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Re: いろいろの色。 10316へのコメント
No.10375  Mon, 14 Jan 2002 01:13:35 +0900  インディゴ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:(←すみません前回“さん”を抜かしました)
> じつは補色関係にもとづく色相環は別にあります。それがこれ。
>
>      青緑(SG)
>   青(T)  黄緑(LG)
>  藍(UB)○  黄(Y)
>   紫(P)  橙(O)
>      赤(R)
あ、ちゃんとあるんですね。加色混合と減色混合だと、ちょっと違うんでしょうか。
それとも“紫←→黄”が補色、というのが私の思い込みなのかな。

> オストヴァルト表色系と同じように光の加色混合に基づく表色系としては赤・緑・青を三原色とするRGB系があります。これはコンピュータの世界ではほぼ常識とされています。それがこれ。
>
>       赤(R)
>   マゼンタ   黄
>       ○
>   青(B)   緑(G)
>      シアン
あ、写真の色みをコンピュータでいじる時はこれを覚えておけばいいってことですね。
プロじゃないんで実際に仕事でやることはないですけど、カラーバランスという項目が
“シアン←→赤”“マゼンタ←→緑”“イエロー←→青”になってる理屈がよくわからなかったのでちょっとすっきりした。

> で、反対色的な色の見え方に基づく色名に基づいたナチュラル・カラー・システム(NCS)というのもあって、それがこれ。
>
>      黄(Y)
>  緑(G)○ 赤(R)
>      青(B)
>
> この表色系はスウェーデンで開発されてきて、もともとはドイツの生理学者ヘーリングの考え方に基づいたもの。
視神経のどこが反応するか、というような基準なのかな。調べてみます。

> 陰陽五行説だと、青龍(東)・玄武(北)・白虎(西)・朱雀(南)を配置して中央に黄色を置きます。つまり、こんな感じ。
>
>    玄
>  白 黄 青
>    朱
>
> (中略)
>
> 日本独自の表色系は、これ。
>
>   白
>  赤 黒
>   青
> よく見ると陰陽五行説の五色から中央の黄色が抜けたのと同じ形になっています。
> で、ここには白(はっきりした)−青(淡い)と、赤(明るい)−黒(暗い)という二つの対立関係があります。
> (中略)
> 面白いのは、「わかっている」「わかっていない」が「白−青」系列ではないことだったりすることです。「明るい」は「わかっている」、「蒙(くら)い」は「わかっていない」。「『七重八重 花は咲けども山吹の……』って、知らないか?」「……知らねぇ。」「おめぇ、歌道に暗れな」「門(かど)が暗ぇから、堤灯借りに来ただ」というのは、落語『道潅』のサゲ。
>
う〜ん、面白いです。日本人の色に対する感覚が。色に何を見ていたかってところ。
こういう話は自分の感覚を疑えるので楽しいです。
お日様を赤く描くのはステレオタイプって考え方も、こっちの方角から見たら赤く描くほうがスゴイって話にもなるなぁ。
自分ではわかったつもりになっていることも、実は私って「くらい」んだなぁと思えるのは面白いです。
東京生まれだからか、太田道灌さんの逸話はよく聞かされました。実のひとつだにってやつ。江戸っ子もみんな知ってたんでしょうね。


Re: いろいろの色。 10293へのコメント
No.10374  Mon, 14 Jan 2002 01:10:29 +0900  インディゴ [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>「いろいろな色彩を見てみたい!」と思う人には、次の本がお薦めです。
>
>渋川育由・高橋ユミ著
> THE COLOR 色と配色の事典
>河出書房新社 4854+税 円
>
>この事典には232色の色が載っています。印刷で色を指定するときに使う「濃度数字」もついています。

同じ著者のThe COLORING BOOK 配色事典、っていうのは持っています。
印刷の色指定のイメージを掴むのに便利ですよね。
「色のひとくち知識」とかも載ってて面白いですが、これは980円。

武田さんの紹介されている本はきっともっと厚くて大きい本なのでしょうね。
本屋さんでチェックしてみます。


Re: 片づけ・・・掃除・・・。 10369へのコメント
No.10373  Mon, 14 Jan 2002 00:54:46 +0900  Maria [この発言にコメントする]

truthさん wrote:
> 昔から、「パパラギ」という本を読んで、「いーなー、こーいう生活……」って思っていて、「おばあさんは川へ洗濯に……おじいさんは山へ芝刈りに」っていう生活に憧れていました。私が本当にしたいのは、「川で洗濯したり、木の実をとったりする野性的な生活」……なのかもしれないです。

 えー、在宅プログラマーのような仕事をしていると、生活としてそれに近いものがあります。

 漁撈採集生活において以外に知られていないのが、「採れるときにはめったやたらに採れる」ということだったりするんですよ。そんなわけで、「大量に保存食を作って、同じものを食べつづけること」が苦痛でなく、むしろ喜びである人でないと、そうした生活はしてても辛いと思います。大森総研の実験農場はごく狭いものですが、梅が八キロ、柿が百個以上採れました(それぞれ一本の樹です)。これ、採って梅酒にしたり干柿にしたりとかするのはけっこうな労働だぞ。

 貯金通帳と冷蔵庫・貯蔵庫の中身とスケジュール表と工程表を睨みながら、いつごろ何があっていつまでに何をして、と日々思いをめぐらしながら暮すのはけっこういいものです。ちゃくちゃくと物事が進行してゆく感じがあたしは好きでした。ところがプロジェクトが頓挫したり会社が倒れたりとかいった「災厄」が襲いかかってきたりするととんでもないことになります。貯えがあるならいいけどさ、「凶作」が何年も続いて疲弊してたりするともう大変。

 そんなわけで、「今年も一年無事に過ごせました」みたいな感謝の気持も湧いてきたりするのね。

 現代社会は「フロー型」社会ですが、「ストック型」社会にあたしは向いていそうに思います。あたしとしては、税制や経済政策がストック型に移行してくれるといいな、と思っています。

 (Maria)


Re: 再び考えてみました。 10367へのコメント
No.10372  Sun, 13 Jan 2002 23:41:30 +0900  Maria [この発言にコメントする]

truthさん wrote:
> 私の友達には、インターセクシャルという人がいます。又、性同一性障害の友達もいるのですが……その場合はどういう事になるのでしょうか?

