アスペルガーの館の掲示板(旧)
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オレンジブルー wrote:
>自分は「きっと白痴に違いない・・・」と真剣に悩んだ時に、黒沢明監督の(ドストエフスキー/作)「白痴」をビデオで真剣に見ました。
>ショックでした。。。。。。(泣)
>だって。
>その主人公の白痴といわれてる男性は私からみると、
>全然「白痴」どころか普通の人で、「あれが白痴なら私はどうなるの!+**!」
>とますます落ち込んでしまったのでした。。。
ドストエフスキーの小説の題名は、訳が適当ではないのではと思います。
私はロシア語は全く分かりませんが、複数の意味がある外国語の単語を直訳すると、元の意味と変わってしまうことはよくあります。
ビートルズの「ノルウェイの森」は本来は「ノルウェイの木製家具」のことですし。
あおび さんへ
>26歳無職です。
私も無職です。
歳はあなたより4つ年上ですがそれでも
よろしかったらメール交換しましょう。
まろんす
オレンジブルー wrote:
>
>「意味」が実体を通して「理解」できていない・・・といいましょうか・・・。
>ああ、実も蓋もない事を言っている私・・・(哀・汗)
>
>「言葉」というものを「絵の具」に置き換えまして、
>「絵の具」の「色」を知らずに「赤色」と「覚えて」いるような。。。
>「ピンク色」は「赤」と「白」でできているのに、「繋がって」いないという様な・・・・・。
>
>「人」と「背景」は別なはずなのに、フラットで混じっている世界の様な・・・・・。
>
>う〜・・・。絵を描いてて「私はナンダ!?」っておもいました・・・・・。
オレンジブルーさん、初めまして、pennpennです。この間はどうもあさかぜさんとオレンジブルーさんを人違いしてしまいすみませんでした。まだ花の独身のオレンジブルーさんなのに。失礼しました。
オレンジブルーさんは実際に絵をお描きになるのですか?HNといい、言葉の意味の例に絵を持ち出すこととか・・・・。カラフルで美しいですね。でもオレンジブルーさんの世界も大変でつらそうですね。
私も若い頃、自分が白痴なのだと思って悩んでいました。少し年をとってからは若年性アルツハイマーなのではと悩みました。白痴なら白痴でよかったし、アルツハイマーならアルツハイマーでよかったのです。ただ症状があるのに普通の人として生きていくのがつらかった。白痴なら白痴として授産施設とかで働けるのにそういう診断もないので普通に生きていかなければいけないのがつらかったのです。
就職する自信がなかったので進学して大学に行きましたがADDがあったせいか一時間半の授業に耐えられずたいてい途中で教室を出ていたし先生のいうことは聞き取ることができなかったしそれまでにもましてつらい4年間でした。
就職してもつらかったし結婚してもつらかったし子供ができてもなかなか大変。何をしても大変なのがこの病気(?)の特徴なのでしょうが。オフ会があるといいね。みなさんにお会いしてお話ししたいです。
名加野 wrote
>
> あれから、通院はしておりません。「普通」と言う診断されたので。特に何もないとのことです。催眠療法(自立神経の強化)でもしてみたらと言われて、お終いです。
悩んで病院に行くのに普通といわれておしまいなんてひどいよね。私は精神科医をあまり信用していません。他の病院にも行って合う医師を捜してみてはいかがでしょうか。最後には鬱病になってしまうよね。この社会で普通の人として生きていたら。仕事忙しくて大変みたいですね。でも時々ここにきてね。待ってるよ。
あさかぜ wrote:
>
> こんにちは。
> 「DVの後遺症」と書いたあさかぜです。オレンジブルーさんは独身とご自身で書いておられましたので、お間違えのなきように……。
>
> ↑こんなこと言ってしまってごめんなさい。でも、ここでしか本心を言うことはできないんです。
