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リタリンとSSRIについて、質問
No.5928  Tue, 10 Jul 2001 08:51:12 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 ADD・ADHDの薬物療法には、リタリンとSSRIが用いられているようです。私も、よこはま発達クリニックの先生から服用することを薦められました。
 そこで、みなさんの中ですでにこれらの薬を服用している方がおりましたら、つぎの点についてご教示頂きたいと思います。

1.薬を飲む前と後で、感情面でここが変わったということは、何ですか?
2.副作用と思われる徴候(症状)として、どんなことがありましたか?
3.薬はどのように飲むのが効果的なのでしょうか?(リタリンに関して)


Re: 「心の理論」は有害である。 5926へのコメント
No.5927  Tue, 10 Jul 2001 05:43:13 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

> 「心の理論」は、「感情移入」を排した点で「科学の厳密性」という時代の雰囲気に合っていたかもしれないけど、「適応プログラムとしての感情」という概念が出てきた現在においては陳腐化していると断ぜざるを得ないのね。で、なおかつ自閉症方面の子供を理解する上で有害な考え方だと言わざるを得ません。
>
> 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。多くの人間は、「自分と同じような存在」としてしか他者を理解することができません。その相手が自分よりも単純な原則で動いていたとしても、です。
>
> そんなわけで、大森総合研究所は、『「どっちでもいいこと」が決められない。』の執筆にあたって、「反・『心の理論』」の立場を取らせていただきますです。ご意見がおありの方はお寄せくださいませませ。

 おはようございます。
 感覚的に納得できないと思っていた「心の理論」について、こうも的確に説明していただけるとスッキリします。わたしはMariaさんに賛成です。

 「心の理論」を考え出した方々に向かって「ここでは、あなたがたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの。いけない?」(←元ネタを知らない方のために説明しますと、宮崎アニメ『紅の豚』ジーナさんのセリフより)って言ってみたいな〜と思っていたのですけれど、お国柄の違いというわけでもなかったんですね。

 またひとつ納得が増えてうれしい……あさかぜでした。


「心の理論」は有害である。
No.5926  Tue, 10 Jul 2001 00:40:30 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 「心の理論」というのは、はっきり言って、自閉症方面の子供を理解する上では有害な概念である。ただし、「心の理論」という概念を正確に理解しているならば、だけれども。

 「心の理論」がなぜ「理論」と名付けられたかというと、「他者の心の中は推論によってしか理解できない」からだったりする。だけど、人間というのは、本当に他者の心の中を推論によって理解しているんだろうか?

 人間は、むしろ「感情移入」によって、相手の心の中を「経験的に」推測しているに過ぎない。「擬人化」というのは、まさにそれである。ミジンコはミジンコの都合で生きているし、クラゲにはクラゲのライフスタイルというものがある。けれど多くの人間は、人間の視点でしかミジンコやクラゲを理解しようとしません。

 自閉症方面の子供をもつ親が子供に向き合ったときにとまどいを受けるのは、「この子は自分の子供なのだから、自分と同じ感性を共有しているはずである」という期待があるからだったりするのである。もっとも子供の感性と大人の感性はまったく別だから、「子育てに悩む」という時点ですでに子供を「擬大人化」しているという間違いを犯しているという気もするのである。もちろん子供にも人権はあるのだけれど、子供と大人を基本的に同じものと見るのは子供と大人の双方にとってかなり迷惑な話だと思ってしまうのですね。

 たとえばの話、

 ・子供Aが人形を箱Xから箱Yに移す。
 ・子供Aがいない間に、子供Bが人形を箱Yから箱Xに移す。
 Q:子供Aがやってきて人形を捜すとすれば、箱Xと箱Yのどちらを捜すか?

という典型的な「心の理論」の問題についても、あたしは疑問を抱かざるを得ないのですね。
 たとえばの話、「箱Xを捜す」と「誤答」した子供が、「他の子がいない隙に、人形を元の箱に戻してしまう」という悪戯をしないかというと、そうじゃないと思うんですよ。つまり、「子供Bではなくて子供Aに感情移入してしまった」ために、なんだかわかんなくなっちゃった、という可能性はあるわけです。

 現実問題として、あたしには子供Bが人形を箱Yから箱Xに移す意図がわからないのね。この場合、「人形は本来箱Xの中になければならない」と思っていたのなら、子供Aが箱Xの中を捜すことになんら不自然さはありません。だいいち、子供Bは箱Yに人形が入っていることをどうやって知ったんでしょうか?