 じゃん。Mariaでございます。

 性の分化、というのは、最近の用語でいうとアウトソーシングなのでございます。つまり、女は「エサを採ってくる」「力仕事をする」「外敵を追い払う」といった業務を専門に行なう「男」というものを発明して、業務委託を行なったわけです。

 で、その過程でそれぞれ自分が行なわない業務に必要な機能を抑制し、その結果生まれた余剰資源を自分が行なう業務に回して効率化を計るわけです。これがリストラクチャリング(再構成)、略してリストラ(べつにレイ・オフ=リストラじゃないんだよ)というわけです。

 インターセクシャルとか性同一性障害というのは、ホルモンの調節がうまくいかなかったりして、このリストラがうまくゆかなかったということだったりするわけです。

 とはいえ、企業経営のありかた(つまり、生き方)そのものが大きく変化しちゃっているものだから、業務そのものも変わっているわけです。たとえばの話、歌舞伎の女形もいれば女子プロレスラーだっている。こんど「看護婦」が「看護士」になるそうだけど、そうするとニューハーフにもナースへの道が開けるということだったりするのだな。そうなると性同一障害の人のケアなんていうのも、ちょっと変わってくるはずです。

 そんなわけで、単に「業務提携のありかたが変わってくる」というだけの話だと思っているんですよ、あたしは。KILROYさんはソフトウェア開発のような長期的な仕事は女性に向いていると思っているし、中間管理職としては女性のほうが有能だというのが持論です。男は一日二日徹夜すると後のダメージがひどいんだけど、女性はさすがに子供産むようにできているだけあって丈夫です。あとは「男女の共同作業は女が上になると具合がいいんだ」とかいろんなこと言ってる人もいるし(まあエッチ)。

 進化の過程で、女が男に任せてきたこと、女が男には任せなかったこと、というのがたぶんあります。その意味であたしは「性的役割」というのはある、と思います。ただ、現代では必要ではなくなった仕事もあれば、現代になって必要になり、男女のどっちがそれを引きうけるべきかがまだ確定しておらず、文化として定着していないものもあります。編み物なんていうのは男の仕事だという文化もあるしな。

 「男」とか「女」とかいった分類は、単に「肩書」でしかありません。「営業」「経理」「総務」「資材」「製造」みたいにね。べつにそのときどきで名刺を使い分けたっていいし、服装や態度だって変えてかまわないと思います。あたしたちはそれを実践してるしね。

 (Maria)


Re: 今さらですが…。(補足) 10365へのコメント
No.10371  Sun, 13 Jan 2002 23:01:24 +0900  Joshya [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
> ノットの語源は英語の「KNOT(結び目)」です。
>  大航海時代の船では、停船投錨のうえ、47フィート3インチという一定の間隔で結び目をつけたロープを海に流していくという方法で、海流の速さを測っていました。つまり一分間に3個ずつ結び目が海に消えれば、「ここの潮の流れは、毎分3ノットじゃ!」ということになっていました。
 (中略)
>  なお、「1ノット=1852m/h」です。

 申し訳ありません武田さん、うちのMotoちゃんは性格的に説明に向いていないのです。そんなわけで、所長である私がご説明申し上げます。

 1ノットは1ノーティカル・マイル/時であり、「ノーティカル・マイル(nautical mile。sea mileとも)」を和訳したのが「海里」です。ノーティカル・マイルは基本的に「赤道上の一分の長さ」(一分は一度の六十分の一)ですが、現在イギリスのノーティカル・マイルと国際単位としてのノーティカル・マイルの二種類があります。で、陸上の距離の単位の1マイルと1ノーティカル・マイルでは、1マイルのほうが1ノーティカル・マイルよりちょっと短い、という関係があります。

 「マイル(mile)」の語源はラテン語の「千歩」で、1760ヤード(1609.3メートル)。ちなみに聖書時代の1ミリオンは約千四百八十メートルです。

 イギリスのノーティカル・マイルは1853.2メートルで、米国では国際単位としてのノーティカル・マイル(=1852メートル)が一九五九年に採用されました。イギリスのほうの1ノーティカル・マイルの値は実際の地球の平均半径から求めた地球表面の一分に近く、国際単位のほうの値は地球の赤道上の周をぴったり四万キロメートルとした場合の一分に近いものです。ちなみに、一メートルは本来「地球の円周の四千万分の一」として定義されました。

 そんなわけで、赤道上を真西か真東に向かって1ノットで航行してゆくと、六十時間後には経度一度分の距離を航行したことになる、ということになります。つまり、十ノットの速さで真西に向かって進んでゆくと、六時間で一度、二千百六十時間(九十日)で地球を一周することになります。ですから、赤道上空を九百ノットの速さで真西に向かって飛行していると、太陽といっしょに地球を回る(天動説的視点ですけれど)ことになります。

 なお、毎時1852メートルは毎分30.87メートルとなり、これは毎分百フィートちょっとになります。毎分47フィート3インチでは「1852m/h」にはならないような気がするのですが。ひょっとしたら計算をお間違えではないでしょうか。

 (Joshya)


Re: 今さらですが…。(補足) 10365へのコメント
No.10370  Sun, 13 Jan 2002 23:00:59 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>Mr.Motoさん wrote:
>> 本来「ノット」は赤道上の一分(これが1ノーティカル・マイルなのだ)を一時間で移動する速度なので(四万kmを三百六十で割ってから六十で割ってみてくれ)、言ってみれば天測航法の時代の遺物(遺産というべきか)なのである。まあ、郷愁(ノスタルジー)の中にある単位だと思ってくれい。
>
>ノットの語源は英語の「KNOT(結び目)」です。
> 大航海時代の船では、停船投錨のうえ、47フィート3インチという一定の間隔で結び目をつけたロープを海に流していくという方法で、海流の速さを測っていました。つまり一分間に3個ずつ結び目が海に消えれば、「ここの潮の流れは、毎分3ノットじゃ!」ということになっていました。
> 現在の船では、走ったままで海流の流速の測定ができるように、「磁場の中で導体が動くと、その導体の両端に誘起起電力が発生する。」という、「ファラデーの電磁誘導の法則」を応用した「G.E.K」という測定システムが用いられています。もちろん単位は、相変わらず「ノット」です。
> なお、「1ノット=1852m/h」です。 

 これ読んで思い出しました。前のレスで、結び目についてのことについてふれる(お2人のレスで初見)のを忘れていました(by シュッツさん)。しかし、「ノット」が結び目とは…(これが元・外国語学部のセリフかいっ)。武田さんも、レスありがとうございました。

P.S.武田さんへ。先ほどのメールについてですが、私の携帯電話からのもののため、何かある時は、お手数ですがここへ返答願います。(人のHPで失礼ですが、自分のものと同社機のものでないと、メールを受けられないのです。お手数で申し訳ありませんが、よろしくお願いします!)


