アスペルガーの館の掲示板(旧)
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エミリー★ wrote:
>はい、
>全員全く違うタイプの個性あるキャラクターに仕上げています。
>(でも全員ASですが・・・^^;)
その、評価は、あなたから見てですか?ご母堂様の他にも、見て頂いた方が
いらっしゃいますか?健常者の感覚ですら、あまり一定とは言えないので、
こうゆう物の確認は、複数の方にやって頂くのが一番です。
あなたから、ASに見える個性でも、健常者からそう見えるとは限りませんし
キャラクターに個性があるかどうかも、評価は人によってばらつきがあります。
こればかりは、評価は複数の他者にしかできないでしょう。
>>やはり、他人の個性を取り入れて魅力的なキャラクターに仕上げる必要性があります。
>
>そうですね、
>ですから私も
>「人間観察」
>と思って学校に通っています。
それは、良かったですね。何を考えて、どうゆう行動をとっているのかを、
一人に注目して考えてみると、その人の個性が見えやすくなります。
思い切って、その相手に尋ねてみるのも良いでしょう。
話しかけられたら、何を考えて話しかけてきたのか、尋ねてみるのは、もっと勉強になるでしょう。
ただ、答えられない場合も、あると思います。健常者は、筋道たてて行動
していない場合が多いので、”なんとなく”などという、回答が帰ってくる
ことも、あります。考えていないわけではなく、考えていることに気づかない
だけなのですけどね。全部考えてからやる、私のような人間の方が異常なのです。
penpen wrote:
>話の軸になる人物が全員AS……。(=^・^=)
>なんかSFティックかも……。
>ファンタジー的?
舞台は現代なのですが、
シリアスだったりちょっとギャグだったり・・・
物語的には蹴りたい背中っぽい?
暗いし・・・
>
>わたしは子どもの時、まんが家になりたかったのです。
私もです。
>でもどうしてプロのまんが家さんが自分で経験していない看護婦さんの世界とかスチュワーデスの世界とかが描けるのか謎で謎で……。
確かに。
やっぱりインタビューとかして、
勉強しているんではないでしょうか。
>わたしは自分の知らない世界を描くことなんて絶対できなかったのです。
>まちがったことを描くのがこわいというか……。
私は漫画ではSFとかファンタジーばっかり描いていたので、
(ドラクエみたいな)
そういうことはありませんでしたが、
解るような気がします。
>あと雑誌とかで見るとなぜ横顔と正面を向いた顔のバランスが違うのだろうかとか。
>ものさしを持って鼻とかあごのバランスを確認しては絶対おかしい!とか
>悩んでいたりして……。
そういう悩みはありました。
「文章」という表現方法を知ってからは、
全く悩まないようになりましたが。
佐久間正代 wrote:
>それは、もっと大変です。おのおのがよほど個性的でないと、キャラクターの見分けがつかなくなってしまいます。
はい、
全員全く違うタイプの個性あるキャラクターに仕上げています。
(でも全員ASですが・・・^^;)
>主人公は、大抵、作者の心が反映された存在になりますが、その他のキャラクターは、別の個性を持つ必要があります。
>やはり、他人の個性を取り入れて魅力的なキャラクターに仕上げる必要性があります。
そうですね、
ですから私も
「人間観察」
と思って学校に通っています。
佐久間正代 wrote:
>
>大丈夫ですよ〜。健常者だって、色々な方が居ますし。この場合は、少数民族の
>変わった人の方が魅力的なのです。キャラクターの個性の一部になれますよ。
>末永く作品として、ご自分が残る可能性があるのですから、がんばって下さい。
私がですか?
それはうれしいなあ
もしかして敵役ですか? じゃあシャーみたいなかっこいいのにしといてください(笑)。
知らないだろなあ
私も同じ病気になりました。親にも暴力を振り、学校も辞めました。しかし、精神科に通い始めて、きちんと薬を飲みました。そして2年後、私は、大検の試験を1回で突破しました。それで、私は、高校の資格を取り、今、大学のセンター試験の勉強をしています。あなたに書き込みをしたのは、私の母も同じ用に悩んでいたからです。私達の病気は、感情のコントロールができず、人間関係などの集団行動などが苦手なことです。しかし、ちゃんと家族の支えがあれば乗り越えられる問題だと思います。
ドツボの淵から這い上がろうとがんばっております。
今月号のフオァミセスの光とともにのなかにパキパキのアスペぼうやがでてきましたよ。お日さまハウスの中でカレー作り体験中にパニックを起こす友也君。私が通った道とお母さんの現在の息子に対する思いがシンクロして胸がぎゅっと痛くなりました。でも,友也くんはいいな。青木先生も,お日さまハウスもお母さんもいるもんね。
話の軸になる人物が全員AS……。(=^・^=)
なんかSFティックかも……。
ファンタジー的?