 人間は、相手が「生物」であると認識しているときには、「感情移入」によってその行動を予測します。
 そして、相手が「機械」であると認識しているときには、「推論」によってその動作を予測します。

 この二つの原則の間の競合が、すなわち「健常者」と「自閉症方面の人間」のコミュニケーション・ギャップそのものなのですね。

 「心の理論」は、「感情移入」を排した点で「科学の厳密性」という時代の雰囲気に合っていたかもしれないけど、「適応プログラムとしての感情」という概念が出てきた現在においては陳腐化していると断ぜざるを得ないのね。で、なおかつ自閉症方面の子供を理解する上で有害な考え方だと言わざるを得ません。

 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。多くの人間は、「自分と同じような存在」としてしか他者を理解することができません。その相手が自分よりも単純な原則で動いていたとしても、です。

 そんなわけで、大森総合研究所は、『「どっちでもいいこと」が決められない。』の執筆にあたって、「反・『心の理論』」の立場を取らせていただきますです。ご意見がおありの方はお寄せくださいませませ。

 (Maria)


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5913へのコメント
No.5925  Tue, 10 Jul 2001 00:02:53 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

くるとさん wrote:

 横から口出ししてすみません。
> 
>(1)目から外界の様子が正常に脳に伝わる
>(2)脳が正常にその情報から画像を作り出せる
>
> という点について質問です。そもそも、「正常な視覚を持っている」人が見
>ている外界の様子は、実際の世界の様子を正しく知覚できていると言うことが
>できるのでしょうか?
  
> 伝統的な哲学の解釈では、実際に存在する世界の様子とわたしたちが知覚で
>きる世界(現象)は同じではありません。つまり、わたしたちが見ることので
>きる現象と、実際の世界の様子は別物なのではないかという疑問があるのです。

 私もそのようなこと考えたことあります。で結論は、実際に存在する世界の様子なんて人間である以上そもそもわからん話で、人間が知覚できる範囲内でしか世界は解からんわけですよ。解からないことには沈黙するしかないん(どこかで聞いたセリフ)じゃないかと思います。

> 色覚についても同じことが言えます。「正常な視覚を持っている」とされる
>人が色を見ているからと言って、この世界に色が存在することが証明できるの
>かどうか謎です。

> 人間が知覚している現象面の説明としては、医学的な説明は正しいと思いま
>す。でも、わたしが頭を悩ませているのは、実際に存在する世界に色は存在す
>るのか、という点にあります。
>
>> このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常
>>に体験できない」感覚なのです。
>
> 色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
>の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
>ります。

 少し論点がずれるかもしれませんが、この世界に色があると認知するのは、人間だけじゃないかしらん。他の生物は(聞いてみたことないので実際のところ解かりませんが)色という概念そのものがないんじゃないかと思うんです。色を情報のひとつとして反応することはあっても。
 いや人間でもそうです。「花が赤い」と感じたその瞬間「赤」があるので、感じなければ、ないに等しいわけです。前からイメージとしてあった「赤」に当て嵌めて「赤」を感じるじゃないですか。始めにイメージありきですね。これでいうと質問の後者にあてはまりますね。こういうのを唯心論というんだっけ。

 くるとさんの言いたかったことを、先取りして言ってしまったのだったらごめんなさい。


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5913へのコメント
No.5924  Tue, 10 Jul 2001 00:00:45 +0900  おむに [この発言にコメントする]

ADHD+色覚異常のおむにです。

くると wrote:
> 色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
>の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
>ります。

脳にある種の電気パルスを流すと、色の感じ方が変わるようです。
ですから、「人間の脳や目の共同作業によって作り出された虚構」
であると思います。

#脳に電気を流す方法は、色覚異常の治療として用いられたこともありました。
#ただし、効果が持続しない等の理由で現在この方法を用いた治療は行われていません。
#経営方法も悪質でした。自閉症治療にも用いられていました。
#(今まで何人の子供が電気を流されて泣いたのやら。(T_T))


Re: 考え込んでしまった事 5922へのコメント
No.5923  Mon, 9 Jul 2001 21:55:02 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。私は、自分が2度ほど遭遇した出来事について考え込んでしまいました。
>通勤に利用する乗り物の中にいわゆる「障害者学校」の子供達も一緒の時があります。何故かは全く計り知れないのですが、「座席の隙間を見つけたら座らずにいられない」お子さんが、なんにも言わずに、それこそ最悪の場合、私の膝の上に無言で座り込むのです。本人は(2回とも違う子)なんにも言わず、自分の指を
>くわえたり、座るスペースを確保すると黙り込んだままなのです。
>私は「親御さんは帰ってくるまで心配だろうな」等やたらと考え込んでしまい、
>2度とも何にも言いませんでした。注意するのが怖かった共言えます。
>でも、こういう風に
>「黙りこんで=自分の世界に入り込んだまま異常な行動をする子あるいは人」は
>自分が自覚するまで、「自閉症」と決めつけていた、という思考回路の事実に
>私自身その子の隣で愕然としました。
 その子って、ローナ・ウィングさんの自閉症の分類の中の、「積極的奇異群」だったのかも・・・・

>化石を掘りに行きたい!(前無人島で父と取ったら楽しかったけど、
>あとからそこは化石保護のため立入禁止になっちゃった。)Tienでした。
>でもなんであの時化石を取りに行ったか未だに謎。(^^;)

化石を掘りたいなら、静岡県の掛川近辺ががおすすめ、掛川の市街地の北から北西にある山に分布している「大日砂層」は、300万年前の貝の化石がとれる。
ただ、今はとても暑いので、もし行くんなら秋のほうが良いと思う。


考え込んでしまった事
No.5922  Mon, 9 Jul 2001 20:15:41 +0900  Tien [この発言にコメントする]