Re: 片づけ・・・掃除・・・。 10269へのコメント
No.10369  Sun, 13 Jan 2002 21:09:18 +0900  truth [この発言にコメントする]

こんばんわ。グルンサさん。

グルンサ wrote:

> 私も、自分の得手不得手をきちんと捉えて、自分の得意分野に向かえれば…とは>思いつつも、「不得手な方向で苦戦してるんじゃないか?」とも思います。お互
>い、早く「これだ!」ってものが見つかるようにしたいですね。
> 私も、数日前に「とにかく頭と物事をシンプルにしたいー!」と突如、電車の中>で思いました。(それが、満員の通勤電車の中だったっていうのは…?[笑])
>1人で静かに過ごせる場所を探して、何も考えずボケーっとしてみたい(みよう
>か?)と思います。(この点は、No.10251の名加野さんのカキコ読んでて、「こ
>れ、良さそう」と思いました。)でも、まずはタイトルのごとく自室の片付け、掃>除でしょうか?(苦笑)それでは。

レス有り難う。

どうも・・・都会というのは・・・気力を奪うというか・・・それとも、日本の国がそうなのか・・・「頭をボヤッとさせて、思考を奪う」というような気がします。吉本バナナさんが何かの日記みたいなので書いていたのですが、「アジアの国に行くと、頭がクリアーになる。で、日本の都会に帰ってくると、だんだん、頭の中がぼやけてくる・・・というと、頭おかしいと思われるかもしれませんが」というような文章がありました。

そんな所があるなぁと思います。周りの音・雰囲気・・・雑音・・・情報に振り回されて、自分の声は聞こえなくなるみたいな気がします。反対に、自分の声に耳を澄ますと、反対に社会の流れが分からなくなるというか・・・。

昔から、「パパラギ」という本を読んで、「いーなー、こーいう生活・・・」って思っていて、「おばあさんは川へ洗濯に・・・おじいさんは山へ芝刈りに」っていう生活に憧れていました。私が本当にしたいのは、「川で洗濯したり、木の実をとったりする野性的な生活」・・・なのかもしれないです。

これは実現不可能・・・ではないけれど・・・難しい・・・という事で現実的に合った仕事を探そうとしても、「本当にやりたい」って感じではないのかもしれません。我が儘かな。

今、合っているかは別として、「家政婦まがい」「ホームヘルパーまがい」の仕事をしているのは、やりたい事に近いからなんだろうな・・・と思います。掃除のおばさんとかもいいかも・・・。トイレなんか綺麗にするのは気持ちが良さそうだ。

固執的に色々綺麗にしようとする癖が役立つかもしれない・・・。社会的には低い地位の仕事ですが・・・。

都会の情報と、日々の生活とかに流されると、一個の事を自分のために考えるのってとっても難しいなという感じ、します。後、合わなくても、何でも、一度仕事を始めて、「仕事の効率」はダメでも、その場所に行く事に慣れてしまうと、特に・・・新しい場所に慣れにくい・・・変化が苦手な私は、その場所を離れて新しい場所に行く・・・新しい仕事を始めるっていうのは辛いだろうなぁ・・・と思うと、やっぱり、惰性で仕事を・・・「辞めてね。」と言われない限り続けてしまう部分もあるなぁと思います。

でもっ・・・新年だし・・・1月だし・・・今年は・・・又、模索しつつ・・・頑張るっ・・・と決意しています。

グルンサさん、仕事中にパソコンしているのですよね?お家にはパソコンがないのですか?それだとしたら、忙しいのにレス有り難う。きにかけてもらって嬉しいです♪・・・。それでは・・・。


Re: 社会不適応と犯罪 10191へのコメント
No.10368  Sun, 13 Jan 2002 21:08:34 +0900  truth [この発言にコメントする]

ANKH(あんく) wrote:

はじめまして♪アンクさん・・・。

> 私が(立ち読みで)大ウケした記述では、中島氏が、世の中には「一人で生きて>いるんじゃないんだからな!」という、超ムカツク(←私情入っています)言説が>存在するとし、それに対して「“一人で生きているわけではない”という、まさに>その事実のせいで、どれ位イヤな思いをさせられなくちゃならないと思っとるんじ>ゃい!」と、歯ぎしりバリバリで反撃していたのには、いたく共感したもんですけ>ど(^o^)。“戦う哲学”もよいけれど、ときには森鴎外『あきらめの哲学』でも読>んで、バランスをおとりになった方が......。

私も昔・・・一度だけ・・・「一人で生きてると思うな」と言われました・・・が、意味がわからず、理解不能で・・・そーいう態度を私がとっていたのかもしれないのですが・・・分かりませんでした・・・。今考えると、少しそう言われたことを引きずっているかもしれません。色々な人に助けられているのも、人の中にいる事も分かっているのだけどなぁ・・・。「あきらめの哲学」・・・諦観でしょうか。戦うと、戦闘態勢で、色々なことに立ち向かっていると、疲れますよね。「明日のジョー」じゃないけど、「白い灰になる」というか、燃え尽きます。諦めばかりでも、何だかスライム状態に精神的にも肉体的にもなりそうですが・・・。
 
> 世の中一般を支配するメンタリティというものは、しばしば「目くらまし」とい>う性質を持っていて、それらを喝破するということは、「ないものを発見する」と>いうのと同じ、困難な作業だ。けれど、『〜10の言葉』はじめ<他者の痛みを理解
>しているわけでもない者が、あまり考えもせずに出してくる/人間だれもが持って>いる(とおぼしき)、“悪い虫”が動き出すのを防止・あるいは無害化しようとす>るという主旨と性質を持って生まれた/一見もっともらしい言葉>(/は、英語で
>言うところの関係副詞的thatの記号的代用である...って、却ってワケわかん
>なくなっちゃったか〜)って奴は、けっこう身近にころがっているものだし、それ>らにあえて疑問を感じ、「てめぇらホントにそんなこと思ってんのかよ!」と反撃>をこころみるっていう行為は、別にあたまのいい哲学者のひとでなくても、実践可>能だと思う。