わたしは子どもの時、まんが家になりたかったのです。
でもどうしてプロのまんが家さんが自分で経験していない看護婦さんの世界とかスチュワーデスの世界とかが描けるのか謎で謎で……。
わたしは自分の知らない世界を描くことなんて絶対できなかったのです。
まちがったことを描くのがこわいというか……。
あと雑誌とかで見るとなぜ横顔と正面を向いた顔のバランスが違うのだろうかとか。
ものさしを持って鼻とかあごのバランスを確認しては絶対おかしい!とか
悩んでいたりして……。
小説家になれてもなれなくても
読者が自分だけでも文章しか表現方法がないのですよね。
エミリー★さん、今度小説を見せてね。
kotobu wrote:
>こんなやつ教材にしていいんですか?
>間違っても健常者の代表だなんて思わないようにお願いしますよ。
>抗議が殺到しますんで(笑)
大丈夫ですよ〜。健常者だって、色々な方が居ますし。この場合は、少数民族の
変わった人の方が魅力的なのです。キャラクターの個性の一部になれますよ。
末永く作品として、ご自分が残る可能性があるのですから、がんばって下さい。
確認できなかった自我を教えてくれた、自分の子供です。
(元夫も自分と似たような感じの人でしたので、無理なく結婚できました
ただし、コンピュータ系の人です。私から見ると天才っぽかった)
普通に結婚して普通に子供を育てたら、お互いに普通になれると思って
いました。まぁ、色々と大変でしたが。。。
はじめは「飢え死に」させないように必死で育てていましたが、
キャパシティーを超える日常生活で、私の社交性が育ちました。
そのうちに自分の子供時代の虐待のフラッシュバックが、子供との
関わりの刹那刹那に起きました。苦しい中、だんだんと見えてきたのは
「虐待される子供に罪はない」という答え。フラッシュバックというのは
とてもリアルなもんです。(私の場合だけかな?)本当に見えますし、
声も聴こえます。幻聴ではなく、その時に解離の為に忘れようとしていた
事を思い出すから(と、言ったのは医師ですが)。
虐待の原因も見えました。当時、母に恋人がいたので、子供達全員が
邪魔だったのです。それで、一番、母が苦手とする私に集中砲火。
身体も弱く、(母にとっての)奇行をくり返す子供は、何よりも邪魔
だったのだと思います。歯を折られたのは、はっきり覚えています。
でも、リアルな映像再現の中に、もっと大事なものが見えました。
年長の姉が私を必死でかばっていました。中国では、長女を「小母さん」
と、呼ぶ地域があるそうです。まさに、姉にぴったりの言葉です。
荒涼とした場所で、小さな小石を見つけるように、姉からの愛を拾い集め
ました。それを材料にして、私は子供を愛しました。姉の真似をしている
うちに「責任感」とか、そんなのだけじゃなく、子供を愛しました。
生まれてはじめての感覚でした。自分の中に子供が住むスペースが出来た
とたん、魔法のように私の中に「公共のスペース」ができました。
(でも、子供限定の公共スペースです)
世界が広がりました。とてつもなく。表現をすると言葉というものが
陳腐になる程の感動でした。子供と同様、自分の中の子供を愛して
いっています。もちろん、本物の子供は成長していますが、私の中の
忘れていた子供は、ずっと子供のままで、毎日驚きや感動を感じさせて
くれます。今は「普通になるために捨てた子供時代」だったのだと、
理解しています。
結果として、自分の困難が「精神的な事」だけではないのだと考える
きっかけになりました。表現が豊かになり、以前よりも、自己世界が
確立し、自我が芽生えました。
話、飛び易いので、申し訳ありませんが。もうすぐ脳検査です。
不安と、どきどき半分です。検査の医師に対して理性を保つ心の
準備中です。(質問魔なので。。。
佐久間正代 wrote:
>kotobuさんの、理論や考え方などは、自分の物として発言できる程度の理解が
>必要なので、よく勉強してみて下さい。健常者ですから、ASの方とはまた
>違った視点があるはずです。
こんなやつ教材にしていいんですか?