こんばんは。私は、自分が2度ほど遭遇した出来事について考え込んでしまいました。
通勤に利用する乗り物の中にいわゆる「障害者学校」の子供達も一緒の時があります。何故かは全く計り知れないのですが、「座席の隙間を見つけたら座らずにいられない」お子さんが、なんにも言わずに、それこそ最悪の場合、私の膝の上に無言で座り込むのです。本人は(2回とも違う子)なんにも言わず、自分の指を
くわえたり、座るスペースを確保すると黙り込んだままなのです。
私は「親御さんは帰ってくるまで心配だろうな」等やたらと考え込んでしまい、
2度とも何にも言いませんでした。注意するのが怖かった共言えます。
でも、こういう風に
「黙りこんで=自分の世界に入り込んだまま異常な行動をする子あるいは人」は
自分が自覚するまで、「自閉症」と決めつけていた、という思考回路の事実に
私自身その子の隣で愕然としました。
なにか考え&レスが浮かんだ方のご意見を聞きたくて今日はカキコ致しました。

ちなみに、名加野さんが書かれていた、「でばがめ」ですが、ちゃんと根拠がありまして、明治か大正時代に「出歯亀太郎」という人物が強姦の末、どこかの女中さんを絞殺したのが出元だそうです。地元紙の「今日は何の日?」と言う欄に先月?あって親子共々笑いました。(犠牲者の方には申し訳ないのですけど。)

化石を掘りに行きたい!(前無人島で父と取ったら楽しかったけど、
あとからそこは化石保護のため立入禁止になっちゃった。)Tienでした。
でもなんであの時化石を取りに行ったか未だに謎。(^^;)


リンゴがリンゴらしく見える条件 5919へのコメント
No.5921  Mon, 9 Jul 2001 20:01:02 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

>そして普通の視覚というのは、「万人が見た平均的なもの」なのだという気がします。

 川上元郎著・「色のおはなし」・日本規格協会という本には、リンゴがリンゴらし本来の色に、さもおいしそうに見える条件として、次の五つの条件をあげています。

1.昼光または昼光に準じた光源で正面から照明されていること
2.リンゴの表面が化学変化・物理変化を起こしていないこと
3.標準的な目で見ること
4.ぼんやりながめるのではなく、じっとみること
5.ときには感情を込めてみること


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5919へのコメント
No.5920  Mon, 9 Jul 2001 16:20:00 +0900  ぱうぜ [この発言にコメントする]

皆様、はじめまして。

私自身はASかどうか診断されてはいませんが、人に対してあまり関心
がないことは確かです。

中学生の時に1ヶ月入院していて、同室に同じ年頃の子がいたのですが、
退院するころになっても、私はその子の名前も知らなかったです。親が
その子の住所を聞けとしつこいので、聞いてみましたが、何か変だなと
思っただけでした。と、いう話はこの辺で止めといて・・

武田好史 wrote:
>くると wrote:
>>
>>(1)目から外界の様子が正常に脳に伝わる
>>(2)脳が正常にその情報から画像を作り出せる
>>
>> という点について質問です。そもそも、「正常な視覚を持っている」人が見
>>ている外界の様子は、実際の世界の様子を正しく知覚できていると言うことが
>>できるのでしょうか?
>>
>> 伝統的な哲学の解釈では、実際に存在する世界の様子とわたしたちが知覚で
>>きる世界(現象)は同じではありません。つまり、わたしたちが見ることので
>>きる現象と、実際の世界の様子は別物なのではないかという疑問があるのです。
>>
>> 色覚についても同じことが言えます。「正常な視覚を持っている」とされる
>>人が色を見ているからと言って、この世界に色が存在することが証明できるの
>>かどうか謎です。
>>
>> 人間が知覚している現象面の説明としては、医学的な説明は正しいと思いま
>>す。でも、わたしが頭を悩ませているのは、実際に存在する世界に色は存在す
>>るのか、という点にあります。
>>
>>> このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常
>>>に体験できない」感覚なのです。
>>
>> 色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
>>の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
>>ります。
>>
>> 余裕があったら、お答えいただければ幸いです。それにしても、話が自分の
>>知能では手に負えないところまで来てしまったような気がする…。ちょっと、
>>頭がショートしてきたくるとでした。
>私は
>「視覚は他の感覚と合わさったときに初めて虚構でなくなる」「あなたの感じている視覚世界はあなただけのものである」
> ということが視覚について言えるのではとおもいます。
>そして普通の視覚というのは、「万人が見た平均的なもの」なのだという気がします。

私は武田好史さんの考えに近い感じを持ってます。でも、くるとさんは
知覚できる色彩について言っているように思えるので私の感覚を書いて
みたくなりました。

実は、私の右目と左目は見える色彩が少し異なっています。たとえば、
右目で見ると明るい黄色、左目で見ると薄く緑がかった黄色に見えます。
だから、どちらの目で見た色が本物かということは意味を成しません。
(少し私の脳が壊れていることは認めますが)。

でも、同じ方の目で見て比較して、これとこれは同じ色ということは分
かります。個人差として、この程度の違いはあるかもしれないけど別人
では比較できないのではないかと思っています。

では、このへんで失礼します。


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5913へのコメント
No.5919  Mon, 9 Jul 2001 10:53:42 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