世間の常識が分からないと、自分とのギャップに振り回されて、訳が分からなくなりそうですが、体系というか、構図というか、うまく言えないのですが、「なるほど、こーなっているのか」という事が分かってくると、自分のスタンスがとりやすい気がします。結構冷静に、「そうですか・・・でも、そうだとは思わないですが。」みたいな感じで静かな反発みたいなのが出来るかもしれません。そーいう訳で、中島さんの本は、とってもためになりました。「あ、そう思わなくてもいいんだ。」とか「色々言われて、そのたびにそれが絶対的に正しくて、自分が悪いような気がしていたけど、そうではないかも・・・」という感じがしてきました。

> 私個人としては、自分の人格形成を大幅に歪めてくれた、「ボゲェェーーッとし>てちゃあ、ダメなんだからねェ?!」 「そぉんな、丁寧に丁寧にやってないで、チ>ャッチャッチャッチャッとやりゃあイイんだよォォォォォっっ!!......もういい
>よォ、貸せよォォォォォォオっっ!!」といった、「何かをやる速度が低い」こと
>で、私の全能力を推し量ろうとする言葉達を、告発したいね。うー思い出しただけ>で殺意が芽生えてしまう(^_^)

> そうか、殺したいほど憎いやつがいるのに、殺さないでいるってことは、私はた>またま“人を殺さないという趣味”(これに対立する“趣味”とはもちろん、「人>を殺す趣味」になるんだろうけど、それだと「人を殺したい」ではなく「人を殺し>てみたい」という表現の方が、適切になってくるのかも)の持ち主なのかも知れな>かったのか!ってね。いま、その対談本、手元にないけど、“犯罪者予備軍”とい>うレッテルを憂慮している人々のためにも、いつか紹介してみようかと思う。それ>にしても「人には善をなしなさい」というルールを完全無視したままの、一連の文>章かもなーこの段落は。

私は、結構人間は・・・理性とか、頭で考えるものを取ってしまえば、「自分のためなら、平気で人を殺すこともある」というような存在かもしれないな・・・と思います。暴力的だったり、とんでもなく、恐ろしい事も考える存在であるとも思います。でも。私は多分・・・人も殺さないだろうし、だからといって、「非常識な犯罪」はしないだろう・・・と思いますが、色々な事件が世の中で起こるたび、「まーこわい・・・人間じゃないわ・・・人間のクズね。」という風には犯人の人を思わないのでした。何となく理解出来るような・・・というとおこがましいかもしれないですが、気がするのでした。

反対に「絶対自分は正しくて、非人間的と言われている事はしない」と確信している幸せな人達の方が不思議です。状況によっては、自分の身を守るためとかで、どんな事でも自分はしてしまうだろう・・・って気がするから。曾野綾子さんという人が大好きで読んでいるのですが、彼女も物事の真理を鋭く突く・・・小気味よい批評をしますね。

> 他人に分からない痛み(たとえば障害への無知や無理解の犠牲となってしまうこ>と)の経験というのは、しばしば人を「偏屈」にするし、「あの人何か怖い、いつ>か犯罪やらかすんじゃないの」といった認識を、周囲の心に芽生えさせてしまう。>それらから開放してあげるにははたとえば、「べつに遅くったっていいんだよ」
>「できるようになるまで付き合ってあげるから」「いいじゃない、障害があったっ>てなんだって。そこまで自分を責める理由を探す必要、ないんじゃないの」「君は>本当はいい人なんだから。私には分かるの。他人の言ってることなんて真に受ける>必要ない。世の中、耳を貸していい言葉と、聞かないほうがいい言葉ってあるの
>よ」といった、さいごまで“責任”ある言葉をかけ続けてあげることのできる、勇>気ある理解者が、“犯罪者予備軍”呼ばわりされている、当の人間の周囲に、一人>でもいるかどうかだと思うけどな。mさんもさっそくチェックしてみよう。

本当はそんなに心が荒んでいて、犯罪とかを起こしたい訳でもないのに、精神的にアンバランスだから・・・とか・・・行動が変だから(行動は変でも、内面は温かい人だっていると思います。)とか・・・そーいう理由で怖がられる人はいると思います。人間は理解できないものが怖いから。私も落ち込んで悲惨だった時期、電車の中で言われたりした事があります。「犯罪とか起こすんじゃないの?ははは・・・失礼だよ〜〜」とか・・・。

暖かい対応とか・・・受け入れられている感じがあれば・・・いーんですよね。そーいう経験が私もあります。結構・・・辛い経験から、心を閉ざしていて、「私は異端だ・・・」なんて思っちゃって、自分から自分を孤立させてしまっても、周りの人達が暖かく見つめて受け入れてくれれば・・・他人に対する思いやりもうまれるだろうし、自分が社会の中でちゃんと存在しているっていう意識ももてるし。

そーいう愛して?くれる人がいなくて、極限状態になっちゃった人が最終的に犯罪に走るという事もあると思います。だから、私は他人事だと思えないのかな。色々な事件が起こると。本当に「根っからの犯罪者」「犯罪が好き〜」という人もいるかもしれないですが・・・。
 
> 他の国じゃ分からないけどさ、日本人には「こんな出来損ない、将来ロクなもん>になりゃしねえ」「まっ、蛇の道は蛇ってことよ」「いちど骨の髄まで汚れちまっ>たもんは、何したって浮かばれゃしねえのさ」といったメンタリティに、支配され>てるフシがあるって気がするのよね。それも大して古いものじゃなくて、さしずめ>仁侠映画あたりから持ってきたんじゃないのかな。「社会不適応」者という目で見>られている人たちっていうのは、そういう意味合いの言葉をかけられることが、
>「健常」者に比べて、めっぽう多い。「ロクでなしの子」だとか、まるで先祖の血>というものが、何か本人に対して、オカルト的に働きかけているかのように言う、>無知なイナカ者達からは、いっそ隔離しちゃったほうがいいの。隔離ができない状>況にあるようなら、最低限、耳を貸さなきゃいいんだよねってことを、周囲は本人>に、はっきり教えておく必要がある。
> いままでに自分が何を経験し、何を言われてきて、それについて何を感じたか。>それを言葉にして人に伝えようとすることは、本人の努力も必要だけれど、そうい>った言葉を受け止め、受け容れる態勢づくりをするのは、周囲の人々の義務なんだ>と思う。