>
あさかぜさん、オレンジブルーさん、ごめんなさい。もう大変失礼しました。私は人の名前を覚えるのが苦手で・・・・。夫の友人の顔と名前も結婚して16年たつというのにいまだにまちがえるのです・・・・。
私もここでしかほんとうのことがいえません。障害者が健常者を逆差別するという批判がありますがやはり同じ症状を抱えた人にしかわからないことってあると思います。私にとって夫はやはり他人です。実の両親にも心を開いたことがありませんでした。でもこのホームページで知り合った方はどなたとも一度もお会いしたことはありませんがどうも他人という気がしないのです。
私はこのページを知るまで私のような人と知り合ったことがなかったのです。ただ孤独に苦しんできました。だからみなさんと知り合えてほんとうに心がなぐさめられました。ASといってもいろんなタイプがありそれぞれに育った環境も年齢も違いますが似たところが多いなあと思います。このページに来ると故郷に帰ったような気がします。だからタレイヌさんがこのページから去るというのはとてもショックでした。そんなことを考えたこともなかったのです。
タレイヌさんとこうもりさんの議論は私には少し難しくてお二人のお話にレスをしたことはあまりありませんでしたがよく読ませていただきました。難しいことを考えていうなあなんて思うのですが私も人から見れば難しいことを考えていると思われることがあります。こだわってしまうのですね。特定のことに。で、そのことにやはりこだわっている人に出会えるととてもうれしい。
あさかぜさん。あさかぜさんと私は似ているかもしれない。私は43才の子供です。20代の頃、私は多重人格の症状に苦しんでいました。なんとか人格を自分で統合したのですが最後に残った人格は5,6才の子供の人格でした。大人のふりをしているけれどほんとうの私はとても子供です。心細く生きてきました。私の全てを隠して大人のふりをして。でも生きることに疲れてしまっていました。抗鬱剤なんて全然きかない。治療にも絶望していました。
でも最近は仕事も辞め家にいて最低の家事とインターネットの毎日。少し元気が出てきたような気がします。私はなぜか長生きしないような気がするのです。いつも残った人生の年数を数えて自分を励ましていました。大人になんてならなくていいよね。これでいいんだよね。あさかぜさん。カキコしてね。みなさんのカキコが私の元気の元。
Mariaさん、いつもいろいろなことを教えて下さってありがとうございます。Mariaさんが知らないことなんて何もない感じですね。Mariaさんのカキコを過去にさかのぼって少しずつ読んでいます。一冊の本なんて簡単にできてしまうような量ですね。Mariaさんはロゴスとしての神を信じているけれど人格神としての神は認めていないのですね。
自宅にはイエスキリストそのもののJOSHYAさんとベタニアのMariaさんがいるのですね、信じます。またいろんなお話を聞かせて下さい。
グルンサさん、こんにちは。
>名加野さんへ。その後、通院はいかがでしょうか?(私は、未だに安定剤で経過観察中です。)しかし、前に名加野さんも書いていましたが、一体、普通の人間って何なんでしょうね、本当に? プリントアウトしたカキコを読み返して、失礼ながらまとめてレスさせていただきました。しかし、本当にここの掲示板はペースが速いなあ。(私が、間違い訂正・追加カキコで埋める事が増えてきたのも一因か?)
あれから、通院はしておりません。「普通」と言う診断されたので。特に何もないとのことです。催眠療法(自立神経の強化)でもしてみたらと言われて、お終いです。
名加野 wrote:
> オレンジブルーさん、こんにちは。
こんにちわ、名加野さん。はじめまして。
>>「使っている言葉」自体が違っている事にまず気がつき発見してしまった時はさすがに奇妙で驚愕でした。
> 「使っている言葉」と言うのは、意味を間違えて使うと言う事ですか?