くると wrote:
>
>(1)目から外界の様子が正常に脳に伝わる
>(2)脳が正常にその情報から画像を作り出せる
>
> という点について質問です。そもそも、「正常な視覚を持っている」人が見
>ている外界の様子は、実際の世界の様子を正しく知覚できていると言うことが
>できるのでしょうか?
>
> 伝統的な哲学の解釈では、実際に存在する世界の様子とわたしたちが知覚で
>きる世界(現象)は同じではありません。つまり、わたしたちが見ることので
>きる現象と、実際の世界の様子は別物なのではないかという疑問があるのです。
>
> 色覚についても同じことが言えます。「正常な視覚を持っている」とされる
>人が色を見ているからと言って、この世界に色が存在することが証明できるの
>かどうか謎です。
>
> 人間が知覚している現象面の説明としては、医学的な説明は正しいと思いま
>す。でも、わたしが頭を悩ませているのは、実際に存在する世界に色は存在す
>るのか、という点にあります。
>
>> このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常
>>に体験できない」感覚なのです。
>
> 色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
>の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
>ります。
>
> 余裕があったら、お答えいただければ幸いです。それにしても、話が自分の
>知能では手に負えないところまで来てしまったような気がする…。ちょっと、
>頭がショートしてきたくるとでした。
私は
「視覚は他の感覚と合わさったときに初めて虚構でなくなる」「あなたの感じている視覚世界はあなただけのものである」
 ということが視覚について言えるのではとおもいます。
そして普通の視覚というのは、「万人が見た平均的なもの」なのだという気がします。


Re: ジョークが理解できなくていっこうにかまわない。 5916へのコメント
No.5918  Mon, 9 Jul 2001 10:45:41 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

ひま人さん wrote:
>以前あるところに書いたことなのですが、ASがジョーク、お笑い、ユーモアが
>理解できないということについて、どういう姿勢(思想的立場)で立ち向かうべ
>きかについて述べてみようと思います。

 ひま人さんは「ASはジョークが理解できない」という前提をまるで疑っていないが、ASには分かるが一般人にはよくわからん、というジョークだってないとは限るまい。たとえば、ある種のブラックジョークは一般人には非常に受けが悪く、ASでないと笑えない、というのがある。

 アルフォンス・ドーデの『最後の授業』は教科書にも使われたので知っている人が多いのだが、その話をしている時に「ああ、知ってる知ってる。ドイツが三十年戦争で負けて一六四八年のウェストファリア条約でアルザスがフランスに取られちゃって、学校でドイツ語が教えられなくなっちゃう話だろ?」とか言われても理解できる奴はほとんどおらず、分かっても厭な顔をされるだけである。
 「……そうじゃなくて、フランスがドイツにアルザスを奪われて、フランス語が教えられなくなっちゃう話だよっ!」
 「だって、アルザス語はロマンス系(フランス語はこっち)じゃなくてゲルマン系(ドイツ語はこっち)だろ?」
 「それでもアルザスはフランスなんだよっ!」
みたいな話になってしまうのである。日本の教科書では、何がなんでも「ドイツ=ヒトラー政権=悪」「フランス=革命=善」みたいな図式でないといけないらしい。
 だから、「フランス革命って、けっきょくブルジョア革命だろ? 日本の明治維新のほうが進んでたんじゃないの?」とかいうと、言ってる人間は冗談のつもりでも、「冗談にならない」のである。「明治政府=天皇による独裁=帝国主義=朝鮮・台湾の植民地化=悪」みたいな図式があるからである。

 ASは笑ってはいけない(とされている)ものを笑ってしまう。それは「常識」という名の偏見に、容赦なく理性の光を当ててしまうがゆえに生まれる笑いである。

 つまり、一般人のジョークに関する感性はきわめて幼稚なのである。旧体制下の東側の政治ジョークでも勉強していただきたい、と思う。そうすれば日本国民の政治に対する意識も向上しそうに思う。

 (Mr.Moto)


Re: 電車の中のかわりもの 5888へのコメント
No.5917  Mon, 9 Jul 2001 09:40:48 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 ちょっと誤解を招く書き方をしたかもしれないので補足にならない補足です。

>私にとっては「みんなが迷惑すること = 非常識」 「あんまり迷惑でないこと = 非常識ではない」なのですが、この考え方も非常識?

 個人のイメージでいいと僕は思います。「非常識な事はこういう事」がルールとして決まってれば別ですが。まあ、公式なものは出来ないと思いますが。

>> やはり簡単に境界線引けたらいいんですが……善悪も。
>ごめんなさい、ここでの境界線がなにとなにの境界なのか、わかりません。

 えーと。「常識・非常識」の境界線です。ついでに「善・悪」の境界線もわかればいいなあ、と思った次第です。

>名加野さんにとっては違うものだということは認識できました。
>しかしそれがまっとうな考え方とはやはり思えません。カップメン食べながら走る人を見てあれこれ言うのは、単に出歯亀根性に思えます。(誰かにぶつかりそうになりつつ走ってたら別。それは迷惑だもの)