日本は本当にそういう意識つよいですね。皆はずれないように精一杯で。変な物を排斥する所があるし。時々外国に行きたくなります・・・。(外国語が出来ない・・・という問題はありますが・・・)

「ばちがあたったんだよ。」と言われたときは、何のことだかさっぱりわかりませんでした・・・。恵まれた人にはかならずばちがあたるという考え方があるのだろうか・・・。

何でもいいから、個人の存在をそのまま認めるような風にしないと、だめだって思います。いろいろな人がいて、基本的にちゃんとしていれば、いいさ・・・みたいな。

社会不適応な人達の大半・・・か、半分くらいの人達は、そーいう酷い仕打ち(言葉で・・・態度で・・・)を世間から受けて、頑張ろうとしたのに、一所懸命だったのに、追いやられた人だろうな・・・。

個人的な事ですが・・・ちゃんと?働いていても、「働いているの?」と言われる事が私には苦痛でした。あまりにも個性的な態度をとりすぎたのか・・・。人一倍(というか、要領が悪いので、人並みの事でも死にものぐるいでやっていたという意味で・・・)頑張っていても、何だか多分「社会不適応」という風に見えるのでしょう・・・。言われるたびに傷ついて、最近は「働いているオーラ」を意識的に出そうと努力したりしています・・・。

働いていないとダメ・・・みたいなのも、少し問題ある考え方だと思うのですが。働くのは大切だけど、それぞれ理由とか・・・訳があるわけですしね。

とあげていくと・・・本当にいろいろあるなぁ・・・。「結婚すれば?」っていう言葉とかも・・・誰でもいいから結婚すればいいっていう常識なのかなぁ。う〜ん。

色々変なこと書いてすみません。


Re: 再び考えてみました。 10364へのコメント
No.10367  Sun, 13 Jan 2002 21:07:26 +0900  truth [この発言にコメントする]

こんばんわ。KILROYさんに質問です・・・。よこレスですみませんが・・・。

KILROY wrote:

> 「男と女は別の生き物だ」というのはよく言われることだが、「男」と「女」と>「男と女」というのはまた別の生き物で、「男と女」に関していえば「男(と
>女)」と「女(と男)」がすでにして別の生き物であり、その「男(と女)」と
>「女(と男)」のことを「男」「女」と呼ぶのであって、人間は「子供」→「男の>子」→「男」とか「子供」→「女の子」→「女」というふうに「変態(昆虫にみら>れるような、生物学的なイメージとしての「変態」)」するのだと解釈するのがた>ぶん(民俗学的・文化人類学的・心理学的には)正しい。


> 琵琶湖のギンブナだとか北米のムチオトカゲだとか、雌だけで繁殖する生物は珍>しくはない。その意味で女性はアイデンティティとして完結しておるわけで、男な>んつーものは女のおまけでしかない。つまりは「女に認められること」にしか男に>存在価値はないのである。男は進化の過程で女に「発明」された中途半端な生命体>であり、女に回帰することでしか真のアイデンティティを獲得することができない>のである。

> とはいえ女性も処女生殖はせんわけで(聖母マリアじゃないんだから。ちなみに>うちのMariaはベタニアのマリアだから関係ない)、その意味では、女性もまた進>化の過程でアイデンティティの一部を放棄したと考えることができる。古代ギリシ>ャでは、人間は「アンドロギュノス」という両性具有の完全生物であったのだが、>神が人間を恐れて男と女に分けたのだ、という説明がなされていた。で、配偶者の>ことをベターハーフというのだ、みたいな話は聞いたことがあるはずである。(←>自分で書いてて思うんだが、いろいろ勉強になるなぁ)

> そんなわけで、配偶者としてのパートナーを見つけていない男女はアイデンティ>ティが完結しとらんのだ。つまりは生物として半人前ということである。これは馬>鹿にして言っているのではない。自己完結しとらんからこそ片割れを捜す楽しみと>いうものが手に入ったのである。ゾウリムシみたいに誰彼なしにくっついて遺伝情>報の交換をしちゃあ分裂する、みたいな人生が楽しいかどうか考えてみるといい。

> そんなわけで、男というのは女という「(種としての)根幹」からふらふら離れ>ては戻ってゆく不安定な存在なのである。女という根幹から離れたミトコンドリア>は二度とその根幹に戻ることはない。男は女の掌の上で踊っているのである。男尊>女卑思想なんていうのは生物学的な事実に対するアンチテーゼでしかないのであ
>る。

> 女にとって男というのはたぶん「異物」(あるいは異生物)なのであろう。で、>生物としての基本は女の側にある。男は女について学ぶと人間が見えてくる、よう>な気がする。男は、自分を知るためにも女というものを理解しようと努めたほうが>いい、と思う。

私の友達には、インターセクシャルという人がいます。又、性同一性障害の友達もいるのですが・・・その場合はどういう事になるのでしょうか?上の文章の事ですが・・・。

私には、「男性・女性」という概念も、「世の中の男と女」という2分法というか、「男はこう、女はこう」という考え方が・・・「世間の常識」というか、「決めつけ」に思われる事があります。

男女の区別って分からないです。大抵の人は、「女性はそういうものだ」「男性はそういうものだ」という範疇に入るのでしょうか?世の中には、「そーではなくて、何だか分からないけれども、普通?の「男女」の範疇にどうしても入らない、という人もいると思うのでした。

友達のインターセクシャルの人は、「性同一性障害」とはまた違い、性別の曖昧さというのに悩んでいたりします。体も心もどっちつかずというか・・・戸籍上の性と少しずれている・・・(感覚的に・・・)という事で・・・。又、性転換系の人とか、中性的なあり方と言うか・・・感覚を持っている人もいると思うのですよね。

心理学や、医学、何でもですが・・・「男女」というか、「男の場合、女の場合」という理解の仕方・・・対応の仕方をすると思います。でも、そうではない人達の場合はどうなのかなぁ・・・。

それは、性的異常で、異端の存在で・・・論じる必要もないような・・・存在なのかなぁ・・・。片割れを絶対に見つける事が出来ない存在というか・・・。

私自身も、又、「何だかしらないけど、私は、変わっている・・・感覚的に・・・女性だけど・・・」って感覚を感じる時があります。性的意識が弱いのか・・・。どちらの感覚も持っているような・・・男性的側面と女性的側面があるというか。