「意味」が実体を通して「理解」できていない・・・といいましょうか・・・。
ああ、実も蓋もない事を言っている私・・・(哀・汗)
「言葉」というものを「絵の具」に置き換えまして、
「絵の具」の「色」を知らずに「赤色」と「覚えて」いるような。。。
「ピンク色」は「赤」と「白」でできているのに、「繋がって」いないという様な・・・・・。
「人」と「背景」は別なはずなのに、フラットで混じっている世界の様な・・・・・。
う〜・・・。絵を描いてて「私はナンダ!?」っておもいました・・・・・。
>それとも、言語体系が違うのでしょうか?(汗。「お前の言語は名加野語だ、誰か訳せ」とかはよく言われますが……。これとはまた違うのでしょうか……。
一緒でしょうね・・・多分に。
>僕はよく質問をしていますが、ただその質問してる事自体が「何が解らないか
>を、まず理解してないからそんな質問をするんだ」と言われました。
> 結局何が言いたくて書いてるのかも、自分ではよく解っておりません
ですので、それが「コミュニケーション」の「基盤」がもともと「違っている」というのは、そういうことのつもりでした。。
>「理解の仕方」や「会話のルール」が違うと言う
>事ならわかります。そんな感じなので。でも、文章にすると、解りにくさが半減
>(とは行かないまでも)しますね。結局日本語使ってるんですもんね。
半減する為のルールを見出すのってムツカシイっす・・・・。
私は大阪の御堂筋線の満員電車の中で、どうも自分はふつうの人にしてみりゃあ
「なんてこと言うの!?」ということを言ってたらしいんですしかも大声で。
一緒にいた知人に向かって。いきなり血相変えたような剣幕で「それは##でしょう!」ってその人に説教されだしまして、でも私はさっぱり何ででそうなったのか分かりませんでした。。。なんでいきなりああなったのかも理解できなくって、どうも呆れられて怒られてたようでしたが「なんでそうなっているのか」自分がどういういけないことをしたのかが、何度聞いても「ワカラナ」かったのでキョトンとしてたら「ワカラヘンのなら言ってもしゃあないわ」と言われました。
むー。
「腹黒いんちゃうか?」とかとも言われた事もあり、「???????」でしてきっと私は「人の世界の数割」位しかワカッテナインダロウナア・・・・・
自分は「きっと白痴に違いない・・・」と真剣に悩んだ時に、黒沢明監督の(ドストエフスキー/作)「白痴」をビデオで真剣に見ました。
ショックでした。。。。。。(泣)
だって。
その主人公の白痴といわれてる男性は私からみると、
全然「白痴」どころか普通の人で、「あれが白痴なら私はどうなるの!+**!」
とますます落ち込んでしまったのでした。。。
「死んだほうがいいんじゃない?」ということば、
実は何度かさり気なく聞かされたことあるんですが、
それすら「ピン」とこない私でした。
「何の為に生まれてきたんだろうねえ?」とも言われましたが、
「何の為」という意味も分らなかったのでした。。。
しかし無意識に行っている「行い」は周囲から見ると「まとも」らしく、
人が嫌がる事も自分から平気でこなしているようで、「偉いよ君」と言われてもやっぱり
なんとなく「そうなのか。」なのでした。
この文章読まれて気分悪くなった方、ご勘弁を。ひゅう〜・・・・・・。
横レスすみません。
ぶちさん wrote:
> 「発達障害を、もって生まれてきている事を、マイナー項目にしないで・・・そうですよね。ある子供用の童話の中に、「長所は短所。短所だと思って消してしまったら、いい所までなくなっちゃう。特徴が短所に見えないようにすればいい。私が私であるように、ありのままに」っていうような事が書いてありました。
>
> 人生ってコントラクト・ブリッジっていうカードゲームみたいなもんだって思っています。生まれた時に神様から、色んなカードをもらって生まれて来るけど、使いやすいカードばかりとは限りません。でも使い方や、使う時を選べば有効な一打になると思うんです。「自分のもち札を研究して、いつ、どう使うか?」これが私の課題です。
>
> マイナー項目にしない、無理に消さない・・・私もそう思います。
私も、早く胸をはってこう言えるようになりたいな。
名加野さん wrote:
> いやあ、本物の肉体労働ではないんですが、毎回移動しながらの、チェック作業は体にこたえます。目(小さいし、パソコンの置き方によっては読みづらい場所に製造番号が……)や、手(必死に一つずつ手書きで書く)を酷使し、全部で3000とも5000とも台数があるらしいです。気が遠くなります。帰ってきても眠気がまず先に襲ってきます(苦笑。
私も、今年からPCとにらめっこ。これが、ホントに目にこたえます。(去年までは、外回りで体動かしてました。)おまけに、電車の中で激烈に眠気に見舞われることも…。(ヒンシュクもんでした、はい。)
> せっかくADSLが入ったのに……。
すみません。ADSLってどんなものでしょうか?(初耳の初心者でございます。が…1ヵ月もすれば、もう初心者とは言えない、かな?)