 デバガメ(この言葉って誰が作ったんだろう)根性ですか・・・・・・意味がわかりづらいですが、多分おせっかいって事ですね。

>あの番組を見ていると、信じられないほど無知な人と、信じられないほど博識な人がいるんだなあと思います。語源系の問題では、いつも自分の無知さと鈍感さを痛感させられます。
>非常識な人が出てるのはあまり見たことありません。
>解答者が「さっぱりわからない」ときにも無理やり答を書かせてる (当然見当外れ) のが、ちょっとかわいそうな気もする。まあそこがおもしろさの一部ではあるのだろうけど。

 なるほど、「非常識」と「無知」を取り違えてたんですね。ご指摘ありがとうございます。


ジョークが理解できなくていっこうにかまわない。
No.5916  Mon, 9 Jul 2001 09:21:03 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

以前あるところに書いたことなのですが、ASがジョーク、お笑い、ユーモアが理解できないということについて、どういう姿勢(思想的立場)で立ち向かうべきかについて述べてみようと思います。
たしかにこのような能力が低いということは、社会生活を送る上で不利でしょうが、さほど深刻に考える必要もないような気がしてきました。これはたんなるなぐさめとか、しかたないからあきらめましょうといったものではないのです。
よく教育論で話題になるのが、「授業をもっと楽しく・・」とか「教科書に漫画を取り入れては?・・」とか、さらには「授業に漫才を取り入れてみてはどうか」などと提案する人もいます。このような意見について、現場のたいていの教師はしらけた目を向けるだけです。こうした態度をたんに教師の怠慢だなどと決め付けて自分のうっぷんばらしにしてしまうのはガキの態度でしょう。
事実おおかたの新米教師は、いかにして授業を楽しくできるかということを熱心に研究し、ハッスルするのですが、遅かれ早かれ挫折します。
すこし前から、たけしが科学番組を担当するようになって、科学的学問的な話題をエンターテイメントの世界にも持ち込もうと試行錯誤しているみたいですが、やはりどこか無理をしている感じがつきまとっています。所が科学番組のゲストとして登場するときも、同様のちぐはぐな印象を受けます(そういえば、数学者の秋山仁とかいう人が一時期テレビに出演していましたが、いつのまにか消えてしまいました)。
結局、科学的学問的な世界とお笑いやエンターテイメントの世界とは噛み合わないのです。「学問を楽しく」とか「お笑いと科学を融合させる」とかいうのは、いってみれば青汁にカルピスを混ぜて飲ませるようなものなのです。
神経生理学的には、両者は脳の使い方がかなり異なるのでしょう。ですから両者を同一の時空間で行おうとすると、シリアスな話題になる瞬間とお笑いの瞬間とでいちいち脳の回路を切り替えないといけないのです。
勉強嫌いな子どもが多いのは、おそらくシリアスなことを考えたり話したりするときのほうが余計にエネルギーを消耗するからでしょう。幸か不幸かASのお子様はそういう世界しか馴染みがないですから、健常児よりも比較的馴染みやすいのです。
「蓼食う虫も好きずき」多数の健常者にとっての辛口こそがASの好みであり、しかもいちいち回路を切り替えて余計なエネルギーを消耗する必要もない。
こう考えてみれば、無理に健常児に近づこうとして不毛な努力をしたり、神経をすり減らす必要もないということがわかってくるでしょう。徹頭徹尾くそまじめでいっこうにかまいません。不幸なことに、現代のような飽食の時代で、享楽主義、刹那主義が横行し、知識人が軽蔑され、ASタイプが根暗人間と称され、あほなテレビ番組が横行するような状況では、なかなかやりがいや生きがいや取り組める課題や居場所が見付からないものですが、これは社会のほうにこそ問題があるのです。知識人、資産家、経営者、研究者、科学者、大学教授、といった、一般大衆から見てより高度な存在(と思われている)に対しての嫉妬心が権力を握る社会(これはまさに、ASにたいする大衆の態度にオーバーラップします)というのは、いつの日かつけが回ってくるでしょう。


Re:A-FILES 5910へのコメント
No.5915  Sun, 8 Jul 2001 22:39:28 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

Xanadiiさん wrote: 
> ごく最近の例としては、私が最近引っ越してきたアパートの私の隣室に、4人家族が住んでいるのですが、その末っ子の女の子(私が出会った時点では、まだやっとよちよち歩きだった)の「ミズホ(仮名)」ちゃん。普段滅多に会わないんだけど、彼女は、私を見かけるととことこ走ってきて、私の眼をじい〜っと見つめるので、カワイイな〜っと、思ってしまうのですが。
> 
> 現在、まだ発語はないらしくて、「アア〜」しか言えないみたい。アパートの室内では、しょっちゅう彼女の「ピィ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」とか、「キャア〜〜〜〜〜〜〜っ」というような、金切り声というか超音波みたいな悲鳴?が壁を通して聞こえてくる。同時にドタン!バタン!と音がするので、彼女がかんしゃくを起こして暴れているのか、それとも考えたくないけど、せっかんを受けているのか...
>
> 上のお姉ちゃんは、ミナ(仮名)ちゃんと言って、小学校低学年くらい。私を見るとちゃんと「コンニチハ」って挨拶してくれるのですが、どうやら彼女、自分の妹のことちゃんと理解してやれなくて、辛くあたっちゃってるみたいだ。おもてで遊ぶときなんかも。「ミズホッ!ほらあ、おいでったら!もう、バイバ〜イ」なんていう、苛立ったような声が、よく聞こえてくる。
>
> ミズホちゃんは、果たして潜在的な自閉性障害を抱えている子なのか?それは、もっと彼女が大きくなってからでないと、私にも分からない。他人事とはいえ、つい気になってしまうんだけれど。今の私にできることは、陰ながら彼女の様子を見守ってあげて、もしいつか、ミズホちゃんがこの私に助けを求めてきたら、できるだけかばってあげようってことぐらいかな。人攫いになってしまわない程度にネ。「子ども110番」だってあることだしね。「ちびっこ園」の例だって...。
>
> これからもちょこちょこ、こんな「A-type発見秘話」を、私も続けていこうかなと、思っている。