間違っても健常者の代表だなんて思わないようにお願いしますよ。
抗議が殺到しますんで(笑)
>そうですね。でもそのために他人の考え方を理解する必要は必ずしもないと思うのですよ。
>他人と直接かかわらなくても、その人の言動をよく観察すればある程度「別の個性」は作れます。
はい、作れます。でも、そのキャラクターは、生きていませんよ。
表面をなぞっただけでは、行動に魅力が出ないのです。
何を考えているから、どう行動するのかが、描き出されないと
キャラクターに命は吹き込めないでしょう。
>それに、登場人物のキャラが立っていてストーリーに起承転結があって・・・という
>クラシックなスタイルな作品ばかりが名作というわけでもないですから。
確かに、上記に該当しない作品もありますね。
このタイプの作品は、挿絵も作者が書いている例が多いように思うのですが。
挿絵と一体になって、独特の世界を作っている為、受け入れられるのでは
ないかと思うのですが、如何でしょう?絵の方の魅力は、結構大きいですよ。
挿絵を書いてくれる方との、共同作業になりますし。
>佐久間さんは、綿矢りさの「蹴りたい背中」は読まれたでしょうか?
申し訳ありません。これは読んだことがありません。
>あの作品はストーリーらしいストーリーはないし(「これからどうなる?」というところで終わってしまう感じ)、
>登場人物は少ないし、筆者も認めるように「とても世界が狭い」です。
>でも、その場その場の情景を緻密に描き出す表現力と、今まで誰も気にも
>留めなかったような心の微妙な動きを汲み取る観察力は非凡なものがあると思います。
>このようなスタイルの作品は、一昔前だったら芥川賞どころかどっかその辺のマイナーな文学賞の一次選考も落ちたかもしれません。
そうですか。では、今度読んでみましょう。もっとも、私は名作と言われる作品のいくつかには、全く魅力を感じない物もあるので、共感できるかどうかは
分かりませんが。
このタイプの作品は、読者が共感できる物が作品として認められるので、感覚のずれのある私には、共感できない物もあります。
>
>わたしも小さい頃から作家志望でしたが親から「本ばっかり読まないでもっといろんな人と付き合わなきゃ。
>小説はいろんな人生経験をしないと書けないから」と言われ、暗に反対され続けてきました。
それは、良くないですね。趣味を生かした友達作りの機会を奪います。
>でも今は高校生が文学賞を受賞する時代です。そのうち中学生のプロ作家も出てくるでしょう。
申し訳ないのだが、こうゆう方で長続きするタイプの方は、デビュー後、相当勉強して経験の不足を埋められた方だけです。これが出来ないと、早晩飽き
られて消えていきますね。感覚や感性が新鮮なだけなのですよ。
初めまして、佐久間正代と申します。
菜の花 wrote:
>人がそんな子育てしてたら子どもが駄目になるよ、と口を揃えて言っててもそれが正しいとは限らないのです。
はい、私もかなり変わった親だと思います。学校に行きたくないと言えば、
結構簡単に認めますし。ゲームがやりたいからは、さすがに認めませんが。
>
>(話題が討論的ものは別ですが)
いま、エミリー★さんに必要な人間は、対等の立場で討論が出来る相手であると考えるからです。分野も、合わせましたし、将来の方向性(どんな作家になりたいかを、じっくり考えてみる機会)を決める上でも、必要なことと認識しています。
エミリー★さんは、国語能力の高さに、一種の選民意識をお持ちですから。
他者が居ても居なくても良いではなく、他者を拒絶している以上選民意識は危険です。
挫折した時に、破滅してしまいますから。世の中、上には上が居ることを知るのは、必要なことです。
それを、尊敬できるか挫折と受取るかは、ご本人の問題でしょう。
一番病は、早くなおした方が良いです。
>私は高機能自閉と言われた10歳の息子の母ですが、息子ってすごい、と感動する事が多いのです。
すばらしいですね。うちの子は、結構平凡で、あまり人と違ったことはしないのですよ。確かに、違いはあるのですが、やってることは結構平凡です。
個性的なのは、一向にかまいません。ただ、無人島で一人で暮らす訳ではないので、他者を認める必要があるだけです。この場合は、対等かそれ以上の存在として。
佐久間正代さん wrote:
>エミリー★さん wrote:
>>なんだか、
>>「全員が主役!」
>>って感じの小説になりそうです。
>
>それは、もっと大変です。おのおのがよほど個性的でないと、キャラクターの