みどりさん wrote:
>話の途中で思いついた関係ないことをはさんで話してしまったり、関係はあるけど、話が逆に向かうことを言ってしまったり。
>特に、ちょっと心にやましいものを持ちながら話をしているときには、相手を説得した後に最後にすべき弁解を、説得中に弁解ばかりしゃべてしまって、目的とはどんどん反対に進んでしまうことがよくあります。
>コンピュータで書く文章なら、あとで順序を入れ換えたり削除できたりするのでましなんですけど。
>
>頭と口もうまくつながっていなくて、すごく早口なのに、それでも間に合わなくて、文章の途中をとばしてしまいます。
>「あけましておめでとうございます」なら、「あけまして…す」みたいになってしまいます。
>頭の中では文章が完結してるので本人はあまり気づいてないのですが、なにかで録音したりしたものを聞くとめまいがします。
>
>なにか人前で発表するようなときは、あらかじめすべての文章を作っておかないといけません。
>少しでも自由にしゃべる余裕を自分に与えようものなら、すぐにその場での思いついたことを話しはじめてしまうので、話がわからなくなったり、時間が足らなくなったりしてしまいます。
>
>そういう問題なく、資料だけ用意すればぶっつけで話ができる人がいることを知って、とてもうらやましいと思いました。
>自分の頭のなかはすごくごちゃごちゃなんだって感じがします。からまった紐をひきずりだすみたいにしか話ができないんです。
私も、ほとんど同じです。(蛇足ですが、自分が15歳と30歳の時に、録音された自分の声を聞いて目眩がした。[というより、しそうになった。]あまりの声の甲高さと、早口振りに。自分では、トーンがアルトぐらいだと思ってただけにショックだったー。)ちゃんとしたコミュニケーションが取れないのもきついですね、お互いに。
あさかぜさん wrote:
> 自分の脳SPECT画像を見てみたいと切望している、あさかぜでした。
私も見たいです!自分の脳って、コワい(?!)けど、おもしろそう。(余談ですが、昨年、検査入院で自分の膝の中を見てみたことがあります。結果は…最後は、酸素吸入に至りました。ははは。)
pennpenn58さん wrote:
> 私は大人になれなかった大人です。一生大人にはなれないのかもしれません。
こんにちは。
「DVの後遺症」と書いたあさかぜです。オレンジブルーさんは独身とご自身で書いておられましたので、お間違えのなきように……。
セロトニン濃度が安定してきたせいか、うつは直ってきたと自分では思っています。でも、根本は何も変わっていません。元に戻っただけ……。
子供のころから、ちっとも変わっていないです。何の進歩もないわ。
もうメチャクチャです。わたしはADDだと思います。45才だなんて。結婚して子供がいるなんて。とても信じられない。自分に正直に生きてこられたのなら、こんなふうになるはずはない……。
↑こんなこと言ってしまってごめんなさい。でも、ここでしか本心を言うことはできないんです。他の人に言ったって、わかるはずもない。わたしだって、一生大人になんかなれません。なりたくもないわ。
すみません。混乱しています。不適切なら削除してください。>管理人さま
すみません、激遅レスです。
nonoさん wrote:
>> 一時的に症状が改善したとしても効果がきれた時の脱力感も相当なものになる可能性もある。
>
>これは、薬の切れ際に起こる副作用のことでしょうか?