 僕には現在2歳1ヶ月の姪がいます。その子は発育は順調、言葉はすでに「これなーに?」「お絵かきするー」などが出てきて、周りのあらゆるものに興味を示す「いわゆる普通の人」です。
 姪はしばしば僕の住んでいる家に来るのですが、どうも僕は姪とうまく遊んでやることができません。「いわゆる普通の人」の子供がいかなるものか理解できていないのです。

 その姪の父親は僕の兄です。兄もまた「いわゆる普通の人」です。その奥さんも。
 Xanadiiさんの投稿に出てきたミズホちゃんに対するミナちゃんのように、兄も僕を理解できないらしく、人格攻撃に近い悪口を言われるのはしょっちゅうでした(本人は軽いつもりで言ったのでしょうが、僕にはこう感じられました。)。ちなみに兄にはASのことは言っていません。いまさら言ったってどうなるものでもありませんから……。

 まさしく、「A−type」と「いわゆる普通の人」は「異なる世界」です。
 姪が大きくなって、僕のことをどういう風に見るのか少し不安になっています。なにせその子の両親が「A−type」を見ていない、理解が足りないのですから。
 でも、もし仮にその家族に「A−type」の子が生まれてきたならば、僕はきっと適切なアドバイスができると思っています。「A−type」を見る目は「A−type」が最も確かなのですから。

 「A−type」の子供たちのアドバイザーになりたい   ミッドランド


Re: 電車の中のかわりもの 5850へのコメント
No.5914  Sun, 8 Jul 2001 22:34:47 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

みなさん、すばらしくたくさんのレス、ありがとうございました!!

ひじょうに興味深かったです。

私がこのことを質問したのには、みどりさんの意見、

>このあたりって、すごく「一般の人が変人 (含AS) を嫌がる理由」
>につながってるのではないかと思うのです。
>『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。でも嫌だ』
>というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみたいのです。

というものと共通する疑問があったからです。

A−TYPEを自称する人々は、自分を「変わり者」だと認識していると、
ゆーりは思っています。
しかし、その「変わり者」たちが、別の方向性をもつ「変わり者」を見た場合、
どういう反応を示すか、ちょっと知りたかったのです。

アンケートをとってみて、分かったのは、やっぱりA−TYPEでも
「不快なものは不快」、「非常識」、「マナー違反」、「迷惑」、
「自分の感覚には合わない」と感じることがあるということです。

ふだん、輪の中からはずされている人間、そのひとりの内部にも、
理解不能な他人の行動は排除しようとする本能みたいなものがある。

この事実は、人間という生物を理解する上でひじょ〜うに大切なんではないか。

思うに、この不快さは、
「自分の信じていた暗黙の了解が破られることによって、自分の立つ
 安全で心やすらける世界が壊されるのではないかという恐怖や不安から
 生み出される感覚」なのではないか。
一種の、人間の生物的本能ではないかと思うのです。

とすると、一般人がA−TYPEの存在を不快に感じるのか、
ちょっと見えてきたような気もします。

ちなみに、私は

>● 電車の中でカップラーメンを食べていた若者。
>● 電車の中でひげをそっていたおじさん。
>● 電車の中で靴下をはきかえていた女子高生。
>● 電車の中でヘアアイロンをしていた女子大生。
>● 電車の中でミニスカなのに足を広げてパンツを見せていた大胆不敵な女子高生。

の人々は、羞恥心が欠如しているのだと思います。
私も電車の中で、おにぎりを食べているのであまり人のことは言えませんが。
「恥ずかしい」と思う感覚、それじたいが1つの文化であるような気がします。
でも開き直れば何でもできる、というのが人間の長所なのかもしれません。

「カップラーメンを買い、国家試験場まで食いながら走った」名加野さん、
火傷しなかったですか?スーツに汁はかかりませんでしたか?
見てみたかったなあ。
青春してるって感じですね。


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5905へのコメント
No.5913  Sun, 8 Jul 2001 21:22:38 +0900  くると [この発言にコメントする]

 武田さん、みなさん、こんばんわ。就職試験の後遺症で頭がまとまらない
くるとです。

 あと、視覚異常に関する医学的な知見の整理をありがとうございました。
武田さん。

 今日はコメントがまとまらないので、質疑だけで勘弁願います。

武田好史さん wrote:

> 目に障害があっても、視神経に障害があっても、脳に障害があっても私たち
>人間は正常な視認知ができなくなります。つまり「正常な視覚を持っている」
>ということは、「目からの外界の様子が正常に脳に伝わり、かつ脳が正常にそ
>の情報から画像を作り出せる」という2つの条件が満たされているということ
>なのです。

(1)目から外界の様子が正常に脳に伝わる
(2)脳が正常にその情報から画像を作り出せる

 という点について質問です。そもそも、「正常な視覚を持っている」人が見
ている外界の様子は、実際の世界の様子を正しく知覚できていると言うことが
できるのでしょうか?

