明ですけど。
> なぜ、「忌まわしい思い出」に限って、いつまでも頭から離れないのでしょうか?すごく余計な負担になっています。
すごくわかります。何ででしょうね?
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
僕の場合素直に泣かせてもらっています。その方が心に嘘をついていないから・・・とは言いきれるほど自信が無いですが。
それともう一つ関係無いかもしれませんが
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」という親の笑い声聞こえたとき頭の中では「笑ってる」→「何でそんなに笑ってるんだろう」→「ゾンビか?」→「ゾンビなら笑ってても不思議じゃない」→「ゾンビだゾンビに違いない!」→「やべえよ、仲間増やすよ!」→「僕もゾンビか?」→「仲間増やさないといかんのか?」→「警察来るよ!」→「一般人巻き込んじゃ駄目だよ」、、、
僕の場合これが多いです、、、(汗
これも「脳内支配」の一種でしょうか?
ミッドランド wrote:
> こんばんは、ミッドランドです。
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処しています
> か?聞かせてください。
私はあんまり支配されることはありませんが...。
大変だろうとお察しします。
ひたすら逃げるか対面するか、二者択一しか思いつきません、ごめんなさい。
山に登る、あるいあガーデニング等で土を掘ったりして、昇華させる、とか...。
「タイムスリップ」と「フラッシュバック発作」は、基本的に別物であるような気がします。もっとも「フラッシュバック発作」のことを「タイムスリップ」と呼んでいるのかも知れませんが。
匂いなどの刺激によって、過去のことをありありと思い出す、というのはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に登場する、マドレーヌを紅茶に浸して食べる場面が有名ですが、こういったものは特に苦痛を伴わないので、「発作」とは言いがたいと思います。
「フラッシュバック発作」とまで言えませんが、「フラッシュバック発作」の発生メカニズムに関係していそうな、しょっちゅう思い出すある光景があります。
同僚の藤本っちゃんと、百人町の路地をてれてれ歩いていたら、前から来た原チャリ(げんちゃり。原動機付自転車の略称。ねんのため)のあんちゃんに、「邪魔だ、気をつけろ!」と一喝され、思わず「すんません」と道を譲りました。
それから数秒経ってから、「あれ? こんだけ細いと普通一通(「一通(いっつう)」=「一方通行」の略。念のため)やろ? この路地入ったとき、進入禁止の標識あったっけか?」
「わし、車運転せんもん」
でもって、路地を抜けたところを見ると、一方通行出口・進入禁止の標識がありました。つまりさっきの原チャリは一通を逆走しとったわけです。
「がってーむ!」「あすほーる!」「さなばびーっち!」「ふぁっきゅー!」
日本国憲法には、「権利の濫用はこれを許さず(第十二条)」とうたわれています。たしかに「歩行者優先」なんだけど、それを楯にして通行の妨害をしてはいけません。その意味で、我々は正しかった、といえます。
で、我々は「神様はそういうときちゃんと御覧になっていてくださる」とかいった理屈では我々は納得しないのね。我々は「正義」だなどというものはおおむねうさん臭いものだと思っているし、法律が必ずしも弱者のためにできているわけでもないことも知っているのね。だけど、と思うわけですよ。
先のエピソードは、我々の気分をひどく萎えさせるものなわけです。この怒りとイライラを解消しようとすると、自らの生き方、すなわち現存在としての自己がゆらいでしまうわけです。だけど放っておくと、この怒りとイライラはいつまでたっても消えず、不快な雑音のように我々の精神をささくれ立たせるのね。
たとえば警察の不祥事や医療ミスによって家族を失った人の思い、というのは、こうした「解消することが困難な事件」のひとつだと思います。
アメリカと違って日本では武装の権利は認められていません。私刑も禁止されていれば、復讐も許されていません。捜査権すらありません。また、医師法によって、医療従事者以外の人間が医療行為を行なうことは禁止されています。