>見分けがつかなくなってしまいます。主人公は、大抵、作者の心が反映された存在になりますが、その他のキャラクターは、別の個性を持つ必要があります。
>やはり、他人の個性を取り入れて魅力的なキャラクターに仕上げる必要性があります。
そうですね。でもそのために他人の考え方を理解する必要は必ずしもないと思うのですよ。
他人と直接かかわらなくても、その人の言動をよく観察すればある程度「別の個性」は作れます。
それに、登場人物のキャラが立っていてストーリーに起承転結があって・・・という
クラシックなスタイルな作品ばかりが名作というわけでもないですから。
佐久間さんは、綿矢りさの「蹴りたい背中」は読まれたでしょうか?
あの作品はストーリーらしいストーリーはないし(「これからどうなる?」というところで終わってしまう感じ)、
登場人物は少ないし、筆者も認めるように「とても世界が狭い」です。
でも、その場その場の情景を緻密に描き出す表現力と、今まで誰も気にも
留めなかったような心の微妙な動きを汲み取る観察力は非凡なものがあると思います。
このようなスタイルの作品は、一昔前だったら芥川賞どころかどっかその辺のマイナーな文学賞の一次選考も落ちたかもしれません。
わたしも小さい頃から作家志望でしたが親から「本ばっかり読まないでもっといろんな人と付き合わなきゃ。
小説はいろんな人生経験をしないと書けないから」と言われ、暗に反対され続けてきました。
でも今は高校生が文学賞を受賞する時代です。そのうち中学生のプロ作家も出てくるでしょう。
彼らは人生経験では圧倒的に社会人に負けているはずです。にもかかわらず次々とティーンの作家が
デビューし、ちょっとしたブームとなっているのは、それを補うだけの独特な世界観や表現力を彼らが持っているからではないでしょうか。
乃絵さんのコメントに対するレスではありますが、baroqueさんも御回答ありがとうございます。
乃絵 wrote:(レスありがとうございます)
>わたしはむしろ食べるのは人に比べてすごく遅いです。
>多動のない不注意優勢型ADHDだからかもしれません。
>偏食も激しいです。
>ただ、ペットボトルから直接口をつけて飲むのは不器用なせいか
>どうしてもうまくできません。(口からこぼれてしまう)
>だから、多くの人がやっているようにペットボトルを
>バッグの中に常備するような習慣はわたしにはありません。
ありがとうございました。
baroque wrote:(初めまして)
>私は背の高いコップから直接ものを飲むのが苦手です。
>傾けるとほぼ確実に中身を浴びてしまいます。給水所でのマラソン選手状態です。
>なので背の低いものを使うか、ストローを使うかして対応しています。
>
>ペットボトル、飲みにくいですよね。こぼれたり、それこそむせたりしてしまう。
ありがとうございました。
ちょうどタイミングが悪く、もう少しフォーラムが落ち着いてからこの話題でも出せばよかったかな、とは思いますが、私としては、やはりこのフォーラムはASの人向けの悩み相談窓口であると同時に、常連のフォーラム参加者のための勉強会の場でもある、と考えておりますので、こういった機会は何回あってもよろしいかと思います。
皆さんも同じようにいろいろ苦労されているようで、心中お察しします。
baroque wrote:(続き)
>これストロー使うといいですよ。コンビニでもレジで言うとつけてくれます。コンビニでつけてくれるストローは店のチェーンによって何種類かあって、
> 1. 白っぽい細身のもの 2. 太めで長いもの(透明に青とピンクのストライプとか) など
>500mlのペットボトルには2.は最適です。ストローを入れたまま蓋もでき、同じようなのがスーパーでも買えます。
>エビアンや森の水だよりなどにある小さめのボトルの場合は、切るのも面倒なので折り曲げてボトルの中にいれちゃってます。
>
>おまけの方法で、ストローが短すぎて中に入れると指も届かなくなるような場合のしまい方。。。
>ストローの上端1cmくらいを折り曲げてペットボトルの口のところに引っかける感じにします。そしてそのまま蓋をします。
>蓋とボトルの口でストローをはさむ要領です。
>ただこれには欠点があって、ストローが中でポンプの役割をしますので、バッグに入れて持ち歩いているうちに中身が少ーしずつ漏れます。
生活の知恵まで御教示いただけるなんて、ひたすら感謝、です。\(^o^)/
皆様も参考にされてみてはいかがでしょうか?