はい。そうだと思います。
自分の脳SPECT画像を見てみたいと切望している、あさかぜでした。
りげる wrote:
>そして、私は勢いで話す癖があるため、「人の話をちゃんと聞いていない」
>どころか、「何を伝えたいのか理解できない」と言われたこともあります。
>幸い、文章は判りやすいと指摘されたことがあるので、文字情報を伝える
>のは得意ですが、話す時、焦って思いついたことをしゃべってしまって、
>聞き相手に誤解を与えてしまたことも何度もあります。
よくやってしまいます。
話の途中で思いついた関係ないことことをはさんで話してしまったり、関係はあるけど、話が逆に向かうことを言ってしまったり。
特に、ちょっと心にやましいものを持ちながら話をしているときには、相手を説得した後に最後にすべき弁解を、説得中に弁解ばかりしゃべてしまって、目的とはどんどん反対に進んでしまうことがよくあります。
コンピュータで書く文章なら、あとで順序を入れ換えたり削除できたりするのでましなんですけど。
頭と口もうまくつながっていなくて、すごく早口なのに、それでも間に合わなくて、文章の途中をとばしてしまいます。
「あけましておめでとうございます」なら、「あけまして…す」みたいになってしまいます。
頭の中では文章が完結してるので本人はあまり気づいてないのですが、なにかで録音したりしたものを聞くとめまいがします。
なにか人前で発表するようなときは、あらかじめすべての文章を作っておかないといけません。
少しでも自由にしゃべる余裕を自分に与えようものなら、すぐにその場での思いついたことを話しはじめてしまうので、話がわからなくなったり、時間が足らなくなったりしてしまいます。
そういう問題なく、資料だけ用意すればぶっつけで話ができる人がいることを知って、とてもうらやましいと思いました。
自分の頭のなかはすごくごちゃごちゃなんだって感じがします。からまった紐をひきずりだすみたいにしか話ができないんです。
グルンサさん、こんにちは。
>はじめまして。私も、似たよーな生活送ってます。(現場からは、外されたんですけどね。それなのになぜ?)まともな人間らしい生活を送りたいものですね、ホントに。
いやあ、本物の肉体労働ではないんですが、毎回移動しながらの、チェック作業は体にこたえます。目(小さいし、パソコンの置き方によっては読みづらい場所に製造番号が……)や、手(必死に一つずつ手書きで書く)を酷使し、全部で3000とも5000とも台数があるらしいです。気が遠くなります。帰ってきても眠気がまず先に襲ってきます(苦笑。
せっかくADSLが入ったのに……。
まだクレイヌさん、読んでいらっしゃいますよね?
こんにちはクレイヌさん、ぶちです。
タレイヌ wrote:
>発達障害を、持って生まれてきている事を、マイナー項目にしないで、本人が自分でコントロールできる「自分の人生」を、生きていってもらうために、周りができる援助の形を、模索していきたいと、思い始めました。
>
>その準備のために、これから、1年ほど、活動していこうと思っています。
>まだはっきりとしたことを、ここに書き込むことは出来ませんが、東京の、とある?病院に、発達障害を、トータルに扱う部門を、開設するべく、動き始めております。
すごい! がんばって下さいね。
前、なおみさんが去っていかれた時に、何も声をかけられなくて、実はすごく心残りだったんです・・・(こだわらない時はこだわらないけど、こだわる時には、
すっごくこだわる)。クレイヌさんにも「頑張って下さい」って言いたかったんで出てきました。
「発達障害を、もって生まれてきている事を、マイナー項目にしないで・・・そうですよね。ある子供用の童話の中に、「長所は短所。短所だと思って消してしまったら、いい所までなくなっちゃう。特徴が短所に見えないようにすればいい。私が私であるように、ありのままに」っていうような事が書いてありました。
人生ってコントラクト・ブリッジっていうカードゲームみたいなもんだって思っています。生まれた時に神様から、色んなカードをもらって生まれて来るけど、使いやすいカードばかりとは限りません。でも使い方や、使う時を選べば有効な一打になると思うんです。「自分のもち札を研究して、いつ、どう使うか?」これが私の課題です。
マイナー項目にしない、無理に消さない・・・私もそう思います。
クレイヌさんの活動に大きな実りがありますよう、お祈りしています。
(ぶち)
オレンジブルーさん、こんにちは。
>「使っている言葉」自体が違っている事にまず気がつき発見してしまった時はさすがに奇妙で驚愕でした。
「使っている言葉」と言うのは、意味を間違えて使うと言う事ですか?