 伝統的な哲学の解釈では、実際に存在する世界の様子とわたしたちが知覚で
きる世界(現象)は同じではありません。つまり、わたしたちが見ることので
きる現象と、実際の世界の様子は別物なのではないかという疑問があるのです。

 色覚についても同じことが言えます。「正常な視覚を持っている」とされる
人が色を見ているからと言って、この世界に色が存在することが証明できるの
かどうか謎です。

 人間が知覚している現象面の説明としては、医学的な説明は正しいと思いま
す。でも、わたしが頭を悩ませているのは、実際に存在する世界に色は存在す
るのか、という点にあります。

> このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常
>に体験できない」感覚なのです。

 色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
ります。

 余裕があったら、お答えいただければ幸いです。それにしても、話が自分の
知能では手に負えないところまで来てしまったような気がする…。ちょっと、
頭がショートしてきたくるとでした。


Re: 電車の中のかわりもの 5902へのコメント
No.5912  Sun, 8 Jul 2001 20:48:22 +0900  くると [この発言にコメントする]

みどりさん、みなさん、こんにちわ。ちょっとハードな就職試験を受けて
ヘロヘロ状態のくるとです。(ちょっと疲れ方が異常だ)

>つまり、くるとさんも、基本的には「危害」を基準に「非常識かどうか」を判断している (もしくは、判断しているつもりである) のですね。
>でも、これらの事項については、非常識だと思ったのに、基準となるべき危害が見つからなかった。それで困った。
>
>... 合ってます?

 正確には「危害」があるかどうかだけが基準なんです。で、常識から外れて
いても、具体的な危害がなければいちいち腹を立てる必要はない、と考えなが
ら生きていました。だから、ゆーりさんが例に挙げたような行動をなぜ自分が
しないのか不思議でした。根拠もなくマナーに従っていたとしか思えないので
す。

>なんでこんなにしつこく聞くのかと言うと、このあたりって、すごく「一般の
>人が変人 (含AS) を嫌がる理由」につながってるのではないかと思うのです。
>
>『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。で
> も嫌だ』 というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみた
> いのです。

 今回の件について、わたし自身は「感覚的に嫌だ」と思ったことはありませ
ん。ただ単に、自分がそうしなかっただけという感じです。

 でも、「一般の人が変人を嫌がる理由」については、ちょっと気になります
ね。まだ、まとまりませんが、1つだけ仮説でも出しておきます。

 これはわたしの例ですが、親戚の50代の男性を「感覚的に嫌だ」と感じた
ことがあります。その男性は家族の中の鼻つまみ者であり、両親はたびたび彼
を反面教師として、わたしの行動や性格を矯正しようとしました。ところが、
今から思えば、その男性というのは家族の中では1番わたしに似ているんです
ね。わたしを更に極端にしたタイプの人間と言っていいでしょう。おそらく、
家族はわたしの中にその男性に似た特徴を見出したため、その人をわたしの反
面教師に設定したのでしょう。

 で、以上のことからわたしが考えた仮説です。「一般の人が変人を嫌がる理
由」は、一種の自己嫌悪なのではないでしょうか。つまり、自分が子供の頃に
やってとがめられた奇行(?)を、他の人が目の前で実行したために自己嫌悪
に陥ってしまった状態なのではないかと考えます。

 ちょっと、頭がまとまらないので、今日はここまでにしておきます。では


Re: ある疑い(ナルコレプシー) 5907へのコメント
No.5911  Sun, 8 Jul 2001 20:22:25 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Xanadii wrote:
> 今、“ナルコレプシー”について、めっちゃ勉強中です。
> なぜなら、自身が各診断項目に、かなりの部分該当していることに気がついてしまったので...。診断は、自己診断になってしまわざるを得ないけど、今の日本の医療事情を思うとさ。そういう金銭的余裕がないという恨みなきにしもあらずって訳で...
> しかし、As/ADD/LDときて、さらにナルコレプシーということになったら、一体、何ヶ所破壊されていることになるのかしらね、私の脳は(-_-)?