KILROYさんが何でも知っているという訳ではないと思うのですが、世間一般の意見というより、KILROYさんは、この問題についてどう思うか・・・という事を聞きたいと思って書き込みします。


Re: 仕事が採用に・・・・・・ 10307へのコメント
No.10366  Sun, 13 Jan 2002 20:58:11 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

pennpenn58 wrote:
>多重人格で被害妄想と自意識過剰があり、鬱病でナルコレプシーで引きこもりのpennpennです。現在失業保険をもらいはじめたばかりというところです。前の会社は居眠りをしたり、眠気を押さえるためにコーヒーばかり飲んだりしていた勤務態度を徹底的に所長さんに嫌われていじめられて精神科受診しているのもばれて首になってしまったのです。去年の10月の話です。
>
>で、しばらくは失業保険で暮らそうと思っていたのですがそう覚悟を決めたところで職安の紹介で行った会社に採用になってしまいました。ウーン、その会社も行くつもりはなかったのですがなにしろ職安のすぐとなりの会社だったのでつい興味を引かれて覗いてみたら留守番の人と目があって面接の運びになってしまいました。
>2月から開設する会社で普通の民家の一室を改造しただけの事務所で社員の数も5,6人程度。
>
>自信ないです。ナルコレプシーで所長さんにいじめられて前の会社はたった半年で首になったことも言ったのですが・・・・・・でもうそもつきました。ナルコレプシーは治りましたなんて・・・・・・ああ、だめだ。自信がない。娘に言ったらお母さん、今度は嫌われないようにねと言われました。嫌いな人でもしゃべってみるとそんなでもないもんだよとのこと。お母さんは一人っ子だから人間関係を作るのが下手だよねと。トホホ。娘に説教される親。返す言葉がありません。
>
>ドキドキドキドキドキしてます。はあ、なんか運命って皮肉。ああ、迷う。ああ、どうしよう。ドキドキドキドキドキ。生き方をかえようかな。図々しく会社なんていくら首になったっていいんだと。そういう覚悟でないととても勤められない。ああ、どうしよう。ひきこもりで自分の部屋から出るのもトイレの時だけという状態なのに。

 運が良かったですね。無理しないでマイペースでがんばってください。
私も先週流通センターのようなところで、13:00から18:00までの仕事があったので面接を受けに行きましたが、採用責任者の「うちは誰かが20%しか仕事ができないと、みんながとばっちりを食らうんだよね・・・」の一言で、あきらめざろうえませんでした。
 ああ・・なんでノーマリゼーションなんていって、障害者に「働け!働け。働くやつが立派なんだよ!」って、この国はろくな支援もせずに俺たちの尻ばかりたたくんだろう・・俺たちは奴隷か??このままじゃ本当にお先真っ暗だ!
 ノルウェーのヴィダー・オースンみたいな、「障害者村」でも作ってくれたほうがまだましだ。


Re: 今さらですが…。(補足) 10358へのコメント
No.10365  Sun, 13 Jan 2002 20:33:13 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
> 本来「ノット」は赤道上の一分(これが1ノーティカル・マイルなのだ)を一時間で移動する速度なので(四万kmを三百六十で割ってから六十で割ってみてくれ)、言ってみれば天測航法の時代の遺物(遺産というべきか)なのである。まあ、郷愁(ノスタルジー)の中にある単位だと思ってくれい。
>
> (Mr.Moto)

ノットの語源は英語の「KNOT(結び目)」です。
 大航海時代の船では、停船投錨のうえ、47フィート3インチという一定の間隔で結び目をつけたロープを海に流していくという方法で、海流の速さを測っていました。つまり一分間に3個ずつ結び目が海に消えれば、「ここの潮の流れは、毎分3ノットじゃ!」ということになっていました。
 現在の船では、走ったままで海流の流速の測定ができるように、「磁場の中で導体が動くと、その導体の両端に誘起起電力が発生する。」という、「ファラデーの電磁誘導の法則」を応用した「G.E.K」という測定システムが用いられています。もちろん単位は、相変わらず「ノット」です。
 なお、「1ノット=1852m/h」です。 


Re: 再び考えてみました。 10354へのコメント
No.10364  Sun, 13 Jan 2002 12:04:12 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

白くん wrote:
> すごくくだらないけど、この件に関しても、どなたかレスしてもらえますか……。(かなり力弱くなってます)

 わはははははははは。当人にとっては笑い事ではないのだろうが、私にとっても笑いごとではない(何を言っておるのかなおれは)。(←おれが混じっているのであろう by Mr.Moto)

 「男と女は別の生き物だ」というのはよく言われることだが、「男」と「女」と「男と女」というのはまた別の生き物で、「男と女」に関していえば「男(と女)」と「女(と男)」がすでにして別の生き物であり、その「男(と女)」と「女(と男)」のことを「男」「女」と呼ぶのであって、人間は「子供」→「男の子」→「男」とか「子供」→「女の子」→「女」というふうに「変態(昆虫にみられるような、生物学的なイメージとしての「変態」)」するのだと解釈するのがたぶん(民俗学的・文化人類学的・心理学的には)正しい。

 「結婚は人生の墓場である」という言葉があるが、これもまた「酢酸は(有機)化学反応の墓場である」とか「鉄は核反応の墓場である」とかいった話と同じように、「エネルギーレベルが低いので安定」と解釈するのが正しい。

 白くんは高校生だからウィルスについて学んだことがあるだろう。タバコモザイクウィルスの結晶の電子顕微鏡写真もおそらく見たことがあるだろうし、ウィルスというのが核酸と蛋白質だけでできているという話も聞いたことがあるはずである。
 ところが、ここでいう「ウィルス」というものは、正式には「ウィルス核」といって単なる配偶子(生殖細胞みたいなもの)である。ウィルス核単独ではなんら生物学的な活動はできない。細胞に感染して、はじめて「生物」になるのである。

 「ウィルスというのは生物なのか物質なのか」みたいな議論がかつて科学史上にあった。で、結論としては、「ウィルスが感染した細胞」が生物なのである、ということになっている。すなわち「ウィルス核」そのものに種としてのアイデンティティは存在せず、ウィルスと感染細胞が一緒になって、はじめて種としてのアイデンティティを認められるということになるのである。
 で、インフルエンザ・ウィルスが人類に対して猛威をふるうのは、インフルエンザ・ウィルスがブタやら水鳥やらといった異なった種にまたがって感染してしまうために、アイデンティティが混乱するからなのだ。