したがって、我々は何かあったときには、警官や医者に全面的に頼らざるをえず、手を出すことすら許されていないわけです。その警官や医者が、怠慢により家族を死なせたとしたら。じゃあ、我々はどうすればいいのか?という、実存的な悩み、自分自身の価値観、生き方に直接かかわってくる悩みを抱えこまざるを得なくなってきます。
で、「犯人」にあたる警察官や医師というのは遺族の納得のゆくような処罰を受けることなく、司法や医療といった制度に守られているわけです。
そんなわけで、遺族は「これが今後の警察改革につながれば」とか、「せめて医療の発展の捨て石となれば」とか、そういったあなたまかせの期待にすがるよりなくなっちゃうわけです。
PTSDの被害が深刻になってきたのは、たぶん朝鮮戦争からだと思います(サリンジャーの『バナナフィッュ日和』はベトナム戦争以前に書かれています。念のため)。それはたぶん、「戦争の意義」というものが失われてしまったからだと思います。「我々が行なってきた戦争というものは、いったい何だったのか? 我々は何のために、多くのものを失ったのか?」そういう問いに対して、「国家のため」「正義のため」「自由のため」といった、「わかりやすい答え」が得られなくなった、ということだと思います。
フラッシュバック発作の中心にあるのは、「心の結ぼれ」です(『結ぼれ』という心理学のほうで有名な著作がありましたね。誰だったでしょうか)。その固く結ばれた結び目を「ほどく」作業は容易ではありません。ゴルディアスの結び目のように、剣で一刀両断するわけにもゆきません。やはり、分析し、理解し、書き、話し、共有し、人生に組みこむという気の長い作業によるしか、解消の方法はなさそうに思います。
最後におまけ。
「タイムスリップ」という言葉は、たぶん和製英語です。初出はたぶん豊田有恒(だったか?)の『戦国自衛隊』。その後、かんべむさしが『タイムスリップ大戦争』等で使って一般化したようです。
「時滑り」っていうシャレだったんだよね、たしか。
(Joshya)
みどり wrote:
>武田好史 wrote:
>> これはASを含む高機能自閉症に特徴的な現象で、専門家の方は「タイムスリップ」若しくは「フラッシュバック」と読んでいます。やはりパニック症状や鬱状態の時に多いようです。
>
>こういうのはどうですか。
>なにか緊張する会話をします。(普段は会いもしないお偉いさんと偶然話をしたとか、大勢の前でプレゼンをしたとか、お店の怖いおじさんから一触即発の雰囲気で買い物をしたとか)
>その後、その会話を何度も反芻し続けて、ああいえばよかったこういえばよかったと、架空の会話をし続けます。身振り手振りつきです。
>
>さらにこういうのも。
>テレビドラマかなにかで、理不尽に怒られる人を見かけます。
>その後、延々とその人に代わって、完璧な弁解や言い訳をしてしまいます。空想(とは思えないくらいリアルに)の中で反論されて反論しかえします。ふと気づくと、電車の中で声を出して、ドラマの登場人物になりきって弁解をしているのです。
>場合によっては、今度は怒る人にもなって、自分でした弁解を打ち砕きはじめます。
>
>ちょっと違うかしら。
それもある種のタイムスリップと言えるでしょう。私もよくそんなことがあります。独り言というのは、ASの人にとって意識を高めるために不可欠な物のような気がします。この能力を生かして脚本家になった人もいるようです。
自分が AS なのかもしれないと思って一週間ほど。霧が晴れていくような気分で調べものを続けています。
「ああそうだったのか」と思うことばかり。こんど図書館にも行ってこよう。
自分が普通の女の子とはずいぶん違うらしいことは気づいていたのですが、「精神的には男なのに身体だけ女に生まれちゃったのかな」と思ってました。でも考えてみると、やっぱり普通の男の子も違うんですよね。
>>>だって、気にせずにズバズバ勝手なこと言ってた昔の方が、まだ私を気に入る人も>いたもの。いまは本当に誰とも近づかず、疎遠。
>>
>>ふーん。ずばずば勝手なことを言ってた昔のほうが...、というのは、それは
>>あなたを「やれやれー!」って都合の良いようにたきつける人を、気に入ってくれた人って勘違いしてた、という事はないですか???