 ナルコレプシーというのは、正常の意識状態にある人が不意に眠り込んでしまう発作のことを指します。
 発作を起こした人の話によると、日中に耐え難い眠気に襲われ数十分から数時間眠り込んでしまい、眠りに落ちる際に悪夢を見ているようです。
 またこの発作を起こす人は笑ったり・驚いたりすると力が抜けてしまう傾向があるようです。


Re:A-FILES 5906へのコメント
No.5910  Sun, 8 Jul 2001 20:04:27 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:
> 
> 今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
> だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……

 まあ、本やマンガに没頭して、一時的に周囲への関心が全くなくなるっていうことは、非A-typeの人々にもあることだから...それでも、ミッドランドさんがそう感じたって事は、ご自分に通じる「何か」を、その子に発見したのかも知れないですよね。カッコ良く表現するなら、「ヴァンパイア・ハンターがヴァンパイアを見分ける」みたいにして?

> 皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?
>
 子供時代から今にいたるまで、まさにヴァンパイア・ハンター(ヴァンパイアと人間のハーフみたいな存在)として、見分けてきておりまですすよ、わたしゃ(^o^)。
 まさしくビビビ!とくる人と、「これはちょっと微妙なところだなあ〜...」といういわゆるグレイ・ゾーン・タイプに至るまで、ピンキリですけど。
 
 ごく最近の例としては、私が最近引っ越してきたアパートの私の隣室に、4人家族が住んでいるのですが、その末っ子の女の子(私が出会った時点では、まだやっとよちよち歩きだった)の「ミズホ(仮名)」ちゃん。普段滅多に会わないんだけど、彼女は、私を見かけるととことこ走ってきて、私の眼をじい〜っと見つめるので、カワイイな〜っと、思ってしまうのですが。
 
 現在、まだ発語はないらしくて、「アア〜」しか言えないみたい。アパートの室内では、しょっちゅう彼女の「ピィ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」とか、「キャア〜〜〜〜〜〜〜っ」というような、金切り声というか超音波みたいな悲鳴?が壁を通して聞こえてくる。同時にドタン!バタン!と音がするので、彼女がかんしゃくを起こして暴れているのか、それとも考えたくないけど、せっかんを受けているのか...

 上のお姉ちゃんは、ミナ(仮名)ちゃんと言って、小学校低学年くらい。私を見るとちゃんと「コンニチハ」って挨拶してくれるのですが、どうやら彼女、自分の妹のことちゃんと理解してやれなくて、辛くあたっちゃってるみたいだ。おもてで遊ぶときなんかも。「ミズホッ!ほらあ、おいでったら!もう、バイバ〜イ」なんていう、苛立ったような声が、よく聞こえてくる。

 ミズホちゃんは、果たして潜在的な自閉性障害を抱えている子なのか?それは、もっと彼女が大きくなってからでないと、私にも分からない。他人事とはいえ、つい気になってしまうんだけれど。今の私にできることは、陰ながら彼女の様子を見守ってあげて、もしいつか、ミズホちゃんがこの私に助けを求めてきたら、できるだけかばってあげようってことぐらいかな。人攫いになってしまわない程度にネ。「子ども110番」だってあることだしね。「ちびっこ園」の例だって...。

 全くの余談だが、私が昔勤めてたレコード屋のすぐ横の雑居ビルに、「ちびっこ園」があったのよね。ぜったいヤバイって思ってたもん。中を見たことはないけれど、もういちんち中、子どもが泣きっぱなしで、それも一人や二人の声じゃなくって。ニュースを見て、問題があったのは、経営者側で、保母さんの方ではなかった(中には無資格の人もいたらしいが)というのが、せめてもの救いかな。
 とにかく、子どもの悲鳴が聞こえ続ける環境に、真の心の安らぎと、幸福はありえことないだろう。

 これからもちょこちょこ、こんな「A-type発見秘話」を、私も続けていこうかなと、思っている。


Re: ふと思い出した、あのときの少年 5908へのコメント
No.5909  Sun, 8 Jul 2001 20:01:20 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>ミッドランド wrote:
>> 皆さんレスありがとうございました。まだその気にはなれませんが、ご意見を参考にして今後の糧とさせていただきます。
>>
>> さて今回は、前回の投稿でふと思い出したことがあったので、それを綴ります。
>>
>>ミッドランド wrote:
>>> まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。
>>
>> > 今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
>> だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……
>>
>> 皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?
>>
>> 子供時代の「貴重な出会い」は本当に大切と感じる   ミッドランド
>
 私も結構「あれ、もしかしてこの子アスペッ子??」という子にあっていますが、その中でも忘れられないのは、去年の夏地元の身体障害者のケア施設でボランティアをしたときにあった、やはりボランティアの中学生の女の子です。
 彼女は、恐らくは目から入った情報を基に身体を動かすことが非常に苦手であったのでしょう。私が施設の職員に教わってその日のうちにマスターした、タオル箱を組み立てる作業がその子は全くできず、「みんなどうしてそんなに簡単にできるんですか??私には気が遠くなりそうなことなんです・・・・」と泣き出してしまいました。一緒に作業をしていた年輩のボランティアの人が、「そんなのはなれるしかないよ!」とその子にこぼしました。
 彼女はそのことがよっぽどショックだったらしく、予定を切り上げて帰ってしまいました。私は昼ご飯を早めに済ませて、懸命にその子が残していった箱を組み立てました。
 未だに「もっと優しくしてあげれば・・・」「もしかして重い鬱病に陥ってないだろうか・・・」ということが気にかかります。

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