それとも、言語体系が違うのでしょうか?(汗。「お前の言語は名加野語だ、誰か訳せ」とかはよく言われますが……。これとはまた違うのでしょうか……。
>そこにはコミュニケートの基盤がもともと違うところにある感じでした。
>これ、なかなかフツウ(非自閉人)にはかなり理解を超えてワカラナイのだろうと
>感じます。(なんとなく気づいてた人もいましたが)
ちょっとよく解りませんが、「理解の仕方」や「会話のルール」が違うと言う事ならわかります。そんな感じなので。でも、文章にすると、解りにくさが半減(とは行かないまでも)しますね。結局日本語使ってるんですもんね。
>むー。音としてはちゃんと聞こえているんですが、「理解」できないんです。
雑音としか聞こえない事はよくあります。話をさえぎって質問した所、今まさに喋ってる途中と言う事がありましたね……凄く恥ずかしい。僕はよく質問をしていますが、ただその質問してる事自体が「何が解らないかを、まず理解してないからそんな質問をするんだ」と言われました。
結局何が言いたくて書いてるのかも、自分ではよく解っておりません(汗。横レスでした。
日本人として、ちょっと誇れること。
1)漢字と二種類のカナとアルファベット、それにインド数字まで使いこなしちゃうこと。
特に、「ひらがな」と「カタカナ」の二種類があるのがとても便利。あと、アメリカ人に「漢字って何種類くらいあるんだ?」と質問されて、「だいたい十万種類くらいあるけど、ふだん使うのは千五百種類くらい。」「全部覚えているのか?」「読むだけなら五千くらい。書くので千くらいかな?」「Oh,My God!」
2)どこの家にも、その家のお雑煮があること。
地方出身者が集まって話題に詰まったら、「雑煮」の話をするといいと先生に教わった。「何種類くらいあるんだ?」「さあ、下手すりゃ千くらいあるんじゃないか?」「まさか!」「だって、関東は澄まし仕立てで関西は白味噌仕立て。角餅か丸餅か、煮るか焼くか、芋を入れる地方もあれば、甘く煮た豆が入るところもあるし。あとは東北だと鮭といくらが入るところもあるし、徳川家じゃ兎の肉を使うし……組合せでいったらきりがないぞ」「……。」
しかも、「自分ちの雑煮」が「正しい雑煮」だというのが、いい。
3)小包に紐をかけられる。
「かきね結び」という結び方があって、覚えておくと便利。
うちの大学の先生が、チロルの郵便局で小包を紐で縛って出そうとしたら、周囲に人だかりができたそうな。で、もう一回やってみせたら、拍手が出たという。
4)お箸で豆がひとつぶづつ食べられる。
産経新聞のイタリア駐在員だった坂本鉄男さんが自宅で和食パーティーをしたときに、あるイタリア人が「私は文明人だから、ナイフとフォークをくれ」と言ったので、「十四世紀まで手づかみでもの喰ってた野蛮人が何をぬかす。日本人は『古事記』という日本最古の文献にも川上から箸が流れてきたので人が住んでいるということが分かったという……」と蘊蓄を傾け、「だいいち、フォークでこんな真似ができるか」と豆をひとつぶづつつまんで食べてみせたら、相手はヘコんでいたという。
5)折鶴が折れる。
海外で、目の前で折ってみせて渡すと、だいたい喜んでもらえる。
6)中国の故事に詳しい。
中国系の二世三世は、かろうじて北京語が話せるかどうかという程度にしか中国文化を保っていないので、漢字も知らなければ中国の諺も知らない。
「杞憂」だとか「朝三暮四」だとか「愚公、山を移す」だとか「臥薪嘗胆」だとか「呉越同舟」だとか言ってもわからない。「パンドラの箱」だとか「ゴルディアスの結び目」だとか「タンタロスの苦しみ」だとかは知っているのだけれど。いまや日本と臺湾が漢字文化の孤塁、という気がする。
7)身の回りに草花がある環境で育ったこと。
朝顔(入谷の朝顔市です)だとか酸漿(浅草寺の酸漿市です)だとかをぶら下げて歩いていると、だいたい通りすがりの人に「もうそんな季節でしたか」とか「行ってきたんですか?」と挨拶される。まんさくや辛夷や梅や櫻や菜の花や躑躅や藤や菊や金木犀、それに紅葉まで含めて、日本人というのは花と切り離せない生活をしているように思います。
このあいだ伊勢原の大山に行ってきたら、ちょうどTVが三社ほど番組で紅葉を紹介したばかりだったので、めちゃめちゃ混んでいました。