 琵琶湖のギンブナだとか北米のムチオトカゲだとか、雌だけで繁殖する生物は珍しくはない。その意味で女性はアイデンティティとして完結しておるわけで、男なんつーものは女のおまけでしかない。つまりは「女に認められること」にしか男に存在価値はないのである。男は進化の過程で女に「発明」された中途半端な生命体であり、女に回帰することでしか真のアイデンティティを獲得することができないのである。

 とはいえ女性も処女生殖はせんわけで(聖母マリアじゃないんだから。ちなみにうちのMariaはベタニアのマリアだから関係ない)、その意味では、女性もまた進化の過程でアイデンティティの一部を放棄したと考えることができる。古代ギリシャでは、人間は「アンドロギュノス」という両性具有の完全生物であったのだが、神が人間を恐れて男と女に分けたのだ、という説明がなされていた。で、配偶者のことをベターハーフというのだ、みたいな話は聞いたことがあるはずである。(←自分で書いてて思うんだが、いろいろ勉強になるなぁ)

 そんなわけで、配偶者としてのパートナーを見つけていない男女はアイデンティティが完結しとらんのだ。つまりは生物として半人前ということである。これは馬鹿にして言っているのではない。自己完結しとらんからこそ片割れを捜す楽しみというものが手に入ったのである。ゾウリムシみたいに誰彼なしにくっついて遺伝情報の交換をしちゃあ分裂する、みたいな人生が楽しいかどうか考えてみるといい。

 そんなわけで、男というのは女という「(種としての)根幹」からふらふら離れては戻ってゆく不安定な存在なのである。女という根幹から離れたミトコンドリアは二度とその根幹に戻ることはない。男は女の掌の上で踊っているのである。男尊女卑思想なんていうのは生物学的な事実に対するアンチテーゼでしかないのである。

 女にとって男というのはたぶん「異物」(あるいは異生物)なのであろう。で、生物としての基本は女の側にある。男は女について学ぶと人間が見えてくる、ような気がする。男は、自分を知るためにも女というものを理解しようと努めたほうがいい、と思う。

 (KILROY)


Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。(プロローグ) 10362へのコメント
No.10363  Sun, 13 Jan 2002 11:21:25 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> 発達と社会適応に関していうと、やっぱり各人各様なんですよね。「こうだ!」と結論めいた発言をしちゃうと、自閉症方面の子供の子育てに腐心しているお母さまがたに対する影響が強すぎるような気がする。それより、あたしら(および、お母さまがた)で「体験談文集」でも出したほうがいいかも、と思うんだけど、どうかな?
↑「体験談文集」賛成!もう1つ言わせていただきますと、この『「どっちでもいいこと」が決められない。』も、全部まとまったら一般向けにリライトして出版、というのはいかがでしょうか?(間違いでなければ、おそらくその考えがあるのではないだろうか?と思ったもので。)こういった(体験談文集もですが)本は、一般向けの自閉症方面の理解のために良いと思います。(実際、マンガですが『光とともに…』も、自閉症についての誤解を解きたい、ということから生まれた作品ですので…。)
『光とともに…』第2巻が早く出てほしいな。 (グルンサ)

P.S.今度こそ、また後ほど。


Re: 今さらですが…。(補足) 10358へのコメント
No.10361  Sun, 13 Jan 2002 10:34:07 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

Mr.Motoさん wrote:
>シュッツさん wrote:
>> 飛行機の速度にもノットが使われるんでしたっけ?

> 本来「ノット」は(中略)、言ってみれば天測航法の時代の遺物(遺産というべきか)なのである。まあ、郷愁(ノスタルジー)の中にある単位だと思ってくれい。

 おはようございます。
私は、「ログ」がもともと航海記録から、ということをこれで初めて知りました。
また、シュッツさんとは逆に、ノットが飛行機の速度ということは知っていましたが、船の速度にも(もともとどちらが先に使い始めたかは、まるっきり知らないのですが…。)使われる、ということを初めて知りました。(ホントに皆さん、いろいろなことをご存知ですごい!)
 お二方とも、レスありがとうございました。

P.S.他の方にもレスしたいことはあるのですが、これは後ほど。


Re: 仕事が採用に・・・・・・ 10340へのコメント
No.10360  Sun, 13 Jan 2002 07:25:52 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

あんく wrote:
 へえ、こんにちは。他人のレッテルを、そこまでていねいに貼り付けなおす必要というのは、どこにもないんですって。
>
はあ、ありがとうございます。ただひたすら居直りを生きる武器にしてきたもんですからそんなことをいわれるとうれしいです。「あなたって八方美人よね」といわれれば「そうなのよねえ、気が弱いもんだからそうなってしまって・・・」と応じ、「口がうまいわよね」といわれれば「親がまちがって舌を2枚つけて生んだのよねえ」と答えております。ASとADHDのくせにどうも世の中の人には一見要領よく世の中を渡っているように見えるらしい私。ひとりそのギャップに泣いております。

ところであんくさん、私はあんくさんの性別を勘違いしていましたがついでに年齢も勘違いしていたようです。お若い方かと思っていましたが親の年齢がにているようなのでもしかしたらあんくさんも私とそう変わらない年齢なのでしょうか?私の父も徴集されて南方に行っておりました。私の父はただの百姓ですが、自己肯定が強烈で私はただ呆然とするのみ。戦争も父の思い出話を聞けば「おれが花を手帳にはさんでいたら花が好きな奴に悪い奴はいないと上官にかわいがられた」「ひまなときは将棋をしておれが一番強かったのよ」「原住民を呼びつけて畑を作らせていろいろ教えたから原住民はおれらに感謝している」父よ。あなたは戦争で人を殺してはこなかったのですか?日本軍の残玉行為を目にしたことはなかったのですか?