(当初の話題とは若干離れましたが)
そうそう、食事はよく噛んで。
#早飯は時間以外に何のメリットもありません。
エミリー★ちゃん wrote:
別の言い方で、もう1度言おう。
ジョンさんとの対話の途はもはや絶たれたのだ、と。
どちらが正しいとは言わないが、
そこの部分だけは既成事実だと思う。
エミリー★ wrote:
>なんだか、
>「全員が主役!」
>って感じの小説になりそうです。
それは、もっと大変です。おのおのがよほど個性的でないと、キャラクターの
見分けがつかなくなってしまいます。主人公は、大抵、作者の心が反映された存在になりますが、その他のキャラクターは、別の個性を持つ必要があります。
やはり、他人の個性を取り入れて魅力的なキャラクターに仕上げる必要性があります。
佐久間正代 wrote:
>小説の主観的な世界はそうですが、悪者に魅力のない小説は感動が薄いです。
途中から掲示板に戻ってきた菜の花です。
横レスですみません。
私はエミリー★さんだけではなくて、小説の楽しみ方でも、読み方でも、書き方でも、それから人との付き合い方でも、面と向かった時の自分の反応の仕方でも、掲示板での自分の反応の仕方でも、それは100人十色(変な日本語ですが)で良いと思います。納屋を燃やしちゃったエジソンは発明家になったわけですし、人がそんな子育てしてたら子どもが駄目になるよ、と口を揃えて言っててもそれが正しいとは限らないのです。
エミリー★さんがどんな小説家になりたいかと考えるのも彼女(男だったらすみません)の自由だと思います。佐久間正代さんが自分の意見を言うのももちろん自由なのですが、ネット上で文章だけのやり取りの場合は(話題が討論的ものは別ですが)「そうね、あなたは白が好きなのね、私は赤が好きよ」と相手を認めた上で自分の意見を言うようになさるといいのではないかと思います。
私は高機能自閉と言われた10歳の息子の母ですが、息子ってすごい、と感動する事が多いのです。癇癪とか「ママ死ね」とか言われて泣きたい事も沢山あるけれど、私が絶対出来ない感じ方が出来るのです。それはコミュニケーションの上では誤解とかこだわりとかで不利な事もありますが、彼の感じ方は普通の人と違っていてすごいと思うし、周りも一生懸命褒めてくれる。海外だから個人主義で、個性の方が皆と同じなよりも重視されるからかもしれません。人と違うって素晴らしい事だと思います。
私はこの掲示板でASの素晴らしい個性を沢山知りたいし、ASの方に教えて欲しい事が沢山あります。だから「小説」についてエミリー★さんがどう考えるのか書くのは大歓迎ですが、それに反論するようなレスを見るのは私個人的にはあまり好ましく思いません。と言うより、どうして同じ価値観とか同じ楽しみ方とか、何だか同じにこだわるのかな、と少し不思議です。日本人だからでしょうか。
penpen wrote:
>わたしは普通の人のことがわからないので“わたし”が主人公の小説しか書けません。
私もよく解らないので、
(解ろうとはしてますが)
話の軸になる人物達が全員ASです(汗)
>よかったらいっしょにがんばりましょう。
はい、
頑張りましょう。
>(わたしよりエミリー★さんのほうがずっと早く小説家になれそうですね)
いえいえ、
私なんてまだまだです(^^;)
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