そういえば、とあるドイツ人の教授が日本にやってきた当初、花見における酔客の醜態を見て、恐怖さえ感じたそうです。だけど、来日して三年経ったら自分も同じように酔っ払って馬鹿騒ぎをしていたという(^_^;)。「櫻には、人を狂わせる毒があるのだ」ということなのだけど、「そうかもしれない」とあたしも思う。
8)宗教的寛容性
いろんな宗教が喧嘩しないで同居している珍しい国。そもそも修験道なんていったら、道教と仏教と神道がごっちゃになってるもんな。そういえば伊勢原の大山さんは仏教だか神道だかわからないという日本のエルサレムみたいなところなので、戦後、GHQの神道指令(『国家神道・神社神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布の廃止に関する件』)以降日本神社本庁の管理からずっと外されていました。赤坂山王さんは日枝(ひえ)神社というのだけれど、日枝というのは「比叡」のことで、比叡山の麓の坂本というところにあった神社をお坊さんたちが大事に保護したものでいまみたいに大きくなったというフシギな神社です。「山王さん」の「山王」というのも、最澄さんが中国で修行したお寺のあった山の神様だし。
そういえば富士山も「浅間神社」という神社なのに、弁天様が祀ってあったりする。だいたい弁天様ってヒンドゥー教じゃなかったかしら。
だからといって、日本人が「見えないものに対する畏敬」のようなものを失っているとは思えないのですよね。アメリカ人のほうがしょっちゅう「神」という言葉を使っているわりには、なんか即物的なものの考え方するし。日本だとボクシングジムにも神棚があったりするしなぁ(で、なぜか鹿島神社なんだ)。アメリカの柔道選手に道場の掃除とかさせたら、「スポーツと掃除にどんな関連があるのだ?」とか質問されそうな気がするぞ。
日本人っていうのは、もっと自分に自信を持っていいと思います。
(Maria)
風呂糸 wrote:
>
>翔泳社 「一万年の旅路」ネイティブアメリカンの口承史
>ポーラ・アンダーウッド
>
一昨年、ポーラ.アンダーウッドさんに会いましたよー。ポーラさんの本を読んで私も前世はインディアンだったような懐かしさを覚え翻訳者の星さんに手紙を書いたらポーラさんが来日したとき30人くらいでポーラさんを囲む会というのを開催したのですが招待してもらって参加しました。やさしそうな人でした。通訳の方がいたので私も昔インディアンだったような気がしますとお話ししてきました。でも彼女はパーキンソン病でつらそうでした。アメリカに帰ってその年のうちに亡くなられたそうです。
私が現代社会になじめないは推定ASのせいとしてもなんか昔のインディアンのきびしくももっと単純な生き方なら違和を感じないですんだような気がするのです。一日中、着るもののために皮をなめす仕事をするとか・・・・・。
現代の私の仕事についてはしばらく失業保険で暮らしあとは自営でひとりでできる仕事にしようかと思っています。まだ先の話ですが。人間関係に煩わされることが少ない仕事をしたいのです。
>truthさん wrote:>
>>私は知的障害者授産施設で働いているけど、自閉系の人達(知的に低い自閉の人達ですが・・・。)は敏感というか・・・私が何もしないでそばにいると、にこっと笑ったり、落ち着いたりします。私の方も、変な要求をされたり、変に近づいてこられるよりホッとする時があります。
武田さん wrote:
> この前久方ぶりに、作業所で作っている紙製品の材料の牛乳パックを届けにいったとき、3人のうちの一人が私の顔を覚えていてくれて、手を振ったら、振り返してくれたのがとてもうれしかったです。
お2人のカキコを読んでいて、思い出したこと。私も、何年か前、仕事で養護学校に行っていた事がありましたが、そこの中の男の子が「元気ー?」なんて、声をかけてくれたことがありました。数年後、同じ地区を担当になり、その子(と思われる子)を見かけなかったので、そこの先生に聞いたら「卒業したんじゃないのかな?」とのこと。4年も経っていたんだから無理もないけど、ちょっと寂しかったな、とも。久々に、懐かしく思い出しました。
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