私の鬱病の直りがあまりに悪いので主治医に両親が呼ばれたことがある。父は主治医に徹底的に娘自慢をしてきたらしい。小さいときから本が好きなおとなしい子供だった。頭がおかしいなんて刃物を振り回したりするわけでもないし、頭がいいから大学まで出した。おかしいわけがない。父よ、あなたの娘は男性恐怖症だったので怖くて大学の教室にはいることができませんでした。大学は補欠で入学し授業にはほとんど出席せずお情けで卒業しただけなのです。父よ、あなたの娘はほんとうに頭がおかしいのです。こういう都合の悪い現実を認めない親の子供というのは分裂症を発症しやすいらしい。

仕事の方はやはりやめることにしました。私は今回はケアマネジャーという資格で採用されたのですが車に乗ることの多い仕事なのでナルコレプシーで居眠りの多い私には危険だと夫の反対にあって断ることにしました。文月さんにもお祝いの言葉をかけていただいたのですが。

>> 別にいいじゃないですか、多重人格だろうが淫乱だってなんだってさ。中略 仕事も決まった、子供に励ましてもらえた、幸せすぎて怖いってやつですかね(笑)?

はあ、淫乱なので子供は3人もいるし経済的には限りなく不安で果たして次の仕事が見つかるのかどうかもわからないのですがとりあえず失業保険をもらっている間は家でおとなしくしていることに決めました。それがやはり社会のため。子供のためになるかもしれないし。あんくさん、レス感謝です。


Re: 再び考えてみました。 10357へのコメント
No.10359  Sun, 13 Jan 2002 02:12:29 +0900  Maria [この発言にコメントする]

yamoriさん wrote:
> 「アスペルガーの人の心理」とひとくくりにするのが乱暴なように、
> 「女性心理」とひとくくりにするのも乱暴かつ危険なことです。

 うふふふふふふふふ。Mariaだぞ。

 とはいえ女性と男性が歴然として違う、ということはおそらく事実なのね。で、白くんは相手の女性を生涯のパートナーとして考えていると思われるので、どうしたって「結婚」「性交」「妊娠」「出産」といったことを考えざるを得ないのだな。それを考えると、「女性心理」として考慮(あるいは配慮)すべきことというのはある意味限定されていて、「個別の要素」というのはyamoriさんが『恋愛は「個別の事例」あるのみです。』とおっしゃっておられるように、「恋愛」のレベルの話でしかないわけです。

 これはわかんない人にはわかんない話なんだけど、「ヤッちゃった」「ヤられちゃった」という関係は、すごく重いのね。「援助交際」とかいったものを認めるべきでないのは、この「重さ」がわかってない人間が、セックスという関係を結んじゃいけない、ということだったりします。

 とはいえ、これは単にセックスという行為のことを言っているより、たとえば登山においてザイルで結ばれた関係に近いものがあります。「バディ」とでも言いましょうか。

 言っとくけど、セックスって怖いぞぉ? 「気持が身体に持ってかれる」っていうのがあるからな。

 「人間は、進化したけだものである」ということは、忘れてはいけません。

 (Maria)


Re: 今さらですが…。(補足) 10355へのコメント
No.10358  Sun, 13 Jan 2002 01:43:24 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:
> 飛行機の速度にもノットが使われるんでしたっけ?

 1ノットは1マイル/時なのだが、アメリカではそのまんま「マイル/時」を使うことが多い。日本だとおおむねkm/hである。

 そもそも1マイルには三種類あるのだ。陸上距離の1マイルと、イギリスの1海里(ノーティカル・マイル)とISO(SI)の1海里である。手元にある『世界の航空機』という本によれば(昭和26年発行だから、“Printed in Japan”ですらない。“Printed in occupied Japan”である)、km/hで速度表示がされているから、たぶんISOの1ノーティカル・マイル/時のことをノットと「航空の」世界(つまりはパイロットの世界。航空技術者の世界ではまた違う)では云うのであろう。だいたいアメリカでは自動車の速度計がマイル/時(55マイル/時規制、というのが有名である)なので、直感的に分りやすいということなのであろう。「飛行機のほうがちょっと速い」ということであるらしい。

 本来「ノット」は赤道上の一分(これが1ノーティカル・マイルなのだ)を一時間で移動する速度なので(四万kmを三百六十で割ってから六十で割ってみてくれ)、言ってみれば天測航法の時代の遺物(遺産というべきか)なのである。まあ、郷愁(ノスタルジー)の中にある単位だと思ってくれい。

 (Mr.Moto)


Re: 再び考えてみました。 10354へのコメント
No.10357  Sun, 13 Jan 2002 01:13:16 +0900  yamori [この発言にコメントする]
こんにちは。
[ADHDパートナーのためのスペース]管理人のヤモリです。

>  僕って、ASが理解できないんじゃなくて、女性心理が分かっ
>  てなかったんですかー???!!!

「アスペルガーの人の心理」とひとくくりにするのが乱暴なように、
「女性心理」とひとくくりにするのも乱暴かつ危険なことです。

今更こんなことを言うのもぶち壊しかもしれませんが、結局のとこ
ろ、恋愛は「個別の事例」あるのみです。
(他の人の経験は勿論参考にはなるけどね)
彼女を理解するのに、アスペルガーについて学ぶことはとても有効
だと思いますが、それだけが全てでは無いのは当然ですね。

「稽古不足を幕は待たない/恋はいつでも初舞台」という歌があり
ました(若い人は知らんだろうが。見逃してJASRAC)。
あがけ若者!Good Luck!
-----
ヤモリ:aps@estyle.ne.jp
「ADHDパートナーのためのスペース」
http://www.estyle.ne.jp/aps/

Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。(プロローグ) 10352へのコメント
No.10356  Sun, 13 Jan 2002 01:07:59 +0900  Maria [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:
> 漢字に気を使っておられるようなので一言。

 熱心に読みこんでいただける読者がいるというのは、著者としては喜ばしいことです。

 なお、ぜんぜん関係ないけど、ちょっとだけ。

I wrote:
> ちなみに、この章のタイトルは、映画『博士の異常な愛情:またはいかにして私は心配するのをやめて、核爆弾を愛するようになったか』のタイトルのパクりです

 これはタイトルを変えたのに中身を修正するのを忘れたからです。原タイトルは各自想像してください。

 「心の理論」については、認知のレベルにおいては否定的、自己規定のありかたとしては肯定的、というのが結論。そんなわけで原論文からは離れた立場を取っています。

 発達と社会適応に関していうと、やっぱり各人各様なんですよね。「こうだ!」と結論めいた発言をしちゃうと、自閉症方面の子供の子育てに腐心しているお母さまがたに対する影響が強すぎるような気がすr。それより、あたしら(および、お母さまがた)で「体験談文集」でも出したほうがいいかも、と思うんだけど、どうかな?

 (Maria)

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