>さあ、確かにそういう人もいたかもしれないけど、いまとなってはわかりませんね。
>私としては、表裏のないところを安心してもらってたんじゃないかと思いたいですが。
昔あまり余計なことを考えずに勝手なことを言っていた頃、よく一緒に過ごした友達は、いま思い返してみると程度はともあれみな AS っぽいか、もしくは異質さを許容できる人か、どちらかなのです。
たぶん、当時はまさに「類は友を呼ぶ」だったのでしょう。
変に気を使うようになって類も呼べなくなってしまったのが敗因か、それとも環境が変わったせいで周りに「類」がいなくなってしまったのか。
ああ、そうか、私が30歳まで特別気づかずにやってこられたのは (やってきてしまったのは)、家族を含めて、周りにやたら「類」が多かった特殊な環境のせいか。
また霧がひとつ晴れた。
武田好史 wrote:
> これはASを含む高機能自閉症に特徴的な現象で、専門家の方は「タイムスリップ」若しくは「フラッシュバック」と読んでいます。やはりパニック症状や鬱状態の時に多いようです。
こういうのはどうですか。
なにか緊張する会話をします。(普段は会いもしないお偉いさんと偶然話をしたとか、大勢の前でプレゼンをしたとか、お店の怖いおじさんから一触即発の雰囲気で買い物をしたとか)
その後、その会話を何度も反芻し続けて、ああいえばよかったこういえばよかったと、架空の会話をし続けます。身振り手振りつきです。
さらにこういうのも。
テレビドラマかなにかで、理不尽に怒られる人を見かけます。
その後、延々とその人に代わって、完璧な弁解や言い訳をしてしまいます。空想(とは思えないくらいリアルに)の中で反論されて反論しかえします。ふと気づくと、電車の中で声を出して、ドラマの登場人物になりきって弁解をしているのです。
場合によっては、今度は怒る人にもなって、自分でした弁解を打ち砕きはじめます。
ちょっと違うかしら。
ミッドランド wrote:
> こんばんは、ミッドランドです。
>
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
>
>「脳内支配」とでも呼びましょうか。
>
> その記憶が決まって「忌まわしい思い出」ばかりです。
> 特にストレスがたまっているときに起こりやすいのですが、ふとしたことで記憶が津波のごとく押し寄せてきて、憂鬱な気分になります。
>
> なぜ、「忌まわしい思い出」に限って、いつまでも頭から離れないのでしょうか?すごく余計な負担になっています。
>
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
> ミッドランド
これはASを含む高機能自閉症に特徴的な現象で、専門家の方は「タイムスリップ」若しくは「フラッシュバック」と読んでいます。やはりパニック症状や鬱状態の時に多いようです。
去年の今頃、TBSでやっていた「君か教えてくれたこと」には、主人公の繭子という女の子が、幼い頃父親の友人がその息子を殺害したところを見たということを思い出して、著しい恐怖感にさいなまれるというシーンがありました。私も以外と鬱状態になったときに、小学生のころ人間ドミノの一番下に押し込められたとか、板書を書き写すのが苦手なのことを執拗にとがめられたこと、さらにさかのぼって幼稚園のころ見た人間の血管の様子を示した気味の悪い配色の図などが、一気に無意識の中から呼び覚まされてきます。
しかしながら、タイムスリップは不快な物ばかりではありません。例えば小学3年生の時、非常勤で9月から担任をしてくれた女の先生が、植物がすきな私のために、窓際にプランターを置いてかすみ草やスイートピーを蒔いて、一緒に水やりをして育ててくれたという記憶は、今の私がガーデニングを趣味にしていることの基礎になっていますし、幼稚園や小学校の頃聴いた音楽は、今になって私のピアノで弾ける曲レパートリーを増やしています。ある自閉症の青年は、仕事のつらさを紛らわそうと思って、懐かしい幼稚園時代の回想を何枚もの絵に描いたそうです。
ミッドランドさん wrote:
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処して
>いますか? 聞かせてください。
ASとフラッシュバック発作には関連がないと思います。特に根拠はありませんが。
ASその他の障害を抱えた人間は、フラッシュバック発作の原因になるような心的外傷(トラウマ)を受けることが多いとは思います。
私はPTSDというのは「精神的な消化不良」なのではないか、と考えました。つまり、精神的に理解し容認することができないような物事が、いきなり精神の中に居座ってしまった状態のような気がします。
私は本を書きました。めちゃくちゃ苦しい作業でしたが、自分の身にふりかかったことを客観視し、解体し、一つ一つの体験から「自分」というものを洗い落とし、ひとつの「物語」として自分の人生に組みこんでゆき、それを他人が読んで受入れてくれるようなストーリーにまで一般化する……という、気の遠くなるような作業でした。
これで症状はかなり軽くなりましたが、全快というには程遠い状態です。あまり効率のよい治療法ではないかもしれません。
トラウマの内容を他人に話すことは、それが専門家であっても慎重を要します。なにせ、当の本人にも「消化する」ことができないくらいのことなのですから、他人はとてもじゃないけど受容できません。普通の人間は「救いのない話」には耐えられないのです。ですから、下手をすると精神科医やカウンセラーでも、被害者非難心性に陥って、「それはあなたにも悪いところがあったんじゃないの?」くらいのことを言いだします。その結果、ますますトラウマを深くすることになりかねません。
いちばんいいのは、似たような経験をした者同士、「私はいかに悲惨な体験をしたか」自慢をすることかもしれません。できれば、聞き役に「普通の人」を何人か混ぜておくといいかも知れません。「やめろぉ〜! やめてくれぇ〜! 悲惨すぎるぅ〜!」みたいにのたうち回ってもらうと嬉しいと思います。
そういえば今年の四月頃の『アスペルガーの館の掲示板』って、そんな雰囲気だったような気がします。あれはけっこう効いてるかもしれません。
(Joshya)
ミッドランドさんwrote:
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕
>はしばしばあります。
>「脳内支配」とでも呼びましょうか。
ミッドランドさんのいう「脳内支配」とは少し違うかもしれないけど、似
たような経験を持っています。
しょっちゅう、いじめられた経験、いじめた経験、殴られた経験を心のな
かで再現してしまいます。かなり意識的に再現しているのでトラウマではな
いと思います。
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
人によってはタイムスリップという現象を起こすらしいです。ちなみにわ
たしは不適応をおこした時に、父親から10年前に殴られたことを思い出し
て抗議したことがあります。みんな、あっけにとられてましたけど。(笑)
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処して
>いますか?聞かせてください。
むしろはっきり思い出すように努力しています。その方が気が楽になりま
す。
ミッドランド wrote:
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
よくあります。月に数回という感じかなあ。
一つの悪い記憶が走り出すと、次から次へと類似の記憶も出てきて、暴走状態になります。
調子が悪いと大したトリガもなく始まってしまうので、たとえば道を歩きながらびいびいと泣いてしまい、途方にくれます。
自室のときは、枕や床をたたいて「やだ〜っ」などと叫びつつひとりであばれてますが、いくつもの過去の記憶が同時にフラッシュバックしているので、なにに対してあばれているのか自分でもさっぱりわからなくなっています。
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
残念ながらまだ対処方法は見つけられていません。この状態に入ってしまうと、とてもつらいです。
あ、家にいるときは、ネットサーフィンしたりして気をまぎらわすということもあります。
ただ、そこで新たなネタを見つけてさらにひどくなることもしばしば。
こんばんは、ミッドランドです。
皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
「脳内支配」とでも呼びましょうか。
その記憶が決まって「忌まわしい思い出」ばかりです。
特にストレスがたまっているときに起こりやすいのですが、ふとしたことで記憶が津波のごとく押し寄せてきて、憂鬱な気分になります。
なぜ、「忌まわしい思い出」に限って、いつまでも頭から離れないのでしょうか?すごく余計な負担になっています。
この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
ミッドランド
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
時としてダイナミックに変動する人間関係。
場合によっては硬直し、人を傷つける。また、慰めになる時もある。
小さい範囲で見れば、わたしと娘と夫の三人だけの運命共同体でしょうね。「家族ごっこ」は苦手なので、いみじくも娘が口にした「お母さんとわたしは他人だよね。赤の他人じゃなくて、血のつながった他人」という言葉が示す通り、適度の距離と節度をもって付き合いたいです。
KILROYさん wrote:
> ぶちさんやあさかぜさんや由佳子さんには非常に申し訳ないような気がするのだけれど、あんまり気にしないで聞いてほしい。
そんなに気を使っていただかなくてもけっこうですよ〜。
> 私はルドルフ・シュナイダーが嫌いだ。
> ついでながら、「ローレライ」伝説を創作したブレンターノが嫌いだ。
> グリム兄弟も嫌いだ。
> 早い話が「ドイツ・ロマン派」、あるいは「ロマン主義」という思想自体が肌に合わないのだ。
嫌いなもの・肌に合わないものって、誰にでもありますよね。その理由を論述できるKILROYさんを尊敬します。
> 「嘘も方便」という言葉が私は嫌いだ。
↑この言葉は母からさんざん叩き込まれたので……嘘のつける人間になってしまいました。(自慢できることでは決してないが!) けれど、「嘘をつく」ことで心の中に生まれる葛藤の処理の仕方は教わりませんでしたね。だから、わたしも「嘘も方便」という言葉は嫌いです。
> 規則だの制度だのにがんじがらめに縛られている現代の子供に、「よいメルヒェン」なんぞ与えてどうする、と言いたい。子供に「理想」を押しつけてはいかんと思う。むしろ「最大公約数近辺の居心地のいい場所」くらいを示してやるくらいのほうが親切なのではないだろうか。
シュタイナー教育について、折に触れて学んできました。理論を深く知るというより、日常生活に生かせる教育として「親の会」のかたちで活動している人たちの中に入ってみたり、講演を聴いたり、実技(?)に参加したりと、いろいろです。
違うな〜と思うところがあったり、これは使えると思ったり……結局は選択する側の自由だと感じていました。「狂信者」にはなりたくなかったので。
居心地のいい場所探しは、親として常に心がけていますが……多くの親御さんが子供を追い詰めかねない方向性を持っていたり、理想に振りまわされていたりするのもまた現実です。わたしだっていつ罠に落ちるか判りません。情報選択能力・判断力・実行力に乏しく、日々自己反省して明日につなげていくしかないですね。
> 私は子供のための、そして大人のための「現代のフォークロア」が必要であるように思う。ただしそれは事実そのものではない。けれどフィクションでもない。
> 「共同幻想」。そう呼んでもいいかも知れない。なんだか岸田秀や吉本隆明みたいだが。
う〜ん……岸田秀や吉本隆明は読んでいないのに「共同幻想」という言葉には何か記憶があります。宮台真司か尾木直樹か藤井誠二かなぁ?それとも……?すいません、忘れました。思い出したらまた書きます。
尻切れトンボで失礼しました。 あさかぜ
マザーさん wrote:
>「普通」の子供に生んであげたかったです。思春期に入ってから「こだわり」
>と「不安」が強くなってきて、傍で見ていてかわいそうになります。
>私は、ただ傍に居てあげることしかできません。
僕の母も、多分そのような心境だったのでしょう。あの頃のことが頭に浮かんできます。
僕が高校に通っていた時分、対人関係の悩みから学校に通えなくなり、もうやめてしまおうと思い、その旨を親に言いました。
案の定、親は猛反発。僕は、
「これ以上無理して通ったって、いいことなんてない。」
と言いましたが、親は、
「3年行って卒業すればいいだけだろう。」
と無責任なことを言って聞き入れません。そこで僕は自分のすべての胸のうちを明かし、必死に頼み込みました。
その末に、親も折れて中退を認めてくれました。
あの時、親はおそらく「『普通の道』を外れる」ことを「アウトロー」と錯覚して恐れていたようです。自分たちと異なるタイプの人間であるがゆえに…。
だから僕はすべての親たちに言いたいのです。自分の子が「『普通の道』を外れる」(「アウトロー」ではない!念のため)ことを恐れないでほしい、と。
> ミッドランドさんの意見はすばらしいな、と思っています。
>「言葉」に、やさしさと自信が溢れているような感じです。
ありがとうございます!自分では意識していないんですが、そう思われているのですね。励みになりました!
ますます投稿意欲がわいてきた ミッドランド
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
私にとって「家族」は、運命共同体です。
ミッドランドさん wrote:
>「こんな風に生んだ責任があるから、普通の子に育てなければ、と思っていた。」
こんにちは、マザーです。私も親として責任を感じています。
「普通」の子供に生んであげたかったです。思春期に入ってから「こだわり」
と「不安」が強くなってきて、傍で見ていてかわいそうになります。
私は、ただ傍に居てあげることしかできません。
> 自分の仕事を持てたことでも「愛情返し」になるか? ミッドランド
ミッドランドさんの意見はすばらしいな、と思っています。
「言葉」に、やさしさと自信が溢れているような感じです。
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